「幽霊だぁ?」 世界図書館の一室に、野太い男の声が響き渡った。「正式名称は暴霊になります」「似たようなもんだろ」 心底嫌そうな表情をしているのは、ゴンザレス・サーロイン――筋骨隆々の、いかにも荒事に慣れた風体の男であった。牛を人化させたような外見も、ロストナンバー達が溢れるこの0番世界においては目立つものではない。 対する位置に座っているのは、物静かな空気をまとった銀髪の女。目の前のテーブルには、閉じられた『導きの書』。言わずもがな、世界司書の一人である。「『オレより強い奴』と戦いたいのですよね?」「あー、いや、確かにそうだが……」 氷を思わせる瞳に見つめられ、ゴンザレスは決まり悪そうに頭を掻く。相手が事務的で良かった。さして広くもない部屋に二人きり。美人で中身まで自分好みとなれば、仕事の話どころではなかっただろう。(それにしても、暴霊ねぇ)「大丈夫です。普通に物理攻撃の通用する相手ですから」 彼の心の内を読んだのか、そう女は口添えした。物理攻撃――殴ればOKということらしい。それなら少しは安心できる。「詳しい話は現地の探偵に。既に話は通してあります」「探偵……そういや、行く世界はインヤンガイって言ってたっけか」 そういう事ならば、と席を立つゴンザレス。 すれ違い様、女が声を掛けてくる。口元には微かな笑み。「チンされないように気をつけて下さいね。チンされないように」「よく分からねぇけど、妙に卑猥に聞こえるな……」●「や、どうもどうも。わざわざ出向いて貰ってすまないね」 インヤンガイの混沌とした町並みの一角。寂れた探偵事務所でロストナンバー達を出迎えたのは、壮年の冴えない男であった。「よっこらせっと」と、くたびれたソファから腰を上げ、これまたくたびれたジャケットのポケットから名刺を差し出す。『探偵 出雲平助 ※料金は応相談』「イズモ・ヘイスケだ。今回のヤマはどうにも、俺一人の手には負えなさそうなんでね。情報提供は惜しまないから、御協力をお願いするよ」 へらへらと笑いながらも地図を取り出し、説明を始める出雲。「知らない人もいるだろうから、暴霊の基礎知識から。――このインヤンガイで死んだ人間の魂が何らかの原因により暴走した場合、周囲に甚大な被害を及ぼす。これを総称して、俺達は暴霊と呼んでいる」 出現場所はここだ、と示された部分は、インヤンガイには珍しいだだっ広い場所のようだった。「実際には息の詰まる場所なんだけどね」、出雲によれば、巨大なゴミ捨て場との事。「暴霊は大別して二種類。本人の遺体を含めた物体に取り憑く場合と、霊魂のみで動く場合。今回は憑依型だ」 一枚の写真がロストナンバー達の前に置かれた。相手に気付かれぬよう、赤外線カメラを使ったのだろう。ハッキリとしない画面をよく見れば、冷蔵庫、テレビ、掃除機にハロゲンヒーター……?「そう。どれもこれも家電製品。こいつ等がゴミ捨て場を訪れる人間を襲っているのさ」 個々の強さはそれ程でもないらしいが、数は力なり。加えて、ゴミの山のどこから襲ってくるのか分からない恐ろしさと、足下の不安定さもある。「俺は清掃局に掛け合って、仕事としてこの事件の解決を請け負った。流石にボランティアをやっている暇はなくてね」 出雲は言外に、本当に助けたいのは役所ではない、と言っているのだろう。それを肯定するように、こう続けた。「被害者は増え続ける一方だ。……今日の食事にも困るような子供達は、危険だと分かっていてもあそこに行くしかないのさ」 湿っぽくなる空気を振り払うかのように、彼は淡々と説明を続ける。「奴等は夜な夜な徘徊しているようだが、昼間でも人が近付けば無差別に襲ってくるようだ。どう戦うかは、君達にお任せするよ。俺も、こいつで援護させて貰う」 古ぼけた拳銃を重たそうに持ちながら、出雲はそう締めくくった。 そんな中、ゴンザレスは写真を手に取り、一点を凝視していた。機械にはあまり馴染みが無いが、これは知っている。人が丸々入りそうな大きさの物は初めて見たが。 火も出ていないのにスープが温まる謎の箱。それが、暴れる家電製品に混じっていた。「チンって、これの事かよ……」
