――あなたの望むものはなんでも手に入る、ほしいのならば指定された場所に来るといい インヤンガイにひたひたと広がる噂。 どういう基準かは不明だが、深夜に電話で指定された場所に行くことが一時間以内に出来ればどんな欲望も叶えられるという。 誰もが都市伝説の類と笑い話にするのだ。 しかし、真実、その欲望を叶えられたとほくそ笑んで得意げに語る者がぽつぽつと現れるようになった。 男はその電話を受けると何も持たずに朽ちたビルの、地下に向かった。 危険はある。なぜ自分の居場所を知っているのかというのもあった。男が電話を受け取ったのは隠れていた建物の前にある公衆電話だった。しつこく鳴るのに試しにとると、場所を告げて切られたのだ。 地下の肌に冷たい空気に震えが走った。 なにかに見られていると顔をあげるとぬっと一つ、目があった。――オマエ、オマエの、ほしいものは、な、んだ? それを考えテ、手をノバシて、トルガイイ 黒髪に全身を包まれるようにして立つのは一つの目の、裸の女だった。細い肉体だけ見れば女ともとれるが、鼻も口もない、一体どうやってしゃべっているのか。恐怖と嫌悪に身震いしていると万力に締め付けられたように体がつと押された。 ずるっと。なにかに手が触れた。 なまあたたかくひどい不愉快さを感じていると手になにか触れたのに思わず掴んでいると、それは掴み返してきた。 ずる。 何かが出てきた。自分の手を通じて「これは……」 白い肌、長い髪の毛、鈍い月色の瞳……なにも纏ってない少女が男の手を握りしめたままじっと見つめてくる。 知っている、自分は、この瞳を、この唇を、この髪を、けれど、けれど、けれど! 唇がゆっくりと動いて告げた言葉に男はそれを抱きしめた。「もう二度とお前を離したりしない、絶対に、もう間違えたりしない、絶対に……っ!」――ソレ、は、まだ、デキソコナイ、もっと、もっと作らなくてハ またしても声がして男は顔をあげた。「どうすればいい? どうすれば本物になる! こいつはどうすればいい!」 一つしか目のない女が嗤った。気がした。そして細い指がなにかを指差すのに振り返った。 ぐちゃぐちゃぐちゃと水音がするのに男は見た。じっと見ていると男が蹲って、何かをむさぼっているのだとわかった。 理、解した。 人間を、むさぼっているのだと。――おいしいおいしいおいしいおいしいおいしいおいしいおいしい、もっト! モットモットモット、タリナイタリナイタリナイ、コンナノジャア、タリナイよ、俺の、俺の、オレノォオオオオオオオオオオオオオオオオ、この子、アノ子、俺のものおれのものおれのものおれのもの オナカヘッタ「――テ、完成」 男は自分の手に力をこめた。抱きしめた彼女がすがるように自分にしがみついた。「食らっていけば、そうすれば……そうすれば、本物になる」★ ★ ★ インヤンガイで不可思議な事件が起こっていると、司書である黒猫にゃんこから依頼が舞い込んだ。 黒は渋い顔をしてポイントとなる地図をロストナンバーたちに配って淡々と説明する。人がある特定の地区だけで失踪してる。それも対象者は十代の幼い子供。「誘拐だとしたら量が多すぎる。ただの殺人鬼だとしたら死体がないことが気になるから調べてほしい。そしてもし殺人鬼であれば討伐、生き残っている子供がいれば助け出してほしい……というか、どうして連れ去っているんだ、……それにこの辺って確か封箱地区……つまり、暗房のあるあたりか? しかし、あそこにある者は外に出られなかったはずだが?」
