その日、海上都市ジャンクヘブンを出発した一隻の漁船があった。「船長、今日は海の様子も落ち着いてるし大漁かもしれませんね!」 魚を捕るのに使用する網を準備しつつ、乗船員のひとりが嬉しそうに言った。 前に漁に出た時は海が荒れ、網は波に持っていかれるわ仲間は船酔いするわで散々だったのだ。それに比べて今日は快晴、波もほとんどない。「海は落ち着いてるが……大漁かどうかはわからねぇな」 船長が海を見渡して呟く。 魚の群が居る真上には大抵何かしらの海鳥が居るはずだが、今日はそれが一向に見つからない。 魚の通るルートは大体決まっている。今年も去年と同じだろうと船長は踏んでいたが、どうやら読みが外れたらしい――と思った瞬間、船底から何かが擦れるような音がした。「な、なんだ!?」 ガゴッ、という音の後にガリゴリという固い音が続く。 船は揺れ、その拍子に海水が甲板へと流れ込んだ。「船長!何か居ます!」 海面を見た乗船員の指さす先を見ると、何か海に沈んだ固いものが見える。しかし色が海水に溶け込んでいるのか、全体像がいまいちわからない。「海魔だ……あいつが俺らの獲物を横取りしてやがったのか」 苦々しく呟いている間にも、船の揺れはどんどん強くなっている。 船長は舌打ちし、大声で告げた。「ヤロウども!ジャンクヘブンへ引き返すぞ!」 命まで取られてはたまったものではない。 全速力で引き返す船。それを確かめるように浮上してきた海魔は、つぶらな瞳を持つ青い蟹の姿をしていた。 ロストナンバーたちを集めた世界司書のリベル・セヴァンは資料を捲りながら言う。「皆さんにはブルーインブルーにある海上都市ジャンクヘブンへ向かってもらいます」 護衛するのはジャンクヘブンから出航し、海で漁をし、その収穫を持って別の都市へ向かい売り払うのを生業にしている漁船。 敵は?という声にリベルが答えた。「甲殻類……蟹ですね。大きさは5メートルほどで、殻は青色をしています。潜っている間は目立ちにくいので気をつけてください」 攻撃には大きな二対の鋏を使用してくるようだが、初めは向こうも様子見なのか警戒しているのか、主に船への体当たりをしてくるらしい。 常に船底に居る訳ではないので、なんとかして浮上させればこちらからの攻撃もしやすいだろう。「以上です。何か質問は?」 そこへロストナンバーのひとりがある疑問を投げかける。 リベルは眉をぴくりと動かし、それが必要な情報なのかと吟味してから口を開いた。「――この海魔ですが、倒した後は海中に沈むと予測されますし、何より安全が保障されていません。……なので食用にはならないかと」 その返答にため息が聞こえたとか聞こえなかったとか。 しかし護衛する漁船の船長はかなり気がいいらしく、代わりに魚にならありつけるかもしれないという。「新鮮な刺身や焼き魚なら期待出来るかもしれませんね。どうですか、受けてくれますか?」 リベルは資料をトントンと整え、ロストナンバーたちを見回して言った。
●出航前の潮風 ざーん、ざざーん――。 船長を待つ間、遥々ジャンクヘブンへと訪れたロストナンバー達は波の打ち寄せる音に耳を傾けていた。 この広い海を進んだ先に、今回問題になっている海魔が潜んでいるのだ。 「ふむ、蟹か……。正直同族に似ているので気が進まんが、害を及ぼすなら仕方があるまい」 キング コルカサスが腕組みをしてそう呟く。 固い甲殻を持つ彼は蟹に対して親近感にも近い感情を抱いたが、いざ武器を振るう時になれば容赦はしないつもりだ。 「海の幸やったら蟹よりも鰻の方が……あ、いや、何でもあらへん!」 ついつい本音を零してしまったフィン・クリューズだったが、すぐに笑顔を浮かべて取り繕う。 「いや~っ、しかし海はやっぱ良いもんやな~! 