時の停滞した0世界においてさえ、集うひとびとは躍動的だ。 ターミナルのそこかしこで出会いが生まれ、感情がぶつかり合い、小さな事件が起きている。 ――だから。 ロストレイルに乗らなくとも、冒険はできる。 誰かと交流し、コミュニケーションの難しさを知る、とても楽しくて難易度の高い冒険が。 さて。 ここに、好みのタイプとの距離をいきなし詰めようして、派手に玉砕している世界司書がいる。「プランさん。あたしと結婚してください!」「断る!」 0.5秒でフラれた無名の司書だが、しかしそんなこたぁ想定内。すかさず、次の交渉に移る。 「わかりましたッ。そうですよね、名門カスターシェン家のご子息ですもの、ブランさんには優雅な美姫がふさわしいですもんね。漢らしく(?)あきらめます。と こ ろ で、傷心のあたしを哀れと思うなら、お茶くらいつきあっていただけませんかぁ~~? クリスタル・パレスに一席用意しますんで」 「まあ……。お茶くらいなら」 「灯緒さん! あたしと結婚してください!」 「残念なことに、猫だ」 「そこがいいんじゃないですかぁ。ですがお気持ちはよくわかりました。いさぎよく身を引きますッ。……ところで、お友達としてお茶などいかがでしょ~?」 「それなら、問題ないが」 朱金の縞模様の毛並みを持つ巨大な猫は、困惑しながらも頷く。「クロハナさん。あたしと結婚してくださいっ」「……?」「ダメですかそうですか了解いたしました! でもお茶するくらいなら問題ないですよね? じゃあクリスタル・パレスに明日10時集合でよろしくです。あ、これお店の案内図」「……はい。うかがいます」 素直なクロハナは、赤茶色の尻尾をゆっくりと振った。「ヴァンさんAさんルルーさん。ええと、どう呼べば?」 「ルルーでかまいませんよ」 「じゃあルルーさん。あたしと是非」 「……おや?」 ヴァン・A・ルルーは、勢い込んだ無名の司書が、カフェの案内図を握りしめているのに気づく。 「ああ、クリスタル・パレスでお茶会をなさるんですね。あのカフェには一度、行ってみたかったんですよ。ご招待ありがとうございます」 「……あり?」 もふもふな赤いクマのぬいぐるみ司書は、プロポーズする隙さえも与えてはくれなかった。鉄壁の守りである。 「婚活でっか、むめっちはん。ご熱心ですなぁ」 ぱたぱた飛んできたコザクラインコな世界司書ホーチが、黒いコートの肩に止まる。「あらんホーチくぅん~」 無名の司書は、これ幸いとほっぺたをすりすりしながらほくそ笑む。「むふふ。実はね~、これは、婚活に見せかけた も ふ 活」「そら新しい概念ですな」「だぁぁぁってぇ、ダンクス少佐とのキナくさいお茶会も悪くなかったけどさぁ。あたし、癒されたいのよねー。癒し系の皆さんをもふもふしながらお茶会したいのぉ」「そんで、ふわもこな皆さんにわざとプロポーズ断らせてお茶会出席の流れを作ったんでっか。小悪魔でんな」「ホーチくんも出席してくれるでしょおー?」「むめっちはんの頼みは断れまへんなぁ。……そや、せっかくやし、ロストナンバーの皆さんにも招待状を渡したらどないや? 皆さん、癒しを求めてると思いまっせ」「……ま! さすがだわ。そうよね、ゲストは多いほうが楽しいわよね!」 * * * そんな経緯を、物陰から2羽の鳥が伺っていた。 青いフクロウとシラサギ――当の『クリスタル・パレス』の店長とギャルソンである。「聞いたかシオン。無名の司書さんは、今度はウチの店をご自身の欲望を満たすために使用なさるおつもりらしい。招かれた皆さんのご心痛は如何ばかりか……。あああ胃が痛む」「おれ思うんだけどさー。セクハラ防ぎたいんなら、無名の姉さんにアニモフ化飲料飲ませりゃいいんじゃね?」