司書から教えられた場所に赴く三人のなかでマスカダイン・F・ 羽空の顔はひどく沈んでいた。 罪もない子どもがひどい目に合う理不尽な事件は聞くだけで憂鬱だが、それに以上に気になるのが現場のことだ。 「御面屋さんじゃないよねー?」 ぽつりと懸念を呟く。 御面屋はさる事件のあとインヤンガイから帰還せず、行方知れずになっていたが、彼が消えたのは封箱地区なのだ。なんの関わりもないといいけれど、もしかしたらと思うと心臓がいやな音をたてる。 「あらあら、なんて顔ですの! まるで死人みたいですわよ。ケラケラケラ!」 「死-ちゃん、それはないよぉ」 マスカダインは情けない声をあげて黒いドレス姿の死の魔女を見つめる。その横を歩く夕凪はそっけなく肩を竦めた。 「それで、事件についてなんか思うところがあるのかよ、あんた」 「え、うーん、うーん、まだ確信がないから言えないかなぁ」 マスカダインの煮え切らない態度にふぅんと夕凪は気のない相槌を打つ。 「インヤンガイではこういう不可解な誘拐失踪事件には死体がつきものですが……それがまだ発見されてないというのも妙ですわねぇ。私が考えた可能性は二つ。さらった子を骨まで残さず食べてしまったか、全く別の存在として作り変えたかだと思うのですわ。例えば、今のこの私の左手。元々はナラゴニア襲撃時に死んだコンダクターの少女のものであるように……ケラケラケラ!」 「死-ちゃん」 「おまえなぁ」 マスカダインと夕凪の視線などおかまいなしに死の魔女は楽しげに笑う。 インヤンガイは死の魔女にとってははじめて生きているお友達を作ったところ、愉快な男性とも出会ったのも、インヤンガイだった。だから大好き。自然とスキップするように足は軽くなる。 ひらりと黒いスカートをひらめかせて死の魔女は踊りに誘うように二人を見た。 「それで、お二人はどう思っておりますの? 死体を食べてしまうのと、それとも利用しているのと」 「ボクはなんともいえないかなぁ、まだわからないし」 「誘拐にしちゃ数が多いのに死体も見つからねー。だったら現地の奴らが探しに行かねーよーな場所に連れ込まれたか? なにするにも場所がいるもんなぁ」 暗房のなかかかもしれないと夕凪は地理的なことも含めて考えていた。そうなるとかなり厄介だ。 「居なくなんのが続けば噂になるし標的になってる年齢の奴は警戒する。なのに続くのは警戒されない奴が連れてってんじゃね? 同じくれーの歳のガキとか」 「ええっ、そんな!」 マスカダインが思わず声をあげた。もちろん御面屋が犯人だったらいやだが、子どもが子どもを殺すなんてことは出来れば考えたくない。 「だって、子どもが子どもを運ぶのって大変だと思うんだよねー」 「遊ぼうとか誘えばのるんじゃねぇ? それで目的の場所でぶっ殺すなりして小さくして運べばいいだろう」 「う」 身もふたもなくぐろいことをさらりと言われてマスカダインは顔をしかめる。 「ケラケラケラ! そうですわ! まぁ夕凪さん、あなた、面白い考え! 私とっても楽しいですわ!」 「てめぇを楽しませるつもりはねぇよ。それで、この場合、犯人捕まえる方法はどうするんだ? 虱潰しに探すなんて言わないよな?」 「もちろん、私、囮作戦がいいと思いますわ。相手が子供ばかりを狙うのであれば、子供を餌にして犯人を誘き出すのが一番ですわ」 「だよなぁ」 二人の言葉にマスカダインは顔をしかめたままだ。 「出来れば危険な目に合わせたくないけど仕方ないのね。……一応、囮のことはボクもボクなりに考えたのね。えーとね、立地柄浮浪児の死体の一つや二つ落ちてるよね、それをボクが出来る限りきれいにするから死-ちゃんに操ってもらえないかなぁって」 「あらあら、ケラケラ! 残忍ですこと!」 