優しい母の子守唄のような波。 砂浜の上に、青い衣服に身を包んだ少女が倒れていた。それに気がついたのは早朝の仕事へとやってきた海女だ。慌てて駆け寄り、揺さぶると少女は目をさまして、ふらりと立ち上がった。 それに海女は驚き息を飲んだ。 赤い瞳に、真っ白な髪の毛。 その異端な姿、それとともに、彼女の左腕がだらりとたれていた。少女は夢見るようにぼんやりとしていたが、それに海女は顔を歪めるとすぐさまに走り出した。 彼女は、それを見ていた。赤い瞳は一度も瞬きもせずに。海女の顔の険しさを、急いで逃げるその姿を。「私は、醜い。醜いから、マスター、マスター……醜い……消え、なくちゃ……壊れなくちゃ、きえ、なくちゃ……マスター、マスター、マスター……どこにも、ない。どこにも、ない。私は……」 弱弱しい声で少女は囁き続けながら、ふらふらと歩き出す。 ぼとっと音をたてて少女の左腕が堕ちた。★ ★ ★「今回の保護対象の姿は白い髪の毛に赤い目をした、そうだな。俺より小さな、十代の女の子で……見た目がはでだから、みんなで協力すれば、すぐに見つかると思う」 そう言ったのは黒猫にゃんこ――の十代の青年の姿の猫だ。その尻尾が忙しく動いている。「ただ、その子は魔力で動いているホムンクルスで、今、危機的な状態なんだ。どうやら、自分を保つ魔力がなくなっているみたいだから、このままだと彼女は自分を保てずに壊れてしまう。すぐに保護する必要があるし、保護する際に彼女が弱っていれば魔力をわけてあげほしいんだ。あ、魔力っていっても、魔法的なものとかでなくても、普通の食べ物でも補えるようだから食べ物をもっていくのもいいかもね……気になるのは、その子はそこまで弱ってしまうまでなにも自分から得ようとしていないってこと、痛み以外の感覚は備わっているはずなんだけど……なんだか自分から、死にたがっているみたいなんだ。もし保護するなら、彼女がどういう気持ちか良く聞いて、その上で説得してほしい」 そこで猫の顔が険しくなった。「問題は、その子に黒い影が二つ、近づこうとしているのが視えた。前に依頼した兎のときの二人組だ……ここから先は言わなくてもわかるよね? あいつらより先に、この子を見つけて、保護してほしい。会えば戦闘になる可能性もあるから気を付けて」★ ★ ★ 引いては満ちる波の音。 密集した建物のせいでひとひとりが通るのが精いっぱいな狭い路地。そのなかを黒い衣服に身を包ませた男とスーツに身を包ませた男――水薙とハイキが歩く。 二人が砂浜のところにくると、息を荒くした海女とぶつかった。「医者を、医者を、はやく……っ!」 乱暴に走り去る海女に水薙は眉を寄せたあと、残された足跡を辿ってたさきに落ちている、白い人の腕を見つけて、それを持ちあげた。 楽しげに水薙は笑うと、懐から煙管煙草を取り出して銜えて腕をしげしげと見つめた。「へぇ。おもしろい。……ハイキ、二手に分かれるぞ。こいつを探して説得は俺がする。お前は街にいって障害になる可能性のあるものを、速やかに始末しろ。先の海女は、こいつを見たのかもな。ぺらぺらしゃべられると厄介だ。――殺せ。しゃべった相手も一緒にな」「承知した……水薙、質問を二つ要求する」「なんだ?」 腕を見つめたままの水薙は答える。ハイキは表情のない顔で淡々と聞いた。「戦闘時にたいして、現在の制限を解除許可はどうなる? あと、……その腕は直せるか?」「制限五十パーセントまで解除許可を出す。ただし、相手の人数が多い場合はさっさと退却しろ。ここは水が多すぎる、お前とあんまり相性がよくないからな。俺は水のあるところじゃ無敵だからなぁ、最悪、敵を俺のところまで連れてこい。一気に叩いてやる……ああ、直るぜ。こいつは俺のもんにする。出来なきゃ徹底的に破壊すりゃあ、いい。奴らの仲間になられたら困るし、それに壊れかけなら壊れたほうがいい」「……承知した」
