どうしてこんな事になったんだろうか。 突然どう考えても異世界としか思えない世界にいたことはこの際どうでもいい。 明日は念願の初デートの日だったのに! なんてこともこの際どうでもいい。いや、どうでもよくない? 彼女いない歴=生まれた年数の自分がようやくもぎ取ったデート!ただのお買い物だとしても、それは自分にとってはれっきとしたデート!! いや、この際どうでもいい。 さっきからそこらにいる人達と全然言葉が通じないなんて些細な事だ。レッツボディランゲージ。 どうして、どうして俺は船の真上にいるんだろロロロロヴォオオオウェェ…………●「私は車に乗りながら本を読もうがどうってことないんだけど……」 みなさんは乗り物酔いとかします? と世界司書の少女は問いかける。その手には『おばあちゃんの知恵袋』が抱えられている。何枚か付箋が貼られているのだが、そこには車、染み抜き、船酔い、などと書かれていた。「ブルーインブルーで迷子が発見されました。というわけでロストナンバーの保護をお願いしたいんです」 今回発見されたロストナンバーは男性一名。見た目は少年から青年というところ。肉体的には壱番世界の人間とよく似ており、問題が起こるような特殊能力等はないと推定されている。 旅人達がブルーインブルーにつく頃は、大きな港の近くの小さな小さな島に降ろされて島民に介抱されている。その島までの船は既に手配されているので、行きの心配は何もしなくていい。「特にブルーインブルーに対しての心配はいらないです。彼、船酔いでヘロヘロな状態なようで、何か出来てもする余裕がないみたいなんですよ」 今回の保護に当たって、抵抗はまずない。むしろこの状況から救ってくれる神様女神様! と尻尾を振ってついてきてくれるであろう。 だが、ロストレイルの乗り入れられる場所の都合上、どうしても船での移動は避けられない。今回の最大の難関はそれだ。既にロストナンバーの彼の体力気力は限界にあり、吐瀉物まみれで死ぬくらいならこの海に飛び込んでやる! という状況まで追い込まれつつあるらしい。「とりあえず、励ましてあげてくれます?」 そんだけ? 思わずそんな顔をしてしまう旅人に彼女も苦笑する。「いえ、本当にそれくらいしかすること無いんですよね。特に問題行動をしてるわけじゃないですし。というか、あまりの船酔いっぷりに船乗りさん達もすっかり同情しちゃって……」 皆さんが彼を励ましてくれるのなら、きっと変な連帯感みたいなものが生まれると思うのでブルーインブルーの人々とは終始友好的なムードで過ごせると思います、と彼女は続けた。「励ましたり、なだめすかしたり、何か気を紛らわせるような事をしてあげたり……とにかくなんとか帰ってきてください」 港まで帰ってこられたら地元の有力者の結婚式があり、ちょっとしたお祭り状態。様々なごちそうなどを無償で振る舞ってくれているらしい。そこに紛れてきてもいいですよ、と彼女はにこにこ笑う。 港なだけあって、魚の料理が中心らしいがその新鮮さは間違いなし。その他、海の贈り物という名のこの地にだけ伝わるお守りも配ってくれるらしい。花婿が掘った小さな木彫りの小魚に花嫁が一本一本丁寧にリボンを結んだお守りで恋愛に関する願いを叶えてくれるそうだ。「今回はけっこう気楽に行ってきていただければと思います。ただ、現地の状況なんですが……」 そこで彼女がくるっと振り返って、フッと目を細めて言った。「風が……騒いでやがる……」 どうやら、海は大荒れらしい。 「それでは、いってらっしゃい。ミイラ取りがミイラになったりしないで帰ってきてくださいね!」 お土産まってますねと『おばあちゃんの知恵袋』の下から『恋のおまじない百選』をのぞかせて彼女は皆を送り出した。
