黒猫にゃんこ――現在は黒い着物服の女性「海猫」の姿で説明した。「あなたたちに世界計の欠片の回収の任にあたってほしいの。向かう場所は……「時計を抱く破滅の『イゾルテ』という世界よ。そうね、その世界はインヤンガイのようにモラルが低いから危険が多くて、文明のレベルでは近未来のようにロボットのいる、科学がかなり発展しているところなの。ここについては私よりも詳しい人がいるから彼に協力を依頼したの」 海猫の声に部屋の隅で黙っていた水薙・S・コウは渋面でロストナンバーたちを睨んだ。「この世界、彼の出身世界らしいの」 えっ! ロストナンバーたちが驚くなか水薙は肩を竦めた。 旅団から世界図書館に登録した水薙だが、自分の出身世界や覚醒についてはほとんど口にしないため、謎に包まれていた。「そうらしいな。だから今回は俺が案内役として同行する。知らずに行ったらろくでもないからな」「ふふ。お願いね? そして今回の回収だけど、敵はとても強い獣で、六時の場所にいるらしいわ……会話はほぼ不可能だから戦闘になると覚悟してね? じゃあ、水薙さん、よろしく」 海猫が差し出すチケットを水薙は忌まわしげに睨みつけた。★ ★ ★ ロイトレイルに乗り込むと水薙は重々しく今回の仲間を見て口を開いた。「イゾルテは時計であり、女神だ」 その世界でイゾルテとは女神の名であり、最高の女という意味がある。 世界は時計そのものだ。一~十二の数字と中央には世界石があり、長い針と短い針があるが、今は長い針が欠け落ち、短い針は十二時を指したまま停止している。それぞれ一~十二時はコミュニティが分かれて独立しているが、数字によって階級が明白に分かれているという。そんな作りのせいか、ずいぶん昔に政府は廃退し、現在はマフィア、一部の有力者がそれぞれの住むコミュティを支配している状況だ。 十二時は神の領域として誰も入る事が出来ない。いや、あるときを境にいけなくなったという。そのため、一時コミティが最も裕福でビルや人が大勢いるが、最低レベルである六時のコミュニティは廃屋が並び、人は上の階から落ちてくる残飯を漁るほどに貧しい。それぞれのコミュニティへの行き来は数字順にコミュニティをつなぐロープから浮遊舟で移動するしかない。「問題は、時計が壊れたということは、この世界を作った破滅の女神、イゾルテが壊れたということだ」 女神イゾルテは壊れ、十二時の階を閉ざしてしまった。 そのためイゾルテの世界の男たちは女神をこの手で直すという目的のため争いあっている。「争っているのは、俺の記憶が正しければ九時に存在するマフィア組織「アビゲイル」、二時に存在するイゾルテ教を崇拝している宗教集団「サルド」……あと、イゾルテの破壊から六時の地に現れだしたフリークスだ。こいつらは人だったものが化け物になったなれの果てだ」「けど、女神を直すって、どうやって?」「イゾルテが閉ざされたときから、特定の男たちに夢で女神がお告げするのさ。イゾルテの欠片……それを集めて、理想の心を作り、十二時の扉を開けろってな。だから男どもはその欠片を探してる」★ ★ ★ ロストレイルがついたのは、九時のコミュニティだった。 ビルが立ち並び、煉瓦つくりの道……一見すると壱番世界のロンドンやヨーロッパのよう雰囲気が漂う。 物珍しさにまわりを見ていたロストナンバーたちは突然の激しい銃撃の音にびくりと震え上がった。「行ってみよう!」 もしかしたら欠片を持つなにかが暴れているのかと不安を抱いて駆けつけた大通りでは、数人の男が血を流して倒れていた。その前には別の武装したスーツ姿の男たちが立っていた。マフィア同士の交戦があったらしいと遅まきに理解する。「これは」 ロストナンバーの一人は倒れている男たちを見てぎょっとした。 肉体には血肉がある。しかし、その左胸には心臓ではなく、時計が埋め込まれていたのだ。 