深夜、廃屋のビル。 そこへと足を進めた黒い影は、辿りついた部屋の奥にいたマフィアのレイを見て足を止めた。「ふん、腐った警官、ろくでなしの部下……劉部隊と聞いてもしかしてとは思ったさ……よくも俺の取引相手ばかり狙って襲撃したな。リュウ」 ここ連日、レイの取引相手が次々に襲撃され、武器、金を奪われるという失態が続いた。業を煮やしたレイは敵を罠にはめることを決意し、今日取引があると、デマの情報をわざと流したのだ。「レイ……っ!」リュウはすぐさまに懐から黒い傷だらけのトカレフを抜く。「おい、こいつか? 劉部隊と名乗ったのは、一応は確認だ」 それにレイの後ろに隠れていた二人の人物があらわれる。「ああ。その声、覚えてるぜ? 俺のところに取引を持ちこんだのは、なぁ、バッカス!」「……間違いないな」 カジノ・パラダイスのオーナーのヘル・アイズとその右腕のバッカス。それにはリュウは一瞬だけ虚をつかれた顔をした。 マフィア嫌いで有名なヘル・アイズが、まさかレイの協力者になるとは思わなかったのだ。 ほぼ同時に隠れていた部下が十人出てきてリュウを取り囲む。「リュウ、武器をおけ。すぐに降伏すれば……」 リュウはふっと口元を動かした。「……状況を開始する」リュウは懐から煙幕弾を取り出して、周囲を白い煙に巻く。と、男たちの悲鳴が轟き、濃厚な血の香りが漂いはじめた。「俺らのほうがやられてるぜ。マフィア」「あいつお得意の無音殺人術だ。それも獣並みに優れた音感があるから、それでこっちの居場所がわかるのさ。それもあのトカレフは音無……特殊加工して発砲音を消してある」 淡々とレイが答えるのに、へぇと怯えることもなく楽しげな声をヘル・アイズはあげる。「俺と似たタイプか。なら、一気にいくぜ。バッカス、俺がいくるからそいつを守れよ」 ヘル・アイズは見えない世界を悠々と駆ける。両目を無くしたゆえに五感が鋭く、見えなくとも音だけで敵の位置を察知することができる。 敵――リュウを見つけると、仕込み杖を下段に構え、抜く。 間合いを詰めての居合抜き。――その素早さはこの至近距離で避けられるものではなかった。 が、驚いたことにリュウはヘル・アイズが間合いに迫り、ぎりぎりのところで刀を避けてみせた。「なにっ! しまっ」リュウは足払いをすると、ヘル・アイズの手の中にある刀を奪い取り、その肩から胸を引き裂いた。 白い霧が晴れ、あらわになった死体の先――。 リュウと、その腕のなかに己の刀を突き刺されたヘル・アイズ。そのちぎれた服から白い乳房が見えていた。 リュウは自分が殺した相手が女であることにあきらかに動揺した顔で放心しているのにバッカスが叫ぶ。「イーリァ!」 その動きは素早い猫のようだった。身を低く、リュウへと挑みかかる。二丁のファイブセブンから放たれる五.七mmの弾丸。リュウは懐からカランビットを取り出して距離をとる。バッカスは更に踏み込むと、ファイブセブンを捨て、ヘル・アイズの死体から刀を抜きとると、突く。リュウのカランビットが弾き、斬り返すのにバッカスは歯をむき出しにして笑った。「見切った!」 その言葉と同時に、リュウが振り下ろす刃をバッカスはなんなくステップを踏んで避け、肩を叩くように振り下ろし、リュウがその場に膝をついた。「……俺は一度見たものは忘れないのさ。その小技のおかげで今まで生きてきたが、その飼い主も殺されちまったしな」「……予想外の展開と戦力……俺はここで死ぬわけにはいかない」 リュウは肩に突き刺さった刀を乱暴に抜くと、床に投げ捨ててレイを睨みつける。「俺は復讐にきたんだ。レイ」「……復讐だと?」「司祭様を殺した! その上、俺の部下たちを一人残らず! お前の指示だったそうじゃないか!」「……そうだ。俺が殺した。馬鹿なやつ。どうして裏切った挙句にこんなことをした? 逃げればよかったのに、どこまでも、そうしたらお前は過去を捨てて生きれたはずなのに」「黙れ! お前にだけはそんなことはいわれたくない! 善人面するな! レイ……貴様だけは絶対に……お前じゃない、俺が父さんに認められるためにも。くく……お前の前でファザーを殺してやる。あいつの誕生日、そのときがあいつの死ぬときだ!」「リュウ……!」 リュウの声は狼の咆哮のように静寂を切り裂き、手榴弾を投げると、窓からその身を投げ出した。 手榴弾が爆発するつかの間。バッカスは床に落ちた刀と、ヘル・アイズの死体を抱きあげるとレイに笑いかけた。「俺も行かせてもらうぜ。あの小僧は俺の獲物だ。あとは知ったこっちゃない……何事も楽しまないとな?」 三分後、激しい爆発音とともにビルが一つ破壊された。★ ★ ★ 探偵事務所にやってくるとレイはあちらこちらに包帯を巻いていた。「お前らに護衛を依頼したい。今夜、ボスの八十六歳の誕生日会がある。かなり大きなホールを使ってやるんだが、それに殺し屋が一人、そいつを追い掛けた狂犬が一匹やってくる。そいつらから守ってほしい」 レイは懐から煙草をとりだして口にくわえた。「殺し屋の名前はリュウ。それを追いかける狂犬の名前はバッカス……バッカスについては詳しくないが、リュウについてはいろいろと話せる」リュウの父親は、マフィアだった。そして、息子にもマフィアになるように教え込んだ。だが、不幸なことにリュウは温和な性格をしていた。ただ父親に対する愛情は人一倍ゆえに、期待に応えようと特殊戦闘員になった。