白昼の太陽の下、城から火の手があがっていた。 かつてヴォロスの辺境において、白亜の宮殿と謡われた流麗な大理石の建造物は、今や煤にまみれ赤い炎に炙られていた。 激戦の後だったのだろうか。 甲冑に戦套、命に賭けても守ると誓った白地に鷹の羽ばたく勇ましい軍旗。 それらは無残な姿となって床に散乱していた。 城の裏手に跳ね橋がかかっている。 橋の中央に一人の男が立っていた。 手に一本の槍を持っているが、痩せた腕や足は戦闘経験が少ないことを物語る。 壮年に差し掛かったことを示す顔の皺は、険しく歪んでいた。 彼は城の裏門を睨みつけている。 威厳ある視線にいからせた肩。この国の宰相位にあった地位を示すマントをはためかせ、慣れぬ手つきで槍の柄を確かめるようになぞる。 城門が開き、一台の白い馬車が橋へと近寄ってきた。 幌には王族の存在を示す軍旗がはためいている。 その馬車に向け、彼は恭しく頭を垂れた。 幌の布をまくりあげ、馬車の中から顔を出したのは、朝までは王と呼ばれた老人。 そして今は、戦犯にしたてあげられ斬首を待つのみの敗戦国の責任者。 だが、良政を敷いていた報いは、彼に幸福をもたらした。 出入りの商人が捕虜となった騎士団を解き放ち、自由の身となった騎士達は自らの命を王たる彼を逃がすために費やし、民や兵士は彼の逃亡を密かに助けた。 結果、かつて王であった老人は命を拾い、ここに落ち延びようとしている。 王の瞳に映るのは頭を垂れている男、彼は国の宰相位にあり、王の右腕であり、古き盟友。「今まで感謝する。ジルバ、我が盟友よ、さあ馬車に乗れ、そして共に落ち延びよう。お前の頭脳は国の再興に必要だ」「いいえ、王よ。この馬車では追っ手がかかっては逃げきる事も難しいでしょう。隣国に落ち延び、いつの日か国土を再興していただくために。この橋は私が守ります」「……また、会おう」「必ず」 短い別れを惜しみ、馬車は駆け出していく。 開いた城門を閉じるものはもういない。 ジルバと呼ばれた男は槍を携える。 自らの武力を鑑みれば、追っ手を掃討するどころか、死体として馬の進路を妨害するのが関の山だろう。 しかし。 ここで退くわけにはいかなかった。 忠誠ではない。これは男としての意地である。「いたぞ」 こちらを指差し、兵士が仲間を呼ぶ声がする。 彼は目を閉じ、そして開けた。 駆け寄ってくる兵士は歩兵が五人。 万一、彼らを倒せたとして、その後には何十人もの騎兵が控えているに違いない。 期せずして、彼は口元に笑みを浮かべた。 ここまで「オイシイ」シチュエーションで命の灯火が尽きることになろうとは。 かつて憧れた吟遊詩人の伝承歌の英雄のように、武器が剣でない事が残念だった。 そして。 ――結末は、奇跡でも勝利でもなく、ただ老骨が朱に染まるだけ、という事も。 だが。「ヴォロス辺境国ヴァイスが宰相ジルバ。お相手する」 彼は豪胆な宣言とともに、橋の中央へと仁王立ちした。 ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★「おまえら、『負け戦』って好きだよな?」 唐突に不吉な言葉を口にしたインディアン装束のシドは、その場で一人だけ南国だった。「今回の舞台はヴォロスの辺境国ヴァイス、まぁ、小さな国が近くの国に攻め落とされた。それだけなら住人同士の勢力争いだから、世界図書館は感知しねぇ。ただ、この国の宰相ジルバってのが厄介でだな」 シドはぽりぽりと頭をかいた。「元ロストナンバーでな、何十年も前にヴォロスを故郷として再帰属しやがった。んで、辺境のそのあたりの地方での世界図書館の協力者だったんだ。おまえらがヴォロスのそのあたりに行った時に食料や宿なんかの便宜を図ってもらってたんだが、そういう世界図書館に協力してくれる権力者ってのは貴重なんだよ。……ってのは建前で、やっぱり同じ釜のメシを食ったヤツがピンチってのは気分悪りぃ。だが、過去の義理でもって世界図書館はこいつに脱出を勧告したんだが拒否しやがった。『国が落ち、城が燃え、王が逃亡する。