オープニング

「……ふむ。どうやら私が間違っていたと認めざるを得ないようだ」
 読んでいた本を閉じながら尤もらしく神妙ぶって言われるそれに、世界司書はちらりと嫌そうな目を向けた。こんな時の彼女は碌なことを言い出さないと、先日も嫌ほど思い知らされた。だから何も聞かなかった顔をして目を逸らし、書類を認める作業に戻ったのだが。
 聞いているのかと羽ペンを取り上げた彼女は、大いに反省したことを証明しようじゃないかと爽やかな笑顔を向けてきた。
 苛つく。
 何も見てない聞いてないと新しい羽ペンを取り出したのに、今度無視したらインク壷を書類の上にぶちまけてやると低く脅されるので嫌々ながら視線を向けた。
 にっこりと嬉しそうに笑った彼女は、やり直ししようと宣言した。
「やり直し」
「そう、やり直しだ。正しい七夕の姿を追求しようじゃないか」
「……しなくていいんじゃないですか」
「やり直しを。しよう」
 聞く耳は持たないとばかりにきっぱりと宣言され、お好きにどうぞと溜め息混じりに返した。
「何だ、気乗りしない様子だな」
「するはずないでしょう。あなた方が、碌でもない事しか仕出かさないのは経験済みです」
「ひどい言われようだ。今回は豆を投げることもなく、落ち着いて静かな夕べを過ごすだけだぞ」
「そもそも豆を投げるとなった、前回の思考回路からして間違いすぎですっ」
 思わず噛みつくように反論すると、だから反省したと言ったろうとけろっと笑われるだけ。
「今度は笹飾りを作るのを協力してもらおう。笹は兄が調達してくれるだろうし、道具はこちらで用意する。何か特別に飾りたい物があれば、持ち込んでもらっても構わない」
「……それを聞かされてどうしろと?」
「宣伝してくれ」
「お断りしますっ」
 自分でしなさいと突き放すのに、聞いた風もない彼女は短冊の願い事もいいなと嬉しそうに目を細めた。
「叶えられるわけではないが、願い事も聞かせてほしいところだな。人に見られて困るなら、飾りの内に書いて飾ってくれるので構わない」
「……人の話を聞いてますか?」
 苛ついて目を据わらせながら聞き返すのに、彼女は前回のチェンバーにしようと嬉しそうに続ける。
「夕涼みには持って来いだし、川の辺に笹飾りはそれらしいだろう」
「その辺に豆が落ちてなければ、ですけどね」
「それもまたご愛敬」
 世界司書の皮肉にもめげずに笑った彼女は、楽しくなりそうだと彼の肩を何度か叩いた。
「勿論、今回も浴衣は提供する。誰かを想って過ごす静かな時間もいいだろう?」
 のんびりしにおいでと誰かに向けて笑った彼女は、さあ行ってこいと世界司書の椅子を無理やり引いて立ち上がらせた。

品目シナリオ 管理番号711
クリエイター梶原 おと(wupy9516)
クリエイターコメント今度は真面目に(?)、夕涼みは如何でしょう。

前回は色んなところから違うと突っ込まれて反省したらしいわすれもの屋の兄妹が、今度は普通に笹飾りを作りたいそうです。
飾り作りを伝授してくださる方、知らないけどやってみたい方、何方でも!

その際、どんな願い事するかもお聞かせください。
叶える術を兄妹は持ち得ませんが、物欲満開から世界平和まで、どんなことでも構いません。
願い事はないけど夕涼みには参加したい、という方も歓迎です。
誰かを想って静かな時間を過ごしてみられませんか。

それでは、パンダと喧嘩しながら笹を調達しつつお待ちしております。

参加者
青燐(cbnt8921)ツーリスト 男 42歳 東都守護の天人(五行長の一人、青燐)
フェリシア(chcy6457)ツーリスト 女 14歳 家出娘(学生)
蓮見沢 理比古(cuup5491)コンダクター 男 35歳 第二十六代蓮見沢家当主
相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生

