掌に乗せた青みを帯びた水晶を眺め、カルクは小さくない溜め息をついた。 これを手に入れた時から、ふとした拍子に映し出される少女の姿が忘れられない。水晶は気紛れで、常に見せてくれるわけではないと知っているけれど。時間があると水晶を手に、彼女を思い描くのが癖になっていた。「君はどこにいるの……、まさか、水晶に棲んでいるんじゃないよね?」 そうだとすればもっと頻繁に、姿を見せてくれればいいのに。会いたい時に会えないなんてと恨みにも思いそうで頭を抱えると、包み込んでいた掌にほんのりと熱を帯びたような気がして慌てて顔を上げた。 彼女の姿を見る時は、水晶は僅かに熱を帯びて赤くなる。期待するまま覗き込んだ水晶には、苦しげに胸を押さえている彼女の姿。 やっと会えたと喜ぶよりも、何があったのかと心配になって思わず立ち上がる。身体を折り曲げ、細い声で誰かを呼んでいるのは分かるのに、全ては水晶の向こう側。助けに伸ばせる手もなく、心配する声も届かない。 誰か早く彼女を見つけてと悲鳴じみて祈り、ようやく気づいたらしい誰かが駆け込んできたところで映像はふつりと途切れた。「っ、あ!」 引き止めるように声を出し、けれど呼ぶべき名前も知らないのだと思い至る。伸ばしかけた手で拳を作り、軋むほど強く震わせる。 どうして自分は、こんなところで立ち尽くしているのだろう。あんな風に苦しむ彼女を、見ることしかできないのだろう。 穏やかに、幸せに、笑っている彼女を見るのが好きだった。例えば水晶が作り出した架空だとしても構わないと、深く追求しないでいたけれど。 駆け込んできた誰かが履いていた靴には、見覚えがあった。 三つ山を越えたそのまだ向こうから、時折色んな物を売りに来る商人。複雑に編み込まれた紐の結び目が気になって、どうやっているのと尋ねたことがあった。滑って脱げてしまわないように、彼が住む辺りの村ではこうするのだと笑って教えてくれた。それに、そっくりだった。「君はいるの? そこに。会いに行って、会えるところに?」 それなら、会いに行こう。顔しか知らない彼女を探し出すなんて無謀だと、今まで行動に移さなかったけれど。僅かでも手がかりを得たのなら探し出したい、君に会いたい。 今。動き出さなかったら、きっと後悔する。簡単に会えるとは思わないけれど、それでもいつ映るとも知れない水晶を眺めているだけなんて耐え難かった。「カルク、そろそろ次のキャラバンが着く、……何やってんの、お前」「悪い、出かける」「まぁ、そりゃ見りゃ分かるけど……え、ちょ、今出んのか!?」「行く。悪いけど、後頼むな」「頼むってお前、待てコラ、村長の息子が勝手に出て行くなーっ!」 お目付け役も兼ねた幼馴染の悲鳴如きで、足は止まらない。 ただ、君に、会いたい。「竜刻の回収を手伝ってはもらえまいか」 インドラ・ドゥルックの呼びかけに、竜刻かー、ヴォロスかー、どーしよっかなーといった様子で顔を巡らせたのが数名。詳しい説明は彼が、とインドラが引き摺り出したのは、やる気のなさそうな世界司書だった。 相変わらず気怠げに導きの書を開き、気乗りしていない様子で説明を始める。「引かれ合う竜刻が、共鳴するまま移動を始めたようでして。それらが出会った時に暴走する、との予言です」 なのでその前に回収して来てくださいと頭を下げ、そのまま離れていこうとする司書の襟首を掴んでインドラが引き戻す。「あなたはもう少し、やる気というものを出せないのかっ」「これでもあるだけ掻き集めて目一杯フル活動中です」 これ以上は出せませんと真顔で答える司書にインドラが目を据わらせると、早瀬桂也乃がまぁまぁと宥めるように取り成す。「その司書さん、やる気はなくても質問には答えてくれるみたいだよ」「そうなのです。やる気の場所を聞くより、竜刻の在り処を聞いたほうがいいのです」 そのほうがきっと有用な答えが返るのですと桂也乃の言葉を継いだのは、いつの間にかそこにいるシーアールシー ゼロ。お久し振りなのですとちょこんと頭を下げた彼女を見て、司書は諦めたように息を吐いた。「竜刻は二つ。一つはある村に住む少女の手にあり、今のところ動きはありません。もう一つの持ち主は山を幾つも越えた別の村の青年で、こちらが今移動中です」「引かれ合う竜刻を持つ男女ということはー、そこに愛があるんですねぇっ!?」 いきなりものすごい食いつきで話に入ってきた川原撫子は、遠距離恋愛ですかぁ、いいですねぇっと夢見るような仕種でうっとりしている。心なし後退りした世界司書は導きの書にだけ視線を据えて、愛なんですかねぇ、と小さくぼやくように呟いた。「その竜刻が揃った時点で暴走するんですから、会ったこともないと思いますが。……ああ、ですが時折、互いの持ち主を映し出していたようですね。それを見ることはあっ、」「名前も知らないで引かれ合うなんて、どれだけ王道なんですかーっ! やっぱり恋愛は萌で燃え、全ての原動力ですね分かりますっ」 今ちょっと恋愛ものがアツイんですよ! と、司書の言葉を遮って参加してきた吉備サクラは、ですよねぇっと激しく頷いて同意した川原とすっかり意気投合してはしゃいでいる。 