扉を開けた瞬間。 グラリとした一瞬の暗転。――ドサドサドサドサ!!!「あらぁ、ごめんなさぁい!」 体を起こすと、バサバサと本が落ちた。 ぶわりと、 ほこりが舞う。 周囲を半分透けた魚達が笑うようにクルクルと回っていった。「こんにちわぁ、いらっしゃいませぇ。 アタシはこのお店のバイトのカウベルよぉ!」 やたらとベッタリとした口調で言ったのは、何処かで見覚えのある牛角の女……「世界司書もやってますっ」 Vサイン。 ため息。 明るい店内に、壁は一面木棚でその上には大小の瓶や紙辺――と、体の透けた魚たち。 ところ狭しと地面に置かれた、皮や骨、石、古びた本。樽、瓶…… 何となく感じる圧迫感。――散らかりすぎだ。 カウベルはやたらと重そうな本の山を積み直し、軽々と持ち上げるとカウンタの上に運んだ。 カウンタの上も床と同様に雑多な様子だが……「今日は店長が居ないから、お掃除の日なのよぉ。 結構面白いものがあって楽しいの!」 狭い店内にカウンタに牙を剥くように固定された、巨大な竜の骨をポンポンと叩いた。 カウベルは、掃除には向きそうもない魔法使いのようなとんがり帽子に短い紫のワンピースを着ている。後ろにちらりと尻尾が見えた。「店長はぁ、博物学と魔法の融合について、試しているんですって」 カウベルはこちらが返事をしなくとも、勝手に話している。「0世界は生き物の持ち込みが禁止だからぁ、魔法で他の世界の生き物を再現して、調べるんだって、変な人よねぇ!」 元気よく両手をパン!と打ち合わせると、幻影の馬が店内を駆け抜けた。 足が多い。「アナタもお片づけを手伝ってくれないかしらぁ? あと、こっそり色々遊んじゃいましょ?」 カウンタの上のガイコツがケタケタと笑う。 妖しい店。 頭の悪そうな世界司書と、 生きていない生き物たち。
「わあ」 男はのんびりした調子で倒れてきた本に埋もれた。 「あらぁ、ごめんなさぁい!」 そういってカウベルが声をかけても、周囲を幻の魚に取り囲まれ、あまつさえつつかれても、本をそっと床に下ろし、自分にかかった埃を注意深く払っている。 「まぁ、和洋折衷なイケメン」 カウベルが素直な感想を漏らしたときも、マイペースに本を積み直し、自分の懐に仕舞いこんでいた。 「あらあら、あんなにあった本が、どこに消えちゃったのかしらぁ? ふしぎ!」 興味津々に明るい声で見つめられ、男はハッと我に返り照れ笑いをしながらこう言った。 「ごめん。私は箪笥の付喪神なんだ。散らかっているとついつい自分の棚に仕舞ってしまう」 再び本の山を取りだすと、カウベルが拍手した。 「まぁ、良い付喪神で。アナタお名前は?」 「伊原だよ」 カウベルは伊原の両手を取って首を傾げた。 「伊原ちゃん。一緒にお片づけしたり、遊んだりしませんか?」 「はあ。私は箪笥だから片付けは得意だよ。だから手伝うのは構わないけれど、遊ぶってどうするの?」 マイペースな二人のお掃除編。 「和服のたすき上げって素敵よねぇー。凛々しいわぁー。洋風エプロンっていうのもいいわよねぇ!」 カウベルに頼んで紐とエプロンを借りて伊原はすっかりとお掃除ルックに変身した。部屋の隅にあった大きな鏡に自身を写し、伊原も満更ではない様子だ。 鏡の前のスペースを開ける為に動かした箱から、小さな子鬼のようなものが出て来てしまっており、今は伊原の周りで頭上で手を叩きながら回っている。 「この子鬼も生きていないのかい? 奇妙だねえ」 しゃがみこみ、えい、と指でつつくと、キラキラと輝く粉になって箱に吸い込まれていってしまった。 「必ずこの箱に帰るのか。いいなぁ、この箱は幸せ物じゃあないか」 「そうなんですかぁ」 カウベルは意味もわからずニコニコと相槌を打った。 「じゃあ棚から片付けようかな。乾いた布と、濡れた布両方もらえる?」 「はぁい!」 布を受け取ると、棚から一度物をどけ、濡れ雑巾で丁寧に拭き、次に本や物についた埃を乾いた布で払ってから丁寧に拭う。 「なんて理想的なお掃除方法」 カウベルはうっとりと眺めた。 「おや、これは重い……」 「まかせて!」 伊原が慎重にずらしていた重量物をカウベルは軽々と床におろした。 「え? 力持ちだね」 「このくらい軽々よぉ」 自然と作業が分担されて、物を下ろして拭くのがカウベル、棚を拭いて物を綺麗に仕舞うのが伊原となった。 「おや」 時々物影から、小さな幻が顔を出す。 今見かけたのは、緑色で小さな羽根の生えた小悪魔だったが、横にある小ぶりの本と同じくらいの大きさしかない。 「こういう幻は、出しっぱなしなのかい?」 「あ、えぇっと、それはぁ」 カウベルが横にあった本を取りページを開ける。 