「モフトピアで、ロストナンバー釣りは如何です?」 相変わらず唐突に現われた世界司書の問いかけに、釣り? と不審な単語を繰り返す。釣りですと否定することなく頷いた世界司書は、導きの書を見て言葉を続ける。「いつぞや魚を盗んでいた少年を捕獲して頂いたあの浮島に、別のロストナンバーが確認されました。今回は、壱番世界で言うところの蛇によく似た種族です」 しかもかなりの長蛇ですねと淡々と説明する世界司書は、ページを捲って軽く眉を上げた。「胴回りは一メートル、全長八メートル。銀に赤みの混じった鱗を持ち、見た目は綺麗なようです。性質は穏やかですが、物臭。アニモフと関わる気もなさそうです」 証拠に、と導きの書を見たまま世界史書は指を立てた。「あの浮島に現われて以来、浮島の大半を占める湖の底に潜ったまま出てきません。ただアニモフたちが魚を取る時に時折煩そうに顔を出して、場所を移動するようです」 あそこのアニモフは呑気なのに変なところで気遣いさんでねぇ、と世界司書は苦笑するように呟き、またページを捲った。「ロストナンバーが湖に住むことは構わないようなのですが、魚を取るたびに起こしてしまうと申し訳ないと。しょんぼりしているそうなので、釣って連れ帰ってください」 用件は以上ですと導きの書を閉じた世界司書は、何か言い忘れたかなと首を傾げた。「ああ、湖は広いですから釣りのポイントは絞ったほうがいいでしょうね。釣りの手段については問いません、一本釣りだろうと底引き網だろうと、いっそ素手で捕獲もチャレンジされる分には止めません。ただ爆薬の使用や投石はやめてください、湖にはロストナンバー以外に魚も棲息していますので、傷つけないように」 アニモフを驚かせる、怯えさせる行為は原則禁止でお願いしますと気持ちの篭らない様子で言い添えた世界司書は、何かを思い出したようにまた導きの書を開いた。「そのロストナンバーですが、伸縮自在のようです。物臭ですので釣り上げるまでは長蛇のままでしょうが、体長五センチほどにもなれるようですので持ち運びに関してはお気遣いなく。説得に関しても必要ないでしょうね、釣り上げさえすればそのまま持って帰れると思ってくださって結構です」 反対に言えば釣らない限り動かないでしょうねぇ、と他人事のように呟いた世界司書は、健闘を祈りますと一礼して歩いていった。
「今回は確か、釣りに来たのだったと思いましたけど」 違いましたっけと思わずといった様子で確認され、二階堂麗はそうだね釣りだねぇとのんびり返した。きびきび委員長といった印象のフェリシアは認識が違うわけではないと納得してくれたようだが、それでも物問いたげな視線を向けてくる。 「おー、酒一杯だなー!」 飲むのかと低い位置から狸様姿の太助に尋ねられ、やだなぁと軽く手を揺らす。 「お酒だけじゃなくてジュースもあるよ、太助君だっけ? 君も沢山飲んで食べてね」 その代わり撫で回してもいいかなぁとわくわく尋ねると、別にいーけどと苦笑される。 「でもとりあえず、蛇を釣ってからな!」 でっかい蛇なんだってなーと呟きながら想像しているのだろう、視線が上を向くのと一緒に頭も上げている。可愛らしい……っと思わず噛み締めたのは、どうやらフェリシアも同じくらしい。 「ところで、あんさんら釣り道具はないんか?」 アニモフはんらに借りるん? と無邪気な様子で尋ねてきたのは、水色の肌をした海竜の竜人らしいフィン・クリューズ。顔つきといいすべすべなお肌といい、もふもふ太助とはまた違った撫でたい衝動に駆られるお姿だ。 「フィン君は釣竿持参なんだね。……水の中、得意そうだよね」 思わずまじっと見つめながら言うと、フィンはそれは勿論とブイサインを作る。だよねーっと何度か頷き、真顔で提案する。 「この際、フィン君を釣り糸につけて垂らすのはどうだろう」 「ちょっ、いきなり何その無茶振りっ」 顔を引き攣らせた本人に全力で突っ込まれるが、いい案だと思うのよねと真顔のまま返す。 「言葉が通じる相手釣るんも初めてやけど、ボクが餌になるとか訳分からへんっ」 「看板息子の腕の見せ所だよ。蛇もお客さんと思って釣ってみよう!」 「いやいやいや、上手い事言えてへんから、それ!」 無茶言いなやと拒絶されるそれに、名案だと思ったのにと小さく溜め息をつく。 「釣れなくても、湖の中の様子も見てきてもらえると思ったんだけどなぁ」 「あ、それはご心配なくっ! 湖には私が潜ってきます!」 はいはいと勢いよく挙手したのはフェリシアで、何故かその目はきらきらと輝いている。 「えーと、フェリシアさん?」 「大丈夫です、こんな事もあろうかとダイビング用具は一式揃えてきましたから!」 