「モフトピアで鮫パニック発生中」 なんですが如何ですかと、気配もなくぬっと現われた世界司書の男性が導きの書を眺めながら声をかけてきた。 ともあれ突っ込むのも面倒なので平穏なモフトピアに相応しくない単語にだけ反応して眉を顰めると、促すまでもなく世界司書はぽつぽつと話し始める。「兎型のアニモフが住む小さな浮島なんですが、事の発端はそこを訪れた誰かがアニモフのリクエストに応えて披露した魔法です。まさか誰もこんな事態が起きると想定していませんでしたので、この際、その魔法を使ったのが誰かという追及は置いておきます」 したところで解決にはなりませんしねぇ、とどうでもよさそうに呟いた司書は、相変わらずこちらを見ないまま導きの書を捲る。「その魔法自体は、害のない物です。イメージを具現化する類のそれで、近場にある雲を使ってアニモフたちが見たことのない花だの鳥だのを紹介していたようです。例えば毒の花をイメージしても、形を作るだけで実際に毒は含みませんから無害です。それにしばらく放置しておけば、勝手に消えますしね」 所詮は雲ですからと頷いた世界司書はけれどまた頁を捲り、僅かに困ったような顔をしてこめかみをかいた。「問題はその後です。魔法の持続時間が案外長かったらしく、まだじんわりとその浮島を取り囲んでいたようでして。それを知らずに訪れた別の方が、アニモフたちに望まれるまま色んな動物の話を始めました」 後は皆さんご想像の通りですと軽く肩を竦めた司書は、そこにいた誰かの鮫か、の呟きに、鮫ですと神妙に頷いた。「とてつもなく凶暴で、視界に入った動く物に無差別で襲いかかってくる鮫がいると聞いて、どうやらアニモフ全員でそれは怖い物だ、とイメージしてしまったようです。おかげで体長二メートルはある雲の鮫が、今もその浮島を取り囲む雲の中を泳ぎ回っています。雲の中で過ごしているせいで、どうやら勝手に消えることもないようです」 誰か一人のイメージならもっと小さく済んだんでしょうけどねぇ、と独り言のように呟いた世界司書は、そんなわけでとようやく導きの書から視線を上げた。「皆さんにお願いしたのは、その雲の鮫退治です」 ただ条件が幾つか、と世界司書は指を立てた。「モフトピアですので、武器の使用はやめてください。そもそも相手は雲ですので、銃火器など必要ありません。襲い掛かってくる、というイメージでできていますから近づけば襲ってくるでしょうが。噛みつかれても痛くはないですし、丸呑みされてもお腹を抜けるだけでしょう」 実際の被害という意味では皆無だが、アニモフたちは怖がって雲を渡れないらしい。確かに全員の怖いというイメージから出来上がっているのだから、怖いのだろう。「思念体ですから、その鮫に触れて崩れろと強く念じれば、それだけで崩れるとは思います。もっと簡単に言えば近づかずとも風で散らしてしまえば形はなくなるんですが、厄介なのはアニモフ全員の怖いという思い込みです。目の前で散らしたところで、でも生きてるんじゃないの? と大半のアニモフが思えば、復活する可能性はあります」 全員が納得しない限り、多分復活するでしょうねぇとあまり興味もなさそうに世界史書が呟いた。「反対に言えば、アニモフがあれは怖くない、と思えばそれで解決する話でもあります。例えばあの鮫は一定期間経てば無害な鯨に変わるとか、皆でお願いしたらいい子になるとか、羽が生えて飛んで行くとか。その手の話をしてアニモフたちを納得させられれば、何も鮫と対峙する必要もありません」 純真なアニモフを上手く騙くらかして頂ければ結構ですよと何だか投げ遣りに続けた世界司書は、そんな感じですと導きの書を閉じた。「アニモフたちが納得するまで雲の鮫を散らすか、若しくは怖いというイメージを払拭するか。手段は皆さんにお任せします」 要はアニモフが再び楽しく雲を渡れるようにしてほしいだけです、と頷いた世界司書は、思い出したように顔を上げた。「その魔法に関しては、こちらで責任を持って犯に──使い手を捜しておきます。ですので今回皆さんは、鮫退治の方法だけ考えてくださったので構いません」 それでは宜しくお願いしますと頭を下げた世界司書は、何だか面倒臭そうに歩いて行った。