照りつける太陽の容赦ない日差しが肌を突き刺し、遠くから引いては満ちる小波の音が鼓膜を震わせ、潮を含んだ風に、密集した建物からは人の生活の匂いと息遣いが聞こえてくる。 「健とジャックは久しぶりやなぁ、あの時の怪我はええんか?」 アラム・カーンが人好きする笑顔で坂上健とジャック・ハートを見る。以前この三人は同じ依頼で一緒になり、健とジャックはそのとき、敵に手ひどくやられたのだ。 「この通りぴんぴんしてる」 「おい、じィさんよ、そんな過去のこと言うなよ」 健が笑って、ジャックは形の良い眉を寄せて噛みつくように言い返す。 「あ、そうだ。とりあえず、みんなに、無線機とガスマスク渡しとく。ノートを見る暇も書く暇もないかもしれないだろう」 健の差し出した人数分のイヤホン付き小型無線機とガスマスク。アラムは不思議そうに、ジャックとハーデ・ビラールの二人にはさして必要性を感じないが、一応、受け取っておく。 「俺は女の子を積極的に探したいと思ってるんだ」 健はやや早口に言う。はやくしなくては保護する少女の身になにかあるかもしれないと焦ってのことだ。 「いいぜェ、いいぜェ、勝手にやれよ。お前は保護を優先しろォ、俺サマはここに遊びにきたんだからよ」 「遊びにって……」 健が鼻白む。 「まぁ、健。人にはそれぞれ得意分野がある。それにな敵のことも気になる。二手に分かれよか? 自分とジャックは敵のことを探す、うまくしたら足止めできるかもしれへんやろ? 健はハーデと女の子を探したらええんとちゃうん?」 「確かに、二手に分かれて動くほうが効率はいいですね。……坂上、どうする」 アラムには丁重に、しかし、健に対してぶっきらぼうにハーデは問う。 「あ、うん。ハーデは確か一度に二人までなら一緒にテレポートしたり運んだり出来るって言ってたよな? だったらお願いだ。俺を一緒に運んでくれ。まずはこの島を見渡せる上空にいってくれ、そこで俺がポッポを飛ばして女の子を探す、その思考を読んで、テレポートってどうだ?」 「言っておくが、この島程度なら充分精神感応でカヴァーできる。お前に頼らずとも……まぁいい」 真剣に見つめてくる健にハーデはあっさりと折れた。いくら出来るといっても多くのことを一人で抱え込み隙を作るよりは、共闘したほうが効率がいいからだ。 「じゃ、なんかあったら無線でな!」 ハーデに手をとられて、上空に空間移動する健が消える直前に二人に向けて叫ぶ。 アラムが無線機をああでもないこうでもないとつけることに苦戦している横ではジャックが皮肉ぽい笑みを浮かべて、青い空を睨みつけた。 「ヒャヒャヒャ、確かトンでもねェバトル野郎どもッてェ話だよナ? こりゃあ、絶好の殺し合い日和ッてェヤツだな」 ジャックが歩き出すのにアラムが追いかける。 「楽しそうやねぇ~。まぁ、出来る限り穏便にいこうや? それに自分な、その保護の子のことが気になるんよ。白い髪の毛に赤い目……こう、末の孫娘と同じせいかな。ほっとけんなぁ」 「だったらよォ、じィさんもいけばよかっただろう?」 アラムはたはは~と笑って頭をぼりぼりとかいた。 「なんや、そういうのは自分のこと押し付けるようでイヤ~な感じするし、これはただの年寄りのお節介ってやつや。それに敵さんおるんなら、二人一組のほうがええやろう? ん、ちゃちゃ助けたらんとなっ!」 にこにこと笑うアラムにジャックは肩を揺すって、ヒャヒャヒャと笑い声をあげた。 「じゃ、ちゃちゃといくぜェ!」 ジャックの目が色を変え、狭い島のなかにいる敵を探しだす。 この狭いなかで島民らしくないのは目立つはずだ。