●ブラックコーヒー 「……所で、出雲の旦那。冷たぁ~いお肉は出たの?」 インヤンガイは、寂れた街角の探偵事務所にて―― この建物の主である探偵、出雲平助が一通りの説明を終えたところで、居並ぶロストナンバー達の中から声が上がった。 冷たくなった肉――その意味するところと、揶揄するような隠語に顔を顰める者がいるかもしれないが、この男が意に介す事は無いだろう。 B・Bという特徴的な名前が本名なのかは怪しいところだろう。彼の言葉に、出雲は手帳を開きながら、 「俺が知るだけでも三人、既に死んでいる。他にも、ここで生きていくには辛い怪我を負った人間が、子供を中心に多数」 彼等を待ち受ける困難は想像に難くないが、出雲はそれ以上の事は語らなかった。他人は他人と割り切っているのか、あるいは確定していない未来に儚い希望を願っているのか、それは定かではないが。 蓮見沢 理比古が伏せていた目を開き、溜め息のような深呼吸を漏らした。 「急いだ方が良さそうだな。子供達の為にも、成仏できないでいる魂の為にも」 「死んでも終わりじゃないんだ……大変だね」 「幽霊の話というのは俺の世界でも定番ですけど、居て当たり前の存在として受け入れられているというのは興味深いですね」 驚いたように瞳を瞬かせるディガーに、花菱 紀虎も眼鏡を持ち上げながら続いた。出身世界の違いはあれど、霊による具体的な被害が出て実際に人が動くという状況に驚きを禁じざるを得ないようだ。 紀虎と同じく壱番世界出身の虚空も同意するように頷き、 「しかし、何で家電製品なんかに憑いたんだ?」 根本的な疑問に、出雲は肩を竦めてみせるのみ。 「そればかりは何とも。そもそも、憑依した魂の出所が不明だからねぇ。家電マニアだったとか?」 おどけた口調はあるいは、調べ上げる事のできなかった己を嘲っているのかもしれない。 会話が途切れたところで、ガシャン、と金属同士のぶつかる硬質な音に視線が集まった。 「どこのどいつだろうと、悪さしてるんならブッ飛ばす。それでいいのよね?」 「あぁ、その通りだ――って、凄い得物だな」 ともすればぬいぐるみのように可愛らしくも見える――本人に言ったら激怒しそうだが――容姿のフカ・マーシュランドの手にあったのは、自身の身の丈の倍近くもある無骨な砲身であった。どうやらさっきの音は、これを組み立てていた音らしい。 「本来は海獣共を仕留める為のモノだからね。これならそこの牛でもイチコロさ」 鈍色の凶器がぐるんと旋回し、立ったまま腕組みしている巨躯のところまで来るとピタリと静止した。軽々と扱う技術には感心させられるが、いきなり銃口を向けられた方はたまったものではない。 狙われた当人、ゴンザレス・サーロインは大仰な仕草で身構えた。 「こっちに向けてんじゃねぇよ! 危ねぇだろ!?」 「冗談さね、冗談」 「……だといいんだけどよ」 (牛のサーロインは、ミンチよりステーキに限るしねぇ……クククッ) 安堵したのも束の間、背中に突き刺さる視線に、ゴンザレスは寒気を感じ続けていたとか。 「善は急げといきたいところだけれども、現場に着いたら長い戦闘になるかもしれない。大したものじゃないけど、小腹を満たして鋭気を養ってくれると、おじさん嬉しいなぁ」 そうなのだ。それぞれの目の前には、琥珀色の液体に満たされたカップと、クッキーの盛られた皿が置かれていた。 