ACT.0■お茶会前の打ち合わせ 扉が、静かに開く。 現れたのは、波打つハニーブロンドに彩られた、繊細な容姿の少女である。腕にはピンク色の大きなウサギのぬいぐるみを抱いている。 開催時間より、30分ほど前のことであった。 「こんにちは」 「よお、幼女探偵。ずいぶん早いな。まだ誰も来てねぇぞ。……ははぁ」 テーブルセッティング中のシオンが、振り向きざまに、親しげに声を掛ける。この、アンティークのビスクドールと見まがうばかりの少女、エレナは、彼女がロストナンバーになりたての頃からの常連だった。 「おまえの気持ちはよぉくわかった。そうかそうか、うんうんうん。一刻も早く、おれに会いたかっ」 「――ようこそ、エレナさま。事前に、打ち合わせをご所望なのですね」 良家のご令嬢にはワイルド営業を貫くという、シオンの接客ポリシーをさっくり遮って、ラファエルがエレナのために椅子を引く。 「よくわかったね」 「シオンのような未熟者とは年季が違います。これから集われる皆さまが、親しく交流を持つことができるよう、楽しい企画をお持ちとお見受けしましたが」 「うん。それでね、店員さんたちにお願いがあるの」 「何なりと」 片膝を落としたラファエルの耳に、エレナは何事かを囁いた。 ACT.1■翼あるもの 「『クリスタル・パレス』って、ここか……。でも……」 手元の案内図を確認し、理星は立ち止まる。 入口扉の横に、看板代わりに置かれた真鍮製のガーデンフェンスには、【本日貸切】を表す飾り文字の鳥型プレートが吊られている。 プレートを囲む繊細なリースは、よく見ればエアープランツをいくつか組み合わせてできていて、その凝りように、理星は気後れした。 扉を開けようとしては手を引っ込めて、2、3歩後ずさる。 深呼吸して意を決し、進み出て――やっぱりためらう。 (つい、招待状を受け取っちゃったけど、俺が来てもよかったんだろうか……) 理星にとってお茶会とは、裕福で教養豊かで洗練された、選ばれたひとびとの間で行われる優雅な催しのことだ。そんな集まりに顔出しできるような、洒落た服もウィットに富んだ話術も持ち合わせていないこの身、いっそ、この招待状は敬愛するロストナンバーに渡して代わりに行ってもらおうか――そんなことを考えながら、ここまできたのだった。 ――と。 扉が、開く。 来客に気づいたシオンの、出迎えだった。 「おーい、さっきから店の前で何してんだ理星。早く入ってこいよ」 「……シオン。久しぶり」 「エレナはとっくに来てるぞ。ブランと灯緒とクロハナとルルーとホーチの兄貴も、今、席に着いたところだ」 「ああ、……うん」 顔なじみのギャルソンを見て、理星は少しほっとした。 「なんだか緊張しちゃって。それに俺、やっぱり場違いじゃないかって」 「ははぁ。無名の姉さんのセクハラ警戒してんな? あと鼻血出されるのが嫌とか」 「そういうわけじゃないんだけど……」 「大丈夫、手は打ってある。今日の姉さんは無害な黒うさアニモフだ。あんたはおれが守る!」 「わあ、綺麗な羽根だなあ。シオンさんと並ぶと壮観だ。こんにちは」 屈託のない少年の声が自分に掛けられたものだと、理星は最初、気づかなかった。 何となれば、少年の顔は、両手に溢れんばかりのミニヒマワリの花束で隠されていて、視線のゆくえが掴めなかったからである。 「おう、宗次郎。おまえもうっかり招待状受け取ったクチか? 苦労するなぁ」 「この前はありがとう、シオンさん。これ、家の庭に咲いてたんだ。お店に飾ってもらえればと思って」 「サンキュー。ちょうど、テーブルに彩りが欲しかったところだ」 少年は佐上宗次郎と名乗った。ミニヒマワリの花束をシオンに渡してから、理星に向き直り、改めて翼を見ては目を輝かせる。 「その羽根、広げるとどれくらいあるの?」 「壱番世界のいいかただと、そうだな、5mくらいじゃないかな」 「いいなあ……。