……同じ方法は通じないだろう。 黒ずくめの男、エダムは数人のロストナンバーと共にヴォロスへ訪れていた。奇岩の数々を越えて竜刻を回収しに来たのだが、エダム個人としての目的は碌なものではない。 彼は未だに己の欲を満たすことを欲している。前回の不祥事は気の迷いとして処理され上からの扱いは変わらなかったが、それはエダムにとってこれといって喜べるものではなかった。しかし都合は良い。 また巡ってくるであろうチャンスを逃さず得るため、ここは模範的なロストナンバーを演じよう。そう思いこうして黙々と仕事を受けていたのだが、残念なことに今回は周囲に現地住民は居ないらしい。「どうした、疲れたのか?」 歩みの遅いエダムにロストナンバーの一人が声をかける。「いや、考え事をしておりましてな」「そうか、足元には気をつけろよ?」 ざくざくと土を踏む音が続く。 エダムは思考を続けながら、前を行くロストナンバー達の会話に引っ掛かる点を見つけて顔を上げた。「裏切り……者?」 それは先日の戦い――モフトピアの会戦で起こった、一つの事件に関する話だった。 世界樹旅団のことはエダムも知っている。好きに力を行使出来るとは何と恨めしいほど羨ましいことかと思ったものだが、チャイ=ブレとの契約がある限り自身とは関係ない場所だと、かなり初期の内にエダムは諦めをつけていた。小さな可能性に縋るよりも、今目の前にある欲を満たす方法をいかに上手く実行するかを優先したのだ。 しかし世界図書館側から裏切り者が出ているとは知らなかった。(なぜ……ああ、そうだ、早々に切り上げたのは儂か) 久し振りに暴れられる場だと思ったのだが、当時はまだ怪我が治りきっておらず、思うように動けなかった。 不満を抱えながらも勝利し、しかしその喜びを分かち合うことはせず、さっさと一人になれる場所へ引っ込んだのは他でもない自分だ。そのせいでこのとても気になる情報を聞き漏らした。「……この契約が無くとも生ける手段がある、というのか……」 エダムは必要な情報収集はするが、本心からは図書館のルールや内情を知りたいとは思っていない。 故に普通のロストナンバーより無知であり、しかし本人はそれを恥じてはいなかったが、今回ばかりはしくじった――と、彼は唇を噛んだ。 目を閉じて気を取り直す。 気がつけたのは、僥倖だ。 機会は数日後に巡ってきた。 前回とほぼ同じメンバーでヴォロスへ再度訪れた時のことだ。 ロストナンバーの保護。それが今回の目的だった。対象であるハトの遺伝子を持つ女の子はサントティアという国に居るという。しかも厄介なことに、昔とある成人の儀式に使われていた石の迷路――地上にあり、空は見えるが6メートルもの石壁が天に伸びる広いもの――の真ん中に飛ばされたらしい。 羽根を負傷している女の子は空を飛ぶことが出来ない。そもそも上空からの侵入や脱走を防ぐために迷路には様々なトラップが仕掛けてあるため、羽根が正常でも脱出は不可能だっただろう。 更に厄介なことはもう一つあった。世界樹旅団の関与である。(しかし厄介と感じるのは他の面々のみでしょうな) うっすらと笑い、エダムは今ひとりきりで迷路を進んでいた。 他のロストナンバーはエダムがはぐれたと思っているだろうか。つくづくお人好しだなと彼は思う。 広かった道が狭くなり、曲がり角が増えてきた時、道の先に人の影が見えてきた。 何かを探しているらしいその人は、一緒に列車に乗ってきた者に誰一人として似ていない。短い茶髪をした厳つい男性である。露出した二の腕には鉄の輪がはめられ、そこから真っ直ぐ長い針が一本、腕に沿って伸びていた。丁度殴ると同時に刺せそうな位置だ。体には分厚い皮の鎧に鉄の装飾。猛々しい鷹の描かれた布を斜めになるよう腰に巻いている。 一見して戦闘に特化したタイプに見えたが、それとは反対に両方の目からは年を重ねた人間特有の落ち着いた雰囲気が漂っていた。 話をするには申し分ない世界樹旅団のメンバー、である。「そこの御仁」 エダムは逸る気持ちを抑えて声をかける。「――儂を、仲間に加えてはくれませぬか」● 世界図書館のロストナンバーが世界樹旅団側についた、というのは記憶に新しい。 