――いるんだ。強い相手を見ると闘いたくなって、後先考えずに挑んでは、ボロボロになって、それでも立ち向かっていく。そんなのが嬉しいってオオバカヤロウが―― (コロッセオ新米管理人”ウエポンマスター”リュカオス・アルガトロス)「危険です。許可しません」 世界図書館、司書達の仕事部屋。 せわしなく動き回る司書達の横で、リュカオスの訪問を受けた世界司書リベルは無表情のまま断言した。 リュカオスから話を聞いて、 何をまたバカな事を、という顔をしたのが五分前。 やっぱりバカな事を、という顔になったのは二分前。 いつまでバカな事を、という顔に変わってから三十秒。「そうだよな」 リュカオスはあっさりと認めた。 そもそも認められるわけがない。それは彼も承知していた。 筋骨逞しい腕が持っているのは分厚く古い一冊の本。 仰々しいレタリング文字で【運命の輪~流転肆廻闘輪~】と表題されていた。 このややこしい漢字は「るてんしかいとうりん」と読むらしい。 リュカオスを無視して仕事に戻ったリベルの前で、彼はその本を開く。 あらゆる戦闘訓練の準備が整ったコロッセオでも、最大の効果をあげる訓練といえば実戦をおいてない。 文武ともに鍛え上げるには「強者と本気で」戦う必要がある。 この訓練が危険だといわれる所以はそこにあった。 卓越した猛者同士とは言え、いや、猛者だからこそ彼らの実戦は時に死へ直結する。 だからこそ、コロッセオにおいてこの戦闘訓練を行うためには、四名の世界司書の許可が必要であった。 そして先ほどリベルはその申請を却下した。 なるほど、世界司書四人を説得するのは生易しくはないらしい。 ============================== ごうんごうんと機械の轟音が鳴っている。 コロッセオのあるチェンバーに入った途端、暗闇に包まれ、地面が揺れだした。 しばらくして、それは昇降機のようなもので、今、上昇中だと感覚でわかる。 照明が壊れているのか、それとも集中力のためにわざと消灯されているのかは分からないが、窓のないこのフロアにおいてまさしく一寸先は闇。 目の前に己の手を翳してみたが、やはり黒一色の世界では何も感知できなかった。 その闇の中、先ほどまでいなかった人物の声がする。「ぎひゃははははははは!! お前ら見えねぇだろぉぉぉ? あァン? コロッセオってのが単なるクローンいじめて遊ぶような陰湿な場所だとでも思ったぁぁぁっ? ココは、お前ら同士がケンカしてもいいんだよぉぉぉっ!? つっても、訓練以上の事ぁ、危険だからなかなか認めて貰えないけどねぇ?」 やかましい程の機械音声である。 隅っこの方から聞こえてくるが、この暗闇では何も見えない。 ゆるやかな浮遊感とともに、このフロアの上昇が止まったのがわかる。 がらり、と開いた扉から、ロストナンバーは達は光の中へと進み出た。「で、だ。さっきまで真っ暗だっただろォ? フツーの人間じゃーあんなとこ歩くだけでも怖いよなぁ? 暗殺者なら別だろうけどよぉぉぉ! あ、そーいや、アサシンって、Ass,Ass,Inって書くんだぜぇ? 知ってたぁ? あひゃひゃひゃ!!」 その音声は、黒い布で覆われた四角い物体から流れているようだ。 周囲を見渡してみる。 開いた扉から流れ込んできた光は、このフロアのごつごつした海岸の岸壁を思わせる壁を照らし出した。 そんな中、扉が開ききっても、ロストナンバーの二人が薄暗い昇降機のフロアで立ち止まったままだった。 昇降機から出たロストナンバーの数は六人。 各チーム一人ずつ、昇降機の中に残っていた。「ぎゃははははは、物分りのいい死にたがりが二人いるみてぇだなぁ? その通り。