あのさ、俺、この前、ひとりでここに来たんだけどさ」 「……うん?」 「そんとき、シオンさんの風切羽もらって気づいたんだ。実は俺」 重大な秘密を打ち明けるかのように、宗次郎は声を落とす。その声音は人なつこく、親しみやすい気質の持ち主であることがうかがえた。 「羽根フェチらしいんだ」 「……そう、か……」 「だから今日は、シオンさんの羽根とホーチさんの羽根を触りまくろうと思って来たんだけど。理星さんの羽根も、触らしてもらっていい?」 「……俺の羽根でよければ」 初対面の少年から思いがけぬ告白(?)をされ、うれしくなった理星は、思わず自分の羽根を1枚引っこ抜き、宗次郎に渡す。 護符にもなるという理星の羽根に、宗次郎は歓声を上げ、笑顔を見せた。 ACT.2■天国への階段 理星と宗次郎が揃って店内に入って、すぐのこと。 招待状をくわえた一頭の雌ライオンが、しなやかな身のこなしで姿を現した。 「ようこそ、エルザ・アダムソンさま。お待ちしておりました」 高貴な淑女を出迎えるごとく、ラファエルは丁重に礼をする。 「もふもふカフェって、よくわからない企画よねぇ。ちょっとどうかと思ったんだけど」 「まったくもって、ごもっともです。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」 「ところで、あたしを招待した『無名の司書』って、どこにいるのかしら?」 「――それは。……どう説明すればよいのやら……」 店長は言いよどみ、ちらりとテーブルの上を見る。 そこには、ターミナルにいるはずもない、黒いうさぎ型アニモフが、ちょこんと腰掛けていた。 黒うさアニモフは、エルザをみとめるなり、前脚を上げて合図する。 「やっほー、エルザたん。来てくれてありがとー!」 「……うさぎ!」 エルザの双眸が、きらりと光を帯びる。獲物を見つけた野性の獣が持つ、輝きである。 ライオンは、敏捷に跳躍した。音もなくテーブルの上に乗るやいなや、黒うさぎの首をくわえて、ひらりと床に着地する。 ……そして。 大きな前脚でうさぎを押さえつけ、ネコ科特有のざらざらする舌で舐め始めた。 「あっあっ、エルザたん。あのその、獲物じゃないのよ。あたしよあたしー!」 「あら。聞き覚えのある声」 「店長とシオンくんの陰謀で、アニモフ化ジュース飲まされちゃったのよぅ~」 「そうなの? それはともかく、可愛いわねぇ。食べちゃいたいくらい」 「あああ、エルザたんの愛がデンジャラス……。ざりざりするぅぅぅぅ~~~」 「エルザさま。そのようなものを召し上がってはお腹をこわしてしまいます。ご希望でしたら、お食事もご用意いたしますので」 店長にテーブル席を案内され、エルザが、黒うさアニモフと化した無名の司書を解放したとき。 「ふわもこおおお!! 癒されに来ましたーーー!」 元気いっぱいの第一声とともに、城月稲穂が登場した。 差し出された招待状を確認し、店長が一礼する。 「お久しぶりですね、城月稲穂さま。ようこそ、『クリスタル・パレス』へ」 「オプショナルツアーぶりやな。店長さんもシオンくんも。うわぁ。ふわもこさんがぎょうさんいてるわー」 ブランや、ゲストの世界司書たち、さらには、エルザや理星やエレナの『びゃっくん』を見回していたが、はたと、足元の黒うさアニモフに目を留める。 「こんなところに何でアニモフが……。まあええわ」 無名の司書が言葉を発する前に、稲穂は黒うさを抱き上げた。 「ふかふかやー!」 「待って、稲穂たんんmdわぅf、mやdんs#;」 ぎゅーーーむ、と、力いっぱい抱きしめられて、黒うさはちたばたと前脚でもがく。 「い、稲穂たーん。あたしよあたしー!」 「あれえ? 司書っち。どうしたん?」 気づいて、稲穂は腕の力を緩める。 「ふぅ……。まあ聞いてよー。