何だかワクワクするっちゅうか……っと、今はゆっくりしとる場合やなかったな! 頑張ってこの仕事成功させんとな!」 「海は良いよね~、僕はこういう所にいると凄く落ち着くんだー♪海魔の退治も頑張ろうね!」 フィンにうんうんと相槌を打ちながら、マグロ・マーシュランドが心地良さそうに潮風を吸い込んだ。 二人とも魚のような外見をしているからなのか、海に居ると気分が良くなるようだ。 そんなフィンとマグロの二人を至福の表情で見ているのは、ラミール・フランクール。 「いいわぁ、癒しの光景ねぇ~」 「……可愛いものが好きなのか?」 キング コルカサスの問いに、ラミールはフフッという含み笑いを返した。 「強ぇ奴らだと聞いてるぜ、よく来てくれたな!」 のっしのっしと登場した船長は四人を歓迎し、漁船へと案内する。 立派な漁船だ。帆は綺麗に手入れされ、大切にされていることが分かる。しかしその船底付近には削ったような跡がいくつも付いていた。 「すごい傷だね~」 「心配すんな、ひでェ所の修繕はしてあるから出航するのに影響はねぇぜ」 船長はドンと胸を叩き、漁船を出発させる。 青い蟹の待つ海域へと……。 ●青い青い甲殻 沖に出てみると、さざなみの音よりも船底に海水のあたるチャプチャプといった音の方が目立つようになってきた。 空に雲はほとんど無く、地平線の彼方にちらほらと見えるだけだ。 直射日光が当たるため、船上はそれなりの温度だった。 「海の上なんて日焼けしちゃうわん!」 茶化すように言いながらラミールはマグロの元へと駆けていく。 「ねぇねぇ、マグロさんもそう思わなぁい?」 「んー、確かにちょっと暑いかも?」 「あらぁ! 肌がこんなに熱くなってるじゃない!」 手や肩をぺたぺた触りながらラミールが驚きの声をあげるが、実際はそうでもない。 セクハラと言われても言い逃れの出来ないほど触られながらも、マグロは平然としていた。 純粋さ故に不純な動機に思い当たらないのだろう。むしろ尻尾を振って喜んでいる。 「心配してくれるの? えへへ、お姉ちゃん大好き~♪」 「あぁん、もう可愛いんだからっ!」 ぎゅーっと抱きついてきたマグロを更に抱き返し、ラミールは満面の笑みを浮かべた。 「凄い光景だな……」 一瞬目が点になっていたキング コルカサスだったが、気を取り直して蟹を誘き出すための案を練る。 「ふむ、何か蟹の好きそうなものはないか?」 「エサで誘き出そう、ってことで?」 船員が首を傾げて問い返すと、キング コルカサスは頷いた。 「実際に潜って目視するのが一番かもしれないが、自分はそんなに泳ぎが得意という訳でもないからな。出来るなら海上に誘き出して倒したい」 「ちょっと船長に聞いてきやす!」 船員が走り去った後、キング コルカサスがふと横を見ると釣りの準備をしているフィンの姿が見えた。 「釣りか、それも良いな……」 「これで誘き寄せれたらなーと思ってな!」 あっ、とフィンが手を打つ。 「待っとる間にやってみるか? ボクの竿はトラベルギアやから貸せないけど、あっちに釣竿が何本か置いてあったで!」 漁は実際には網をメインに使うようだが、船員の娯楽として釣竿も積んであるらしい。 手に取ってみると、丁度良いサイズのものがあった。 粗末な作りをしているため耐久度に少々不安が残るが、釣り上げるためではなく誘き出すために使うのなら役者不足ではないだろう。 「お待たせしやしたー!」 そこへ帰ってきたのはさっきの船員だった。手に箱を持っている。 下ろすと中には魚が入っていた。 「海魔を普通の蟹と同じように考えちゃならねぇ、っと船長が。一応立派なのを選んできやした」 「うむ、感謝するぞ。……これを釣りのエサに使ってみるか」 もちろん釣り針に引っ掛からないので糸ごと巻きつけることになるが、蟹にとって興味を引くものになるかもしれない。 