その日、バードカフェ『クリスタル・パレス』は休業日であった。【本日休業! 店長は日々の疲れを癒すため爆睡中! 起こさないでください! 特に無名の姉さん!】 と、司書の似顔絵にバッテンのついた貼り紙(シオン作成)がなされているほどに、絶賛休業日であった。 しかーし。 そんなこまけぇことは気にしないのが、無名の司書クオリティである。 今日も今日とて容赦なく、司書は店の扉を叩く。 どんどん。どどん、どんどん。「こんにちはー。モリーオさんいるぅ~? あなたのむめっちですよぅ。ハーブティー飲ませて~」 今日の目当ては、激務続きな苦労性の店長、ラファエル・フロイトではなくて、クリスタル・パレスの植物管理を任されている「みどりの指」を持つ世界司書、モリーオ・ノルドであった。 ちなみに無名の司書は、部屋に観葉植物など置こうものなら、たとえそれがサボテンであろうと枯らしてしまう強者(つわもの)である。こーゆー「みどりの指」の対極にあるひとを、世間様のごく一部では「炎の指」と呼ぶそうな。 炎の指の罪業を背負う者にとって、みどりの指の持ち主は永遠の憧れである。それゆえ、彼が入れてくれるハーブティーなど飲みながら、しっとり語り合いつつ親密度をアップさせちゃおうかしらムフフフ的な下心満載の突撃であったのだ。 ……んが。 司書の目論みは、全面的に外れてしまった。 モリーオは今日、ドードーのお声掛かりで、館長邸の庭の手入れを手伝っており、ここには来ていなかったのだ。 んで。 細めに開かれた扉から、ものすごく迷惑そうに顔を出したのは、起き抜けの寝ぼけまなこの頭ぼさぼさの、セクタンプリント(みっちりオウルフォーム)のパジャマもよれよれなラファエルと、同じように、人生(鳥生)投げてます的な見苦しさ全開のろくでなしモードなジークフリートとシオンだった。「ふわぁぁぁ。誰かと思ったら、やっぱりあなたでしたか。休みの日くらい寝かせろと何度言ったらわかってくださるんですか」「司書さんの騒々しさは二日酔いの頭にダイレクトにクるなぁ。すんません店長。ちょっとトイレお借りしますぅ」「ゔぇ〜。昨日は羽目外し過ぎちった。アニモフ化ジュースの飲み過ぎでぎもちわりー。早く出てよジークさん。次おれ行くから」「どうでもいいがおまえたち、洗面所以外で吐くなよ」「ちょっとちょっとちょっと、何なの、この男くさい有様は」「……話せば長いことながら、先日、インヤンガイに鳥系ロストナンバーが転移してその保護に私たち3名が(以下1万字省略)非常に血なまぐさいハードな案件でしたので、帰還後、ここで慰労会を執り行いましたところ、日頃のストレスと相まってなしくずしにこの状態に」 この店は、ラファエルの自宅も兼ねている。ここに住んでいるのはラファエルのみで、他の店員たちは、専用の寮で集団生活を行っているため、ジークフリートとシオンが泊まるのは、珍しいことではある。「なーんだ。モリーオさんが来てないのなら帰ろっと」 司書はくるっと回れ右した。ラファエルは大きく欠伸をする。「どうせヒマなら、帰る前にコーヒーくらい淹れてってくれませんか?」「あー、そうしてください。俺たち、司書さんにはいつも尽くしてるんですから」「姉さーん。おれにもコーヒーいれてぇ〜」「うわ図々しい。何この男たち。たまーに引き止めてくれたと思ったらこれかい」 司書は思い切りムッとした。「なんであたしが、夫でも婚約者でも愛人でもない男どもにそんなサービスしなきゃなんないのっ。あたしにコーヒー淹れてほしかったら愛してるって言いなさい!」「今後、店内で鼻血を噴かずお客様にセクハラもなさらずカフェのビール在庫を飲みつくしたりせず、リベルさんのように沈着冷静聡明な世界司書になってくださるのでしたら、友人として愛しましょう」「『新しい羽根ペンをヒルガブさんにプレゼントして好感度を上げたいの〜』とか叫んで俺を壁際に追い詰めて羽根を強引に引っこ抜くような乱暴狼藉を控えてくれたら、親愛の情を持てるかもしれないなぁ」「おれの給料前借り分、まるっと全額肩代わりしてくれるんなら愛してるよー」「そんな過酷な条件つきの愛なんていりませんッ。