――ビンゴ。あっさりと見つけることができた。 「いくぜェ!」 一方の健とハーデ。 健がポッポを飛ばして「視て」いるのをハーデが読み取り、白い浜辺に倒れている少女を見つけた。 ハーデの空間移動で、少女の前にやってくる。砂に足をとられて転げそうになりながら健は慌てて少女に駆け寄った。 「おい、大丈夫か?」 閉じられていた瞼が開かれ、息を飲むほどに赤い瞳が健を見つめる。 つい、怯んでしまうほどの無垢な瞳に健は魅了されたように見つめていると少女が立ち上がる。 「え、おい……!」 再びふらふらと危うい足取りで歩き出す少女を健は慌てて追いかけようとしたとき首筋にぞくりっと冷ややかな殺気を感じた。 ハーデが戦闘態勢に入り、鋭い視線を向けている先――黒いコートを着た水薙が立っていた。 「チッ、また鉢合わせちまったな。めんどくせぇ」 健は水薙とハーデを一瞥し、どこへいくのかわからない少女の背を見た。 「女の子の説得は俺がやる……奴は任せた。ハーデは俺より強いのは分かってるけど、怪我、すんなよ」 「誰に向かっていっている。はやくいけ!」 「わかった。あと、出来る限り殺さないようにな! あと、これも渡しておく!」 健はハーデにあるものを渡すと少女の背に向かって走り出す。その様子を一瞥してハーデの口元をふっと緩めた。 「自分は平然と捕虜を撃ったくせに……無理無難好きな男だな」 小声で罵りを吐き捨て、ハーデは真剣な顔で水薙と向かい合う。 「彼女は渡さん。殺す者は殺される。それが世界の範と知れ」 殺気を、声と目に託し、静かな威嚇をハーデは放つ。もし気の弱い者が聞けば震えあがるか、はたまたすぐさまに降参するだろうが、生憎と水薙は笑っている。 ハーデが砂を蹴って駆ける。 空間移動をして水薙の右側に出現、掌打を放ち、その隙を狙い、コンバットナイフを片手に素早く持つと光の刃を出すタイミングをうかがう。 水薙も武術の心得はあるらしい。ハーデの一撃を避けると、鳩尾を狙って拳を放つ。 軌道が見えた――乱暴に水薙の拳を手で払いのけ、二メートルに及ぶ光の刃を生み出して、振り下ろした。 多少大きな動きだが、これだけ接近していれば避けられまい。 手か足、出来れば両方を切り落とす。 「っ!」 水薙の腕に激突した光の刃が、青い火花を散らし、弾ける。 力をいれようも砂は柔らかく、鉄入りの靴が沈む。 ハーデに一瞬の隙が出来たのに水薙は素早く掌打を放ち、飛びのく。 「……面白い武器だな」 「貴様もな」 ハーデは眉間を寄せて、切り落とすはずだった敵の腕を見る。コートには大きな斬りあとが、そして白い腕が見える。 斬れなかったわけではないらしいが、本体までは届いていなかったことにハーデは目を眇めた。 (この服……なにか特殊なものらしいな) 「お前、殺し慣れてるな。それでよくまぁ俺に説教するもんだ」 「あぁ、私もいつか誰かに殺される。しかし、それはお前よりは後だろうがなっ」 ハーデは再び砂を蹴って挑みかかった。 ★ ★ ★ ――高々に、すべてを破壊するための音が響いた。 ジャックとアラムがそこに駆けつけたとき、海女が地面にヘたれこみ、その前にはこの島では不似合なスーツ姿の男が片手に銃を構えていた。 「目標発見、排除活動開始」 「あ、ああ、た、たすけ」 スーツの男――ハイキが銃の引き金を引こうとするのに、腰を抜かした海女が震えあがる。 再びの銃声が吼えた。 無表情であったハイキの顔が僅かに変化する。目の前にいた海女がいなくなっているのだ。 「おーおー、殺る気満々なアンちゃんだナ」 ハイキが銃の引き金をひくのとほぼ同時に、ジャックは海女を自分の腕のなかに引き寄せて守ったのだ。 ハイキがジャックとアラムを一瞥する。 