ノベル

 相沢優はどれでも好きな物をどうぞと並べられた浴衣の中から、抹茶地に縞柄のシンプルなそれを選んだ。着慣れずにもたついている人たちを助けながら自分も着替えて中は和室だった天幕を出ると、大きな笹が軽やかに歩いて行くのを見つける。
 笹だ。竹にも近いパンダが見たら大喜びするのかもしれないそれは、勿論一人で歩いているわけではない。誰かの肩に軽々と担がれ、その人が歩くペースに合わせてさわさわと揺れている。
 思わず惹かれたようにその後ろをついて歩いていると、気配に気づいたのか笹が──失礼。笹を担いだ人が振り返ってきた。
「ごめん、邪魔だったか?」
 当たったなら悪いと謝ってくるその人に、いいえと頭を振った。
「当たってないです、俺こそ勝手についてきてすみません。笹が綺麗な音を立ててたから、つい」
「ああ、それならいいんだ。笹って結構鋭いから、顔でも切ったら大変だ」
 当たってないならよかったと笑ったその人は、そこの笹のと呼ばれて振り返っている。呼んだのはわすれもの屋の店主で、彼女も笹を抱えていた。
「いい枝振りの笹だな。兄が用意した物よりよほどいい。提供してもらえるだろうか?」
「ああ、勿論。その為に実家から持ってきたんだ」
「実家」
 思わずぽつりと口を挟んでしまったのは、笹飾りよろしく笹に埋もれるように張りついているデフォルトフォームのセクタンを見つけるから。壱番世界の実家から、ここまで持ってきたんだろうか。
 疑問は尽きないが突っ込むのも怖い気がして黙っていると、浴衣だー! とはしゃいだ声が聞こえた。
「もう着てるんですねっ。すっごいお似合いです、その吹流し!」
「……えーと、それを言うなら着流し、かな」
 しかも浴衣にはあんまり言わないかなと思ったが、少女はそれですと顔を赤くして笑った。
「そっちでした。でもいいなぁ、綺麗な抹茶色ですね」
 やっぱり緑も捨て難いかと優の浴衣を眺めて嘆息するのは、金髪お下げの少女。彼女はまだかっちりした制服っぽい服を着ているので、君は着替えないの? と尋ねると、どこか照れ臭そうに笑ってもう少し後でと答えられる。
「今から笹飾りにスイカ割りもしないといけないでしょう、汚すと悪いので終わってからにします!」
 スイカ割り。しないといけないという部分に引っかかりはするが、したいということなら止めることもないのかもしれない。
「あっ、スイカを冷やしてこないと!」
 川で冷やしてもいいですかと元気に尋ねる少女に、店主は構わないと気安く頷いている。店主にも止める気はないらしい。嬉しそうにした少女が荷物を抱えて川縁に向かうのを何となく目で追っていると、店主と涼やかな声が耳を打った。
「ああ、客人に運ばせて申し訳ないな」
「いいえ、お気になさらず。それよりそろそろ皆さんお揃いのようですし、作り始めますかねー」
 にこやかな声で答えたのは、薄青の布で顔を覆った男性──だと思う、声でしか判断できないが──。色紙やら和紙やらを一杯持っているのを見つけて、手伝いますと声をかけるとふわりと空気が和らいだ。
「ありがとうございますー」
「俺も笹を置いたら合流するよ。店主、これはどこに置いておこう?」
「助かる、すまないな。あちらの天幕の側に頼む」
 飾り付けたらまた移動すると説明しながら店主と笹を持った人が歩いていくのを見送り、優は飾りを作る道具の半分を引き受けて用意されているテーブルに向かう。
「あ、足元には気をつけてくださいねー。さっきからこの辺で、何人も転びそうになってますよ」
「何人も?」
 濡れて滑るのだろうかと知らず足元に視線をやると、砂利の合間に違和感のある物を見つけて思わずまじまじと眺める。
「……豆?」
 どうしてこんなところにと眉を顰め、誰かが踏んで潰れたらしい跡も幾つか見つける。どうやら転びそうになる原因はこれらしいが、一体何の罠なんだろう。
「河原に豆って、またどうして」
「それはですねっ、天の川を渡る牽牛を阻もうとする鬼をやっつけるため、鵲隊がお箸で投げつけるんですよ!」
 本で読みましたとえっへんと独自の説を披露してくれるのは、先ほどのお下げの少女。さすがに突っ込む言葉を持てずに目を瞬かせていると、隣で男性がくすくすと笑った。
「お箸で投げるんですかー。大変そうですねぇ」
「そうなんですよ、鵲って鳥でしょう? 羽でお箸を持ったのか、嘴でお箸を持ったのか、すっごく見てみたいんですよね」
「鵲の箸……」
 橋なんじゃないかなぁとものすごーく疑問を持ったが、男性が楽しそうに話を合わせているので今更突っ込むに突っ込めない。そもそも牽牛を邪魔する鬼は、どこから湧いてきたのか。
「でも今回はもう鬼退治はすんでるんですよね?」
「とりあえず今回は笹飾り作りと聞いてますし、そうかもしれませんねぇ」
「そうですよね。そっちもちょっと興味があったんですけど」
 またの機会ですねとにこりと笑った少女に、男性ものんびりと同意している。
 ああ、誰か、突っ込んだほうがいいんじゃないかなぁ。