……まあ、いいわ。あんたたち、ここんとこ忙しそうだったのは事実だし。自慢だけどあたし、コーヒー淹れるの上手いのよ。婚活修業の成果を見るがいいわッ!」 やがて、静まり返ったクリスタル・パレスに、焙煎珈琲の香ばしい匂いが立ちこめる。「……おや。豆を焙煎するところから始めましたか。これは意外ですね」「採れたての野菜同様に、珈琲は焙煎したてが美味しいよな」「へえー。やるじゃん、姉さん」 ふふん! と、司書は、マグカップを手にふんぞりかえる。「ちょっと見直しました。あなたへの好感度が0.000001ポイントほどアップした気がします」「俺は0.005ほど」「おれは0.0067]「上昇率低ッ! ていうか店長、どんだけ難易度高いの?」 * * * そして。「……珈琲のいい匂いがする。あの、今日、お休みですよね……?」 何も知らぬロストナンバーが、店の前で足を止め――「んまぁ〜♪ いらっしゃいませ〜。『無名のカフェ』にようこそ〜ん☆」 強引に、無名の司書製コーヒーをふるまわれることになったのだが……。
Guest.1■ディーナ・ティモネン ― 聖夜を待ちながら ― たとえば、ふわふわの、オムレツ。 たとえば、あたたかな、コーヒー。 たとえば、指折り数えて待ち望む、たのしいお祭りの日。 そういったものに憧れながらも、ずっと無縁だった。 ターミナルに来てからは少しずつ少しずつ、笑えるようになってきたけれど。 その日、ディーナ・ティモネンが、枕サイズの大きなシュトーレンと、とっておきのグリューワインを一瓶抱えていたのは、もうすぐ訪れる『クリスマス』という行事を待つ楽しみを、自分も体感してみたいと思ったからだった。 ドライフルーツとマジパンが入り、ラム酒の風味を利かせた、日持ちのするどっしりしたイースト菓子。壱番世界のドイツでの正式名称はChrist stollen(クリストシュトレン)というのだと、パン屋を営んでいるロストナンバーが教えてくれた。 シュトーレンを、毎日毎日、少しずつ切って食べながら、近づいてくるクリスマスを待つ。 建国祭以外の祭事を知らぬディーナにとって、それは初めて迎える『たのしいお祭り』の日―― (あれ……?) クリスタル・パレスの前を通り過ぎようとして、ディーナは足を止める。 これでもか、というくらい、でかでかと本日休業の表示がなされているにも関わらず、にぎやかな話し声が漏れ聞こえてきたのだ。 (お祭りの準備、してるのかな……?) 扉をわずかに開け、隙間から、そっと店内を覗き込む。 顔なじみの無名の司書とシオン、そしてラファエルとジークフリートが、ずいぶんとラフな様相で仲良く談笑していた(註:ディーナさんにはそう見えたようですが、実際は、地獄味のコーヒーを飲まされたジークフリートがコーヒーの霧を店長とシオンの顔にぶふぁっと盛大に噴いたりしてた)。どうも、イベント準備を行っているわけではなさそうだ。 店長も鳥店員もパジャマすがたであるところを見ると、仲間内のホームパーティだろうか? (すごく楽しそうなんだけど……。もしかして、関係者だけのパーティの最中、なのかな? まざりたいって言ったら……迷惑、かなぁ? シオンくんとむめっちさんなら、入れてくれるかな?) なかなかふんぎりがつかず、ディーナはそのまま、店内を伺っていた。 すると。 「む。美女の熱い視線を感じる!」 その気配に、真っ先にジークフリートが気づいた。 「あの、通りすがり、なんだけど……。休業中、なんだよね?」 「貴女がいらしてくださるなら、年中無休の24時間営業にてお迎えいたします! あいにく本日は、このような気を抜いた有様で、たいしたおもてなしもできませんが。……店長、シオン。コーヒーまみれの顔をなんとかしてください、ディーナさんの前でみっともない。