「悪いね。砂糖とミルクを切らしちゃってて」 苦笑いを浮かべる出雲。折角のもてなしを断るのも失礼だろう。ロストナンバー達はそれぞれに言葉や会釈で謝辞を示すと、口をつけ始める。 「コーヒーか。俺は甘ったるいの苦手だから、逆に有難いぜ。――何だよ?」 カップの中身を一気に飲み干すゴンザレスだったが、ふと全員の視線を感じて眉をひそめた。他の者達はというと、一斉に首を横に振って明後日の方向を向いている。 おそらく、全員の思いは一つだったろう。 ((珈琲牛乳……)) 口に出したら何をされるか分かったものではない。紀虎が目を合わせないようにしていると、自然と窓の外へと視線が向いた。滅茶苦茶に建て増しされた街並みの影響もあるだろうが、想像以上に暗い。太陽は出ていないようだ。 こんな中、悪臭漂うゴミ捨て場まで出掛け、霊の取り憑いた家電製品達と戦わねばならないとは。 (鬼が出るか蛇が出るか。いやはや) ここは悪意の渦巻く街、インヤンガイ。程好い酸味と、舌に染みる苦み。血中を駆け巡るカフェインの覚醒がいやに陰鬱に感じられる、曇天の昼下がりであった。 ●ゴミ山の住人達 探偵事務所を出て、ほんの十分余り。 辺りの風景が違うものになってきている事に、誰もが気がついていた。 特徴的な高層の建物が極端に減り、背の低いコンクリート打ちっ放しの小屋が目立つようになる。倉庫か何かに使われているのだろう。人の気配は無い。 そして、簡素なフェンスで区切られた向こうに、その異様はあった。 「うわぁ~、うわぁ~」 連れ立って歩く一行の中からディガーが飛び出し、首を上に傾けてしきりに声を発している。つられて他の全員も、巨大なゴミの山を見上げていた。 「凄い臭いですね」 覚悟はしていたが、それ以上だ。鼻声の紀虎は目まで痛くなってきたのか、手を振って周囲の空気を払う。じきに慣れるとは思うが、それはそれで複雑な気分になるだろう。 他の者達も似たような表情だったが、唯一ディガーだけが瞳を輝かせている。 「掘ったら――駄目ですよね」 というか、何故掘る? この欲求は本人にもよく分かっていないので、否定的な雰囲気を感じただけで自ら意見を引っ込めた。 「中心部に近付く程、暴霊は多い。行こうか」 出雲に促され、一行はゴミに埋め尽くされた領域へと足を踏み入れていった。 「ったく、臭い上に邪魔なゴミ共ね」 体力には自信があるが、体格的な問題だけはどうしようもない。フカの身長では、ゴミの山を踏破しようとするとどうしても時間が掛かってしまう。低地を移動すれば楽なのだろうが、射線を確保する意味でもそうはいかなかった。 ジャンプしようにも足場が不安定で、結局は地道に登るしかない。しばらくは悪態が続く事になりそうだ。 と、その眼前に一本の太い腕が差し出された。 「え?」 「早くつかまれよ。こんなところを襲われたら危ねぇだろうが」 驚いた表情で見上げるフカに、ゴンザレスは不機嫌そうに――しかし微かに頬を朱に染め、さらに促す。 「あ……うん……」 思わず素直に頷き、手を借りる。一息つける位置にまで辿り着き、気まずい沈黙が訪れたところで、ようやく我に返った。 「ななな、何よ! 勝手に腕を出してきたから、断っちゃ悪いと思って付き合ってあげたのよ!? お礼なんて言わないからね!」 「おまえなぁ……まぁいいか」 呆れた表情で背を向けるゴンザレスに、フカの表情が一瞬だけ大きく歪む。しかし、口から出る言葉は心とは裏腹で。 「……ふ、ふんっ……美味しそうな牛だと思ってたけど、今日のところは見逃しておいてあげるわっ……」 「何ですか、あの小芝居は?」 離れた所から見ていた紀虎は何とも言えない表情だ。