話せば長いことながら、ひとことで言うと」 「みんなの癒しのために、身体張ってはるの?」 「………………うん。そういうことにしとく」 「招待状ありがとな。うち、ちょうど凹んでたとこやねん」 「えええー? 稲穂たんが落ち込むなんて! いったい何があったの? お姉さんに話してみそ?」 「それがなぁ……」 ふう、と、溜息をつき、稲穂はぽつりぽつりと語り出す。 「昨日、けも耳美少年カフェ『セント・クリストファー』に行ってみたんや。司書っちからもらったターミナルのガイドブックに特大花丸つきで載ってたお店」 「ああ! どうだった?」 「……店内改装につき、しばらく休業します、って貼り紙があった……」 「ええっ、それはショックよね。凹んで当たり前だわ!」 「でも、何とか気を取り直して、ここに来る前に『レディ・ビクトリア』に寄ったんや。ええ感じのアクセサリーがあったから、値切って安く買おうと思ったんやけど」 「うんうん」 「『これ以上は原価割れなのよ』って頑張る、ビクトリアさんの気合いに負けてしもうた……」 「まさか、稲穂たんが値切りそびれたの……!? あんまりだわ……。繊細な稲穂たんのガラスハートがそんなに傷つくような出来事があったなんて。……ターミナル……。なんて恐ろしい場所……」 「司書っち……」 「稲穂たん……」 自称自由職業な傷心のお嬢さんと、黒うさアニモフは、がしっと抱き合う。 (……いつまで続くんだろう。この濃い会話) とりあえず、全員揃ったことだしなと、シオンは、宗次郎がくれたミニヒマワリをひとつ、稲穂の帽子に飾ってから、席に誘導した。 ACT.3-a■バード・オブ・パラダイス・フラワー 店内の植物たちは、今日はいっそう、緑が鮮やかだ。 昨日、クリスタル・パレスは休業日だった。店長が植物の管理を委託している『みどりの指』を持つ世界司書、モリーオ・ノルドが丹念に手入れをしてくれたおかげかもしれない。 ちょうど、ストレリチア・レギネ(Bird of Paradise Flower ―極楽鳥花―)の鉢がいくつも花を咲かせていて、開花中の鉢を周辺に配置したテーブル構成がなされている。明日、お茶会があるのなら、日当たりが良く、かつ、招待客の目を楽しませるような場所に置くのが望ましいと助言してくれたのもモリーオだった。 円環を描くように並べられた、アイボリーとグレーのクラシックな鉄製テーブルに、席ごとに置かれた、ガラスの器に盛ったミニヒマワリ。 真っ白のデザート皿には、ふんだんに季節のフルーツを使ったきららかなスイーツが散りばめられ、宝石と見まがうばかりだ。洋酒で風味付けをしたオレンジの香りが、ふわりと匂い立つ。 「えーと、スイーツは甘さ控えめなんでご心配なく。あと、苦手なものとかあったらチェンジ可なんで声かけれくれ。じゃあ、まあ、飲み食いしながら適当にご歓談くださいー」 「シオン……」 ギャルソンの、優雅なお茶会にふさわしからぬラフすぎる説明に、ラファエルが咳払いをする。 「もう少し、格調高くできないか。……皆さま、紅茶は、セイロン、アッサム、ウバ、アールグレイ、ダージリン等をご用意しています。フレーバーティがお好みでしたら、トロピカルオレンジ、マンゴーサン、ピーチガーデンなど。当店オリジナルの茶葉もございますので、お気軽にお申し付けください」」 「だって、理星とクロハナが、がっちがちに緊張してて、かわいそうじゃん。宗次郎も落ち着かなそうだし。なあ?」 「あ、うん」 宗次郎は、少し照れくさそうな笑みを見せる。 「俺、お茶会って初めてで、招待してもらってすごくうれしくて、今も浮かれてんだけど、やっぱり……」 「ご、ごめん、シオン。気を遣わせて。俺、モフトピアから帰ってきたばかりで、ふわもこなひとたちがいっぱいいて、どきどきして」 「あまり、慣れない。