モフトピアの平和なとある村に、小さな女の子が迷い込んできました。 女の子の名前はアリス。長い金髪に青いエプロンドレスを着た、とてもかわいらしく好奇心旺盛な子で、村に住むアニモフたちともすぐに仲良くなりました。 うさぎのような長い耳を持つ、フワフワでまんまるのアニモフたちもアリスのことをすぐに大好きになりました。 小さなアリスは毎日アニモフたちと遊び、カラフルでおいしい木の実を食べ、甘いジュースの流れる川で喉を潤して、夜になると暖かい綿毛のベッドで眠りました。 そんな日が何日も続きましたが、アリスは自分の家族や友達のことを思い出し、だんだん悲しい気分になってきました。 アニモフたちがアリスのためにお菓子とジュースを持ってきても、アリスは落ち込んだまま手を付けようとしません。 アリスは綿毛のベッドでずっと泣いていました。彼女を慰めたくても、アニモフたちにはアリスの話す言葉がわかりません。 悲しむアリスを見ていたアニモフたちも悲しい気持ちになってきて、みんなが泣き出してしまいました。 いつもキラキラ虹のかかっていた青空は雲に覆われ、空まで泣き出してきそうな様子です。 素敵でおいしい木の実が生っていた木も実をつけなくなり、しょんぼりしているようです。甘いジュースが流れていた川も、今ではアリスの流す涙のようにしょっぱい水が少し流れているだけです。「アリスはモフトピアに転移しちゃった覚醒したばっかりのロストナンバーだよ。おうちのことを思い出して、悲しくなっちゃったんだね。それがアニモフの村全体を悲しませているんだと思うの。だから、アリスを保護してきてあげてほしいの」 少女司書、エミリエ・ミイは小さな体に大きな本を抱えながら話す。「アリスは壱番世界とよく似た世界から来た女の子だよ。背格好はエミリエと同じくらいみたい。村に行けばすぐにわかると思うよ。村はうさぎみたいな種族のアニモフ……普通のうさぎよりもひとまわりかふたまわりくらい大きいかな? うさぎみたいなアニモフの村だよ。みんな協力的だから安心してね」 それから、とエミリエが話を続ける。「無理やりアリスを連れてくるとアリスもアリスと仲良くしていたアニモフも悲しいと思うの。だから、なんとかアリスをなだめて保護してあげて。泣きながらまた知らない世界に連れて行かれるなんて、きっとすごく不安だし、辛いことだと思うの。ターミナルに来たアリスが泣いてたら嫌だよ」 エミリエは旅行者たちに念を押すように言った。
エミリエの話を聞いて、アリスという少女を放っておけないと感じた旅人たちは早速モフトピアへと向かった。場所はエミリエから聞いている。ウサギアニモフの住む村だ。 村に着くとなるほど、うさぎを大きくして更に丸っこくしたような愛らしいアニモフたちを見つけることができた。 自身の兎耳をピクピクさせて、少し落ち着かない様子の少女はカサハラ。白いショートヘアから特徴的な耳、すなわち兎耳がぴょこんと伸びている。もちろんそれは飾り物ではない本物の耳だ。 「アリスちゃんの所に案内してくれないかな? 泣いてるって聞いて心配だから」 心配という言葉を口にはしているが、楽天的な雰囲気を漂わせながらアニモフに話を聞いている青年はベルファルド・ロックテイラー。 ウサギアニモフは大きな目からビー玉のような涙をこぼして、旅人たちをアリスのいる家へと案内した。自身も不思議の国からやってきたような風貌の日奈香美 有栖は、今にももらい泣きしてしまいそうな顔をしていた。エミリエの説明を聞いたときから、自分と同じ名前の少女を放っておけない、いたたまれない気持ちになっていた。 一緒にやってきた有栖の友人である虎部 隆はアリスの悲しみですっかりしおれてしまった木の実を口にし、その渋さに閉口した。 「モフトピアにあるまじき事態だぜ……」 後ろに撫で付けた黒髪をわしゃわしゃとかきむしる隆。不幸のおすそ分けか悪戯か、ベルファルドにも木の実を食べてみるよう投げてやったが、なぜかベルファルドの食べた実は甘くてジューシーだった。 「な、なんでだよ?」 