――お前なんて死んじまえよ ヤノコは、なんの考えもなしにそう口にして、目の前にぶるぶると震える弱い同年代の青年を殴りつけた。 何度も 何度も。 いじめじゃない。これは、いじめじゃない。 遊びだよ、遊び――笑いながら、ほら、ほら、やり返せよと殴り続ける。ああ、むしゃくしゃする。なんだよ、勉強って、親も先生も。お前、頭いいんだってな、ガリ勉野郎。ああ、俺は馬鹿なんだよ。成績も悪くってさ。この学校も親の金ではいったんだよ。ああ、そうだよ、嗤ってるんだろう。俺のこと、本当は、ああ、むかつくんだよ。てめぇが! それは完全な言いがかりだったが、ヤノコにとっては正しい怒りだった。 彼は身を小さくして泣いていた。それがまるで教師や親の言葉に嬲られる自分のようで、さらに腹が立って、ヤノコはひたすらに殴る道を選んだ。 そして、彼は自殺した。 遺書にはいじめがあったといったが、有名な進学校だったのにヤノコはしばらくの間だけ謹慎だけで済んだ。学校は内々に処理することを望んだ。ヤノコの親は金を使った。 あいつは自殺だ。俺は殺していない。 そうだ。ただ殴っただけ、死ねと口にしただけ。あいつは勝手に死んだ。だって、ほら、反撃してもいいと俺は口にした。遊びだといった。いやなら断ればいいじゃないか。 ヤノコが学校に行くと、ある噂が広まっていた。 ――ねぇ知ってる? 自殺した子の幽霊が出るんだって ――学校の屋上からすすり泣いてるの ――あら、違うわよ。彼はね、首つり自殺したのよ。それで男子トイレにいるの ――違う、違う。首をナイフで切ったのよ。それで恨めしいって叫んでるの ――でね、幽霊は復讐するんだよ。いじめたやつに 学校で彼は死んだそうだ。しかし、それは朝のうちのことで、教師が見つけて、生徒たちはどこで彼が死んだのか知らない。ただ教室にある空席には、花が置かれているだけ。 どこで死んだのだろう――生徒たちは口ぐちに噂しあい、それがだんだんと尾ひれがついて学校中に広がった。 そして、その噂を聞いた日から、暗い影が付き纏い始めた。 なんでだよ。 なんで俺に付きまとうんだよ。俺はお前を殺しちゃいないだろう。お前が勝手に死んだんだろう。 黒い影は笑っている。首にはロープ、片手には血まみれのナイフを握りしめて、眼からは赤い泪を流して――笑っている。 復讐スルヨ――と口にする。★ ★ ★ 旅人たちが招かれたのは、街中にある高層ビルにある地下だった。 駐車場の更に奥にある階段を下りると、別世界が広がっていた。 黒いアスファルトで出来た豪華な部屋。そこには甘い香りと、驚くほどに多くの物――がらくたのような物が置かれて散らかっていた。「いらっしゃーい!」 陽気な声で出迎えたのは眼鏡をかけた、長い髪を一つにまとめた男。「妄想堂にようそこー。主人の妄想屋でーす! あはは、そのままだって? まぁまぁ。かたいこといほわないの。ええっと、君たちが情報屋が使っていたすごい人たちだよね? いやね、彼がいなくなって仕事が滞って困ってるから、君たちに助けて欲しくて」 妄想屋はにこにこと笑って、旅人たちを椅子に座らせた。「私の仕事はね、人の妄想を具現化することなんだ。たとえば、君たちが心のなかに抱いていることをそのまま形にできる」 そういうと、紅茶を彼は振舞い、優雅に飲みながら説明を続けた。「けどね、たまに、妄想が人の信念によって勝手に具現化してしまうことがあるんだ。 今回の件は、ヤノコという学生なんだけどね、彼の周りに彼の妄想が出始めてる。彼の妄想は自殺した同級生が自分を殺しに来る、というもの。 それに合わせて、彼の周りで同級生の霊らしいものが目撃されてる。学校はね、特殊な念の集まりやすいせいだね。彼一人の妄想は確かに追い詰められているけど、そこまでひどいものじゃなかった。原因は、周りの生徒たちによる噂、かな。生徒たちは噂しているのさ。自殺した子が、復讐にくるってね。