戦闘の得意な二十二人の部下がいたため、劉隊員――皮肉と畏怖をこめられてそう呼ばれた。 しかし、政府に危険要素として目をつけられたリュウとその隊員二十二人を組織は政府側に襲われ、部隊の十人以上が殺され、生き残ったリュウと、その部下は監獄行きとなった。「そのときリュウはある宗教の坊主によって改心者……組織を裏切るやつのことをそう言うんだ。リュウは組織のことを洗いざらいしゃべって、俺たちを売った。そのかわりに父親と部下を死刑にしないように頼んだ。俺は原因の司祭を殺した。……そのあと、リュウの父親は息子を恥じて自殺、部下は組織のリンチによって死んだ」 リュウだけが生き残った。改心者として牢獄を出たが、政府からは危険要素として命を狙われ、裏社会の組織からも裏切り者として狙われたまま…… 短くなった煙草をレイはそっと灰皿に押し当てた。「あいつの特殊能力は二つ。あいつは特殊な音感の持ち主で聴覚がやたらと発達している。それで無音殺人術を取得した。そして、あいつの持つトカレフは音無といって、発砲しても音が出ないようにしてある。つまりは視界が奪われた状態で戦えば、あいつ並みに聴覚がよくなきゃ、かなり不利だ」 そして、二つ目とレイは目を細めた。「あいつは自分の肉体を自在に最高潮にもっていける。……自分の意思でアドレナリンを大量分泌してどんな時も自分の限界の力を発揮できるのさ」 そこでドアがノックされて振り返ると、スーツをきた銀色の髪の老紳士が八歳くらいの子供を両手に抱いてやってきた。「あなたは……!」 レイが驚愕するのに老紳士と子供はひらひらと手を振った。「守ってくれる奴の顔くらいみときたいだろう~」「じゃろう~」 レイは顔をしかめて、旅人たちを見た。「……うちのボスと、その相談役だ」「俺は相談役のリョン。こっちがうちのボス」 そういって老紳士が腕から降ろして示したのは八才くらいの少年だ。「よろしくな。……ふふ、見た目で騙されたかの? まだまだじゃのう~。影武者をいつもはリョンにしてもらっておる。組織でもワシのことを知っているのは一部じゃ~。じゃからの、もしリュウが狙うとしたらリョンじゃ。さすがに護衛する者が知らんのはいかんと思って、今日は顔合わせじゃ」 それと、と可愛らしい笑みを浮かべたボスは続ける。「バッカスについてじゃが、あいつは瞬間記憶の持ち主での。一度見たものは決して忘れんし、身体能力は抜群にいいぞ。女に惚れて隠居していたとしても衰えておらんだろうよ……あいつは根っからの獣。自分の女を殺したリュウは決して許さんだろうし、それ以外ならワシが死のうが、街が半壊しようが気にせんよ~、むしろ、自分が暴れられるなにぜひともなってほしいじゃろうな~。そしてバッカスは過去にやりあったことがあってワシの顔を知っとる。どう動くかのう~。ま、狙われて真正面からこれたところで、リョン、どれくらい持つかのう」「リュウがきた場合は、三分。バッカスなら二分くらいなら時間は稼げる」 とリョン。 もし影武者であるリョンが狙われた場合、それだけの時間は足止め出来るからどうにかしろ、といっているのだ。「さて、このあとは大人の話じゃて、レイは出ておいき」「ボス……あいつを必ず始末する。そのために彼らに依頼しているんです。もしなにかあるなら俺が」「出ていけといった。二度はいわん」 ボスの言葉にレイは何か言いたげであったが渋々と出ていった。それを見届けてボスは旅人たちに笑いかける。「リュウは軍人気質で、組織の掟に縛られて取る。ゆえに強くいられるといってもいい。今もそうじゃ。リュウは女子供を殺すことを極端に嫌うし、戦いにしても切り替えなくてはその力を発揮できん。……バッカスは自分の大切なものを目の前で殺された。ゆえになにがなんでもリュウを殺そうとするじゃろう」 それと、とボスはつけくわえる。「レイはお前さんたちに隠してることがあるし、嘘をひとつはいた。まぁほとんど個人的なことじゃから嘘といってもささいな嘘であるし、隠しておいてもいいことじゃから、もし聞きたいなら本人たちから聞くんじゃな。知っているのと知らないではお前さんたちの考えもかわるかもしれんし、リュウを止めるときに役立つかもしれん ふふ、甘いな。仲間と父親のために人を殺していったリュウ、偽りで塗り固めたレイ、女のために人殺しをやめて、また殺すバッカス。みんな甘い。しかし、その甘さは必要なんだと思うよ。……お前さんたちにはどんな甘さがあるかな。それを大切にすることじゃのう」
人骨のような白い壁、天井からの煌びやかな光は眩しく世界を照らし、人々の囁き声は音楽の調べにのって陽気なワルツのように互いの腹を探り合う、パーティ会場の裏入口――ボーイ、調理人、その他の雑用を一手に引き受ける裏方の人間が忙しくいきかう通路。 そこでレイは白いスーツ姿で旅人たちとの最終的な打ち合わせをしていた。 「あんたに聞きたいことがある」 「なんだ」 レイの鋭い目に坂上健は圧倒されたように、口ごもり視線を彷徨わせる。 「自分も聞きたいね、あんたは、本当にバッカスのことは知らないのかい? あ、これはボケ老人の戯言や思うてここは一つ、寛大な心で答えてくれや」 健に助け舟を出したのはにこにこと笑ってアラム・カーン。その見た目は二十歳を少し超えたくらいだが、実年齢はかなりのものだ。 「うちのボスといい、あんたといい、どうして年相応の見た目がとれないんだ。最近の爺は……バッカスのことは本当に知らない。