死の魔女の言葉の刃は容赦なくマスカダインの胸を抉った。 「終われば、ちゃんと供養するよ~」 「ケラケラ! まぁ、そのお気持ちはいいと思いますけど、いくらインヤンガイとはいえ、そんなごろごろ死体はないと思いますわ。手に入れるにはそれこそ悪いことをしなくちゃいけませんわよ? ケラケラ」 「うー」 「時間の無駄だな。だったらおれとこいつが囮役をやったほうがはやいぜ」 「ケラケラ! あらあら、夕凪さんも協力してくださるのですわ? このメンバーの中でなら夕凪さんや羽空さんよりも私が一番狙われやすそうですわ。それに、私はこれ以上死ぬ事もありませんし」 一応は仲間の安全も考慮している死の魔女の言葉に夕凪は皮肉ぽく肩を竦めた。 「おれは念話が出来るからただ待つだけじゃねーし。仕事だしよ。やることはやるぜ」 夕凪は依頼をただの金稼ぎと割り切っている。今回もそろそろ財布が軽くなってきたので危険なものは報酬がよく、それ相当の働きが認められればプラスもある可能性があるから受けたにすぎない。 「それじゃあ、いくつか候補があるのね。担当をきめよう? あと、ボクのこのかっこうはさすがに目立つのね~」 マスカダインが地味なシャツとズボンを購入するのに夕凪は買い物ついでに今までの事件の目撃者の有無、時間帯とどの地区が一番多いのか、さらに失踪した場所から一番近い暗房までの距離を調べることを提案した。 「それだったらお兄さん、役に立てるよ!」 人畜無害ぽい見た目におしゃべりなマスカダインははりきった。それに夕凪は精神感応で周辺の人間たちの声を聞きながらの調査を開始する。 そんななか死の魔女は 「あら、私は用意があるのですわ。そういう泥臭いお仕事は殿方であるお二人にお任せしますわ。ケラケラ!」 それだけいうとさっさとどこかに行ってしまった。 「女ってめんどーだな」 「死-ちゃん、お兄さんは心配だよー」 連絡はノートでとれるし、彼女の体質なら心配しなくてもいいだろうと夕凪は言うのにマスカダインも渋々だが従った。 夕凪はその見た目から警戒されずに通路にあるいくつかの屋台の人間たちから聞き込みすることに成功した。 時間帯は四時から五時のちょうど夕暮れ。場所はいくつかの地区に分かれていたが、いずれも人目がつかないところが狙われていた。 「暗房がわかんねぇなぁ」 暗房についてはほとんどの人間が知らないと口にした、精神感応しているので嘘でないことがわかる。 インヤンガイは街ごとの独立性が強いので、いくら隣が封箱地区だといっても住人たちは遠くの街の話を聞いたかのように首を傾げるばかりで、これなら夕凪たちのほうが詳しいくらいだ。 これには夕凪もさすがにお手上げで暗房について調べるのは一旦棚上げした。もしかしたら近いというだけで暗房とこの事件は無関係な可能性もある。 そうこう考えているともう夕暮れで、仲間たちと落ち合う時刻が迫ってきた。 夕凪は何気なく視線を向けると学生鞄を背負った子どもたちが笑いながら下校している姿が目に入った。 インヤンガイの治安の悪さから下校に付き添いの若い教師やボランティアの下校見守りの人間、保護者の姿もある。 「へー」 夕凪は眼を細めた。 「なのに犠牲者が出るのはなんでだ?」 さらりと口にする疑問。 ただ囮としてうろちょろするだけではもしかしたら拉致があかないかもしれないと予感が頭に浮かぶ。 たべたい 夕凪にその声は届いた。 たべたい、たべたい、たべたい、たべたい 繰り返される執拗な声に夕凪は眉根を寄せてきょろきょろと周囲を見る。 どこだ。 この声の主は? 昏く、甘く、切なげな狂気を感じさせる空腹の訴え。 