「やあみなさん、お集まりいただいてありがとうございます。僕はニキータ、世界司書の一人です」 由緒正しそうな分厚い本を抱えた金髪緑眼の青年はそう挨拶した。「今回はヴォロスにモンスター討伐に向かっていただきたいのです。そのモンスターというのがこちら」 彼が本を広げると、そこには三つ首の獣の姿が描かれていた。「これはケルベロスと呼ばれているモンスターです。森の深くに眠っていた竜刻を狼が飲み込んでしまい、モンスターに変化してしまったのです。大きさは大型犬くらいで、ご覧の通り頭が三つあります。この頭はそれぞれに意思があり、連携して動きます。ケルベロスの一番の攻撃方法はこの三つの頭から吐き出す火炎です。まともに食らってしまうと火傷では済みませんよ。もちろん炎だけでなく、噛み付きや引っかき、体当たりなどもしてきます。離れれば火炎、近づけば噛み付きというわけです。厄介な敵ですね」 ニキータが本をめくると、深い森が描かれたページが現れた。「美しい森でしょう、この森にはヴォロスの人間も踏み込んだことがありません。落ち葉が積み上がり、地面はふかふかしています。それを考えると植物や虫たちには優しくても、戦うのに適した足場とは言いがたいでしょう。この美しい緑の森も、あなた方の味方になるとは言いがたいですね。このケルベロスも元は森に暮らす狼、自然の中で生きてきた存在ですから」 パタン、と本を閉じるニキータ。「放っておけばこのモンスターはいずれヴォロスの人間たちに悪影響を及ぼすことになるでしょう。そうなる前にケルベロスを倒し、体内にある竜刻を回収してきてください。それから注意していただきたいのですが、モンスターに対話は通用しません。それはどんな能力を持ってしてでもです。戦って倒す、これ以外に方法はありません」「彼は森に踏み込もうとする人間に非常に敏感です。探さずともあちらから姿を現すでしょう。今回の旅は非常に危険なので、腕に覚えのある方でも十分気をつけていってください。ダメだと思ったら引き上げてくださってかまいません、一番大切なのは自分の命ですよ」 モンスター討伐という依頼に、いつもマイペースなニキータも少しは緊張しているのか……と思ったが、相変わらずの温和な表情だった。「僕がどんな顔をしていても危険なものは危険なんですよ。僕には皆さんが無事帰ってこられるよう祈ることしかできませんが、よろしくお願いします」
深い、深い緑の森。 ここはヴォロス、竜刻とよばれる神秘の物質が眠る世界。 「ここがヴォロスか‥‥悪くはないな。それにしても、竜刻って物を飲み込むだけでモンスターになるとはな‥‥とんでもないぜ」 森を見渡しながらつぶやく一匹のシベリア虎、彼の名はグランディア。 (「深い森、なんだか懐かしい気持ちにもなるわ」) 森に溶け込んでしまいそうな神秘的な空気をまとった獣人の女性、ミルミル・マチュリン。イヌ科の長く大きな耳と、同じくふさふさとした尻尾が彼女の外見的な特徴だ。 「いわゆる人間族ってのは俺だけか」 革ジャンとジーパン姿の青年は木乃咲 進。見た目にはこれといった特徴はないが、今回の旅のメンバーの中では逆にそれが特徴になっているのかもしれない。 三人の頭上を飛んでいる黒竜、彼女は飛天 鴉刃。足元の悪い地上を避け、空からの警戒を続けている。 人語を解すシベリア虎、獣人、黒竜。この中では人間という存在こそ多少浮いている感じすらある。その人間である進も、壱番世界の住人ではないのだが。 上空を飛ぶ鴉刃の髭がヒクヒクと動いた。何か異質なものの存在を捉えたようだ。 「‥‥近いな」 地上にいるミルミルとグランディアもその鼻で自分たちとはまったく別のものの臭いを嗅ぎ取っていた。これは、ただの野生動物ではない。人間とも違う。何かが焦げるような臭い、炎の臭い、血の臭い。 帰り道を見失わないようマーキングをしながら歩みを進めていたグランディアは尻尾につけているトラベルギア『ティグリスの輪』を発動させ、自身を透明化した。 「作戦通りに」 ミルミルが小さくつぶやくと、全員がそれに呼応して森の中に気配を隠した。 数秒か、数分だがそれはとてつもなく長い時間に感じられた。それほどの緊張感。それほどの殺気を放つもの。 「グルルゥ‥‥」 地鳴りのような低い唸り声。本で見たものと同じだが、それを目の前にすると圧倒的な存在感に押しつぶされそうになるまがまがしい殺気を放つモンスター、ケルベロス。 (「きみ、私も全力で戦う。それがせめてもの弔いになるだろうか」) 少し目を閉じ心に決める、ミルミルにはもう迷いはなかった。 元の世界で戦闘には慣れている進も、この獣の放つ殺気を直にうけ、ナイフを握る手のひらにうっすらと汗をにじませていた。 「俺らしくもねえな‥‥行くしかねぇだろ」 自分に言い聞かせるようにつぶやくと、進は先制攻撃のナイフをケルベロスの足元に放った。 「ガアァッ!」 ケルベロスは素早い体さばきでナイフを避ける。しかし、その投げナイフが攻撃の合図だったのだ。透明化しケルベロスの背後に回りこんでいたグランディアが一気に突撃する。 「ぐぁあああ!!!」 獣の唸り声を上げながらグランディアがケルベロスの首に牙を立てる。