「ボクの幸運はモフトピアでも生きてるんだよね~」 ベルファルドが食べかけの木の実を隆に投げ返してやった。このわずかに残った木の実が、アリスの心の光が完全に失われていないことを表しているのかもしれない。 「迷子の迷子のアリスちゃん~、あなたは一体どこですか~、っと」 案内された家の扉を、隆が歌を口ずさみながらそっと開けた。 中はまるで童話の中に出てくるお菓子の家のようで、奥にあるモフッとした綿毛のベッドにアリスらしき少女がもぐりこんでいるのが見えた。 「迷子のアリスちゃんはどこかな~? あ、有栖のことじゃないよ?」 「わかってます!」 隆のジョークに有栖はぷいとそっぽを向く。 「アリスちゃん」 有栖は隆をよいしょと押しのけて、綿毛に近づいた。アリスの青いドレス。金色の髪。有栖によく似た少女だった。 「お姉ちゃん、誰?」 モフトピアに転移してから初めて見た、自分と同じような人間の姿を見てアリスはベッドから起き上がった。警戒心よりも、好奇心が勝っているらしい。 「こんにちは。えっと、私もアリスちゃんとおんなじ『ありす』ってお名前なの、よろしくね」 有栖が微笑むと、アリスはきょとんとして、それからエプロンのすそで顔をぬぐった。 「お姉ちゃん、私と同じ名前なの?」 服装だけでなく名前も同じことに、幼いアリスは驚いているようだった。 「私をお母さんとお父さんのところに帰してくれるの?」 奇跡のような出会いが、さらなる奇跡を期待させる。しかし、それは無理な話だ。有栖もふと悲しげに視線を落とす。 「アリスちゃん、外でお話しようか」 見かねたようにベルファルドがアリスの手を取り、綿毛のベッドから降りるのを手伝ってやった。 相手が幼い子供とはいえ、ロストナンバーとなったからにはこれからどうするべきなのか、これからどうなるのかを知らなければならない。 「アリスちゃん、はじめまして。僕はベルファルド。……そのままで聞いて」 アリスは隆の膝の上にちょこんと座って、ベルファルドと対面していた。 「なんとなくは気づいてると思うけど、ここは君が暮らしてきた世界とは違う場所なんだ。……そしてパパとママの所には……今すぐ帰ることはできない」 ベルファルドの思わぬ言葉に、アリスは驚きを隠せなかった。いや、驚きを隠すこともなかった。彼女は子供なのだ。 「そして何もしなければ二人とも君のことを忘れてしまう。……理由はうまく説明できないけど」 「私のことを忘れる? どうして? もう帰れないの?」 アリスは身を乗り出してベルファルドを質問攻めにした。アリスの目に涙がたまり、ぽろぽろと零れ落ちる。周りに集まったアニモフたちも泣き始めて、花はみるみるうちにしおれてしまった。 「でも、がんばればきっとパパとママに会える! 僕が保障する」 ベルファルドが元気付けようとするが、アリスにはあまりにも理解できない話だったようだ。この状況を理解できるように説明することほど難しいことはない。覚醒してまったく知らない世界に転移して、自分のいた世界を見失ってしまうなんて。 混乱と悲しみがアリスを包み、空からしとしとと雨まで降り始めてしまった。 「僕を信じて。このまま君を放っておくことはできないんだ。……たのむよ」 ベルファルドはアリスの手をやさしく握って言い聞かせた。 有栖はトラベルギアである日傘を広げ、アリスが雨で濡れないようにしてやった。 「泣いてるだけじゃ何も変わらない。だから何かやってみよう。それでもどうにもならない時は僕だっている」 ベルファルドがアリスを優しく抱きしめる。細身の体からにじみ出るような優しさ、朗らかさがアリスを包む。 「俺だってついてるぞ?」 アリスを膝の上に乗せた隆は、アリスの小さな頭をなでてやった。 「私たちは、『ロストレイル』っていう列車に乗ってきたの。それに乗ればあなたの願いが叶うかもしれない。それは、ここで涙を流しているよりもずっと前向きなことだと思うの」 カサハラもアリスと目線を合わせるようにしゃがんで話しかけた。 4人の優しさが、アリスを中心に広がる。それはしおれた花を起き上がらせ、色を失った大地に絵の具を落としたような色彩を与えて広がっていく。