二人とも、見た目が――壱番世界の常識からすれば――異様なだけに、とてもシュールな光景に見える。 しかし、周りの年上達は余裕綽々といった様子で。 「若いっていいなぁ。甘酸っぱい青春を思い出しちゃいそうだよ」 「戦場で芽生える愛ってのも美しいじゃん」 「外野、うっさいわよ!」 半ば本気でフカが銃口を向けると、出雲とB・Bは「うわー」と緊張感の無い悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。 「え?」 いつの間にか紀虎も距離を取っており、一人取り残されたディガーが目を点にしている。 「食らえー!」 「えぇぇっ!?」 反射的にシャベルを構えたディガーの脇を、風切り音が突き抜けていった。 鉛の砲弾は、遥か彼方のゴミ山に着弾する。その爆煙を破って、いくつもの影が飛び出してくるのが見えた。自分達以外に人気の無いこの場所で動くもの――その正体は明らかだ。 よく見れば、フカから逃げたと思われた二人も、そちらへ向かっていったようだ。先陣を切る理比古、虚空を追うようにB・B、さらに遅れて出雲が続く。 「ようやくおいでなすったか!」 遅れてなるものかと斜面を滑り下りていくゴンザレスの横を、さらにフカが放った砲弾が追い抜いていった。立て続けの爆発。そして衝撃波が身体を打つ。 突然始まった激しい戦闘にしばし呆然としていたディガーだったが、身体はしっかりと鋭敏な感覚を張り巡らせていたようだ。 (何かいる!) 砲撃に伴う爆音や衝撃でノイズは走っているが、明らかな違和感にディガーは迷わず手にしたシャベルを振るっていた。 ごいん、と鈍い音を響かせ、鈍器はゴミの中から飛び出してきた敵にぶつかる。フカに襲い掛かろうとしていたのはドライヤーだ。その口から漏れ出る熱気は、どうやら髪を乾かす程度では済みそうにないが。 地面に落ちたところをシャベルの先端で真っ二つに押し潰し、ディガーはフカを仰ぎ見る。 「少しずつ集まってきてる。囲まれる前に移動した方がいいかも」 「支援砲撃を嫌がってるって事よね? いいわ。何発か撃ったら移動、これを繰り返しましょ。ソナー役、しっかりしなさいよ!」 「は、はい!」 思わず敬語で返してしまうディガー。気配が分かる理由とか、細かい事を聞いてこないところがらしいというか。命に関わる戦場では結果が何よりも優先される事を、彼女は知っているのだろう。 「きみはどうする?」 「身体を張るタイプではありませんし、ゴンさんの後ろからでも援護させて貰いますよ。ここはお任せしていいですよね?」 尋ねられた紀虎は懐から扇子を取り出すと、自らを扇ぎながら質問で返した。移動を繰り返すのならば、身軽な方が良い――ディガーの首が縦に揺れる。 「お互い、気をつけましょう。では」 「ま、足を引っ張るような真似はしないわよ。そっちこそ前線なんだから気をつけなさいよ!」 駆け出す紀虎の背後からフカの叱咤するような声、そして砲弾が再び轟音を上げながら飛んでいった。 (すっかり囲まれちまってるな) 視界の端に動く影を捉えながら、虚空は構う事も無くひたすら駆けていた。あまり良いとは言えない状況だが、彼の意思一つでどうにかなるというものでもない。 「アヤ、どういうつもりだ! 一人で突っ込むなって言ってんだろー!?」 しかし、主からの返事は無い。その瞳は忙しなく動き、まるで何かを捜しているようだ。 「チッ!」 タトゥーの刻まれた腕が振るわれると、理比古の頭上から飛び掛かろうとしていた電気ポットを撃墜した。炎の尾をなびかせる二本の苦無はするりと手の中に戻ってくる。 今はまだ、突発的に襲ってくる敵に対処するだけで良いものの、死角の物音は確実に増えている。足を止めた時の事を思うと、流石の虚空もぞっとする思いだった。 