噂そのものはとりとめもないし、統一性もないけど、それが集まって妄想になってしまってるんだよね。 ちなみに自殺した彼の魂は消えているから。 ヤノコという学生は、同級生をいじめていたんだ。彼自身、学校側からいろいろと咎められているしね。まぁ人の命を間接的に奪っておいて、甘っちょろいかもねぇ このままだと、この妄想は暴霊のようになって、いろいろな人を自殺へと引きずってしまうことになる。 依頼は、妄想をやめさせること。まぁ彼一人の妄想というよりも、学校全体の妄想でもあるんだけど、一番はヤノコの心だし。彼が心になかにある自殺した子に対する執着ある妄想の元を立ちきること。方法は任せるよ~。ただし、妄想は妄想。現実にいる君たちが攻撃を加えることはできないよ。え、見えるかって? そうだねぇ、今回のケースの場合は、学校という場だったら見るくらいはできるかもしれないけど、それだけだからね? 妄想も具現化しない限りは君たちに害はないから」 そのあと、大切なことを思い出したように妄想屋は一つの黒い箱を取り出した。「これを渡しておくよ。これはね、ヤノコの妄想の箱だよ。これを開ければ妄想は現実に出てきて、ヤノコを殺すだろう。そうしたら妄想はそれによって現実に影響あるものとして暴霊となる。君らの手で殺せるよ」 ああ、けどね。と妄想屋は笑う。「箱を開けても妄想相手に触れることのできるのは、妄想した本人だけ、だからね。君たちが具現化させて押せばいいなんて安易なことは考えないように言っとくよ。まぁ、ヤノコと、その周囲の者たちに妄想をやめさせるか。それとも、妄想をヤノコの死によって本物の霊にして始末するか、君ら次第だよ」
妄想屋が差し出した箱を飛び付くようにとったのは坂上健だ。 雛鳥を守る親鳥よろしく両手で抱えると、きっと東野楽園、リーリス・キャロン、アルティラスカに警戒した目を向けた。 「箱は俺が持つ。絶対に開けさせない。皆と戦ってもだ。箱を開けても傷つく人が増えるばっかりで、誰も救われないんだ!」 健が気にしているのは楽園のことだ。 気高い女王のような彼女は、箱を開ける選択をしてしまうかもしれない。そうすることで人を嘲笑いながらも傷ついてしまう。 しかし、当の楽園は冷たい目で健を見つめた。 「……私も開ける気なんてないわ。他の人にも開けさせないわ」 「私も開けないよ? だって死んだら終わりでしょ? それ、いやだもの。だから箱は開けない派~」 にこにことリーリスは無邪気に笑う。 「私も開けるつもりはありませんよ」 アルティラスカが穏やかな慈愛に満ちた微笑みで告げるのに、健は無性に恥ずかしくなって赤面した。 「箱は開けないで、ここにいるみんなの意見は一致してるわけ?」 妄想屋は拍子抜けした顔をして、四人を見た。 「本当に? 開けなくていいのかな? 残念だね。ちょっとは意見が割れるかと思ったのに」 「……あんたは開けてほしいのかよ」 健が険しい目で妄想屋を睨みつけた。 「いやいや、それは君らに任せるからね。ただね、健ちゃん」 「誰が、健ちゃんだ!」 「俺は人のことはちゃんづけする主義なんだよ。で、話は戻るけども……箱を開けて傷つくという思いこみは捨てたほうがいいよ」 楽園が片眉を神経質にきりきりと持ち上げた。 「それ、どういう意味かしら?」 「さーね。で、何か用意するものはあるかな? ほら、依頼するからには必要なものは揃えるよ?」 「いらないわ……いえ、そうね。……その学校に潜入するのに学生の制服が欲しいわ。ただ別の学校の制服で」 「私は、出来ればその学校の制服をお借りしたいわ」 と、アルティラスカ。 ちらりと楽園がアルティラスカを見ると、にこりと微笑まれて、慌てて視線を逸らした。 「制服? いいよ。健ちゃんは学ランでいいよねぇ。きっと似合うよ!」 「俺はまだ何もいってないだろう! ……まぁ必要かもな。リーリスはどうするんだ」 「あ、私はいらない。私は外からつつこうと思ってるから。噂で噂を塗り替えちゃうつもり」 にこりとリーリスは微笑む。 