ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
その日のジャンクヘヴンは生憎の雨だった。 そんな雨の中帰りの定時列車を待つ間、自分のトラベルギアでもある鈍い銀色のシャベルを肩に担ぎ、反対の手で傘を持って暇つぶしがてらに歩くのは黒いツナギに身を包んだディガーだ。 すれ違う海上都市の人は皆口々に、「この雨じゃ漁には行けねぇな」「洗濯物が乾きゃしないよ」「じめっとするから嫌だわ」なんて話をしている。 自分も雨は地盤が緩んで崩れやすくなるから苦手だけれど、晴れてるよりはずっといいと灰色の海を眺めた。 「紫外線は痛いんだ」 ぽつりと呟いて、厚く鈍い色の雲に覆われてほんの少しの光も届かない空を仰ぎ見る。強い光に弱い自分は、この世界の陽光では火傷してしまうほどだ。晴れていればゴーグルに手袋をして露出0にしてしまわなければならない。 「でもそれだと、怪しすぎて通報されちゃうんだよね」 まだ零世界の陽光にも慣れていなかった頃、完全武装で街を歩いて通報された事を思い出して眉を下げてしまいそうになりながら、出発の時間はまだだろうかと時計を見るが針はまだその時間では無い事を告げていた。 地面がないと落ち着かないのに、この世界は地面が無い所の方が多い。もぞりとした気分を払拭しようと何か食べてみるのもいいかと思うけれど、生憎と腹の虫も騒ぎ立ててはこないようで改めて海上都市を歩き出した。 海の上造られた都市と言うのは建築学的には少し興味が沸くところで、ふと目に留まった細やかな仕掛けにディガーが足を止める。 「ここ、雨水が溜まらないように出来てるんだね」 傘を差したままその場にしゃがみ、道路……と言うよりも床板と言った方がしっくりする通路を観察する。よくみれば床板には隙間があったり、側溝への傾斜がきちんと計算されているようで雨水がその場に溜まる事無く海へと流れ落ちていた。 自分の元居た世界は巨大な地下都市で、どこまでも地中だった。けれど、この世界はどこまでも海と空だ。 そのギャップに少し戸惑う事もあるけれど、今は大分慣れた気もする。気がするだけかもしれないけれど。 そんな他愛も無い事を思いながら、ぶらぶらと当てなく歩く。 雨が降っているのだから、当然市場もやっていないだろうと思っていたけれど、この程度の雨では閉める店も少ないのかちらほらと客を呼ぶ声が聞こえる。 海産物は朝からの雨でさすがに少なかったけれど、色とりどりの果物と花が見えた。それらは雨に霞んでしまっていたけれど、綺麗な色であるのがよく見えた。 「花はどうだい、そこのお兄さん!」 ぶらぶらと歩く自分に声を掛けたのだと気が付いたのは、そこのつなぎのお兄さんと声を掛けられてからだった。時間はまだあるし、声を掛けられたのだから少し見てみようと思いたちディガーは花屋の前に立つ。 声を掛けた花屋の娘は、ディガーのシャベルが目に付いたのだと笑ってお勧めの花をディガーに見せる。 「花はよく分からないけど、綺麗だと思う」 花屋の娘が勧めた花……白いマーガレットを見て、素直な感想を述べると娘は笑って少し待ってとその花を使って器用にコサージュを作り上げた。 「あげるわ。もう店仕舞しようと思ってたし、褒めてくれたお礼ね」 ディガーが何か言う前に、ぱぱっとそのコサージュをディガーの黒いつなぎの胸元へと飾ると満足そうに笑ってまた来てねと手を振る。 「ありがとう、今度は何か買うから」 有無を言わさない娘にかろうじてお礼を言って、胸元に飾られた白いマーガレットに笑みを浮かべて歩き出す。 花をもらって不愉快になる人間はいないって言うけれど、その通りだなと思っていると前から色んな色の傘を差した子ども達を見つけて少し道を譲る。 赤い傘、黒い傘、白い傘、黄色い傘、綺麗な模様の入った傘、きゃあきゃあとした声を上げながらディガーの横を通っていく。遊びの相談をしているのだろうか、その顔は楽しそうだ。 一番最後に通った青い傘を差した子どもがすれ違いざまに言った言葉が、ディガーの耳に届く。 「私、雨って嫌い。でも雨の音は楽しいから好き!」 雨の音、考えた事もなかった言葉にディガーが立ち止まって耳を澄ましてみる。 その途端、気にもしていなかった雨音がディガーの耳に響く。 とんっ ぱたぱた とととんっ ぱたんっ ぽとんっ ぽつ、ぽつんっ 傘が雨を弾く音、通路に弾ける音、海へと流れ落ちる音。 「うん。楽しいかもしれない」 もう既に通り過ぎて遠くなった青い傘を見ながら返事をするようにディガーが呟く。 雨も晴れも、ぼくは余り好きじゃないけれど、もしかしたらいつか、好きに変わるのかもしれない。そう思いながら胸元のコサージュの花びらに触れてみる。 今は好きじゃないものが、好きなものに変わるのだとすればそれはとても素敵な事だ。そして、それはディガー自身の変化とも同じ。そうとは気が付かないままに、ディガーはもう一度言の葉に乗せる。 「それも……いいのかもね」 そうして、もう一度空を見上げると雨はさっきよりも弱くなっており、傘に当たる雨の音も弱くなっていた。 雨が止むのかもしれない。それならば、自分はそろそろ戻らなくてはいけないなと来た道を引き返す。 来た時よりも、ほんの少し楽しくなった気持ちと、胸元の白いマーガレットのコサージュと共に駅へと通じる道へ……道……あれ?とディガーが首を傾げる。 「ぼく、どっちから来たんだっけ?」 入り組んだ道に少し迷ってしまったディガーが、店仕舞を済ませて帰り道を行く花屋の娘に道を聞き、更に青い傘を差した女の子に目印のある場所まで案内してもらい、時間ギリギリで列車に間に合うのはもう少し後の事。 列車が発車する頃には雨も上がり晴れ間が見えるだろう。 晴れた隙間から届く光が、いつかディガーにも好きなものに変わるかもしれない。 世界は、無限の可能性に満ちているのだから。
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