その日、彼らはヴォロスのとある街角にいた。 数人の仲間と共に無事依頼を完遂し、帰路へつこうというところだった。だが、思ったよりもスムーズに事が進んでしまったため、帰りのロストレイルが駅に到着するまであと3時間程ある。「どうしようか……」「ずっと駅で待っているのもなんだか勿体無いよね」 仲間達はそんな話をはじめたかと思うと。「じゃあ俺は観光にでも行くかな。湖の側の古城が綺麗だって聞いたんだよな」「じゃあ私は市場に行くわ。美味しい料理もかわいい雑貨もあるから、時間が空いたら一度行ってみたかったのよね」「僕は、劇場に行こう。エルフの劇作家の舞台がちょっどあるって、さっきチラシを見たんだよね」 なんて、次々と自分達の行き先を決めてしまったのだ。 行き先が決まってからは早い。限られた時間を無駄にするまいと、皆、散っていく。 あっという間にその場に残されたのは、イルファーンとエレニア・アンデルセンだけとなってしまった。「……」「……、……」 沈黙が、降りる。 共に依頼をこなしたとはいえ二人はこの依頼がきっかけで初めて出会ったのだ。世間話をするとはいってもなかなかに距離を測りかねる。 イルファーンがちらっと彼女に視線をやると、エレニアは手持ち無沙汰なのか、パペットのエレクをふにふにと手で弄っている。「……」 一瞬、迷って。「エレニア・アンデルセン、だったよね?」「……! そ、そうだよっ」 発せられた玲瓏なる声にエレニアはびくっと身体を震わせて。まさか声を掛けられるとは思っていなかったのだろう、急いでパペットをはめて返事をする。発せられる声は、少年のような声。 彼女は依頼中もこうして会話をしていたからして、イルファーンはさほど驚かなかった。言葉を続けようと唇を開く。「エレニア・アンデルセン。よければ僕が時間を潰すのに付き合ってくれないかな?」「え……」「一人で時間を潰すのも味気ないし、エレニア・アンデルセンを一人にするのも気が引けるしね」 他の者が思い思いに散っていっても彼女は動こうとしなかった。と言うことはどこかに出かけるあても、その気もなかったのではないか。彼女に気を使わせないために、こんな誘い方をしてみた。自分の我儘に付き合わせるのだから、嫌であれば断っても構わないよ、と。 エレニアとしては何故いちいちフルネームで呼ぶのだろう、そんな疑問が頭の中をよぎったが――まあそれについては彼には彼なりのこだわりがあるのだろう――それよりも彼が自分を気遣ってくれたのだと気がついて、その美しい姿を改めて見つめる。「この近くに鉱石でできた洞窟があるそうだよ。とても神秘的で美しいって……よかったら行ってみないかい?」 せっかくの誘いを断るのは失礼な気がして。それに一人で三時間も時間をつぶすあてもなかったし、どうせならば有意義に時間を使えたほうがいいかもしれない。 なにより、その洞窟を見てみたくなったから。「いいよ。行こう!」 パペットのエレクを通してだけれど、喜んでその誘いに乗ったのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>エレニア・アンデルセン(chmr3870)イルファーン(ccvn5011)
ヴォロスの緑を多く孕んだ柔らかい風が二人を撫でる。とりあえず駅を出て、あてどもなく歩く道すがら、春の日差しに目を細め、イルファーンは足を止めた。 「さてどこへ行こうか、エレニア・アンデルセン」 光に透ける白色の髪が眩しくて、いや、これは彼の醸しだす不思議な高貴さが視覚化しているのだろうか――エレニア・アンデルセンは目を細めてイルファーンを見つめた。 すらっとしたその体躯はかといって頼りないというわけではなく、細身ではあるがしっかりとしたその胸板は彼女を受け止めてもびくともしないだろう。ピジョン・ブラッドの瞳は髪と太陽が作り出す光の冠と相まって、彼をより幻想的な雰囲気に包んでいた。 「わた……『僕はどこでもいいよ! イルファーンは?』」 初めて、彼をしっかりと見た。