健はせっかくだから借りればいいのにと言おうとして口を噤んだ。なぜかリーリスの紅い目を見ていると意見が言いづらい――それがリーリスの魅了の力によるものだとは健は気がつかずにいた。 ★ ★ ★ 「学校の職員には君たちのことはいってあるから大丈夫だよ」 と制服を貸した妄想屋はいい、四人を笑顔で送り出した。 学校の門をくぐってなかにはいり、どこに行こう迷っていると通りかかった教師が「もしかして……ああ、話は聞いている」というと、食堂に案内してくれた。 教師は親切にも学校の建物の構造について、あと三十分もすると下校時刻になると教えてくれた。 「こうまですんなり学校関係者の協力をとりつけると、逆にあいつが何者なのか怖いな」 久しぶりの学ランに白衣――愛用の学生鞄は置いてきてしまっていたので、やや奇妙な姿の健は真剣に妄想屋の正体について首を捻った。 「そんなことはどうでもいいわ。私たちは私たちのするべきことをするのよ」 黒のセーラー服に赤いリボンの楽園が言い返す。その横ではこの学校の女子の指定学生服をきたアルティラスカが静かに頷いた。 「そうですね。噂ですが、他の噂で塗り替えるとリーリスさんはいいましたね?」 「うん」 この場で唯一、学生服を着ていないリーリスは頷く。 「だって、噂が妄想の原因のひとつなら、それは塗り替えちゃえばいいと思うの。私をね、暴霊を食べちゃう暴霊ってことにして、噂、流してほしいの。それで放課後に下校してる子とか、肝試しとかしている生徒の前で、私が暴霊のふりをしたらどうかなって思ってるの。あ、まずは下校中の子たちを狙うから、学校中で私が必要なときはノートで連絡して、すぐに行くから!」 「噂には別の噂で塗り替える……一つだけでは弱くないでしょうか? 私は別の噂も一緒に流そうと思うんですが、どうでしょう?」 「いいんじゃないのか? 噂が多ければ多いほど、みんな、混乱するもんな」 アルティラスカの意見に健は大きく頷いた。 りぃーん。ごーん。 授業の終わりを告げるチャイムの音が鳴り響く。 「じゃ、私は別行動! 連絡してね!」 リーリスが笑顔で去って行くのを他の三人は見送った。ここで健はヤノコの教室に行くというと、楽園も一緒に行くといった。 まさか、楽園から行動を共にすると言われるのは意外だったのに健は目を丸くする。 「ヤノコに会いに行くのよ。彼が妄想しているなら、彼自身をどうにかするしかないでしょ!」 「あ、そうだな」 「私も気になるので御一緒しますね」 「アルティラスカさん……ヤノコを寄り添い慰めるのはあとだぜ。そんなんじゃ、あいつは一人で立てなくなる」 健が遠慮がちにアルティラスカに言う。 「そうですね。赦すだけが癒しとは限りませんよ。ヤノコさんが黒い影を見るのは罪悪感の象徴なのだと思うんです。彼自身が自分と向きあわなくては何も始まりません」 ★ ★ ★ リーリスは学校から外に出て一人きりになると無意識に微笑みを浮かべた。 学校という閉ざされた空間にはいったときからひりひりと肌に突き刺さる様な強い感情を受けて、内心、歓喜していた。 なんて面白いところ! さすがに仲間たちの手前――とくにアルティラスカの前ではそれを悟られないようにする必要があったが。 「妄想、か。妬みと怖いもの見たさのワクワクが混じった味かしら」 ぺろりと舌を出して唇を舐めると、リーリスは歩き出す。 と、そこに部活にもはいっていないのだろう生徒の姿が見えた。 リーリスの紅い眸が輝きを増す。まるで猫が獲物をみつけたように。 「おにいちゃんたち、ここの学校の怖い噂、知ってる?」 「え? 噂? ああ、自殺したやつが出るっていう?」 「あ、それ私も知ってる。怖いよね、自殺したところもわからないしさ」 リーリスの紅い眸に魅了された彼らは警戒心もなく話に応じてくる。 「その子、かわいそう。けどね、その子は人殺しになれないんだよ? だって、学校には、古くから霊を食べちゃう怖い霊がいるんだよ」 にこにことリーリスは言う。 