「障害発見……作戦プランCを選択……戦闘態勢、制限五十パーセントまで解除……排除対象、A、B、Cと確認……戦闘開始」 「あン? お前、作りモンかぁ? エレキ=テック相手じャア、俺サマの相手にャ役不足だゼ、ギャハハハハ」 「あ、あんたは一体」 ジャックの腕のなかにいる海女は自分が置かれた事態がわからずに可愛そうなくらいにおろおろしている。 「俺ァ無駄な殺しは嫌いなんだヨ」 先ほどのハイキの言葉から察すると、この女もまたハイキのなかでは排除対象になっていることになる。 「オイ、コイツらはタチ悪い海賊どもだ。俺が庇ってる間に逃げとけ」 「え、ええ?」 「あ~、ついでに、周りにおる人にも、ここら辺は危険やからって避難させといてなぁ~」 アラムが笑顔でつけくわえるのに海女はますます目を白黒させる。それを無視して、ジャックは海女を腕から解放し、背中を叩いて逃げるように促した。 ちらりと周囲を視る――幸いにも周囲の建物には人はいない。だったら遠慮なく壊してもいい。 人の命には気を使うが、建物が壊れたところ気にすることはない。 「いくぜェ、お人形チャンよ」 ジャックが右手に風を、左手に雷を生みだし、加速する。ハイキに力を叩きこむつもりだ。 ハイキはジャックが迫ったぎりぎりのタイミングで地面を蹴り、宙に逃げると、身体を捻って回転し両手に銃を構えて放つ。狙いは海女だ。 「させんよ~」 アラムが歌を紡ぐ。 ――気高き太陽の口づけよ、灼熱の口づけよ ――風を退け、雨雲を消滅させ、私の目に光を与えておくれ ――私を守る炎の口づけを、灼熱の口づけを 地面から出現した炎が壁となって、ハイキの銃弾を飲みこみ、消滅させる。 「たはは~、炎で通せんぼっていっぺんやってみたんったんよ~。ささ、お次は炎のライオンにしようか? ワンコでみもええなぁ。出されたくなかったら潔く退き!」 アラムの声にハイキは答えない。恐怖も怒りもない瞳は炎を睨みつけ動こうとした、そのとき。 「オラオラ、よそ見してたら、ヒャヒャヒャ、こうだぜッ!」 ハイキの背後からジャックが再びの加速によっての接近。 (捕えた!) ジャックが雷をハイキの背ら放つ。 雷鳴が叫び、金色が弾け、ハイキの身が大きくのけ反る。 (ショートしろっ!) 間髪入れずに風の玉を生み出すと、その身体に叩き込み、最後にはアクセラレーションで運動エネルギーを高めた。 近くの民家の壁に投げられたハイキの身は壁を突き破り、さらに飛ぶ。 二度、三度と大きな物の壊れる音、そして水音が聞こえてきた。 「やったんか?」 「ああ、海の中に落ちちまったぜ? なんだ、たいしたことねェなァ」 予想よりもあっけなくハイキを退けたことにジャックは肩透かしを食らったように文句を言い放つ。 「まァ、リミッター付きじャあ、俺サマに勝てるわけねェんだよ」 「怪我なくてよかったわぁ。海女さんも逃げたし、家を壊してしもたけどな、ジャック……?」 ジャックが険しい顔をして一点を睨みつけている。 アラムも視線を向けた――破壊された民家から、水音をたてて現れたそれ――ハイキだ。 表情はなく、ゆっくりとした足取りで進み、がくんっと地面に崩れた。 「……ダメージ確認。自己修復にかかる……ターゲット消滅……エラー、エラー、エラー、エラー……」 壊れたレコードのように「エラー」とハイキは繰り返す。 「しつけェな、ここでぶっ壊しちまうか」 ジャックが片手に雷を生み出し、無防備に座り続けるハイキに歩み寄り、額を手が伸ばす。 澄んだハイキの瞳か、ジャックを捕えた。 「!」 ハイキの瞳に宿る危険な光に、ジャックが地面を蹴って距離をとろうとした。 そのタイミングでハイキの身体が動いた。素早く突きを放ち、ジャックの懐に飛び、回し蹴り。