……まだ生きていたのに驚いてるくらいだ」 「ふーん、じゃあ、もう一個、リュウの父親は自殺かい?」 レイは沈黙する。 「では、わしも同じく爺の戯言をひとつ……レイ、君とリュウは兄弟ではないのかね? リュウの裏切りによって弟の君が後を継ぐことになった、違うかね?」 食えない笑顔で探りを入れるのは落ち着いた声のジョンヴァンニ・コルレオーネ。 「俺もだ。聞いていて気になってたんだ。あんたの話からだと、父親の自殺って嘘に思えるんだ。自殺したのは嘘で、あんたが父親をかばってるんじゃないのか?」 二人の助けもあって、健は自分の考えを口にした。 ボスは口にした――レイの嘘と隠し事。 それがもしかしたらリュウを助ける鍵ではないのかと三人は考えていたのだ。 アラムはリュウの話を聞いて、彼を殺したくないと純粋に思った。 ジョンヴァンニはボスの立場として、父親として同情を抱き、出来れば助ける方法を考えていた。 健はただ目の前で人が死ぬという悲劇を阻止したかった。 「狸爺が何か言ったな……お前らの勘違いを全部訂正してやる。あの男は死んだし、あれは自殺だ。気になるならボスたちに聞けばいい、死体を発見したのはあの人たちだからな。あとリュウには弟はいない」 レイはそこで微笑んだ。 「何一つとして嘘も、偽りを述べちゃいない、どうだい坊や。もっと聞きたいかい?」 「……っ、けど、あんたは、リュウに逃げてほしいんじゃないのか?」 レイは狼が気まぐれに爪を出して弱い生物を弄ぶように健との距離を詰めると、腕を掴むと壁においやり、今にも噛みつくような目で睨んできた。 掴まれた腕がきりきりと締められる。 「では、間違いを認めて訂正しよう。兄はいるのかね」 ジュヴァンニが杖で足元を軽くこつんっと叩く。その音にレイは首輪をひっぱられた犬のように健を解放して、ジョヴァンニへと視線を向けた。 「リュウに兄はおるのかね?」 海の底のような青と、夜を集めた目が互いの心を探るように睨みあい、レイは早々に降参した。 「正しい質問だ、ミスタ。……腹違いの、愛人に産ませた子供がいる……確かに俺はリュウの兄だ。……認知はされていないし、ここまできたのは俺の実力だ。それを勘違いされちゃ困る」 「そこは疑ってはおらぬよ」 「それはよかった。……俺はあいつには積極的に死んでほしいのさ。父親もそうだが、あいつの存在が露見することを防ぎたい。そのために完全な形でケリをつけるためにあんたたちを呼んだんだ」 「そういう言い方、ないんじゃないかな」 日和坂綾が拳を握りしめ、かたい声で割り込むのにレイは脇腹をくすぐられた獣のように目を細めるだけだ。 「あ、私からはお願いがあるの!」 リーリス・キャロンが手をあげる。 「今回のことで、もしリュウが生き残ったら、それで許してあげてほしいの? だってもう一族とか殺しちゃったんだし、ね? 私たちが働くなら報酬、くれてもいいじゃない? それがリュウの命ってことでどうかしら? ボスからあなたにいっておいてよ?」 「ボスが承知するかはわからないが伝えておいてやる。……俺がお前らに依頼したのは力を信用してのことだ。だからあとは好きにしな。ボスを守り抜く、その目的さえ達成できれば俺は何も言いはしない。さて、そろそろ行かせてもらうぜ。おい、アラム、あんたをボスに紹介するからついてこい」 「え、自分? あ、そうだ。招かれた音楽家だもんなぁ。たははは~、じゃ、自分、先にパーティに潜入しておくわ~。なんかあったらノートで連絡たのむわ~」 綾は何か言おうとしたが、ジョヴァンニの手が制した。レイが去ったあと、穏やかな口調で綾に語りかけた。 「あれが彼の最大の譲歩なんじゃろう」 「えっ?」 「彼とて組織の者じゃ。裏切り者を逃がすと口にすれば、彼自身もまた裏切り者となる」 「けどよ、あいつ、リュウに死んでほしいって」 と健が噛みつく。 「彼は、こう言った……力を信用している。だからあとは好きにしろ、目的をさえ達成できれば何も言いはしない」 綾と健は目を丸めて、その言葉の意味に気が付いた。 つまりは、ボスさえ守れればレイはリュウを生かすことも殺すことも追及はしないと言っているようなものだ。 「つまり、ものすごーく、拗ねた言い方しかできない大人なのね」 リーリスはとても楽しそうに笑った。 「私、リュウを止めたい」 綾は絞り出すように告げた。 「殺すのとか、殺されるのとか、マフィアの人たちの掟とかもわからないし……けど、リュウをこのまま間違ったまま進ませたくない」 「俺もだ。止められるなら止めてやる!」 とたんに、ヒャーハハハハと甲高い声が聞こえてきたのに驚いて見ると、ジャック・ハートは腹を抱えて笑っていた。 「なんだよ」 「いやぁ、俺サマ、感動しちまったぜ! ……依頼は、ここにいるボスを守ることなんだしな。どいつがどう動こうといいんじゃないのか? 俺はわんちゃんと遊ぶつもりだからな。リュウについてはお前らが好きにしろよ」 手をひらひらとジャックは一人でパーティ会場に行ってしまった。 その背を健は苦々しく睨みつけて見送った。 「一つだけ、私から助言しよう。リュウが戦闘にはいるとしたら「状況を開始する」の一言だろう。もし説得をするなら、その一言が出る前にうまくやるといい」 「あ、はい!」 スタンリー・ドレイトンの助言に綾は背筋を伸ばして大きく頷く。 