そのまま押し倒そうとしたが、さすが竜刻の力を飲み込んだ猛獣、体格でグランディアにやや劣りながらも三つの首を活かし牙を逃れた首でグランディアに向けて炎を浴びせた。 「ぐおおっ!」 グランディアは何とか直撃を避ける形で飛び退いたが、ケルベロスを押さえ込むことはできなかった。しかしここで間髪入れず鴉刃が上空から急降下、突撃を食らわせる。 「そこッ!」 ドンッ、と鈍い衝撃がケルベロスと鴉刃の両者の体に響いた。鴉刃は痛みを感じながらも竜と女性の持つしなやかさで体をくねらせ、再び上空へと舞い戻った。 「トゥルカー・ペイッコヤ! 精霊よ癒したまえ」 その間にミルミルは犬霊を呼び寄せ、グランディアの火傷をを癒した。ひやりと心地よい風がグランディアを包む。 「助かる」 「治癒なら任せてくれ」 グランディアは再び透明化し、ケルベロスとの間合いを計る。 三人の猛攻を受け、息を荒げるケルベロス。一つの首が進の姿を捉えると、弾丸のように飛び込んできた。そして射程距離に入るなり、炎を吐き出す‥‥が、不思議なことが起きた。ケルベロスが進に向けて吐き出したはずの炎が、なぜかケルベロス自身に向かって浴びせられたのだ。 「『空間遣い』。てめぇの目の前の空間をちょいといじらせてもらったぜ」 進は自身の特殊能力でケルベロスの全面の空間と背後の空間をつなげ、ループさせることで炎を凌ぎつつ自滅を狙ったのだ。 「面白い術を使う‥‥だが、あまりダメージは与えられていないようだ」 再び炎を吐き出された炎を犬霊の風により吹き飛ばしながら、ミルミルが言った。確かに、わずかに体毛がこげている程度である。 「やっぱ炎を使うモンスターに炎は効かねぇってことか?」 「そのようだ」 じりじりと追い詰められていく進とミルミル。 再び吐き出される炎‥‥だがしかし、その動作を見切った鴉刃が一瞬の隙を付いて上空から再び攻撃を繰り出した。魔力グローブ『闇霧』による斬撃が確実にケルベロスの後頭部を捉える。緑の森に飛び散る華やかな血しぶき。 ボトリとケルベロスの首の一つが落ちる。もう一つの首もグランディアの牙でほとんど動けない状態だ。それでもケルベロスは筋肉を引き締め強引に出血を止めて、宙へ舞い戻ろうとする鴉刃に立ちはだかり炎を吹いた。 「やってくれたな‥‥!」 炎に邪魔をされ空へ戻る機を逸した鴉刃は、地面に足をつくと共に尻尾で柔らかな土を掬い上げ、ケルベロスの眼前に煙幕のように放った。 視界を遮られたケルベロスは闇雲に炎を吐き出した。その火が辺りの木々に燃え移る。 「精霊たちよ!」 ミルミルは犬霊を召喚し、吹雪を起こして火を消した。森が燃えることすらいとわぬ、まさに地獄の業火とはこのことか。 「てめぇの帰る場所は地獄ってことだ!」 土煙が晴れる瞬間を見計らって進が銀の弾丸のごとくナイフを投げつけた。しかしケルベロスも負けじと炎の勢いでナイフを叩き落す。 血反吐を撒き散らしながらも四つの足で地面を捉え、衰えを見せない戦意と殺気。しかし確実に弱っているケルベロスに、グランディアが背後からとどめとばかりに体当たりを食らわせた。今のケルベロスならばグランディアが押さえつけることはさほど難しいことではなかった。すでに二つの頭が行動不能に陥っている。 「お前を裂いて咲かせて散らしてやる。美しい鮮血の華を餞に、さっさと地獄に還りやがれ」 進の決め台詞と共に、空中から十三本のナイフがケルベロスに降り注いだ。『空間遣い』の能力により作り出したループ空間にナイフを投げ込むことで強大な力をナイフに与える『必殺技』。それがケルベロスの体を切り裂き、息の根を止めるに至ったのだ。 「見事だ。ナイフの仕掛けはよくわからんがな」 「あんたの体当たりで必殺技(こいつ)を発動させる時間ができたのさ」 グランディアに向かって進が言った。鴉刃は地面に降り、ミルミルも足元の土を踏みしめながらケルベロスの残骸に近寄った。 「安らかにお眠りなさい。君は立派な戦士だった」 ミルミルがそう声を掛けると、力を失ったケルベロスは土に還るようにその姿を地に消した。後に残ったのは血と狼の形にへこんだ柔らかな土だけ‥‥いや、その中に小さな動物の骨のようなものがあった。 「これが竜刻‥‥?」 進が恐る恐るそれを拾い上げた。これを飲み込んだがために、ただの狼が恐ろしい力を持つモンスターへと変わってしまったのだ。それならばケルベロスも、かわいそうなものだったのかもしれない。その魂が今、こうして土に還ることで救われたのだ‥‥。 「許されるなら、瞑想しに行きたい森だったわ」 「‥‥そうだな」 帰り道、少し悲しげに言うミルミルに鴉刃が静かに賛同した。 「竜刻、食べたら恐ろしいぜ。ああいう風にはなりたくないな」 「俺も、金がねぇからって拾い食いだけはやめといたほうがいいよな」 「‥‥それは金があってもなくてもやめたほうがいいぞ」 「あんた俺の金運のなさ知らねぇな? うつっても知らねぇぞ! いやむしろうつしてやりてー!」 頭をむしむし掻きながらグランディアに向かって怒鳴りたてる進。 「ただ、この面子で瞑想は難しいかも‥‥」 「否定できん」 緊張の糸が切れたのか、女性陣のほうからクスクスと疲れた笑いが漏れ出した。
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