セリカ・カミシロはノートで友人たちに連絡をとった。 理沙子と個人的な付き合いがあり、アデル家と深くかかわっているエク・シュヴァイス。 インヤンガイの依頼で何度か一緒になって支えてもらったジューン。同じくインヤンガイの依頼でよく同行していた死の魔女。 彼らと自分のためにチケットを手配した。 インヤンガイは現在、不安定な状況だがセリカはそのなかでアデル家の人々と出会い、絆を育んできた。 この世界に再帰属したい、その気持ちからセリカは一人でこっそりと荷物の片づけていた矢先、いくつかの街と組織の崩壊を聞いて出来るだけはやくインヤンガイに向かうことを決意した。 セリカには一つの決意があった。だから、友人たちを誘い、チケットも私が持つとやや強引な態度に出た。 彼らにお願いしたいことがあるから――…… インヤンガイへと出発する前日、さる友人に会った帰り、美容院に向かった。 そして当日の少しだけ早い時刻。 セリカは司書である黒猫にゃんこの部屋を訪れた。ノックのあとドアを開けると書類が山となった執務机の前にスーツを着た三十代の男性である黒がいた。すぐに黒は顔をあげてセリカを見ると、驚愕したように目を丸めた。「セリカ、お前、それ」「似合うかしら?」 セリカは微笑む。 黄金色の長い髪は短く、首ほどの長さで揺れている。けれどそれはセリカの持つ従来の明るさを強く印象付ける。 照れるように前髪に触れる彼女の右手首には白いリボンが巻かれ、揺れる。「似合ってる。さぁチケットならすでにここにある」 黒がチケットを差し出すと容易く割れてしまう宝のようにセリカはそっと両手で受け取る。「黒、ありがとう……あなたにはいっぱい迷惑をかけてしまったわね」「あんなの迷惑の内にはいるか」 黒はセリカの頭をぽとぽと撫でた。「お前の旅に幸多いことを祈っている」 セリカは目を閉じて小さく頷いた。 ターミナルの駅で仲間たちと向き合うと、全員が驚いた顔でセリカを見た。 エクが驚いたように尻尾を膨らませる。「お似合いだと思います。セリカ様」 とジューン。「けらけら! 素敵じゃありませんの! 女性の変化に疎いだなんて殿方は無粋ですわね!」「違う、そうじゃなくて……」 苦手な女性に両脇を挟まれた形になっているエクは若干引き気味に言い返す。 そんな仲間たちのやりとりにセリカはくすくすと笑ってチケットを渡してロストレイルに乗り込む。 見慣れているが改めて思えば、何百年の時間を感じさせる室内を見ると感慨深い。 四人掛けに腰かけてそれぞれ雑談を交わす。(私は……) セリカは三人を見て思う。(彼らに見届けてほしいんだわ) これでロストレイルに乗るのは最後。けれどまだ三人にはそれを告げないでいる。■インヤンガイ 駅から出てくると屋台と店が軒を連ねる『巨人の胃袋』といわれる通り。そこに出ると黒塗りの車から男が出てくると手を振って近づいてきた。 黒スーツに黒いサングラス姿のロイド・カーマインだ。「よぉ、お姫様、迎えに来たぜ」「ロイド」 セリカが声をあげるとロイドは目を瞬かせた。「髪の毛、短くしたのか」「そうよ」 セリカは背筋を伸ばす。「へぇ可愛いじゃん。で、そっちが友達? よろしく。ロイド・カーマイン」 ジェーン、死の魔女は二人とも女性らしくつつましやかに挨拶するのにエクは警戒して睨みつける。なんせ、射的の名手であるロイドには二回くらい射殺――いや襲われたことがあるからだ。「なにか企んでないだろうな?」「企んでたらすでにお前の脳天に弾を叩きこんでるって。お前ら、今日は観光なんだろう? 足いるだろうからボスにお願いして一日休みとってきたんだぜ? 感謝しろよ」「理沙子は?」「今日退院、義足をつけて自宅に帰ってるよ。そっちはボスが付き添ってる」「いいの? 私たちのところになんかきて。危なくないの? 他の街とか滅んだし、他組織が」「別に街が滅ぶのは今にはじまったことじゃないし。まぁ最近多いけど、別にこっちに被害はないし。