依頼中に顔を合わせることはあったけれども、さすがに二人きりで過ごすことはなくて。こんな事情がなければ、きっと彼だけを見つめることなどなかっただろう――彼の不思議な雰囲気に飲まれて思わず『自分の声』が漏れてしまい、慌ててパペットのエレクに答えてもらう。 「僕は……そうだな、まず洞窟へ行きたい」 口元に手を当てて少し考えるような素振りを見せた彼だったが、答えは最初から決まっていたようで。柔らかく笑んで希望を告げた。 (イルファーンさんて、とても綺麗な方ですよね) 行き先に了承したエレニアは、自分の歩幅に合わせて先導してくれる彼をちらちらと見つめて。ときおり顔をこちらへ向けて、きちんとついてこれているか確認してくれる優しい心遣いも嬉しい。 「折角だし、道中少し質問してもいいかな? 僕はエレニア・アンデルセンの事、知りたいんだ」 (声も、とっても澄んでいて心地いいです) 『声』を操る、『声』のスペシャリストであるエレニア。そんな彼女が心地いいと感じる澄んだ声色。イルファーンのそれは不思議とエレニアの心を柔らかくしていく。 (こんな素敵な方と一緒と言うのは少し緊張しますが……折角誘って頂いたのだから楽しまないと) 『いいよ! 何を聞きたいのかな?』 パペットのエレクの動きを視界に捉えながらイルファーンはしっかりとエレニアの顔色も見ていて。青い瞳の奥、青藍色の部分が愉しそうに揺れていたから安心して、口を開く。 「そうだな……故郷はどんな所? 仕事は?」 「……」 その問いに落ちたのは穏やかな沈黙。普通の雑談として切り出した話題だったのだが、良くなかったのだろうか。 「好きな物は?」 付け加えるようにして立て続けに問われたエレニアは一瞬だけ青藍の瞳を揺らしたが、すぐにその揺らぎを抑えていつも浮かべる普通の表情に戻った。だが、イルファーンはその小さなゆらぎを見逃さなかった。否、見逃せないのだ。 なぜだかわからないけれど、彼女の全てを見ていたい、もっと知りたい――そんな欲求に駆られている。 最初はこの偶然与えられた時間をいかに潰すかを考えていたのだが、陽の下で動く彼女をしっかりと見れば見るほど、興味が首をもたげる。 『僕達の故郷は、少し雰囲気がヴォロスに似ているかもしれないね。妖精とか魔物とか、魔法使いとか冒険者がいる世界だよ。最近は大きな戦争もなくて。その点ではそこそこ平和かな?』 望郷の念を込めて空を見上げるエレニアの細い黒髪を風が撫でていく。陽に透かされると彼女の糸は青みを帯びて見えた。 『仕事はね、伝言師って言うんだ。他の世界ではあまり聞かないけど、人から預かった伝言を届けるんだよ』 「それは、郵便配達屋とは違うのかな?」 『全然違うさ!』 イルファーンの問いかけに、エレクの動きが大きくなる。 『モノに書かれた言葉を伝えるんじゃなくて、ナマの言葉を伝えるんだよ。伝言を預けた人の声で届けるんだ。届け先人の所在が不明でも、僕達は諦めない。預かった伝言を伝えるまで、探し続ける』 「仕事に誇りを持って接しているんだね」 「『勿論!』……です」 彼女の――エレクの口ぶりと動きからは、自身の仕事に対する誇りが感じられた。エレニアは図らずも自分が少し興奮してしまったことに気がついたのか、エレクの口ぶりとは反対に小さく、自分の声で付け加える。そして少し、視線を逸らした。 そんな彼女の仕草が愛らしくて、イルファーンは口の端に浮かぶ笑みを隠せなかった。 『後は好きな物だっけ? そうだなぁ……焼き菓子は結構好きかもしれない。マドレーヌとか、タルトとか!』 「では、洞窟の後に市場に寄ってみようか。エレニア・アンデルセンの新たな好物が見つかるかもしれないからね」 『あの……』 「ん?」 澄んだ声の色を優しく変えて告げたイルファーンに、エレニアがエレクを動かしながら声をかけてきた。その瞳からは聞いてもいいものか、失礼ではないだろうかという逡巡が感じられて。 『僕も聞いてもいいかな? イルファーンはなんで、相手をフルネームで呼ぶの?』 