●陸に上がったヘタリスト 大きな海上都市の間にぽつんとある小さな島。 船が休むに丁度いい場所にあるその島に見知らぬ人間がいることはいつもの事。 いつもの事なのだけれど、今回のよそものはいつもよりかっこわるい。そう島の子供達は判断した。 「だっせぇー」 「くさーいきたなーい」 「こらっ! 具合悪い人にそんな事言うもんじゃないわ!」 「はは……あはは……」 力無く男は彼は笑う。言葉はさっぱりわからないが、子供達の言ってる事は大体空気でわかった。 情けない大人を笑う少年とそれを窘めるしっかりしたお嬢さん。彼の世界でもよくある光景だ。 「大丈夫かい兄ちゃん?」 失った分の水分とっておかないと死ぬぞと船乗りのおっさんが水を差し出す。彼はそれを受け取り礼を言う。 「ありがとうございます……」 言葉が解らないのだから、通じているか怪しいが気持ちの問題である。 「しかし、何だってこんなんなのに密航なんてしたんだか?」 「わからんけど、よっぽど行きたいとこでもあったんかね?」 「間違って船に紛れ込んじゃっただけじゃないの?」 「何にせよ間の抜けた話だなぁ」 「しかし、この間抜けの迷子はどうしたものかね? どこか大きな港に連れていきたいとこだが……」 なんかもう船に乗せるにはボロボロで可愛そうだしなぁ……と一同が思わず顔を見合わせる。 「いたー!! あれでしょ? あれあれ!」 「お、いたか?」 大きな声に島の人々が振り返ると、元気のよさそうなショートカットの少女と背の高い銀髪の青年がいた。 パティ・セラフィナクルとリオネルだ。すぐ後ろからはこれまた銀髪の二人の女性が歩いてくる。ディーナ・ティモネンとチェキータ・シメールだ。迷子になって船乗ってしまった彼を探しに来た者ですと告げると、島の人達はそれはよかったと皆に道を開けた。 人垣の間にいた青年はきょとんとした顔で旅人達を見つめる。 「初めまして。私はディーナって言うの。キミを迎えに来たんだ」 「へ? え、あ、言葉が解る人だ!」 「キミも気が付いてると思うけど……此処はキミの世界じゃない」 ディーナは優しい眼差しで彼に話しかける。困惑する男に、パティやリオネルも続けて言った。 「そうそう、私も、みんなもよそからきたんだよ!」 「ロストレイルっつー列車でなー」 「よそ? ロストレイル?」 顔いっぱいに疑問の表情を浮かべている。理解が追いつかないようだ。 「詳しい説明はキミが元気になってからかなって思うんだけど……どうする?」 「どうするって……」 「こうしたって仕方ないだろう? 一緒に行けばいい」 「一緒に行けばそのうち元の世界に帰れるかもしれない。でも、ここにいる限り何も変わらないぞ?」 口々に旅人達は彼に話しかけるが、彼は難しい顔をして考え込む。悩んでいるようだ。 「だけど……ここにいれば足下は揺れないし……」 「ほらほら、海だって悪いことばかりじゃないぞ! ここは女の子がいっぱいだ! 海と言えば水着なんだぞ?」 「さかなもいる」 「心配しないで。出来る限りの対策は用意してからいくから。ね?」 「ねぇー、パティ退屈だし泳ぎたーい」 返答がなかなかないのにパティが早々に飽きてしまったようだ。 「……どうせ俺なんて海水浴以下の存在なんだぁぁぁー!!」 ―― ウ ザ イ ―― その瞬間、程度の差はあれ一同がそう思った。 「「「「……………」」」」 「あ……えっと、行きます。行きます!!」 一同の表情に何かを察した彼は慌てて言った。つくづくめんどくさい男だった。 「それじゃ、ごはん食べていくといいと思う。