他組織だってなくなったとしても影響ないから気にしなくていいんだよ」 セリカが危惧をロイドはあっけらかんと危険なしと告げられた。「そうなの、よかった」「出たよ。セリカの気を遣いすぎて空回り」 くすくすとロイドが笑うのにセリカはかっと頬を染めた。「ということで、一応、街中なら俺がいくらでも案内してやるよ。ショッピングだろうが、遊園地だろうが、美しい景色がみたいだろうが、なんなりとどうぞ。ま、表から外れなきゃ掏りや強盗とかいるから今回俺はお前らの護衛兼案内役」 インヤンガイ――その名の通り、陰と陽がまざりあった世界。 青い空に眩しい太陽の下、そこには人々の変わらない笑顔と楽しみを求める陽気さが溢れているが不用意に裏路地にいけば危険はあるだろうが、輝きは失われない。 太陽の金に照らされて、夜は月の銀に照らされて、街は息づいている。「けらけら、まぁ、奴隷のようにこき使ってもかまわないのかしら?」「どーぞ、どーぞ。なんなりと、っても、俺は危険なところには連れていかないぜ? 夜はセチュン川って景色がいいところで飯食べるように予約してるし、そこにはボスたちも来るっていってたし、遅刻しないように気を付けないとな」「なにからなにまでありがとうございます。ではお言葉に甘えましょう、セリカ様」 とジューン。「本当になにもないだろうな」「ないない。今日はセリカのために来たんだし」 襲われたことが相当にトラウマだったらしいエクは尻尾を振いつつロイドを見る。「さて、で、どこにいく? せっかくだ、思い出を作れよ」 ロイドはセリカだけを見て微笑んだ。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>セリカ・カミシロ(cmmh2120)エク・シュヴァイス(cfve6718)ジューン(cbhx5705)死の魔女(cfvb1404)=========
がたん、がたん……一定のリズムを伴ってロストレイルは揺れる。 四人掛けの座席、その廊下側に腰かけたセリカ・カミシロは仲間と明るいおしゃべりに興じていた。 笑顔のセリカは他わいない話題をこの場にいるエク・シュヴァイス、ジューン、死の魔女に提供しようと努めた。 死人色の肌に濁った血のような瞳の死の魔女はふふっと低く淫猥な笑い声を漏らした。 「セリカさん……以前お会いした時とは随分と変わりましたわね。髪と一緒に余分なものまで切り落としたのかしら?」 「え」 セリカは驚いて目を瞬かせる。 インヤンガイへの誘い自体はさして珍しくないが、なんとなく感じるものはあった。今のセリカを見て直感が正しいことを死の魔女は理解したが、それをストレートに言葉にするのは無粋であることは心得ている。 女は秘密を、裏切りを、騙すことをひとつ増やすごとに美しくなるのですわ。ふふ。 けれどただ黙っていてはつまらない、しかけるのもまた美しい女の嗜みですわ。 「私、インヤンガイではずいぶん楽しい思い出をいっぱい作りましたから、こうして遊びにいけるのは大歓迎ですわ」 生きたお友達、そしてつい先日、本当に死んでしまうつもりで愛の告白をした殿方とも出会った場所。 くす。 美しい人形のように整った死の魔女はちらりと横に腰かけるジューンを見る。ジューンは無駄口も叩かず、淡いピンク色の瞳で外の景色をじっと見つめていた。 「それにしても、ジューンさんはいつお会いしても何も変わらないですわね。あぁ、勿論誉め言葉のおつもりですわよ? ケラケラ」 悪気のない、自分と同じ偽りの命を持つ身として親近感から出た言葉だ。ジューンは瞳と同じ色の髪の毛をふわりと揺らす。 「ありがとうございます。ですが、私は少し変わりました」 「あら、そうなのですわ? 私としたことがわからないなんて……あと、そちらの素敵な殿方は、お会いするのは初めてですわねぇ」 死の魔女の視線が斜め横にある四人掛けの席に一人で腰かけているエクに向く。エクはびくぅと震えて、頬肉をひきつらせた。 