キング コルカサスとフィンはその魚をエサに、海へと釣り糸を垂らした。 しばらくして、波が比較的近い場所で起こった。 遠くからこちらへ流れてきた波ではない。 「きたっ……!?」 ザバアアァァッ!! 海水を撒き散らしながら。巨大な青い鋏だけが海面を移動する。 それは船の横腹をカスり、船体を大きく揺らした。 「で、で、出たぁー!」 「あんた達は向こうに引っ込んでなさい!」 ラミールは取り乱す船員にそう言い放ち、トラベルギアの鞭を取り出した。ビシィッと音をさせて引っ張り、いつでも攻撃出来るように待機する。 「ほんまにエサにつられて出てくるとは……とんだ食いしん坊さんやな!」 「目は良いみたいだね~。あっ、またきたっ」 ズズズッと海を割って出てきた青い甲羅へ、マグロがトラベルギアのガン・ハープーンを発射する。 ガン・ハープーンは炸裂弾発射機能の付いた大型の銛だ。重いそれは凄まじい速度で放たれ、蟹の甲羅へと命中する。 「やっぱり……固い!」 銛は確実に命中したが甲羅に当たって軌道が逸れ、海へと重々しい音をさせて落ちた。 しかし割ることは出来なかったが削ることは出来た。固さの目安になるだろう。 「また潜る前にやらせてもらうでー!」 釣り糸の先をナイフに素早く変え、フィンがヒュンッと釣竿を振る。 現在見えている部分で柔らかそうなのは鋏の関節と、目の付け根。 目は様子を見るために海上へと出したようだ。フィンはそれに目掛けて釣り糸の先にあるナイフを躍らせる。 「よっしゃ、当たっ……うっわあ!?」 ナイフは目の付け根に命中し切り裂いた。それに驚いた蟹が一気に潜ったため、大きな波が起こる。 「まぁったく、危ない蟹さんね!」 「ラミールはん、おおきに~……!」 衝撃でひっくり返りかけたフィンを助けたのはラミールだった。 鞭を持ち直し、ラミールは移動しているらしい蟹を目で追う。泳ぎ方に気を遣う余裕がなくなったのか、波で位置は大体把握出来た。 「さぁーて、どう調理してあげましょうかねぇ」 構え、蟹が一瞬海上へ出たところを狙って鞭を振るう。 伸縮自在な鞭は少し離れた位置に居た蟹の鋏を捕らえ、それだけでなく巻きついて鋏の機能を奪ってしまった。 「パニックになってても力は強いのねっ……!」 「海に引きずりこまれたら大変やで!」 フィンは氷の魔力で作り出した氷弾を蟹目掛けて撃った。 氷弾がぶつかった個所が凍りつき、蟹の動きを鈍くする。 「チャンスっ!」 ラミールが鞭を引っ張り、蟹を船へと近づけた。そこへマグロが回収した銛を再度放つ。 カッ!っと辺りが一瞬白くなった。炸裂弾だ。 さすがに近距離でこの衝撃には耐えられなかったのか、銛は甲羅を突き破っていた。 「これで逃げられないよー!」 「さて、自分の甲殻と貴様の甲殻どちらが固いか。ガチンコ固さ比べ……いってみようか」 ばすんっと両手を合わせて鳴らし、キング コルカサスが跳躍する。 もがく蟹の上に着地いると、彼はトラベルギアである重王大剣「ヘラクロスブレード」を掲げ、甲殻目掛けて斬りつけた。 ビリビリとした振動が両手を伝い、切っ先を弾かれたことを知る。 「ふむ、やはりな。ならば、こんなのはどうだ?」 呟き、剣を逆手に持ち替える。 キング コルカサスはそのまま何度も何度も同じ場所へ剣を振り下ろし、青い甲殻に傷を、ヒビを、穴を開けてゆく。 「ふんっ!!」 渾身の一撃だった。 ぱらぱらと表層が崩れ落ちたかと思うと、切っ先が甲殻の中へと一気に消える。 それまで抵抗していた蟹だったが、ぎしりッ、とその動きを止めた。 「早く戻ってーっ!」 「むっ」 力尽き海底へと沈み始めた蟹に、キング コルカサスは急いで甲板へと飛び移る。 