もう三歩ほど離れた司書の肩に手を置いて引き止めたベルファルド・ロックテイラーは、面白そうだねとにっこりと笑った。「直接会わずに思い合っていた二人、か。会わせてみたら、どーなりますことやら」「離れ離れの運命の人、……ロマンティックだね」 桂也乃もほんわりした様子で頷き、一緒に行ってもいいかなとインドラに尋ねた。「勿論、私一人の手には余ると思ったから声をかけたのだ。同行してもらえるなら有難い」 ほっと息を吐いて頷いたインドラたちをちらりと確認した世界司書は、導きの書に再び視線を落として竜刻の持ち主たちの所在地を確認する。 このまま何事もなく進んだとしても、二人が出会うにはまだ二日ほどかかるだろう。今から向かっても悠に間に合うはずだと、僅かな不安を振り払うように緩く頭を振った。 ターナは寝台で横になったまま、窓辺で光を受けている水晶を眩しそうに見上げた。 身体の弱い彼女にお守りだと与えられたそれは、時折見知らぬ青年を映し出した。見るからに健康的で溌溂とした、憧れるに足る相手。 初めて見た時から、ターナは彼に仄かな恋心を抱いていた。(会えないからこそ、好きでいられる) 彼は、自分のことなど知らない。哀れむように見下ろしてこない、当てにならない気休めなど口にしない。だからこそ、安心して好きでいられる。 恋も知らないまま死ぬなんて、あんまり悲しすぎた。恋愛をしたいわけではない、ただ恋をしたいだけだ。儚く散るのが前提としてある初恋の相手として、水晶越しの彼ほど相応しい人もいない。(死ぬまでの、僅かの間だけでいいの) 好きでいさせてと請うように見つめる先で、水晶がほんのりと青みを帯びた。彼の姿を映す時、いつもそうなるように。 期待に胸を膨らませて水晶を覗くと、青年が懸命に山中を行く姿が見えた。どくん、と心臓が跳ねる。 いつもは、ずっと同じところにいた。彼は自分の住む村をほとんど離れなかった、見る時はいつも自身の部屋かその村のどこか、だ。自分の生まれた村から出ることも叶わない彼女とは、間違っても会う可能性などないとほっとしていたのに。 悪い予感ほど、よく当たる。何の用事か知らないけれど、彼はひょっとして彼女が住む村か、その近くまで来てしまうのではないか。 考えただけで、ぞっとした。「お母さん……、お母さん!」 何かの間違いでも直接見てしまえば、彼女の恋は砕けてしまう。 お願い、助けて。動けないこの身体を何とか動かして、誰か、どうか。 会いたくない。会いたくなんかないのだ、あの人には。あの人にだけは、どうしても。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>川原 撫子(cuee7619)吉備 サクラ(cnxm1610)早瀬 桂也乃(cfvt3650)シーアールシー ゼロ(czzf6499)ベルファルド・ロックテイラー(csvd2115)インドラ・ドゥルック(cydb4620)=========
「とりあえずぅ、恋愛に必要なのは『当たって砕けろ☆』な精神だと思うんですぅ!」 握り拳を突き上げて主張した川原の言葉に、桂也乃は二度ほど瞬きをしたがふぅんとばかりにのんびりと頷いた。 他人様の主義主張に、異議を唱えるほど野暮ではない。実際に彼女が誰かに突撃したらその時止めればいいだけの話だし、間に合わなくてもその時だろう。 (あー、でも今から訪ねるお嬢さんって病気なんだっけ。突撃しちゃうとまずいかなぁ) やはり身体を張るべきか、枕子さんや漱石を投げるなんて非道なことはできないし、いやでも他に何かクッションになりそうなものを等々、桂也乃が内心真剣に検討している間にも川原の荷物チェックは続いている。 「背負子とぉ、フリース毛布に紐、大判スカーフ……、封印のタグも忘れちゃいけませんねぇ☆」 一つ一つ確認して頷いている川原をちらりと横目で眺め、封印のタグを毟り取──もとい。にこやかに友好的な仕種で世界司書に強請っていた姿を思い出す。 「やっぱり人の繋がりってぇ、名前を知るところからな気がするんですぅ。司書さん、そろそろお名前教えていただけませんかぁ☆ 教えてくれないとぉ、司書さんの某お知り合い屋さんがつけた名前を本名だって広めますよぉ☆」 にっこにこと笑顔で詰め寄った川原から極力顔を背けた司書は、導きの書を盾のように構えて彼女から距離を取りつつ、何か聞きたいことがあったんじゃないんですかと救いを求めるように辺りを見回した。他人事の顔をして見守っていた面々の内、ふと思い当たった様子で手を上げたのはロックテイラーだった。 「はいはい、じゃあ質問。彼女がいる村の名前、途中立ち寄れそうな村、特産品とか分かるようなら聞きたいなー」 その村の出身って一目で分かるような何かもあったりしない? と助ける気はなく尋ねたロックテイラーに向き直るようにして川原から背を向けた司書は、導きの書を開いて眉根を寄せた。 