「では、私たちもパーティ行くとしようか、ドン……ジャック君ではないが、私も私のしたいことをさせてもらおう」 「したいことって……リュウを、助けることに協力はしてくれないんですか?」 「さて、どうだろうね」 「……あんたは復讐に賛成ってことなのか?」 スタンリーは腹を満たした狼のように笑った。 「くだらないことを言うものじゃない。われわれは旅人だ。その世界にはいれば、その世界の郷に従うだけではないのかね? 誰が誰を殺そうと、それが許されるのがこの世界の郷だ」 落ちついた声に、反論を許さない力を感じて綾も健も黙る。 かつん、再び杖が音をたてる。 ジョヴァンニは、微笑んだあと優雅に歩き出す。そのあとをスタンリーは挨拶するように帽子を軽く持ち上げて、パーティ会場へと歩き出した。 「で、二人はどうするの~? 私はね、先のお願いしたみたいに、リュウのことは助けるつもりだけど……具体的に作戦とかあるの? あ、最悪、ボスのこと丸めこむのは私に任せてね! 魔法でいろいろとしちゃうから! まずはリュウを見つけて説得しなきゃ!」 「う、うーん。私も、一応、考えてることはあるから、二人とも協力してくれる? リュウには誰よりもはやく会っておきたいし」 「ああ、なんかキナ臭い奴らだな。今回の奴らは……綾、俺も出来る限り協力するから、あいつらを出し抜こうぜ」 ★ ★ ★ 曲も、輝きも、そして、人も、なにもかも一流品をそろえているというのに、何もかもがレプリカのように味気ない。ダンスを踊るには、あまりにもお粗末だ。 スタンリーはボーイから渡されたワインを一口飲むと退屈なため息をついた。 「ドンの誘いに乗ったとはいえ、くだらん戦いに巻き込まれてしまったな。それにしても……ヘル・アイズ君は死んでしまったか。あの日はずいぶんと楽しませてもらったのだが」 「一人かい、色男?」 背後から陽気な、人好きする声にスタンリーは一瞥だけを向けた。 「曲が悪すぎるようだ。ダンスには向かないな」 「なら、自分の好みをリクエストするといいんじゃないかね? 自分で動きもせずに文句を言うのはただの腰抜けだけさ」 背中にあたる冷たい感触に動じることもなくスタンリーは自分のコルトパイソンに触れた。それは躾られた女のようにスタンリーの手に馴染み、命令を待っている。 「あのメンツで一番信用ならないのはお前さんだ。なにを企んでる」 「レイ君は一つ嘘をついた。なら私とて一つくらい嘘を吐くことは許されるだろう。たとえば、ボスの味方だということ」 愛して欲しいと焦がれる女が爪をたてるように、殺気が肌を愛撫する。 「私はバッカス君の味方だよ。仇くらいとらせてやろうじゃないか」 「……それでうちのボスが困らなきゃ、俺はどうでもいいんだけどね」 さっと冷たい感触が遠のくにスタンリーは目を細めて、振り返った。にこやかな笑顔のリョンは肩を竦める。その横にいる女は間近で二人の駆引きをみていたというのに顔色一つ変えない。 「いい女だろう? アラムの魔法で出した女だ。口説くには味気ないが連れて歩くには申し分ない」そこでリョンは何か見つけたように片手をあげた。「おう、美人をはべらせてんじゃねぇかよ」振り返るとジョヴァンニとアラムを両脇に少年が手を振って近づいてきた。 「お前さんは、男前をはべらせてご満悦かい? リョン。いや、この人らとは歳が近いせいか、話がはずんでな。若者は外におるようじゃなぁ。元気なことじゃ」 「いゃあ~、ジョヴァンニはいいけど、自分はいいのかねぇ~。ただの奏者なのになぁ~」 アラムの言葉にボスは憤然と肩を竦めた。 「いいんじゃよ。わしの誕生日、好きにするわい……おお、そうじゃ。リョン、ジョヴァンニ殿とは賭けをしたんじゃよ」 とたんにリョンは子供のように拗ねた。 「賭けぇ? なんだよ。俺もひと口噛ませろよ」 「だめじゃあ~。お前さんは内容を知ると絶対に怒るからの、内緒じゃ。なぁー。ジョヴァンニ殿」 「ええ。賭けが終わるまでの秘密ということで……彼らが来たようだ」 ジョヴァンニがまるで散歩に出るような口調で告げるが、目は鋭い。 「もう行くのかの。好きにしたらいい。ここでは殺し合うのも、奪い合うのも、力こそ全て。……楽しくダンスをするといい」 ボスが手をふって見送るのに、ジョヴァンニとスタンリーは目で語り合い、二人は連れ立って歩き出す。 「およ、お前さんはいかのか?」 「自分はねぇ~。出来るだけあんたたちから離れないようにしてこうと思っているからな。ま、何かあればノートで知らせてくれって頼んでるから大丈夫だろう~」 たははは~とアラムは能天気に笑った。 そして、二人が動きだすのを見ていた獣がいた。 ジャックは、パーティ会場でも紳士としてふるまっていた。いつもは軽いノリだが、状況にあわせた態度をとることくらいは容易い。 派手なドレスの女が話しかけてくるのに愛想笑いを浮かべて男女の駆引きを楽しんでいたが、ジョヴァンニとスタンリーが外へと出ていくのを見て、すぐに理解した。 ――狗がきたな。 「悪い、この続きはあとでな」 ジャックは歩き出そうとするのに女が行く手を遮った。 「あら、どこに行くの。恋人にでも会いに行く見たいだわ」 女がわざとらしく拗ねてジャックのスーツを名残惜しそうに握りしめようとするのをジャックはやんわりと押しのけて、けたけたと笑った。 「ハハハっ! 当たってるぜ! 可愛いわんちゃんに会いに行くのさ!」 飢えた獣が大好物の肉にありつく様に、ジャックは白い歯をむき出しにして、颯爽と歩き出す。 ★ ★ ★ 綾は事前にリュウがパーティ会場にやってくるだろう経路の割り出しをマフィアに依頼しておいた。 「警察買収して街角の監視カメラ押さえるとか人海戦術で通路監視とか、偽装して入り込めそうな店舗関係、押さえるとかしておいてよね?」 おかげでリュウがある程度どこから来るのか絞り込めた。 パーティ会場の裏道――綾と健、そしてリーリスはそこで待ち伏せていた。 一緒に見張るといっていたリーリスは 「じゃあ、私、お空から見張ってる!」 と言って飛んでしまったのでその姿は見えない。 「来ないね、リュウ」 ぽつりと綾は漏らす。出来ればきてほしくない。しかし、直接会って、彼を止めたいという気持ちもある。 「そうだな。……リーリスから連絡だ」 ノートを開いた健が声をあげる。 二人は見つめ合うと、頷き、駆けだした。 「お、接触したなぁ」 アラムはノートを見つめた。 「いってやったほうがいいんじゃないのか?」 リョンの言葉にアラムは気の抜ける笑顔を浮かべた。 「たはは~。自分みたいな老人がいっても足手まといかもしれんよ。けど、先教えてくれた曲がリュウに、一番縁が深いのかい?」 「正確にはリョウの父親がいつも口ずさんでいたもんだ。元々傭兵だったのを、このアホがぶったおして部下にしたからな」 「アホいうな。リョン。むー……もともと、わしは、帰るところのない者ばかりを集めて、家を作ろうとしただけじゃ。こんな立派なもん作るつもりはなかったし……この情報がお前さんの役に立つのかい?」 ボスとリョンのやりとりにアラムは笑った。 「十分だわ~。んじゃあ~、自分は陽気な音楽家としてちょっと弾きにいこうかね。その曲を」 リーリスは空からリュウの前に舞い降りた。 「こんにちは! 私はね、リーリスっていうの。えっと、暴霊の親戚かな。友達とね、キミを止めに来たの」 リュウは黙ったまま苦々しい顔をした。 「ね。会場に行くのはやめよう? ここには子供もママもいるの。その子たちは、怖くてもボスを守るために戦うよ? みぃんな、殺すの? あなたの手で」 「リーリスの言う通りだよ。キミが会場にいけば、バッカスも来る。そしたら、バッカスはキミを苦しめるためにキミ以上に大勢の人を殺すよ」 凛とした声が別方向からしたのにリュウはそちらへと視線を向けた。 「私は日和坂綾、こっちは坂上健さん。リーリスと同じ、ボスのボディガード。……キミは行くの?人殺しになるために、その上バッカスまできて、さらに人を殺されても平気なの?」 「なぁ、リュウ……俺は、今日、あんたを拘束するためのもんをいろいろと用意してきた。あんたの特技を潰して、拘束することもできるんだ……できればそれはしたくない。レイってやつはあんたに逃げてほしいみたいなんだ、生き延びろよ」 「父も、仲間も死んだのにか?」 リュウはそのときはじめて幼い子供が途方に暮れた顔をしたが、それは一瞬のこと。すぐに無表情になると構えた。 「やられたらやりかえす。それが教えられたことだ。……俺はお前たちを一人の残らず殺してでも、ここを通り抜ける」 「……私は、キミが痛みのわかるヒトだと思うからお願いしてる。キミは喪う痛みがつらくてここにきたんでしょ? だったら、それを他のヒトに広げないでほしいんだ」 綾はリュウの前へと出ると、腰を落とした。 「お願い、二人とも、手を出さないで!」 地面を蹴って綾は駆ける。 ――きっと、リュウは言葉では自分の気持ちが言えない不器用な人なんだ。力でしか自分の伝えたいことを伝えられないんだ。 綾はだから拳を握りしめる。 言葉よりも多弁に自分の想いを伝えるために。 綾の拳をリュウは軌道をずらして、紙一重で避けていく。リュウはやりかえしてこないのに綾は果敢にも懐に飛びこむが、それでも攻撃がすべて避けられてしまう。 このままでは拉致があかないと踏んだ綾は一度動きを止めて溜めを作り、片足を大きくあげる。 「はぁあああ!」 気合いの入ったカカト落し。 リュウが後ろに逃げたあと、綾の足が沈んだ地面は音をたてて抉れていた。 綾はキッとリュウを睨みつけた。 「……っ! だったら逃げなよ!」 自分から進んで拳を出したくせに、逃げている。 なぜか泣きたい気持ちが綾を襲う。しかし、同時に叫びたいほどの怒りが全身を舐める。 リュウの目がふっと真剣な色を帯びた。今までとは違う肌に痛いほどの殺気に綾は息を飲む。 「状況を開始する! 次の一撃で仕留める!」 リュウの咆哮に綾も全ては次の一撃だと悟り、自分の全力をいれた右回し蹴りを放つ。 ――届け! リュウはぎりぎりのところで綾の蹴りを避けた――が、綾の足が更に伸びて、リュウの顔に触れる。 綾の足首にリュウの左手が沿えられ、軌道がずれた。 あ――。 綾のがらあきのボディにリュウの掌打が放たれる。胃がひっくりかえるような燃える衝撃に、綾は吹き飛ばされる。 このまま倒れる避けられないことを悟った綾はぎゅっと目を閉じるがいくら待っても倒れたときの衝撃がこないことを訝しんでそっと目を開けると、リュウが抱きとめてくれていた。 リュウは無言で、綾を地面に横にした。 「状況を終了する……お前たちは俺を殺しにきたんじゃないんだな」 「綾! だからそう言ってるんだろう! 俺らは……止めたいんだよ! 人が死ぬのも、傷つくのも、見たくないんだよ!」 「そうだよ。司祭様は復讐しろなんて言ったの?