オープニング

 飛天鴉刃は世界図書館のロココ調に整えられたきらびやかな廊下の壁を殴りつけた。世界司書に対する怒りが収まらず、どうすることもできない苛立ちを罪の無い壁にぶつけた。
 透かし彫りを施された繊細な壁が、力強い一撃によりひび割れる。飛天鴉刃は龍人である。産まれ持った筋力は、コンダクターの非ではない。
「あらあら、どうしたのかしら、魚類のお姉さま。随分と荒れていますね。地震でも感知したの?」
 幸せの魔女だった。廊下の先で、涼やかな笑顔を浮かべていた。
 ――嫌な奴に見られたね。
 嫌っているわけではない。だが、どことなく虫が好かない。自分の幸せのみを存在の目標とする魔女は、他人の不幸を見逃すことはない。
 長い金色の髪と本性を隠すかのような白いドレスは、飛天鴉刃を見下すかのような女らしさをまとっている。実際に見下しているのだろう。そうでなければ、ゼロ世界に地震がないことを、知らないはずがない。
 誤魔化しても無駄だ。飛天鴉刃は歯ぎしりをしながら答えた。幸せの魔女は、自分の幸せを見逃さない。どこまでも、飛天鴉刃を不幸にしようと追い詰めるだろう。
「『今はまだその時では無い』だとさ。世界司書のやつ、世界樹旅団を攻める好機だったはずなのに、せっかく私の掴んだ情報を無視したんだ。おおかた、臆病風にでも吹かれたんだろう」
「まあ。それは幸運でしたね」
 幸せの魔女は、にっこりと笑った。飛天鴉刃は足を速めて廊下を進み、幸せの魔女の前に、ずいと体を突き出した。
「幸運? どういう意味だ?」
 純白のドレスを見せびらかすかのように、幸せの魔女はくすくすと笑いながら体を翻した。飛天鴉刃を、まるで挑発しているかのようだ。
「だって、鴉刃さん、お弱いでしょう?」
「……なんだと!」
 一瞬、言葉を詰まらせた。頭に、血が上った。
「だって、聞いているわよ。鴉刃さんったら、百足兵衛さんにコテンパンにされたんですってね」
「だから……どうしたって言うんだ」
 この魔女め。飛天鴉刃は冷徹だと自覚している。だが、幸せの魔女は、実に挑発が上手い。人を不幸にもたらすためには、あらゆる手段を選ばないのだ。わかっていた。だから、関わりたくなかったのだ。しかし、遅い。幸せの魔女は続けた。
「この前、私も壱番世界で百足兵衛さんとお会いしましたけど、大した相手ではなかったわよ。あの程度のお方に敗北されるだなんて、お恥ずかしいわね。鴉刃さんって、マヌケなのかしら? 所詮、ただ角の生えたお魚ですものね。立派なお髭を生かして、壱番世界の地中にでも潜っていたらいいのに。地震を予知してあげれば、鴉刃さんでも感謝されるでしょうに」
 なんて悪辣な言い方をする女だろう。この女だけは許さない。たまたま出くわしたにしては、あまりにも口が悪い。しかし……この魔女の情報も、無いではない。
 怒りが頂点に達しながらも、飛天鴉刃は咄嗟に切り返した。
「ふんっ。貴様こそ、列車を無様にも奪われたらしいではないか。しかも、ずうずうしくものうのうと無傷で帰って来たとか。さすがは幸せの魔女だな。世界図書館そのものに不幸を振りまいて、ご本人はさぞかし幸せをかみしめたことだろうよ。私のような善良な龍には、とても真似できないよ」
 くるくると回りながら話していた幸せの魔女が、ぴたりと動きを止めた。金色の双眸が、飛天鴉刃に向けられた。険しく、暗く輝いていた。綺麗な白い肌に、深い皺が刻まれていた。
「言ってくれるわね」
 自らの幸せにとって邪魔な存在は、全力で排除する幸せの魔女を、怒らせた。飛天鴉刃とて、もはや引くつもりはなかった。
「先に言ってきたのは貴様だろう。貴様の発言、聞き捨てならん。存在ごと消し去ってくれる!」
「……ここで?」
 幸せの魔女の声が、怒りで震えるのを聞くのは初めてだった。
「勝敗は、『無限のコロッセオ』だ」
 ただでさえ、殴って壁を破壊した。これ以上、世界図書館の内部で暴れるのは、まずいと判断した。
「コロッセオでは、飛天鴉刃を殺せないじゃない。いいわ。それなら、負けたら私の奴隷にお成りなさい。ずっと水中で暮らしてさしあげるわ」
「私が勝ったらどうする?」
「私は、この場であなたを殺したいのよ。無限のコロッセオならば死ぬことはないわ。恥をかくだけにして差し上げる温情に、泣いて感謝しなさいな」
 文字通りはき捨て、幸せの魔女は背中を向けた。
 仕方ない。『無限のコロッセオ』で幸せの魔女を八つ裂きにしてやれば、少しは気がまぎれるだろう。
 飛天鴉刃は、遠ざかる純白のドレスを睨み続けた。


