分厚い本を片手に、金髪緑瞳の背の高い青年が話をはじめた。「皆さん、よく来てくれました。僕の名はニキータ、世界司書です。今日お願いしたいことはヴォロスでの竜刻暴走の回避。世界図書館では巨大な力を持つ竜刻の研究を仕事の一つとして行っています。そして、竜刻の暴走による異世界の危険を回避することもまた世界図書館の仕事の一つ」 青年は本の表紙を指でなぞりながらゆったりとした口調で続ける。「ヴォロスのとある場所で竜刻が暴走しようとしています。これを回収してきてほしいのです」 竜刻の大地、ヴォロス。とある小さな村の近くにある洞窟。少女はそこで素敵なものを見つけた。 エリーという名の少女は、キラキラと輝く美しい石を手にしていた。 もうすぐ誕生日を迎える母にいいプレゼントができた。これをペンダントにしたらどんなに喜んでくれるだろう。 エリーは母の笑顔を想像しながら、幸せそうに笑った。 手元の美しい石がどんな力を持っているのかも知らずに。「その少女の持つ石こそ竜刻」 世界司書は少女が石を持っている姿を目の前で見ているかのように話を続ける。「竜刻が暴走すれば村一つくらい消えてなくなってしまうでしょう。それを回避するため使っていただくのが『封印のタグ』。対象に貼り付けることで暴走を止めることができます。万が一暴走が起こってしまっても途中であれば封印のタグは有効です。暴走終了後の竜刻も回収してください」 見た目は荷札のようだが、竜刻の魔力を安定させる力を持っている、世界図書館の研究の産物。「竜刻が暴走する前に少女から石を譲り受け、封印のタグを貼り付けて回収すること。それでは、お気をつけて」 世界司書ニキータは変わらぬ笑顔で旅人たちを見送った。
自分でも知らないうちに竜刻を手にしてしまった少女、エリーは小さな村に住んでいた。ヴォロスでも人間に近い種族であるらしく、外見も壱番世界の人間とほとんど変わらず、住居にも特に変わった点はない。 村は他の町からはかなり離れているらしく、森の中にぽつんとある、という感じだった。 流芽四郎が飛ばしたオウルフォームのセクタンにより、エリーの住む家は簡単に見つけられた。 エリーは10~12歳ほどの幼い少女だ。ボブカットにした茶色の髪に、大きな白いリボンをつけている。 このエリーからなんとかして竜刻を譲ってもらわなければならないが、彼女は竜刻である石を大切にしまってあるらしい。それを母のプレゼントにしようというのだから、譲ってもらうにしても一筋縄にはいかないだろう。 依頼を受けてヴォロスまでやってきた4人は、それぞれ別々の方法を考えていた。 花に水をやるために家から出てきたエリーに、まずツヴァイが挑戦する。 この作戦のためにボロボロの服に着替え、髪をぼさぼさにしたツヴァイ。生まれ持った気品さは出来る限り隠したつもりだ。 ツヴァイはさりげなくしかし大胆にエリーの前で倒れて見せた。 「どうしたの?」 エリーは驚いてツヴァイに駆け寄る。大きなリボンがフワリと揺れる。 「うう……。もう、ずっと貧乏で……一週間も、まともにメシを食っていないんだ……。悪いけど、そこの女の子……もし金目のものや宝石なんて持っていたら、譲ってくれないか……。恩は一生忘れないから……」 いかにも行き倒れといった感じでツヴァイが声を出した。演技は完璧とまではいかないが、幼い少女をだますには十分だった。 「かねめのもの? 宝石? それは食べられないよ。それに私はお金になるものは持ってないし……」 そうだ、エリーには自分が持っている石が『金目のもの』という自覚がない。彼女にしてみれば、それは洞窟で拾ってきたきれいな石であって高価な宝石ではないのだ。 「そうだ、ちょっと待ってて」 ふと何かを思いついたように、エリーは急いで家に戻っていった。もしや石か? とツヴァイは思ったが…… 「これ、パン。あと村長さんの家までの地図を描いたよ。村長さんなら行き倒れのお兄さんを泊めてくれると思うよ」 少女が差し出したものは、紙の袋に入れられた丸いパンと小さな紙切れ一枚。 「ああ、あ、ありがとう……」 これが少女の精一杯の気持ちなのだから、むげに断るわけには行かない。普段の喧嘩っ早い性格とは裏腹に弱い者には優しいツヴァイなので、パンと地図を受け取って行き倒れらしくその場を立ち去るしかなかった。 エリーは花に水をやり終えると家に戻ってしまった。ここで流芽四郎の出番だ。 ドアをノックすると、エリーがドアを開けた。 