イクシスは依頼された鮫パニックに陥っている浮島に足を踏み入れようとして、いきなり雲海から飛び出してきた鮫に襲いかかられた。 浮島に続く雲を渡っている最中に横合いから飛び出してきた鮫は、元気なことに大きく飛び上がるとイクシスを頭から丸呑みにしたのだ。 「イクシスさん!」 思わずといった様子の悲鳴は後ろから聞こえたけれど、それだけ。鮫はイクシスを飲み込んだがそのまま通り抜け、ざぷりと雲海に戻っていった。 「びっくりしたよー」 実際のところ濡れてもいない鎧の頭部を拭うような仕種をして笑うと、後ろで見ていた三人が思わずといった様子でくたくたと座り込んだ。 「そうだった。びっくりしたけど、雲なんだ」 よかったと息を吐いたのは、今日は宜しくお願いしますと最初に挨拶してくれたカノ・リトルフェザー。 「心臓には悪いですよね。雲っていっても透けてるわけじゃないし、本気で丸呑みされてましたから」 無事でよかったですと笑いかけてくるのは、一番大荷物を抱えているおさげのフェリシア。彼女の横でへたり込んでいたコレット・ネロは、心配そうに頬に手を当てた。 「でも今の調子だと、アニモフさんも怖がって当然ね」 びっくりしちゃうものと心配そうに鮫が消えた方角を眺めながら呟いたネロに、フェリシアは大丈夫です! と請け負いながら立ち上がった。 「それを解決する為に、私たちが来たんですから!」 ね、と笑いかけてくるフェリシアに、そうだよとイクシスも大きく頷いた。 「ボクには秘密兵器があるから、大丈夫だよ」 「秘密兵器……! 腕がロケットパンチになりますか、若しくはお腹からばーんとミサイルが出ちゃうとか!?」 何故かわくわくと目を輝かせて尋ねてくるフェリシアに、ふっふっふーと少し声を低めて笑い、胸に手を入れる。 イクシスは言わば、動く鎧だ。中身はない。がらんどうの身体の中に荷物を入れられる、お得便利機能がある。今回そこに忍ばせてきた秘密兵器を手にすると、じゃーん、と自分で効果音をつけながら胸から取り出した。 リトルフェザーはイクシスが自慢げに見せたそれを見て何度か目を瞬かせ、えーっと、と頭をかきながら立ち上がった。 「扇風機、ですね」 「そうだよ。アニモフちゃんのために、突撃だよ」 言いながらスイッチを入れると、うぃーんと呑気な音を立てて風が起こる。片手で使えるコンパクトサイズのお役立ち秘密兵器に、えへんと胸を張ると何故かフェリシアとリトルフェザーがそっと視線を外した。 「な、何事もチャレンジするのはいい心がけだと思います!」 「そ、そうですね。心がけは大事です」 「だよねぇ。ボク、頑張るんだよ」 鮫さんをこれでバラバラにしちゃうんだよと扇風機を持ち上げて宣言すると、途中で止めていた足を進めて浮島に渡った。 浮島に辿り着くと、その中央にすべてのアニモフが固まっているようだった。 「わぁ、わぁ、ウサギのアニモフさんだ……!」 思わず目を輝かせたコレットは、怯えているらしい彼らの側に寄って、大丈夫よと宥めながらぎゅうと抱き締めた。傍らではリトルフェザーが興味深そうにアニモフを眺め、フェリシアは何かを堪えるような仕種をしてそんなに怖がらなくて大丈夫だからねと話しかけている。 その中でイクシスは先ほどの小さい扇風機を片手に、アニモフたちに鮫を退治してくるよと宣言した。 「この秘密兵器でやっつけてくるから、大丈夫だよ」 見ててねぇと告げて浮島の端に向かったイクシスは、ざぱっと顔を出した鮫の口に飛び込んでいく。ひょっとしたら鮫のお腹を突き抜けているのかもしれないが、こちらからはよく見えない。 「だいじょうぶ?」 「だいじょうぶー?」 不安げにイクシスの行方を追いかけていたアニモフたちが囁き合っていると、突然雲の鮫が中から吹き散らされたように分解され始めた。 「っ、すごい。小さくても扇風機ですね」 「やっぱり秘密兵器だから……!」 秘密兵器だからと何故か二回言ったフェリシアがすごいねとアニモフに笑いかけると、今までぷるぷるしていたアニモフたちもほわーっと笑顔になって、すごいねぇと頷き合う。