「これは世界図書館の本来の業務ではないのですが……」 神園 理沙を呼び出した世界司書は、最初にそう断った。 「コンダクターの夫婦からの依頼なのです。彼らの勤続年数を鑑みて、特別にロストナンバーを派遣することになりました」 理沙は司書の視線に、先を促すように頷いた。 「彼女の母君がご病気だそうなのです。その病気の母親の初恋の人を探して会わせて差し上げて下さい」 「あの。それは私一人でするのですか? もっと適当なロストナンバーが居そうなものですが……?」 素直な問いを口にした理沙だったが、司書はその質問を予想していたように、目を伏せ、静かに答える。 「見つからなかった時のことを考えてのことです」 理沙はその言葉の意味が理解できた。 「もちろんご夫婦には了承していただいています。貴方が適任だと」 「そういうことでしたら」 ゆっくりと、だが力強く頷く。 「私にできるだけのことをしてきます」 理沙には探偵の様な能力は無い。 人探しは地道な聞き込みや足を使ったものになる。 まず手始めにその依頼主のコンダクターの夫婦に、会いに行った。 「おねーさんが、おばあちゃんを探してくれるの?」 待ち合わせ場所に居たのは、利発そうな眼をした小学生の低学年くらいの少女。 「ちょっと、失礼だよ」 そう言って眉尻を下げたのは、少女と同じくらい年齢の少年。 「貴方達はお孫さん……ではないのね?」 「あっれぇ」 少女は目をぱちぱちとした。 「なんだぁ聞いてたの?」 「せっかく来てもらったのに、騙すようなことをしてはダメだよ」 少年は落ち着いた口調で少女をたしなめた。 「勤続年数が結構なロストナンバーの夫婦の御依頼と聞いていたので。さすがに小学生のお子さんはいらっしゃらないんじゃないかと。でも驚きましたよ?」 「そーう? 動じない人だなって思っちゃった。貴方も見た目通りではなく実は凄いご老人だったりとか?」 「女性に年齢を尋ねたら駄目って、君、いつも言ってるじゃないか」 「女同士ならいいのよー」 小さな夫婦のやりとりに、理沙はくすくすと笑って言う。 「お仲がよろしいんですね」 「うん。そうだよ。お仲はよろしいの」 「何言ってるの君」 いつもはつっこみ役になることの多い理沙だが、この夫婦のつっこみ役は旦那さんの方らしい。理沙が口を挟む暇がない。 「おばーちゃん……じゃなくて、母の初恋の人の話だけどさ。あ、ごめんね、変なこと頼んじゃって。お恥ずかしいんだけど、母はもうちょっとボケて来ちゃってさぁ。最近その人の話ばっかするのね」 「この写真のかたなんですが、この姿で役所や探偵に言っても子供扱いされるし、コンダクターだと言うと、何を調べてるんだ、その人がどうした、だの言われてしまって」 「友達にも頼み辛くって、その、あまり関係のないロストナンバーさんを呼んでいただいたんだぁ。あ、でも貴方とお友達にこれからなるかもしれないよね」 「君はまたそういう事を言う」 奥さんの話は良く脱線してまとまりがない。旦那さんも補足しているようで、話が丁寧過ぎてあまり内容が進まない。 結局のところ、写真と名前、祖母と出会った頃に住んでいた場所くらいしかわからないとのことだった。 「母はさ、もう私たちの事も孫だと思ってるのよ。会いに行くと、お母さんは来ないの? お母さんは私の事嫌いだろうからねぇ。って言うの」 少女は少しだけ目を潤ませて、別れる前にそう言った。 「おばあちゃん、実は、おじいちゃん以外に好きな人がいたのよ。初恋の人なの。私があの人を好きだから、お母さんには嫌われちゃったのね。って。初恋の人と一緒になってたら、私生まれてないよね」 旦那さんは黙って奥さんの肩を抱いた。姿は幼かったが、動作は長年連れ添っただけの年月を感じさせた。 調査は順調に進んだが、 結果は、皆が予想していた悪い結果そのままだった。 ――探し人は、とうの昔に戦死していた。 幕が、上がる。 「こんにちは、清子さん。ご無沙汰しておりました」 「……まぁ! あら、あら、本当に?? よくいらっしゃいました」 病院の白い個室で。ベッドに横たわる老婆の傍らに立つのはトラベルギアで姿を変えた理沙だ。写真の写る姿を元に変身をした。 