「こんにちはお嬢さん」 「こ、こんにちは」 細身にやや猫背、なんとなく不気味な印象すら与える男を前にして、エリーは少し戸惑っているようだった。 「お嬢さん、貴方様がお持ちのその石は、『竜刻』、と言うものです。ぜひ買い取りたいのですが、可能でしょうか。」 「ちょっと待って、私の持ってる石って?」 エリーはもちろん自分以外の誰かが石のことを知っているなどということは知らない。ロストナンバーは世界司書の予言によって少女が竜刻を持っていることを知りえたのだ。 「石を拾ったでしょう、洞窟で」 「拾ったよ、でもどうして知ってるの?」 エリーの四郎への不信感はますます濃くなる。 「いえね、たまたま見ていたんです」 「そうなんだ……でもあの石は売れないよ、だってお母さんにあげるんだもん」 「ではこの宝石と交換しませんか?」 四郎は牛革の鞄から緑色の宝石を取り出した。傷も異物も殆どない『宝石質の緑柱石』、人造エメラルドだ。 「んー、それもきれいだけど、あの石は私が冒険ごっこをしたときに見つけた大切なものだもん。やっぱり駄目」 四郎は次に鹿を集めて眺める、美しいニンフの絵画を取り出した。 「お部屋に一枚如何でしょうか。取引とは別に、ご要望があれば、皮手袋から革鎧、大型の金唐革まで、ご用意いたしますので、そのときはいつでも声をおかけください」 「んー、よくわかんないや。ごめんなさい」 その絵画の価値も、少女には理解しがたかった。 四郎も引かずに、最後の一品を取り出す。紺碧色の鼈甲を組み合わせた首飾りで、中央がカメオになっていて大輪の蘭を咲かせている。 「如何でしょうか、この蒼いネックレス、金属や宝石にはないこの軽さ、しかし、輝きはそれらと同等、またはそれ以上のもの。お母様への贈り物に最適だと思いますよ」 「きれいだけど、高そうだね。私のお小遣いじゃ買えないや」 カメオをうっとりと眺めていたエリーだが、我に返ってそう言った。 「いえいえ、洞窟で拾った石と交換してくださればいいんです」 「えーっ、拾った石と交換するの? うーん、でもあれは私ががんばって探した石だし、あの洞窟に行って探せば私のと同じ石があるかもしれないよ」 きれいなものが好きでも、やはり自分で手に入れたものはなかなか手放したくないのが心情なのだろうか。それが母へのプレゼントと決めているものであるため、その気持ちもまたひときわ大きいのかもしれない。 「それにおじさんちょっと怪しいし……やっぱり駄目」 バタン、と遠慮気味にドアが閉められた。 コンコン、とドアがノックされ、エリーが家のドアを開ける。ドアを開けて、今日は知らない人によく合うなぁと思った。 「私は旅の占い師だが」 シュマイト・ハーケズヤは小柄で落ち着いた雰囲気の女性。彼女は旅の占い師を装ってエリーに近づくことを考えた。 「今晩ごはんの準備をしてるの」 人里離れた村にこんなに旅人がやってくるものなのだろうか、とエリーは不思議に思っていた。 「キミ、珍しい石を持っているな」 シュマイトは険しい顔で言う。しかし、エリーはいまいちピンと来ないらしい。 「珍しい石? うーん、私じゃなくてさっき来たおじさんが持ってた石のほうが珍しいと思うなぁ。きれいな石だったよ」 そしてエリーは先ほど見たカメオの事を思い出したらしい。 「そうではない、キミが自分で手に入れた石のことだ」 「あなたも私が石を拾ったことを知ってるの? なんで知ってるの?」 エリーは自分ひとりしか知らないと思っていたことを二人も見知らぬ人間が知っていたということが不思議でしょうがなかった。 「それは私が占い師だからだ」 「へー」 それじゃ、とドアを閉めようとするエリーの手を遮るシュマイト。 「その石を見せてくれないか」 「いいよ」 エリーは家の中に戻り、しばらくしてから石を持って出てきた。 「内緒だよ、お母さんをビックリさせるんだから」 そーっとエリーが手を開くと、小さな美しい石が見えた。 「キミ、こんな危険なものをどこで手に入れた?」 険しい声でシュマイトが言う。 「洞窟だよ、村の近くにあるの。これ、危険なの?」 「なぜその石は美しく光っていると思う? それはね、石がキミの運気を吸っているからだよ。よく考えてみたまえ。最近、何か悩んでいる事はないか?」 「ないよ」 以外にもあっさりとエリーに答えられてしまった。彼女にとっては家族と幸せに暮らしている今、特にこれといった悩みがないらしい。もしくは天然なのか。 「今はまだ症状が出ていないか。