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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
幸せの魔女(cyxm2318)
飛天 鴉刃(cyfa4789)


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品目企画シナリオ 管理番号1901
クリエイター西王 明永(wsxy7910)
クリエイターコメント 企画シナリオのオファー、ありがとうございます。
 オープニングを作成しましたが、一言お詫びいたします。いただいた資料より、幸せの魔女様の性格がかなり悪くなってしまいました。
 このままの勢いで戦闘に入る予定ですので、このオープニングの流れでよろしければ挙手してください。
 それでは、よい勝負になるよう、プレイング期待しております。
 ノベルにする際に、若干の暴走はご容赦ください。
 勝負の結末が決まっている場合は、プレイングで明記お願いします。記載がない場合は、ノベルの流れでライターが判断いたします。
 若干の残酷描写になる可能性があります。ご了承ください。
 あらためて、よろしくお願いいたします。

参加者
幸せの魔女(cyxm2318)ツーリスト 女 17歳 魔女
飛天 鴉刃(cyfa4789)ツーリスト 女 23歳 龍人のアサシン

ノベル

     1
 幸せの魔女は、トラベルギアである幸せの剣を地面に突き立てた。無限のコロッセオ、ほぼ中央でのことである。
 剣を突き刺し、柄から手を放し、一歩進む。両手を掲げた。武器を捨て、丸腰であることを示した。ほんの数歩先で、飛天鴉刃が鋭い目つきで睨みつけている。飛天鴉刃は人の姿をしていない。伝説の龍を人型にしたような姿をしている。実に、不気味な生きものだ。幸せの魔女は心中とは裏腹に、にっこりと笑顔を浮かべた。
「鴉刃さん、そんなお顔をなさらないで。せっかくの美貌が台無しですよ。私、常々思っていました。龍って、なんて気高いのかしら。鴉刃さんって、なんて美しいのかしらって。こんなことになってしまって、とても残念です。『無限のコロッセオ』はただの訓練の場です。私怨を持ちこむなんて辞めましょう。私達が争う理由なんて、何もないでしょう?」
 飛天鴉刃は動かなかった。幸せの魔女は微笑みながら、ゆっくりと近付いた。飛天鴉刃の視線が、ほんのわずかに幸せの魔女の背後に向いた。地面に突き立てた、幸せの剣に。
 幸せの魔女の手が、飛天鴉刃に触れた。飛天鴉刃は動かなかった。
「お互いに、いい試合だといいわね」
 飛天鴉刃は答えなかった。険しい目つきで幸せの魔女を睨んでいる。幸せの魔女はさらに体を近づけた。服が触れ、抱き合うように体を重ねた。
 乾いた音がコロッセオに木霊した。
 幸せの魔女は、スカートの中で隠し持っていたデリンジャー銃を放った。飛天鴉刃が呻き声をあげて膝をつく。撃ったのは足だった。
「卑怯者!」
「コロッセオに棒立ちしているなんて、神経を疑うわ。それとも、お魚さんには神経なんてないのかしら。邪神ファフニールの鱗を加工した特製の弾よ。これを喰らって無事でいられる龍族はそうそういないわ」