『第一の輪』はこのごつごつした岩肌に囲まれた10m四方の小さな部屋ぁぁぁ! てめェら二人にゃこの扉が閉まった後に、また真っ暗になった場所で戦ってもらうぜぇぇぇぇっ!」 ぎゃんぎゃんと叫ぶ声、ボリュームが勝手にあがっている。 ロストナンバーが黒い布を取るとその中には古びたラジカセがひとつ。 何を受信しているのか、それともテープでもかかっているのか。 ただひたすらに、がなり続けている。 昇降機の中、音声はがんがんと反響し、正常な鼓膜を侵食していた。 ありていに言えば、――やかましい。「僕様ちゃんのルールは細けェことナシだ! 武器の使用その他一切を”認め”てやんぜぇぇぇぇぇ! 勝てりゃいいんだ、勝てりゃぁ! 何でもやりたいよーにやんなぁ? 卑怯モンになるかどーかはテメェでよぉーっく分かってんだろぉ!?」 黒い布に覆われたラジカセこと、世界司書E・Jは、そう言ってまたバカ笑いをあげた。「おおっと、僕様ちゃん。珍しく長話をしちまったぜぇ! さぁさぁ、真っ暗闇に戻ろうかぁ? んじゃ……、第一の輪の承認者は僕様、世界司書のE・Jこと、エコー・ジョイサウンド! しょっぱなにして一番ド派手な勝負してくれよぉぉぉ!?」 彼のバカ笑いを反響させ、大きな扉が閉じる。 次の瞬間、フロアは再び静寂と暗闇に包まれた。 いいや、静寂はラジカセが許さない。「そんじゃ確認だぜぇ!? 勝負はどっちかが負けを認めた時か、戦えなくなった時だ! そんじゃあ、思う存分……試合、はじめ!」
「あら、最初の出番を取られたわね。まぁいいわ」 ロストナンバーの一人が閉じたドアを一瞥する。 暗闇の中へ二名を残し、一同は先へと歩を進めた。 眼前に広がる墨の世界。 己の足跡以外に音を立てるものはなく、しん、と静まり返っている。 目の前に翳した自分の手のひらすら見えない暗闇で、室内が暗闇に染まると無上の寂寞感が心に染み込んでくる。 それは、己の姿そのものが虚ろになるほどの黒。 「いいね」と彼は微笑んだ。 故郷の世界、暗闇に沈んだ暗黒の世界に近いこの漆黒の戦場は、むしろ適した場所である。 「……うん、良いね、ゾクゾクする! テンション上がって必殺技とか出来そうだよ」 思わず叫んだナオトを目掛け、ぶんっと石ころが飛んできた。 ナオトの肩口にあたった石飛礫は、それ自体に殺傷能力はないものの、あたるとそれなりに痛い。 対戦相手は、暗視持ちではなかったと思う。 闇の世界で生まれ育ったナオトには、この暗闇でも相手の動きが把握できる。 どうやら、日和坂は何かを頼りに適当に放り投げているらしい。 「見えてないんだよね? どうして俺の位置がわかるんだよ」 声をあげる。 二秒の後、ぶぅん、と耳元で風を切る音がした。 大ぶりの石が顔の横をかすめたらしい。もしあたっていたら、と想像して背筋を凍らせ「うわぁぁ」と呻いた。 「暗闇で暗視持ちなんて卑怯すぎだよ、このぉ~!」 「いやっ、卑怯ってっ、いってもっ。絶対、あんたっ。見えてるっ。よねっ!?」 「うっさい聞こえんわ! ついでに言うならライトぐらい常備しとけやっ!」 律儀に返事があったので本当に聞こえていないはずはない。 ただの悪口、挑発の類だろう。 日和坂の投石フォームからして、かなり正確にこちらの位置を掴んでいるようだ。 ためしに足音を殺して七歩ずれる。 「ライトとかあったら怖いじゃないか! 自分で自分をいじめるよーなマゾじゃないよ!」 ぶんっ! 「うわっ!?」 今度の石飛礫は顔をかすって後方へ飛ぶ。避けなければ顔面に直撃していた。 これは、と考え込む。 彼女が暗視に強くないのは理解できる。 足元に転がる石を拾ってはこちらへ投げつけているようだが、その石は手さぐり足さぐりで行き当たったものを適当に拾い上げているらしい。 