「村の名前はチタン、途中二三立ち寄れそうな村はありますが……余所者が目立つ田舎ですから道中で会うほうが無難でしょう」 靴紐の結び方で村の特徴が出るらしいですねとページを捲った司書は、どこからともなく紐を取り出すとチタン近辺独自の結び方を伝授し始める。ドゥルックも興味を持ったようにそれを試している横で、 「やっぱり遠恋は萌えです華ですタイムリーです、ここは是非カップル成立目指して盛り上げないとっ!」 握り拳で盛り上がっているらしい吉備が、どきらぶ2(どきらぶ! セカンドシーズン:遠距離恋愛をテーマにしたゲーム、来春劇場版公開予定)とか、マジ婚部(真剣に結婚活動応援倶楽部:土曜深夜のシリーズアニメ)とか面白いんですよご覧になってます? とシーアールシーに話しかけていた。 面白そうなのですと興味を持ったように目を輝かせているシーアールシーに熱心なPR活動を始める吉備に、靴紐を結びながらドゥルックがちらりと苦笑した。 「楽しそうなのは構わないが、本来の目的を忘れないようにな」 どこか微笑ましく目を細めながらも柔らかく釘を刺したドゥルックに、吉備はふらりと視線を泳がせてあははと乾いた声で笑った。 「わ、忘れてません、竜刻も回収します勿論です」 しっかりばっちり覚えてますと目を泳がせて頷いた吉備の言葉に、なーまーえー! と司書に飛びかかりそうだった川原がぽんと手を打った。 「そうでしたぁ☆ 封印のタグを一人二本ずつ貸して下さいぃ☆ 竜刻二個ありますし多く持って行きたいですぅ☆」 ついでに名前も教えろやと襟首でも捕まえそうな勢いの川原に、司書は幾らかげんなりした様子で封印のタグをだばっと取り出して川原に押しつけた。 「未使用分は返却してくださるのが必須ですが、好きなだけ持って行ってください」 今すぐ川原ごと持って行ってくれと言わんばかりの態度には気づいているだろうに、ロックテイラーは素知らぬ顔でそれを受け取って、水晶の中の愛しい君かと興味深げに呟いた。 「おたがい好きみたいだけど、真実の姿を見ても好きでいられるのかな?」 「ああ……、そうだね。水晶に僅かに映る姿だけで、全てを分かり合えているとは思えないし」 どれだけ想い合っているのかも分からないと桂也乃は同意したが、そんな後ろ向きなことでどうするんですぅっ! と川原の矛先がこちらを向いた。 「こんな運命的にドラマチックな展開でぇ、アンハッピーエンドとか有り得ませんからぁ!」 「そうですよ! 恋愛物は基本ハッピーエンドと相場が決まってるんですっ。そりゃまぁ確かに中にはこれはこれでありかなーっていう幸せっぽいバッドエンドもありますけど、まずグッドエンドありき! ベタアマに幸せなエンディングこそ王道の基本!」 「王道を外れると、マイナーとして肩身の狭い思いをすると聞いたのです。せっかく相思相愛の二人がそうなってはあんまりなのです。ゼロも相思相愛の二人を応援なのです」 その意気ですぅ、目指せマジョリティ! 脱マイナーなのですと目的を忘れたように盛り上がっている三人に、ドゥルックは辟易して逃げそうな司書を捕まえながら苦笑している。ちらりと目が合ったので止めようか? と提案してみたが、それは構わないと緩く首を振られた。 「私にはない情熱だ……、羨ましい、というと少し違うが。彼女たちの熱意でこれから訪ねる二人が最良の選択をできるなら、それはいいことなんだろう」 できれば竜刻のことも片隅に置いておいてほしいものだがと微かに笑って語尾を上げたドゥルックに、ロックテイラーがそうだと手を打った。 「揃えて暴走するなら、二つの竜刻って回収する時は別々に持ち帰るべき? ちょっと離れてたら大丈夫って事なら車両を別にすればいいけど、輸送時間をずらす必要ある?」 「いえ、それに関してはタグさえ貼り付けてもらえれば問題はありません。用心して頂くに越したことはありませんが、うっかりタグが外れたりしない限りは大丈夫です」 なのでそろそろ出発してください是非とドゥルックに襟首を捕まえられたままの司書が疲れ気味に説明した言葉を聞いて、司書さんと桂也乃は溜め息混じりに呼びかけた。 「そういう振りはいらないから」 女性陣は何となく少女のほうに押しかけるんじゃないかなーと思っていたが、蓋を開けてみれば四人中三人が青年へと突撃することになった。ベルファルドとしては司書から聞いたチタンに向かう旅人を装い、接触する予定だったのだが。 「ゼロが巨大化して、こちらに向かっている青年を見つけたらいいのです?」 「ええっ?! そしたら、せっかく旅の小間物屋さんコスが威力を発揮できませんっ」 「それは一大事なのです。それでは、インドラさんも旅の小間物屋さんコスプレに挑戦するのです」 「いや……、私は遠慮しておこう。明らかに浮くだろう」 「えーっそんなことないですよ! もっと早く言ってくださったら旅の小間物屋さんはおろか商家のお嬢さんや駆け落ち中の姫コスとか一杯用意しましたのにー!」 