――彼女、生きているわよ? ヴォロスの依頼で告げられた真実は七代・ヨソギの心に小石としてとどまっていた。 小石はときとして転がって柔らかな心の壁にぶつかって。ずっとずっと存在を主張していた。 自分のせいで失ったしまった彼女が生きているかもしれないという可能性。 本当なのかをちゃんと確かめたい。 出来れば会いたい。 いろいろと考えてヨソギはまず司書を訪ねて旅人登録を見せてもらった。 二日ほど通って必死にページをめくった。鉄ならばいつも打っているが、柔らかいと思っていた紙は、鋭く、手が切れていくつもの細い傷跡が出来た。けれどヨソギは諦めなかった。諦めたくなかった。 だって、だって 彼女が生きてるかもしれない! 会いたい 会いたいよ、とってもとっても会いたいよ! 必死に小さな希望にすがて、ようやく見つけたのは二つの名前。 フカ・マーシュランド マグロ・マーシュランド 仲のいい姉妹だった二人をそのまま形にしたように並んでつづられた文字に火傷でごつごつした、不慣れな紙切れで作った無数の傷ついた指でそっとなぞった。二度、三度……そうしてヨソギは実感して息を飲み、吐いた。 「いた、いたんだ。本当に!」 嘘じゃなかった。 本当だった! 歓びに胸が満たされて思わず叫びそうになるのをここがどこかということを思い出して必死に我慢した。 ぽとりと、明るい喜びに黒いインクのような不安が落ちて、滲んだ。 もしも もしも、違っていたら? 名前は同じだけど、もしかしたら違うって可能性もあるんですよね? だって、ここはターミナルで、いろんな世界の人がきていて。だから名前だって ぬか喜びすることが怖くて、ヨソギは慎重になった。 「ヨソギ? どうかしたのか?」 ヨソギがギクッと振り返ると司書が不思議そうな顔をしていた。 「わざわざ、旅人登録を見たいといったが、なにか見つかったのか?」 「あ、あの、ボク、ボク……すいません失礼します、ありがとうございました!」 ヨソギは椅子から立ち上がると司書に頭をぺこんとさげた。いつもはゆったりと、穏やかに泳ぐように進む足取りは今だけは天敵に会ったかのように早かった。 残された司書は眉根を寄せると、ちらりと登録書を見て何かを察したように小さく頷いた。 はぁはぁ、はぁ……。 ターミナルの商人通りのところまできて足を止めた。 司書さんにひどいことしちゃいました。 しょんぼりと尾を垂れさせ、俯いてヨソギはとぼとぼと歩き出す。せっかく嬉しいはずなのに怖いと思ってしまった。だって、もし違っていたらと思うと。 それに本当に彼女たちだとしてもボクは、会えない。罵られるかも、嫌われてるかもしれない。だって、だって……ボクのせいだから! カン、カン、カン……! 鉄の音がしてヨソギは、はっと我に返る。無意識にたどり着いたのは見慣れた店だった。そこはターミナルに来て間もないころ、物珍しくていろんなところを彷徨って知り合った人が営んでいる店だ。 「ヴェルンドさん」 かんかんかんと心地よい鉄を打つ音、じゅっと熱れる水音にヨソギは導かれるように進んで、そっとなかを覗くとヴェルンドは冷やした鉄に顔に近づけ、その色を真剣に見つめていた。 ヨソギは同じ職人としてヴェルンドの作業が一段落つくまでじっと待っていた。 紅蓮の炎、鉄の焦げる香り。まるで唄みたいだ。ううん、ダンスみたいだ。マグロちゃんみたいだ。 いつも踊って歌っていた可愛らしい彼女。どうしてあんなにも惹かれたのかと思えば、その歌声だったのだと思う。 たぶん、一人ぼっちで、いつも炎と鉄ばかり見ていた自分にとって彼女の歌声はびっくりするくらい鮮やかな色をもっていて。笑顔と踊りは楽しそうで。憧れた。 「どうした、ヨソギ」 優しい思い出に浸っていたヨソギは目をぱちぱちさせて現実と向き合った。 「あの、ボク……」 ヨソギは俯いた。 「相談したいことがあるんです。いろんなことを考えたけど、思いついたのがここしかなくて……迷惑かもしれませんが、お願いです」 「ちょうど休憩だ」 なかに招かれて、作業用の小さな鉄の椅子に二人は腰かける。ヴェルンドはヨソギのために冷たい茶を出してくれた。