わざわざ、離れたエクに死の魔女はにやにやと笑って近づく。その瞳は面白い玩具を見つけた子どもみたいだ。 「まぁまぁ、そんなに離れなくってもいいですのに」 「俺に近づくな!」 「悲しいことをおっしゃいますのねぇ! 初対面ですのよ? 仲良くしましょう。私、いい女のたしなみとして紳士にはなれなれしくするようにしておりますの」 「くるな、ちょ、こないでください。すいません、ごめんなさいっ!」 生きてインヤンガイに来れたことをエクは密かにチャイ=ブレに感謝した。 ロストレイル車内では死の魔女のべたべた攻撃によって精神的に死んでしまうところだった。あぶなかった。 エクはロイドの話を聞きながらちらりと空を仰ぎ見る。青の空になまぬるい風が吹く。 ここに観光にきたのははじめだ。 陰と陽が混じりあった世界は自分の故郷であるラークシティに酷似している。 世界図書館が天界、世界樹旅団が魔界かと考えたがどちらもインヤンガイにとっては、深く傷つけられた存在という点で大差ないのだと思うと胸に苦しいものがこみあげてくる。 「あらあら、どうなさいましたのー? そろそろ出発ですわよ」 「はっ!」 つい故郷のことを思い出していたエクは真横からの声にぎくぅと震えた。見ると死の魔女が微笑んでいる。しかも腕をしっかりと抱いて。 「■●▽っっ!?」 エクはすぐさまに飛びのいた。 「い、いやいやいや、」 油断した。 「ば、場所は任せる、とにかく、俺に触らないでください頼むから」 尻尾を足の間に挟んで、耳までたれさげてエクは懇願しながらロイドの背後に素早く回り込んだ。 「おい」 「盾になれ! なってくれ! 頼むから」 エクは見た目こそ美しい黒豹だというのに、魔女の傲慢で貪欲な目には力ない子猫のようで、残酷な心がくすぐられる。 「あらあら、どうしましょうかねぇ、ケラケラ!」 「エクは女性が苦手らしいの。だから、そんな、いじめないであげて」 セリカが慌てて止めるのに死の魔女は名残惜しそうな顔で、しかたないですわねぇ~と一旦は引いたが、瞳に宿る残酷な光を察知したエクは心底、恐怖を覚えた。 「とりあえず、移動するか? さて、どこに行く?」 ロイドが脱線する一行を見て苦笑いしながら声をかけるのにセリカは我に返った。 彼らとここに来た理由を思い出すと、一分、一秒も無駄には出来ない。 「そうね、移動しながら考えない? ロイド、お願いしてもいいかしら?」 「どうぞ。お姫様」 車に乗り込んだ一行は窓から立ち並ぶ店、笑顔で闊歩する人の姿を見た。 流れ込んでくる陰と陽の世界の風景にセリカの海色の瞳がじっと見つめる。 ここに私が来た理由。 「あの、私は買い物がしたいなって思うの。ちょっと気になるものがあって……けど、それ以外はとくにないから、みんなに合わせるわ」 「俺も、買い物がしたいとは思っているが、夕方でいいぞ」 「あらあら、ケラケラ、なにか意中の人にプレゼントですの?」 「……っ」 死の魔女を警戒してエクは助手席に座っているが、鎖で無造作に全身を縛るような甘い声に全身の毛がぶわぁと逆立つ。それを一瞥したロイドは苦笑いを零して、本当に女だめなんだなと同情的に声をかけた。 「ジューンさんはどう?」 「多少なりとも知っていた場所には、もう行けなくなってしまいましたから。皆さまの後についていきます」 とジューン。 「あら、まぁ、遠慮しなくてもよろしいんじゃないのかしら? そうですわねぇ、私、いろいろと見て回りたいですわ。ですが、こういうときは殿方にお任せするのが淑女としての嗜みですわ」 「はいはい。じゃあ、期待に応えて案内させていただきます」 ロイドは笑いながらハンドルをまわした。 桃原郷公園はこの街で最も大きな公園だ。 周りを堀が囲み、水を孕んでいる。その上を白鳥といった優雅な鳥が、水中には鮮やかな魚が涼しげに泳ぐ。 舗装された煉瓦作りの道に芝生、計算されて植えられたいくつもの木々と花壇には季節ごとの花が咲く。花のなかを進めば、背の高い樹が並んでトンネルとなっている。