インドラさんくらい身長があったら、マケタン(マーケット探偵:地方局の毎日連続十分アニメ)の姫崎さんの衣装や、ドラバス戒(ドラゴンバスターズ戒:三年前に流行ったファンタジーゲーム)のプリンセス衣装とかばっちり着こなせますよー! と目をきらっきらさせて詰め寄る吉備に、ドゥルックは表情こそ変わらなかったが大分引き気味に遠慮しておくとやんわり断っている。 さっきから、ちょっと耳がキンキンしているが気にしたら負けだろう。 「とりあえず……こうして騒いでるところに出くわすのもちょっとあれだし、提案していいかな?」 各自ばらばらに接触するのも効率が悪いだろうからと控えめに手を上げて声をかけると、助かったとばかりにドゥルックが大きく頷く。とりあえずコスプレは断固拒否の一点で心を通わせた気がしながら、ベルファルドは自分の靴を指した。 「相手がこの靴紐を知ってるかどうかは賭けだけど、まぁ、知らなくてもきっと彼は違う結び方だろうから話のきっかけにはなると思うんだよね。インドラさんにも同じようにしてもらってるし、ボクらはチタン周辺の村出身で、そこに帰ってるところ」 説明しながら自分とドゥルックを指し示し、今度は吉備とシーアールシーを指す。 「二人は旅の小間物屋さんでどうかな。たまたま行き会ったから一緒に向かってる、行き先が一緒ならキミもどう? って誘えば、まぁ、ボクらの人数と目的地も誤魔化せるかなって」 「成る程なのです。それではゼロも、旅の小間物屋さんなのです」 宜しくお願いしますなのですと頭を下げているシーアールシーに、こちらこそと吉備も嬉しそうに手を握っている。ちゃんと用意しておくべきでしたねと準備してきていたらしいショールを取り出してゼロをそれらしく見立てている吉備は楽しそうで、一先ず問題回避? とドゥルックに笑いかけた。 「しかし設定はそれでいいとして、果たして彼がここをいつ通りかかるかが問題だな」 通り過ぎていることはないだろうが、と残り一つ越えなくてはいけない山へと顔を巡らせてドゥルックが物憂げに呟くと、それはきっと大丈夫なのですと小物を添えられながらシーアールシーがにこりと笑った。 「何故なら、ここにベルファルドさんがいるからなのです」 「? それはどういう、」 事だと問いかける前に、少し遠く誰かがこちらに向かって歩いてくる音が聞こえてドゥルックは口を噤んだ。ベルファルドはさも今立ち上がった、とばかりに大仰に服を叩いて笑顔になった。 「さて、休憩終了! 今日中にあの山を越えてしまいたいから、もう少し頑張ろう」 「あー、まだ歩いちゃうんですねぇ」 「目指す村はもうすぐなのです。頑張るのです」 えいえいおーなのですとシーアールシーが拳を突き上げた時、片手に拳大の水晶を持った青年が姿を見せた。不思議な取り合わせの四人連れを見つけて何度か目を瞬かせているが、不審や警戒を抱いた様子はない。 「あれが竜刻か? ということは、彼が目当ての人物か」 偶然にしては出来すぎているなと青年には聞こえないように呟いたドゥルックに、人生なんて得てしてそんなもんだよとベルファルドは軽く笑った。 思ったより簡単に見つかった青年はインドラたちの説明をさして疑うこともなく納得し、何より自分たちの靴紐を見て彼のほうから一緒に行きたいと申し出てきた。こちらが何かを問いかける間もないほど質問攻めにあい、司書にできる限り情報を貰っていたロックテイラーに感謝する。カルクと名乗った青年の質問に答えたのもほとんど彼で、まだ尽きそうにないそれも上手に遮っている。 「けどチタンがある辺りって観光名所でもないけど……、カルクくんはどうして山を三つも越えて遥々向かってるの?」 山を一つ越えるだけでも大変なのにさと肩を竦めたロックテイラーに、カルクは口篭る。ちらりと視線を交わしたシーアールシーが、そんなの決まっているのですと指を立てた。 「ゼロたちと同じく商売なのです、燃える商魂は山の三つや四つに阻まれるものではないのです」 「元気ですねー、ゼロさん……」 「はいなのです。サクラさんも商魂が尽きぬ限り前進あるのみなのです」 「せ、世知辛いっ。でもでもっ、私の齎す小物たちが愛する二人を繋ぐ一助になればっ! 行く先々に待つ恋する誰かの為、私は行くのですっ! 愛は世界を救っちゃうかも!?」 ですよねと力一杯カルクに振り返った吉備に、彼はしばらく言葉を探した後ゆっくりと口を開いた。 「愛する二人を繋ぐ……小物?」 「興味ありますか!? 歩きながらだと大々的には紹介できませんが、女の子が気に入りそうな色々取り揃えてますよー。ちょっとご覧になります?」 言うなりシーアールシーの手を借りて、小振りの貴金属や布製品、お守りなどを取り出す。 「因みにゼロさんが羽織っているこのショール、色違いもありますよー。恋人に贈るならペアの貴金属なんかもお勧めです」 どうですかと披露していく吉備を感心したように眺めていると、ロックテイラーに軽く肘でつつかれた。 「わぁ、これすごく可愛いね。