恨みを忘れたほうがいいっていうと思うよ!」 「黙れ! 知った口を叩くな!」 リュウは吠える。 「レイが、俺に逃げろというはずがない。……あいつが、全部殺していったのに……!」 「それは……マフィアにむかない、あんたを解放するためだったんじゃないのか」 健は弱弱しく言い返す。 「……解放、だと?」 「俺は、レイのやり方については賛成できないし、間違っていると思う。けど、あんたが父親や仲間のことで、そういうがんじがらめのものをああいう方法しかとれなかったんじゃないのか……レイは」 兄として、もし弟が苦しんでいたら、解放してやりたいと思うものだ。 「そんなもの……俺は望んではいなかった」 憎々しげにリュウは吐き捨てると健を睨みつけた。 「交渉は決裂だ。さぁお前もやるか? 悪いが、手加減するつもりはないぞ」 「……っ! あんたを倒す用意してるんだぜ」 綾がいる以上、閃光手榴弾は使えない。かといって接近したときに催涙か催眠のスプレーをふりかけることができるだろうか。いや、無理だ。武術の心得がある健はすぐにリュウの隙のなさに悟ると、ポーラとスローイングダガーを手にする。相手が動いたときに足をとって一気にカタをつけるしかない。 「おお、おったー! 喧嘩はいかんぞー!」 アラムの呑気な声とともに、衝撃の波が襲いかかってきたのにリュウが飛びのく。 「そうよ。だめって言ってるでしょ!」 そして、青いドレスがひらりと健の前に降り立った。 「リーリス!」 健が止める間もなかった。 リーリスは赤い瞳を輝かせると、リュウの唇を奪い取った。 「状況を開始する……コマンドワードを言おうとするたびに、キミはキスを思い出して言葉を口に出来ない」 「!」 リュウがリーリスを払い、困惑したまま言葉を紡ごうとして眉間を寄せた。 「……これで俺を無力化したつもりか?」 「うーん、とりあえず、本気を出せないようにすればいいもん。ね、健ちゃん!」 「お、おーう……」 よかったはずなんだが、先の俺の決死の覚悟を返してくれ、アラムとリーリス。 がっくりと肩を落とす健に、ようやく動けるようになった綾が立ち上がり、真剣な顔で近づく。 「リュウ、私たちのこと、信じて……なにもかも無くしたっていうけど、絶対にそんなことない。……まだリュウは生きてるんだよ」 綾の手が願うようにリュウの拳を握りしめた。 「俺は……」 優しい音が捨てられてしまった夜を包みこむ。 優しい母の子守唄。 迷う子供を、悲しむ子供を、その手に包む。悲しみに沈む心がゆっくりと、救いあげられる。 リュウが顔をあげると、アラムはにっと笑った。 「積み重ねたもんが崩れてしまうのは仕方ない。けどな。それでも生きとると、また作る。大切なものを、何度でもな。ここにいる人間は、みんなお前に死んでほしくない、また作り出す手伝いをしたいと思ってる。若者には踏ん張ってほしいんだよ」 ★ ★ ★ 庭に出たジョヴァンニとスタンリーの元に黒い革シャツに身を包ませたバッカスがあらわれた。その左手に鷲掴みされたルクレツィアを見てジョヴァンニの眉がやや持ち上がる。 「ひどいことをする」 「人の周りを蠅みたいに飛んでるからだ。……久しぶりだな。色男」 バッカスはルクレツィアを解放すると威嚇するように歯をむき出しにした。 「前に連れていた殺人鬼はいないのか? 次に会ったときはてめぇともどもずたずたに引き裂いてやろうと思ったのに、残念だ。……で、俺に殺されるためにわざわざ出向いてきたのか?」 「まさか! 話し合いのためだ。それにスタンリーは君を支援したいと考えている」 「以前、ヘル・アイズ君には楽しませてもらったからね」 二人の言葉にバッカスは思案げに目を細め――動いた。 ジョヴァンニが杖を抜き、スタンリーがコルトパイソンを抜いたとき――バッカスの左手にある銃はジョヴァンニの顎、刀はスタンリーの左胸に狙いを定める。 「俺は助けも、同情も必要とは思ってないんだよ。死にたいのか、命乞いか、好きなほうを選びな」 「それはあんたじゃないのか、ワンちゃんよ!」 頭上からの声にバッカスは意表を突かれ、顔をあげる。 「遊ぶなら、俺サマもまぜてくれよ!」 バッカスが後ろへと飛んで距離をとろうとしたが、それよりもジャックの動きが早かった。 ジャックがバッカスの片腕を掴むと同時に、二人の姿はその場から一瞬にして消え去った。 「おいおい、どうした。わんちゃんよ。びびってるのか!」 ジャックはバッカスを連れてビルの真上に移動した。自由に動けないようにバッカスの身も拘束してある。このままテレポートを繰り返して距離を稼いでいくつもりだ。 「能力者か……ずいぶんと派手だな」 「はっ、俺は最強の魔術師だぜ!」 「だが飛ぶ距離には、ある程度の制限がある」 バッカスは三度目のテレポーションですでに距離を見切っていた。 「……けどお前には抵抗する手段はないぜ!」 空気の薄いビルの屋上に着地すると、バッカスは乱暴にジャックの腕を払い、銃を取り出し、躊躇いもなく撃つ。 加速――距離の確保。 突風――風の壁が弾を弾く。 「狂犬ちゃん、てめぇの装備……へぇ、一人殺すのに、会場全部壊すつもりかよぅ。イカてるぜぇ!」 紫色に瞳を輝かせてジャックはバッカスの装備を「視た」。自分の行為が悟られようとも構わない。むしろ、積極的に自分が丸裸にされることを知って不愉快になればいい。 「覗き見してんじゃねぇ、変態野郎がっ!」 