おなかいっぱいでもすいててもよくないんだって」 「そうね、早めに軽食をとって……睡眠も取った方がいいわ」 チェキータとディーナが食事と睡眠を提案する。船の出航予定まではまだ時間がある。 少しでも船酔いを軽減出来ればとディーナは様々な物を用意してきていた。 水筒にゴミ袋、新聞紙に着替えまで。もちろん酔い止めの薬も忘れていない。ありとあらゆる対策をしてきていた。 「あとは気の持ちようだ。明るくいこうぜ! えっと……」 「ハルです。よろしくお願いします」 リオネルの明るい励ましに、青年は力無く笑った。 「はやくいこーよー!」 そして、パティはどこまでもマイペースだった。 ●嵐の船へと 「しっかり眠れた?」 「あ、はい。ありがとうございます」 彼の頭には寝癖がしっかりついていた。よく眠っていた様子だ。ひとまず体調は万全。 「海って広いなー」 「あれ?初めて?」 「あぁ、海も知らなければ船酔いもしたことないな」 「船酔いしたら困るよ」 海が初めてのリオネルだが、少なくともこの小さな島にくるまでの間の平穏な海では船酔いはしていない。どうやら船酔いする体質ではなさそうだ。 「……コワクナイコワクナイコワクナイ。船コワクナイヨ」 ぶつぶつと船の前でハルが呟いている。 「はい、酔い止めの薬。飲んで」 ディーナが薬を渡しながら、自分も薬を飲み下した。彼が寝ている間にも水筒に真水を用意したりと入念に準備していた。 今も励ましながら一緒に船へと乗り込む。それに三人も続く。 「よいお天気だね! 嵐になるの?」 乗り込みがてらパティが首を傾げた。彼女の言うとおり、確かに今はよい天気。海風も心地よい。 「んー……あっち?」 チェキータが身体を伸ばしながら指さした方の空は真っ黒な雲に覆われていた。 「俺たち、あっちに行くんだよなぁ……」 とりあえず、ハルにはあっちは見せない方向で。とチェキータとリオネルは頷き合った。 航海は今のところ順調だった。熟練の船乗り達がそつなく船を操る。 まだ船の揺れも少ないので、ハルをデッキで風に当たらせていた。空さえ見なければ嵐なんて本当にくるのかと思える。 各自リラックスした雰囲気で、チェキータは猫の姿になってごろごろしている。姿を変えた時にハルは酷く驚いたが、その驚きがショック療法になったようでもある。しばし船酔いの事を忘れてまじまじとチェキータを見つめていた。 「ねえ、誰か相手してよー。練習しよー」 パティが船の上でもおかまいなしで、拳を構えて飛び跳ねている。 「すごいなぁ……俺も彼女みたいになれたらなぁ」 「まあ気にするな。人間、得意不得意はあるもんさ。具合悪くなったらいえよ?」 「無理しなくていいんだからね」 「まだ……大丈夫」 それからまた少したった頃、船長が彼らに声をかけた。 「お客さん達ー、そろそろ中に入った方がよいかもしんねーぞー?」 「もうすぐ嵐に突っ込むぞー」 風が少しずつ強くなってきていた。波が高くなってきている。船も徐々に揺れを強めていく。 「………」 船の揺れに呼応してハルの顔色が青ざめてきていた。ディーナが彼を支えて船室へと促す。 「中に入りましょう。大丈夫。薬も飲んでるわ」 「揺れてきたねー!」 一方でパティは元気そのものである。彼女を指し示してリオネルも励ます。 「大丈夫だ。あれだけ元気な子がいたらそのうち溢れ出すだろう。それをちょいとわけてもらえばいい」 「あはは……それが出来たらいいんですけ……うぇっぷ」 「大丈夫?」 「ま、まだなんと……か……」 大丈夫じゃない顔をしている。ディーナが荷物や油の匂いが少ない船底の部屋はあるかと船員に尋ねる。 