すると、小悪魔はぴょんと本の中に飛び込み、ページの中に消えた。 「これはまた、不思議な」 「あら、これくらい伊原ちゃんだって出来るでしょう?」 「そういえばそうだね」 自分も不思議な存在なんだな、と伊原は思った。 「あ、こっちに猫又がいるよ。私が知っているものとは模様が違うけど」 「尻尾が二本で可愛さ二倍なのね!」 「これはケルピーだね、ほら馬の上半身に魚の下半身」 「それは美味しそうねぇ」 伊原が見知った幻を示すたびに、カウベルがズレたコメントをする。 「これは……えーっと、どこの世界の妖だい?」 そう言って、差し出されたのは幻ではなく青い本だ。 表紙にはクジラの絵が描かれている。 「これはクジラよぉ? 壱世界の海とか、ブルーインブルーにもいるんじゃないかしら?」 「海か……水はあまり得意でなくてね。塩水は金具も錆びるし……」 伊原は渋い顔をして身を震わせた。 「じゃあ幻の海ならうってつけよねぇ」 そう言ってカウベルは本を開く。 一瞬で。 周囲の棚が見えなくなり、真っ青に染まる。 傍らに本を持ったカウベルがおり、髪がゆらゆらと揺れていた。 微かに見える白い粒と泡。遠く上がぼんやりと明るい。 「あれが鯨よ」 こもったような声でカウベルが言い、上を指差す。 大きく、黒い影がゆっくりと行く。 伊原は目を見張った。 「あれは地図に描かれていた怪物じゃないのかい」 「それならお店のどこかにあったわぁ」 もう一度上を見上げてため息をつく。あんなに大きいもの、仕舞えないな……。 カウベルが本を閉じると、一瞬眩暈がして、気づけば店内だった。 「あんなに大きいのは、入道やドラゴンくらいしか見たことがなかったから驚いた」 「地図ねぇ、あ、あれかしら」 小物の山のてっぺんに刺さっていた巻かれた紙をカウベルが引っこ抜く。(もちろん小物が崩れたが、無視をした) 広げると地図の端に船を沈める怪物の絵が確かにある。 ただ、あまり似ていない。 「あんまり似ていなかったねぇ」 「そうねぇ」 「片づけの続きをしようか」 「そうねぇー」 二人は小物の山は無視して掃除を再開した。 「これは変わった形の竜だなぁ」 「恐竜よぉー壱番世界に昔居たんですって」 「これも恐竜かい?」 「それはキリンさんよぉ。今も居るわよぉ?」 伊原の掃除は的確だが、だんだん気になるものが増えたらしい。幻だけでなく、本の表紙や模型、転がっていた骨の一部にも興味を示しだす。 カウベルは知ってる生き物に対してはわりとまともなコメントを返していた。 「って、ひぃ!」 「どうしたのぉ?」 蓋がずれてしまった小箱から、うぞうぞと小さな白い虫が見える。 「シロアリ……!」 伊原は激しく後ずさった。 「幻だから大丈夫よぉ、こっちに粉末もあるわぁ」 「ひぃ」 生きていないとわかっていても、シロアリと思うと恐い。自分は木製なのだ。 「もう仕舞ったわよー」 「そ、そうか」 恐る恐る戻ってくる。 「えーい」 「ぎゃああああああああああ!!!!」 「うふふふふふ」 カウベルが明るい声とともに投げた小箱が伊原の棚に入り込み、悲鳴を上げて転がる伊原により、店内はまたちょっと散らかった。 時々箪笥の姿にも戻り、扉をバタバタと開閉している。 シュールな光景だった。 「ごめんね、取り乱して」 あの後、カウベルは伊原(箪笥)の角に小指をぶつけて、同じように転がり回り、小箱が体内から出た伊原は一旦店を飛び出した。 しかし体内に他にもいくつかの本やアイテムが入っていることに気づき(自分で無意識のうちに仕舞っていたようだ。うっかりうっかり)気持ちも落ち着いたので、店に戻ってきた。 「こっちこそごめんなさいねぇ、まさかあそこまで恐がると思わなくってぇ」 お互い涙目ではあるが、カウベルは悪びれずぺろりと舌を出した。 「今日はお掃除手伝ってくれてありがとお。これお礼なんだけど」 カウベルが差し出したのは小さな丸い缶だ。 「家具のつや出しに良いクリームって、店長が言ってたからぁ」 「ほぉ! それは良いものを」 伊原は目を輝かせて缶を握った。 「ただ、えーっとぉ、言いにくいんだけどぉ。これはさっきの、あの、虫の粉末で作ってるんですってぇ」 歯切れ悪く言ったが、最後はニッコリと笑った。 「え、えええええええ」 「悪いだけの虫じゃないって教えたかったのぉ! ね、これでちょっとは好きになれるでしょう?」 「そ、そうかな……」 伊原はそのクリームを使うか、たっぷりひと月くらい悩んだ。 (終)
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