世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 ここはその名のとおり、「司書室」が並んでいる棟だ。司書室とは、一定以上の経験のある世界司書が職務のために与えられている個室である。ふだんは共同の執務室を使っている司書も、特定の世界について深く研究している司書はその資料の保管場所として用いているし、込み入った事案の冒険旅行を手配するときは派遣するロストナンバーを集めて事前の打ち合わせにも使う。中には、本来は禁止されているはずなのだが、司書室に住みつき寝起きしているもの、ひそかにペットを飼育しているものなどもいると言われている。 司書室棟への立ち入りは、特に制限されていないため、ロストナンバーの中には、親しい司書を訪ねるものもいる。あるいはまだ不慣れな旅人が、手続き書類の持って行き場所がわからずに迷い込むこともあるかもしれない。 司書室の扉には名前が掲示されているから、そこがなんという司書の部屋かはすぐにわかる。 ノックをして返事があれば、そっと扉を開けてみるといいだろう。 たいていの司書たちは、仕事の手をとめて少し話に付き合うくらいはしてくれるはずである。あるいはここから、新たな冒険旅行が始まることさえあるかもしれない。 司書室とは、そういう場所だ。☆ ☆ ☆「にゃあ？ あれー、なになに、きたのー？ にゃんこねー、いまねー……お仕事いっぱいだにゃあ」 あなたが訪れたのは黒猫にゃんこの部屋。 優しい日差しのはいる窓の前にはにゃんこには大きすぎる執務机。そこには山のような紙、紙、紙……膨大な山となり谷となっている。 せっかく訪れた旅人を見て嬉しそうにしたにゃんこであるが仕事を見て尻尾と耳をしゅんとさせたが、すぐにぱっと笑った。「ん、けど、大丈夫！ 困っていたり、お話をきいてほしい人をお相手するのもおしごとなのー！ べ、べつにおしごとしたくないわけじゃないもん」 ……どうだか。「おはなし、おはなし。にゃにゃん」 尻尾をぱたぱた。 瞳をきらきら。「あ、けど、なんのおはなしー？ だれをご指名ー？」 そう。この黒猫にゃんこはやや特殊である。 なんといっても姿を変身して変えてしまい、それによって態度が個々違うのだ。もしかしたら人格も違うのかもしれない。 さて、あなたが会いに来たのはどんな黒猫にゃんこ？ いつも会っている、リクエストによってはまったく見たことのないにゃんこがあらわれる……かも。●ご案内このシナリオは、世界司書黒猫にゃんこの部屋に訪れたというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・司書室を訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「やってみたい冒険旅行」や「どこかの世界で聞いた噂や気になる情報」などを話してみて下さい。もしかしたら、新たな冒険のきっかけになることもあるかもしれませんよ。
「む、むむっ！ 今、ケモノの気配がびびっときたぞー！」 天渡宇日 菊子の銀目がぎらん！ と輝いた。きょろきょろと首をまわして周囲を見回す。 「どこだー！ うちの気を引くために隠れているんだなー！ そんな可愛いケモノはすぐに見つけてもふってやるからなー！」 両手を胸のあたりに持ち上げると指を怪しくにわきわきと動かし、口からは欲望の言葉……はっきりいうと「危ない人」である。 しかし、菊子本人はそんな周りの目なんて気にしない。今は全神経を「うちの気を引くために隠れているケモノちゃん」探しに傾けられていた。 菊子は鬼の肉体、人の皮膚、牛の角と耳と尻尾、背には鷲の羽、口は嘴で鋭い牙が生えている――女性と見るとかなり大きめの肉体。 