さらに進むと、白い美術館や運動公園としての施設が在る。ロイドが案内したのはそのひとつで、堀のなかを一周できる木の小船だ。 「この船は街も通るから、観光にはもってこいなんだ。一時間くらいゆっくりしてこいよ」 「ありがとう、ロイド」 「まぁ、素敵ですわね」 「……狭く、ないか」 喜ぶ女性陣に対してエクは若干不安げに耳を垂れ下げた。 「ま、がんばれ。骨は拾ってやる」 「……死ぬ前提で話を進めるのやめてくれないか」 ロイドは笑顔でエクの肩を叩く。あまりの薄情ぷりに怒る気さえわいてこない。 「あら、大丈夫ですわよ。私のお友達にしてさしあげますわよ」 死の魔女のいうお友達とはイコール死人のことである。 エクはふっと遠くを見てリーダーのことを思った。リーダー、すまない、俺、死ぬかもしれない。 小船にはセリカ、死の魔女、そのあとエクが乗り込み、ジューンの番となったが、彼女はなかなか踏み出さない。 「どうしたの?」 セリカが声をかけた。 「私は、これに乗らないほうがいいかと思います」 ジューンが片足を舟に乗せた瞬間 ずぶぶっ――船が一気に沈みだす。 「!?」 三人が驚くのにジューンはすっと片足を戻した。 「私はこう見えても実体重263kgあります。そのため木を踏み抜き、水にも沈みます」 「それなら、別のところを」 「よろしければ、セリカ様たちは行ってください。私はここにいます」 セリカが船から降りて思案げにロイドに視線を向けた。ロイドは黒曜の瞳を細めて微笑み、小首を傾げた。 「俺が、このお嬢さんの相手をしているから行ってこいよ」 「けど」 「出来れば、一人で行きたいところがあるので、よろしければ、自由行動をさせてください」 「もちろん、それは構わないわ」 彼らをこの旅に誘ったのは、インヤンガイのことを気にしていることを知っていたからだ。 せっかくだし、各自自由に行動することをセリカは考えていた。だからロイドが観光を提案してくれたのは素敵なサプライズで喜んだが、一人でどこか行きたいところがあるならそれを優先してほしい。 「じゃあ、ロイド、お願いできる?」 「ああ。船はここに帰ってくるから、一時間後な」 セリカは迷うようにロイドを見たあと頷き、ジューンには微笑みかけて再び小船に乗り込んだ。 小船は三人を乗せると、案内人が細い舵を巧みに操って透明な水に落ち行く花びらのような波紋を作って進んでいく。 ジューンはその様子を微笑んで見送ったあと、ロイドに向き直った。 「申し訳ありません。お世話をかけます」 「一時間前後だから、言ってくれれば車を出すぜ」 「ありがとうございます。ではお願いします。けれど私の知っている場所は観光と少し、違います。なかにはいることはできないと思います」 「そうなのか、まぁ、付き合うぜ」 「もうなくなった街です。そこぐらいしか知らないので……ただ、街区がなくなった位であの方々がお亡くなりになったとは思いません。仮にも英雄と呼ばれた方が率いた組織ですもの。例え二度と会えなくても、それを疑いはいたしません」 フォンとリョンを思い出し、うっすらと笑うジューン。 「そこに行きたいのか?」 「いえ、行きたいのは別のところです」 車に戻ると、ロイドはジューンを乗せて彼女が告げた場所に向かった。街の前でいいとジューンが口にするので、ロイドは彼女の主張を重視して車から降ろし、待ち合わせ場所を決めたあとは自由となった。 ジューンが訪れたのはなんの変哲もない街のひとつだ。人の姿はまばらで、あまり活気はない。 そこはキサが以前、欠片を暴走させてのっとった街だ。 そのとき街にいた者たちは問答無用で住まいから叩き出され、霊力を奪われた。そうしてキサは己にとって楽しい世界構築したのだ。それもロストナンバーたちによってキサが保護されて、本来の街を取り戻した。 幸いなのは街そのものが崩壊はしていなかったという点につきるが、事件後、移転者が多く出てしまった。 