 フェリシアは持ち込んだ本を広げ、鋏に糊にカッターと万端用意してきたそれを取り出した。
「やっぱりまずは天の川!」
 何色がいいかなぁと用意された色紙や和紙を眺め、優しい薄紅の和紙を選んで作り始める。本を広げたまま覗き込んでどうにか形に仕上げたと思ったのに、広げる前に何故か半分に千切れている。
「……あれ?」
 どうしてこんな事にと眉を顰めていると、向かいに座っていた相沢が折るだけの場所も切ったんだねと広げていた本を反対側から眺めて、ここと指差す。
「本を見ながらじゃ分からないところもあるだろうし、よかったら教えようか」
 あみかざりならできそうだよと新しい和紙で丁寧に教えてくれる相沢に従って鋏を入れ、そうっと広げると今度はちゃんと飾りになる。すごい、楽しいと目を輝かせながら、今度は一人で作ってみますと意気込む。
「うん、頑張って。因みに俺もできたら教えてほしいです、蓮見沢さん」
 すごく本格的な飾りですよねと感心して相沢が声をかけるのは、フェリシアの隣に座っている蓮見沢理比古に。器用に着々と色んな形の飾りが出来上がっているが、俺なんて目じゃないってと笑いながら彼は相沢の隣に座る青燐の飾りを指した。
「すごい凝ってるよね、その笹飾り」
「爪でやるもんですから、結構、融通きくんですよー」
 薄青の布で顔はよく見えないが、にこにこと笑った空気と声で答えた青燐は、言葉通り自分の爪で飾りを切り込んでいる。
「こう、何年も作ってないんですけどねー……」
 案外上手くいくもんですねぇとどこか懐かしそうに呟く間も手は止まらず、仕上がったそれを広げて見せてもらうと拍手するしかない凝った仕上がりになっている。
「すごすぎて、俺には作れなさそう……」
「それは確かに。じゃあ、そこまですごくないけど七つ飾りの作り方を教えようか」
「お願いします!」
 よかったらどうぞと蓮見沢が笹と同じく持ち込んだらしい千代紙などを並べられ、フェリシアは一人であみかざりに挑戦しながら可愛いと声を上げてしまう。
「君もよかったら使って。千代紙だと少し小さくて折り難いけど、鶴なんて可愛いよ」
「あ、折鶴も笹飾りの内なんですか?」
 それなら折れるかもと別の笹飾りの作り方を教わりながら相沢が尋ねると、蓮見沢がくすりと笑った。
「折鶴って言うと、翌日までに千羽折れって言われて必死に折ったな」
「折り方は知りませんけど、一日で千羽って多くないですか?」
 思わずフェリシアが聞き返すと、蓮見沢もそうだねと穏やかに笑いながら頷いた。
「自分の忍にまで徹夜させたっけ」
 懐かしそうに語られるそれに聞き慣れない単語を聞きつけたが、出来上がったあみかざりを引っ張りすぎてびりっと不吉な音がした為に原因を探すほうが忙しかった。気づいた青燐が、そこです左手のああ親指の上そうそうと指摘してくれたので、ありがとうございますっとお礼を言って修復にかかる。
 その間に相沢は蓮見沢に聞いて作った飾りを広げ、着実にレベルアップしている。
「それが投網。これを逆様に広げたら屑篭だ」
「知ってます! 投網は豊漁を願い、屑篭は清潔と倹約を意味するんですよね!」
 それは勉強してきましたと目を輝かせて挙手しながら答えると、すごいなと蓮見沢が誉めてくれるので調子付いて詰め込んだばかりの知識を披露する。
「折鶴が長寿、巾着が商売繁盛! そして靴下にはプレゼントを入れてもらうんですよねっ」
「はい、残念。巾着まではあってたけど、最後はクリスマスだ。靴下はベッドに吊るそうな」
「えっ、じゃあ織姫からチョコレートで告白タイムは!?」
「バレンタインが混じったな。織姫と牽牛は既に夫婦だし、告白タイムはないと思う」
「っ、でもでも菊人形は飾りますよねっ」
「残念ながら、飾らない。因みに重陽の節句も、菊人形は関係ないからね?」
 フェリシアが本を読んで勉強してきた大半を綺麗に否定した蓮見沢に、突っ込みってそうするんだと相沢が何故かそっと拍手を送っている。
 士気を挫いたならごめんなと謝罪されるそれに間違いは訂正して頂けると有り難いですと答えながらも、じゃあ笹飾りの可愛らしさはどこに!? と思わずよろめくと、青燐がにこりと笑いかけてくれた気がする。
「他の行事が混ざるのは避けるとしても、可愛らしい飾りはいくらでも作れますよー。よければお手伝いしましょうか?」
「そ、……そうですよねっ。可愛い飾りに罪はありませんよねっ」
 ぱっと顔を輝かせると青燐も頷いてくれるので、気を取り直して飾り作りに戻る。
「それにしても蓮見沢さん、笹飾りの事も詳しいんですね」
「家が古い名家だから、こういう行事も沢山あってさ。それでよく覚えてるんだ」
 相沢の問いかけに笑顔で答えた蓮見沢は、懐かしそうにどこか楽しそうに、折っていた鶴の羽を軽く広げた。