と、理比古の踵が強く地面を蹴り、半ば強引に方向転換した。その視線の先には―― 「ぁ……うぅ……!」 腰でも抜けたのか、地面に尻を着いたままじりじりと後退りする幼い少女と、追い詰めた鼠をいたぶる猫のようにゆっくりとした動きを見せている冷蔵庫の姿が。 冷蔵庫が――跳んだ! 「いやあぁぁぁぁぁっ!!」 少女の悲鳴もろとも抱え込むようにして、理比古の身体が地面を転がる。少女が先程までいた場所には、冷蔵庫が大きくめり込むようにして着地していた。 「アヤ!」 虚空の放った苦無が突き刺さるも、見るからに頑丈そうな冷蔵庫は意に介していない様子で理比古へと向き直る。 主と冷蔵庫の間に割り込んで、盾となるべきか――いや、そもそもこの位置から間に合うのか? 虚空の頭脳は目まぐるしく、次の動きを考える。 と、地面に膝を着いたままの理比古の手が素早く動いた。小さく息を吐く気配。 たった今虚空が苦無を命中させたのとほぼ同じ場所に突き刺さったのは、鋭利な光を反射させる愛用の小太刀。その衝撃はかなりのものだったろうが、やはり冷蔵庫には通じていないようだ。 「――――っ」 舌で濡らした唇より漏れる、不可思議な韻律。 すると、小太刀が小さく振動し、凍てつくような光と冷気を放ち始めた。 刹那。 小太刀の突き刺さった箇所から瞬く間に亀裂が広がり、冷蔵庫の大部分が粉々に砕け散っていた。 物質の温度が急激に変化した事で起きる、収縮や膨張による組織の破壊―― 僅かな部品を残すのみとなった冷蔵庫に、再び動き出す気配は無い。二人は同時に安堵の息をつき、理比古の腕の中で震えている少女に視線を移した。 「大丈夫か?」 「あ、あ、あ、アタシ……」 カタカタとぶつかる歯が舌をどもらせる。既に理比古の服は、少女の涙や涎、そして下半身をぐっしょりと湿らせる液体によって濡れてしまっていた。 彼女には悪いが、落ち着くまで待ってやる余裕は無さそうだ。 「一人かい?」 「おおお、弟が! 逃げてる時にはぐれたの!」 怯え切った瞳の奥に、助けて欲しいと懸命な色が宿る。是非も無い。だが今は―― 「四面楚歌って奴か……」 周囲を見渡し、虚空が苦無を構えた。 ゴミ山の上。見えない物陰。闇に満たされた隙間。 いたる所から無機質な音が聞こえていた。まるで会話でもしているかのようだ。 「突破する。アヤはとにかく走れ」 「結構疲れているんだけどなぁ」 「誰のせいだと思ってるんだ」 冗談めかしながらも腰を上げる理比古に、苦み走った表情の虚空が答える。かなり大変な状況だというのに、まるで懲りていない。むしろ、少女を助けられた事に喜んでいるのだろう。主はそういう人間だ。 「いくぞ!」 虚空の苦無が唸りを上げ、同時に少女を抱えた理比古が全力疾走を始めた。 (数が多い……!) 理比古の近くの敵から優先して攻撃していくものの、圧倒的に手数が足りない。そして主を守る事を優先すれば、おのずと自らの守りは薄くなる。 「つっ!」 ノズルを振り回す掃除機の打撃が腕を痺れさせる。その隙に、理比古に襲い掛かろうとする影が多数。本能で危機を察したのか、彼のセクタンが盾となって一撃を凌ぐ。だが、攻撃はそれで終わらない。ここからでは間に合わない――! 「其は猛狂う暴れ馬……」 風に乗り、どこからか朗々とした語りが聞こえてくる。 「貪り尽くせ、『ボレアースの吐息』!」 次の瞬間、嵐のような旋風が家電製品達を吹き飛ばしていった。 「やーっと追いついた」 軽く笑って乱れたバンダナを直したのはB・Bだ。手にした棍をくるりと回せば、砂埃が舞い上がる。どうやら、今の風は彼が起こしたものらしい。 「いきなり走ってっちゃうんだもん。吃驚しちゃうでしょーよ」 そう言っている間にも、B・Bは近くの敵目掛けて棍を振り下ろしている。