元々そこまで大きな船ではないが、一応客室があると教えられる。 そこは小さくて古くさいが、誰が掃除をしているのか、思いのほか清潔な部屋だった。ベッドはないが、部屋の隅にしっかりと固定されたソファがあった。進行方向に頭を向けて寝かせる。 「眠ってしまえればいいんだけど、吐きたくなったら我慢しなくていいからね」 袋やバケツなど荷物を広げながらディーナは優しく微笑んだ。青い顔のままハルが礼を言う。 そして、デッキでは見る見るうちに暗くなる空に三人は驚いていた。 風は悲鳴のような音をたてて吹きすさび、波しぶきが彼らを濡らした。船員達は真剣な面持ちで、でも慣れた感じで動き回っている。 三人は邪魔にならないようにしながらもその様子をそれなりに楽しんでいた。 「嵐だぁー! うわぁパティこんなの初めてー! うみってすごーい!!」 パティはもう大はしゃぎである。実のところ、彼女も海が初めてだったようなのだが、その初めての海が嵐。だが、このスリリングな状況を彼女は楽しんでいる様子だ。 「これはまだ序の口なのか? 俺もあいつに付き添いに……海に転がり落ちない内に一緒に行ったほうがいいんじゃないか?」 「うん、そうするかな」 船の揺れに逆らわず、波に合わせてあっちにごろごろーこっちにごろごろーと転がっていたチェキータをリオネルがはしっと掴む。 「みんな行くの?」 「そろそろ本格的に降り出すんじゃないか? 顔に当たってるの波しぶきだけじゃない気がしてきたぞ」 びしょ濡れになる前に行こうとリオネルが促す。若干名残惜しそうなパティだがびしょ濡れになるのもつまらないかなと頷く。 三人が船室に入って間もなく、甲板を叩く雨音が室内に響き渡った。 「うわ! 稲妻見えた!」 「ギザギザちゃんと見えたねー」 パティとリオネルは船室の小さな窓にほとんど張り付くようになっていた。二人とも嵐の海に興味津々だ。 「すげー揺れるんだな」 「船ってすごいねー」 「……揺れが強くなってきたわね。みんなは酔ったりしてない? 薬もあるわよ」 「三半規管は強い。大丈夫」 チェキータは自分にも言い聞かせるように言った。船の揺れはどんどん強くなってきており、ハルのように特別弱い人間でなくても酔ってしまっておかしくない状況だった。 もちろん、そんな状況なのでハルの方は大変な状態になっていた。 「う、うぇぇ……」 そんな様子にパティは渋い顔。情けない男だなーとその顔に書いてある。 それでも、ディーナは我慢が出来ずに彼が胃の内容物を吐いてしまっても嫌な顔ひとつせずに世話をしていた。吐瀉物をすぐにふき取り、持参していた袋に入れきっちり口を縛りながら、彼の背中をさすってあげている。 「こういうときは遠くをみるのもよい」 「う、うん……いや、やっぱ無理」 チェキータに促されて外を見るが、嵐の様子が目に飛び込んできて心が少し折れた様子。 「しょうのないやつだ……にくきゅーさわってもいいぞ」 「かっこいー……」 どう見ても猫の姿に尊大に言われたが、どうやら動物は好きだったらしい彼は、お言葉に甘えてふにふにとする。非常に嬉しそうであったが、ふにふにとしていた手を慌てて離すと口元を抑える。限界が来たらしい。 「も……もう駄目だ……俺の事はもう海にでも放り投げてくれ……」 「そう情けない事を言うんじゃない。少しの我慢だ。すぐ楽になるさ」 リオネルが苦笑しながら彼の背中をさすってやる。 その時、ずっともやもやとし続けている胸がすっとし、僅かに楽になったのに彼は気づいただろうか。船の揺れは途切れる事無く彼を襲い続け、あっという間にまた吐き気がこみ上げて来たのだけれど。 