「そんな話、はじめて聞いた」 「私も。けど、どうしてあなた、それを知ってるの?」 「だって」 そこで一呼吸置いてリーリスはにぃと笑う。 「それ、私だもん」 それだけいうとリーリスの姿はさっと白い鳩にかわり、生徒たちの前から飛び立つ。 生徒たちが悲鳴をあげて逃げ出した。 空に舞いながら、リーリスはくすくすと笑う。 ★ ★ ★ 三人はヤノコの教室に足を向けた。 用のない生徒たちは出ていってしまい、すでにがらんとしている――そのなかでヤノコだけが残っていた。 どこかぼんやりとした顔をヤノコは見知らぬ闖入者にかすかに警戒した顔をした。 「あなたがヤノコ?」 楽園が静かに問いかけると、ヤノコは立ち上がった。 「なんだよ」 苛立った声には怒りと疎みが滲んでいる。 「あなたが」 ふっと楽園は笑った。 「私の大切なものを奪ったのね」 楽園は健が止める間もなく鋏を取り出すと、迷いのない動きでヤノコに向かっていった。ヤノコが拳を固め、間合いをとる。 鋏が触れるぎりぎりで避けたヤノコは、楽園に殴りかかった。 ほとんど本能的な動きには容赦がなく楽園は顔に迫りくる拳に――しまったと思ったとき、目に白が飛び込んできた。 健が身を呈して楽園を庇ったのだ。 「っ、へ、いい拳もってんだな」 健が手で拳を受け止めたのにヤノコは驚いたように目を開いて、さっと後ろに下がった。 ボクシング? またはそれに似たスポーツかな。 スポーツの知識はある健はヤノコの構えが素人ではないことをすぐに察した。 「お前ら、何者だよ。いきなりなんだよ」 「俺らは」 「あなたが殺したのは私の兄よ」 健の言葉を遮り、楽園が前に進み出て言い返す。その目には怒りと侮蔑が込められていた。むろん、自殺した者の身内などというのは真っ赤な嘘だ。 だが、楽園の態度は演技だとは思えないほどに深い怒りを孕んでいた。 「幼い頃養子に出されて生き別れになったの。手紙のやりとりだけはあったのよ。あなたのこと、兄はいつも書いていたわ」 ヤノコの顔がさっと強張る。 「俺は……あいつの友達だ。ダチが自殺したってきいて妹と来たんだよ、まさか一人で会わせれられないからな」 「一緒についてきて正解でしたね」 調子を合わせる健とアルティラスカ。 「……あのことは、もう決着はついたはずだ。それをほじくり返すのか。いいかげんにしてれ。もういいだろう!」 「人一人、死んだのに、軽いと思わないか」 健の言葉にヤノコの目が鋭さを増した。 「聞きましたが、あなたは黒い影を見ているとか……あなたは罰を受けましたが、どうしてそんな顔をしているんですか?」 アルティラスカの言葉にぎくりとヤノコの体が震える。 「彼は死にました。いるのは貴方です。……影を良く見てください。あれは貴方が貴方に向ける殺意ではないのですか? 卑怯な自分自身への。本当にするべきことを噂に翻弄されて見失ってませんか? 自分の罪から逃げることはもうよしてください」 真っ直ぐな言葉が向かってくる。 「加害者と認めている自分と向きあいなさい、生きて苦しみなさい。それが受けるべき罰であり償いです」 「……うるさい」 吐き捨て、 「知ったようなことばかりいいやがって!」 ヤノコが吼える。 「ったく、血の気余ってるな。二人は危ないから下がってろ。あとは俺がする。……おい、ヤノコ、面貸せよ」 「……いやだといったら?」 「実力行使!」 健は白衣のなかに隠してあったサングラスをつけ、閃光手榴弾を投げる。 かっと光が満ちたのに、健はヤノコに体当たりを食らわせ、気絶させた。 「眩しいわね!」 光が止むと楽園が叫んだ。 「あ、わりぃ! じゃあ、ヤノコのことは俺があとはする。アルティラスカさんたちは噂のほうを頼むよ」 「……どうして私があなたの言うことを聞かなくちゃいけないのかしら」 じろりと金色の目に睨まれて健はうっと言葉に詰まる。 「……いいわ。