それはナオトから見えるし、油断させる芝居でもなさそうだ。 そのくせ振りかぶって投げてくる時は迷いなくこちらの方へと向けてくる。 ただ範囲は2、3メートルの誤差があるらしいが……。 そこまで来て、ナオトが思わず噴出した。 「喋るなってこと!?」 足音を殺していても、喋っていると何にもならない。 なるほど、暴霊と違って暗闇で、霊気だか何だかを嗅ぎ付けて襲ってきた霊や化け物どもとは違うらしい。 「そりゃ気配を絶っても、自分が喋ってちゃダメだよね。いや、そりゃ考える前にわかれって話だけどさ。うっわー、恥ずかしい。いつもはこんなボケしないんだよ。つっこみやる方なんだよ、信じてよ、って、うわわっ、喋ってる途中に攻撃なし! なし! あ、タンマなし? おっけー。それじゃあ! Hey、EJ! バトルが盛り上がるようなHotでCoolでCrazyでイカしてイカれた曲をリクエストだ! 頼むよ!」 畳み掛けるようなナオトの言葉に反応し、それまで微小のノイズを発信しつづけていたラジカセから、突如、爆音が響き渡る。 どごごごごごごご、とドラム、ずんずんとベース。 あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!! と耳から脳天につきぬけるイカれた爆笑。 岩窟の部屋に反響にすぐ反響。 旧式のラジカセとは思えぬ程の音量、音圧、音域。 「中立審判な僕様ちゃんを頼るなんてひでぇなぁぁぁぁ!! でも、頼まれりゃイカれた曲、トップ1000の披露をしてやんぜぇぇぇぇぇぇ!!!! 今夜は寝かせねぇなんて言わねぇよぉぉぉぉ? 今年いっぱい寝かせねぇぇぇぇ!!!!」 ぎゃんぎゃんとわめきたてるEJに、ひゅぅと口笛を鳴らしてナオトは賞賛した。 暗闇の中、日和坂が石を手にもったまま固まっている姿が「視」える。 爆音に驚き、対戦相手のナオトを知覚する手段を失ったからだろう。 ナオトはそのまま踏み込むと日和坂の膝の裏めがけてローキックを叩き込んだ。 「うあっ!」 難なく当たる。 バランスを崩した日和坂の腹部に、今度は思い切り膝を叩き込む。 げふっと肺から空気が搾り出される音がした。 「なんだ、あんまり強くないじゃないか。……わ!」 気を抜いた瞬間、ナオトの目の前にぽっと炎が灯る。 一瞬の明かり、マッチ程の小さな炎が発したごく僅かな光量は、暗視に長けたナオトの網膜に強烈なダメージを叩き込んだ。 彼がごろごろと地面を転がって距離をとる間に、日和坂は立ち上がる。 じんじんと眼球の奥に響く炎の刺激に対し、ナオトは手をまぶたにあてて堪えた。 EJの放つ爆音のキャパシティは狭い部屋に収まることができず、がんがんと反響しては二人の鼓膜を猛烈に乱打していた。 「炎使い? そっか。じゃあ念のために……」 闇の中で彼はサングラスをかけ、ハットを目深にかぶる。 一瞬の光は暗視を潰すだけではなく、ナオトに本能的な忌避感を与えかねない。 一呼吸。 ナオトは立ち上がり、対戦相手の姿を見た。 心なしか目がきらきらと光っている。 口元も緩んで、なんかこう、楽しそうだ。 「お嬢ちゃん。ごめんね、手加減するからさ」 「ふ……」 「ふ?」 「ふざけんなぁ~!!! 何が手加減だぁ! これでいいんだよ、これで! ストリートファイトはこうでなきゃ! フェミニストだか何だか知らないけど、私はこれでも武闘派女子高生を名乗ってんだっ! 手加減なんかしたらぶっとばすからそのつもりでかかってくるように! 大丈夫、師匠のワケわかんないシゴきに耐えまくってるから、ちょっとやそっとじゃ私は死なない! ……そこで相談だけど、おにーさん!」 びしっ! と指を突きつける。 その先にぼっと炎が宿った。 