それをジャックは腕で防ぎ、雷を纏わせた拳を振り下ろす。ハイキはジャックの手が触れる、触れないかのぎりぎりのところで回避すると、銃を突きつけ、躊躇わず、撃つ。ゼロ距離射撃の威力にジャックの肉体が後ろに吹き飛んだ。 「お、おお~、ジャック! どうしよう、自分!」 予想外の展開にアラムはおろおろとするのに民家の壁に叩きつけられたジャックはひらひらと手をふった。弾はすぐに摘出し、怪我も治癒済みだ。 「じィさんは大人しくみてろッての。へェ、水に落ちていかれちまったか?」 「敵確認、……戦闘形態開始……制限解除」 目の前でハイキの肉体が変化するのにジャックは口元をひきつらせた。 「おいおい、まぢかよ」 ジャックとアラムの前で、ハイキは人らしいその肉体のすべてを黒い鉄の鎧に包ませた。その両腕の外側には鉄製の一メートルほどある鋭い刃までついている。 「はじけろ!」 先手必勝でジャックが雷を放つ。 容赦のない一撃は閃光となってハイキの頭上に落ちる。普通の者なら丸焦げになってもおかしくないが、鉄の鎧には傷一つない。 ハイキがおもむろに片腕をあげると思うと、一瞬の静寂、そして音――が放たれる。 「やべっ……!」 ジャックはアラムまで空間移動すると、その腕を掴み、50メートル先の民家の屋根まで飛んだ。 「な、なんや? ジャック、どないし」 「……チッ」 二人が見たのは、自分たちがいた半径3メートルの建物が崩れ、残骸が砂へと変わりさらさらと崩れていく。 もうもうとあがる土煙。 そこに立つのは黒い影――ハイキだ。 「あいつ、銃使いと思ったが違うのかよォ、使ってるのは……おい、じィさん、健たちのところにいけ、こいつの相手は俺がする」 「まちや、ジャ」 ジャックはアラムに反論の隙を与えず、肩に触れて移動させる。 保護する少女がいる浜辺はすでに視て知っていた。ここから50メートル付近だったので、そこへに。あとはアラム自身が判断して動くだろう。 視線を感じてみると、黒い鎧に包まれたハイキがこちらを見ていた。 「上等だ。人形!」 ★ ★ ★ ふらふらと歩いていた少女がよろけて崩れるのを健は両腕で受け止める。 遠くで破壊音が聞こえ、足元が揺らぐ様な恐怖と焦りを覚えながら健はハーデのこと信頼し、今は目の前にいる少女と向き合うことに専念した。 「待ってくれ。頼むから、死のうなんて思わないでくれ。俺はきみを助けたい。話を聞いてほしいんだ」 健は真っ直ぐに少女を見る。少女の赤い瞳と再び視線が合う。 すると、いきなり健と少女の上に柔らかな衣がふってきた。 健は驚いて顔をあげるとアラムだ。 「たはは~。ジャックにこっちにいってろいわれてもうたわ。ま、自分がおっても足引っ張りそうやしな。太陽が痛いやろ? 隠しとき」 「アラム……これ」 「うーん、人間と同じかどうか知らんけど、こういう子はな、太陽とかに弱いんよ」 「あ……!」 アルビノは色素が薄く、太陽の日差しで火傷を負ったようなことにもなるのだ。 健は慌てて少女の肌を見た。 幸いにも白い肌には火傷はない。しかし、はやくここから移動したほうがいい。 「ええっと、俺の名前は坂上健、こっちはアラムさん。……きみの」 「健」 アラムの手が思いのほか強く健の肩を掴み、言葉を遮った。 「自分も話させてな? 壊れたいのはなんでか教えてくれへんか? 誰かになんかいわれたんか?」 少女は首を傾げた。 「私、汚い、マスター、いらない、ここ、いらない……壊れないと」 「汚くない! 可愛いぜ! それに、驚いてると思うけど、ここにきたのは捨てられたとか、そういうんじゃないんだ。説明させてくれ。な?」 健は必死にこの状況をかみ砕いて説明する。