さあどうぞ、中へ」 手を取らんばかりにして、ディーナを招き入れる。 自分が噴いたくせに、と、ぼやくラファエルとシオンの顔を、無名の司書が「そーね、レディの前で失礼よ」と、窓際に干してあったふきんでごしごしと拭く。 「ちょ、無名の姉さん。拭いてくれるのはいいけど、せめてタオルで!」 「……洗濯済だから特に問題はないぞ、シオン」 「なんで休業日だとそんなゆるいの、てんちょー!」 「んまあディーナたん。ようこそ〜ん。もーね、むさくるしい男ばっかでどうしようと思ってたとこだったのよ。さささ、あたしの隣にプリーズ。今、コーヒー淹れるね」 椅子を勧められ、ようやくディーナはおずおずと腰掛ける。 「まぜてもらってもいい、かな……? 食べ物とお酒、持ってるし」 「ディーナ姉さん、いつもとキャラ違わない? 何かはかなげってーか、守ってあげたいっつーか」 「……そう? 仕事じゃない時は、大体こんな感じ、だよ? スイッチが入ってないから、かも」 「……スイッチか……。深いなぁ」 腕組みをするシオンをよそに、ディーナはシュトーレンとワインをテーブルに置き、ナイフを取り出した。 人数分を切り分けて、配る。 「おっ、シュトーレンじゃん。ありがとな」 「クリスマスを迎える準備としてご用意されたのでは? 私どものために、申し訳ありません」 「お祭り、詳しくないから……、試してみようかなって、買ったの。……たくさん、あるから、大丈夫」 「ディーナさんのお裾分け! ありがたくいただきます」 ジークフリートがさっそく手を伸ばす。 「オレンジピールとレモンピールとドライイチジクが入っているんですね。これは美味しい。二日酔いも飛んでいきそうです」 上機嫌で食べ始めたジークフリートに、ディーナはキラキラ目を輝かせた。 「……二日酔い? 知ってる。迎え酒すると、治るんだよね?」 ワインの栓を抜こうとしたディーナを、ラファエルが慌てて止めた。 「あ、あの、お気持ちだけで。そのように上等なグリューワインはクリスマスまで大事になさり、暖めてお飲みになるのがよろしいかと」 「そう、かな……?」 ちょっと残念そうに、ディーナはワイン瓶を戻した。 「お待たせー!」 湯気の立つマグカップが、ディーナの前に置かれる。 「……わあ……。あったかい」 目を細め、ディーナはカップを手に取る。 そして、ひとくち。 「mんxkdcわsjやdsなdmd※お………」 泣きそうな顔になったディーナに、シオンは何やら壮大な決心をして大きく頷くと、 「……わかった。ディーナ姉さんはおれが守る!」 極上コーヒーが入っている自分のマグカップと交換した。 「あ……、こっちは、凄く美味しいかも……」 ディーナは笑顔を見せ、一同は胸を撫で下ろす。 地獄味コーヒーを飲み干す羽目になったシオンがテーブルに突っ伏しているが無問題。 「シュトーレンのお礼に、何かお作りしましょうね」 ラファエルが席を立ち、厨房へ向かった。 すぐに、白い平皿に出来立てのオムレツを乗せ、戻ってくる。 思いがけない料理に、ディーナは一瞬、目を見開く。 「休日のことで、簡単なものしかできないのですが」 すまなそうに言うラファエルに、首を横に振り―― 「ううん、違うの。……ありがと」 いともしあわせそうに、やわらかく微笑んだ。 「ふふっ。ちょっと、ね。私、珈琲と、フワフワタマゴのオムレツに憧れてたの。あったかいって、極上の幸せだよね……」 Guest.2■フェリシア ― スイートな酩酊 ― ディーナを送り出してほどなく。 ひょっこりと顔を見せたフェリシアを店内に招き入れ、彼女持参の手作りチョコクッキーを、シオンとジークと無名の司書が奪い合うようにして食べたまでは良かった。 クッキーの味はそこそこで発展途上気味だったが、なんたって美少女の手作りである。文句を言ったらディラックの空の彼方に飛ばされても文句は言えまい。一同、美味しくいただいた。 ……問題は。 