立派な妖怪のロストナンバーである。 彼女には一つ、ただの妖怪とは異なることがあった。それは…… 「この気配、結婚できるかなー？ 出来なきゃ、うちの物にするぞー！」 自分のことは横に置いといて重度のドラケモナーなのである。 その原因は牛獣人の父親がとっても好きだったせいとはご本人談。 「育て方、まちがえたぁああああ」とはるか彼方、世界群すら越えた親の嘆きが聞こえてきそうだ。 「ここだなー！」 菊子の耳がぴくん！ と期待に大きく動く。銀色の眼が大好きなケモノを目の前にしたときのようにきらきらと輝きながら見つめる先にあるのは司書室棟。 覚醒して間もない菊子は「何かあればいつでも訪ねてきてください」と司書に言われていたことを思い出す。 「うちの相手をしてくれたのはキツそうなおねぇちゃんだったけど、そういえば……噂じゃあ、司書には獣人もいるんだよな？ いるって言ってたな！」 覚醒についてアレコレと説明を司書から受けたとき「ケモノは、ケモノはいねぇのか！」危機迫る顔で尋ねたのはいい思い出だ。むしろ、それしか尋ねてなかった。他は聞き流していたが……そのとき、確かにいると言われた。 「よーし！ 待ってろー！」 菊子は猛ダッシュした。 ばーん 「うお、誰だ！」 ち。人間か ばーん 「え、なに？」 惜しい、耳だけケモノか！ ばーん！ 「アァン？ だれよん」 むきむきまっちょのおかま！ ちがーう！ 「ほとんど人間じゃねぇかー……ん、この部屋はなんだ？」 ドアの中央に飾られた金のプレートに「黒猫にゃんこ」と書かれているのを見て菊子は目をぱちぱちさせた。 「にゃんこ……？ うーん、よし、行くかぁ！ 頼もー！」 ばーん！ 大きく開いたドアから見えるのは書類が山となった執務机、居心地の良さそうなソファと、黒いもこもこ……黒猫が茫然と立っていた。 「にゃあ？」 「おおおおおおおおおおお！ ずっと、ずっとじらされてたどー！ ようやく見つけたー！ もふもふの黒猫！」 「にゃあ！」 飢えた狼のごとく、菊子は飛びかかる。まるで陰湿な蛇が獲物を捕えるように両腕でがっちりと体を抱きしめて、ふわふわの毛のなかに顔を埋める。 「もふもふもふもふ！ もふもふだー！ それもむにむにしてるぞー！ えらくころころしちまって！ だが、それがいい！」 「ちょ、いや、にゃあ」 「いやいやも好きのうちだなー！ うちのことをじらして、こいつはー」 「じらすってなにー。やああああ、ちょっ！ にゃんこパンチ！」 菊子の右頬ににゃんこの右ストレートパンチがヒットした。 ――むにゅん。 もしそれに音をつけるとすればそんな柔らかな威力なんてこれっぽっちも期待できないような音だろう。 なんといってもぷくぷくまるまる、ピンクの肉球なのだから。 ぷっつん。 「ぷに、ぷにだああああ」 「にゃ？」 「おお、めんこいなー。この肉球、ぴんくだー！ 触ったらやわらかいぞー、ぷにぷにしてるぞー！」 「にゃああああああああああああああああああああああああああああああ」 暴走した菊子は止まらない。 にゃんこの両手を掴むと頬すりして肉球の柔らかさを確認しつつ弱弱しいにゃんこの抵抗を――たとえるならば、蟻一匹が犬に噛みついたところで痛みを与えられるわけがない。――弄んだ。 「おめぇ、かわいいな、かわいいなぁ」 「にゃあー」 さんざん肉球を堪能した菊子は、今度はどうすれば抱きしめるのに適しているのかを思案する。真正面からもふったり、両手にお姫様だっこしておなかをもふったり――抱きしめて、いかにもふれるかも重要だ。 いろいろと検討した結果――にゃんこ曰く、弄ばれた――後ろからのハグが最もいいという結論に落ち着いた。 