私は元々、ヤノコに恐怖を与えることが目的だったし」 「恐怖を?」 「妄想の恐怖を現実にしてしまえば、もう彼は妄想しないでしょう? ……あなた、なにをするつもりなの?」 「えー、男同士にしか出来ない会話! じゃ!」 楽園の疑いのまなざしを受けて健はわざとへらへらと笑い、ヤノコを担ぎあげるとそそくさと教室から逃げた。 「……俺も大概だよなぁ」 廊下で健は苦笑いを零した。 ★ ★ ★ 「うふふ、ちょっとやりすぎちゃったかな」 リーリスは機嫌よく笑って、床で眠っている教師を見降ろした。 帰宅する生徒たちの前で何度か暴霊のふりをしたあとは、リーリスはこっそりと学校に忍び込むと職員室に訪れた。 学校に兄がいると無垢な少女のふりをして近づくと、魅了の力を使い、彼らの精気をこっそりといただき情報を仕入れていた。 自殺した生徒はどこで死んだのか。――死んだ場所はわかった。 リーリスはその情報をさらさらとノートに書いていった。すると、楽園とアルティラスカからの連絡がはいった。 「よーし、がんばっちゃおっと」 リーリスは歩き出した。 ★ ★ ★ 「知ってます? 近いうちにすごく難しい抜き打ちテストがあるんですよ。赤点だと一番厳しい先生による補習があるんですって」 周囲からええーとが声をあがる。 放課後の女子トイレ。数名の生徒たちが残って鏡に向きあい、化粧をしながら教師の悪口、彼氏の自慢を口にする空間。 「うっそー、なんの教科だろう」 「数学じゃないよね! わー、困る」 「あなた、よく知ってるわね、そんなこと」 きゃきゃと声をあげる女生徒たちのうち一人が声をかけてくると、――アルティラスカはにこりと微笑んだ。 「たまたま職員室にはいったときに聞いたんです」 「なんの教科とかは聞けなかった?」 「教えて、教えて」 「さぁ、そこまでは……ただ他の子たちにも教えないと恨まれちゃいますね」 アルティラスカのさりげない言葉に「メールして教えとこう」と一人が言いだし、他の子も賛同して携帯電話をとりだして夢中で手を動かす。 「あ、いたいた」 ドアを開けて新しい子がはいってきた。 「今から肝試しやるの。誰が付き合う?」 「あー、パスパス! そんな暇ないよ、聞いてよ、テストあるんだって」 「えー、うそ! 肝試ししたあとは即勉強じゃん」 女生徒の言葉にアルティラスカは眉を寄せた。 「肝試し?」 「え、うん。肝試し、今日さ、放課後に自殺した子がどこで自殺したのかって確認にいくの。たんなる遊びだよ。遊び。最近はやってるの」 「……肝試しはどこでやるんですか?」 アルティラスカが女子トイレから出て楽園と合流した。 「そっちはどうでした?」 「面白いことがわかったところよ。噂はどう?」 「私は今から肝試しする女生徒さんたちを止めにいこうと思ってるんです」 「肝試し?」 アルティラスカからことと次第を聞いた楽園の顔は一瞬歪み、すぐに無表情になった。 「それ、使えるわ。協力してほしいの」 楽園は自分の計画を打ち明けた。 ★ ★ ★ ヤノコが目覚めると、校舎裏だった。 健が自分を見下ろしているのにヤノコは素早く立ち上がる。 「なんだよ、お前」 「遊ぼうぜ」 健は容赦なく殴りかかった。ヤノコは慌てて身を守る。 ――左が甘い 健は素早く打つ。 ぱんと肌を力で殴りつける音が響く。 「っ! なんだよ、てめぇ」 「遊ぼうぜ」 「なにが、いきなり!」 「お前はこうして遊んでたんだろう! 反撃してもいいんだぜ。このくそ野郎」 拳がきまる。 一撃、二撃……骨が折れるいやな音と感触がした。それでも健は殴ることをやめなかった。殺さないというところだけ心にとめてあとは力の限りやる。 攻撃に、ヤノコが地面に崩れた。 「なぁ、ヤノコ……絶対に敵わない強いヤツから一方的に殴られるって理不尽だろう? 悔しいし、哀しいだろう。お前はそうやって生きる意思を叩き潰したんだ。あいつを殺したのはお前だ」 ヤノコは倒れたまま起き上がる気配もない。 