緊張。でも、楽しい」 理星は額にびっしり汗をかいており、クロハナは、尻尾をぱたぱた振っている。 隣同士の席となったエレナとブランは落ち着いたもので、スイーツに微笑みを浮かべ、紅茶の香りを楽しみながら、穏やかににこやかに、セレブなトークで盛り上がっており、その隣のルルーは静かに耳を傾け、灯緒と稲穂は非常に礼儀正しく挨拶を交わし、エルザはといえば、うさぎなブランを見てまたもやハンターの目になっていた。 ちなみにホーチは席につくことが困難なので、シオンの肩に乗り、小さく切り分けられたフルーツをラファエルから「はい、あーん」されている状態である。 おそらく、一番、物怖じしなかったのは、動物の世界に暮らしていたエルザであったろう。 「野獣王国の面子とはいつも一緒なんだけど、みんな猛獣だし。こういうおとなしい動物関連の集まりは初めてですわ」 聡明なエルザは、ブランが携帯しているレイピアを見て、飛びかかって押し倒したい衝動を抑えることにしたようだ。まずは、クロハナに話しかける。 「こんにちは、あなたは――犬なのね?」 「はい」 「司書たちにも豊富に動物がいて、親しみやすいわ。……あなたは、クマのぬいぐるみ?」 「ええ。ごらんのとおりに」 問われてルルーは、軽く頭を下げる。 「本物の熊は怖いけど、ぬいぐるみは感じがいいですわ」 「ありがとうございます」 そしてエルザは、首を回し、シオンの肩にいるホーチを見上げる。 「どうも、飛べないライオンですわ。鳥は何で飛べるのか、気になって仕方がありません」 ホーチが何か答えようとする前に、少し緊張の解けた宗次郎が席を立ち、歩み寄る。 「……そうだね」 コザクラインコの羽根を撫で、シラサギの翼に手を滑らせて、少年はつぶやく。 「いいなあ。俺も翼があったらなあ。そうすれば、どこにでも飛んで行けるのに。慶一郎の所にだって」 ――本当に、羨ましいよ。 探している、探し続けている、行方不明の兄を思い、うつむいたとき。 とてとてと、足元に、黒うさアニモフがやってきた。 「やあね、宗次郎くんたら。少年の背には、出身世界関係なく、見えない翼があるのよ。そういうものよ」 「……司書さん」 宗次郎はかがんで両手を伸ばした。黒うさぎを抱き上げ、小声で耳打ちする。 「ありがと。この間も――ありがとね。凄く元気出た。やっぱり俺、司書さんのこと、大好きだよ」 「………!!!」 「待った、宗次郎。姉さんにそんな瞬殺台詞ささやいた日にゃ」 ぷしゅーっ。 黒うさぎが、くたっとのけぞって鼻血をふくのと、シオンが慌ててバスタオルをかぶせたのは、ほぼ同時だった。 さらにその上から、別のバスタオルを何枚も重ねて、ラファエルは安堵の息をもらす。 「司書さんが何リットル鼻血を出そうと知ったこっちゃありませんが、お客様の服を汚しでもしたら一大事ですからね。宗次郎さまに被害が及ばず、ほっとしました」 「気を失っちゃったの? あたしが介抱する。おいで、黒うささん」 エレナが腕を広げて、自分の膝を指し示す(註:びゃっくんは別の専用席が用意されています)。 ブランが感に堪えかね、大きく頷いた。 「そのようながさつな司書に対しても、分けへだてなくお優しいとは、何と素晴らしい令嬢か。淑やかで聡明で気品にあふれ、……まったく、アリッサにも見習ってほしいところだ」 エレナの膝の上で、黒うさはちゃっかり目を覚まし、ちら~んとブランを見上げる。 「……ブランさーん、エレナたんがお気になのはいいけど、手ェ出したら、その、ロリ……」 「ええい馬鹿者! エレナから離れろ!」 ブランは黒うさの耳をひっつかみ、ぽいと放り投げた。 ……エレナを挟んで臨席にいる、ルルーの膝に。 「はっ、どうしましょう。ルルーさんの顔がこんなに近くに! やーん、お膝ふかふかー!」 