ペアの指輪? でも高そうだな」 素知らぬ顔で話に混じる彼を見て、成る程、盛り立て役はこの場に自分たちしかいないのだったと思い出す。 「このショールの刺繍もとても美しいな」 「お二人とも、お目がたかーい! どうですかお一つ、勉強しますよ?」 「いや、しかし私に恋人はいないからな」 「それ言っちゃうかなー。そんなこと言ったらボクもだよ。でもさ、好きな子にあげるのもありだよね?」 「大ありなのです。可愛い小物で、大好きなあの子のハートをげっちゅー。なのですー」 縁結びや願いの叶うお守りもあるのです? と吉備を仰ぐシーアールシーに、勿論と取り出されたのはカラフルなミサンガ。 「これは腕につけるタイプのお守りです。切れた時に願いが叶うって言われてます、お揃いでつけるのもいいですよね」 値段も手頃ですし初めてのプレゼントなんかにはぴったり! と勧める吉備に、カルクが揺らいでいるのが分かる。 「あれ、ひょっとしてカルクくん、買おうと思ってる? 分かる分かる、話すきっかけにはなるもんね」 「色々と好みがありそうなところだが、サクラならきっと手頃で相応しいものを選んでくれるだろう」 相談してみたらどうだと勧めると、カルクは躊躇いがちに口を開いた。 「姿しか……、知らないんだ。きっといると思うけど……、でも、いるかどうかも分からなくて」 ぽつぽつと、呟くように話し出すカルクに内心ほっと息を吐く。これでようやく、竜刻にも触れられそうだ。 とりあえず早瀬と二人で少女のいるチタン村に向かった撫子は、どうやって切り出そうかなーと悩みながら何軒か並ぶ家々を眺めた。村の場所は教えてもらえたが、家がどこかまでは分からなかった。いきなり竜刻を持つ少女の家を知ってますかと聞いて回るのは怪しさ全開だし、そもそも皆知っているのか? という疑問も尽きない。 「んー、早瀬さんはぁ、どこだと思いますぅ?」 「ん? あそこでしょう、一番左の緑の屋根」 「えーっ!? ひょっとしてあの司書さん、私にだけ教えてくれなかったんですかぁ!?」 結局名乗りもしなかったのだと思い出して拗ねながら声を尖らせると、違うよと柔らかく笑って否定される。 「ほら、二階のあの窓。時折光ってるよね」 「え? ……あー、そう言われるとぉ」 「回収しなくちゃいけない竜刻って、水晶みたいなんだって。窓辺に置いてあると、あんな風に反射するだろうなって。まぁ、違ってもとりあえず訪れる理由にはなるよね。珍しい宝石を買い集めてるってことにしたら、窓辺にあるそれが気になりましたって声をかけ、あ、」 早瀬の言葉も途中で、それじゃあ行って来ますぅ! と駆け出している撫子は、即座に辿り着いた家の扉を叩き、こんにちはぁと元気よく声をかける。 「私たち、旅の商人ですぅ☆ こちらに素敵な水晶をお持ちの方が居るって伺いましてぇ、是非購入させていただきたいと思い参上しましたぁ☆」 お話させてくださいぃとノックしながら告げると、しばらくの間の後に恐る恐るドアが開いた。少し疲れた様子の女性が、警戒しながらも頭を下げた。 「水晶を買い取って頂ける、んですか」 「はいぃ☆ 買わせていただくのが無理でも、是非拝見したいですぅ」 構いませんかぁ? と首を傾げた時、どうぞと細く弱い声が階上から届いた。ちらりと女性を窺うと諦めたように頷かれるので、お邪魔しますぅ、と断って早速二階に向かう。 こちらにと促す声がする部屋を訪ね、顔を覗かせるなりベッドに横たわっている少女が水晶を差し出してきた。拳大のそれさえ彼女の腕には負担そうで、慌てて駆け寄った撫子は取り落とされる前にそれごと彼女の手を支えた。 「どうぞ、差し上げます。お金は要りません、だからどうか二度と私の目に触れない場所に持っていってしまって」 「それは有難いんですがぁ、でもそれだと心苦しいですしぃ。そうだぁ☆ 貴女の望みを叶えるのはどうでしょぉかぁ☆」 「望みなら言いました。二度と私の目には触れないところに、」 「本当にそれでいいのかい?」 彼女の答えに被せるようにして問いかけたのは、後から上がってきた早瀬。睨むような視線をのんびりと受け止めて、叶えたいのは本当の願いだよと笑いかける。 「君が心から望むこと。……水晶を手放したい理由は? どうして君は、二度とこれを見たくないの?」 「……わから、ないわ。言っても。あなたたちには」 「話すだけでも楽になれることってぇ、あると思うんですぅ☆ 私たちは見ての通り旅人ですしぃ、もうあんまりお会いすることもないと思うんですよぉ」 この水晶にかけて秘密は誰にも言いませんよぉと請け負うと、少女はふらりと視線を彷徨わせ、落とした。 「……会いたく、ない人がいるの。その人が、そこに映るの。だから、もう見たくないの……っ」 震える手で顔を覆い嘆くようにして吐き捨てた少女に、撫子は思わず早瀬と視線を交わす。投げつけられた言葉に嘘はないように思うけれど、彼女の望みそのままを口にされているとも思えない。 「私はここから動けない……、それを持ってたらきっとその人が来たことを教えるわ。