「それでは、本日のメインイベントだ」
 間を失敬と声をかけてきたのはわすれもの屋の店主で、無駄に高級感の溢れた和紙で作った短冊の束を出してきた。
「これに願い事を書いて笹に飾ってくれ。飾りの中に書いても構わないが、個人情報保護の為にこの短冊は川の水に浸かるとすぐに溶けるように作られている」
 うちの特別製だと心なし自慢げに告げた店主に、何となく受け取った青燐が首を傾げた。
「笹飾りは川に流すんですかー?」
「ああ、元来そういうものだと聞いたのでな。翌日になって捨てるのでは、何の為の七夕か分からんだろう?」
「そうですねぇ。けれど最近では環境破壊だからと控えるところも多いようでしたので」
「大丈夫だ、自然に還りそうにない物は後であの世界司書が仕分けて拾っておく」
 あの、と指される先を見れば、この夕涼みを提案に来たやる気のなさそうな世界司書が、大分ぐったりしながら別のテーブルに短冊を配っているところだった。しばらく目で追いかけた後、そうですかーとにこやかに頷くと店主もにこりと笑って別のテーブルに向かう。
「誰もあの世界司書のこと、突っ込まないんですね……?」
「まぁ、好きに働いておられるようですしねぇ」
 いいんじゃないでしょうかと相沢の疑問をさらりと流して短冊を配ると、斜め向かいのフェリシアがそわっそわし始める。
「願い事は、もう決まってるの?」
「え!? え、えとあの、そういう相沢さんは!?」
 可愛らしく狼狽えながら聞き返すフェリシアに、相沢が俺はいいからさと追及する。わたわたしたフェリシアは私もいいですからっとちょっぴり上擦った声で頭を振り、青燐さんはっと話を振ってきた。
「どんな願い事ですか?」
「私ですか。私は……そうですねー」
 呟きながら脳裏に過ぎるのは、優しい面影。まだ、思い出せる。まだ、大丈夫。けれどその輪郭が、どんどんと薄れていくのが怖い。
 元いた世界にも、写真があればよかった。そうすれば少なくともこんな風に、胸に痛く思い描くことは避けられただろうに。