ならば宰相くらい死んでみせねば先に逝った兵士や国民の前に出す顔なんぞない』だとさ。……まぁ、齢五十絡みの男がガキみてぇに命張って意地張ってんだ。生半可な覚悟で、そいつに首つっこんで黙らせるこたぁできねぇが……」 シドはチケットを差し出した。「それならこっちも意地だ。昔の仲間が命捨ててバカな意地張るってんなら、こっちは後でブン殴られる覚悟つきで、意地でも助けてみせたくなる。そうだろうが? ――ってコトだ。なぁ、現役ロストナンバーども。ちょっくらバカなOBに喝いれて、逃がしてきてくれや」 そう言ってシドは豪快に大笑いした。
門が開く。 先頭に立った騎兵の旗印はやはり侵略者のものだった。 彼は橋の中央に仁王立ちする老人を見て、微かに笑ったかも知れない。 後ろに何やら呟くと、その騎兵は老宰相ジルバ目掛けて走り始めた。 ジルバの方では、槍の柄を地面に置き、腰を落として柄を踏みしめる。 地面を支えとして槍を固定し、馬の突撃力に穂先を合わせることで、その槍は馬の首へと突き刺さるだろう。 そして、次の瞬間、馬上の兵士が振り下ろした剣がジルバの脳天を叩きわり、その馬を道連れに老骨が天に召されることになる。 ジルバはそれだけ考えると、迫る騎兵との距離が十分に詰まった事を確認し、彼は目を閉じた。 覚悟の時はすぐにやってくる。 ――はずだった。 激しく打ち合わせられる金属音。 ジルバの構えた槍に、馬のあたる衝撃は走らない。 彼の老いた首に、馬上から剣が振り下ろされる様子もない。 死への旅路にしては、あまりの長い時間に彼は思わず顔をあげる。 彼が最初に見たものは、馬上より落ちてうめく騎兵。 そして、褐色の肌に若々しさを溢れさせ、斑の髪を風になびかせた若者。 「己で見出した『故郷』に殉ずるか……、その意気や良し」 太陽を背に、快活な笑顔を浮かべて褐色の肌を持つ男は大きく笑った。 次の瞬間、顔を引き締める。 「だが、そなたの旅路の末は……。本当に此処なのか?」 決して背丈が低い方ではないジルバを見下ろし、太陽のような汲めども尽きぬ生命力を迸らせて彼は問う。 「何者だ!」 「馬だ。ヴァイスの残党か!?」 「宰相が隣にいるぞ!」 「構うな、蹴散らせ!」 「殺せ!」 門の中で、侵略者達の声がした。 褐色の若者はたった今、主人を失った馬の手綱を無理矢理たぐり、力ずくで従えると、地を蹴って馬上へと跳ね上がる。 ひひんと嘶いた馬は僅かに身じろぎをするが、阮を背にして次第に落ち着きを取り戻した。 「蹴散らせ? ……はっはっはっ! 面白い! 珂沙の白虎・阮亮道(ルァン・リァンタオ)、同胞の呼び掛けに応じて馳せ参じた!」 しゃらん、しゃらんと右足の腕輪が金属音を立てる。 同時に左手の手首に嵌った腕輪もまた、打ち鳴らす。 まるで演劇の舞台であるかのような、パフォーマンスと共に彼の左右に馬と虎、二頭の獣が雄雄しく吼える。 真横にあってジルバは阮の顔をしげしげと見つめた。 多数の民族を擁するヴォロスだが、このヴァイスでは見たことのない風貌である。 「お、おまえは……」 「阮(ルァン)、ロストナンバーだ」 快活に応え、振りかざした右腕の先に青龍偃月刀がぎらりと光る。 そして、彼は燃え下がる城へと宣言した。 「さぁさぁ! これより先へ行かんとする者、死を覚悟せよ!」 二頭の獣を引き連れ、馬上の阮は並み居る騎兵を次々と屠り始めた。 青龍偃月刀を振るってはいるが、血飛沫があがらないところを見ると、殺してはいないようだ。 圧倒的多数を相手に余計な殺人すら行わない戦闘力。 彼の奮迅ぶりに、ジルバはふとこれを可能にする戦力を思い出す。 かつての故郷である世界図書館と、その戦力を。 「……ロストナンバー。さては、シドのやつか!」 「はい、正解。そのとおり。……全く、自らに鞭打つ真似をするとは中々に自虐的で見上げたものです」 ジルバの独り言に、答えたのはレウィス。 銀の髪に赤の瞳の彼は、戦場であるにも関わらず爽やかに微笑んだ。 