少し落ち着いたら飲んでとディーナに差し出されお茶とパンを飲み込む気力が沸いてきたのが、リオネルの助力のおかげだとは誰も気づかなかったのだけれども。確かに目には見えない力が彼を助けていた。 しかし、嵐を止めてくれるものはどこにもいなかった。 今にも死んでしまいそうなハルの体力はなんとか持ったが、具合の悪さは抑えきれない。何度も吐いてしまう。 その度にディーナが細々と付きっきりで世話をしてやっていた。 「ごめん……汚いのに。君がこんな事する必要ないのに……」 「みんなディアスポラでは酷い目に会ってるからね。他人事じゃないんだよ」 ぱたぱたと団扇で扇いでやりながら気にしないでいいと彼女は答える。 「でぃあ…ぽ?」 「聞きたい事があるなら、分かる範囲で全部答えるよ?」 「聞きたいことだらけだろ?」 「うん……おぇっ……いや、後でゆっくり聞くことにする」 「あぁ、そうした方がよさそうだな」 ゆっくりとハルは瞼を閉ざした。眠ろうと努力しているらしい。しかし、なかなか努力はうまくいかない。 「うぇろろろろろ……や、やっぱり、無理だ!」 「港まではもう少しよ」 「こ、こんな苦しみを味わうくらいならいっそひと思いに……」 ―― 殺してくれ! ―― そう彼が叫ぶことは出来なかった。 「えいっ」 情けない彼の姿にいい加減、我慢が出来なくなったパティが拳を振り上げていた。 彼女のいた世界では、最強クラスだったパティ。男性とは自分より強く先にあるべき。そう彼女は思っていたし、彼女の兄は実際にそうだった。そんな彼女にとって、ハルの姿は見ていられるもんじゃなかった。 「え、あれ?」 だがしかし、彼女の拳は宙を切った。 避けられたのか? そうではない、絶妙なタイミングで彼はうつむいてバケツ目がけて吐いていたのである。 「ヴォオオオウェェウゥゥ……」 「情けなーい」 「死ぬー……死ぬんだー!」 「落ち着けー」 「船酔いで人は死なない。たぶん」 「死にたい……うぇっぷ……死んじゃいたい……」 「……もーいっかーい」 えいっとパティの拳が再び振り上げられた。今度は彼の顎に綺麗に決まった。 「うぇっ……!!」 かくんと、彼の首が落ちる。どうやら非常に綺麗に決まった結果、気絶した様子。 「「……」」 思わず顔を見合わせる。船は更に激しく揺れ続けている。叩きつける雨音は相変わらず騒がしかったが、彼は静かになった。 「うーん……ごめんなさい?」 「……でも、まあ下手に体力消耗するより気絶してた方がいいんじゃないか?」 「……そうかもね」 「起きるまでに着いてるといいな」 世話をやく対象がいなくなったので、ごろごろーとチェキータが再び床を転がっていった。 ●お祭り騒ぎの中で 「つ……ついたあぁぁーーー!!」 「良く頑張ったね」 結局、あれから彼はけっこう早く目を覚まして、再び嘆いたり吐いたり騒いだり吐いたりだったのだが、無事に彼らは港にたどり着いた。 嵐が嘘のように眩しい日差しが彼らを迎えた。 まだ濡れたマストがキラキラと光を反射している。波は穏やかで、海面もまた光を反射してどこまでも輝いていた。 大きな水溜まりぐらいだと思っていた海の思わぬ美しさに見惚れたリオネルが、ハルに力説する。 「ほら、景色を見ろ! こんな綺麗なもの見ておかないと損だ!」 「あぁ、その上にいなくてすむなら綺麗なもんだな! 揺れてない地面にいる幸せ! 素晴らしき世界!」 色々と立ち直りの早い男である。喜ぶハルに呆れながらも、ようやく介抱から解放された一同はホッとする。 「はい、着替え。今日はこの島お祭りらしいから…落ち着いたらみんなで見に行こうか」 すっかりよれよれになっていたハルに着替えを差し出しながらディーナが提案する。 