ほのかな明かりは彼女の微笑を照らし出す。 火炎は彼女の体外を巡りると彼女自身が火柱に包まれた。 その炎の中で、彼女は微笑みを浮かべる。 ナオトの方を指しているらしきひとさし指の方向は、当然ナオトとはかなり違う方向を指していたが、それでも彼女はナオトにこう語りかけた。 「おにーさん。私に殺されない程度には、強いよねぇ? それとも、手加減とかしようか?」 紅蓮の炎の中、彼女は、にっこりと『微笑みながら』そう言い放った。 「……と、言うところだ」 世界司書ポランの前にあるモニタの映像は相変わらず真っ暗だった。 そこにあがった火柱は旧式のモニタの解像度を振り切って白と赤の明滅を繰り返す。 EJの爆音をバックに日和坂の啖呵がスピーカーから流れると、突然、室内からキシシシシッ! と独特の笑い声があがる。 「おいおい、あのお嬢ちゃん。なかなかヤってくれんじゃねーか。おい、引き返して選手交代だ。俺があのお嬢ちゃんの相手をしてやるぜ」 「このポランを目の前に引き返すとはご挨拶なやつだな」 「たぎってしかたねぇんだ。おい、次の『輪』はここなんだろ!? さぁ、とっとと始めようぜ!」 仕方ないな、とポランは立ち上がった。 「見えなきゃ見えるようにするまでだもんっ! エンエン、狐火操りっ! 四方八方ドカァンと行っちゃって!」 いつのまにか彼女の頭上にいたセクタン・フォックスフォームのエンエンが放った狐火は、日和坂の足に宿り、彼女が回し蹴りの要領で足を振ると、蹴られたサッカーボールのように炎の弾丸が直進する。 その火球は岩盤に炸裂し、破裂し、あたった所を灼熱させて焼き尽くした。 四方八方、炎はあがり、燃え、じゅうと岩窟とコケの水分を蒸発させ、灼熱した岩から発する明かりと、彼女自身の発した炎の余波が室内にこもる。 岩窟がこげた煙は部屋を覆い、煙とも湯気ともつかない霧に包まれ、炎が生む光は空中に浮かぶ微小の水の粒子に乱反射し、部屋の隅から隅までをごくごく淡く、岩場の隅まで紅蓮に照らし出した。 「次、これ!」 彼女は部屋の隅へ走ると、そこに落ちていた黒い布を思い切り取り上げる。 むき出しになったラジカセを手に取ると、ハンマー投げの要領で二回転し、ナオトへ放り投げる。 「うわ!? って、ちょ!! いやいやいやいや! まがりなりにも世界司書さん投げて、壊れたらどうすんのさ!」 「私、今、鼓膜破れたから聞こえないもん! ラジカセがうるさいのが悪いんだぁ~っ!」 「鼓膜、破れてる!? 今、すっごい元気ハツラツに返事したよねっ!?」 横倒しになったラジカセにノイズが走り、再び先ほどのドラムが爆音をあげる。 そこに日和坂の足から飛び出した火炎弾が直撃し、金属のラジカセ・ボディを持つEJの体は真っ黒に変質していた。 「あ~、うるさかったぁっ!」 『ぼ……』 「ぼ?」 『僕様ちゃんは死なぬぅぅぅぅ!!!』 EJの残骸から再び音があがる。 スピーカーの声よりもノイズの方が大きいが、それでも部屋に響くリズムのテンポだけは変わらない。 そのラジカセの中央を、日和坂の足が思い切り踏み抜いた。 もう二度と声はあがらない。 「も、もう喋らないよね。あと二回くらい踏んどこっかな」 言葉の通り、彼女はEJの残骸をがしゃんがしゃんと踏んでからナオトに向き直る。 部屋はといえば惨状だった。 湿った壁面から立ち上った蒸気は室内を蒸しあげ、狐火は室内を照らす。 「眩しいというか、……熱いよね」 「私にも見えてキミには見えにくい。……うん、これでやっとフィフティフィフティだよ」 日和坂がポキポキと指を鳴らす。 ナオトの姿が鮮明に見えているわけではないが、輪郭は捉えることができた。 あまりの暑さに汗をぬぐっている姿がわかる。 