「まったく、あいつは余計なマネをしおってからに」 「余計なマネ? そういえば『先に逝った人間に出す顔がない』だとか? おかしなことをいうものだと思いましたよ。生きていたら死者と顔合わせるもないでしょうに。本当に顔を出しにくいのなら、精々這いずってもがいて長生きして、延ばしに先延ばししたらどうですか? ……それとも、その人達が貴方に直接『死んでくれ』とでもいいました?」 あまりといえばあまりなレウィスの物言いに、ジルバはきょとんと目を丸くする。 「まあ、正直貴方の手前勝手な意地やら覚悟やらに興味はありません。が、一応『仕事』は『仕事』 報酬を頂く側としては、依頼人の希望にはなるべく応えておきたいので言ってみただけです」 「くく、くははははっ! ロストナンバーとは随分、失礼な物言いをするようになったものだな。……ところで若造。城の中にいる兵士はおよそ千、そのうち五百程が騎兵だ。世界図書館の援軍はどれほどいると?」 「援軍は四名、全員が王侯あるいは将校クラスの戦闘に長けたロストナンバーです」 「四だと?」 「はい。いかがですか?」 「いかがも何も……」 レウィスの笑顔を受けて、ジルバは城を見る。 現在のところ、阮が獣と共に一騎で橋の中央で大立ち回りを演じている。 すでに倒れた騎兵の数は両手の指では利くまい。 つまるところ、追っ手の第一陣を彼一人で叩き伏せた形になる。 ヴォロスが辺境の精兵一千の兵に対して、ロストナンバーは四騎。 むぅ、とジルバが唸る。 それまで静かにしていたロストナンバーが、おもむろに旅人の外套を脱ぎ捨てた。 「兵力の差がありすぎる。勝負にならんに決まっているだろう」 断言した彼は人型ではない。 四足、猫型、いわゆるライオンである。 ヴァイスのある地方にあって獣人が言葉を口にすることは決して珍しくはないのだが、獣そのものが喋ることに慣れているものは少ない。 何より野犬や熊と比較するべくもない威厳が、この獅子を取り巻いている。 彼は、戦場に出る栄誉を阮に取られたと言って「ガオォ」と小さく唸った。 「ええ、その通りです。勝負になりませんね」 レウィスは、アレクサンダーの鬣を眺めると城門へと向き直った。 「千騎の足止めに、四人のロストナンバーですよ?」 「おう!」とアレクサンダーが呼応する。 次いで、レウィスとジルバは同じ言葉を口にした。 ―― 十分すぎるに決まっている。と。 「オオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!」 レグルスの王冠を頭上に抱き、百獣の王たる咆哮がヴァイス城の周辺を薙いだ。 その音圧は兵士を竦ませ、馬を怯ませ、味方をも辟易とさせる。 耳を塞いでなお、横に立つヴァンスは頭の中をかき回されるような違和感に眩暈を覚えた。 「なんて大声だろうね。……いや、ご立派。さて、僕は僕の仕事をする事にしよう」 風になびく蜜柑色の長髪をかきあげ、彼の周囲の空気が凛とした威厳をまとう。 「……コールド・ブラッド!」 周囲の空気が冷え、凛とした凄みを帯びた。 ヴァンスの声と共に、幾筋もの氷の刃が飛び交い、騎馬の足や槍の付け根を凍結させていく。 ついで彼は拳銃を手にした。 ヴォロスのみならず、剣や魔法を武器とする世界群ではかなり異質な存在である。。 レウィスは、ヴァンスの持つ銃を見つめ、おや、と呟いた。 「銃ですか? おやおや、騎兵相手に飛び道具は卑怯だと思いません?」 「そうかも知れないね。だけど、手加減するには慣れたものでないと、間違えて殺してしまいそうだよ。見逃してくれないかい?」 「ええ、もちろん。気が合いますね」 笑顔のまま、レウィスが取り出したのはぬいぐるみ。 一瞬、呆れたような表情を浮かべたヴァンスに微笑みを返すと、彼は戦場には不釣合いなその愛玩道具の口から、弾丸を射出した。 遥か前方、阮と刃を交えていた兵士の腕を貫き通す。 「……僕より、レウィスのほうがよっぽど悪辣に見えるよ?」 「光栄です」 そして彼らは弾丸の雨を横なぎに降らせた。 「な、何だ、あれは!」 城門の中、金属の鎧に身を包んだ兵士が声をあげる。 