靴音を響かせて銀髪にほっそりとした初老の男が倒れている男たちに近づくと、手に持つ杖でその左胸の時計を突き刺して破壊すると投げ捨てる。それを背後にいた男たちが袋にとって回収する。 それらの行動にロストナンバーたちは声もなく立ち尽くしていると、初老の男性はようやく気が付いたように微笑んだ。「おや、これは珍しいお客様だ! ずいぶんと過激なシーンを見せてしまったな。……それに、まさか、息子にも会えるとは! 久しぶりだな。水薙」「ギルガ」 水薙が目を眇めた。「こいつは、このコミュニティを支配している、マフィア「アビゲイル」のボスであるギルガだ。てめぇとの縁は切った。息子なんて反吐の出る言い方するな」「ははは! つれないことを言う子だ。はじめまして、諸君、歓迎しよう。私の屋敷に来るといい。部下たちに後始末をさせよう。時計をすべて破壊後、体はいつものように六時に落とせ」 ギルガに案内され、車で大きな屋敷に案内されたロストナンバーたちは今までのいきさつを話すと協力を申し出た。「ここの世界でなにするときは、私を頼ってくれてかまわない。君たちとはいい関係を作りたい」 そのとき甲高い電話の音がしてギルガの部下があわてて駆けてきた。「諸君、君たちの言う敵が現れたようだ。先ほど六時に降りた部下が、フリークスと遭遇し、戦闘になったがすべて左胸の時計も破壊された。敵はいくら攻撃しても恐ろしい勢いで回復し、四本足で雷を操る……もしかしたら改良型能力者が暴走した結果とも考えられるが、止めて行ってほしい。ああ、気を付けてほしいことがある。フリークスの左胸にはイゾルテの欠片が必ずはいっている。それを回収してきてほしい。ただし決して直接触れないように、触れたら君たちが食われてしまうからね、彼女の心に」
ギルガの説明にジューンはこの場の誰よりも迅速に行動した。 「本件を特記事項β5-11、テロリストからの人員保護に該当すると認定。リミッターオフ、テロリストに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA7、保安部提出記録収集開始」 ピンク色の髪にメイド服の可愛らしい外見にそぐわぬ淡々とした口調のあと僅かな小さな機械音を漏らしながらジューンはシステムを切り替える。 「申し訳ありません、ギルガ様。1度貴方のお屋敷で生体サーチを起動させていただいて宜しいでしょうか? 心臓の代わりに時計が入っている方々の正常な状態を記録し、今後の医療活動や戦闘時の参考にするためにもぜひ協力をお願いします」 「許可しよう」 ギルガの寛容な返事にジューンは頭をさげて礼をすると、サーチを開始と同時にこの一件に対するシステム検索結果から考えうる最善の作戦を口にする。 「イゾルテの欠片が女性にもあるならば、私が囮になることが可能です」 「ゼロもなれるのですー」 「桜妹も、です」 ジューンの囮作戦に全身が白で統一されているシーアールシー ゼロとチャイナ服の桜妹も声をあげた。 「ゼロは大きくなれるのです。目立つのです」 「桜妹も、護身術の心得はあります」 「うむぅ。しかし、うら若き娘たちが囮とはのぅ」 重々しい鎧に斧を背負った重戦士のギルバルド・ガイアグランデ・アーデルハイドはドワーフ族らしい見事な顎鬚を撫でて険しい顔で唸った。 「ギルバルド様はこのメンバーのなかで一番戦闘力が秀でています、囮になられるより、戦闘をお願いします。ゼロ様、桜妹様、私はロボットです、お二人のように怪我をすることはありません。お二人の安全を考慮した上でも私が最適かと」 とジューンの説明にギルガが片手をあげた。 「よほど注意しなくては君には囮は無理だろう」 ジューンのピンク色の瞳が見開かれる。 「フリークスは嗅覚がいい上、機械を嫌う。それに女では特に相手にしない可能性が高い」 その言葉にこの場にいるロストナンバーたちの不思議がる態度を見てギルガは嘆かわしげにため息をつくと四人と一緒にソファに腰かけていた水薙を睨みつけた。 