「あいつが暴霊になってないことは俺が保障する、お前を殺しには来ないよ。……なんで、あいつが殺しに来ると思うんだ? それはな、お前のなかにある善意がお前を罰してるんだ。お前も悪かったと思ってるんだろう? だったらちゃんと謝りに行けよ。あいつに、そしてあいつの親に。他人任せにして逃げるなよ」 ヤノコの暗い目が健を――その背後を睨みつける。 はっと健は振り返った。 黒い影が現れて、そして消える。 妄想が消えた――? きゃあああああああ――! 甲高い悲鳴が校舎から聞こえた。 ★ ★ ★ 肝試しに集まった生徒たちにアルティラスカと楽園は合流すると、楽園がもったいぶった笑みを浮かべて口を開いた。 「自殺したのがどこか知りたくない?」 すべてがまるで血を滴らせたような茜色に染められ、静寂が包みこむなかで、楽園の声は甘く囁く。 「転校の手続きをとるとき……職員室で先生たちが話しているのを聞いたの」 「本当にここなの?」 東校舎の、三階奥の音楽室。 朱色は薄まり、薄い闇が広がった建物のなかで女生徒が尋ねた。 「ええ、そうよ。みて、床に血があるでしょ」 楽園がすっと指差す。 そこには黒い血が散っていた。 「うそ、なんで、これ……」 女生徒たちが息を飲む。 「彼はね、自分を見殺しにし、死後も無責任な噂で貶める連中にとても怒っているの。皆殺しにしたいほどね」 詩を口ずさむように、楽園は告げる。 「なにいいだすのよ、あなた」 「ちょ、なに、あれ、なに」 生徒の一人が震える声をあげると、いつの間にか硝子に紅い文字が描かれていた。 オマエラ ガ オレヲコロシタ 「知ってる? 傍観者も共犯だって」 じわじわと太陽は沈み、闇が建物のなかに広がってゆく。 「復讐の標的がヤノコだけだと思ってるの? お馬鹿さん達。助けてくれなった相手をより一層怨むものなのよ」 きゃああああああ――! 彼女たちは悲鳴をあげてその場から逃げ去す。 長い廊下を走りながら、女生徒の一人が呟く。 「そんなの、うそよ。そんなの。彼がそんなこと……だって、噂は私が」 一階まで降りて下駄箱にくるとようやく彼女たちは足を止めた。 と、トルルルと携帯電話が呑気な音をたてるのに一人が慌てて携帯電話を開いた。 「……なに、このメール」 「どうしての?」 「いま、メールがきたの。変な噂流れてるって」 「え?」 「暴霊を食べる暴霊がいるって。赤い目をした女の子で……ね、あの子、なに?」 一人で震える指先で示した廊下の端――可愛らしいドレスを着た紅い目の少女が立っていた。 「暴霊は食べれちゃったの。けどね、あんまり可哀想だから、私が仕返ししてあげようかと思って……」 にぃいいいいい。 邪気な笑みを見たその瞬間、――女生徒たちはあまりの恐怖に気絶した。 「もう、なによ、私のこと見て倒れるなんて失礼しちゃう!」 ぷりぷりと怒りながらリーリスは一人の女生徒を引きずって音楽室にはいってきた。 「この子だよ。噂を流してたの。自分で白状したの。私、聞いたんだから」 リーリスに引きずられた青白い顔の女生徒は恐怖に俯いたまま怯えきっていた。 「あなたは?」 アルティラスカが尋ねるびくりと彼女は震え、伺うような視線を向けて口を開いた。 「……私……いとこだったの。いじめにあってること知らなくて、死んでわかって。だから、せめて、あいつが追い詰められればいいって、まさか噂が本当になるなんて……彼、食べられたの? この子が、暴霊を食べる暴霊で、そんな、そんなぁ」 泣きじゃくる女生徒にアルティラスカは近づくと、そっと両手で女生徒の震える体を包みこんだ。 「あれは私たちがした嘘です。彼の魂はここにはありません」 「けど、けど、いまの」 アルティラスカは苦笑いした。 楽園が腕を切って自分の血を流して床に散らし、窓に文字を書いておいたのだ。それをさも幽霊がしたかのように演出してみせたのだ。 「反省してください。……憎いと思うことは仕方ありません。赦さなくていいんです。