床に直接胡坐をかいて、にゃんこを膝の上に乗せて抱擁する。おなかを撫でればぷにぷに。頭に顔を埋めればふかふか。 もふもふし放題！ 顔を見れないのはちょっと残念だが、今日はこれで勘弁してやるぞー！ 「もふもふだー。うーん、けど、うちの婿にするには小さすぎるし、可愛すぎるなー」 「にゃんこ、婿にならないもん」 「うーん、どうすっかなぁ」 「だから、婿にならな」 「お、おめぇから人間ぽい気配もするぞー！ あれか、獣人になれたりするのかー？ ちょっと変身してみてくれ！」 ようやく膝の上から解放されたにゃんこはジト目で菊子を睨みつける。そろ、そろそろと隙をついて逃げようとしたとき ごろん！ 思いっきりこけた。 「にゃ、にゃ？ なんか、足がつかまれ……！」 菊子の尻尾が、がっしり、しっかりにゃんこの右足に巻きついている。それはまるで鉄の鎖のように重く感じられた。 「にがさねーぞー！」 ケモノ相手には暴力はふるわないが、逃がさないための策はちゃんと講じる。こういうところだけ無駄に頭がまわる。 「……にゃ、にゃあああ～～、わかった。変身する。するから！」 にゃんこは途方にくれて叫びながら、両手をかかげるとにゃんこにゃーん！ と変身の声をあげた。 「おおお！ 出た！ 婿って」 出てきたのはスーツ姿のダンディな男性の黒……ちなみに見た目は完全に人間である。ケモノらしさがあるとすれば尻尾くらいだ。 菊子の顔が思いっきり白ける。 「チェンジ」 「……なんか、俺、お前みたいな男を知ってる。うん。なんっーか、あいつの魂が転生したって言われても納得するわ。もうしばらく神様として眠ってていいんだぞ？」 「わからねぇことほざいてねぇで、次！」 黒が指を鳴らす。 「今度こそ、婿！ って、ちがううううううううううう！」 次に現れたのは着物姿の黒猫。これも完全な人の姿に耳と尻尾が唯一のケモノ箇所である。 「チェンジ！」 「まぁ、ええけどなぁ」 黒猫が煙管をくるりっと手の中で一度回転させると 「よし、よし、キタ！ 次こそ、うちのむ……」 申し訳なさそうに現れた猫は菊子のダイヤモンドダストのような視線を明後日の方向を見てやり過ごした。 「チェンジ！！」 「あ、うん。そう言うとは思っていたよ……次はまりあ、かな」 「まりあ？ おめぇ雌なのか？ そうなのか？ ちょっと触らせ」 「ぎゃああああ！ こっちくるなぁ！ 天然セクハラ！」 菊子が手を伸ばすとほぼ同時に猫が両耳をぴこぴこと動かして、その姿が変わる。 「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお！」 菊子が興奮の遠吠えをする。ようやく、ようやく腕のなかで変身を遂げたにゃんこは理想のケモノとなったのだ。 黒い毛に覆われ、耳のついたまんま猫の顔。それに細い体を黒いワンピースにつつませ…… 「キタ、きたぞ！ 今度こそ！ メスだが、ケモノ！ ……ん？」 菊子は気がついた。 どう見ても目の前にいるまりあの身体は……人間？ 毛は？ ふわふわの毛は？ 「にゃあ？ にゃんなの？ ちょ、なにすんのよぉぉ！！」 菊子の手がワンピースの端を掴んでめくろうとした。まりあの容赦のない黄金の左拳が飛んだ。 「が、はっ！」 不意打ちの拳にはまりあの怒りもくわわって予想以上の攻撃力を発揮して菊子は床に倒れた。 「はぁ、はぁはぁ！ 変態はゆるさにゃいわよー！ もう、先からにゃんにゃのよー！」 我が身を抱いてまりあが唸る。尻尾もぱんぱんに膨れた姿。あ、ちょっと、かわいい。威嚇した猫って、ついなでくりたくなるんだぞー。 「えーと、名前は」 「まりあよ、なに！」 「その身体は」 「身体？ 