「なにも説明しなかったのか? 随分不親切だな。水薙」 「説明するつもりだったさ、その前にあんたに会っちまったんだ」 水薙が渋面を作って言い返した。 「どういうことなのです? もしかしてフリークスが襲うのにはなにか条件があるのです? んっと、たとえばイゾルテさんの夢を見ないとだめなのです?」 ゼロが大きな瞳をぱちぱちさせて問う。 「いいや。そもそも、この世界に女性はいない。正確には、イゾルテがすべての女を消してしまったんだ」 ギルガは足を組み、幼い子どものいたずらを叱咤する父親のように苦笑いを零した。 「私たちは時間が喪失しているので子を残す必要はないから困ることはない。しかし、寂しくてたまらない男たちは人形の女を慰みものにする。君たちがここで女を見たとしたら、それはすべて人形だ。水薙は最高の人形職人で素晴らしい女を多く作ったものだが」 ギルガは水薙を騙るとき、猫が鼠をいたぶるような愉快げな顔をするのに、水薙の顔は苦々しい顔で沈黙を守った。 ギルガはすぐに真顔になって四人を見る。 「イゾルテはそういう女だ。自分を愛させるのに不要なものはなんでも捨てる」 この世界ではコミュニティからの別のコミュニティへと移動するには浮遊舟を使用する以外の方法はない。 ギルガの部下に案内されたコミュニティの端は、いきなり大地が途切れて崖となっていた。 深淵の底のような暗闇に白いロープに鉄の乗り物―-壱番世界でいうロープウェイに似た舟があった。舟のロープの先がどこに繋がっているのか、いくら目を細めても暗闇しか見ることは出来ない。 「真っ暗なのです」 「落ちたらことだな」 端っこで目を細めるゼロが落ちないようにとしっかりと肩を掴んで懐に引き寄せたギルバルドは慄いた声を漏らした。 「この底になにがあるのかは誰も知りません。落ちた者が生きて帰った例はないので、十分お気を付けください」 別の声に四人が顔をあげると、舟から青衣服に帽子を被った中年の車掌が降りて恭しく頭をさげるとなかへと招く。 四人は互いに顔を見合わせた。 「よし、わしが行こう! がははは! わしが乗って落ちなければおまえたちが乗っても大丈夫じゃ!」 一番手になったギルバルドであるが、内心は滝のような冷や汗をかいていた。 ぎしぎしと揺れる舟に乗ったギルバルドはなんとも落ち着かない顔で、ソファに腰を下ろした。 「行くのです」 とゼロ。そのあとに恐る恐る桜妹も続く。 「私は、見た目よりもずっと重いのですが」 ジューンが懸念を示した。 「ご安心を。私は、重力能力者です。お客様を誰一人落としたりはしません」 「重力、能力者?」 「はい。この船はどんな重いものを乗せたとしても沈むことはありません。早くお乗りください」 その言葉を信じてジューンは舟に足を踏み入れた。見た目に反してかなりの重みのあるジューンが乗っても、舟は小さな軋み音をたてただけだった。 怖がりで泣き虫の桜妹はすでに半泣き顔状態で、ギルバルドの横に座らせてもらい、小朋を両手にぎゅうと抱きしめる。もしものとき、小朋が飛んで助けてくれる、かもしれない。 舟は、木と鉄を組み合わせて出来ており、一番奥に六人ほどが座ることのできるソファ、あとは一人掛けの椅子が窓際に並んでいるばかりだ。 窓があるのにゼロは近づいて深淵を覗き込む。 「不思議なのですー」 がた、がたがたと静かな振動とともに舟が動き出した。 ゼロは、ずっと窓から外を見ていた。 右手側は暗闇だけだが、乗り込んだ入り口のある内側に目を向けると、白いラインが見えた。不思議に思ったゼロが観察を続けると、九時から八時に移動してその白いラインがなんなのかを理解した。 時計の端をこの船は移動しているのだ。白いラインは時計の端―-言わば途切れた大地の部分。八時のコミュニティが近づくといくつもの建物、人の姿を窓から見る事が出来た。