「きみ」 現実の声に夕凪はびくりと肩を震わせて振り返った。清潔そうな白シャツにズボン、黒髪は短く切った好青年の胸元つけられた学校名の書かれた名札。 「どこの子? 学校の帰りかい? 怖がらなくていいよ、ほら、私はそこの学校の教師だから、一人なの?」 たべ、たい…… 夕凪は薄く笑った。 「ビンゴ」 ――オイ、聞こえるか? 聞き込み中だったマスカダインは突然の念話連絡に驚いた。 「えっと、夕凪くんなのね?」 ――犯人ぽいの見つけたぜ 「え、ええ!」 ――場所は送っとくから、とっととこいよ。 「えー、けど、死-ちゃんは」 マスカダインが情けない声をあげるとすぐにノートを開いた。そこには死の魔女から五分内に来なさいと高飛車なマスカダイン指名のご命令が書かれていた。 「死-ちゃん?」 首を傾げつつも急いでマスカダインが駆けていくとケラケラと冷やかな笑い声が聞こえてきた路地に足を踏み込んだ。 「死-ちゃん? どこー?」 狭い路地で死の魔女はぼさぼさの髪の毛をしたぎょろ目の男とならやら話し込んでいたがすぐにマスカダインに気が付いてくるっと振り返った。 「マスカダインさん、私、ほしいのですわ」 「え、そ、それって」 死の魔女は可愛らしいお人形を欲しがるように甘い声で強請った。 「ぜひ、交渉術で値切ってくださいね?」 夕凪は男が歩くのにひたすらついていった。犯人かはわからないが明らかにこの男は正常ではないというのに表向きは人当りのよい教師を演じているのは気にかかった。 もし子どもや保護者なら……教師が生徒と歩いていたとしても注意を払わない。子どもも教師なら安心するし、連れて歩く口実はいくらだって作れる。なかなかに頭のいい隠れ蓑だと感心すらした。子どもが生きているのかわからない以上、多少の危険を冒したとしてもこいつのアジトを知る必要があった。 仲間にも連絡をいれたし、こんなやつに負けたりしないと不遜な自信があった。 「この地区の学校の子じゃないよね」 「ああ」 たべたい 「隣からきたの?」 「そ。で、迷子になっちゃってさ」 たべたい、たべたい 「かわいそうに、はやく交番に届けてあげよう」 たべたいたべたいたべたい 「なぁ」 夕凪は気だるい猫のような声で尋ねた。いい加減、この男の心の声を聞くのはうんざりもしていた。 幸いにも屋台がある道を抜け、聳え立つ建物だけの静かな路地。人目がなければゆさぶりやすい。 「なにがたべたいわけ」 男は足を止めて振り返る。その口元には薄笑いが浮かんでいた。 「なんのことを言って」 「あんたさ、ずっとおれのことみてたべたい、たべたいって、すげーうるせーの。もしかしてガキを食べてたの? あんた。わざわざ人がいねぇーところまでついてきてやったんだ。そろそろ正体みせろよ」 夕凪の問いに男の顔から表情が消えた。目だけは笑っている。 「食べたいんだ、君が」 「変態野郎が」 夕凪は嫌悪に吐き捨て、動こうとしたとき足に何かがまとわりつく重みに気が付いた。 「!」 見ると男の影から紅色の小さな手が、いくつもいつくも現れて夕凪の足を捕えている。そこから這い出たのは顔のない子どもたち。 ぞっと背筋に走る悪寒に夕凪が気を取られていると男は容赦なく腕を振り下ろした。 「!」 夕凪の世界は暗転した。 ずる、ずるる。ずるるる。ずるるるっ。 たべたい、たべたい、たべたい、たべたい、たべたい、もういちど、もういちどもういちどもういちどもういちどもういちどもういちど うるさい声に夕凪の心は侵食されていく。 暗闇 そこに浮かぶのは何も纏っていない女。その女の顔には一つしか目がなかったが笑っているとみていてわかる。