「重そうな鞄だとは思ったけど、その道具も持ってきたんだ? すごい、経験者なんだ」 「いいえ、父さんに反対されて一度もやった事ないですけど大丈夫ですっ。こんな綺麗な湖でダイビングデビュー……! 見てなさい、石頭でしたと謝らせてみせる!」 危険な事なんてないんだからと何故か遠くを見て拳を作っているフェリシアに、大丈夫か戻っておいでお嬢さーんと思わず遠く呼びかける。 「経験ないなら、やめといたほうがいいんじゃないかな?」 助けられないよと戸惑って真面目に忠告するのにフェリシアに聞いた風はなく、楽しそうなのを邪魔するのもなぁと考え込んでいると任せろと太助がぽんと自分の胸を叩いた。 「俺が海蛇に化けて潜ってやるから、心配すんな。蛇を探すのと、ついでに説得もしてみるな。溺れそうならフェリシアも助けてやるぞ」 いっせきさんちょうだなと嬉しそうに笑って請け負う太助に、何て頼り甲斐のあると思わずもふもふふの頭を撫でた。 「それじゃあ、蛇の場所を探るのは二人に任せてもいい? フィン君は、その蛇さんがいる場所で釣ってもらうということで」 「それやったら構へんよ、アニモフはんらにボート借りて待機してよか。せやけど餌て何がええやろ?」 怪我さしたないし針つけたないねんけど、と小首を傾げるようにして問われ、無言でフィン君を指す前にボク以外でなと釘を刺される。 「一先ずボートを借りるついでに、アニモフちゃんたちに聞き込んではどうでしょう」 「そうだな。どの辺から潜ったらいいかも聞いてみっか」 湖も広いしなぁと何度も頷く太助が、よし行くかぁ! と振り上げた手に釣られるように、ほわほわとアニモフたちに聞き込みに向かった。 元気よく歩く太助に続いてアニモフたちを探していると、湖の側で団体で蹲っている彼らを見つけた。 「久し振りだなー!」 元気にしてたかと太助が声をかけると、アニモフたちは一斉に振り向いてぱっと笑顔になった。 「来たぞー!」 「来たなー!」 よく来たと迎えてくれるアニモフたちに、何してたん? とフィンが尋ねると、今までふわふわと歓迎してくれていた彼らはしゅんとしてしまった。 「どうかしたか?」 「蛇さん、逃げたー……」 「また邪魔したー……」 申し訳なさそうに項垂れるアニモフたちを見て、フィンは湖に視線を変えた。 「てことは、今移動したばっかして事か。物臭や言う話やし、どっちのほう行ったか聞いたらそない遠くには行ってへんのちゃう?」 「そうですね。アニモフちゃんたちも、そんなに気落ちしないでください。これから私たちが蛇さんを連れてきますから。一緒にランチにしませんか?」 気を取り直してとフェリシアが笑顔で提案すると、 「一緒にー?」 来るかなとアニモフの一人が首を傾げ、来るかなと隣でも首を傾げる。来るかなあと何人かが続けた後、揃ってにこおと笑った。 「来たらいいなあ」 「一緒がいいなあ」 「怒ってないかな?」 「一緒がいいなあ」 いっしょ、いっしょと側にいる誰かと手を打って跳ね出すアニモフたちに、会うなり写真撮らせてねーと断ってカメラを向けていた二階堂が萌え殺されると蹲っている。 フェリシアとしても今すぐにも携帯を取り出したい気分だったが、彼らをがっかりさせないためにも尋ねる事があるのだと緩みそうな口許を引き締める。 「それで、蛇さんを呼んでくるためにもどっちに行ったか教えてくれますか」 「「あっちー」」 もふもふの短い手でアニモフたちが同時に湖の中央を指したのを確かめ、ダイビングの用意を始める。 「よおし、それじゃあ俺も蛇に化けて潜ってくるな! あ、目の前で化けても平気か?」 つるつるだもんなぁと太助が気遣ったように声をかけかけたが、ボートを貸してくれと交渉していたフィンにべたべたとアニモフが張りついているのを見て笑った。 「だいじょぶそだなー。でも最初に出てきた時は、びっくりしなかったか?」 「びっくりー!」 「すべすべー」 「つるつるー」 気持ちいいとフィンに顔を擦りつけているアニモフたちが答えると、そんじゃ俺もと蛇に化けた。 「蛇さんだー」 「すべすべー」 いいなあと目をきらきらさせるアニモフたちに、蛇に化けた太助は心なし照れたように嬉しそうに触るか? と尋ねてアニモフにべたべた撫でまくられている。 多分に彼らにとって、撫で回すのが親愛の情なのだろう。ここを訪ねる大半がそうしているから、誤解している点も無きにしも非ずだろうが。ともすればフェリシアだってそうしたいくらい、アニモフの愛らしさは反則だ。 