かん。 かん、かん。 かん、かん、かん。 まるで手招かれるように魚人の七代・ヨソギは音のほう方向へと、ぺたんぺたんと転げないように鉄製の義尾を振ってバランスをとって歩いていく。その顔は眠たげにぼんやりとしているが、目だけは宝物を見つけた幼子のようにきらきらと輝いていた。 鉄の音だぁ。 鼻を動かせば、心地よい炎の香り。 耳をすませばじゅっと熱した音。 それだけで心臓がとくん、とくんと期待に高鳴る。 ようやく辿りついたのは白い石で作られたチェンバー。 ヨソギは目をぱちぱちさせながら、鉄と炎の誘惑に勝てずに入口からなかをのぞく。とたんにジュッ! 熱した赤黒い鉄が水に浸され、素早く槌で叩かれる光景が目に飛び込んできた。冷やされた鉄はそのときだけは順々となって形を変え、時間が経つと火得て冬夜の冴えた月のように鈍い輝きを放つ刃の姿となる。無駄のなく、鍛えられた剣はヨソギから見ても感嘆のため息をつくほどに見事なものだった。 ヨソギはまだ十三だが、祖父と父が認めた「七代目ヨソギ」を名乗る職人として、鉄が変化する過程を熟知している。 まず、鉄を作るのは玉鋼を探し、薄くし、選別と鍛錬を経て形を作っていく。これは造りで一番、神経を使う素延べの作業だ。 そうとわかるとヨソギも同じ職人として邪魔せぬようにと黙る。 と 「珍しいか」 太い声に問われて、ヨソギはびくりと肩を震わせた。顔をあげると、剣を鍛えていた男が微笑んだ。 白い衣服に短く切り込んだ髪の毛、体格はヨソギよりもずっと逞しい。一瞬、海で大岩にぶつかりそうになったときのような驚きに見舞われた。 仕事の邪魔をするつもりはないヨソギはここを立ち去るべきか、それとも返事をするべきか迷った。 すると男は手に持っていた剣と鎚を傍らに置いた。これは仕事を一度切り上げたということだ。 「あの、アナタは? ボクは、ヨソギですー」 「ヴェルンド」 優しい返答にヨソギは尻尾をふる。見た目よりも怖い人じゃないみたいだぁ。安心したヨゾキは玄関の前に立った。 「ここは鍛冶場ですかぁ?」 「俺の仕事場だ。一応、これでも鍛冶師でね」 ヴェルンドは傍らに置いてある水差しを手にとると、口のなかに流し込んだ。 「わかりますー。……あの、入ってもいいですかぁ? お仕事のお邪魔をしてませんかぁ? いま、素延ですよねぇ?」 「構わん。一端休憩をいれようと思っていたんだが……お前、平気か?」 「え? ……あっ!」 それが魚人であるヨソギにたいして気遣いだった。 入口は風通りがあって涼しいが、一歩なかに足を踏み入れただけで肌を焼くほどの熱気が襲いかかってくる。 「はい~。ボク、これでも鍛冶師なんですよぉ」 狭い入口に尾が当たらないように気を付けてなかにはいると、ヴェルンドが興味深げに目を向けてきた。 「これは、お前が?」 「はい。ボクが作ったんですよぉ!」 ヴェルンドが立ち上がってヨソギに近づき、まじまじと尾を見る。ごつごつとした手が撫でるのは同じ職人に対しての評価が下されると感じ取ったヨソギは緊張する。 「いい品だな」 「ありがとうございますー!」 素直な賞賛にヨソギは照れた。 「アナタも、すごくいい職人だって音でわかりますー」 「音でわかるのはすごいな」 「ボク、これでも、ヨソギを名乗っているんですよぉ」 すぐにターミナルではその称号を相手が理解してくれないことを思い出した。 若いということで侮られてしまっただろうかとヨソギは少しだけ心配になった。鍛冶師は職人仕事で、年齢を重ねた者ほどベテランとされることが多い。 父や祖父から認められても、元いた世界の客のなかにはヨソギの若さに明らかに落胆したり、困惑する者がとても多かった。 「なにか意味がある名なのか」 「はい」 幸いにもヴェルンドはヨソギを軽んじたりはせず、逆にその名の意味に興味をもってくれた。