驚いたことにこの世界の人々は端のぎりぎりで、まるで蜂の巣のように建物を作って生活しているのだ。 ゼロは不思議そうにその景色を見つめながらもまどろむ。 「ゼロさま、こんななかで眠っているの、ですか?」 桜妹が尋ねる。ずっと闇と揺れにびくびくして泣き出さないのが自分でも不思議なくらいだ。そんな桜妹を気遣ってギルバルドはその背中をぽんぽんと叩いて落ちつけてやっていた。 「ゼロはまどろんでいるのです。こうして、少しでもイゾルテさんに近づのです」 「本当に不思議な世界ですね」 ジューンはゼロとは別に、そのピンク色の瞳で世界を観察していた。 がだっ。 大きな揺れに、桜妹は声を漏らした。 「ひゃあ!」 ぎゅっとギルバルドにしがみつく。 「なんじゃ! とうとう落ちるのかっ!」 思わず斧を握りしめてギルバルドが声を荒らげたのにゼロがまどろんだまま答えた。 「ちがいのです」 「むぅ?」 「え?」 「目的地についたようです」 とジューンが答えたあと、ぎぃと音をたてて舟の扉が開いた。 六時のコミュニティは九時のコミュニティとはまるで異なっていた。これが本当に同じ世界なのかと驚くほどに廃退している。建物のほとんどが灰色で、朽ち、崩れている。時折吹く冷たい風が血と饐えた匂いを四人の鼻孔に運ぶ。 「小朋!」 桜妹は腕のなかに抱きしめていた小朋を空に放った。空からフリークスを探そうという作戦だ。 「聞き込みはしたいのですが……いる、でしょうか?」 聞き込みは無理でもこのコミュニティで生活している人たちに危険が迫っていることを報せたいと思っていた桜妹はコミュニティの荒れ果てた光景に眉根を寄せた。 「ここにきたギルガ様の部下が殺されています。そのことから考えて、ここにいる方々はある程度は既に避難したのではないかと考えられます」 ジューンやゼロはふつうの者は逃げているか、あるいは殺されていることをあらかじめ考えていた。つまり、遭遇するのは高確率でフリークス以外はありえない。 「そう、ですよね。そうだといい、です」 ジューンの言葉に桜妹は笑ってみせたが、すぐに彼女自身もフリークスに住民たちが襲われただろうことを想像し、しゅんと俯いた。 その肩をギルバルドがぽんと優しくたたいた。 「心配するな! 大丈夫じゃ! ぐははは、ここが6時か。到着したのじゃ! 敵のいるほうに向かうのじゃ。がはは、まかせろ!!」 ギルバルドは今まで数多くの冒険を経験しただけあって頼もしい。 「私が生体サーチと構造物サーチを起動し、周囲を探索しつつ歩きます。ギルガ様の屋敷で時計の発する音は記録しているので真似することは出来ます。またサーチ自体を相手の能力から考え、検知する可能性は大いにあります。私がサーチを行いつつ囮要員になるのが適当と考えます」 「フリークスはくるでしょうか?」 屋敷でのギルガの言葉を思い出し、桜妹は心配げな顔をした。 「私の見た目でおびき寄せるのではなく、サーチをあえて向こうに検知してもらうのが狙いです。また私のように見た目が派手な者が歩いていれば、おのずと向こうから接近してくるかと」 「確かに、そうですね」 「電撃系の能力者であるならば、攻撃は起点・直線・放射状のどれかに属すると考えられます。体内起点で電撃が発生するのでない限り、接近戦になったとしても対応策はあります」 ジューンがこの場で頼りになることはみなわかっているので反論の余地はない。 「危ないときは、ゼロが大きくなるのです」 「桜妹も、出来る限り協力します!」 「よろしくお願いします。では、桜妹様、ここで広い空間はありますか? みなさんが隠れてフリークスを見える場所、もしくは戦いに向いた場所は?」 「任せて、ください!」 桜妹は荒れ果てた更地を見つけ出し、ジューンはそこに向けて移動する際に全員に離れるように頼むと一人で歩き出す。 ジューンはサーチを発動する。 