それに舌鼓を打ちながらヨソギはぽつぽつと今までのことを語りだした。 ターミナルで知り合いは多く出来たけれど、自分の内面までを語るのは少しだけ躊躇いがある。その点、ヴェルンドは同じ職人という共通点から安心出来た。 「どうしたら、いいでしょうか」 ようやく心のわだかまりをすべて吐き出したヨソギは俯いた。 「お前はどうしたいんだ」 「ボク、ボクは」 会いたい、二人に会いたいよ。元気な姿がみたいよ。けど 「お前はどういう気持ちで鉄を打ってるんだ」 「みんなの幸せのためです!」 ヨソギは顔をあげてすぐに反論した。 「ボク、はじめは自分のためだけだったけど、今は、二人に、マグロちゃんとフカさんに会えて、他人のために打ちたいって思えるようになったんです。だから、ボクは誰かの幸せのために打つんです」 「そんな二人がお前を傷つけるか?」 「あ」 「俺はその二人に会ったことはないが……二人によってお前が変わったなら、今度はお前が二人のために変わるべきなんじゃないのか? お前はそのためにここまできたんだろう?」 ヨソギはちらりと手を見る。 いくつも出来た紙切れの痛みを我慢して、ページをめくり続けた。 会いたいと思ったから。 二人が与えてくれたもののおかげで、ボクはまだ立っていられるんだよ! こうして変わってるんだよ。作れてるんだよ。 あふれ出てくる気持ちがヨソギを奮い立たせる。 「ボク、確かめてきます! お茶、ありがとうございます!」 ひらひらと尾をひらめかせてヨソギは歩き出す。 無くしてしまった絶望よりも、得ていく希望を信じたいから。 その日からヨソギは仕事をこなしながら、暇な時間はすべて二人を探すことに専念した。ターミナルは広い。それをすべてまわるのはヨソギの小さな足では無謀であった。けれど諦めたくなかった。ヴェルンドが教えてくれたように今度は自分が変わるべきなのだ。 いくつものチェンバーをまわり、ようやくヨソギはそこに辿りついた。 「ほら、マグロ、いくわよ!」 「まってよー、おねーちゃん!」 明るい、まるで花が咲いたような声。ヨソギの知っている愛しい二人の声。見ると決して忘れないと決めたフカとマグロの姉妹が仲良く並んで歩いている。ターミナルにあるお店で買ったらしい荷物を両手にしっかりと抱いて、楽しそうに笑っている。背中にはハンターとしての武器を装備して頼もしい。 ヨソギは思わず手を伸ばしたが、第一声は出てこなかった。 会いたかったよ、とその言葉が喉の奥で痰と絡んで出てこない。 二人はどんどん進んでいく。楽しそうに笑いながら。 ボクは、ここだよ。ここにいるよ。 二人とも無事でよかった。よかった! そういって抱きしめたい。けど あのとき、自分の武器が誤作動を起こしたから、二人はここにきたのだ。覚醒という運の良さから自分たちは生きている。けれど普通ならは死んでいるような事件だった。 その原因である自分がどんな顔をして会えばいい? なんて声をかければいい? 会いたかったよっていってもいいのだろうか? ヴェルンドは二人を信じろと言ってくれた。二人のことは信じられる。けどヨソギは自分のことが信じられない、許せない。だって、だって ボクの、せいだから…… いくら謝っても、謝り足りない。 「ボクには、そんな資格がないんだ……」 前掛けをぎゅうと握りしめた手を解いてヨソギはとぼとぼと歩き出す。二人がとおざっていくのを耳で必死に追いかけながらも体は反対方向へと進む。心のなかにいっぱいのごめんなさいを詰め込んで。 ヨソギは二人を見かけた通りに行くことはやめられなかった。偶然でもいいから二人の姿を見たいという欲求がとまらなかった。 ごめんなさい。 けど、すごくうれしかった。 ずっと心のなかにあった悲しみが消えて、あたたかな日向に包まれたようだった。それがヨソギにとっては救いで、きっと一生分の希望を得た瞬間だった。 だから、せめてそっと遠くで見るだけは許してほしいと願ってしまい、無意識にも通りに足を向けていた。 そんなヨソギの視線に海で命を賭けて戦うハンターである二人がまったく気が付かないはずがなかった。 はじめに、ちくりとした痛みのようなものをフカは感じた。