彼の指差す先、レウィスとヴァンスの弾丸が次々と勇壮な騎兵を転倒へと追い込んでいた。 体勢を立て直そうにも、自分がどう攻撃されているのか分からないのでは対応の取り様がない。 まともに走れる騎兵がいなくなったところで、ようやく止んだ不可思議の攻撃の代わりに、今度は非常にオーソドックスな恐怖が走りこむ。 橋の中央にいたのは黄金の獅子。 薄い鉄の装甲を噛み砕き、体重をかけた足で槍をへし折り、獅子が戦場に君臨した。 「オオオオオ!!!!!」 アレクサンダーの咆哮は橋梁の中央において、雄雄しく広がる。 城門付近の馬は完全に怯え、歩兵も腰が引けていた。 その中、さすがに鍛錬された兵士は剣や槍を手に迫ってくるが、アレクサンダーの爪が、牙が、容易く引き裂き、橋から堀へと叩き落していく。 風のように縦横無尽に走り、次々と打ち据えていく阮の曲刀と、炎のように雄雄しいアレクサンダーの動きに、城門から出てきたものは当たるを幸いと無力化される。 橋の上に転がる兵士は、腕や腹、足などに傷を負って呻くもので溢れるが、視界にある限り、死者の姿は見えていなかった。 アレクサンダーの動きが止まり、阮の馬へと並ぶ。 「おい、阮とやら。貴様の乗ってる馬は怯えぬな!」 「そんなことはない。こいつとて、怯えているとも、獅子の王よ!」 「ほほう? ならば、貴様の乗馬技術で抑えているとでも言うか?」 「いいや。……『恐れる必要はない。お前の背に騎乗しているのは猛虎だ。この程度の咆哮など取るに足りぬ』と語りかけているのだ。なかなか勇敢な馬だぞ」 「このわしの咆哮が取るに足らぬと!? おぬし、なかなか歌うではないか。いつでも相手してくれようぞ!」 またも吼えたアレクサンダーの足元に矢が突き刺さった。 一本、また一本。 そして見る間に矢の雨が橋へと降り注ぐ。 城門にずらりと弓兵の姿が見えた。 彼らが矢を番えると、再び矢が黒い雨となって橋へと降り注ぐ。 「えげつないですねぇ。橋の上には、味方がいっぱい倒れているでしょうに」 レウィスがため息をつく。 阮やアレクサンダーがいかに手加減をしようと、味方から雨のように矢を降らされては死傷者も出たことだろう。 阮やアレクサンダーも、おとなしく鎧や盾の影に隠れていてくれれば良いのだが、と周囲を探ると、彼らは橋から退避し、城から50メートルほどの所に並んだ。 ジルバは阮の馬に乗せられている。 どうやら矢が降り注ぐ前に、彼に拾われたようだ。 かなり乱暴に拾い上げられたようで「ロストナンバーというのは、今も昔も、どうしてこう乱暴なやつが多いのやら」とため息をついていた。 彼に並び、アレクサンダーが目を向ける。 「ジルバ。元ロストナンバーか。貴様を心配する輩は、色々いるようだな。貴様は王の元へ行き、再建の手伝いでもするがよい。勇敢なのはいいが、これは無謀である」 「断る。宰相が立場は伊達ではないぞ」 「ご立派だねぇ、全く。いや、皮肉じゃなくってさ心からそう思うよ」 アレクサンダーとジルバの会話に、ヴァンスは拍手交じりに割り込んだ。 城門からの矢衾は今のところ沈静化しているようだ。 馬の嘶きが聞こえるところを見ると、騎兵が突撃でも仕掛けてくるつもりだろうか。 「いやいや、中々出来る事じゃない。でもね、この国の再建に尽力出来る人なんでしょ。それなのに此処で死ぬってさ、それこそ死んでいった人達に顔向け出来ないんじゃないかな。まあ、僕達が此処に来たのは死なせる為ではないから逃げて貰わないと困るんだけどね。いい歳して愚図ってる場合じゃないよ」 「しかし……」 「時間稼ぎなら充分出来るから。碌に槍を扱った事が無い人よりもずっとね。そんなんじゃ時間稼ぎにもなりはしないよ」 「……で、結局貴方、死にたいんですか?」 割り込んだのはレウィス。 丁寧な口調と笑顔に、心なしから苛立ちの色が浮かんでいる。 「いずれにせよ、私たちがここに来た時点で、貴方が逃げようがここで死のうが、人が一人死ぬか生きるかの違いしかなくなったんですから。