ギルガの屋敷でサーチを発動した狙いは時計の動きを知ることと、イゾルテの欠片もまた時計と考えてそれを知ろうとしたが、結局屋敷内の時計音の情報しか手にいれることが出来なかった。 そもそもイゾルテの欠片は時計なのだろうか。 サーチに生命体の反応を感知してジューンは眼を瞬かせた。 「時計の音がしていない?」 次の瞬間、ジューンの体に襲撃が走った。 何が起こったのかジューンが理解したとき、地面に叩き付けられていた。システムがダメージを告げる。衝撃に一瞬とはいえ視界が歪み、システムから激しい警戒音が鳴る。ジューンはぎくしゃぐとした動きで首を動かし、それを確認した。 くすんだ灰色、いや、薄い黄色に包まれた巨大な肉の塊。 犬というにはあまりにも大きく、枯れ木のようにほっそりとした肉体には目も耳もないかわりに巨大な口と、そのなかに無数の牙をもっていた。また四本の細い足は骨と皮ばかりだが、先には鋭い鉄の爪がついていた。 がっつん。獣がジューンの喉に噛みついて、皮膚を突き刺す。ジューンの聴覚いっぱいに男の声が轟いた。 「いぞるて、いぞるて、いぞるて、いぞるて、いぞるて、いぞるて! おおお、いぞるて! なぜだ。なぜ迎えにこない。はやく、はやく、はやくしなくては!」 呪詛のように獣は繰り返す。 「イゾルテ!」 「ジューンさまが危ないです!」 建物の屋根に隠れていた桜妹はジューンの危機にすぐにパンダのぬいぐるみからライフルを取り出すとフリークスの足に狙いを定めて引き金を引こうとした。ふとフリークスの顔が動いて――目はないというのにスコープ越しに桜妹は見られたと感じ、背筋にぞっと悪寒が走る。 フリークスが牙を剥きだして笑った。 桜妹のライフルはフリークスの右足に掠っただけだった。攻撃を予期したフリークスは飛び上がって回避しさらにこの場から退避しようとしたのだ。が、それは半分、不成功に終わった。なんと尻尾をジューンが掴んで遠くに逃げられないようにしたのだ。思ったように動けなかったフリークスは地面に叩き付けられて激しい咆哮をあげ、癇癪を起した子供のように無茶苦茶に暴れだした。 「ぬ、こやつが「フリークス」か! 獣がっ! とにかく、戦ってくれるわ!」 ギルバルドはジューンの作った隙を無駄にしないためにも、斧を振り上げて駆けだした。 フリークスの全身が輝きだした。 「ギルバルド様、逃げてください!」 ジューンが叫んだとき、フリークスの全身が金色に染まった。 ばちぃ、ばちばち! 全身でフリークスが発電してジューン、ギルバルドを一メートルほど吹き飛ばす。 「ぐお!」 「っ!」 ジューンとギルバルドは衝撃を予想したが、ぽむっと柔らかなものに受け止められた。二人が顔をあげるとゼロが微笑んでいた。巨大化したゼロが両手で二人をキャッチしたのだ。 「だいじょうぶなのです」 フリークスが逃げ出したのに桜妹は追撃する。引き金を引く、引く、引く――撃つ、撃つ、撃つ。 上空にいる小朋の目を借りた視界援護からフリークスを追い続ける。 「……お父様」 桜妹は最愛の父を呼びながら引き金を引いて、気が付いた。 フリークスがこちらに近づいている? そう思った瞬間、フリークスが建物の影に隠れた。 「どこにいっ……!」 がつん。音に桜妹は小朋から視界を自分に戻して、前を見た。そこには鉄の爪が現れた。ゆっくりと、フリークスが顔を出して、にちゃあああと口を開いて笑った。 桜妹がとっさに後ろに逃げるが尻尾が伸びてきた。 「っ!」 避けられない、桜妹は拳を握りして覚悟したとき 「させるかぁ!」 ゼロの手からギルバルドが桜妹の前に飛び出すと盾で尻尾を防ぐ。ジューンがあと続き、フリークスの上に飛び乗ると手刀を叩き込み、電撃・電磁波で焼き尽くそうとした。 が フリークスはジューンの雷撃に歓喜の声をあげた。 「なぜ」 フリークスは雷撃を操るため、同じ分類の攻撃はさしたる効果がない。