単なる好奇心か、それとも裏にあるであろう意味が気になっているのか、訊いてよかっただろうか……そんな不安も瞳の中で揺れていて。だからそれを見て取ったイルファーンは気分を害してもおらず、知りたいなら教えてあげるよという優しい雰囲気を纏って彼女の顔を見つめた。 「真名には魂が宿るからね。略すのは失礼だと思っているんだよ」 『名前に魂が……』 答えを聞いたエレニアは、目から鱗が落ちたとでも言うように瞳を見開いたがそれも一瞬。 『素敵な考え方だね!』 エレクを片手に笑みを綻ばせる彼女を見て、イルファーンは心の奥に何か小さな暖かいものが落ちたのを感じた。 *-*-* 目的の洞窟は近づくとすぐに分かった。観光客がすぐに分かるようにしているのだろう、手書きの看板が地元の者達の愛を感じさせる。 「お気をつけて。今は丁度誰も居ないので、お二人の貸切みたいな感じですよ」 案内兼警備を兼ねているのだろう。中年男性が二人を入り口へと促す。 「わ……」 思わず自分の声が出てしまったのは、洞窟内が驚くほどひんやりとしていたからだけではない。壁の穴から差し込む細い光が洞窟内で反射しているのが、入り口を入っただけでわかったからだ。 『綺麗だね』 「きっと奥はもっと素敵だよ。入り口だけで満足していたら勿体無い。奥へ行こう――ああ、足元が滑るから手に掴まりなよ」 「え……」 薄明かり差し込む入り口で差し出されたイルファーンの手は白く美しく、そして大きくて。触れるのを一瞬躊躇ってしまう。その躊躇いをどう解釈したのか、イルファーンはわざと真面目な表情を作って。 「怪我でもさせてしまったら、僕はそれを防ごうとしなかった自分を許せないよ。だから、僕のために」 真顔で言われるとちょっと笑ってしまえるような内容で彼はエレニアに手を取ることを求める。けれどもその言葉とは反対に、無理矢理手を繋ごうと迫ってくることはなかった。あくまでもエレニアの判断に、エレニアのペースに合わせてくれようとしているのだろう、それを感じて彼女はそっと、エレクをはめていない方の手を伸ばす。 『怪我しないようにしっかり頼むよ!』 冗談ぽく返しはしたが、触れた指先から感じる熱と感触が彼女の心を忙しなくさせる。大きな手が、長い指がエレニアの華奢な手をしっかりと包み、その包容力は彼女を安心させると同時に何故か心を跳ねさせる。 (不思議だ……) 壊れそうな小さな手、細い指を宝物のように握りしめ、イルファーンは彼女を先導していく。彼女が転ばないように、歩きやすそうな場所を選ぶ。彼女のために心を砕くことはちっとも面倒ではなかった。むしろ繋いだ手から感じるのは不思議な安堵。上手く言葉にできぬが、ずっとこのままいたいと思う気持ちに似ているかもしれない。 「……ああ、とても綺麗だ。天井が光ってる。地底湖の水面がその光を照り返してとても神秘的だ」 説明ができない気持ちは、とても美しいものを見た時に似ている。 二人が足を止めたのは、地底湖に降りる段が作られている崖上。さすがに急勾配の斜面では危ないと判断したのだろう、降りやすいように斜面には段が作られていた。 『凄い、綺麗だ……』 地底湖を見下ろし、そして反射した光が地面や壁から顔を出す鉱石に反射して空間そのものを光らせているのを見る。必然的に天井が高くなっているこの場所では、今まで以上に声が響いた。 「さあ、下まで降りてみよう」 「『う……』……んふぁ!?」 「エレニア・アンデルセン!!」 イルファーンの語気強い大きな声が洞窟内に響く。わん……わん……とエレニアの名が響き、そして拡散していく。 「無事だね?」 呼ばれた名はだんだん小さくなっていったというのに、イルファーンの声は耳元で聞こえる。エレニアは飛び出しそうな心臓を落ち着かせようとエレクを胸に当てようとした。だがそれも叶わない――抱きとめられているからだ。 (……私、足を滑らせて……) 注意していたつもりなのに、今まで以上の美しさに酔ったのか、段差で足をすべられてしまったのだ。ぐんっと身体が予想外の方向へ持っていかれる感触は覚えている。