「終わったなぁ、倒せて良かったで」 「ちゃんと命中してホッとしたよ~」 海面にぶくぶくと現れては消える泡を見ながら、フィンとマグロが胸を撫で下ろす。 「二人が無事で良かったわぁ。……わっ!?」 同じくホッとしていたラミールだったが、突如後ろへと引っ張られて声をあげた。 鞭がまだ蟹に巻きついたままだったのだ。銛は重く途中で抜けたが、鞭はそうもいかなかったのだろう。慌てて長さを調節しようとしたが、もう遅かった。 視界に映るものが甲板から一気に空に変わり、すぐにそこへ海水のヴェールがかかる。 「お姉ちゃ~んっ!」 マグロが急いで海を覗き込む。 しかしなかなか浮かんでこない。 「まさか、死……」 このまま飛び込んで助けようかと思った瞬間――ラミールの銀髪が海面に上がってきた。 「オカマはしつこくてよーん。ってか、死なない」 「し、心配させないでよぉ、もう~!」 ●海上の宴会 「こんなに簡単に釣れるものなのか」 「魚の通り道になってるからなぁ、しかし兄ちゃんは腕が良い!」 船員の一人が陽気に笑い、キング コルカサスの釣り上げた魚をまな板の上に乗せると、手際良く急所を突いて動きを止めた。 スイスイと捌いてゆく様子を興味深げに眺めるフィンの隣では、マグロが依頼中ずっと気になっていたことをラミールに質問していた。 「あのね、オカマってなーにー?」 無邪気な質問である。 「……」 「……」 しばし無言で様子を見守るフィンとキング コルカサスの二人。 どう答えるのか注目されたが、ラミールはにこりと笑って自分を指さした。 「あたしみたいな人のことよん♪」 「お姉ちゃんみたいな人のことー?」 そうそう、とマグロの頭を撫でる。言葉の意味をきちんと知るのはいつになるのだろうか、皆には予想も出来なかった。 「いやぁ、しかしヘトヘトになってもうたわ~」 「攻撃よりも船上でバランスを取るのに体力を使った気がするな」 それに加えフィンは魔力も消費していたため、ぐったりとその場に寝転がっていた。 しかし船員の「出来たぜ!」という言葉にすぐ起き上がる。 「あらぁ、綺麗に盛り付けてあるのね」 「客人に出すモンだからなぁ、これくれぇはしねーと! ほら、これがそっちの人の分で、これがあっちの人の分な」 「いただこう」 キング コルカサスが皿を受け取り、皆に回してゆく。 「それじゃ、いただきまーす!」 フィンがぱくりと一口食べる。何もつけなくても海水で薄く塩味が付いており、筋も無く美味しい。 食事を摂ることでフィンの魔力はそれなりに回復するため、これで帰りも安心だろう。 「マグロはんのんとは魚の種類が違うんやな、わけっこする?」 「するするー♪」 船員は何種類かの魚を捌いたらしく、切り身も赤、白、透明と様々だった。 フィンはマグロと切り身の交換をしながらホクホクとした顔をする。 「なんかご飯が欲しくなってくるなぁ。……って、ラミールはんは食べへんの?」 ふふんと笑うラミール。 「魚類よりマグロちゃんを食べたいわぁん」 ビクッとするマグロ。 「僕も魚類だよー? ……だ、だけど僕は食べても美味しくないよぉ」 「冗談、冗談よ~」 本気の目だった気がする、とキング コルカサスは心の中で力強くツッコミを入れた。 その後すぐに持って来た調味料のことを思い出し、荷物をごそごそと漁る。 「あれ、何か調味料持って来たん?」 取り出したのは――。 「調味料? あぁ、愛用の樹液を持ってき……」 「………」 「な、なんだその顔は!?」 美味なんだぞ、と力説するが、魚の切り身に樹液というのは凄い組み合わせだった。 しかし人の味覚は千差万別。 意外と美味しいのかもしれない……と他の皆も試し、揃ってちょっぴり後悔したのは数秒後のことである。
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