安心してもらおうと笑顔を浮かべてみたが、少女の顔色はなにもかも諦め、捨ててしまったように無表情のまま、瞳は何も見ようとしない。 それが苦しくて、健は持ってきたサンドイッチを少女の手に持たせた。 「お願いだ、死にたいと思わないでくれ。生きてくれ……えっと、だからきみの」 名前を問おうとすると、アラムが健を強引に横にどかして少女の前に屈みこんだ。 「健、ちょっとごめんな……あんたを必要としてる人はきっと居るよ。……信じられへんか?」 少女は黙ったまま俯いている。 「なぁ、元気出し。不安やったら……どや、あんたさえよければ自分と暮らさんか? あんたな、自分の孫娘に似てるんよ。いやじゃなきゃ寂しいじいちゃんの相手、してくれんか?」 アラムの言葉に少女の目がはじめて強い光を宿す。 「私、必要?」 「必要やな」 「必要」 その言葉を少女は噛みしめる。 すさまじい音とともに砂煙があがった。 健とアラムは咄嗟に少女をかばい、そちらへと視線を向ける。 「はぁ、はぁ……くそアマが!」 片足、腹、頬にも切り傷を負い、片腕はだらりとたれ、片目からはとめどなく血を流した水薙が吐き捨てる。 その水薙にハーデが、無表情で迫る。 「ほぉ、今の破片手榴弾を耐えたか」 接近戦となればハーデの得意分野。相手を攪乱させる空間移動での、死角を突いたり、まったく別の方向から光の刃で一方的に攻めたてた。いくら攻撃が弾かれるといっても、切れないわけではない。それにコート下にある素肌が出たところならば容易く切れると確信しての集中的に攻撃を繰り返した。 その予想はあたっていたらしく、光の刃によって水薙の片腕は皮一枚でくっついている有様だ。 先ほどは鉄板入りの軍靴で顎を蹴り、隙が出来たのに絶対に避けられない距離で健から託された破片手榴弾を放ったのだ。 「……ここにはお仲間さんかよ……こいつか……」 水薙はちらりと健とアラムを一瞥し、その腕のなかに匿われている少女を見ると皮肉げに笑った。 「はん、迎えにこれば、これまた邪魔が多いな。……ハイキは」 突如、浜辺の前にある民家が斬り倒され、大人の大きさくらいの竜巻が対抗するように現れ、何かに激突し、滅する。 暴風にのって壊れた民家の残骸が飛んできた。 「健、自分の後ろおりや」 アラムがサロートを奏で、衝撃波を生み出し残骸を海へと吹っ飛ばす。 ハーデもまた水薙よりも健と少女を守ることを優先し、空間移動で二人の前に移動するとアラムがカバーしきれない物を拳と蹴りで素早く叩き落としていく。 激しい水しぶきがあがり、静寂がやってくる。 「……お前は」 油断なく前方を睨んでいたハーデが、倒された建物の土煙のなかからジャックが現れたのに目を丸めた。 「あの人形野郎が」 「人形? ……あいつか」 ジャックが忌々しげに睨みつける、黒い鎧をまとったハイキをハーデは認めた。 「ハイキ! この馬鹿、制御しろっていったのに……! この島を沈めるつもりか!」 水薙が叫ぶのにハイキが素直に動きをとめた。 「新手か……廃棄ロボットだからハイキとはな。お前らの人形遊びに彼女を巻き込まないでもらおうか」 ハーデの挑発に、ハイキが動いた。 黒い鉄の塊が驚くべきスピードで迫る。 ハーデが身構えたとき、音という音が彼女の耳から遠のき、浮遊感に飲み込まれた。 (音が、消えた?) そして再び音が戻ってきたとき、右肩が斬り裂かれ、灼熱の痛みが襲いかかってきた。 「!」 間髪入れずに懐に飛び込んだハイキの拳の一撃にハーデは海のなかへと吹き飛ばすと、まだやり足りないとばかりにハイキの左腕を大きく振り上げる。 「待てよ! お前の相手は俺だっ!」 ジャックが加速の力をくわえた飛び蹴りをハイキの顔に放つ。足に確かな重みを感じ、風の操り肉体を宙で泳がせ、さらなる蹴りを放とうとするが、刃の容赦ない突きが頬を掠めた。 