弾丸が激しい雨となってジャックに降り注ぐ。 「くくく、ヒャハハハハハハハハ! てめぇみたいないかれたやつに言われたくないね!」 雷を、ジャックは放つ。 強烈な一撃はアスファルトを破壊し、土煙があがる。 再び加速。――バッカスの腕をとる。 「てめぇは、一度見たものは見切れるっていうが、だったら、これはどうだい? わんちゃん!」 再びのテレポーション。 辿りついたのは摩天楼の輝き宿した海を一望できる、この地区で最も高いビルの上。 「動いたら堕ちちまうぜ? ま、生き延びてみろよ。そしたら俺サマは何度だってあんたの相手、してやるぜ。あんたが俺サマのことで頭いっぱいになるなんて、ちょっと想像すると楽しそうじゃないか?」 からかうようにジャックは笑いかける。バッカスが冷静さを欠いて、自分の手をふりほどけば、自滅すればいい。もし生き延びたところで、このプライドの高そうな狗が自分を忘れることもない。計算づくの挑発。 バッカスは目を眇めて、にぃと笑った。 「ヘイ、ボーイ。あんたは男前だ。だから口説かれてやるよ」 バッカスがジャックの懐にはいる。 どすっと胸に衝撃が走る。目を向けると、バッカスの掌が身体に打ちこまれていた。 と、呼吸がおかしくなった。 「あんたは力を発動するときは目の色がかわるようだな? だったら、攻撃はその変化のときを狙えばいいわけだ。……で、さっきのデートのお誘いだが、ボーイ。このまま俺と死ぬかい? 今、テメェのアバラ骨をへこませて、肺を圧迫してるんだ。わかるか? もう片方のアバラもへこませて、肺を圧迫すれば……まぁ、圧迫されるのは五分程度だが、確実に死ぬぜ? 俺は確かに狂った狗さ、だから死んでもいい。ただし、そのときはてめぇも一緒だ」 バッカスは宣言したようにジャックの左胸に掌打を放たれる。 痛みよりも強烈な呼吸困難に額から脂汗が浮かび、頭が朦朧とする。 そのままバッカスはジャックの首に両腕を回すと、宙へと飛ぶ。――死ぬつもりだ。こいつ! 本能が回避の道を選んだ。 バッカスがジャックと再び、パーティ会場の庭へと戻るのには長い時間はかからなかった。 ぐったりとしたジャックをバッカスは乱暴に払いのける。 ごほっと、咳き込んでジャックはようやく自由になった肺から空気を手に入れると、それと一緒に甘い紫煙を吸いこんだ。 「!」 ――しまっ、た…… そう思ったときにはジャックは意識を失った。 「なんのつもりだ?」 バッカスは目を眇めて、スタンリーを睨みつけた。 「煙が風に乗ってどこにいくのも、誰が吸い込むかも、自由ではないのかね」 「悪党」バッカスはスタンリーを睨みつけたまま尋ねた「……どれくらいそいつは意識を失う?」 「せいぜい五分か、十分だろうね」 「上等だ」 バッカスは銃を取り出して、ジャックの頭に銃口を向けた。 「こういうやつはさっさと天国にいってもらうに限る」 かんっと杖が銃を上から打つ。 「取引をしようじゃないか。バッカス……協力するかわり、仲間を殺さないでくれないかね」 「……勝手に向かってきたら、そのときは容赦なく叩きのめすぜ」 杖を払いのけると、バッカスは銃をズボンのなかにねじ込んだ。 「君に尋ねたいことがある」 バッカスは目を眇めて、言葉を促す。 「ヘル・アイズとおぬしの関係が聞きたい。……恋人だったのかね」 「……あいつは俺の妻だ。子も三人いた」 「では、君たちは、夫婦でこの道へと進んだのか?」 「ミスタ、よくある話さ。当たり前がいいと思って、それ以外を捨てようとしたが、失敗した。そのとき子供も、ダチも亡くして、懲りたのさ」 ジョヴァンニは痛ましげに目を伏せた。 「そうか。……愛する者を失う痛み、哀しみ……ワシにも覚えがある。あくまでも自分の手で仇をとりたいというなら手を貸そう」 「夢見がちな台詞に吐き気がするぜ。ミスタ、俺とあいつはとことんまで憎みあって、もう憎むことはないところまできて、傍にいたんだ。愛なんてよしてくれ。吐いちまうぜ。……俺がここにいるのは楽しみのためさ。人生はゲーム。最期まで楽しまないとな?」 諦めたようにバッカスは微笑んだ。 「まぁ、いいさ。今回はあんたたちの望んだ舞台にのぼってやるよ。さて、リュウはどこだ?」 ジョヴァンニは静かな声でルクレツィアを呼んだ。 ★ ★ ★ リュウは、それに気が付くと、綾を胸の中に抱きしめて、健の首根っこをとると、木の上へと投げた。 「え、わぁ!」 「リーリス、お前はアラムを連れて飛べ!」 「え、あ、うん?」 「どうし――」 破壊の唄声が轟いた。 リュウの居場所を聞き出したバッカスはパーティ会場を破壊するために用意していた重い七.六ミリのライフルで、先手をとった。 二百発をすべて撃ち尽くし、残ったのは悲惨な舞台。 「当たらないようにしたが……仲間の手当は自分たちでやれよ」 バッカスは忌々しげにライフルを地面に捨てた。 「出てこい! くそ野郎!」 静寂に、茂みが揺れる。 と、飛び出したのは健だった。 懐にあった閃光手榴弾を、宙に投げる。それに気が付いたバッカスは上着を脱ぐと、素早く手榴弾に向けて投げた。 光によって世界が包まれる。 ――やった! 健が思ったとき、右足が飛んできた。予想していなかった攻撃を防御する暇もなかった。地面に転がるとアバラ骨が悲鳴をあげる。健はなんとか起き上がると身を低くして相手に向けてタックルを食らわせ、地面に倒すことに成功した。 健の腰に重い両足が巻きついた。