ジューンは寂しい街中を歩いていく。人々の弱弱しいさざめき。空は青く、太陽は鋭い。 「そうですね、会いたい方なら居ます。私に人を助けられない絶望と憎悪を教えて下さった方。あの時助けられなければ、こんな想いを知らずに済みましたのに……」 ジューンは一時間ほど好きなだけ、その街を歩き、自分のなかの気持ちに沈んだ。 ささやかな船観光を三人は大いに楽しんだ。川を下るなか魚や鳥を近くに見て、堀に育てられている花を愛で、いつもは歩いて見る街の様子を船から眺めた。川には川でいくかの小さな小船が出て商売をしていたので冷たい風にさらされた身体を暖めるため甘酒を購入し、舌鼓を打った。 活気立つ街の風景を、静かに見ることが出来たのはセリカにとってはとっても貴重で、素敵な経験となった。 「思ったよりも楽しかったわ、ありがとう」 船を降りると、すでに待っていたジューンとロイドにセリカは駆け寄り、船の感想を口にする。エクは船の光景は楽しんだが、ぼんやりしていると死の魔女がにじり寄ってくるが逃げ場のないため気苦労でぐったりしている。たいして死の魔女としてはエクをからかい、街の様子を見て、大満足だ。 「素敵なチョイスでしたわ! 次も期待してもよろしいのかしら?」 「狭い空間は出来ればパスで頼む」 死の魔女とエクの様子にセリカは肩を竦めた。 「だって。そろそろおなかもすいてきたけど」 「あら! セリカさん、気が合いますわね! 私も丁度、たった今、おなかがすいたなぁ~と思ったところなんてのすよ! お夕食の前に腹ごしらえをしておきたいですわねぇ、おいしいものが食べたいですわ」 「だったら、通りに行くか?」 ロイドが提案するのは「巨人の胃袋」と謳われる飲食通りのことだ。金さえあれば食べられないものがない、と言われるほど店が豊富だ。 「まぁ、焼肉とか焼肉とか焼肉とかいいですわねぇ」 「焼肉しか口にしてないぞ、お前」 エクが思わずつっこむ。 くりぃんとちょっと曲がっちゃいけないほど首を動かした死の魔女は――エクはあまりのことに硬直した――にぃと笑う。 「焼肉がいいですわ! ねぇ、セリカさん」 「けど、夕飯は」 「おいしいお肉は別腹ですわよ! まぁまぁセリカさん、そんな細いままではすぐに私のお友達になってしまいますわ! いっぱい食べなくてはいけませんわよ! 生憎、今日の私は持ち合わせが御座いませんの。勿論ここはロイドさんのオ ゴ リ ですわよねぇ~? あぁご心配無く、私の食欲は無間の底まで繋がっておりますから。ケラケラ! なんといっても私たち知らない仲ではないのですし」 死の魔女がにやにやと笑ってロイドにたかる。ロイドはにこりと優しく微笑むと、おもむろに ぽかっ 「あら?」 「!」 「っ!?」 「首が」 冷静なジューンが呟く。 ロイドは死の魔女の首だけを持ち上げると、えいやと投げた。それも狙ったような的確なコントロールで(ロイド氏は「禽の目」という狙ったところに得物を的中させられる忌目の持ち主です)首は野良犬にキャッチされた。 「あら、あらあら」 犬はすたこらさっさと去っていく。 「わたくしのからだぁあああああああああああああ~~」 死の魔女の身体は首を求めてマッハで走り出す。 「ろ、ロイドぉ~! なんてことするのよ」 「いやー、手がついうっかり滑ったわ。ははは」 ぽかぽかとセリカが怒って叩くのにロイドは爽やかに笑う。 「あんな対応方法があるんだな」 「……あれは死の魔女さまだけの特別な対応かと」 五分後。 なんとか首を取り戻した死の魔女は犬に舐められちゃった顔をふきふきしつつ、にっこりとロイドに笑いかける。 「まぁ、ロイドさん、本当に素直じゃない方ねぇ~。私ますますおなかがすいてきちゃいましたわぁ」 「もっと遠くに投げるべきだったか? お前、前に助けられた癖になにがおごりだ。金を貸してほしいなら頼み方があるだろう」 「あらあら、まぁまぁ、ケラケラ! 私は魔女ですわよ。