そんな彼に、理比古も逃げ回りながら照れ笑いを浮かべていた。 「ごめんごめん」 「ま、可愛い御婦人を助ける為なら、俺も同じ事したとは思うけどね。紳士の常識って奴?」 事ここに至って、あくまでマイペースな二人の様子に、虚空は軽い眩暈を感じざるを得なかった。主だけで大変だというのに……! 「それは、ハァ、そうと、フゥ……今度はあっちが大変な事になってるみたいだけどね?」 B・Bに続いて現れた出雲が、切れる息を挟みながら後方を示す。 全員が振り向くと、そこには天高く持ち上げられている白黒の物体があった。 「く、くそっ、放しやがれ!」 ゴンザレスだ。その四肢には何本ものコードが絡みつき、彼の自由を奪っている。 「ありゃま、パソコンか。タコ足配線は危ないのに」 今度は向こうへ加勢しようとした矢先、ヒュン、という軽い音と共に、不可視の刃がゴンザレスの戒めを断ち切っていた。 「B・Bさん程ではありませんけ――うわぁっ!」 優雅に扇子を揺らしながら現れた紀虎だったが、飛来する轟音に慌ててその場を飛び退いた。 次の瞬間、見覚えのある砲弾がピンポイントでパソコンに命中し、爆発を巻き起こす。 「私のダチに何さらしてんのよ!!」 遥か彼方から、しかしハッキリと、フカの怒声が木霊した。 「っていうか、あれってゴンザレス君が巻き込まれてないかい?」 出雲のもっともな指摘に、全員は頷くしかなかった。B・Bが胸の前で十字を切る。 「ゴンちゃんよ、安らかに眠れ……」 「死んでねぇっつの! げふっ、煤だらけだぜ」 煙たそうに手を払いながらゴンザレスが近寄ってくる。 「この子の弟を捜さないといけないから――」 理比古が少女を皆に紹介しようとしたその時、地響きが足下を揺らした。一行は咄嗟に踏ん張り、あるいは地面に手を着き、倒れないようにバランスを取る。 「親玉の登場かい」 B・Bが楽しげに笑う。集まる視線の中、ゴミ山を割って姿を現したのは、巨大な業務用電子レンジだった。 「また随分とデカいのが出てきたわね!」 彼方の敵を見上げながらステップを踏めば、それを追うように光線が地面を焦がす。テレビがいきなり液晶画面からビームを放ってきた時は驚いたが、直線的な攻撃はタイミングさえつかめば避け易い。 「え? あれ、お姉ちゃんなの?」 ディガーの言葉に、彼にしがみつくようにしていた男の子はこくんと頷いた。 移動を繰り返している内に、ゴミの間に隠れるようにして震えていた子供を保護したのが先程の事。子供を捜していたらしい敵に囲まれ、二人は接近戦を余儀なくされていた。 もっとも、先に理比古達が奥に進んでいたおかげか、その数は少ない。最後と思われる液晶テレビも、たった今フカが得物でぶん殴って沈黙させたところだ。 (暴発とかしないのかな……?) 「捜す手間は省けたってことよね? んじゃ、さっさと行くわよ!」 疑問を口にする隙も無く、フカが得物を担いで駆け出す。そこへ出雲がやって来て、ディガーに笑い掛けた。 「その子は預かるよ。君も行ってくれ。というか、俺の体力がもう限界だ」 「うん、そのつもりでした。お願いします」 「お兄ちゃん……」 出雲に連れられた姉に抱き締められながらも、男の子は不安げな表情でディガーの背中を見ていた。視線を感じ、振り返ったディガーは穏やかな笑みで応える。 「大丈夫だよ。ぼく達は、こんな所で倒れるわけにはいかないんだ」 それは決意というより、自然の理(ことわり)のように。当然の事実として、口から零れ出た言葉だった。 ●sparking! 電子レンジが現れた場所を改めて確認して、虚空はにやりと笑みを浮かべた。 「仕掛けが無駄にならずに済んだか」 誰かさんのお陰で、ひたすら奥へと突き進む羽目になっていたわけだが。 