人間に決まってるでしょ」 「……うちも女だ。いいよなー？」 すっと菊子は手を伸ばしてまりあの細い足に触れる。 さす、さすさすさすさすさす。 「ちょ、いゃああああああああああああああああああ！」 「毛が、毛がねぇ！ まんま人じゃねぇかぁああああ！ 顔だけは見事なケモノなのにぃ！ 期待させたくせにー！ チェンジだああああ！ 身体も猫じゃないとうちは認めないぞ！ にゃんこを所望するぞー！」 「なにいってるのかわかんなーい！ いゃああああ！ このへんたーい！」 まりあはぷりぷりと怒りながら軽やかにターンすると、その姿がぽてんっと大きな黒い猫――にゃんこに戻った。 「はぁあああ、なんか、すごくつかれたにゃあ」 「う、ううう、やっぱりおめぇしかいねーのかー！」 菊子はがしぃとにゃんこに飛びついて、すりすりすしながら嘆く。嘆きつつも「うちの物だから、手ぇだすな」と匂いつけも怠らない。 「もう、ちぇんじって、にゃんにゃの？」 「うー。だからよぉ、その姿で、人ぽくなれねぇかなぁって」 「ああ、それならな……なれないよ」 「なんか間があかなかったか？」 菊子はじぃとにゃんこを見つめる。にゃんこはふっと――にゃんこらしくない諦念の微笑みを浮かべた。 「なれないよ。絶対に無理なの。残念だったねー」 「そうかー。ちぇー、それじゃ婿にするのは諦めて可愛がるかぁ」 「え、まだここにいるつもりなの？ もう十分じゃない？」 「なにいってんだ！ まだまだ！ うちは満足しないぞ！ ん、怯えてるのか？ 大丈夫だぞ。うちの可愛がりで死んだやつは一人もいねーからなー」 「……それは、菊子の世界の住人だよね？ その人たちってみんな丈夫なんじゃないの？」 「えっ、うーん」 菊子はしばし悩んだあと、にこっと笑った。 「大体の奴が泡吹いて白目剥いて痙攣していたぐらいだ、安心して身を任せろー！」 「いゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ！ はなしてー、はなしてー、にゃんこは、にゃんこはまだしにたくないのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」 じたばたと逃げようとするにゃんこを菊子は問答無用で抱きしめる。改めて手でその毛触りとぷにぷにを堪能することからはじめる。 そして、顔ダイブでにゃんこのふわふわを味わう。 「にゃあ、嘴がいたいー」 「もふもふだぁ」 「いゃあああ！」 「そんなにいやがるなよー、うちも傷つくぞー。うー」 しゅんと菊子は俯く。 「しらなーい！ にゃんこはお仕事があるから出ていくのー」 「そのぷにぷにの手で仕事するのかー？ ……しかたねぇ。よーし、最後に」 「そう、これで最後に……ぐえ！」 力いっぱいもふった。顔を埋め、両手にあるだけの力をこめて抱擁――菊子の腕力は世間一般では「怪力」に分類される。 にゃんこは白目を向いて、がくっと倒れた。 「よーし、今日はこれくらいで勘弁してやる！ 今度は仕事のないときにくるからなー！」 もうくんな……こないでください。とは気絶したにゃんこの心の声。しかし、そんなものが菊子に聞こえるはずもない。 「大人しくなっちまってー。おめぇも実はさみしいんだな。またすぐに遊びにくるからなぁ」 菊子は寂しげに笑うとにゃんこを執務室の椅子に座らせた。 「じゃあなー！」 二度とくんな。そんな切実な心の声が聞こえるはずもない。 その翌日。 黒猫にゃんこの部屋のドアにはなぜかお札――「ドラケモナー妖怪退散」と殴り書きが貼られるようになった。
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