しかし時間の問題だ……」 「病院に行ったほうがいい?」 少し心配そうにエリーがシュマイトに尋ねる。いや、そういうことではない、とシュマイトが続けた。 「無理にわたしを信じろとは言わない。だが、もしその石に運気を吸われたら、キミばかりでなくご家族も不幸にさらされる」 「この石は人を不幸にするの?」 「そうだ」 シュマイトの真剣さにエリーもやや困った顔をする。 「じゃあ、どうしてさっきのおじさんはこの石を欲しがったんだろ? 自分が不幸になっちゃうかもしれないのに」 様々なものを鞄から出して石と交換しないかと持ちかけてきた四郎のことがエリーの脳裏をよぎった。不幸になる上に宝石を手放すなんて、大人は何を考えているんだろう。 「とにかく、その石をこちらへ」 シュマイトはサッと手を差し出す。このままうまくいけば竜刻を回収できる。 「ちょっと待って、そうしたらお姉さんが不幸になっちゃうよ」 「私は大丈夫、特別な札を持っているからな」 「それを貼ればお姉さんは大丈夫なの?」 「ああ」 うなずくシュマイトの顔を見て、エリーは少し悩んで……いや、かなり悩んでから、渋々と石を渡した。 「ありがとう」 「早くお札を貼らなきゃ!」 エリーに急かされて、シュマイトは竜刻である石に封印のタグを貼り付けた。旅行鞄などに取り付けるタグによく似ているが、これには竜刻の魔力を安定させる特殊な能力が秘められている。これで竜刻は暴走しないはずだ。 「これで大丈夫だ」 普段はプライドが高く落ち着いた佇まいのシュマイトも、思わず顔をほころばせた。 当のエリーは、何がなんだかわからずキョトンとしていた。 「この石には及ばないが、安心して使えるものだ」 代わりにシュマイトはレプリカの宝石をエリーに手渡した。0世界であらかじめ用意してきたものだ。 「もらっていいの?」 「ああ」 「ありがとう」 エリーは苦笑いをしていた。何がなんだかわからないまま、自分の石はレプリカのきれいな宝石に変わってしまった。 「私の出番はなかったみたいね」 コレットが村の待ち合わせ場所で苦笑した。四郎とツヴァイもそこにいる。 「いや、少女はとても落ち込んでいたようだから、何とか元気付けてきてやれないだろうか」 シュマイトがそう言うと、それなら、とコレットがエリーの家に向かった。 もうあたりは日が落ちて暗くなり始めている。 「今日はいろんな人に会ったのね」 「うん、お姉さんもそのうちの一人だね」 今日やってきた冒険者の中で一番歳の近いコレットに、エリーも今までのロストナンバーとは少し違う反応を見せた。 「大切な石、占い師のお姉さんがお札を貼って持っていってしまったのね」 「うん、でも仕方ないよ。お札を貼らなきゃみんなが不幸になっちゃうんだもの」 シュマイトにもらった宝石を手の中でコロコロ転がしながら話すエリー。コレットは、大切にしたいと思う家族がいるエリーが少しうらやましいようにも思えた。 「行き倒れのお兄さんと高そうな宝石を持ってたおじさんは大丈夫かなぁ」 「二人とも大丈夫よ、きっとね」 コレットは金色の髪を揺らしながら、クスクスと笑った。ツヴァイと四郎のことだ。 「これ、お母さんのプレゼントにならないかしら」 優しい笑顔で、コレットが小さな宝石のペンダントをエリーの手に握らせた。セクタンを使ってヴォロスの町で買ったものだ。 「だめだよ、もらえない。私ペンダントをもらえるようなことしてないもん」 「そんなことないわよ、あなたはこの村を救ったんだから」 「え?」 不思議そうな顔でコレットを見上げるエリー。 「あの石は『竜刻』だって、黒髪の男の人が言っていたでしょう? 竜刻ってとても危険なものなの。あなたはそれを見つけてくれたでしょう?」 エリーを慰めるように話しかけるコレット。 「じゃあ、このペンダントをお母さんにプレゼントしてもいいの?」 「いいのよ」 コレットの返事を聞いて、エリーは立ち上がるとコレットの細い腕を引いて駆け出した。 「ど、どこへ行くの?」 「お姉さんから説明して! このペンダントを私がもらって、お母さんにプレゼントしてもいいってこと!」 夕暮れの村を、二人の少女の影が走っていく。 試行錯誤の結果、竜刻が暴走する前に回収することに成功した。 ある意味モンスターよりも厄介な少女を残して、旅行者たちは村を後にした。
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