当然ながらというか、司書が淹れた地獄味コーヒーにあった。 超絶猛烈激烈な出来映えだったにも関わらず、香りだけは美味しそうだったものだから、何も知らないフェリシアたんは一気に飲み干しちゃったんである。 「フェリシアさま、しっかり!」 「おおい、大丈夫かフェリシア」 「なんて事だ、貴女のような美少女とお知り合いになれたばかりだというのに」 のけぞるように椅子にくずおれたフェリシアを、ラファエルとシオンとジークが、必死に介抱する。 無名の司書はといえば、 「……フェリシアたんたら……。失神するほど美味しいなんて、おねーさん照れちゃう〜」 まったく問題に気づいていない。 皆の呼びかけに、フェリシアはようやく目を覚ました。 「筆舌に尽くしがたい過激な味でした。第三の目が開くかと思いましたっっっ!!!!!」 握りこぶしに力を込めて言う。 「そうでしょうとも。無名の司書さんを訴えてもかまわないのですよ?」 「えっ、普通の女の子に第三の目が開くほどの味ってちょっと興味ある」 「フェリシアさんにもしものことがあったら、たとえチャイ=ブレが許しても俺が許さない!」 「あ、お目覚めね。新しいコーヒー淹れたから〜」 やっと回復したフェリシアをまたも倒れさせてはならじと、司書の手のマグカップをジークは奪い取って味見をする。 残念ながら(?)今度は非常に美味しいコーヒーであった。 そして、もうひとつの問題が。 第三の目は開かなかったものの、フェリシアたんの過去の恥ずかしい記憶が、蘇ってしまったのである。 それは……。 花の14歳のフェリシアたんには、学校で、ちょっとカッコいいな〜と思っていた男の子がいたのだが。 その彼から! ある日! 屋上に呼び出され! ラブレターを渡されたんである! 舞い上がったフェリシアたん、ときめきとガッツポーズを必死に押し隠しつつ、小一時間めいっぱいツンしまくった。 んで、その後、頃やよしと乙女全開でデレた。 見事な王道展開だが、しかーし。 彼は、舞い上がる彼女を気まずそうに見つめ、ひとこと、こういったのだ。 「アンジェラに渡してくれ」 アンジェラたんとは、フェリシアたんのお友達で、学校中の美少年をちぎっては投げちぎっては投げしている、もってもての小悪魔美少女である。真面目なフェリシアたんとは正反対のタイプだ。 これはこれで、ある意味お約束展開。漂う空気の気まずさったらない。 しかしフェリシアたんは「紛らわしいことすんじゃねーよボケ!」とか「ラブレターくらいてめぇで渡しやがれ腰抜けめが!」とは言わない、委員長タイプ。 「あ、ごめん、よく聞こえなかった。じゃ、私、用事があるから」 必死に取り繕って、虚勢を張りつつ立ち去ろうとしたところ。 足を滑らせて階段を転がり落ちゴミ箱に片足を突っ込んでずざざざざーと立てかけてあったホワイトボードに倒れ込みボードに乗っかった態勢で廊下を十数メートルほどスピンしながら猛スピードでスライディングし最後は消火器にぶつかり辺りをしゅわわわわ〜んと白く染め上げ――ようやく停止した。 闇から闇に葬り去りたい恥をかいた直後に、それを上回る黒歴史的大恥をかいたフェリシアたん。 その偉業は瞬く間に学校中に広まり、伝説となった。 忘れたくても、もう、みんなは忘れてくれない。未来永劫、語り継がれるだろう。 おまけにその日、家に帰ると、ボロボロの服と擦り傷だらけの娘を見た父親が何かもんのすっごい誤解をして真っ青を通り越して真っ白になってエクトプラズムが見えちゃったため、パパンを生還させるために、後半部分の黒歴史を説明する羽目になったのだった。 うきゃ〜〜〜っ、と、真っ赤になりながら、でも思い出してしまったものは仕方がないと、フェリシアたんは、今度は極上コーヒーを飲みながらクッキーをぽりぽりかじり、語り始める。 「あー、れもですね〜、ラウレターのことはいってないんれすよ〜。らって、お父さんが聞いたら彼の命があぶらいんれすもん〜」 「……フェリシアさま、まだ体調がお戻りではないのでは?」 