 ──彼女のことを、忘れませんように──

 心中に呟く願いはそっと胸に秘めたまま、薄青い布の下で苦労なく笑みを浮かべる。泣くという行為のほうが、彼には難しい。だから静かに唇の端を持ち上げて、言う。
「家族というものが、わかりますように。ですかねー」
「家族」
 家族が分かる、と不思議そうに繰り返したフェリシアに、青燐は小さく笑った。
「ふふふ。すでに叶わないような気がしますけれど」
 願いにする時点で無理ですよねぇと軽く答えた青燐は、蓮見沢殿はと声をかけた。
「どんな願い事を?」
「願い事? うーん、『家族』の健康と幸せと、あとは早く見つけられますように、ってことかな」
 言いながら、手渡された短冊には「世界平和」と書かれている。
「でっかい規模ですね」
 短冊を眺めながら相沢が呟くと、蓮見沢は平和が一番とそれを持ち上げた。フェリシアはその短冊を眺めた後、少女らしい憧憬を浮かべて蓮見沢に尋ねている。
「早く見つけられるって、誰かを探してるんですか?」
「ああ。誰なのかよく判らないんだけど、探してる人がいるんだ。小さいころからその人の夢を見ていて、その人がずっと泣いてるのを知ってるんだ。今の一番の願いは、その人と会いたい、会って抱きしめたいってことなんだ」
 屈託のない様子で笑って告げられるそれは、荒唐無稽にも聞こえる。けれど彼の確かな願いと察することはできて、フェリシアもどこか羨ましげに感嘆している。
「私のいたところの七夕は、『仲の良い夫婦が、死後、互いに遠く離れた星となった。二人は会いたい一心で千年の時をかけて空の星を集め、光の橋を作り、遂にシリウスで再会した』って言われてます。会いたい、って願い事はだから、叶いそうですよね!」
 叶いますよきっと、と、根拠のない断言は、彼女自身の願望と優しい祈りも込められている。静かに口を噤んでいた相沢もその言葉にフェリシアを見て、だといいなと声なく呟いた。
 青燐にも、彼女と同じほど愛せる存在ができるだろうか。その人には果たしていつ会えるのか、と少しばかり遠い目をして考える。
「そうだよな。……ありがとう。きみの願い事も叶うといいな」
「わ、私の願い事はいいんですってばっ!!」
 そんな大した事ではでも疚しい事でもないですけどーっと真っ赤になって、まだ書いていない短冊を隠すように胸に押しつけるフェリシアに思わずふっと口の端が緩んだ。