むしろ、フリークスに力を与える効果があった。 フリークスは凄まじい回復力を発揮し、ジューンの片腕が体に埋まった状態で傷を癒してしまった。このままフリークスが暴れればジューン自身が大ダメージを受けることになりかねない。 ジューンのシステムになにかが流れこんでくる。ノイズ越しに――イゾルテ、イゾルテ、いとしい女、お前は――イゾルテ! ああ、あぁああ、お前が憎い、お前が憎い憎い、憎い、憎い、憎憎憎! 「ジューンっ! ゴットハンドじゃあ! ゼロ、桜妹、フォローを頼むぞ!」 「はいなのです!」 「任せてくださいです!」 ギルバルドの両手が黄金色に染まるゴットハンドは、触れたものを分子分解する能力がある魔法の拳だ。 フリークスが逃げようとするのを桜妹がライフルを撃って気を散らしたのに巨大化したゼロの手が掴む。 「うおおおおおおおおおっ! ゼロ、離していいぞ!」 ギルバルドは勢いこめてフリークスにアッパーを放つ。 ギキギギギギギキァアアアアアアアアアゥウウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアア 唸り声とも、あるいは人の声とも、獣の声ともつかぬ悲鳴をあげてフリークスが身をよじるのにギルバルドは真正面から殴り続ける。 フリークスの牙がギルバルドの肩を噛もうとするのにナイフを構えた桜妹が邪魔をする。 「助かったぞぉ!」 ギルバルドが桜妹の作った隙に更に殴る。小柄な桜妹は攻撃しながら雷撃を恐れ、距離をとりながらギルバルドとフリークスの戦いを観察し、即座に回復にまわれるように、もしくはギルバルドの隙を守ろうと努め、忙しく視線を周囲に向け、休まず動きつづけた。 一瞬意識を何かに乗っ取られていたジューンはシステムが正常に作動するとすぐに腕に電撃を纏わせる。 「食らいなさい、好きなだけ」 ジューンのシステムが熱を帯び、ショートする寸前までエネルギーを高めていく。 電撃によるフリークスに激しい負担を――雷を食らうといっても大量のエネルギーに消化不良を起こすと予想した。 肉体限界を目指したその策によってフリークスの肉体は内側から膨れあがり、破裂する。世界計の回復力がフリークスの肉体をすぐに癒していくが倒すことはそもそも目的とはしていなかった。 破裂した皮膚からジューンはようやく腕を引き抜いて自由になると今度は左胸を狙って突き刺した。 再びの轟音のような悲鳴。 「これでおわりじゃあああ!」 ジューンの雷撃とギルバルドの拳がフリークスに叩き込まれる。 「うむ。みな、無事か? 怪我をしておるのか? みせてみろ、キュアα!」 柔らかな光が降ると桜妹とゼロのかすり傷は癒えていく。ギルバルドも素手でフリークスを殴ったせいで拳を痛めていた。 ただ一人、無事であるジューンはギルガから渡された瓶のなかに黒い針――イゾルテの欠片と世界計の破片をそれぞれ回収する。 「これが、イゾルテの欠片……あ」 フリークスの姿が光に包まれて変化する様子をジューンは目撃した。そこに残ったのは何も纏っていない人間の男だったのだ。 「フリークスは、人なのですね」 ジューンはこのとき自分たちがなにと戦っていたのか知った。 「先ほどみたのは……この方の夢だったのでしょうか?」 九時のコミュニティに戻り、屋敷で欠片を差し出すとギルガは満足げに頷き、部下にそれをもって下がらせた。 仲間たちが戦っている間、ギルガの屋敷に待機していた水薙は四人の姿にほっと安堵に満ちた顔で出迎えた。 「先ほどは急ぎのせいで歓迎できなかった。ぜひ、お茶のひとつでもしていくといい。どうせ急ぐものではないんだろう?」 「はいなのです」 屋敷の客間に通されると先ほどのフリークスとの戦いがまるで悪夢だったかのように高級な品々がさりげなく部屋を品良く飾っていた。ふわふわのクッション、猫足のテーブル、ギルガが指を鳴らすと暖炉では火が燃えた。 