でもイクシスさんはどうしたのかしらとコレットが眺めていると、鮫が散った後の雲海から顔を出したイクシスがよいしょと浮島に登ってきた。 「退治したよー」 これで解決と嬉しそうに戻ってくるイクシスに、よかったと喜んでいるアニモフの数は少なかった。 「だいじょうぶ?」 「またもどってこない?」 「もうだいじょうぶ?」 本当に退治されたのかなぁと心配そうに言い合うアニモフたちの声が聞こえ始めると、喜んでいた彼らまでが心配そうに顔を曇らせ始めた。それがよくないと思い当たったコレットは、持ってきた鞄から小さなベストを取り出した。 「あのね、これ、私が作ったベストなの。着てみない?」 きっと可愛いわよと取り出したそれを手近の一人に着せると、童話に出てくるウサギめいて可愛らしい。 「やっぱり似合うわ、すごく可愛い!」 ねぇ皆そう思わないと笑いかけると、何かを堪えるような仕種をしていたフェリシアがもう駄目と携帯を取り出した。 「可愛すぎる、我慢できないっ! 写真、撮らせてくださいねっ」 解決するまではと思ったけどもう無理と宣言したフェリシアは、コレットが用意したベストを着せたアニモフを撮り始める。それを見て他のアニモフたちも、いいなぁと騒ぎ出したので、まだあるわよと持ってきたベストを鞄から取り出す。 「よかった、どうやらこれで解決しそうですね」 「うん、よかったよ。ボクもうさちゃんとお話しするんだよ」 そっと息を吐いたリトルフェザーの呟きに答えたイクシスが、知ってる話があるんだよと嬉しそうに鎧から覗く赤を細めた。聞きつけたアニモフたちは、おはなしおはなしと喜んでイクシスにせがんでいる。 お話するよーとより嬉しそうにしたイクシスが、どんなはなし? と尋ねられたそれに嬉々として答えた。 「遠い小島に渡ろうとしてサメさんを騙したウサギさんのお話だよ」 「っ、それはまずくないですかっ」 「サメさんを騙すんだから、怖くないよ? でも騙したって分かって、サメさんはウサギさんの毛皮を、」 制止しようとしたリトルフェザーに首を傾げたイクシスが、毛皮を剥いじゃうんだっけと多分に悪気はないままさらりと告げた。途端、はしゃいでいたアニモフたちの空気が凍りついた。 「違います、違いますよっ。あれは鮫と言いつつ鰐ですから、あの鮫さんじゃないですから!」 大丈夫と慌ててフェリシアがフォローするが、アニモフたちは、きゃーっ! と悲鳴を揃えた。それを合図のように、先ほど散ったはずの鮫がざぱぁっと再び雲海から顔を出した。 「イクシスさん~っ」 「失敗したよー……」 怖がらせちゃだめですよとコレットが注意すると申し訳なさそうに謝罪したイクシスとは裏腹に、雲海では鮫がまたぴちぴちと嬉しそうに騒ぎ始めた。 「やっぱりここは、怖くないと教えるべきですねっ」 退治よりも共存ですとフェリシアがアニモフたちを宥めながら主張すると、鞄を探っていたリトルフェザーも賛成ですと頷きながら何かを取り出した。カラフルなそれはどうやら金平糖らしく、何がいいか分からなかったからとはにかんだリトルフェザーはアニモフの手にそれを乗せた。 「あの鮫は、本当は遊び相手を待ってるだけなんです。俺が鮫と楽しく遊んできますから、これでも食べながら見ててくださいね」 アニモフには聞こえないくらいの小声で、基本は笑顔ですねとぎこちなく笑顔になる彼に、フェリシアもそうですよと笑顔で拳を作った。ほっとしたように少し笑顔を和らげたリトルフェザーは、それじゃ遊んできます! と意気込んで宣言すると、浮島の端まで駆けて行った。 あぶないよーと何人かのアニモフが小さく引き止めるのを聞いたネロは、大丈夫よとアニモフの頭を撫でて宥めている。 「あの鮫は、とっても聞き分けのいい子なの。だから皆で、毛皮を剥いだりしないでってお願いしたら、そんなことしないでくれるわ」 だから大丈夫よとネロが話しているのを聞きながら、フェリシアは鞄からCDデッキを取り出した。それは何とアニモフと一緒にイクシスが尋ねてくるので、お話のBGMに使うんですよと答えるとイクシスがかしゃんと手を打った。 