ときめきが止まらない黒うさをよそに、ルルーはそっと、エレナに話しかける。 「なかなかに、戦略家でいらっしゃいますね」 「……そうかな?」 「勝ち目のない賭けは、しない主義ですか?」 「推理は好きだけど、ギャンブルは苦手だもん」 「ですが、ルーレットの目はいつも、貴方に微笑んでいるようです」 ルルーは、ブランの席に視線を走らせる。 カスターシェン家の七男は、うやうやしく立ち上がり、ストレリチア・レギネの開花を間近で見ないかと、エレナを誘った。 「ブランさんが、エスコートしてくださるのなら」 にっこり笑うエレナを、ブランはさっと抱き上げる。 「うわー、姫だっこで密着。エレナたん、うまいッ!」 黒うさは目を丸くし、 「本当に、自然な流れでしたね」 ルルーは冷静に言い、紅茶をひとくち飲んだ。 そしてエルザは、灯緒にアタックを開始している。 「虎のような猫さん、それぐらいの大きさなら、あたしたちの世界にいても違和感がないわね。よかったら、一緒に毛づくろいしません?」 「きゃー、エルザたん、だいたーん!」 黒うさが、ルルーの膝にしがみついたまま、はしゃぐ。 「毛繕い……」 ライオンの淑女からの濃厚接近遭遇のお誘いに、灯緒は難しげな顔で腕組み……のような動作をした。 「灯緒さん、あたしね、レディに恥かかせちゃいけないと思うのー」 縞模様の巨大な猫は、黙考したままだ。 ACT.3-b■厨房にて、鳥店員たちの会話 接客における店側の総括はラファエル店長とシオンだが、他のスタッフももちろん、多数待機していた。 本日、おもにオーダーを運んでいたのは、壱番世界の日本に行ったら大騒ぎになる朱鷺、サクラ・ミヤギと、無駄に美形な七面鳥、ジークフリート・バンデューラだった。 以下、お茶会が始まってからのふたりの会話である。 「理星さんて、シャイねぇ。さっきからずっと、灯緒さんやクロハナさんやルルーさんの側にスススと寄っていっては、でも、何も言えないで落ち込んでいるわ」 「何か手助けしてあげられればいいんだけど……。ああ……、とうとう、ドラセナ・フラングランス(幸福の木)の下に『触らせて欲しいけれど声がかけられない』オーラ大放出しながら体育座りしてしまった」 「戦略とか駆け引きとかとは無縁で、そこがいいのよね。ちょっと助言してきましょうか? ストレートにお願いすればいいんじゃないって」 「いや、サクラが言うまでもなく、とうとう意を決したみたいだ。クロハナさんに話しかけてる」 「ほんとだわ。クロハナさん、尻尾ふりながら了承してる。かわいいー」 「灯緒さんとルルーさんもOKなようだよ」 「理星さん、触らせてくれたお礼を一生懸命言いながら、自分の羽根をプレゼントしているわ。んもー、母性本能くすぐられるー」 「おっ、稲穂ちゃんもストレート派だな。正々堂々、ブランさんに『触らせてください!』と迫ってる。なぜか貴族の執事風衣装で、その毛並み、ブラッシングしましょうかって」 「そういえば、『執事の衣装ってありませんか?』って聞かれたわ」 「……着替えてるところを見ると、あったのか?」 「店員の私物だけどね。稲穂ちゃん、いい子よね。『お店、人手が足りなければお手伝いましょうか』とも言ってくれて」 「働き者なんだね。お仕事大好きって言ってたし。せっかくだから鳥店員化するジュースを渡したんだけど、……あれ? おかしいな?」 「ちょっとお、ジークフリート! 何間違えてアニモフ化ジュース飲ませてんの! 稲穂ちゃんが子猫型アニモフになっちゃったじゃない!」 「へえ、可愛い」 「そうじゃなくて!」 「ブランさんの膝に乗れたから、結果オーライかな」 「『おおきに!』ってお礼言ってるわ。礼儀正しいわねぇ」 「場があったまってきたところで、そろそろ、エレナちゃんから要請のあった、テーブルゲームの準備をしないと」 「カードゲームやジェンガを、ふたりひと組でやるんでしょう? 