傍にある石造りのテーブルに案内してくれると、果実水を出してくれた。甘酸っぱい味は、鉄の香りとよくマッチして喉を潤してくれる。 「これも、あなたの品ですかぁ?」 ヨソギは両手に包む、硝子コップをしげしげと見つめる。 「ああ、わかるか?」 「はい~。なんとなく……不思議ですね。同じ人が作ると、その品に、その人の匂いかなぁ、そういうのが残ってるんですぅ」 「そうか。よかったら、お前のことを教えてくれないか?」 「ボクのことを?」 「ああ」 「ボクの世界は、海がいっぱい広がった世界で、ブルー・イン・ブルーみたいなところですよぉ。ボクみたいなのがいっぱいるんですー。ここにはいろんな種属の人がいて、びっくりしましたぁ」 喉を潤しながらヨソギは言う。 「ボク、先も言いましたけど、鍛冶師なんです。お爺ちゃん、お父さんも……代々なんですよぅ。ボクも物心ついたときから、槌を持って、鉄を打ってました。それ以外、考えられなかったんですぅ」 ごく当たり前のことだった。 炎の熱でじりじりと焼かれる痛みも、鉄のかたくそっけない冷たさも。 ずっとそばにあった。 それから離れるなんて考えられず、それこそ自分の生きる意味だと当然のように受け入れて物心つく前から打つことを覚えた。 「お父さんやお爺ちゃんの修行は厳しかったですぉ。けど、辞めるなんてちっとも思いませんでしたー、それがボクにとって日常だったから」 むしろ、鉄を、槌をとりあげられてしまったら、それこそどうすればいいのかわからなくなってしまう。空気を吸い込むように、当たり前であったものを無くすなんて出来るはずがない。 けど 「先代たちのことを尊敬しているのか?」 「はい。お父さんやお爺ちゃん、それにその前の前の御先祖さまは、尊敬してますー。けど……目標というとそうじゃないんですよぉ。ただ叩きたかったんです、ただ打ち続けたかったんです」 自分が自分であるためになんの感情もなく、なんの目標もなく打ち続けたいと願った。 「そのことでお爺ちゃんに怒られたことあるんですよぉ。そんなのじゃ、職人としては認められないって」 しょんぼりと頭をさげてヨソギは呟く。 「ボク、よくわからなかったんですよぉ。お爺ちゃんがどうしてそんなことを言うのかぁ」 「今はわかったのか?」 「はい!」 反射的に声をあげたあと、再び俯いた。 「ボク、あのときまでからっぽでしたぁ……自分のために打ってたんです。その品を受け取った人がどういう使い方をするのか、求めているのとか考えてなかったんですぅ。けど、今は考えますぅ。だって、彼女に、出会えたから」 もじもじと尻尾を動かして、小さな声で告げるヨソギの言葉をヴェルンドが優しい眼差しで続きを促してくれた。 「その日、お父さんが、ボクのことを鍛冶場に呼んだで行ってみたら、お客さんとして来たのが彼女でしたぁ」 ヨソギ自身、気がついていないが、その目は鉄を打ちつける明るい炎を見たときのようにきらきらと輝かせている。それだけでヨソギにとって彼女がいかに大切で、特別な存在なのかが伺える。 「歌うのがすごくうまくて、可愛くて、元気で……ボク、そのころ、修行ばかりで、同世代の友達っていなかったからぁ」 鉄と炎ばかりを求めるヨソギは一日のほとんどを祖父や父のいる鍛冶場で過ごすことが当たり前で、それ以外は自分の部屋で鉄を叩いていた。そんなので友達ができるはずもない。大人たちが心配していたことなどそのころのヨソギは知りもしなかった。 そんなヨソギにとって「彼女」は突然と現れた輝石だった。 空の星が海の底に落ちたといわれる、鍛えれば鍛えるだけ己で輝く石――輝石。 はじめましてー! よろしくねー! はじめはあまりの熱に驚いて逃げてしまう小さな子供のように戸惑い。 