「ちょっと元の世界思い出したよ。うん、キミみたいな子。いたいた」 「私みたいな子?」 「マグマの中に住んでて、近寄ったら今みたいにブヨブヨしたマグマ飛ばしてくるんだよね。洞窟の中にいることが多いんだけど、あちこちに飛ばすから、こんな風に蒸すし暑いしで大変なんだよ」 「うら若きヲトメをマグマ怪獣と一緒にするなぁ~っ!!」 冗談まじりの会話でありつつ、日和坂は一瞬で腰を屈めて駆け出す。 炎をまとった右の拳を振り上げ、それが回避されると次に左の膝で腹部を狙う。 その膝も空を切り、逆にナオトの反撃を招く。 肘を脳天に打ち付けられた。 ごんっと地面に伏せられ、それでもバネを利用してはねあがる。 起き上がった彼女の手には小さな物体。 それをくるくる回し、日和坂が告げる。 「暗くてわかんなかったけど、おにーさん。結構、イケメンだよね」 「わ、俺のサングラス!?」 目を抑えるナオトを楽しそうに眺めると、日和坂は再びエンエンの狐火をあげる。 今度は光量と熱を最大に。 ものの数十秒もしないうちに当然、室内は火事同然に煙が立ち込めた。 げほげほと咽せて、咳き込む。 ナオトだけでなく、日和坂の方も。 「いや、ちょっと! 綾ちゃん、だっけ!? 自分でやっといて自分でムセてどーするの!? 今、眩しいからぴんちかなー! って思ったのに! っうわぁ!?」 日和坂の笑顔が、ナオトの視界に入る。 同時に、背筋がぞっと凍った。 なんというか、凄み、のような何かが笑顔に宿っている。 「分っかんないかなぁ……。暗いだけで面白い? ソレはデスマッチって言わないよ?」 じりじりと焦がれる。 炎に。それ以上に、戦いの魅力に。 ぞくぞくと、ナオトの背筋に寒気が走る。 戦場でゴーストを相手にする時の、無上の興奮が。 「いいっ! うん、いいよね。こういうの! 男ならやらなくちゃダメだって気になるよ。うんうん。……ところでちょっと火を弱くしない? 眩しいのもそうなんだけど、このままだとオーブントースターでロースト・ヒューマンになっちゃうよ。ってゆーか、空気! 酸素! ああ、どっかに通風孔あったっけ? あったらあんなに暗くなってないよね。ってことは、このままだと酸欠で倒れちゃうんじゃないかな! おにーさんからの提案だよ」 おちゃらける彼に拳が迫る。 間一髪、身を屈めて避けたところに今度は回し蹴り。 さすがに避けきれず側頭部に衝撃をもらい、ナオトは地面にバウンドする。 「闘いは……。面白く、なくちゃ。空気くらい燃やさなきゃ、私たちのバーニング・ハート、伝わらないっしょ」 日和坂は瞳に虚ろな歓喜を映し、そのままゆらりと姿勢を崩すと、足の重心を大きく移した。 「!!」 再度、繰り出された日和坂の蹴りを両手でガードする。 その両手ごと体がのけぞった。 「うわっ。って、だ、大丈夫!? ってか、ちょっと待って! そんな状態で強くなるとかナシだよ、ナシ! 壱番世界には珈琲に餡子いれる文化があるところもあるって聞いたことあるけど、それくらいナシ!! 何とかできるかなーっておもってたけど、うわっ! こんな強いとどうしようも」 「イケメンのおにーさん。喋ってると。舌噛むよ」 炎を背に。 黒煙の立ち込める部屋で。 日和坂の流れは止まらない。 腕、腰、拳、肘、膝、頭突きまで駆使して苛烈なラッシュをナオトに叩き込む。 防戦に徹すると破られると判断し、攻撃を回避した余勢を駆ったナオトの回し蹴りは日和坂の肩に炸裂する。 と、思った途端。 ナオトの体が地面に転がっていた。 強烈な衝撃を受けたというより、自分の蹴りの勢いで自分が転ばされた感覚。 確かにあたったと思った足が、すぅっと流されて無理なくらい高い位置に足を伸ばす格好にされた。 