その誰かさんは、ぬけぬけとこんな事を言ってくる。 「あんまり血を頭に昇らせると健康に悪いよ」 後で説教確定。 心に固く誓いつつ、何度目かも知れない苦無が踊る。それは敵から大きく逸れて飛んでいった。 狙いが外れたわけではない。これで良いのである。 その証拠に、いくつもの破裂音が響き、空中に飛沫が舞った。奥へ進む際に置き去っていた水風船を破裂させたのだ。 「動きを止めるわよ!」 フカの放った砲弾で電子レンジの巨躯が大きく揺れ、続けてディガーとゴンザレスがそれぞれに仕掛ける。 「でやあぁぁぁっ!」 「おりゃぁぁぁっ!」 地を滑るような体勢からシャベルのフルスイング。そして高所から飛び降りながらの回し蹴り。 電子レンジは太いコードを伸ばしてロストナンバー達を捕らえようとするが、紀虎の生み出した真空はがそのことごとくを断ち切っていた。 「そんなに怒らないで、これでも食べてな」 地団駄を踏むように扉を開け閉めしているところに、B・Bが何かを電子レンジの中へと放り込んだ。続けて、投げ槍の要領で放った棍が深々と突き刺さる。 「仕上げは上々!」 合図を受け、理比古の唇が再び韻律を紡いだ。小太刀に宿るは、煌めく春雷。 「ハァッ!」 裂帛の気迫と共に、大気を振るわせる稲妻はB・Bの棍に引き寄せられるようにして奔っていく。そして、水を伝い電子レンジを覆った。その様は、まるで獣を捕らえる網か檻のようだ。 閃光がまぶたの裏まで焼く中、炸裂音が響く。どうやら、B・Bが投げ込んだのは爆発物だったらしい。激しい光と爆音を伴い、その巨躯のあちこちから煙が上がり始める。 ――チンッ―― 「「チン?」」 あまりに場にそぐわない軽い音に、思わず全員が声を合わせた次の瞬間。 さらに強烈な光と衝撃が、ロストナンバー達を襲ったのだった。 「バイバーイ!」 ストリートチルドレンの姉弟が手を振って去っていく。 ゴミ捨て場の入り口まで戻ってきた一行の有様は酷いものであった。 「最後っ屁にしちゃ気合い入り過ぎてない?」 「黙ってくたばってりゃいいのよ……」 苦笑いを浮かべるB・Bに、据わった目つきで呟くフカ。 「びっくりしたぁ~」 「自爆とは……ある意味お約束なんでしょうけど」 意外と平気そうなディガーと、眼鏡にヒビが入っていないかチェックしている紀虎。 「ははは、災難だったね。姉弟を先に逃がしておいて正解だったよ」 「で、援護にも来ずに難を逃れたわけだな?」 「間に合わなかっただけだって」 ゴンザレスに半眼を向けられ、出雲はいけしゃあしゃあと弁解している。 「おんぶしてー」 「もう好きにしろ……」 地面にへたり込んだ理比古の言葉に、虚空は説教するのも忘れて背中を差し出すのだった。疲れた。何もかもに。 汚れと悪臭にまみれ疲れ切った表情のロストナンバー達を励ますように、出雲はわざとらしいくらい明るい声を出す。 「取り敢えずは風呂と、飯だな。いい中華料理屋を知ってるんだ。御馳走するよ」 その言葉に、虚空の背中の理比古が挙手する。 「お肉食べたいなー」 しかしその視線は、出雲ではなくある人物へ。 「あー、ゴンちゃんだったか、あんた――」 虚空に皆まで言わせず、ゴンザレスは顔を真っ赤にして怒鳴った。 「俺の体は食えねーよ! つーか死ぬぞ!?」 「やってみなくちゃ分からないじゃん? レッツ・チャレンジ!」 「うるせー! こっち見んな!」 身の危険を感じたのか、慌てて逃げ出すゴンザレス。イイ笑顔で追い掛けるB・Bと、後に続く仲間達。灯り始めた街灯に、長い影が伸びていた。 (了)
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