不思議の国の、魔法のように。 「列車に乗って、どこに行くの?」 アリスが顔を上げてそこにいる全員に尋ねた。 「私たちがいる世界よ。アリスちゃんみたいに迷子になってしまった人がたくさんいるの。アリスちゃんみたいな子もいるから少しも寂しくないのよ」 アリスを鏡に映したような有栖が日傘をかざしたままアリスに言った。そうだ、0世界には小さな子供もいる。 「お姉ちゃんのアリスもそこにいるの?」 「そうよ、私たち、みんなそこからアリスちゃんを迎えに来たの」 お姉ちゃんのアリス、というのは有栖のことを言っているらしい。 「そう。だからあなたはロストレイルに乗って、自分のいるべき場所を探しに行くの」 「私の、いるべき場所?」 アリスがカサハラの話を聞いているうちに、雨は上がっていた。 「実はお兄ちゃん達も迷子だったんだ。でも図書館ってとこが帰り方を探してくれるんだってさ。泣かないで行こう?」 隆も言う。そうだ、ここにいるみんなは迷子。アリスと同じ。そして希望は図書館にある。 「勿論このままじゃ吹っ切れないわよね。悲しい顔のままでお別れなんて、ひどいこと。だから大お別れ会をやればいいと思うの!」 カサハラは立ち上がり、アリスの手を取った。アリスは隆の膝からぴょこんと飛び上がる。 雨が上がった後には虹が出る。 アリスの大お別れ会。 大きなマカロンでイス取りゲーム。アニモフも参加して、みんなで子供のように大騒ぎ。 綿菓子の雲で宝探し。中にはカサハラの『かわいいもの箱』に詰め込まれたかわいらしい動物の形をした消しゴムが隠されている。大好きなウサギの消しゴムを見つけたアリスは大喜び。アニモフたちも見たことのない宝物に目を輝かせた。 飴細工のほうきにまたがってリレー。ほうきはフワフワ飛び回る。大きなぐるぐるキャンディーでできた旗をぐるりと回ってくればゴールだ。 ガムを伸ばして大縄跳び。ベルファルドと隆が両端を持って回すと、カラフルなガムの縄跳びにアニモフやアリス、カサハラも有栖も入ってみんなでジャンプ。足が引っかかってもへっちゃら、ガムはしなやかに伸びてまた回転を始める。 運動会でおなかがすいたらお菓子を作ってティーパーティー。 有栖が用意してきた料理用のボールやめん棒、それにみんなで集めたモフトピアの果物やお菓子。アリスが笑顔をとりもどしたおかげで渋くなってしまった木の実も甘くてジューシーな元の姿をとりもどしていた。 「ね、アリスちゃん、私と一緒にお菓子を作ろ? 大丈夫、難しくないよ、私が教えてあげるから」 料理の腕ならプロ級の有栖が、アリスを導いて様々なお菓子を作る。ケーキ、タルト、フルーツポンチ。モフトピアの果物を使ったとろけるような甘さのお菓子が次々に出来上がっていく。それはまるで魔法のよう。 アニモフたちも今まで食べたことのないお菓子を口にして、モフモフと大喜び。なぜか負けじと隆も倒れるほどお菓子を食べた。それを見てアリスが大笑い。 「夢のような世界。でも、夢はいつか醒めてしまうもの。最後は笑顔でバイバイよ」 カサハラに促されて、アリスは友達になったアニモフたちにお別れの挨拶をした。言葉は通じなくても、ぎゅっと抱きしめるだけで気持ちが伝わる。それは澄んだ心をもった者にだけ許された魔法。 アリスは隆に肩車をしてもらい、ロストレイルに乗り込んだ。 「きっと素敵な友達に出会えるさ」 ベルファルドが何度も投げては手のひらに納めるサイコロは、常に6の目。不思議な魔法だとアリスは思った。 「私、もう、素敵なお友達ができたよ」 アリスが答える。 「おなかパンパンのお兄ちゃん、魔法使いのサイコロのお兄ちゃん、ウサギのお耳のお姉ちゃん、お姉ちゃんのアリス」 今日であったみんなが、アリスの新しい友達。 ロストレイルの中でカサハラの持つ大きな毛玉を抱きしめるようにして、アリスはスヤスヤと眠っていた。 目が覚めたらきっと、そこはまた魔法の世界。 新しい仲間の待つ、新しい冒険の出発点、0世界。
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