逃げようとしたときには遅かった。ぐるんっと世界は回転する。 しまった、逆転した――。 健は目の回る痛みに耐えながら、己を見下ろす男を睨みつけた。 「ああいうのは方向性を与えてやるとそちらにしか効果が期待できないんだよ。覚えとけ」 顎に一撃がくわえられ、健は昏倒した。 バッカスは健の意識を奪うと、すばやく立ち上がった。その前にはリュウと綾が立っている。 「お嬢ちゃん、そいつから離れな。……お前たちは殺さない約束だからな」 バッカスは忌々しげに綾を睨みつけた。 「綾、バッカスのほうに行け」 「私は……リュウに加勢するっ!」 リュウは綾の腕を乱暴に掴み、背中を押してバッカスの前に押し出した。バッカスが綾の腕をひいて、背中を押した。 乱暴なダンスに目をまわした綾は自分を受け止めてくれたジョヴァンニに目を丸くする。 「ジョヴァンニさん!」 「あの二人は向き合うべきだ。ここは見ていてやってくれないかな、お嬢さん」 「けど!」 「復讐の連鎖は禍根を残す。しかし血を流さねば購えぬものもある」 綾は下唇を噛みしめた。 リュウはカンナビットを、バッカスは刀を下段に構えてじりじりと距離をはかる。 踏み出したのは、バッカス。刀は真っ直ぐにリュウの首を狙う。 たいしてリュウは身を低くして突っ込む。 刀の鋭い一撃をリュウは首の皮が斬れることも無視して、前へと突進してバッカスの太腿を深く抉る。 バッカスは振り返りもせず、片手を動かして、動こうとするリュウの腕、足を素早く撃った。 「っ!」 骨を打ち砕かれて崩れるリュウにバッカスは振り返った。 「物覚えがよくてな。見なくても打ち抜くぐらいは出来るんだよ……さて、負けたんだ。てめぇは死ね」 突然飛んできた殺気にバッカスは銃を盾に顔をかばった。 無数の炎とともに綾の飛び蹴りが放たれる。 容赦ない一撃にめきっ! と鉄の砕ける音がしたのに綾の顔にぱっと笑顔が浮かんだ。が、その一瞬の隙に足首を掴まれ、地面に叩きつけられる。 「きゃあ!」 「くそ、女のくせしてなんてやつだ。俺の左手と銃がいっちまったじゃねぇか! ……それに、どういうつもりだい、ミスタ」 バッカスは自分の首を捕える美しい杖の主――ジョヴァンニを睨みつけた。 「そこまでだ。……死は慈愛深いとは思わないか? 生かすことが復讐となるだろう」 「ここまできて説教かよ」 はっとバッカスは笑うと、血を流して崩れたリュウを一瞥した。 「……殺しはしない。リュウからはいただくものがある」 バッカスは足をひきずってリュウの元へといくと、刀を振った。血が飛び散り、地面にリュウの片腕が落ちて、むっと血の匂いが周囲を満たした。 「あいつを殺した手だ。こいつは貰っておく……おい、助けるならはやくこいつの手当てしてやれ。急がないと血を流し過ぎて死ぬぜ? ったく、あーあ」 バッカスは嘲笑い、スタンリーに近づくとその口にある葉巻を奪い取ると口にくわえて、味わった。 「ふん、上等のもん吸ってるな。色男」 「君はこれで構わないのかい?」 「今回は、ミスタと、色男、あんたの顔をたててやるよ。じゃあな。また遊ぼうぜ?」 葉巻をスタンリーに返すと、バッカスは怪我を感じさせない動きで闇のなかへと姿を消した。 「リュウ!」 大量の血を流すリュウに綾は慌てて駆け寄って、抱き起した。 「すぐに手当するからっ! お医者さん呼ぶからっ」 綾が立ち上がろうとするのに、リュウはしがみついて、首を横にふった。 「もう、いいんだ。……俺は、レイより、愛人の子より認められたかった。それだけなんだ。本当はどうしたらいいのか……自分でもわかってなかったんだ。だから、もういいんだ、綾」 「そんな、そんなの……!」 「……まだや。絶望するには、まだリュウ、お前さんは、なにも見てない。自分がそれを教えてやる」 リーリスとともに空に避難していたアラムは降り立つと、救いのために音を放つ。 もう亡くしてしまった故郷を想う歌を弦の調べに乗せてアラムは唄う。 故郷をなくし、肉親をなくし、それでも戦いつづける者の祈りの曲。 リュウの父が口ずさんでいた想い歌。 さぁ、出ろ。 出てくれ。望むものを託したものを。想うものを。歌よ、 ――ゆっくりと一人の男の姿が現れ、リュウを見つめる。 「とう、さん?」 リュウはその影をじっと見つめて、嗚咽を漏らした。片方の手を伸ばす。それを影が――ジョヴアンニがとった。 「息子よ、よくやった」 「とう、さん。俺は、これから、どうすればいいのか、教えてください」 「生きろ、リュウ」 「……とうさん、ごめん……」 リュウが意識を失うのに、綾は身を強張らせたが、幸いにもリュウから弱弱しいが呼吸はあるのにほっと全身から力が抜けた。 「血を流し過ぎて意識を失ったようじゃな。……迎えがきたようだ」 振り返ると、ボスと、そして数名の男が立っていた。 ボスが片手をあげると、控えていた者がリュウに駆け寄り、その身を持ちあげてどこかへと運びだす。 「待って、リュウは、どうなるの!」 綾が叫ぶとボスは目を眇めた。 「今回はジョヴァンニ殿との賭けで、リュウが死ぬのに賭けたわしの負けじゃしな。お前たちの申したように、報酬としてこれは助けよう。なぁに、今日はわしの誕生日、一つくらい甘いところを見せてもいいじゃろう? さ、みなの手当てもせんとなぁ」
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