狡猾にして、恐れられる、そして無慈悲な魔女が人に頭をさげるなんてこと! あなたが頭をさげて食べてくださいというのでしたら私だって考えて」 「よし、昼はいらないな。実はボスからゴールドカードを借りてるんだが、近くにいい肉を出す高級焼肉店があるんだけどな、残念だったな」 「食べさせてください。お願いします、ロイドさん」 食欲の前で魔女のプライドはとっても無意味ですわ。 そんなわけで昼は個室のある焼肉屋に行くこととなった。 死の魔女はメニューを手に取ると、人差し指で上から下まですすっと撫でる。 「これ、全部、いたたげまして? とりあえず、二人前で」 その発言はエクとセリカを大いに困惑させた。 「ま、魔女さん、夕方のことも考えたほうが」 「そうだぞ」 「あらあら、まぁまぁ、チャレンジは大切なことですわ。さぁ、ジューンさん、どんどん焼いてください」 「わかりました。お任せください。鉄板の交代もしっかりと計っております」 「どうせ、ボスの支払いだから俺は別にいくら使っても気にしないぜ。あ、この牛タンうまい」 ジューンという味方をつけて死の魔女は心行くまで肉をむさぼった。 昼が肉、肉、肉……! にセリカとエクはやや疲れ果てていた。夕食のことを考えるとセーブしようと思うが、魔女の胃袋と自分たちの胃袋を同じものと考えてはいけなかった。 肉を高速で焼いて、鉄板を変えていたジューンは同じくらい食べたようだが顔色はさして変わらない。 日も傾いてきたのに、このあとは好きなだけ天地街での買い物タイムとなる。 最新ファションに包んだ若者、高級ブティック、妖しげな商品を飾った店とバラエティ豊富な店ぞろえだ。 「そうですね、あの子たちにお土産を買いましょう」 ジューンは同居している子どもたちのことを考えて土産品を物色する。 「まぁ、素敵ですわね。このデザイン、そうですわ! 私、お友達にプレゼントしましょう。もちろん、生きているお友達にね」 ターミナルにいる生きたお友達にプレゼントするのは悪くないと魔女が目を向ける。そんな様子をセリカは微笑ましげに見つめる。 ふと見ると、ロイドは邪魔にならないように車で待機していた。セリカの視線に気が付いて軽く手をふった。セリカも振りかえした。 女性陣が買い物をしているのにエクは迷いながら花屋に向かった。 「すまないが、赤いカーネーションで花束を、リボンも赤で頼む」 これをプレゼントしたら理沙子はどんな顔をするだろう。きっと喜ぶだろう。それに、この花に託された意味を知れば……母に何かプレゼントするみたいな、くすぐったいような、嬉しいような気持ちがこみあげて、一日の疲れも多少だが癒される気がした。 思えば、理沙子の見舞いの品は結局ナイフ一本だった。それも不法侵入して……俺はどこの暗殺者だ。まともな見舞いぐらいさせてくれ。 用意された花束を受け取ったエクは口元に笑みを浮かべる。照れ臭い気持ちはあるが、こういうチャンスでなければ出来ないことだ。 「あ」 セリカの声にエクは顔をあげた。 視線が合うとエクは赤面した。 「い、いや、これ、その、な……これは、理沙子にまともな見舞いの品を渡せなくて」 「素敵なプレゼントね! けど、先越されちゃったわ。私も、理沙子にはカーネーションがいいと思っていたの。だって、あの人は母親だもの」 「セリカ、そう、だな。理沙子は母親だ」 「ハワードには私が買ってもいいかしら?」 「俺はあいつに花を買うつもりはないからな」 「あと、その花束に、この手紙をいれたいの、いいかしら? 理沙子に書いてきたの。手渡しは恥ずかしくて」 「いいぞ」 セリカはそっとカーネーションのなかにキサと共に書いた手紙を忍ばせる。そのあとハワードに白く大きな薔薇の花束を用意して、ふと思いついたように小さな花を指差した。 「フラワーホルダーにしてください」 それを持ってセリカは人ごみを抜けて、車に背を預けて立っているロイドに近づいた。ロイドがすぐに気が付いて振り返ったとき、そっとカンパニュラを胸ポケットにいれる。 