まるで酩酊しているかのように呂律が回らなくなったフェリシアを、ラファエルは気遣った。 が、ジークは、ちっちっと、人差し指を横に振る。 「修業が足りませんね、店長。少女というのは、お菓子とコーヒーで酔っぱらえるものなんですよ」 「えー? あたし、コーヒーじゃ酔えなーい」 「……司書さん。あなたは少女じゃないでしょう」 「それはともかく、フェリシアさんに気まずい思いをさせるなんて、父上ならずともその彼は許せませんね。俺、機会があったらいつか決闘しますよ?」 「おれはフェリシアのお父さんに同情するなぁ。説明聞いてもショックだったろうなぁ」 そしてゆるゆると、乙女の恋バナ(……えっ?)は続く。 Guest.3■ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノ ― ヴェネツィア郷愁 ― 今日、クリスタル・パレスが休業日だとは、知らなかった。 ジュリエッタ・凛・アヴェルリーノが店を訪れたのは、夏の終わり、無人島の盆踊りに出向いたときに、一緒に踊った、ミシェル・ラ・ブリュイエールの様子を見るためである。 あのときはまだターミナルに馴染めず、カフェの店員にもなり切れず、慣れない司会に疲れているようだった。だからジュリエッタは息抜きにと、シオンに話を通し、彼を踊りの輪に誘ったのだった。 ずっと後方で店長から教育を受けていると言っていたミシェルだったが、風のうわさによれば、その後、ギャルソンとしてフロアデビューをしたらしい。ならば、今後の彼のためにささやかな激励をしようかとも思ったのだったが。 (仕方がないのう、出直すとするか) 休業日の貼り紙を確認して、きびすを返した、そのとき。 「あっれ? そこにいるの、ジュリエッタたん? こんにちは〜」 店の扉が開き、黒ずくめの司書が顔を出す。同時に、淹れたてと思われる焙煎珈琲の匂いも流れてきた。 「今日は、休みではないのか?」 「それがねー、お店は休業日なんだけどねー。ぐっだぐだな男どもが、コーヒー淹れてって泣いて頼むもんだから。そうだ、ジュリエッタたんも飲んでいけば?」 「……そうじゃな、急ぐ用事ではないし……。せっかくじゃし、ごちそうになろうかの」 「やったー! 入って入って。さっき、フェリシアたんが帰っちゃって寂しかったの。今日は綺麗な女の子が次々に来てくれてうれしいわ〜」 そしてジュリエッタもまた、そうとは知らず、天国か地獄かの二択をすることになり……。 地 獄 フ ラ グ を 立 て て し ま っ た 。 「んhfうぇfmdkっ地獄lcっjんdもう駄目じゃーーーー!!!!」 ひとくち飲んだ瞬間、壮大な7つのラッパが脳内に鳴り響いた。小羊が解く7つの封印のうち、最後の7つ目が解かれたらしい。それだと地獄っつーより黙示録的展開なわけですが、こまけぇことを気にしてはいけない。 身体を二つ折りにしてしばらくげほげほと咳き込んでから、ようやく、ジュリエッタは身を起こす。 そして、きりりとトラベルギアを構える。 イタリア名家出身の美少女の瞳に宿るのは――世界を琥珀の地獄に沈めんとする魔のコーヒへの最後の審判! 「コーヒーなど、この世から滅びるが良い!」 「あ、あの、ジュリエッタたん……。落ち着いて……」 しゃきーんと振り上げられた小脇差が、電流を帯びる。 「成敗!」 マグカップに向かって放たれた電撃は、微妙に外れた。 そんでもって、どうなったかとゆーと。 ――無名の司書に、命中したんであった。 「……すまぬのう。そんなつもりではなかったのじゃが……、反射的につい」 痺れて気絶した司書を膝枕で介抱しながら、ジュリエッタは詫びる。 「あはは、気持ちはわかるよ。それに無名の姉さんも、けっこう役得みたいだし」 シオンが笑いながら、口直しだといって、紅茶を淹れてきた。 司書はうわごとのように、「ああ……、ジュリエッタたんの膝枕……。