「っ!」 音という音が消える。その一瞬、ジャックの脇腹に衝撃が走る。肉体の一部が死滅する熱。 動きが鈍った一瞬の隙をついてハイキはジャックの腕を掴んで海へと投げ捨てた。 大きな水しぶきを上げて、周囲に海水が飛び散る。 「っ、こぼ、……あれは、なんだ」 「……っ……くそ、音だよ。あいつは周囲の音という音を集めて、それで斬りつけてんだよォ」 浅瀬から立ち上がるハーデにジャックが吐き捨てる。 「あいつ、お前の挑発にいたくご立腹みたいだなァ。廃棄ロボットっていうのは当たってるんじゃないのか?」 「図星をさされて暴れてるというわけか」 「あいつは俺サマの獲物だぜ。手出しするなよ」 「ならばさっさと始末をつけるのだな」 ニヒルに笑っていたジャックは表情を消し、真っ直ぐにハイキを睨みつける。 「……あいつの弱点は見えた」 ハーデは空間移動でハイキの懐に飛び込むと二本のコンバットナイフを使い、光の刃を出現させて斬り込む。ハイキも応戦するが、その動きは鈍い。小さな動きに弱いようだ。 それでも通常の人間では見ることも叶わないほどの素早い動きで二人はどちらも引くことのない激しい攻防戦を繰り広げる。 (ジャックが言ったとおり、放ったあとすぐにまた≪音≫を放てないのか?) ハイキの腕についている鉄の刃が迫る。 ハーデは身を限界まで反らして避けたが髪の毛が二本、三本と斬り落とされた。 ふっと音という音が再び失われるのをハーデは感じた。 「……くっ……ジャック! 今だ!」 ハーデは叫び、空間移動でハイキの前から逃げる。 音の刃は宙をかき、海を斬ることとなり、またしても大きな水しぶきがあがり、塩味の雨が周囲に降る。 その直後、ジャックががらあきとなったハイキの背後に出現した。 「残念だったなァ? 俺は半径50メートルの最強の魔術師ッてナ……俺の力はゲイルとライトニングだけじゃねぇンだヨ! その身で味わえ! レールガンッ!」 守りが強ければ強いほどに、必ず存在する最も弱い一か所――ハイキの首のうなじを狙い、放つ。 ハーデはジャックの助言で、攻撃の際は鳩尾を狙って突きを繰り返していた。 どんな硬い物質も――何度も突けば、そこは脆くなる。 弱点の一撃とハーデが与え続けた一撃が効果をなし、ハイキの身体は吹っ飛ぶと同時に、その鎧がぼろぼろと剥がれ落ちる。 「戦闘態勢解除。ダメージ確認。……自己修復開始……」 砂の上に倒れたハイキはよろよろと立ち上がり、ジャックとハーデを睨みつけると銃を取り出して睨みつける。 「……お前の仲間はこっちの怒りを買うのが得意みたいだな」 大きな水しぶきを頭からかぶった水薙はそれを拭いもせず険しい顔を吐き捨て、アラムと健を睨みつけた。 「その子を渡せ」 「渡せるわけないだろう! 簡単に命を踏みにじろうとするあんたたちに!」 健が少女を抱きしめたまま叫ぶ。 「お前、ナイフがあれば斬るよな? 折れちまったら新しいものを買うような」 「な、なんだよ。それがどうしたっていうんだよ」 「そいつはホムンクルスだ、人工生命体……つまりは、道具だ」 その言葉に健は頭が真っ白になるほどの怒りを覚えた。 「この子は、マスターってのがよくわかねぇけど、否定されて、それで壊れたいって……必要とされたいんだ! それを道具とか、なんだよ!」 「そのホムンクルスに名前を聞いたか?」 健は意表を突かれた顔をした。アラムに止められて結局は聞けなかった。健が問うような視線を向けると少女は身を小さく震えていた。 アラムが止めてくれなければ自分がとんでもない失態を犯すところだったことに健は気がついた。 「予想通り、こいつ、名前がないんだよ。