「うっそ。何、今の」 「合気。実戦でできるとは思わなかったけどねっ」 日和坂の方も、威力を流せなかったのか肩を抑えている。 「あ、あははっ、なんか凄いよね。キミ」 「マグレマグレ。私の師匠なんかすごいよ。転がってくる岩に合気やるとか言い出すんだもん。岩に気があるかっての」 そう喋りながら、彼女の姿勢は定まっていない。 それでも手負いの獣同様の日和坂の脚は、ナオトへと繰り出された。 「20歳な俺! 自分の中に眠るスゲー力とか目覚めろ!」 ナオトが叫ぶ。 目の前でクロスした両腕に、日和坂の蹴りが叩き込まれた。 瞬間、じゅっと音がする。 当然のように、完膚なくガードごと浮かされて倒される。 「ええええ、なんか、ここはこう。ぴぃんと必殺技が浮かんだりするところで。けほけほっ、も、もう一回。来いっ!」 ナオトの挑発に、日和坂が何度めかの攻撃を仕掛ける。 冷静に。 冷静に。 呼吸を深く、ひとつだけ。 今度は回し蹴り。 こちらに大きく背を向けたその瞬間に。 「いくよ、新必殺技ぁっ!!」 そう叫んだナオトの脳天に、日和坂のカカトが叩き込まれた。 「のあああああっ。わ、割れるっ。額、割れるっ!」 脳天を抑えて、ごろごろと転がる。 ちょ、ちょっと待って。と言おうとして声が掠れている事に気がついた。 煙と、低酸素で、声を出しにくくなっている。 ナオトがそうだということは、激しく動いている日和坂はもっと苦しいはずだ。 だが、彼女はそれでも微笑んでいた。 ――いいや、笑っていた。 新しい玩具に夢中になっている子供の瞳を浮かべ、こちらに歩み寄る。 「待った。いや、もうちょっと待とう。酸欠! 酸欠状態!! こっから先はさすがに危な――」」 「前のめりに倒れられないバトルなんてバトルじゃないっ!」 日和坂の放った最後の技は基礎の基礎。 前に向かって蹴る。それだけの単純なものだった。 ナオトの鳩尾に叩き込まれ、彼の体がそのまま崩れ落ちる。 ――やったぁ。 ばん、と音がする。 日和坂の蹴りだしていた足先に引き裂かれるような衝撃が走った。 地面に崩れ落ちる彼の体を見るよりも早く、日和坂の意識は激痛を受け止めるための酸素を失い、今度こそ暗闇に吸い込まれるように落ちていった。 「痛たたたっ。しみるっ」 ナオトの声で、日和坂は目を覚ます。 清潔なシーツと白いカーテンに囲まれたベッドから起き上がると、薄いカーテンごしに、コロッセオの医療スタッフに治療を受けるナオトの姿が見えた。 同時に最後の姿が脳裏を過ぎる。 勝負の結果はWKO(ダブル・ノック・アウト) だが。 最後に感じた足がバラバラになりそうな衝撃。 ベッドの足元にそろえられた靴先の鉄板がへこんでいる。 なるほど。撃たれたのか。 ――撃たれた、だって? がたん、と立ち上がる。 「つまり、銃使いのおにーさんが、銃ナシでケンカしたってこと!? 納得行かない! もう一回、勝負だぁぁぁ~」 そう叫んで日和坂はカーテンをあける。 最初に、ナオトと医療スタッフが見ているモニタが目に飛び込んできた。 そこには綺麗な女性が映っており、彼女の服が不自然に膨れ上がっている。 『ふぅわわっ、ぱんつ見える見えるぅ! うぉあー今度は乳がー!?』 まくれあがったワンピースから、乳房が露になることを防ぐため、女性は必死で服を抑えているシーンだった。 気まずい沈黙が流れ、ナオトが慌てて手を振った。 「いや、これはね。"輪"の……」 その言葉を最後まで聞かず、あはは、あ、あの、ご、ごめんねっ! と笑うと、真っ赤になった日和坂は部屋から駆け出していった。
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