なんなのよ、小蠅? このターミナルで私たちに挑むつもり? 鮫の血のせいか、おおざっぱで、好戦的なフカはちくちくと乙女の柔肌を刺す視線にむすっとした。はじめは偶然だと思ったが、それが連日になると誰かが意図して自分たちを見ているのだと気が付いた。 なんなのよ、まったく! 乙女にへんなことしようとしてるやつかしら? だったら成敗してもいいわよね? で、司書に突き出してやるわ! 幸いにも妹のマグロはまだ気が付いていない様子に可愛い妹を守るためにもフカは奮い立った。 いつもの買い物帰り。 フカは普段通りを装っていたが、内心は殺気に満ちていた。自分たちを狙う、変質者を必ずこの手で倒すと思ってギアをいつでも抜ける状態だ。 しかし。 何気なく視線を辿り、はっとした。 建物の影に一生懸命に隠れているシルエットを自分は知っている気がしたのだ。だからすぐには飛びかからず、慎重に観察した。 すると時々長い尾があって、ますます驚いた。 あれって、まさか…… 楽しい故郷の思い出がよみがえったフカは息を飲んだ。 シルエットは自分たちが家に入るまで見守るとそっと去っていく。まるで何かを恐れるように、それ以上は行けないのだというように。 そんなところも、アイツみたいじゃない? フカがその影の正体をはっきりと知ったのは偶然だった。 「おねえちゃん、あのね、この子たちが歌ってほしいっていうの! ちょっと遊んでもいい?」 人懐っこいマグロは買い出しで立ち寄る店にいる子どもたちと仲が良く、よく遊ぶ間柄だ。 「いいんじゃないの? 買い物はほとんど終わったし、腐るようなものはないしね。ちょっとぐらいなら」 「やったー。いこー!」 マグロは子どもたちに手をひかれてぱたぱたと歩いていく。お店が軒を連ねる通りの先には噴水のある公園があるのだ。 そこでマグロは子どもたちと駆けっこをして遊ぶ姿をフカは優しい目で見つめた。 「よーし、歌うよー!」 マグロが楽しげに声をあげる。 細い光の糸を何重にも重ねたように、または揺蕩う水面のような穏やかな歌声。 それに公園にいた人々は楽しげな視線を向けるのにフカは嬉しくなる。 「あ、あわわわ」 間抜けな声がして見ると、そこにはヨソギがいた。マグロの歌声につい身を乗り出しすぎて転げてしまったらしい。慌てて隠れるが、フカはばっちり見てしまった。 「……ふっ。アイツも無事だったんだね」 間抜けさに苦笑いを零しながらフカは目を細める。 しかし。 ならどうして直接会いに来ないのだろう? こんな変質者じみた方法で一方的に会うのだろう? 「もしかして」 あのときの――覚醒した原因のことを気にしているのだろうか? けれどあれはヨソギのせいではない。フカとマグロはハンターだ。ハンターは命を賭けて戦うことはあたりまえでいつも覚悟している。けれどヨソギは違う。職人で、自分たちは彼を守ると告げたのに、出来なかった。 あの事件で自分たちの傲慢さと未熟さをいやというほどに理解したフカとマグロはヨソギのことをずっと気にしていた。自分たちは覚醒したが、ヨソギがどうなったのかわからない。確認したくとも故郷には帰れないのだから。 二人で何度も、ヨソギなら大丈夫と言葉を重ねたが、マグロはひどく落ち込んで、大きな瞳から何度も涙をこぼしていた。 ……生きていて、本当によかった。 フカはぎゅっと拳を握りしめる。 ずっと、ずっと背負わなくてはいけない罪のひとつが、まるでマグロの歌のように光に包まれ、霧散していくのがわかる。 こうして気にかけてくれているのは私たちのことを許してるって思ってもいいのよね? 私たちと気持ちは同じって思ってもいいのよね? ねぇ、ヨソギ? 視界が、ターミナルの青空から注ぐ光によって霞む。 乱暴に目を拳で拭ったフカは平常心でいようとした。でなければ今すぐに駆け寄って、その首根っこを掴んで確認してやりたい衝動に負けてしまいそうだ。 辛気臭いのは嫌いだけど、それじゃあね。 誰よりもヨソギに会いたがっているのは、いま、楽しそうに歌っているマグロだ。 「どうしたもんかしらね」 きっとヨソギのことを告げても、マグロは踏み出せないだろう。 ヨソギン、生きてるよねぇ? お姉ちゃん ……生きてたら、やっぱり怒ってるのかなぁ? 