皆は一斉に頷いた。 「お祭りー!! すっごいパティこんなおっきなお祭り初めてー!」 「何のお祭りなんだ?」 「偉い人の結婚式なんだって」 「楽しい事はなんだって歓迎だが、めでたい事ならなお良いな」 「お嬢ちゃん、魚はどうだい? おいしいよ!」 「さかな?」 「さ・か・な!」 不意に声をかけられ、パティは首を傾げ、チェキータの瞳は輝く。これを待っていましたと言わんばかりのその瞳に人の良さそうな港のおばちゃんがにっこり笑って紙皿のような物を二人に差し出した。 綺麗な赤身と透き通るような白身の魚の刺身が三切れずつのっていた。 「これさかな、生で食べるの!?」 「新鮮なさかな! おさしみ!」 壱番世界でも生魚を食べる地域はある程度限られている。驚くのも無理はない。だけど、この場所ではごく普通のこと。 当たり前のように差し出された生の魚に興味深そうに見つめながらリオネルやディーナも皿を受け取った。 「どれどれ……ん、うまい」 「大丈夫なのー……? んー! 美味しーいー!!」 パティは訝しげな表情で、おそるおそる魚を口に運ぶ。口に入れた瞬間、口元がほころんだ。その様子におばちゃんも笑顔になる。 チェキータの方は一心不乱にもぐもぐと口を動かしている。幸せそうだ。 「美味しいのは当然さ! こっちの揚げたの持っておいきよ」 「ありがとう!」 白身のフライの袋を人数分、手渡される。受け取りながらハルが皆に尋ねる。 「お金とかは?」 「お祝いだからタダみたい」 「太っ腹……」 「まったくだ」 「あ、なんかいいにおいがするよー!」 「これは……焼き魚のにおい!!」 匂いの元の屋台へとチェキータが堪えきれずに駆けだしていく。 「お、綺麗なお姉さんが何やら飲み物らしきものを配っている!」 「マジっすか!?」 目ざとく美人を発見したリオネルにハルも過剰に反応する。水分は大事ですよねとかなんとか言いながらそちらへフラフラと引き寄せられていった。 「パティ、お菓子もらってくるー」 それぞれが思い思いの方向へと散らばっていく。そして取り残されるディーナ。 「……みんな迷子にならないでね?」 手にした袋のフライを一口囓ってみる。まだ温かなそれはサクッと音を立てた。 「美味しい……」 「ちょっとちょっと! この飲み物、すっげーうまい! どんどん食おうぜ!」 「ディーナさんの分も取ってきました! こっちの焼き菓子も最高っす!」 綺麗なお姉さんよりも食欲が勝ったらしい二人が物凄い勢いで戻ってくる。その様子に軽く驚くが、二人が手にした皆の分の食品に気づいて微笑んだ。 これだけ騒がしくしていたら、この喧噪の中でも迷子の心配はなさそうだ。 それぞれが、思いっきりお腹に食べ物を詰め込んだ頃、そこら中で小さな子供達が籠をもって走り回っていた。 「なんだろ?」 「はい! どうぞ!」 幼い少女に満面の笑みで差し出されたのは小さな木彫りの魚。 「これなーに?」 受け取りながらパティが尋ねると、少女はパティに負けないくらい元気な様子で答えた。 「海の贈り物! けっこんしきの時のお守りなの!」 「お願い聞いてくれるのよ。綺麗なお嫁さんに私もなれるよってお母さんがいってた!」 隣にいた少し年嵩の少女も同じように木彫りの魚を手渡しながら教えてくれる。よくよく見ると、パティの魚には黄色いリボン、チェキータに渡されたものには白いリボンがついていた。一個一個が手作りなものだとよくわかる。 「恋のお守りみたいなものなのかしら?」 「……なんで俺だけくれなかったんだろうか」 「いらないからやるよ」 その場にいて何故か一人だけ貰えなかったハルに、自分はいいからとリオネルがお守りを手渡した。 