老婆の細い体にはいくつかの管やコードがつけられており、理沙が個室を訪れてからも、だいぶ長い間眠ったままだった。一日に、意識を保っている時間がもうさほどないのだ。 「……何年も会っていない所為でしょうか。貴方の声が変わったような気がします」 弱々しい様子ながら、きっちりとした声でそう指摘する。 理沙は顔に出さずに内心で焦った。写真に声までは写らない。声真似には自信があったが、想像だけでは限界があったのだ。 「……気のせいですよ」 老婆は体も起こせないようだが、柔らかく微笑んだ。 「ええ、そうですね、それに貴方、全然歳をとっていないみたい。 夢かしら。それとも、やはり私の呪いなのかしら」 「の、のろい?」 不穏な言葉に思わず聞き返す。老婆はうっすらと微笑んだまま、ゆっくりと話す。 「私、結婚したんですよ。貴方が戻っていらっしゃらないから。 ずっと待っていたのですよ? そうしたらね、子供が大きくならなかったの」 そこで老婆はポロリと涙をこぼした。 「きっと私が貴方を待っていたせいよ。貴方の時間を止めて、子供の時間も止めて。娘は姿も見せなくなってしまったわ。でも最近、孫が顔を見せてくれて……」 老婆の視線が揺らぐ。 話を聞いていて、理沙はわかった。老婆は自責の念から、ロストナンバーという存在を一切理解しなかったのだ。娘の時間が止まってしまったことは理解していても、現在会いに来る少女のことを、娘と認識できていない。 「……きっとあの子は私を恨んでいるわ。貴方に会えて嬉しいのだけど、私だけ幸せになっていいものかしら……?」 唇を震わせる老婆の手を、理沙はしっかりと両手で握った。 演技は得意だ。 エチュードと思って、全身で初恋の人を演じる。 「私は既に死んでいるのです」 老婆が小さな目を見開く。 ゆっくりと。間。 「私が歳をとっていないのは、とうの昔に、戦争で死んだからなのです。 貴方を迎えに来られずにすみませんでした」 老婆の目から、滔々と涙がこぼれる。 表情と、動きに気をつけて。意識して、意識しすぎず。 「そして、私を呼んだのは、貴方の娘さんと、その旦那さんです。 貴方の為に、死んだ私すらも呼びだしてしまうのですよ」 嗚咽を漏らす老婆の手を、やさしく撫でてやる。 「娘さんは貴方を愛しておりますとも。呪いなどなかったのです」 「本当に……?」 老婆は震える声で尋ねた。 微笑んで、ゆっくり頷く。 しばらく、見つめる。 ゆっくり。 ゆっくり。 呼吸を合わせて。 「さぁ、一緒に参りましょう。これからはずっと一緒です」 老婆は微かに、頬を染めたように見えた。 穏やかに、細められた濡れた瞳。 理沙も頬笑みを絶やさぬように気を引き締める。 泣いてしまいたかった。 老婆の罪の意識が解きほぐされて、自分の生きたかった道へと向かおうとしている。 ――こちらに来てしまう……! 「ようやく、貴方の傍に居られるんですね」 老婆は、そう言って、 ゆっくりと目を閉じた。 扉が開くと、慌ただしく医者や看護師が入ってきて、理沙は部屋の外へ出た。 部屋の外には幼い姿の少年少女が寄り添って立っていた。 「かーさんが、私がロストナンバーになったこと、あんな風に気にしてたなんて知らなかったなぁ! 私ったらずっと子供のまんまだから、親の気持ちなんかわかってあげられなかったのかなぁ!」 少女はそう言いながらも、ベショベショに泣きながらも笑っていた。 少年が手をつないでやっている。 二人は個室のドアの向こうで、ずっと様子を聞いていたのだ。 「貴方のおかげで義母は穏やかに天国へ行くことができました」 「本当にありがとうね、貴方の演技、凄かったわ」 何度もお礼を言う二人に、深く頭を下げて、足早に理沙は病院を後にした。 屋敷に戻った途端、自然と深く息を吐いた。 今頃老婆は、天国で本物の初恋の人と出会って、驚いているだろうか? 自然と声が歌となった。空の向こうで結ばれた、二人を祝う歌。 「末永く、幸せになってくださいね……」 視界がにじむのを感じた。 もう一度、深くお時儀をする。 カーテンコールが終わって、 幕が下りる。 (幕)
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