この期に及んでぐずぐずぐずぐず言わないで下さいよ面倒くさい」 『全軍、抜刀ーっ!!!』 城門で大きな声がした。 城の中で、下士官クラスが軍の再編成を終えたらしい。 数騎を頂点に、突撃陣形を組んでいる。 本来ならば、少数でもって大軍を突破する時に用いる攻撃偏重の陣形である。 決して大人数で少数を踏み潰すために用いるものではない。 だが。 「分かっているではないか、あやつらめ! ロストナンバー四騎を相手にするということは、四千の兵を敵に回したに等しいと。さあ、四倍の兵力を相手にどう立ち回る気か!」 猛るアレクサンダーをレウィスの手が静止した。 ちょっとだけ待ってください、と微笑んでいる。 『突撃ぃぃぃーっ!!!』 城門から勇ましい声が響く。 騎馬の蹄鉄か木造の橋を蹴りつける音がして、橋の横幅いっぱいに一列に並んだ騎兵が突撃槍を構えてつっこんでくる。 騎兵の突撃だ。 基本的に、迎撃側は横隊を組んだ長槍兵が密集し、槍衾を構えて迎え撃つのがセオリーとされている。 もちろん、今回のように数も装備もない時は逃げるに限る。 特に。 「左右に分かれて回避、その後、左右から挟み撃ちだな!」 「わしの咆哮で竦ませてやる、その後、全員でかかれば問題なかろう」 「僕ならここから銃撃できるよ。数は減らせると思う」 特に、それぞれの性質がまったく異なる場合は連携が取れない。 静止をかけたレウィスは笑顔を絶やさぬまま、どんどんと近づいてくる騎兵を眺めていた。 橋の中腹部。 騎兵の中の一人が築いた。 この馬の進軍ルートに、何か白くてもこもこしたものが落ちていた。 彼の目が良ければ、ぬいぐるみであると判別できていたかも知れない。 どちらにせよ、騎兵の進軍は止まらない。 彼は馬がそのぬいぐるみを踏んで転倒しない事に細心の注意を払った。 城と、ロストナンバーの中間あたりに差し掛かったと思ったその瞬間、ぬいぐるみを中心にぱぁんと破裂音がして騎兵の中核が数騎、橋へと倒れる。 音に怯えた馬は、自らの勢いを殺すことができず、かといって左右が詰まった状況で静止することもできず、ただ混乱のうちに足がもつれて地へと転倒していった。 「何だ。今のは! 魔法か?」 「いいえ? 『手榴弾』っていいます。はい、こんにちは、お元気で」 かろうじて立ち上がった騎兵の兜に、仕込み銃の弾丸がかする。 耳部の真正面で、金属同士が激しくぶつかり、衝撃とともに直接あたっていた鼓膜は激しく揺さ振られ、彼の平衡感覚に激しい違和感を注ぎ込む。 騎兵はごろごろと転がり、橋から落下した。 どぼんと水音が響く。 「……酷いことをするロストナンバーもいるものだね。そんなことをするのは僕くらいかと思っていたのだけど」 「お互い様ですよ。さて、肉弾戦は阮さんやアレクサンダーさんにお任せしますね」 『応!』 馬が立ち上がる間もなく、抜刀してもヴァンスの銃で牽制され身動きが取れない騎兵に、阮とアレクサンダーが獣のように飛び掛る。 体当たりで、あるいは体術を用いて、橋から堀へとどんどん蹴り落とし、投げ落とした。 「敗れた国の、王を守るために自ら、犠牲になろうとは。本来なら、突っ込むべきではなかろうが、だが、今回は突っ込みを入れさせてもらう」 橋の中央。 アレクサンダーは獅子の威容を背に猛る。 言葉の先は背中。レウィス、ヴァンスと並んで馬上にあるジルバに向けられていた。 「逃げるがいい。命あっての、話だ。王の元へ行き、建て直しに行け。追っ手は、わしが、何とかしてやろう」 「そうとも! 果てるのならば、友の傍を選べ!」 青竜刀を振り上げ、阮が呼応する。 ジルバの騎乗する馬がひひんと嘶いた。 待て、とまるな、と静止するジルバの声を聞かず、馬は城を背に一目散に駆け出していく。 向かう方角は隣国。彼の王が亡命を果たした地。 走り去る彼と馬を見つめ、レウィスが呟いた。 「やれやれ、可愛くない人でした。自分の生死に他人を理由にするのは苛々しますね。自己犠牲? 陶酔するのは吟遊詩人のサーガだけで十分です」 ふん、と言い捨てる。 