「ありがとうございますっ……」 兄貴一生ついていきます! と言うくらいの勢いで何やら感動している。余程、恋のお守りというものが欲しかったらしい。 「巧いことそれが効いたら、次に会った時には惚気話でも聞かせてくれや」 「はいっ……って一生会えないかもしれない……」 勢いよく返事をしたかと思うとしゅんとしたハルに皆が笑う。 「貴方はお願いあるの?」 「お願いー? んーんふふ、ないしょー」 パティが笑って少しの間、目を閉じた。 ―― いつかお兄様みたいな、素敵な方と出会えますように ―― 願い事はそれだけ。叶うといいなと大切そうに魚を握りしめた。 そんな様子を見ながら、自分もハルに差しだそうかと思ったお守りをチェキータが手のひらで転がす。 「別にいらないけど……みんなもってるのか」 「いらないの? それなら海に投げてあげればいいの」 ひょこっとさっきの少女がまた顔を出して言う。 「海に?」 「お願いがないなら、いつもありがとうって海の神様に贈るんだって」 「お願いが叶ったときも、ありがとうって海に帰してあげるんだよ」 そうか。と呟くとチェキータは海へと魚を放り投げた。少しだけ何か祈りを込めて。 キラキラの海の中をゆらゆらと木の魚が泳いでいく。 「気持ちよさそうに泳いでるな」 「そうだな」 「俺も泳いでみっかな」 「あ」 じゃぽん 水音を立ててリオネルが飛び込む。それを見てパティがずるーいとそれに続いた。 「パティも泳ぐー!」 ぱしゃん 飛び込んですぐに浮かんでくるとパティは水面で笑顔で皆に手を振った。 「気持ちいーよー!」 「わわわ! 服のまま!」 「着替えはまだあるから大丈夫よ」 「魚いたらとってくれー」 「わかったー!」 そうは言ったものの、魚はそこらじゅうを泳いでいたが、なかなか簡単に捕まらない。するりするりと逃げていく魚にパティは頬を膨らませた。 「むむー。手伝ってー!」 そうリオネルに呼びかけるが、返事がない。水中のリオネルは全く反応がなかった。 「……そういえば、水面から一度でも顔出しました?」 「出してない気がするわ」 「出してないな」 よく見ると、飛び込んだ瞬間から全く動いてない気がする。 「「…………」」 「あれ、溺れてるんじゃないか?」 「えぇっ!?」 「た、助けてあげてー!!」 大騒ぎの末、パティが彼を抱えて泳いで救出した。 幸いにも命に別状はなく、すぐにリオネルは元気を取り戻して大笑いしだした。 「はっはっは! 自分がカナヅチだとは初めて知ったぜ!」 「いや、笑い事じゃないっすよ」 「もう……泳いだ事ないのにあんな豪快に飛び込むなんて」 「悪い悪い」 「魚取れなかったなー」 「取れなかったねー」 「泳がなくても、そこらへん歩いてたらいくらでも貰えるっすよ……」 その後、一同が着替えたり、濡れた髪の毛をかわかしたりする内に辺りはオレンジ色の夕日に包まれていく。 時間と共にその姿を変えていく海に、また少し感動したりなんかしている内に帰りの時間が近づいていた。 「それじゃ、そろそろ帰りますか」 「そういえば、汽車は酔わないのか?」 「乗ったことないから、わからない……」 チェキータの何気ない問いに深刻な顔をしてだまり込んだハルに一同はため息をつく。 「……大丈夫、まだ酔い止めは残ってるわ」 「仕方ない。最後まで面倒みてやるよ」 「またパンチする?」 「そ、それはご勘弁を!」 笑い声の響く中、ロストレイルが出発を待っていた。
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