 龍族特有の色をした血液が飛び散る。幸せの魔女がデリンジャーで撃った弾丸は、飛天鴉刃の左の太股を貫通し、ふくらはぎにめり込んで止まった。
 飛天鴉刃の鋭い爪が幸せの魔女に迫る。銃弾が貫通した足を軸に、踏みこみざま爪を振るった。
 通常の痛みではないはずだ。飛天鴉刃は顔を歪め、脂汗を流しながらも腕の一閃は衰えなかった。
 幸せの魔女は、必要なだけ後退した。飛天鴉刃の爪が届かない場所に、自らの幸せが得られる部分だけ、後退した。
 目の前を、飛天鴉刃の長い爪が通過する。後退するために引いた足に力を込める。
 上体が前に、腕を添える。
 拳銃の先端が、飛天鴉刃の胸部の中央に押し当てられた。銃の先で、小さな心臓が脈打つのを想像した。静かな可愛らしい鼓動を繰り返す筋肉の塊に、回転しながら小さな弾丸が喰い込み、喰い破る様を想像した。
 自然と、幸せの魔女に笑みが浮かぶ。
「あら、残念ね。もうお終い?」
 飛天鴉刃の目が大きく見開かれる。龍族の大きな目に恐怖が浮かぶ。大きな目が、拳銃を捕えた。
「はったりはやめろ。単発銃だ。連射はできない」
「ロストナンバーのセリフとは思えないわ。銃の性能を外見で判断するの? どうして、私がトラベルギアを手放したと思うの?」
 幸せの魔女のトラベルギアである幸せの剣は、背後の地面に刺さっている。手放したのは、飛天鴉刃の油断を誘うためである。それ以外の目的はない。だが、そうではないと思わせる条件が揃っていた。
「……殺せ」
 ほとんど動いていないのに大量の汗を流し、飛天鴉刃は苦しそうな声を絞り出した。幸せの魔女は笑って答えた。
「もちろん」
 手にしている単発銃に力を込め、押し込んだ。同時に叫ぶ。
「バンッ!」
 目玉が飛び出そうなほど目をむき出し、飛天鴉刃は口から泡をこぼした。足で地面を踏みしめ、硬直していた。
「……どういうことだ?」
「単発銃ですもの。一発で終わりよ」
 さも、当然のことであるかのように告げる。飛天鴉刃の表情が一瞬で変わるのが面白い。冷徹な暗殺者だと自称しているが、一皮むけばこんなものだ。
 飛天鴉刃の鋭い爪が横から迫る。使用した単発銃が爪に切り裂かれる。大した切れ味だ。幸せの魔女の肉体など、まな板のマグロ並に挿し身にされてしまうだろう。ただし、それを幸せの魔女が許せばだ。
「あのまま気絶して終わりかと思ったけど、鴉刃さん、気が強いわ。感心ね。神経が少ない分、太いのかしら」
「抜かせ」
 目の前の数ミリ先を鋭い爪が通り過ぎる。幸せの魔女は挑発を続けながら後方に跳んだ。後方に跳び、振り返りもせず後ろ手で地面に挿したトラベルギアを掴んだ。そこにあると知っていたのではない。掴めると思ったのではない。このタイミングで手を出すことが、自分にとって幸せだと知っていたのにすぎない。
「安心したわ。やっぱり、肉を切り裂き、血を滴らせてこその戦いですものね」
 剣の切っ先を飛天鴉刃の心臓に向ける。小さな筋肉の塊が、小鳥のように脈打っていることだろう。飛天鴉刃が大きく踏み出そうとしたのか、足から血を吹き流し、顔を歪めた。幸せの魔女は剣を構えたまま左手を横に振った。
 煙幕弾をばらまいたのだ。