そいつを作ったやつが名前を与えなかったんだ。本来は、作ってすぐに与えるべきものを、そして、使役しなかった」 「そんなの……名前を与えようとしてこの子がここにきちまったとか」 「どういう事情にしろ、作られた物っていうのはな、存在理由がいるんだよ。マスターがいて、命令される、それがこいつの存在理由だ。マスターがいない、名前もない、それでどうして存在できる?」 水薙は皮肉ぽく笑った。 「それで生きろってのは残酷なことを口にしたな、お前も」 「……っ!」 健が言葉に詰まったと同時に、背後から首が押さえれた。痛みよりも驚きのほうが大きい。見ると透明な水が絡みついている。 「健……なっ!」 アラムも水に襲われて砂浜に倒れ込んだ。 「触れないと操れないんだが、ちょうどよく、水を浴びたらな……坊や、お前の言葉は間違っちゃいないさ、けどな、それは力がなきゃただの綺麗事に過ぎない、何も守れないし、成せないってことだ」 水薙が片手をあげると、彼が頭からかかった水を一か所に集めて、玉とする。 「水撃、水ノ矢」 玉から、小さな矢が生まれ、健とアラムに襲い掛かる。 「健、じィさん!」 ジャックが叫び、二人の周囲にシードルを展開し、水の矢から守った。 水薙は舌打ちすると、ジャックに向き直る。 「ハイキ、女の動きを封じろ! 男は俺がやる! ……色男よ、イッちまいな! 水撃、荒海!」 水の玉がうねり、大きな壁となって迫りくるのはさながら牙を剥きだしにした獣だ。 「……くそったれ」 自分にシールドを展開し、ジャックは悪態をついた。 水薙は迷いのない足取りで健とアラムの横を通り、少女に近づいた。 「まだ壊れちゃいないな? ほら、お前の腕だ。俺が直しておいたぜ。敵に爆弾使われて、壊されちゃいないかひやひやしたが、守り切ったぜ」 水薙はコートの中から白い片腕を取り出す。 「私の、腕……私の」 「これに俺の血で名を刻んでおいた。お前は今日から俺のものだ。お前に存在理由を与えてやる……名前は、そうだな。クルスにしよう。安直だが、いい名前だろう?」 「……はい。マスター」 片腕をつけられた少女は――クルスは水薙の胸のなかに倒れ込んだ。 健は酸欠で朦朧とする意識のなかでその様子をじっと見ていた。 手を伸ばせば。 乱暴に健は胸倉を掴まれ、水薙と対峙した。 「……水薙・S・コウ、俺の名前だ。憎悪と絶望を忘れないようによく刻みな。テメェが正しいならいつでも挑んでこい。それまでテメェの名前は聞かないぜ? 坊や……おい、ハイキ、目的は達成した。戻れ!」 ハーデと睨みあっていたハイキがその声に頷き、戦闘態勢を解いた。 「待て……!」 「女、てめぇにはこれをやるよ!」 水薙が自分の片腕を引きちぎると、ハーデの足元に投げる。 かっと閃光が走る。 (腕が爆弾!) まばゆい光のなかでハーデは自分に向けられる視線を感じた。 「お前は、私を廃棄ロボットといったな。確かに……私は廃棄され、もうマスターを得られない身だ。そんな私でも水薙は欲しいと拾いあげ、意味を与えてくれた、帰るところ……この身にはあの人の名は刻めないのに……私はだからあの人のために戦う、壊れる……これが人形遊びだとしても、だ」 光が消えたとき、水薙もハイキも、そして少女も消えていた。 ハーデは周囲を見回し、ずぶ濡れになったジャックが忌々しげな顔をして立ちつくす、その足元に倒れているアラムと健に駆けつけた。 「ジャック、無事だな! ……健、アラム、大丈夫か」 「たはは~、なんとかなぁ~……健」 アラムの気遣う視線に、健は握りしめた拳を砂に叩きつけ、怒りを秘めた瞳で青い空を睨みつけた。
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