あたためたミルク、香りのよい紅茶、それにクッキーやケーキが並べられて四人は各々口をつけた。 だいぶリラックスしてきたのに桜妹は膝の上に置いた手をもじもじさせて、思い切って口を開いた。 「桜妹の勘違いでしたらごめんなさい。イゾルテの欠片を探すには、フリークスを倒して左胸の欠片を回収したり、ギルガさまがどなたかの時計を壊したりしていたように、人間の左胸の時計を破壊して欠片が入っていないか確かめなければならない、ということなのでしょうか? だから皆さまで協力し合わずに争っていらっしゃるのですか?」 「壊すのは趣味だ」 ギルガはあっさりとした口調で物騒なことを告げた。桜妹が絶句しているのにギルガは優しく微笑む。 「フリークスには時計がない。時計のかわりに欠片があるのがフリークスになるといえる。理由は簡単だ。戦闘中、不思議なものを見た者は?」 「私が」 ジューンが戦闘中に意識をのっとる何かがあったことを淡々と説明した。 「そう。それこそがイゾルテの欠片の力。宿した者は例外なく破片に食われて、発狂する」 「イゾルテさんの心に喰われた人、それがフリークスなのです?」 ゼロの言葉にギルガは肯定した。 「うむ。気になっていたが、長針は、落ちたというが、あの闇のなかにか?」 ギルバルドの問いにギルガは笑った。 「なかなか鋭いな。針は六時に落ちた。だからフリークスは六時にしか現れない」 壊れた長針、それが六時に落ちた。だから六時にフリークスは現れる。 「ギルガさんもイゾルテさんを夢に見るのです? ギルガさんも女神を修理したいのです?」 ゼロの問いにギルガは微笑み、水薙が顔を強張らせた。 「今はもう見ていない。君の問いは面白い。この世でそれを願わないものがいるかな?」 「みなさまが争いあって……そうまでして女神さまを直さなくてはいけない理由は何なのですか」 桜妹がおずおずと尋ねた。 「ゼロにはわからないのです。女神が壊れる前と壊れた後で世界はどう変わったのです? 壊れる前、この世界は誰にとっても楽園だったのです?」 ギルガが目を細めて、手にもっていたカップをテーブルの上に置いた。 「私たちは以前の世界のことをほとんど覚えていない。きっとそれがイゾルテの愛なのだろう。そして問い返そう、君にとって楽園とは?」 「んっと、ゼロはまどろむことが好きなのです」 「よろしい。私は人を壊せる今の世界が好きだ。これも見方によっては楽園だ。誰にとって共通した楽園なんてありはしない。この答えでいかがかな? それに夢に出てくるイゾルテは、己を直すことはこの世界を直すこととなる。直せた男にイゾルテは最高の女の愛と世界を統べる権利を約束した」 ゼロはカップを両手に持ったままそっとすすって考える。 「壊れる前の女神にお会いしたことはあるのです? どのような方だったのです? 12時はどんな場所だったのです?」 「それも以前の世界の記憶とともに失われている。この世界に生きる誰に聞いてもわからないとしか答えないだろう」 ゼロはなおも質問を続けた。 「時計ならば動力があると思うのです。この世界自体の動力はなんなのです? 住人の時計は何で動いているのです?」 ギルガは眉根を寄せた。 「世界の成り立ちまでは一介の人間風情が理解できる範囲にはないことだ。神話はいくらか聞くが……ただ私たちの時計は私たちを元にして動いている、という憶測しか存在しない。私たちの左胸の時計は私たちの命なのだよ。これの破壊は私たち自身の消滅を意味する。肉体から引き抜かれても時計が破壊されるまでは動ける。逆にいえば、時計が壊れればどんな者でも停止する」 つまりこの世界に生きる者たちは心臓があるべき左胸に時計があり、それの破壊は己の停止――時間のない世界においては死を意味している。 「ゼロは思うのです。時計は誰かに時間を知らせるためにあるのです。