     2
 目の前が黒い幕で覆われ、幸せの魔女の白い姿が覆い隠される。飛天鴉刃は歯ぎしりした。幸せの魔女のことは知っていたはずなのに、幸せの魔女にペースを奪われている。
「臆病者! 逃げ隠れできるとおもっているのか!」
 足が痛んだ。無限のコロッセオ内部であることは、不幸中の幸いだ。外の世界であれば、一生残る傷になったかもしれない。それほど、的確に足の肉を貫いていた。通常の弾丸であれば、貫通していても数分で傷が塞がる自信がある。幸せの魔女が言ったように、特殊な弾丸なのだろう。血が止まらなかった。
「逃げる? 私が?」
 反応した。返事をしただけでも、動揺しているのだと確信した。飛天鴉刃は痛む足を叱りつけて地面を蹴った。
 飛天鴉刃は飛ぶことができる。実戦の場では足で移動したほうが小回りが利くが、怪我をしてしまっては話が違う。幸せの魔女と戦うなら、世界樹旅団のほうがましかもしれないと思いつつ、飛天鴉刃は体を浮かせた。高く上に行けば標的にされかねない。まだ何を隠し持っているか知れたものではない。地面を舐めるように低空で飛行した。
 煙幕を張っても、闇を造り出せるわけではない。夜の闇であれば見透かすことはできる。飛天鴉刃の目には、幸せの魔女の位置はとらえていた。
 煙幕の内側に飛び込み、負傷していない足で制動をかけ、フェイントを行う。幸せの魔女の目には、飛天鴉刃の姿は見えているのだろうか。確信はなかったが、細心の注意をするべきだ。複数のフェイントをかけ、普通であれば隙ができる、その一瞬を、飛天鴉刃はあまたの戦闘経験から導き出した。
 腕の一閃は、幸せの魔女の足を捕える。そのはずだった。
 右腕に激痛が走る。
 突き出した手を、トラベルギアである手袋を突き破り、手の内側から、肘までを金属の塊が突き破った。右肘から、鋭い金属片の先端が顔を出している。考えるまでも無い、幸せの剣だ。
 激痛に苦鳴をあげそうになり、飛天鴉刃は歯を喰いしばった。この女の前で、弱みを見せることなど死んでもしたくはなかった。
 痛む右腕を抱くように引き寄せる。抵抗なく、腕が体に引きつけられた。剣はまだ、貫いたままだ。
 顎に衝撃を受け、飛天鴉刃はのけ反った。腹部、胸部へと衝撃が続く。幸せの魔女に蹴られている。痛みよりも屈辱が勝った。
 飛べば逃げることは容易い。
 逃げなかった。
 首筋に振り下ろされる蹴りに、飛天鴉刃は沈みこんだ。
 幸せの魔女の位置は解っている。
 力では飛天鴉刃の足元にも及ばない。蹴りでは、致命傷には至らない。
 飛天鴉刃はあえて蹴りを受けた。体勢を屈めた。長身の飛天鴉刃に蹴りを振り下ろすのであれば、軸足の位置は限られる。
 ――捕まえた。
 地面に打ち倒された飛天鴉刃だった。幸せの魔女の足に、飛天鴉刃の長い尾が巻きついていた。

 幸せの魔女が張った煙幕が薄らいでいく。飛天鴉刃は、幸せの魔女を組み敷いていた。足に尾を絡みつかせ、引きずり倒した。馬乗りになり、地面に押し付けた。右手には突剣が突き抜け、左足は使いものにならない。それでも、勝ったと感じた。
 右腕は動かせない。力を入れることもできなかった。左手で幸せの魔女を押さえつけた。白い服がまぶしい。肌は服よりもさらに白く、柔らかかった。いかにも、女である。
 飛天鴉刃は、頭に浮かびそうになった邪念を振り払った。戦闘中だ。
 肩を押さえた左手を、首に伸ばした。服をかすめた。手のひらに、幸せの魔女の突き出した胸が触れた。まるでさざ波を打つように弾力が広がる。飛天鴉刃は目をきつく閉ざした。左手は細い首を捕え、飛天鴉刃は目を開けた。
 なんて細い首をしているのだ。こんな首で、この女は平気で戦場に出るのだ。
 幸せの魔女は微笑んでいた。組み伏せられ、首を掴まれているのに。飛天鴉刃が左手に体重を乗せれば、ぽきりと折れてしまうような細い首をしているのに。
 金色の艶やかな長い髪が、地面に広がっていた。瞳も同様に金色で、細い鼻梁が全体のバランスを整えている。美しい。飛天鴉刃は素直に感じた。だが、終わる。これで終わるのだ。
 左手に力を込め、まさに絞め殺そうとした時、幸せの魔女の口が開いた。
「私ならいいのよ」
「貴様、何を言っている」
 組み敷かれた幸せの魔女の手が巧みに動いた。飛天鴉刃の体に巻いた布が、はらりと落ちる。白い手が滑り、飛天鴉刃の鍛え抜かれた筋肉を撫でる。
「やめろ。このまま、首をへし折ってやる」
「いいの? 無限のコロッセオ内で起きた事は、誰にも知られないのに。鴉刃さんはそれで満足なの? こんな機会、二度とないわよ」
 幸せの魔女の手が、自らの衣服に伸びた。戦場であるのに関わらず、純白のドレスである。胸元に伸び、白い、肌を晒す。
「そんな手に乗るものか。貴様の正体はわかっているんだ」
「もちろん。私は見た目通り。それ以外に、正体なんてないわ」
「黙れ……」
 声が止まった。目を放し、目を瞑った。その瞬間だった。幸せの魔女の細い指が、飛天鴉刃の喉元に刺し込まれていた。
 ――逆鱗を……。
 飛天鴉刃が、地面に転がった。