男は導かれたようにふらふらと女に近づいていく。 そして その女の股から何かを引きずり出した。 小さな男の子。 男は喜んだ。 ほしかったんだ。ずっと、ずっと、ずっと! 男のなかのほの暗い欲望。 可愛らしい少年を愛しているが手を伸ばすことを理性で押さえていた。せめて近くで見ていたいと教師になった。 けれど 一つの目を見たとき男は自分の欲望を抑えられなくなった。 手に入れた少年を男は、 暗転 次に夕凪が見たのは男が手に入れた少年にかぶさって犬のように貪っている映像だった。 すきなんだあいしてるんだほしいんだだからたべたい、たべたいたべたいたべたいたべたいべたい 男は振り返って笑った。血まみれの口で。 けど、たりないんだ。あの目がみせてくれた欲望には足りない。私の理想の欲望には ――理想? 少年も私を愛してくれるその理想にならない ――てめぇなんざ、誰が愛するかよ、ばーか! 夕凪は嫌悪の声をあげるとぱちりと目を開けた。 すぐに自分が現実に戻ってきたのだと理解すると鼻孔に饐えた香りと鉄の錆びついたような匂いを嗅いだ。 夕凪は痛む頭を無視して周囲を透視し、ここがさるアパートの一室だと理解する。しかし、それにしては暗く、空気が淀んでいた。全身に何か不吉なものがまとわりつくような、目には見えない粘ったものが部屋を満たしているのを感じた。 すぐに仲間たちに連絡をいれると、何かが動く気配がした。見ると男が包丁を持って立っていた。 逃げたくても全身が縛られて夕凪は動けない。 「たべたい」 男が容赦なく包丁を夕凪の服につきたてて引き裂くと、その柔らかな肩に噛みついた。 「!」 男は予想していない痛みを覚えて思わずのけぞった。 「……服、どうしてくれんだよ。ただじゃねーんだぜ? ったく、いてーだろう? 一緒にいてー思いしやがれ」 精神感応を使用して自分と男の痛覚を共有、さらに倍増させた。 「それにおれ薬くさくてマズくねー?」 夕凪は念力で男を壁に叩き付けると急いで束縛を解こうとしたが。男がすぐに声を荒らげて襲いかかってきた。 そのとき爆発が起こった。 「インヤンガイの科学力はァァァ~、世界一ィィィ~!」 甲高い歌声とともに破壊したドアをくぐって黒ドレスの胸を恥ずかしげもなく開いた死の魔女が微笑む。その後ろにはマスカダインが震えながら立っていた。 「死-ちゃん、やりすぎー!」 「ケラケラケラ! だいじょうぶですわ、マスカダインさん、ちゃんと周囲の人を避難させてくださいましたでしょう? それにせっかくマスカダインさんが値切って安く購入してくださったロケットを使わないわけにはいきませんですわ!」 「ううん、ロケットは使わなくてもいいよ!」 死の魔女とマスカダインは夕凪の念話で教えられた場所を急いで駆け付けたがそこには誰もいなかった。 慌てるマスカダインに死の魔女はすぐさまに近くに捨て置かれた可愛らしい犬のお友達を目覚めさせると、夕凪の匂いを嗅がせて追跡させた。さらに目覚めた夕凪からの念話でここまで迷いもせずつくことができた。 破壊されたドアから差し込む茜色の太陽の日差しを男はいやがるように後ろに逃げた。 にぃと死の魔女はやらしく微笑んだ。 「何が目的かは知りませんが、命を……死を粗末に扱う輩は生かしてはおけませんわ。ねぇ、そうでしょう? 私の可愛いお友達、さぁ、おしおきをしなくては!」 死の魔女は楽しげに片手に持つ黒鞄を開くともう片方の手をひらひらとさせる。それに一匹、二匹、三匹、四匹……黒い鴉たちが飛び出した。 死の魔女のお願いを聞いて戦ってくれる頼もしいお友達だ。 鴉たちは不吉な声をあげて男を嘴でつつき始めた。 