けれど、死者を貶める噂を流して、復讐なんてしてはいけません」 「……ごめんなさい、ごめんなさい。だって、こんな方法しか思いつかなかったの」 アルティラスカはただただ黙って女生徒を抱きしめる。 優しさが、憎しみを深く、深く抱いて、癒していく。 「人間って愚かよね、自分の身に危険があるととたんに大人しくなるの」 「楽園さん」 「……なによ」 楽園が目を眇める。 「怪我、はやく治療しなくてはいけませんね」 アルティラスカのすべてを包み込む微笑みに楽園は何も言い返さなかった。ただ黙って頷いた。 そのとき、外で空気を震わせる急ブレーキの音がした。 ★ ★ ★ 校舎のなかから悲鳴が聞こえて健はそちらに視線を向けた。 「なんだ」 まさか楽園、いやリーリスが暴れてるのか? 止めにいくべきかと悩んだ背後にヤノコの声が聞こえた。 「あ、ああ。そうだ。そうだ俺は……俺は……あいつは殺しに来ないなら、俺が、俺が、ばかな俺がここにくるべきじゃなかった。親の金でこんなところに、成績悪いのに、あいつは頭がいいのに、そうだ、死ぬことだってあいつは出来たのに」 「おい、ヤノコ」 ヤノコは突然と走り出した。 ――あれは貴方が貴方に向ける殺意ではないのですか? アルティラスカの言葉が健の脳裏が蘇る。 塀を乗り越えて、外へと逃げたヤノコを健も追いかける。 道路に飛び出すヤノコに車が迫りくるのに健は何も考えなかった。ただ力いっぱい地面を蹴って叫ぶ。 「うおおおっ」 視界がくるくるとめまぐるしく回転し、痛みが体に走る。 ききききききぃいいと急ブレーキの音。 「なにしてんだ!」 車の運転手の怒声が聞こえた。 もつれ合うようにしてアスファルトに倒れていた健は体を起こし、自分の下で身を丸めて泣くヤノコを見た。 「逃げるなよ。そんなの認めないからな、死んじまうなんて……!」 ★ ★ ★ 「おかえり、みんな」 妄想屋はにこにこと笑って四人を迎えた。 「さて、箱をかえして……依頼通り、妄想はなくなった。ほら、これがその証拠」 妄想屋は箱を開けると、そこから赤黒い尖った石のようなものを取り出した。 「妄想の終わりに生み出される結晶」 それを妄想屋は四人に見せたあとなんの躊躇いもなく口にいれて、がりがりと食べ始めた。 「おい、それ」 健が唖然とするのに妄想屋はにこにこと笑う。 「ああ、まったり、濃くておいしいね。これは……ん? ああ、俺の役目はね、こうして終わった妄想を食べてしまうことなんだ。健ちゃんも食べてみる? 美味しいよ」 「絶対にいらない!」 健はこめかみに痛みを覚えた。 「お伺いしたいのですが、私たちは今回、失敗したんでしょうか? 妄想が終わったとしても、ヤノコさんはどうしてあんな行動を?」 アルティラスカも尋ねる。 健からヤノコが車に飛び出したということを聞いたからだ。 「いや、依頼そのものは成功……今回の妄想だけども、ヤノコは殺した相手に対する激しいコンプレックスを抱いていたのさ……優等生に対する劣等感、嫉妬。教師、親に抑え込まれるストレスをヤノコは彼を殴ることで発散していた。ただし、いじめていた相手が自殺すると、ヤノコは罪悪感とともに心の深くに存在する願望に気がついた。つまりは、こんな地獄から逃げたいっていうのさ。だから復讐によって殺されるなんて妄想は彼の罪悪感と現実逃避が混ざったものだったんだよ」 妄想屋はにやりと笑った。 「彼はもう妄想はしない。死ぬこともない。君たちが与えた道を歩くしかないのさ。出来そこないと親や教師たちからの目や言葉から、今度は間接的とはいえ人殺しという罪による人々の目のなかをね。……あ、そうそう、君らの与えた噂、なんかインパクトが強くてさ、暴霊を食べる暴霊の妄想が出てきちゃうかもねー。そのときは、またお願いするからね」 ぱたんと、箱は閉じられた。
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