嫌いになってるかなぁ? ばかね、そんなことあるはずないじゃないの! ヨソギは誰よりもあんたのこと大好きだったのよ! 恨むんなら私でしょ? 私のせいなんだし! あんたになんか言ってきたら私が殴ってやるわよ! 何度も繰り返してきた会話の最後、マグロは弱弱しく笑うばかりだった。 この悲しみはヨソギにしか癒せない。ヨソギの悲しみがマグロにしか癒せないように。 「仕方ないわね」 フカはため息をつくと、早速ノートで司書に連絡をいれた。 「マグロ。ちょっとこの鍛冶屋に買い物に行ってきてくんない?」 マグロは小首を傾げてフカの差し出したお買いものリストを見つめる。 「いいけど、お姉ちゃんは?」 「私はすることがあるのよ。だからお願いね」 「うん。わかったけど、ここのお店、遠いよ? ここって、いままでお買いものしたことないとこだけど……」 「ちょっとね、いい武器がほしいとおもってさ。司書に相談したら、教えてくれたのよ。よろしくね、はいはい、はやくいって!」 背中を押されて家から出るマグロは不思議そうに首を傾げて鍛冶屋に急いだ。 その店は歩いて三十分ほどのところにあった。落ち着いた佇まいにふとヨソギのことを思い出して、胸が苦しくなるのにマグロは首を振って気持ちを切り替えるとなかにはいった。 「すいませーん、いますかー」 はーい、どこかで聞いた声を耳にしたマグロは目を瞬かせた。奥から出てきたのは 「ヨソギン! どうして此処にいるのー!?」 マグロの驚きはヨソギの驚きそのままだった。どうして彼女が自分のお店にきたのだろう? こんなふうに再会するなんて 「……っ、僕っ」 マグロの顔が曇るのにヨソギは胸が苦しくなった。まって、まって、いかないで 「マグロちゃん!」 声の限りヨソギはマグロに訴える。全身で、心を、気持ちを、このチャンスしかないから。 「ボク、ボクのせいで、ごめんね!」 「ヨソギン?」 「ボクのせいで、ひどい目にあって、あのときのこと、謝りたかったんだ。ずっと、ずっと、……マグロちゃんたちがここにきているの、知ってたけど、声をかけれなくて、それで、ボク」 興奮しすぎて酸欠状態になったヨソギは口をぱくぱくと動かして、必死に言葉を紡ごうとして出来なかった。 「……ヨソギン、ヨソギン!?」 気持ちが高ぶったマグロは両手でヨソギを抱きしめた。 「マグロちゃん? ボクのこと怒ってない、の?」 「ヨソギンのせいじゃないよ。僕たちがヨソギンを守れなかったせいで、ごめんね! ヨソギンの尻尾、これ……あのときのせいなの?」 マグロの顔が悲しげに歪むのにヨソギは勇気を奮い立たせた。だって、マグロには笑っていてほしいから。 「うん。けど、ボク、自分で尻尾を作ったんだよ。二人のこと忘れないために、二人が、ボクに与えてくれたもののために。マグロちゃんがボクの光だったから。ボクは……ボクに出来ることは鉄を打つことだから、がんばって償おうって、生きていこうとって思ったんだ」 「ヨソギン……」 「会いたかったよ、会いたかったよ、すごくすごく会いたかったよ!」 ぎゅうとヨソギはマグロを抱きしめる。マグロはそっとヨソギの背中に手をまわして、ゆっくりと歌を紡ぐ。 言いたいことはいっぱいあるその気持ちが自然と歌として零れ落ちていく。 嬉しかった。ただ嬉しかったのだと、子どもでも知っている純粋な幸福を、鮮明に伝えるためにも。 マグロの歌が二人を包み込む。 「……まったく、仕方ないんだから、御邪魔虫は退散しようかしらねって、あ」 実はこっそりと見守っていたフカは二人の再会を見届けると涙を拭って立ち去ろうとして足をもつらせてこけてしまった。 「今の音は? フカさん!」 「お姉ちゃん!?」 二人に見つかってフカはむすっとした顔を作って、そっぽ向いた。 「た、たまたまよ、たまたまここにきただけよ。な、なによ二人とも!」 フカの苦しい言い訳にマグロとヨソギは顔を見合わせて笑う。 故郷のきらきらした太陽の日差しのような笑顔が、いま三人の顔に浮かぶ。
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