ここは天国なの?」とつぶやいている。 「ミシェルに会いにきたんだって? 寮にいると思うけど、呼ぼうか?」 「それには及ばぬ。少し、盆踊りのことがなつかしくなっただけゆえ」 「ああ。ジュリエッタ、浴衣、似合ってたっけな」 「……浴衣といえば」 ジュリエッタはふと、思い出す。 昔、日本の文化を学ぶため、時代劇を見ていたさい、意味を知らずに面白そうだからと、日本の友人と着物の帯を引っ張って身体をくるくる回す……、そのう……、いわゆる「お代官様ごっこ」をして、祖父にこっぴどく怒られたことを。 「今、こうして話していても恥ずかしい」 ジュリエッタは赤面し、咳払いをする。 「よもや、そんな男女の機微のこととは知らなんだ」 「そっか? そんなに気にすることないと思うぞ。楽しそうじゃん」 「シオンもそんなことが好きそうじゃのう……いや、そなたの場合、なんとなく逆の方がしっくりするような気がするのう?」 「それはどーゆー意味かな〜? じっくり聞かせてもらおうか?」 司書が気絶中なので、ラファエルとジークも、シオンの淹れた紅茶のカップを手に、ふたりの話に耳を傾ける。 尽きぬ話題はいつしか、ヴェネツィアのサンマルコ広場で身柄を確保された、シオンの保護依頼時へと移ったからだ。 千年の水の都ヴェネツィアは、ジュリエッタの故郷だった。 「そうか。あの広場も、鐘楼も、相変わらずかのぅ……。サンマルコ聖堂の、黄金に煌く壁や天井も」 「広場に面したカフェ・フローリアン、いいよな。ちょっと豪華で敷居が高いけど、カフェ・ラテがうまかった」 「あの店がラテの発祥店じゃからの。そういえばそなた、買い食いしていたピッツアはどこの店で求めたのじゃ?」 「んっと、広場からリアルト橋方面に3本延びてる道の、一番右を3分ほどいったとこ」 「おお。あそこのCALZONEは最高なのじゃ。どうせならあの懐かしいピッツアの味も、メニューに加えてくれればありがたいものじゃが」 ヴェネツィアローカルネタは尽きない。 やがて、ラファエルがメモを取り出した。 もちろん、新しいメニューの情報を書き留めるためである。 Guest.4■日和坂綾 ― 綾の(ある意味)一番長い日 ― クリスマスが近づきつつある、とある日のことです。 私こと、武闘派女子高生、日和坂綾は、ヒマに飽かせてターミナルのお散歩をしていました。 べ、べつに、通りがかるつもりはなかったんだけど、ぐ、ぐうぜん、クリスタル・パレスの前を通りがかりました。 そしたら、入口扉が開きました。 顔はよく見えませんでしたが、茶色の髪の小柄な女の子が、ちょうど、帰っていったところでした。 ――扉はまだ、開いています。 「……あれ? ジュリエッタたん、帰っちゃった? ねえ、今、何が起こったの? あたし、寝てた?」 「良かったですね。ジュリエッタさまは、地獄味のコーヒーを飲ませたあなたを訴えないと仰ってくださいました」 「シオン、腕、上げたんじゃないか? 紅茶、美味かった」 「そりゃね。一応、努力してるんで」 (お休みなのに、ドアが開いてる。コーヒーのイイ匂いもしてる。さっきは紅茶がどうとか言ってた……。ハッ、これはもしかして、休日返上で新作開発に勤しむイケメンさんというお約束な姿が拝めちゃうとかっ!) べ、べつに、覗くつもりはなかったんです。 なかったんですが。 つい、好奇心に駆られて近づいたら、中の光景が見えちゃったんです。 ななななななんと!!!!! そこには。 警戒心を解いた貴重な珍獣の如きナマイケメンズがいるではあーりませんか! みんな、パジャマ姿でくつろぎまくってる! 何コレ何コレ、ものすごい破壊力。 ツチノコに遭遇して懐かれるとかそういうレベルだよ。 ……神さま、今日という日をありがとう。 私は矢も楯もたまらず、ドアをばば〜〜〜んと開けました。 「 頼 も ~〜〜 う ! ! ! 」 ★ ★ ★ まるで恋愛映画のワンシーン、結婚式に臨む花嫁をさらいにきた青年のように、クリスタル・パレスの扉は華麗に開け放たれた。 