 それぞれが作った飾りを結ばれて、何本かの笹が少しばかり重そうに、目に鮮やかにそこに立っている。さやさやと吹く風に笹の葉と、紙の飾りが擦れるような音が混じる。
「ああ、いい具合に飾ってもらって有り難い。夕涼みの準備ができたから、皆はあの橋を渡った向こう岸で寛いでくれ」
 笹はこちらで運んでおくと告げる店主に手伝おうかと申し出た理比古は、客人にそこまでさせられんよと笑って断った店主が指す方向に視線を変えて一瞬言葉を失った。
 確かここに来た時には架かっていなかったそれは、鵲をモチーフにした白い橋。何羽も連ねて川を渡すそれは、七夕には相応しい瀟洒な造りをしている。
「即興で作った物だからな、上で暴れたりしては強度の保証はしかねるが。渡るくらいはできるはずだぞ」
「即興で……、店主殿が?」
「あの程度は私の仕事の範疇だ」
 青燐の疑問に嬉しそうにした店主が頷き、落ちたらすまんとそのままの笑顔で不吉な事を言う。けれど既に飾り終えた何人かが欄干を撫でたり川を覗いたりしながら渡っているが、壊れそうな気配はない。
「お嬢さんが用意してくれたスイカも、他の面々が差し入れてくれたデザートも揃っている。さ、鵲が疲れる前に急いで渡ってくれ」
 言いながら笹飾りの一つを持った店主に促され、青燐やフェリシアが先に向かう。理比古は隣で立ち尽くしている相沢を窺い、黙ったままそこで待つ。
 鵲の渡す川の向こう側に、誰の姿を見ているのかは分からない。けれど彼が夢に見るあの人を一瞬で鮮やかに思い出したのと同じように、相沢もまた誰かの姿を見ているのは想像がつく。
 もう少し。橋を渡ってしまった誰かが用意されたお菓子に騒ぎ出せば、消え行く幻がそこに立っている間だけ。
 懐かしそうに、どこか痛そうに、目を細め微かに眉根を寄せて何かを堪える人を邪魔する権利は誰にもない。
「っ、すみません、……行きましょうか」
 対岸からざわつく声が聞こえ始め、我に返ったらしい相沢が理比古の存在を思い出したのだろう、どこか照れ臭そうな気まずそうな顔をして促すので、腹も減ったしねと頷いて歩き出す。
「俺も浴衣に着替えようかな。あっちに用意してあると思うかい?」
「だと思いますよ、いつの間にか天幕も移動してますし」
 確かあそこに浴衣が用意してありましたからと端から少し離れた川下を指す相沢について視線を向けると、既に何人かがそちらに向かっている。
「白地に灰の刷毛目柄、なんてあればいいんだけど」
「うわ。似合いそう」
 さらっと着こなすんだろうなぁと羨ましげに言う相沢に、既に着こなしてるきみが言うかいと笑う。
 そうしてる間に辿り着いた白い橋は、三人ほど並んで渡れそうな広さがあった。石か紙かよく分からない材質で、触るとつるっとしている。足元には細かい線が刻まれて滑り止めになっているらしく、草履の相沢でも滑らずに渡れそうだった。
 その橋を渡る時だけ、どちらからともなく黙る。意識したわけではないがゆっくりと、渡りきった先にいない人の姿を確かめるのを、少しでも先延ばしにしたいかのように。
 黙って渡りきった後、そっとついてしまった息をかき消すように呼ばれた。
「蓮見沢さん、相沢さん! 遅いですよ、早くしないとスイカがなくなっちゃいますよ!」
「それはまずい。でも俺も浴衣に着替えたいんだけど」
「それでは責任を持って確保しておきますから、急いで急いで! すっごく可愛いゼリーもあるんですよっ」
 自慢そうに見せられたのは、果物を星型に切り抜いた涼やかなゼリー。
「あ、俺が差し入れたやつ。気に入ってくれた?」
「相沢さんの差し入れなんですね、すっごく可愛くて食べるのが勿体無いですっ」
 はしゃいだ様子で相沢と話しているフェリシアは、渡って早々着替えたのだろう。ほんのりと赤を落としたような白地に、赤や薄紅、紫と取り取りの朝顔が咲いた可愛らしい浴衣姿になっている。
「可愛い浴衣だね。よく似合ってる」
「っ、ありがとうございます! 蓮見沢さんも着替えてきたら、写真撮りましょうねっ」
「あれ、そういえばスイカ割りはよかったの?」
「それは海でやるものだと聞きましたので、今回は大人しく諦めました。それにやっぱり、早く着たかったですし!」