かん。 僕ね、海獣ハンターなんだー! だから、武器が必要なの! ちりちりと焼ける炎のように焦がれて。 かん。かん。 ヨソギ、すごい! きらきらと輝く石のように、眩しい笑顔。 かん。かん。かん。 ヨソギは知らないうちに彼女の与えた炎によって変わった。 彼女の言葉、姿、笑顔で打たれて変化していくことの怖さとドキドキ感。それははじめて鉄を打った幼いときに感じた「喜び」をヨソギに思い出させた。純粋に大好きだった。けれど、気がついたとき祖父の言葉や父の顔、自分にはこれしかないのだとどろどろとした何か黒い思いが自分を縛りつけていた。もがけばもがくほどに辛くて、それから逃げたくてだから考えないようにしていた、けど ハンターとして誇りを持っている彼女の話を何度も、何度も話を聞いて、武器を生み出したいと切実に欲した。 海獣を狩りは基本接近戦で行われて大変危険なのだ。そんな彼女を護りたい。誰かのために自分の力を使いたい。 変化する鉄が最も熱い炎に包まれているように、気持ちは高ぶっていくのがわかった。 連日連夜、ヨソギは周りが心配するのも気にせずに彼女の笑顔だけを考え続けた。 「本当に、本当に、がんばったんですぅ。彼女の力になりたくて、彼女がちょっとでも危険から護られて、ちゃんと狩りから戻ってこれるように、最高の武器を作りたくて」 「出来たのか?」 ヨソギはちょっとだけ躊躇ったのち、顔をあげてにこっと笑った。 「はい! ……けど、すごくがんばりすぎて、そのときのこと、あんまり覚えてないんですぅ。作ったあと、三日ぐらい寝込んじゃって、彼女を心配させちゃっいましたぁ。あ、あとおねえさんには大砲を作ったら喜んでくれましたぁ! それに、お父さんも、お爺ちゃんも、ボクのことを認めてくれて、ヨソギを名乗ってもいいって言ってくれたんですー。一族始まって以来の快挙だって」 そのときだけ照れたようにヨソギは頬を手でかいた。 「ボクには、難しいことはわからなかったけど、けど……わかったんです。鉄は、ううん。ボクは誰かのために鍛冶仕事をしたいですー」 炎は肌を焼き、火傷をする。 鉄はかたく、肌を切り裂く。 腰を痛めることも、神経が参ってしまうこともある。 けど、そんな苦労も ありがとう。ヨソギ! 自分の作り上げた品を受け取った人の目が輝いて、顔に広がる驚きと喜びの笑顔。それを見たとき、自分の胸にぽんと生まれる炎。それが自分の疲れ果てた心を熱して溶かしてくれることをヨソギは知った。 ターミナルでも、いろんな人と出会った。彼らのためにヨソギはなんだって打つつもりだ。その先にある笑顔を見たから。 「だから、ボクは、誰かのために鉄鋼を鍛えるんですぅ。それが、今のボクのすべてだから」 そのときだけ、ヨソギは揺ぎ無い、職人の目をしていた。 「あ、あの、なんか、いろいろとべらべらしゃべっちゃって」 「いや、いい話だった。よかったら、もうすぐ仕上げだ。見ていくか?」 「いいんですかぁ! ボク、人が作るのを見るのも大好きです!」 尻尾をひらひらと振るヨソギの可愛らしさにヴェルンドは吹きだした。 「ああ。この仕事が終われば、別で売り物を作る予定なんだが、なにか作っていくか?」 「本当ですかぁ! その、実は、まだ、お仕事する場所を探していて」 もじもじとヨソギは俯く。 「そうか。なら、これが終わったら一緒に探してみるか? お前がいい仕事ができる場所もきっとあるだろう」 「ありがとうございますぅ!」 鉄は炎に抱かれ、溶け、形を変える――そうして誰かとヨソギを繋げて広がって、護るように強くなる。
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