ロイドは瞠目してセリカを見つめる。 「あなたにも感謝してるの。これから恩返ししていくからね」 「……ばか」 こつんとセリカの額をロイドは優しく叩いた。 「恩返しなんていいんだよ。お前のために、俺がしたかったんだから……で、これ、なんの意味があるんだよ」 「内緒。自分で調べなさいよ」 夕食は高層ビルの最上階にあるレストランの奥にある個室に案内された。なかに入ると透明な硝子から星の瞬きが、地上の溢れる光がセリカの目に飛び込んできた。 「待っていたわ」 大地と空の光を背にした黒いドレスに身を包ませた車いすに腰掛けた理沙子が出迎えた。 耳よりも短く切った髪の毛に赤い花飾りだけをつけているシンプルな装いだ。その傍らにはスーツ姿のハワードが立っていた。 セリカはかちんこちんに硬直しながら、花束をハワードに差し出した。それにエクも習って理沙子に花を手渡した。 「俺とセリカから退院お祝いだ」 「まぁ、ありがとう。エク、セリカ」 セリカはふるふると首を横に振ると、震える手でキサからの預かり物を差し出した。 「母の日っていうのがあるの。キサが、理沙子に、これを」 理沙子は受け取ったあと、笑みを深くしてセリカをぎゅうと抱きしめて頬にキスして感謝を示した。 「……っ、喜んでもらえて、よかった」 理沙子は腕からセリカを解放するとエクに慈しむような視線を向けて再会とプレゼントの歓びを教えた。エクは尻尾をひらりと揺らして応じるとハワードと向き合った。怖くてたまらないが意地で平気なふりをして鋏を差し出した。 「散髪用の鋏だ。理沙子の髪のことが気になってな。今、見るとちゃんと切りそろえていたから不要かと思うが」 「……もらっておこう」 ハワードは素直に受け取ったのにエクは多少、拍子抜けしたが油断はしない 「撃つなよ?」 「撃ってほしいのか?」 じろりと睨まれてエクは首を横に振った。 「はいはい。物騒なことはやめて! 食事にしましょう。素敵なお客さんたち、さぁ、席についてよ」 理沙子がハワードとエクに呼びかけた。 丸いテーブルにずらりと並ぶ手の込んだ料理に死の魔女は 「焼肉じゃないですけど、夜景といい、ワインといい、満足ですわ」 「とてもすばらしいと思います」 ジューンも感想を述べる。 セリカは出来るだけ明るい話題と考えて、再帰属した仲間のことを語った。 「『月陰花園』? あら、だったら、知ってるわ。あそこはよくマフィアが密会に使うから」 セリカは驚いて目をぱちぱちさせる。 「あそこはね、中立地だから、危険はないし、素敵な店が多いの。セリカが言う彼はかっこよさそうね。私も結婚してなかったらアタックしたかも。ふふ、紹介してね」 「り、理沙子ったら」 からからわれてあわあわとセリカは慌てる。 エクはもっぱらターミナルでのキサの生活について語った。自分や博物館の仲間たちと平和に、少しでも早くインヤンガイに帰れるために努力する日々だと聞くと理沙子の顔にはっきりと安堵が浮かんだ。 「いずれ必ず、貴女の元にキサを返す……約束だ」 「ありがとう。信じてるわ、エク。それまでに私もまともに歩けるようになってるから! ……ねぇ、セリカ、エクはどう?」 「え、な、なに言ってるのよ、先から!」 セリカは真っ赤になって反論する。 「私、セリカには幸せになってほしいもの。私としては今のところエクを押すわね!」 「も、もう! 理沙子」 理沙子はからからと笑った。 たのしい会話がひと段落ついたのにセリカは背筋を伸ばした。ここにきた今日の目的を告げるなら、いまだ。 「ハワード、理沙子、聞いてほしいことがあるの」 理沙子とハワードは黙ってセリカを見つめた。 仲間たちも口を噤んで、その様子を見守った。 「私は今日で旅人をやめてこの世界の人間になる。アデル家のガーディアンとして、家族の一員として、これからずっとあなたたちの幸せを守り、共にいさせて欲しい」 理沙子は優しく微笑み、ハワードは黙って目を伏せた。