楽しそうね」 「あとは、そう、事前打ち合わせの」 「スイーツに仕掛けた、サプライズね」 ちなみに。 エルザに毛づくろいを誘われた灯緒は、結局、「俺でよければ」と了承し―― しかし、その毛づくろいは、前脚でお互いの頭を撫でるという、たいそうほのぼのした方式だった。 ACT.4■箱庭の幸福 対戦相手を変えながら、テーブルゲームは繰り返される。 朗らかな、あるいは静かな笑い声と、打ち合わされる手と手。 ふかふかの感触の握手。 やわらかな時間は、ゆっくりと過ぎていく。 ――やがて。 最後のスイーツが、招待客の前に並べられた。 一見、シンプルな、チョコレートとヘーゼルナッツのムース。 三色のフルーツソースを使ったドレッサージュサービスが、シオンの手により施される。 目にも彩な花々の意匠が、白い皿に散りばめられて……。 「実は本日のお茶会は、エレナさまのご配慮により、急遽『レディ・ビクトリア』の協賛をいただきました。このスイーツには、皆さまへのお土産として、ヴォロス産の天然石がひとつ、入っています」 どうか、呑み込まないように。 ラファエルにそう言われ、一同は、ムースの中から、石を見いだす。 それは――庭園水晶 。 水晶の中に小さな箱庭を取り込んだような、草原や林、川や山、自然のあらゆる風景を見ることができる、幻想的な石。 「この水晶は、癒しをもたらす石と言われています。また、『災厄に遭遇しやすいひとを守る』効果もあるようなので、どなたかにプレゼントなさってもいいかも知れませんね」 * * * 「シオン」 帰りがけ、扉を開こうとして、理星はシオンを振りかえる。 「今じゃなくていい。いつか、気が向いたらでいいんだけど……」 彼らしい気の使いようで、理星は口ごもる。 「どうした、理星?」 「ずっと、考えてたんだ。『美麗花園』の、図書館でのこと」 「……ああ。あのときは、おれの代わりに依頼を受けてくれて、ありがとうな」 「言いにくいことって、あると思うし、何も全部、知りたいわけじゃないけど。いつか、ほんの少しでいいから、あんたの過去に何があったのか、教えてくれないか」 「そうだな、そのうち、機会があったら。……そんときゃ、あんたの昔の話も聞かせてくれ」 いったんは、皆と一緒に帰っていった宗次郎が、理星と入れ違いに戻ってきた。 「おっ、宗次郎。忘れ物か?」 「うん。これ、シオンさんに渡そうと思って」 宗次郎が差し出したのは、壱番世界で大流行中のカードゲームの、それも、貴重なレアカードだった。 「アルティメット☆ドラゴンキラーの究極バーションじゃん。おまえの宝物なんじゃないのか?」 「俺はもう、宝物を持ってるから」 先ほど、理星からもらった護符の羽根と、先日の、シオンの風切羽を、宗次郎は見つめる。 「この羽根、見ているだけで勇気が湧いてくるんだ。やっぱりあんたは、俺の憧れの人だよ」 「そんな器じゃねぇよ。……けど、サンキュ」 「こんなくらいしかお礼、できなくてごめん。もし良かったら、貰ってくれる?」 少年は、願う。 特殊効果があるわけでもないこのカードが、シオンが辛いとき、少しでも勇気をもたらすものであればと―― * * * (おれが辛いときに、か) カードを手に、シオンは、カフェ・クリスタルの外に出る。 招待客は全て帰路につき、もう、後ろ姿さえも見えない。 ――おれはむしろ、あんたたちに辛いことがないよう、祈るよ。 これからも続くであろう冒険は、おそらくは過酷なことも多くて。 思いがけない運命に、手ひどく傷つくこともあるだろうけど。 それでも、その道行に、ひとすじの光が射すように。
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