後頭部を叩きつけられる恐怖が襲ってきた。だが次の瞬間、腕を引かれて引き戻されたのだ。そして彼女を襲ったのは、傷みではなく暖かな熱。 顔をずらせば、近くに血のような赤い瞳。 とくん……。 苛立たしいほどに暴れる心音の中に生まれる柔らかい音。 「ご、ご……『ごめん!』」 彼の胸板にエレクを押し付けるようにして離れようとする。だが彼は急に彼女を離そうとはせず、ゆっくりと二人の距離を先ほどのものへと戻す。 「気にしなくていいよ。こんな時のために手を繋いでたのだから。気をつけて、あまり動くと危ない」 よく思い返してみれば崖や階段横には手すりがなく、少し間違えばそのまま下に落ちてしまいかねない。イルファーンはエレニアを壁際に移らせ、危険から遠ざけて階下まで導いた。 『わぁ……』 「これは、圧巻だ」 湖の側まで降りてみると、上から見下ろすのとはまた違った光景が二人を包んだ。壁の隙間から差し込む光が水面と石と反射しあい、二人もいつしかこの光の空間に溶け込んでしまったように感じられる。 『こんな素敵な光景を見せてくれてありがとう! お礼に歌を歌わせてくれるかな?』 「素晴らしい提案だ、勿論、喜んで」 快諾を得て、エレニアは胸に手を当てる。そして大きく行きを吸い込んで――。 (自分の声ではないけれど、何処かで聞いた美しい声の美しい歌) 響く音は鉱石に反響して、この世のものではない美しさを紡ぎだし。情感の込められた詩は、心へと響く。 「――!」 歌い上げた最後の一音は後を引いて響く。拍手が響いたのは、音が全て消えてからだった。 「ありがとう、エレニア・アンデルセン。僕の為に歌ってくれて嬉しいよ」 『本当は、自分の声で歌ってお礼が出来ればよかったんだけど』 (私の声は人を魅了してしまうから……こうやって出会った人を魅了して惹きつけるなんてできない。イルファーンさんとはちゃんと……) 自分の声で歌えない事情を訥々と語ったエレニアは、自分の心に浮かんだ思いに締め付けられるように動きを止めた。 (ちゃんと? 自分の声で話さない私と?) 本当の自分で相対できないのに、こんな事を望むなんて。自分は立場をわきまえなくてはいけない――そう思うものの、湧き上がる欲求と折り合いをつけるのは難しい。 (ちゃんとした言葉は伝えたい。けれどそれがその人を魅了してしまうのならそれは違う……) じゃあ、私はどうしたら良いの? ありのままの自分で接したら、相手は魅了されてしまう。でもそれはエレニア自身が望む結果ではない。大切な人にこそ自分自身で接したいのに、大切な人こそ魅了なんてしたくないのに。魅了して得られる好意なんて、欲しくない。 「エレニア・アンデルセン。泣かないで」 そっと、髪に触れる大きな手の感触。彼に言われて初めて、エレニアは自分が泣きそうな顔をしていることに気がついた。 『……どうやって人と接すればいいのか悩んでしまうことがあって。今のままの自分でいいのかなぁ、と』 こんな事を言っても困らせてしまうだけですよね、告げる彼女の髪をイルファーンはゆっくりと撫でる。 『魅了なんかに負けずに、強い絆で強い思いで一緒に居られることってあるのかな?』 誰に問うともなしに呟かれた言葉。イルファーンは聞かなかったふりをして湖へと彼女の意識を向ける。 「この湖には祈りを捧げると叶うという伝説がある。試してみようか?」 『……うん』 ――――。 小さな沈黙の後、どちらからともなく閉じていた瞳を開けて。伏し目がちの彼女に見とれながら、先に口を開いたのはイルファーンだった。 「何を祈ったんだい?」 『な、内緒だよ! そういうイルファーンは?』 少し調子を取り戻したのだろうか、エレクの声で彼女は答えた。 「僕の祈りは……君の願いが叶うように」 『え?』 「一生懸命に祈りをささげる君がとても愛らしくて、そう願わずにはいられなかった」 さらりと彼が零した言葉。それは本心。けれどもエレニアには想定外だったのだろう、それは一気に紅潮した彼女の顔を見れば明らかだった。 *-*-* 洞窟見物を終えた二人は市場を見て回ることにした。ふんわりとした焼き菓子と甘い果実水で小腹を満たし、様々な雑貨を眺めた後、駅へと向かう。のんびり歩けば丁度いい時間だろう。 「エレニア・アンデルセン。これを貰ってほしい」 『これ、さっき買ったぬいぐるみだよな?』 歩きながら差し出されたそれは、エレクによく似た黒ウサギのぬいぐるみ。若干ブサイクな所まで似ているが、憎めない可愛さだ。 「エレクの友達として大事にしてあげてほしい。女の子は可愛いものが好きだって言うから……僕、何か変なこと言ってるかい?」 『いや、変じゃないけど……いいのか?』 「勿論。その子の名前はエレニア・アンデルセンがつけてあげて」 目を合わせれば、イルファーンは若干照れたような優しい顔を浮かべていて。エレニアはぬいぐるみを受け取って、じっと見つめる。 『名前は、ゆっくり考えるよ。真名は魂が宿る大切なものだものね』 エレニアはぬいぐるみに頬を寄せてきゅっと抱きしめた。閉じた瞳と口元が笑みを映し出していて、彼女の可愛らしさにイルファーンは思わず見とれた。 長いようで短い、あっという間の時間だった。だが、イルファーンは三時間前には持っていなかったものを今、手に入れていた。 (彼女を守りたい……もっと笑顔が見たい。この気持は何なのだろう) 彼女と過ごす時間はとても充実していて、自然に芽生えたこの気持。これが何なのかわからないが、彼の心の中にはひとつの予感めいたものが浮かんでいた。 (彼女こそ僕が待ち望んだ契約者かもしれない) *-*-* 駅には到着したが、まだ仲間達は戻っていないようだった。二人は隣り合ってベンチに腰を掛ける。 「今日はとても楽しかったよ、エレニア・アンデルセン」 『僕達も楽しかったよ! ただ……洞窟では困らせてごめん』 幻想的な光景に酔わされて、悩んでいた心中を吐露してしまったことを指しているのだろう。イルファーンは「別に困ってはいないよ」と優しく笑んだ。エレニアはエレクをはめた手を下ろして、自分の声ではないけれど、女性の声で言葉を紡ぐ。 『普段は会ったばかりの人にあんな話はしないんです。でも、イルファーンさんの心地いい声を聞いていたら少し話がしたくなったんです』 言葉を切って、エレニアは座りなおしてイルファーンの顔を正面から見つめる。 『……私も貴方のような声ならよかったのに』 思わず漏れたのは心からの言葉。少し潤んだような、熱っぽい視線が正面からイルファーンを捉える。 二人の視線が絡まり合い、熱を発生させる。鼓動が早くなる。理由はわからない。けれどももう少しこのままで――。 「っ!」 だが先に視線をずらしたのはエレニアの方だった。『自分の声』で接することができない事への負い目が原因だろうか。けれども、諦めることも出来なかった。だから、勇気を――。 『こんな話をしちゃってごめんなさい。その、よかったらまた話を聞いてもらえると嬉しいです』 視線はそらされてしまったけれど、その言葉はイルファーンの心を突いた。誰がこの望みを拒否できるだろうか。 「先を越されてしまったよ。僕はね、勇気を出してこう言おうと思っていたんだ」 「?」 柔和な表情をさらに崩した彼に、エレニアは再び視線を戻して、首をかしげる。 「よかったら……ターミナルでもまた会ってくれないか」 「!!」 エレニアの瞳が見開かれる。イルファーンは言葉を止めない。 「この出会いは偶然じゃなく必然、そう思いたいから」 甘い言葉が耳朶をくすぐる。真っ直ぐな視線がエレニアを貫く。 返事を待つ間とはこんなにも不安なものだっただろうか。イルファーンは高鳴る鼓動を抑えるようにして、彼女を見つめた。 『はいっ……!』 満開の笑顔、それが彼女の答えだった。この返事に他の言葉は、いらなかった。 三時間のうちに細かった出会いの糸を更に紡ぎ上げた二人。 この後二人がこの糸を何色に染めるか――それは彼ら次第である。 【了】
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