世界司書、ツギメ・シュタインはいつものように落ち着いた顔で――内面に苦々しさを滲ませつつ――集まったロストナンバー達に言った。「ヴォロスのサントティアへロストナンバーの保護と救助、そして捕縛に向かってほしい」「捕縛?」 聞き返すとツギメは概要を説明した。 ロストナンバー四人でヴォロスの巨大迷路に女の子を保護しに向かったが、世界樹旅団もその女の子を仲間に引き込もうと介入してきたこと。 迷路は自らの足で歩いて進むことが必須で、なかなか女の子を見つけられないでいる内に仲間の一人が失踪したこと。 のちに、その仲間は裏切ったと判明したこと。「図書館側へ寝返ったのは……去年ここへ来たエダム・ブランク。記録によると二十四歳だな。7月の終わり頃に出先で問題を起こしたが、それからは一般的なロストナンバーと同じように行動していたようだ。私から見ても目立ってはいなかった」 裏切ったエダムはまず図書館側のロストナンバーを幻覚で襲い、身動きを取れなくした。難を逃れた一人はなんとか逃げ道を探しているようだが、仲間を人質に取られている上、相手はエダムを含めて三人。捕まるのも時間の問題だろう。「これはエダムらが出発してから予言されたものだ。すぐに向かえば、恐らくこちらのロストナンバーが一人逃げ道を探し始めた辺りで到着出来る」 ツギメは自らドアを開け、言う。「皆に頼みたいことは以上だ。旅団側の敵は詳細が分からないが、大雑把に分かったことはそこの資料に書いてある。……少女を救い、仲間を救助し、エダムを捕縛してほしい。宜しく頼むぞ」
● 道は人が並んで歩けるほど広い。 しかし左右に続く石壁は高く、どちらを見ようとも圧迫感は避けられない。真っ直ぐな道だとひとたび目を瞑ればすぐに左右どちらから来たか混乱する、そんな迷路だった。 入り口に立ち、アラクネは中の様子を窺う。 「んー……ここからはまだ何の気配も感じ取れないなぁ」 「入り口付近には居ないようね。花を探しているならここよりもっと奥に居るんじゃないかしら」 レナ・フォルトゥスが自分の顎に触れ、思考を巡らせて言った。 旅団側も入り口または出口側から入ったのだとしたら、経過時間や予言からしてその可能性が高い。 アラクネはしゃがみ込むと、服の袖から一匹の蜘蛛を呼び出した。 「帰れなくなると困るもんなぁ、目印として頑張ってもらうさぁ」 蜘蛛に糸を出させ、近くの木に端を付ける。これで迷路のどこに行っても帰ってこれるはずだ。 「私は花の保護を優先しようと思っているわ。……皆は?」 セクタン・毒姫にも手伝うよう教え込みながら東野 楽園が訊く。 「オレは逃げているという仲間を探そうと思っている。少なくとも追っている敵が一人は居るだろうからな。それにオレが説得しても、少女にいい印象は与えられないだろう」 そう風雅 慎は皮肉めいたことを言う。 慎は顔立ちの整った男性だが、自身の性格は彼が一番よく知っていた。それにこの長身では驚かせてしまうかもしれない。 「……」 ぱくぱくと口を開いたのはノイ・リアだ。しかし言葉らしい言葉は出てこず、ぶんぶんと手を振ったりして意思を伝えようとする。 リアはエダムが怖い。彼のトラベルギアとの相性を考えるだけでも寒気が襲ってくるくらいに。 だからこそ先に潰したいと考えていた。捕縛など恐ろしい、出来るなら消えてもらった方が良いのではないかとまで思う。 そこでリアは慎を指してから、自分を指した。 「なんだ、オレについて来るのか?」 「うー」 こくんこくん。 エダムが幻覚を見せるのを目的にしているのなら、ここでその対象に出来るのは逃げているアベルのみ。きっとエダムはそちらに居るだろう。 「ああ、オレは構わん。足を引っ張らないならな」 「ん」 頷き、リアはゴーレムを呼び出すとその腕の中に収まった。ゴーレムは巨大だが道幅的に何とかぶつからずに通れそうだ。 「あたしはまず仲間……アベルと合流したいと思ってるの。けれど居場所は分かってないのよね?」 花が迷路の中央に出た、ということだけは分かっているが、他は予想しか出来ないのが現状だ。 故にロストナンバー達は迷路の中で二手に分かれるつもりだった。