 嬉しそうに笑うフェリシアは、相沢に誉められて照れながらもゼリーを片手に携帯を取り出している。笹飾りを撮って後で家族に見せるのだと話すフェリシアの言葉はどこか遠く、それでも暗く沈んではいない。
 じゃあ笹飾りと撮ってあげるよと相沢が提案しているのを背中に聞きながら着替えに向かうと、天幕からも少し離れた場所で青燐を見つけた。
「青燐さん?」
 声をかけないほうがいいのかと躊躇いつつも呼びかけると、顔を巡らせてきた青燐は顔を覆う布の下で笑った気がした。
「蓮見沢殿も着替えられますかー」
「ええ、せっかくなので」
「そういえばこちらのお菓子は、蓮見沢殿の差し入れだとか。美味しく頂いています」
「口に合ったらよかった。そういえばフェリシアさんが可愛いゼリーも持ってたっけ」
 相沢さんの差し入れでと二人がいたほうを指すと、それは楽しみですねぇと何度か頷かれた。
 浴衣に着替えてはしゃぐ人たちの声が、少しだけ耳に障る。じきに蛍が飛び始めれば声も息も潜めるのかもしれないが、今はまだ雑然と騒ぐ空気自体が賑やかだ。
 それらから少し離れた青燐がどこか遠く橋を眺めながら何を聞いているのかは分からないが、混じるように促すような発言は迂闊だっただろうか。
 次の言葉に迷っていると、早く着替えたほうがいいぞといきなり後ろから声がかかった。
「おや、店主殿。先ほどから神出鬼没ですねー」
「わすれもの屋だからな」
 青燐の笑うような声に、理由になっていないはずの事を何故か胸を張って断言した店主は手にしている花火を見せた。
「ゼリーを差し入れてくれた客人からの、粋な提案だ。今日の蛍は少し遅めに飛ぶから、早く着替えて花火でもするといい」
「花火か、これもまた懐かしいな」
「誰かを想うのもいいものだが、今隣にいる人とはしゃぐのも悪くない。君たちの願いは笹が受け止めた。どうせ僅かばかりの時間だ、想いは託して騒いでおいで」
 蛍とともに想いは君らの中に還るだろうさと笑って言い置いた店主は、花火はいらんかねーと声をかけながら騒ぎを大きくしに向かう。
「青燐さんも、浴衣はどうです? 濃紺地に、裾にだけ柄のあるシンプルな物とか似合うと思うな」
「おや、それもいいですねぇ。真っ白い鳥が一羽だけ、羽を広げた柄はありますかねー」
 呟くように言いながらも、青燐は橋ではなく人の中央に立てられた笹飾りへと目線を変えた。
 何となくそれを目で追いかけたままそこにいると、気づいた青燐がくすりと笑って早く着替えてこられたほうがいいですよーと勧められる。
「蓮見沢殿の差し入れ、全部食べられてしまいますよ?」
「……ああ、それは困る」
 取っておいてほしいなと笑うように頼むと、承知しましたーと青燐もくすくすと笑いながら頷く。
 年に一度だけ許された、逢瀬の時間は短い。空の上でそれを果たす二人を喜んで、今だけは見ないように騒げばいい。
 早く着替えてしまおうと天幕を潜ろうとした理比古は、その横に小さな笹飾りを見つけた。

 ──恋人ができますように!──

 何だか気合の入った、けれど誰かの目から隠すように小さな願い事を見つけ、知らずふっと口許を緩める。

 ──また、会えますように──

 ──早く見つけられますように──

クリエイターコメント七夕から数日経ってしまいましたが、笹飾り作りにご協力頂きましてありがとうございます。

前回の有り得ない七夕も、どうしてああなったのか。某様のお言葉を借りて説明できて、私は満足です(エ)。
ただ今回は浴衣。浴衣がっ。着て頂いていいのか!? と散々迷った挙句、逃げてしまいました……。

とりあえず全員様分の色と柄は、相変わらず勝手にイメージして書かせて頂きました。
こちらもご参加頂いた皆様にはわすれもの屋が勝手に押しつけておりますので、よろしければお受け取りください。
逃げててすみません……っ!

蛍よりも花火を提案して頂きましたので、今回は最後ちょっと賑やかになりましたが。
様々なお願い事も聞かせて頂き、じんわりほっこりと書かせて頂く事ができました。ご参加ありがとうございました!
公開日時2010-07-09(金) 17:10

 

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