この世界は誰が見るための時計なのです? ギルガさんは何か知らないのです? なんでもいいのです」 「神話の話だったらイゾルテ教が詳しいが、私も多少は知っている」 ギルガが語るのはこの世界の神話。 世界はイゾルテの気まぐれによって生まれた。 破滅を司る女神イゾルテは姉妹である混沌と開闢、愛と終焉の女神リディアのあとをついて真似ばかりしていた。 リディアの作った世界は、彼女の手により何度もその文明を終わらせ、新たなる再生を繰り返す運命にあった。 イゾルテは姉のようになりたいため、作ったのがこの世界。 失敗を繰り返し、狂っては作り直すことをし続けたイゾルテのせいで多世界の理が崩れだした。 本来破滅しか与えられぬ女神に世界を作るのはどだい無理なことなのだ。 姉のリディアは己の領分をわからぬ愚かな妹に怒り狂い、彼女に罰を与えた。 「その罰の内容を……私たちは知らない。もしかしたら、リディア教ならばそうした神話をはっきりと記した書をどこかに隠しているかもしれないが……イゾルテはその罰ゆえに、この世界に存在し、人々を導くこととなった。イゾルテは神といっても幼く、無垢で、何も知らない。人々の間にも当たり前のように現れ続けていたはずだが私はもうイゾルテの顔を忘れてしまった。これもまたイゾルテの仕業だろう」 ゼロはギルガの言葉を吟味する。 破滅の女神イゾルテは世界を作ることに失敗し、罰としてこの世界を司ることとなった。 長針が壊れて落ちた六時のコミュニティ。フリークスはイゾルテの欠片を宿した人間が化け物となる。 なにか確信に近づいている気がするが、ばらばらの欠片はまだ一つになってくれそうにない。 「むぅ」 ゼロは眉根を寄せて唸る。 「旅人に何を期待しているのです?」 それはゼロだけではない、この場にいる三人の共通した問いかけだ。ギルガは微笑むと即答した。 「イゾルテを直すために手を貸してほしい」 「……ギルガさんはどれだけ心の欠片を所有しているのです? ギルガさんはどんな心が理想なのです? それとも、『これが理想の心』というのが決まっているのです?」 「私が持っているのは二つ。孤独と、悲しみ……今日手に入れたのは、改めて浄化が必要だ」 「浄化ですか?」 桜妹が不思議そうに尋ねる。 「君たちにお願いしようとは思っている。君たちがイゾルテを直してくれるというならば、な。理想の心というものに決まりはない。ただ、私たちがこうあってほしいと願うものを作ればいいのだと彼女は告げていた」 ギルガの屋敷を出たあと水薙は目に見えて消耗し、深いため息をついた。親子らしいギルガとはかなり険悪らしい。そもそもこの世界に来たときから何か耐えるような、たやすく触れることが憚れる鎮痛な面持ちであった。 「どうする? このままロストレイルに乗って帰るか?」 「まだ時間はるあのです。だったらゼロはここをよく見ておきたいのです」 「賛成です」 「うむ。せっかく来たからな」 「桜妹もです」 四人の言葉に水薙はものすごくいやな顔をしたが肩を竦めた。 「九時のコミュニティなら多少は案内できるぜ」 「はいなのです」 ゼロは水薙とともに歩き出す。 立ち並ぶ煉瓦作りの建物、これは六時にはないものだ。今回はフリークスを倒すため、二つのコミュニティにしか行き来できなかったが、もしかしたら別のコミュニティはまたがらりと違う可能性は高いが、今はロストレイルが来る僅かな時間までここを探索して少しでも世界の雰囲気を知れればいいとゼロは考えた。 女神イゾルテは壊れた。多くのものが狂いに狂いだし、禁忌の領域へと踏み入れた世界。 その世界の空を灰色の雲が覆い尽くしていたが、僅かな隙間から金色の日差しが大地に零れ落ちた。まるで無邪気で幼い子どもが旅人たちを新たな冒険に誘っているかのように。
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