その間にマスカダインは夕凪に駆け寄って、拘束をとくと周囲を見回した。 「子どもたちは」 「……いるとしたらあっちだ」 夕凪が一瞥する部屋にマスカダインは駆け寄って、ドアを開けた。 開けなければ、よかったと後悔はすぐに押し寄せた。 部屋は赤黒く、鉄の匂いに満たされていた。そこかしこになにかの肉片が落ちていて、それがマスカダインの嫌悪を限界まで高めた。 思わず口を手で覆ってマスカダインはずるずるとその場に崩れた。 「まぁまぁ生きている子はいませんの~?」 死の魔女もこの状態は予期していなかったので眉根を寄せた。 「ど、どうして、こんなこと」 鴉たちによって壁の隅に追いやられた男は身を縮めて怯えていたがマスカダインの問いに薄笑いを浮かべた。 「愛していたんだ、あいしているんだ、あいしているから、アノコも私のことを愛してくれたから、だから、いろんなことをしたよ、だってあいしているからずっと、ずっとがまんしていたんだよ。けれどね、けれどね、がまんできなくなったんだ。だって、だってあいしているのにあいしているんだ。だって、あいつの目にはそうあったんだ、あの手をつかめば欲望はすべてかなえられると! けれどだめだめだめだめだめだ足りないんだもっともっとほしかった、だから食べれば、他人の欲を食べていけば本物になるって、あああああああ、あああああああああああ」 男は咆哮をあげて笑う。それはどこか泣いているようにも聞こえた。 「けど、けどあああああああああああああああああああああああああ、たべちゃった。おれが、わたしが、あのこをあのこをたべちゃったから、それから、おなかがすいて、たべたくて、けれどなにをたべても、だめなんだ」 男は声を荒らげると鴉たちを包丁で蹴散らして襲いかかってきた。 「救いのない殿方ですわねぇ」 死の魔女は微動だにせず男に微笑む。 男の刃物が魔女の顔に迫ったとき、背後からそれが飛び出した。ここまで連れてきてくれた可愛い犬のお友達が男の首に噛みついた。赤く散る血が床を汚した。 黒く、どろりとした沼に男は溺れていく。耳障りな笑い声をあげながら。すると赤い沼から小さな子どもがあらわれて男の体を掴むとずる、ずるるっと底へと引きずりだした。 「なんだよ、これ!」 夕凪が声をあげた。 手足から消えていく男にマスカダインは思わず手を伸ばす。 「つかまるのね! アナタのしたこと許せないよ! けど、けど、こんなのダメなのね!」 男は抵抗することなく、むしろ嬉しそうに闇に飲まれてしまった。 そして、なにも残りはしなかった。 「あらあら、ケラケラ! 誰かさんに欲望をもらって、挙句にそれに溺れてなにを血迷ったのか食べられちゃったみたいですわねぇ。それでご自身が欲望そのものになってしまったみたい!」 「どういうことだ?」 「私、これでも魔女の端くれとして感じてましたわ、この部屋、淀んでいて、普通の人がいるべき領域ではなかったですわよ? まぁ先ほどの殿方が消えてきれいさっぱり普通になりましたわ」 夕凪は眉根を寄せた。 「私は知りませんけど、部屋そのものが狂気や欲望、そうですわね、妄想で出来ているみたいでしたわ」 「……暗房みてーなもんか? オイ大丈夫かよ、おっさん」 「う、うん。マスダさん役に立たなかったのねぇ」 しょんぼりとするマスカダインに夕凪は舌打ちした。 「なんなんだ、この事件」 壊された扉から差し込む茜色の光はすでに消え失せ、ただただ深く憂鬱な闇が世界を満たした。
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