この迷路は出口は一つだが、各道が行き止まりにならず繋がっている所も多い。そして恐らく旅団側もアベルを追う者と花の捜索を続ける者に分かれているはずだ。片方にかかりきりではアベルがやられるか花が連れ去られてしまう。 「それじゃあ慎達とは別……楽園と行くわ。逆方向に居たら困るもの」 「そうさなぁ、それじゃあ俺もついてこう」 レナに続き、アラクネも楽園側に手を挙げる。 慎の方は彼の優れた勘で帰り道を進むことが出来る。ならば自分はこちら側の帰路の案内人だ。 「決まったわね。それじゃあ行きましょう」 楽園は臆することなく一歩を踏み出す。 ……その瞳に、どこか暗い感情を宿らせて。 ● 「花は怪我をしてるのよね? だったら彼女の羽根が落ちた跡を辿ればいい、きっと居場所に案内してくれるわ」 高い壁は音を反射させる。 声を響かせながら楽園は後ろのレナとアラクネを振り返った。 まず探すのは落ちた羽根。どれほどあるかは分からないが、一枚でも見つければ近くに花が居ることを確認出来るはずだ。 「どんな色だろうなぁ、ハトなら灰色か白……?」 「一般的にはそうじゃないかしら。あ、ちょっと待って」 足を止め、楽園は若干色の違う床に向かって小石を投げた。 カツンッと跳ねる小石。すると頭上の壁の一部に四角い穴が開き、鉄球が落下してきた。重力に任せて鉄球は床にめり込む。 「……物騒な迷路ね、ほんと」 レナは肩を竦めた。罠のない場所も多いが、故に油断を誘う。時間はかかるがしっかりと確認しながら進むしかなさそうだ。 慎とリアは曲がり角だらけの道に出ていた。 右折すればすぐにまた曲がり角。左折してもすぐにまた曲がり角。右に行くか左に行くかの選択を五分程度で何十回も迫られる。 「こっちだ」 だが慎は迷わなかった。見た瞬間「こっち」と強く感じた方へ足を向ける。 続くリアはゴーレムに抱かれたまま、きつくきつく目を閉じていた。 「……寝ちゃいないよな?」 慎の問いにうっすらと目を開け、頷くリア。 いつ来るか分からない恐怖。エダムに対して恐怖心が拭えない彼女は仕事中ずっとここから動くつもりはなかった。 きっとゴーレムなら自分を守ってくれる。電子レンジが悪夢を見てうなされるなど聞いたことがない。ならば同じ理由でゴーレムも幻覚に惑わされたりはしないだろう。 とはいえサボっている訳ではなかった。リアも広範囲に風を吹かせ、その動きで敵や罠の有無を確認する。 「――!」 それに気が付いたのは、二人同時。 「チッ」 無意識に舌打ちをし、慎が後ろへ飛び退く。 ヒュン! 床の隙間から現れ、存外軽い音で目の前を横切ったのは錆を纏わせた刃だった。古い仕掛けだったのだろうか、劣化により脆くなった刃は再度床へ姿を消す直前に引っ掛かり、凄まじい音をさせて折れ飛ぶ。 その折れた刃が飛んだ先にリアが居るのを見て慎は息を呑む。突き飛ばそうかと思ったが、230cmもあるゴーレムの重さは如何ほどのものだろうか。 硬いものがぶつかり合う音。 ――刃はゴーレムのアイアンボディに弾かれ、壁に突き刺さっていた。 「……心配し損だ」 「?」 「なんでもない。……行くぞ」 何かを誤魔化すように咳払いを一つすると、慎はリアと共に前進を再開した。 「エダム、ってどんな奴だったんだろうなぁ」 大量に流れてくる水から逃れ、這い寄ってくる虫を蹴散らし、発火装置を力づくで止めた後、比較的罠が静かな道を歩きながらアラクネがそう言う。 レナは事前に知り合いから聞いた情報を頭の中で整理した。 「……エダム、ね。話を聞くに、ド外道ですわね」 「そんなに?」 「ええ、こいつを生かして帰す必要がないぐらいに。まあ人から聞いた話とレポートを見て思った感想ですけど」 「レポートかぁ、俺も読んどきゃ良かったなー……っわ!」 段差に躓いたアラクネは前につんのめり、そして耐え切れず両手を床につく。 その衝撃で何かが舞い上がり、アラクネの鼻先を撫でた。 「……? これって」 摘み上げると、それは血液の付着した羽根だった。 楽園がアラクネからそれを受け取る。 「血がまだ乾き切ってないわ」 「野鳥のもの、って可能性は低そうですわね」 レナが辺りを見回して言う。怪我をした野鳥やその死骸は見当たらない。