その些細な仕草で言葉ではなく、受け入れられとわかった。 目の奥が熱く、なる。 熱くて、熱くてたまらない。顔が歪んで泣いてしまいそうになるのにぐっと唇をきゅっと噛む。少しでも多くの幸せを今は感じたいから。 ――おかえりなさい、セリカ ――……おかえり 理沙子とハワードの声を心で聞いてセリカは笑った。 「ただいま、理沙子、ハワード」 私は、ここに帰ってきた。 ロイドが拍手すると、死の魔女も、ジューンも、エクも……ひとつの旅路の終わりを歓迎した。 その音はセリカに聞こえなくとも、包まれるようなぬくもりが心に、身体に流れ込んできた。 「再帰属を望む者は多くても、その願いが叶う者は本当にごく僅かですもの。おめでとうございます、セリカ様。これからのセリカ様のお幸せを、心からお祈り申し上げます」 ジューンの淡々としていても、優しい言葉にセリカは頷いた。 「ふふ。生死を共にしたお友達である貴女へこれをお渡ししておきますわ」 死の魔女は自分の骨の指についている赤い石のはめこめられた死の指輪をとると、セリカの手のなかに滑り込ませた。 「もしセリカさんが心の底から「死にたい」と思ったとき、この指輪にお願いして御覧なさい。楽に死ぬ事ができるのですわ。迷い多き人間というものは、生の実感を求める為に死の恐怖を欲するもの。この呪われし指輪がセリカさんの「生への活力」となるようお祈り致しますわ」 死の魔女の紅玉髄のような瞳に宿る優しさにセリカは思わずぎゅっと指輪を握りしめた。 「私、耳のことを隠して、二人に迷惑をかけてしまって、ごめんなさい……助けてくれて、ありがとう」 「セリカさんったら、いい女は隠し事をするものですわよ?」 「セリカ様、お気になさらず。あなたがとても努力していたのは私たちが知っています」 二人の優しい言葉に抱擁されてセリカは微笑んだ。 「ありがとう……みんな、本当に、ありがとう」 食事のあと、ロイドが運転する車で駅前まで見送られることとなった。 エク、ジューン、死の魔女がロイトレイルに向かうのをセリカは車から降りて見送った。 死の魔女とジューンが駅に向かうなかエクは立ち止まってセリカと向き合った。 「病院ですれ違った時とは雰囲気が違うな、とは感じたが……こういうことだったんだな」 「エク、キサのこと、くれぐれもお願いね。私は、こっちでキサを迎えるから。待っているから」 セリカの言葉にエクは頷いた。 「ああ。またこの世界で会うと思うが、一先ずは別れを言っておく。だが忘れるな、俺はまたここに来る……キサを連れてな」 「ええ、待ってるわ、ここで」 エクはこれ以上の無駄な言葉を使わず微笑みに気持ちを託し、手を伸ばす。セリカは旅人としての必要なパスホルダーをその手にそっと置いた。 ――ヴェルシーナを頼むぞ、セリカ。 ――私の我儘に付き合ってくれてありがとう 言葉ではなく、ましてやテレパシーでない。視線によって、二人の気持ちは通じあい、語り合った。 これで本当にセリカの旅は終わる。 エクは手のなかにあるパスホルダーをしっかりと握りしめて駅のなかへと消えていったのをセリカはじっと見続けた。 茫然と立ち尽くしていると ふおおおおおおおおおおおおおおおおん 獣のような低い声を、聞こえないはずなのに聞こえた気がしてセリカは息を飲む。あれはロストレイル? 赤、黄、白、青……瞬いて、消え、そして輝く星々のなか。 淡い光を落とす満月を過る黄金の軌跡が見えた気がして、セリカは祈るように手をふった。 何にも代えがたい黄金のような金 影のようにひっそりと寄り添う銀 その二つを孕んだ夜をセリカはきっと、一生忘れないだろう ターミナルの大切な人々の旅路が幸福であるようにと祈りながら目を閉じる 今までありがとう 私はこれからここで生きて、幸せになる しばらくしてセリカはゆっくりと帰るべき人々の、家に向かって歩き出した。
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