再度、振りむいた先では阮とアレクサンダーが大立ち回りを演じている最中だった。 踊りかかっては振りほどかれ、武器を弾かれる。 「あいつだ! 曲刀の方を片付けろ、三匹の獣は従者だ!」 「なんだと、失礼な! 他の二頭は阮の使い魔かも知れんが、わしは違うぞ!」 アレクサンダーのつっこみに、指示した兵士がひぃぃと怯えて引っ込む。 追いかけようとしたアレクサンダーの背に声がかかる。 「適当にしていいよ。足止めをすれば十分だからね。落城させる必要はないよ」 「わ、わかっておるわ!」 アレクサンダーは再び大きく吼えた。 夕日が地平線に差し掛かり、空と大地を真っ赤に染め上げる。 今、城門は固く閉ざされ、弓兵は列をなして城壁に並び、一歩も近づけまいと矢先を橋へと構えていた。 膠着状態になったのはおよそ一時間前。 青龍偃月刀を手に、阮が城門まで攻め上ったのを機に侵略者は城門を閉ざした。 城門より締め出された兵士はやぶれかぶれに阮、あるいはアレクサンダーへと斬りかかっては堀へと突き落とされる。 堀へ落ちてしまえば、重量のある鎧が邪魔をして思うように動くことができず、結局は城を回りこむ形で、上陸するしかない。 他の門から追っ手がかかったかという恐れがあったが、少なくともここから見えないほどの大回りをしているのであれば、馬車もジルバも隣国へと逃げ込むことができたと検討がつく。 城門から攻め込まれず、さりとて立ち去りもせず。 彼ら四人は城門から姿が見えるよう、橋の手前で状況を眺めていた。 最初に口を開いたのはヴァンス。 「そろそろ潮時じゃないかな?」 「そうかも知れませんね」 レウィスが相槌を打ち、深く息を吐いた。 戦場の跡にしては死体の数がとても少ない。 無駄な殺戮は行わない方針が功を奏したらしい。 アレクサンダーはぐるぅ、と喉を震わせる。 「国か……。縄張りと言っちゃあどうかと思うが、色々な諸事情も絡むのは、複雑でならない」 「百獣の王の言葉にしては気弱だな」 言葉を返したのは、並んで戦った阮。 体中に傷跡があるところを見ると、相当の激戦をくぐったようだ。 「ぬかせ、猫虎。おぬしのようなものを猪武者という」 「はっはっはっ、よかったらそなた、先ほどの兵士が言っていたように、この緋胡来の従者になるか?」 「ほざけ。『緋胡来(フェイフーライ)』だと? 自分を胡来(無謀者)などと名乗る輩に、百獣の王を御せるものか。貴様こそ、俺様に従えば将軍にしてやるぞ」 「わはははははっ!」 ケンカでも始まるのかと言う舌戦だが、空気は険悪ではない。 ともに戦った仲間であればこれくらいの軽口は叩き合えるのか。 それとも、いつか腕試しでも始まるのか。 「負け戦……ね」 負け戦。旅立つ前にシドが言った言葉である。 ヴァンスは侵略者の旗が翻ったヴァイス城を見上げた。 自分達の仕事は、グズる老人を送り届けること。 この国に代わって城を奪い返す程の義理もない。 だが。 白亜の宮殿は、今頃、あちこち煤けているのだろう。 この城の王が、何を誤ったかは分からない。 戦う時期を間違えたか、軍略を読みたがえたか、あるいは謀略にでもかかったのか。 それはロストナンバー達の知るところではない。 だが、この城は負けたし、陥落した。 「僕は嫌いだけどね。勝敗は兵家の常っていうけど、やっぱり勝ちたいじゃない、戦うんならさ」 ヴァンスはそう呟く。 戦いは一方的な物の見方をしてはいけない。 勝者となったものは、あるいはこの戦がなければ飢えて死んだかも知れないし、王の気まぐれだったのかも知れない。 まさに勝敗は兵家の常だ。 どちらにせよ、この城には陥落という汚名が残された。 炎や煙はすでに収まっている。 剣の手入れをおえた阮は、城に翻る旗を眺めた。 「俺のところも、もしも違う道を選んでいたら、こうなっていただろうかと……いや、言うまい」 そして彼は目を伏せた。 「さて、帰ろうか」 誰かが口にした。 帰ったらシドに話をしてやろう、と。
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