それに恐らくこれはハトの羽根だ。 「他に沢山血痕がないところを見ると、怪我は浅そうね。けれど飛べないとなると……骨折かしら」 「急ぎましょ、あまり長い間痛い思いをさせたくないわ」 そうレナが道の奥を見据えた時。 向こうからやってくる、ひとつの人影が見えた。 ● アベルは落とし穴に足止めされているところを発見された。 彼曰く少女の居た初期位置……迷路の中央、というのは後発のロストナンバーと同じく知っていたが、その後はさっぱりだという。 慎がなぜアベルだけ難を逃れたのかと訊く。 「奴はギアで能力を制限されたままだ。だから今はいっぺんに一人か二人しか幻覚を見せることが出来ないらしい」 そう彼は答えた。 「一人か二人、か……」 少人数でエダムと対峙する選択をしたのは誤りだったか、と慎は思う。 事前情報の通りならばエダムは黄龍と行動しているはず。ということは二人同時に相手をすることになる。アベルが合流したことによりこちらは三人になったが、相手の能力を考えると心許ない。 しかしノアを放置しておけば花が危ないのだ。そしてあちらも能力を考えると、一人や二人で向かうのは不安がある。 「……悩んでも仕方のないことのようだな」 「手が必要なら俺も参戦するが、剣術でしか役に立てないかもしれない。いいか?」 ああ、と素っ気無く頷き、慎は深く息を吸って吐いた。アベルは早々に逃がすつもりだったが、この状況で頭数を減らすのは得策ではない。 遠くない場所から妙な空気の流れが漂ってくる。 それを感じ取ったリアがゴーレムにぎゅっと抱きついた。 (怖い、怖い、これはきっと……) あの人だ、とリアは強く強く目を瞑った。 アベルを追っていた二人。足止めを食らっていたアベル。 ならば追手はそう遠くない位置に居る、というのは予想の範囲内だった。 ここに救出対象の花が居たならば一目散に逃げていたかもしれないが、慎は、そしてリアは、エダムを捕縛に来たのだ。 「予言の書……凄いものですな、こんなにも対応が早いということはすぐに知られてしまったのでしょう?」 曲がり角から姿を現した真っ黒な男はそう言って笑った。 続いて出てきたのは黒いスーツに真っ白なコートを羽織った長身の男だった。腰まである黒髪は意外すぎるほど綺麗に後ろで纏められており、瞳は暗い金色。その白目には瞳という宝玉を握っているかのような竜の手の刺青が施されている。 凶相を向け、男――黄龍は目を眇めた。 「おぉいエダムとやら、昔の仲間でもちゃぁんとやれよ? ノアだってまだ頭っから信じちゃぁいないんだからな」 「……故に、不死者である貴方を儂に付けたのでしょう?」 へっ、と黄龍は本当はどうでもいいといった風に鼻で笑うと、慎とリア達の方に向き直った。 「さあやろうぜぇ若人さん方、そんで俺らの戦力に加わりな。きぃっと楽しいぜ?」 慎は冷静さを失わずに答える。 「そうだな、さっさとやろう。……しかし、後半には頷くのすら悪趣味に思えてくるな」 吐き捨てるように言い、慎はアイテール・ドライバーに手をやった。 「変身っ!!」 言い慣れた言葉と共にその体を何かが覆ってゆく。 数秒も待たぬ内に慎の全身はバトルスーツに包まれていた。ぎゅう、と一度だけ手を握ってそれを確かめ、間髪入れずにエダムへと向かってゆく。 「正直厄介なんでな」 幻覚にかけられる前に叩く。それが一番であり最良だ。 だがその間に黄龍が割って入る。 「俺のこと忘れないでくれよ? こう見えて寂しがりやなんだからなぁ」 黄龍は空中から日本刀を取り出し、それを振るう。間一髪で避けた慎はカードを一枚取り出した。 「速いな。ならこいつだ……!」 ――『サンダー』 電子音が響き、慎のスーツの特性が変化する。サンダーは雷のような速さを得る代わりに、パワーがダウンしてしまうモードだ。 直後、アベルに一瞬目配せした後慎は猛攻に出た。 「……ほう。なる、ほど」 黄龍は攻撃を鍔でいなしながらも後退する。 「しかしそんな火力じゃ俺にゃぁ効かないぜ?」 「速さだけでこんな攻撃に出ると思ったのか」 「な……」 視界外から斬りかかってくるアベルを目の端に捉え、黄龍の注意がそちらに向く。 ――『ファイナル』 続けて聞こえた電子音は、先程とは違う名を告げていた。 「……終わりだ!」 ジャンプした慎の足が光速の如き速さで黄龍を狙い、眩い光と共に衝撃音をもたらした。20tの重さに床が抉れ飛ぶ。煙が晴れる頃には、辺りに尋常ではない量の血糊が付着していた。 轟音の血の匂いにリアは逡巡する。 敵はどこに居るのだろう。目は開けたくない。しかし風の流れを読もうにも、あまりにも場が乱れすぎている。 ゴーレムは仲間に攻撃を加えないよう教え込んでいるが、何がどこにあるか分からない状態で無闇に攻撃すれば、壁を壊し仲間ごと巻き込んだり大量の罠を発動させてしまうかもしれないのだ。身動きが取れない訳ではないが、一瞬ではない時間迷った。 瞼の裏に男が立つ。 「!?」 「なぜ儂をそこまで恐れているのですかな?」 冷たい声が背筋を這い上る。 きっと、この男は自分に対して少しでも怯える者が大好きなのだろう。 「ここでは答えぬ者は重罪人。ほら、ほら、早くせねば先から溶けてゆきますぞ」 「う……」 全ての原理を無視して指先が溶けてゆく。 答えようにも言葉を発せない。それをエダムは知っているに違いない。 ゴーレムはどこ? 探すが、いつの間にか自分の身を守っていたゴーレムの姿も気配も無くなっていた。 意を決して目を開ける。まだ暗い。目を見開く。闇が広がる。エダムと自分の体以外に何も見えない。その体も既に肘から先が感覚ごと無い。 「叫んでよいのですぞ?」 耳元にそんな声がぬるりとした所で、消えたはずの両手が視界に映った。 「おい、……寝てるんじゃないぞ!」 冷や汗をかくリアをちらりと見、状況を分かった上であえてそう言い、慎がエダムを殴り飛ばす。 「大丈夫か? 目を見たりしなくても幻覚にはかかる。きみはずっとじっとしていたから気付くのが遅れてしまった、すまない」 「……」 アベルに小さく頷き、ふらふらとした視点をキッと正す。 やはり、このままにしておける相手ではない。 リアは倒れたエダムに向かってゴーレムに戦斧を振り下ろさせた。エダムは歯を食いしばり寸でのところで転がり避けるが、慎のスライディングキックを腹に食らって吹っ飛んだ。 「っく……上手くはゆかぬものですな……」 か細い声に向かってゴーレムの戦斧がめり込む。 しかし血しぶきは上がらなかった。 「死んだ! ものの見事に死んだ! 戦闘開始数分で情けねぇなぁ情けねぇ!!」 うははと笑いながらエダムを小脇に抱えたのは黄龍だった。衣服は真っ赤に染まっているが、体には傷一つない。 「貴様……」 「おぉっと、とりあえず撤退させてもらうぜ? お前らと戦うのは楽しいが、戦力は減らしたくねぇんでな。そんな顔すんな、また会う機会は嫌ってほどあるだろうさ。なぁ?」 抱えたエダムに同意を求める。 エダムは一声だけ笑った。 逃げる二人を追おうとするリアを慎が制止する。 「深追いするな。一人じゃ無理だ」 「しかし逃がしていいのか?」 問うアベルに慎はいつもの調子で言った。 「そこまでする義理はない」 ● 人の首など一撃で飛ばしそうなほど巨大化した鋏。 それを巧みに操りながら、楽園はノアとの距離を測っていた。 どれくらいの間戦っていただろうか、三対一だというのに男は……ノアは何も恐れていないかのように、冷静に一手一手を進めてくる。 楽園、レナ、アラクネには攻勢に出にくい理由があった。 「罠に時間をかけすぎたわね」 苦々しくレナが呟く。ノアの背には、気絶した花が背負われていた。 レナはノアに向かってゆくアラクネと楽園に強化呪文をかける。アクセラレーションで素早さを強化し、パワースペルで攻撃力をより強靭なものに。 だがいつもと手応えが違う。様々なものが心許なすぎる、そんな感覚に襲われて仕方ない。 ノアの力は不思議な力を乱すジャミングだ。強化呪文もそれに含まれているのだろう、効きが悪い。予想は出来たはずなのにしていなかった。舌打ちし、レナは地道に重ねてかけてゆく。 「う~ん……」 アラクネは緊張感のない唸り声をあげた。 戦況が思わしくない時は一度降参して攻撃の機会を窺おうと思っていたのだが、ここで降参したらそのまま連れ去られかねない。というか連れ去られる。