嫌なの、会いたくないの! お願いだからそれを持っていって、そしてどこか遠くへやって……!」 「──分かりましたぁ☆ では、ここから逃げちゃいましょお☆」 「へ?!」 撫子の提案に驚いたような声を出したのは早瀬のほうで、少女がきょとんとしている間に準備を始める。持ってきた大判のスカーフで少女の頭を覆うように巻きつけ、フリース毛布をぐるぐると巻きつけて寒くないように格好を整える。早瀬に手伝ってもらって持ってきた背負子に彼女を乗せ、完成。 「あ、あの!?」 「大丈夫ですぅ☆ 早瀬さんもいらっしゃいますしぃ、落としたりしませんからぁ☆」 「そういう問題かな!?」 早瀬まで一緒になって突っ込んでくるが聞き流し、受け取った竜刻を手渡してタグをお願いしますねぇ、と笑顔で頼む。そうだったと慌ててタグを貼り付ける早瀬の隣でトラベラーズノートを広げ、カルクというらしい青年と合流したシーアールシーたちからの連絡を見て、そっちに向かいますぅ☆ と書いて送る。 「えっとあの、商人さん!?」 「私は撫子って言いますぅ。こっちは早瀬さん。貴方のお名前はぁ?」 「ターナといいますが、そうではなくて、」 「よぉっし、それでは会いたくない人から逃げるべく出発ですぅ☆」 しまった突撃の対処方法を考える間もなかったよと小声で嘆いている早瀬の声が聞こえたような気はしたが、気にしなーいと笑顔になった撫子は戸惑い続ける彼女を背負って家を出た。 竜刻を取り出してぽつぽつと事情を説明したカルクの言葉を、サクラはきゅんきゅんしながら聞いていた。倒れた彼女の側にいない自分に腹が立ったなんて、なんてときめく言葉だろう。けれど同じように話を聞いていたドゥルックは、少しだけ難しい顔をした。 「そうか……、チタンの村にある竜刻と対になっているのは、それなのだな」 「っ、じゃあやっぱりその村に彼女が!?」 「そこまでは分からない。ただ私は、普段はもっと遠方にある竜刻に関する機関に勤めている。惹かれ合う二つが揃えば暴走するとの予言に従って赴いた、その内の一つがそれなのだろう」 カルクの手にある竜刻を見て告げられたそれに、彼は庇うようにして両手で覆い隠している。無理に取り上げる気はないと苦笑したドゥルックは、けれど知ってほしいと静かに話しながら装飾の施された儀礼的な小振りの剣を取り出した。両手で支えたそれの上に竜刻を乗せてくれと促され、躊躇いながらもそろりと竜刻が置かれた途端に剣がぐにゃりと歪んだ。 「……暴走の時は近い」 多分、今の仕業はドゥルック自身の能力によるものだろう。けれどそうとは知らないカルクは竜刻の威力を信じて少し青褪め、けれどすぐに奪い返すように取り上げた竜刻を大事そうに握り締めた。 「暴走を遅らせるために、これを貼り付けてはもらえないか」 封印のタグを差し出したドゥルックに、カルクはしばらく迷って大きく頭を振った。 「駄目だ、そんなことをしたら彼女の姿がもう見られなくなるかもしれない」 「じゃあ、その竜刻の暴走にキミは彼女を巻き込むんだね。それとも起きないことに賭けるのかな? 勝算は低そうに見えるけど」 でもそれがキミの決定なんだと笑顔になったロックテイラーに、カルクは言葉に詰まっている。 「チタンにもう一つ竜刻があるのは確かなのです。そこまでタグを貼っておくとよいのです。もしそこで見つからなかったら、その時また剥がしてまた探せばいいのです」 一先ず暴走の危険をなくしたほうがいいとシーアールシーの提案に、カルクは長く葛藤するような間を置いておずおずとタグを受け取った。 「本当に、彼女さんに会いたいんですねぇ」 思わずしみじみと感じ入ったサクラの言葉に、勿論だと張り切って頷くカルクをドゥルックがどこか諭すように口を開いた。 「彼女に会いたいという、あなたの気持ちは分かった。けれど彼女の気持ちは考えているのか? 彼女が本当に倒れるほどの病気を抱えているとして、あたなは何が出来る」 ただ会いたいだけなら子供の駄々と変わらないと淡々とした指摘は、浮かれていた心にちくりと突き刺さる。けれどそれは極力目を背けていただけで、何れ現実として向き合わねばならない事実だ。 「っ、駄目、ですか。ただ会いたいだけじゃ、だって彼女がそこにいるなら、」 「駄目だとは言わない、けれどあらゆる可能性を考えておくべきだ。傷つくのはあなただけではない、相手のいる話なのだから」 「そうだよね、相手が会いたくないって言ったら……会うことさえちょっとムリ?」 悪気はないのだろうがばっさりと切り捨ててしまったロックテイラーに、聞いてるこっちの心が痛いのでやめてくださいと思わず泣きつく。 「た、確かにちょっと浮かれてました、その点に関しては反省しますっ。でもでも、やっはり恋は力なんですよ、全ての原動力なんです! 会いたくないなんて言われたら二週間くらい立ち直れないかもしれないけどでもこの思い伝えずにはいられないんですーっ」 だってずーっと彼女さんに恋してたんですよう! と思わず我が事のように主張したサクラに、シーアールシーもそうなのですと拳を作る。 