     3
 肌蹴たドレスを直しながら、幸せの魔女が立ち上がる。飛天鴉刃の逆鱗に刺し入れた指に、血がついていないことが面白くなかった。喉を押さえてもだえる飛天鴉刃を蹴りあげ、地面に頃がした。
 武器は預けたままだ。飛天鴉刃の右腕に、今も刺さっている。幸せの魔女は突剣を振るったのではなかった。あるべき場所に掲げていたら、飛天鴉刃が勝手に刺さったのだ。足に絡みついた飛天鴉刃の尾を踏みつけ、解くと、幸せの魔女は屈みこんだ。ようやく呼吸を整え、鋭い眼光を向けてくる飛天鴉刃に屈みこむ。
「そろそろ終わりにしましょうか?」
 飛天鴉刃の口が動いた。言葉にはならなかった。幸せの剣は、ほぼ柄までが飛天鴉刃の右腕に刺さっていた。幸せの魔女は柄を掴み、引き抜いた。
 飛天鴉刃がついに悲鳴を上げた。さぞかし痛かっただろう。のたうちまわる飛天鴉刃を足で上向かせ、衣装をはぎとった胸板を踏みつける。喉元に、逆鱗の位置に、切っ先を向けた。
 踏みつけた足を動かす。幸せの魔女の脚があった空間を、飛天鴉刃の左手が通過する。飛天鴉刃の手刀は斬撃となる。空振りし、絶望した表情が面白かった。がら空きとなった顎を踏みつけ、踏みにじる。苦しげに悶えたため、幸せの魔女の靴は飛天鴉刃の横面を踏みつけることになった。
 幸せの剣の先端が、飛天鴉刃の逆鱗の位置に正確に当てられた。突けば終わる。飛天鴉刃ももはや動かなかった。まだ戦う意思はあるようだが、観念したようだ。敗北を、残る人生を幸せの魔女の水槽で暮らす覚悟を。
 ――どうして、私は水槽を買わなかったのかしら?
 ペットショップの前は何度も通った。その度に、飛天鴉刃の両手足を斬り落とし、中で泳がすことを想像し、喜悦に浸ったのだ。だが、幸せの魔女は水槽を買わなかった。
 ――なぜ?
 踏みつけられながら、なおも鋭い眼光で睨みつける飛天鴉刃の顔を見降ろし、幸せの魔女は足を退けた。
 三歩遠ざかり、距離をとる。飛天鴉刃がゆらりと立ち上がった。本人の持つ飛行能力で体を持ちあげたのだと知れる。筋肉を使用した通常の方法では立つこともできないほど、痛んでいる。
「どうして殺さなかった?」
 幸せの魔女は自らのトラベルギアである突剣を見つめた。飛天鴉刃の血がこびり付き、生々しく滴っている。口元に運び、舌で触れた。ゆっくりと動かす。先端まで、舌が移動する。
「鴉刃さん、貴女は私に命を助けられた。そうよね?」
 龍族の歯が、飛天鴉刃の口元に見えた。歯を食いしばっているのだと解った。重い、苦しげな声が漏れた。腕一本、足一本を動かなくされ、さらに恩着せがましいことを言う幸せの魔女に向かい、飛天鴉刃は言った。
「……そうだな」
「解っていればいいのよ」
 幸せの魔女は一気に踏み込んだ。距離を詰め、突剣を繰り出す。飛行能力を持つ飛天鴉刃は、後方に飛んだ。離れず、反撃してきた。
 左腕一本といえども、さすがに攻撃は激しかった。一度でもまともに受ければ、幸せの魔女の肌は簡単に切り裂かれてしまうだろう。そのたった一度の攻撃を、幸せの魔女は受けないこともできる。全ての攻撃をかわし、剣の先端を有るべき場所に置くだけで、幸せの剣は飛天鴉刃の逆鱗を貫くだろう。
 幸せの魔女はそうしなかった。
 変幻自在とも思える攻撃をかわし、剣で弾いた。