ノアももし二人仲間候補を確保出来たとしたら、安全策として撤退を選ぶだろう。 「うう~ん、どうにかしてあの子を奪えればなぁ」 奪えなくとも花が暴れてくれれば攻撃のチャンスが出来るのだが、一向に目覚める様子がない。 楽園は地面を蹴り、鋏の刃をノアに向けた。 「よくもあの人を……許さない!」 「……何のことだ?」 終始無言だったノアがやっと口を開く。 楽園は想いを寄せていた人物を、先の戦争で失っていた。それは死ではない。旅団側の人間となったのだ。 「個だけでなく組織を恨むか」 「そうよ、絶対に許さない。……あの人は私が殺すわ。殺してあげるの。もちろん旅団だって――潰す!」 ヒュオッと風を切った鋏がノアの二の腕に小さな傷をつける。レナによる速度強化がやっと効いてきた。 「あまり踏み込むと鳥さんに当たるわ!」 レナの言葉に楽園は踏み出しかけた一歩を抑える。 だが傷は負わせた。 「この鋏には毒があるの。さあ答えて、あの人は今どこにいるの? 貴方たちのおうちはどこ? 命が惜しいなら白状なさい」 「……」 ノアは流れてきた血を掬い取って舐める。 「致死性の高い毒ではないな」 その呟きに楽園は少しだけ眉に力を入れる。確かにこの鋏に塗ってある毒は動きを鈍らせ怪我の治りを遅くするものだ。深手を負わせることが出来れば話は違うが、この掠り傷ではそれ以上は望めない。 「毒姫!」 楽園が上空からついて来ていた毒姫を呼ぶ。 上から探す際は壁が高すぎてあまり成果は出なかった。真上から見た時だけやっと道の全貌が分かるため、陰になる場所が多すぎたのだ。 ならば戦闘で活かすのみ。脚に付けた眠り薬を撒かせれば、きっと―― 「楽園、待って!」 レナの制止の声と共に、ボスン! と何か柔らかなものに当たった音がした。 「どく、ひめ?」 落下してきたのは壁と壁の間に侵入したところだった毒姫だった。アラクネが駆け寄ってその腕に抱く。 「逃亡防止のトラップが……」 アラクネは言い淀む。少なくとも良い状態ではないらしい。 入り口からここまではずっと壁より上を飛んでいた。それ故に被害は受けなかったが、逃亡やショートカット以外に寄り付くことがないであろう壁の上部。そこに接近した瞬間、毒姫はトラップの餌食になってしまったのである。 「……ふむ」 ノアが三人を順に見、最後にレナに目を留める。 「一番冷静なのは、お前か」 「……なに?」 「提案だ。俺はこのままこの……」 花をちらりと見る。 「少女を背負ったまま合流地点まで帰るには、毒が回りすぎている。そしてお前達はその生き物の負傷がある。ならば俺はこの少女を諦めよう」 「その代わり見逃せっていうの?」 「そうだ。……毒があるとはいえ、すんなり勝てるつもりではないだろう?」 レナはじっとノアを見る。 どこまでも落ち着いた顔。なぜ焦りに支配されないのか不思議なくらいだ。 「お前達の目的はこの少女の保護だろう。悪い話ではないと思うが」 「目的の、一つ、よ。……わかったわ、でも今回だけ。次に会ったら容赦しない。その時逃げるなら力づくで逃げてちょうだい」 良い自信だ、とノアは笑った。 彼は花を床の上に寝かせ、廊下の先に姿を消す。 ぎり、と楽園の唇を噛む音が聞こえた。 ● 「リカ、バンテル、タミャ……」 ロストレイルの椅子に腰を落ち着かせたアベルが呟くように言う。 花は救出出来た。敵にも怪我を負わせた。しかし事前に捕らえられ、そしてどこに居たか終ぞ分からなかった三人は恐らく連れ去られてしまった。 意気消沈しているのは楽園とリアも同じだった。 楽園は毒姫を抱いたまま心の内側に何かを燻らせ、リアは両目を押さえたまま黙って――普段からそうだが、喋る意思さえ見せず――座っている。 目覚めた花はアラクネの羽織を借り、レナに様々な説明を受けながらきょとんとしていた。 今はこうでもターミナルに着く頃には理解しているだろう。 窓の外を見ると、遠退くヴォロスの地に広い広い迷路が見えた。 ……何人かのロストナンバーが、迷い迷って落としてきたものは、一体何だろうか。
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