「当たるも八卦、当たらぬも八卦なのです。賽は振ってみないと始まらないのです。卵を割らないとオムレツは作れないのです。美味しくないオムレツになっても、それはその時の運なのです!」 何か色々違うものが混じってるけどねと小さく笑って突っ込んだロックテイラーの横で、駄目な例えが多くなかった? とカルクが落ち込んでいる。慌ててフォローの言葉を探したサクラは、けれど見つけきれずにふらりと視線を外した。 「とにかくあれです、伝えよう、伝えたいって、その気持ちが重要なんです。想いは絶対に叶うなんて、そんな保証は誰もできませんけど。でも伝わると思うんです、頑張ってる姿は。募らせてきた想いは。砕けちゃっても無駄にはならないんです、伝えたい相手にちくっと刺さるくらいはするんです、きっと! ただインドラさんが言ったように彼女さんにだって色々と事情はあるでしょうから、それを考えるのもカルクさんの役目って事で忘れないでくださいね!」 「あれ、考えるところは丸投げしちゃうんだ」 「しょうがないのです、ゼロたちにお手伝いはできてもやっぱり他人事なのです。当人同士が考えなければ結論の出ないこともあるのですー」 重々しくそう頷いたシーアールシーは、ところでとちょこんと首を傾げた。 「さっきから川原さんと早瀬さんは、そこで何をしているのです?」 ゼロの問いかけに、あははーっと誤魔化し笑いをしながら誰かを背負った川原が姿を見せた。その後ろから大分へばった感じの早瀬が出てきて、人一人背負ってその脚力すごすぎない……? と肩で息をしている。 辛そうな早瀬も気になるが川原の背負う相手も気になって、何となく全員の視線がそちらに向く。 「こんなところで奇遇ですねぇ☆ 私は知り合いのお嬢さんを、医者に連れて行くところなんですぅ。今ようやく眠ったところなのでぇ、質問その他はご遠慮くださいねぇ☆」 にこにこして主にカルクの視線を撥ね退けた川原は、ところでぇと首を傾げた。 「ゼロさんたちは、どこに行かれるんですかぁ?」 「チタンの村なのです。カルクさんが遥々好きな人に告白しに行くのを、野次馬するのです」 「応援、にしておかないか、そこは」 せめて今だけでもとそっと突っ込んでくるドゥルックに、にこっと笑って応援するのですーと言い直す。その間もカルクの視線は川原の後ろでこちらに背を向けている、もこもこの誰かから離れない。 勿論、ゼロたちはあれが誰かも分かっている。大分力技ですが、川原さんが今からターナさんを背負ってそちらに向かいます。とよれっとした字で早瀬が伝えてくれたからだ。走りながら書いたのだろう、今もって彼の息は整っていない。 早瀬に同情的な目を向けていたロックテイラーは、カルクの様子を見て川原に話しかけている。 「ここからなら、チタンが一番近い村じゃないかな。キミたちも一緒にどう?」 「俺たちは、そのチタンから来たんだ。彼女の身体にいい薬が届いたって聞いて、それじゃあ取りに行こうって。まさか、本人を連れて行くことになるとは思わなかったけど……」 幾らか恨めしそうな早瀬の説明も、川原は体力脚力には自信があるんですぅとさらりとかわす。 「それじゃあ、先を急ぐのでこの辺でぇ☆」 「待って! 待ってくれないか、あの、いきなりおかしなことを聞くけど水晶を持ってないかな!?」 後ろの彼女と引き止めたのはカルクで、そのまま突進しそうな彼をロックテイラーとドゥルックが引っ張って川原たちから少し離れた。 「まぁ、とりあえずキミが待とうよ、急ぎすぎだよ。本当にいきなりだからね?」 「相手のことも慮れと言ったばかりのばずだが?」 もう少し落ち着きを云々と二人がかりで説教されているカルクを他所に川原を窺うと、背負われているターナらしい少女が震えているのが分かる。 「撫子さん、どうして……!」 「すみませんー、貴方が会いたくないの、あの人だったんですねぇ。まさかこんなところで会うなんてぇ☆ でも大丈夫ですぅ、背中に隠れてれば見えません~☆」 ちょっとだけ様子を見てみませんかぁ、と振り返らないまま小さな声で川原が勧める。 「でも、」 「本当に後悔しない?」 静かな問いかけに、ターナがぴくりと肩を震わせた。ようやく息が整ったらしい早瀬は、眠そうに見える目でそれでもターナをじっと見ているのが分かる。 「君が絶対に嫌だって言うなら、俺がここから連れて逃げてもいいよ。でもそれで、君は本当に後悔しないかな? 一目だけでも会っておけばよかった、って……最後まで思わずにすむ?」 穏やかながら嘘を許さない強さで重ねて問われ、ターナの視線が落ちたのが分かる。 「会ってどうするの……、こんな、いつ死ぬとも知れない身体で……会ってどうするの……っ」 「自分がいつ死ぬかなんて、ゼロにも分からないのです。多分皆、そうなのです。それでも皆、恋はするのです」 そう何かの本で読んだのですとつい口を挟むと、ターナが私は違うわと声を震わせた。 