「綾たん……。かっこいい……」 颯爽と登場した武闘派女子高生に、状況がよくわかんねーまま、無名の司書は、目をハート形にした。 「司書さん……! コレも無名の司書さんの人徳!? あ、ありがとう!!!!!」 ぐわしぃぃぃぃ! 綾は全力全開で司書に飛びつき、押し倒す勢いでハグする。 「ぐ……んぐぐぐ……。あ、あやたん……。抱きついてもらってとてもとてもうれしいんだけど、あの、あたし、さっき、骨のどこかがぱきっていったようないわないような……」 「綾さま。わざわざ、ようこそおいでくださいました。このような舞台裏をお見せするのはお恥ずかしい限りですが、お気に止めてくださいまして、うれしく思います。……司書さん、惚けてないでさっさとコーヒーをお入れして。言っときますが、地獄味は厳禁ですよ?」 ラファエルが、綾には丁重に頭を下げ、司書にはぞんざいな指示をする。 「……おのれてんちょー。見てなさいよ、いつか復讐しちゃる〜」 司書は不穏な声音でぼやくと厨房へ行き、マグカップを持って戻ってきた。 「お待たせ。綾たんのために淹れたコーヒーよ〜ん。飲んで飲んで」 「ありがとー! いただきまーす」 (……大丈夫なんでしょうね?) 今までの例があり、いささか心配なラファエルは、綾の口元を見つめる。 ふーふー。こっくん。 「……すっごい、コーヒーおいし~〜」 さいわい、綾が飲んだのは極上味のようだった。ラファエルはほっと胸を撫で下ろす。 「それは良かった」 「うれしいな。美味しいコーヒーも飲めて、寛いでるイケメンさんも見れて」 「私どものオフのすがたなど、あまり面白味はないと思うのですが」 「だって、普段のイケメンさんって、やっぱりキチンと社会人してるじゃないですか~。ソレがこうも無防備になってるトコロが拝めちゃうなんて、ナイトサファリで普段と違う野生動物の様子を見れた時みたいって言うか、人馴れしない野生動物が姿を見せるくらい近づくのを許してくれたっていうか、着ぐるみヒーローの背中のジッパー開けて中のヒトと対面しちゃったというか、そゆ超カンド~なカンジ!?」 「そう思ってくださるのは、綾さまがきちんとした考えをお持ちのお嬢さんだからではないでしょうか」 「おれたちのぐだぐだなむさ苦しいオフが見たいんなら、今度、クリパレの寮に来いよ。こんなもんじゃねぇぞ」 「……シオン、やめなさい、いくらなんでも。綾さまが男性不信になったら誰が責任を取るんだ?」 「責任は是非俺が!」 ジークが、マグカップの上から綾の手を包み込む。 「こうしてお知り合いになれたのも何かのご縁です。オフラインの俺を、もっと知ってほしい。そして、営業日にもどんどんいらしてほしい!」 「あのさ、ジークさん。おれ、そーゆー営業方法ってどうかと思うんだ〜」 「そーよ、ジークさん。何であたしにはそーゆー色恋営業してくれないわけ?」 「俺を壁際に追いつめて羽根を引っこ抜く司書さんに、どんな色恋営業をかけろと!?」 一同がろくでもないトークを繰り広げている間にも、綾はコーヒーを飲み干していた。 空になったマグカップを見て、思う。 (本当なら写メ撮りたいけど……。カメラ向けたら、野生動物って逃げちゃうから……、脳内に焼き付けるだけで我慢する) 「綾たん、おかわりは?」 「ハイ! あと1杯だけっ! お願いします!」 意気揚々と差し出したマグカップに注がれた、2杯目のコーヒー。 しかしながら、コレは。 ………………地獄味だったのだ。 「……ブ バ ッ 」 綾は、昏 倒 し た 。 そんでもって後日。 無名の司書から送られてきたメールの添付画像で、知ることになる。 昏倒した綾を、ラファエル、シオン、ジークフリートの3名が膝を並べた上に寝かせて、介抱したことに。
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