 血が舞った。
 飛天鴉刃の爪を、ゆっくりと幸せの魔女の血が伝い落ちた。飛天鴉刃は息を荒げ、汗をびっしょりと掻いていた。
 幸せの魔女は唇の端から血をこぼした。
 飛天鴉刃の爪は、幸せの魔女の脇腹に、深々と喰い込んでいた。同時に、幸せの剣の先端が、飛天鴉刃の逆鱗にぴたりと当てられていた。突けば死ぬ。何度目のことだろうか。
「……私の負けだ」
 プライドの高い飛天鴉刃が、はっきりと負けを認めた。幸せの魔女の水槽に入りたいと所望した。幸せの魔女は、口からこぼれおちる血を指先で掬い、飛天鴉刃の顔に塗りつけながら、口から大量の血を吐きながら、否定した。
「この勝負は、どちらかが死ぬまで終わらないわ。鴉刃さん、何度目かしらね。私が、貴女の命の恩人になるのは。酷い人ね。どうしてこんなことをするの? 私は、こんなに貴女が好きなのに」
 血で染まった口元を、幸せの魔女は飛天鴉刃の逞しい首筋に当てた。幸せの剣を引きもどす。幸せの魔女の脇腹から、飛天鴉刃の爪が抜ける。
「わ、私は腕を狙ったんだ」
「口では何とでも言えるわ。でも、貴女は致命傷となる傷を与えたのよ。命の恩人に対して。さあ、続けましょう」
 純白のドレスは、幸せの魔女の血に染まった。傷口からは大量の血が溢れていた。幸せの魔女は剣を繰り出す。力が弱まり、動きが鈍くなっていることは自覚していた。だが、関係はない。幸せの魔女は、初めから筋力などには頼ってはいない。ただ信じて疑わなかった。どれだけ傷つこうと、幸せの魔女は自らの幸せの向かって進んでいるのだ。
 何度か、斬撃を受けた。足を踏ん張り、倒れるのを防いだ時、地面に長いものが落ちた。自分の内臓だと理解した。
「……もう、辞めろ」
 飛天鴉刃の声が震えていた。冷徹な暗殺者であるはずの女が、幸せの魔女の姿に、怯えていた。
「終われないでしょ。だって、まだ動いているもの」
 幸せの魔女は、飛天鴉刃に切り裂かれた無数の傷口に手を差し入れ、掴み出して見せた。幸せの魔女の心臓が、無数の血管に繋がれたまま、脈打っていた。幸せの魔女は元の位置に戻さず、心臓を体外に晒したまま、剣を構えた。
「さあ、続けましょう」
 飛天鴉刃が咆哮する。それは、まるで泣き声のようだった。
 
     4
 幸せの魔女が持ち込んだ大量の花火が飛び散り、二人を取り囲むように轟音をあげて花開いた。
 その中心で、飛天鴉刃は幸せの魔女を抱いていた。
 首から下がただ骨髄のみであるのに関わらず、幸せの魔女は美しかった。事実状首から上だけしかないのに関わらず、まだ死んでいなかった。
「私はもう、何もできないわ。鴉刃さん、終わらせて。貴女を水槽で飼うのは勘弁してあげる。その代わり、貴女は一生覚えておきなさい。貴女の人生は、私にもらったものなのよ。命の恩人をその手で切り裂き、か弱い女の柔らかい体をこんなにした猟奇殺人者さん。貴女は一生、私の死に様を夢に見るのよ」
 飛天鴉刃は幸せの魔女の首を抱き、抱き潰した。

 無限のコロッセオから出た飛天鴉刃に、勝利の余韻も達成感もなかった。勝つことは勝った。だが、忘れることはないだろう。幸せの魔女が自らの臓器を晒しながら、血まみれで迫ってくる姿に毎夜悩まされることになるだろう。そうでなければ、幸せの魔女が勝つことを放棄するはずがない。
 勝つよりも、飛天鴉刃を苦しめ続けることを選んだのだ。
「鴉刃さん」
 背後からかけられた声に、飛天鴉刃は竦み上がった。振り返りたくなかった。振り返らずとも、声の主は迫ってきた。
「今度勝負したくなったら、いつでも言ってね。次はちゃんと、水槽を用意しておくわ」
 白い背中が遠ざかる。飛天鴉刃は、睨みつけることすらできなかった。

クリエイターコメント 飛天鴉刃様、幸せの魔女様、大変お疲れさまでした。ノベル、時間がかかりましたが完成しましたので納品します。オープニングでは意図的にきつい感じにしたにもかかわらず、迷わずご参加いただいたお二人は称賛に値すると思います。
 ノベルの内容がお二人の期待に沿うものであればいいのですが。
 ガチバトルのみの内容に割に文字数がぎりぎりになってしまい、描写不足となった部分もあります。なにとぞご容赦ください。
 またの機会がありましたらよろしくお願いします。このたびは誠にありがとうございました。
公開日時2012-05-23(水) 22:20

 

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