「私は走ることはおろか歩くことさえできない、生まれてからずっと部屋の中よ。一人で出て行くこともできない、こうやって皆に迷惑をかけてしかどこにも行けないんだわ」 健康でないことがどれだけ憤ろしいかと、ターナの嘆く声は小さい。 「両親でさえ私を持て余している、それはそうよ、だって何一つ自分でできないんだもの。それで誰かに恋をしろですって? それが叶うと誰が信じられるの? 私が生きていくには誰かに迷惑をかける、そんなくらい、ちゃんと分かってるわ……!」 だから一人でいるのそっとしておいてと顔を覆って泣き始めたターナを、早瀬がゆっくりと宥めるように撫でる。 「君の両親が持て余しているなんてないよ、君が元気に笑ってくれたらそれでいいんだって。だから俺たちみたいな胡散臭い商人だって、家に招いてくれたんだよ?」 疑るように顔を上げたターナに、少しだけ話したんだと早瀬は笑顔で続ける。 「確かに君は生まれつき心臓が弱くて、発作が起きるとまずいからつい過保護にしてしまったって。そのせいで何にもできないと思い込ませてしまったけれど、でも頑張れば歩けるようにはなれるみたいだよ?」 「……うそ」 「嘘じゃない。ただ完全に治せる薬はないから、人より制限は多くなってしまうだろうけどね。それでも何にもできないわけじゃない、迷惑になるからなんて諦めないで、誰かに助けてって言えばいい。そうしたら、今より少し視界は開けると思うよ」 本当は諦めたくないよねと、肩越しにそっと後ろを指し示した早瀬につられたようにターナが振り返った。まだマテですよー! とカルクの服を引っ張って止めていた吉備は、その視線に気づいてぱっと手を離した。途端にターナに駆け寄ったカルクは、ずっと会いたかった……! と細い彼女の手を取って、感極まったようにそれだけを告げた。 お邪魔みたいですねぇ、と嬉しそうにした川原が背負子を下ろしてそっと離れる間もずっとターナの手を取ったままだったカルクは、真っ赤になって抵抗している彼女を熱心にかき口説いている。当てられたように少し距離を取って見守りながらも、吉備が川原と手を打ち鳴らしてよかったですねぇっとはしゃいでいる。 「まぁ、この後は二人の決断だ。そういえば彼女の竜刻は?」 「タグをつけさせてもらって、俺が持ってるよ。そっちは?」 「タグはつけたけど、まだカルクくんが持ってる。……さすがに、今声をかける勇気はないけどね」 砂も吐けるねと苦笑したロックテイラーに、ドゥルックが思案げな様子で顎先に手を当てた。 「もしあの竜刻で彼女の病が和らぐなら、一つ残しても構わないように思うんだが。彼女の病ひとつで、何かが変わるわけでもないだろうからな」 「あ。そうですよね、二つ揃って暴走するなら一つにしたら大丈夫では?」 「その場合、タグはどうしますぅ?」 つけたまま置いときますかぁと首を傾げた川原の言葉が聞こえていたのか、カルクがそうだと慌てた様子で声を上げた。 「これ、渡したほうがいいんだよな?」 ターナの側を離れたくないのか、その場で竜刻を取り出して差し出すカルクに持って来てよと苦笑しながらロックテイラーが取りに向かう。 「本人に会ったら、いらなくなった?」 現金だねと冷やかすようにロックテイラーが語尾を上げると、カルクはふふんと胸を張った。 「何でもいいさ、だって本当に彼女と会えたんだから」 「うーわ、ご馳走様」 聞かなきゃよかったと肩を竦めたロックテイラーに笑った早瀬が、ターナから預かっている竜刻を出して見せた。 「君に必要なら、これは返せるみたいだ。戻そうか」 「……いいえ。それがなくてもきっと……、頑張れると思うから」 ありがとうと、はにかんだように笑って告げたターナとそれを支えるカルクにどこか眩しそうに目を細めたドゥルックは、では両方回収しようと頷いた。 「くぅ、無事にカップル成立ですねーっ!」 「やっぱりぃ、『当たって砕けろ☆』は恋の成就に必須条件ですねぇ☆」 「相思相愛なのです。ゼロは相思相愛の二人を応援なのです」 ぐ、と握り拳で宣言したゼロは、特別な演出に一役買うのですと意気込んで巨大化を始める。 「ゼロさん!? 何を、」 するのかと問う声が終わらない内に山を跨げるほどの大きさになり、片手にターナの乗った背負子を乗せた。一緒にどうぞなのですーとカルクが乗るのを待って顔の高さまで持ち上げ、驚いている二人に笑いかけて辺りを見るように促す。 カルクが越えてきた山々も見下ろす高さから眺める広大な景色に、思わず言葉も失って見惚れている二人にそっと告げる。 「この広大なヴォロスで、惹かれあう竜刻が二人の手に渡ったのにはきっと何か意味があるのですー」 内緒話みたいに潜めた声で告げた言葉に二人は視線を重ね、照れたようにぱっと顔を背け合う。けれどまたそろりと視線を戻す微笑ましい姿にゼロも口許を緩め、このくすぐったさが相思相愛なのですと頷いて大いに二人を照れさせた。
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