「知ってるよ! 鮫が襲ってくる時の、じゃーじゃん、てあれだねぇ」 「そんな怖い曲は入ってませんっ!」 怖くない曲ですと主張すると、また失敗したよーとイクシスがかくんと項垂れる。イクシスを取り囲んでいたアニモフたちが、いたくないよー、こわくないよー、と項垂れたイクシスを小さい手で慰めているのが堪らなく可愛らしい。 (だめだめっ、今は怖くないと教えるお話をしないとっ) 力一杯もふりたい欲求は高まっているが、人目も気にしてっと自分に言い聞かせて何とか堪える。 などとフェリシアが葛藤している横で、軽やかな音が耳に優しくさわった。思わずそちらに視線をやると、どうやらそれはリトルフェザーの指笛だったらしい。 脅かすように高く跳ねて襲い掛かってくる鮫の下を駆け抜けたリトルフェザーは、軽やかな指笛を繰り返してこっちこっちと煽っている。遠目で見ればこんもりと丸みの強いデフォルメされた鮫は何だか楽しそうにも見えて雲海に戻り、指笛を頼りに再びざぱぁっと顔を出しては噛みつく先を探している。 (ああ、楽しそう。早く参加したいっ) 思わずうずうずするのは、どうやらフェリシアだけではないらしい。アニモフたちの中にも、たのしそう、と目を輝かせている何人かがいる。 リトルフェザーもその様子を見て取ったのだろう、一緒に遊びませんかー! と遠く声をかけてきた。こそこそっと額を合わせて相談した何人かは、あそぶー! と答えて駆け出して行く。 とはいえそうして遊びに向かったのは全体からすれば一割程度で、他のアニモフたちは、こわくないの? と不安げに見上げてくる。 「それじゃあ、怖くないお話を始めましょう! はじまり、はじまり~」 拍手ーと呼びかけながら拍手すると、アニモフたちも嬉しそうにぱちぱちと手を鳴らしてくれる。その横で気を利かせたイクシスがかけてくれたCDからほんわかとした可愛い曲が流れ出すと、ネロにベストを着せてもらっていたアニモフたちも興味深そうにこちらを見てくる。 こほん、と軽く咳払いをしたフェリシアは、アニモフたちの視線が集まる中、話を披露する。 「モフトピアには、お菓子でできた鮫がいます。けれど、姿が怖いために皆から怖がられ、誰も遊びに来てくれません。がっかりしていた鮫のもとに、ある日、可愛い女の子がやってきました」 可愛いをちょっぴり強調して話しても、あんまり誰も反応してくれない。どころかイクシスとアニモフたちは、わくわくと先を促してくる。 少し切ないと心中でぼやいたが気を取り直し、そこで! と持ってきたリボンやスパンコールを鞄から取り出した。 「鮫の悩みを聞いた女の子は、鮫をお洒落に変身させます」 おしゃれー? と首を傾げるアニモフたちに、見ててねと嬉しそうに言いながらイクシスに半分のリボンを渡した。 「さあ、行きましょう、イクシスさん」 「突撃だね!」 「そうです、でも今度の突撃に秘密兵器は秘密のままでお願いします!」 「任せてよー」 大丈夫と請け負ったイクシスと二人で、鮫に突撃する。アニモフと一緒に鮫と追いかけっこをしていたリトルフェザーも巻き込んで、鮫にダイブ。 雲を突き抜けるのって、案外楽しい。 楽しそうに駆け寄ってきた二人に巻き込まれて鮫のお腹を突き抜けた後、何故か座れる雲海の上でぼんやりと成り行きを見守っているカノは、どう口を挟んでいいものか戸惑っていた。 危機を察したのか逃げようとぴちぴちしている鮫にフェリシアとイクシスが飛びかかるのを見て、アニモフたちも楽しそうに飛びつき始めた。きゃあきゃあとはしゃぐ声は楽しそうだが、ちょっぴり鮫に同情したくなるような事態が繰り広げられている。 (向こうで何を話してたか聞こえてなかったけど……、飾りつけたい、のかな?) どうしても疑問形がついてしまうのは、アニモフとイクシスは渡されたスパンコールを付けているがあまり意図は分かっていないようだから。フェリシアは鮫を飾るべく頑張っているのだが、何しろ相手は雲だ。思うような飾りつけにはなっていない。
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