「それじゃあ、太助君とフェリシアさんに潜ってもらって、私たちはボートで中央近辺まで繰り出そうか」 真面目に話をしないと萌やし殺されるとぶつぶつ言いながら二階堂が提案すると、フィンもせやねーと気軽に頷いてから何かを思い出したように手を打った。 「そうや、蛇はんがいつも何食べてるか分からへん? 何もなかったら僕のオヤツつけよか思うねんけど」 因みにオヤツって何との尋ねに、鮭の干物と満面の笑みでフィンが答えている。酒のつまみによさそうだねぇと二階堂が頷いている横では、アニモフたちが顔を見合わせている。 「食べる?」 「魚?」 「見たことなーい」 知らなーいとふるふると大きく頭を振るアニモフたちに、太助がうーんと唸った。 「じゃあ、魚釣ってそれを餌にするか? 飽きてそうなら、何かお菓子でもつけたら目先が変わっていいかもしんねぇぞ」 水に入れても崩れない奴がいーよなと提案されたそれに、それではやっぱり林檎ですねっ! と用意してきたそれを鞄からごろごろと出した。 「何か蜂蜜の瓶っぽいのが混じってるけど」 「勿論、林檎と蜂蜜は基本ですから!」 「蛇って林檎食うのか?」 二階堂の問いかけに胸を張って答えると、蛙じゃなくて? と無邪気な様子で首を傾げた蛇形態の太助の言葉に、ぴしっと凍りつく。 「か、蛙は一身上の都合により却下ですーっ!」 「まあ、ボクのん釣り糸やのおて鎖やし蛙でもできん事ないけど。何とのう林檎のほうがええんちゃう?」 とにかく早よ釣りたいわとわくわくしたようにフィンが言うので、林檎と蜂蜜は二人に任せて太助を振り返った。 「それでは、潜ってみましょうか」 「そーだな! 説得できたら一番いいんだけどなぁ」 試してみるかと張りきった様子の太助は、うにょうにょと湖に入っていく。感動のダイビングデビュー! とひっそり喜びながら、フェリシアも太助に続いた。 蛇に化けた太助は湖に入っていき、興味深そうに近寄ってくる魚たちにも気軽に挨拶をする。まさか応えてくれるはずはないが警戒心もなく近づいてくるところを見ると、ロストナンバーの蛇も魚を食べているわけではないのかもしれない。 (じゃあ、何食ってんだろ? 腹減ってねぇのかな) その辺で誘えないかなーと考えながらちらりと後ろを窺うと、フェリシアが嬉しそうな様子できょろきょろしているのを見つける。蛇を探しているというよりは水中の景色を楽しんでいるようだが、溺れそうではないからいい事にする。 (まぁ、こんなに澄み切ってたら見つけるのも簡単そうだしな) 思ったより底は深いが丁度太陽が真上に近くある時間帯だからか、かなり遠くまで見渡せる。見上げれば水面はきらきらと輝き、群れて泳ぐ魚も視界の端で同じく光る。蛇を探し出せなくても綺麗な光景は楽しいよなと思わずほわんとすると、ごぽごぽと近く呼吸音が聞こえた。 視線を巡らせると間近にフェリシアがいて、少し先を頻りに指し示している。 (おっ、蛇発見かー!) フェリシアが指した先に、白い塊。どうやら底でとぐろを巻いて休んでいるらしい。同属ならあまり警戒されないだろうとフェリシアに少し留まっているよう合図して、まず太助が近寄って行った。 「よお、昼寝中にごめんなー」 話聞いてくれるかとフレンドリーに話しかけると、伏せていた目を開けた蛇はちらりと太助を一瞥した。まずは好感触か? と思って笑いかけ、あのなと話しかけようとすると、蛇はとぐろを巻いた自分の身体に頭を突っ込んだ。 話も聞きたくないとばかりに態度で示され、思わずぶるっと身体を震わせた。 「っ、だいじょーぶだ、この程度は想定の範囲内だっ」 物臭様だからなと自分に言い聞かせるように呟くが、ちょっぴり悔しい。ほんのちょっぴり。 そうと近寄ってきたフェリシアが、慰めるようにつるっとした表面を撫でてくれる。そうだ、こんな事で挫けてはいけないと気を取り直し、フェリシアにこのまま上がってくれと合図した。 「俺はとりあえず説得続けるから、フェリシアはフィンに釣りを始めてくれって伝えてくれ。釣り上げるのが無理そうなら、岸までつれてったほうがいいだろ」 水中でどこまで伝わったかは謎だが、意図するところは理解してくれただろう。OKと指でサインを作ったフェリシアが上がっていくのを見送り、蛇に向き直る。 「俺は太助って言うんだ。よろしくな。お前の名前は?」 何て言うんだと問いかけても、顔を突っ込んだままという不自然な体勢からぴくりともされない。気合の入った物臭だなぁと溜め息混じりの息を吐き、腕を組めないのでぐるりと一回転して気を紛らわせる。 「そんな体勢で、苦しくねぇ?」 「腹減ってないか?」 「こんな綺麗な景色見ないで寝るなんて勿体ねぇぞ?」 ぽつぽつと話しかけながら様子を見ていると、きらきらした水面にすうと影が差し、ぽちゃんと林檎が落ちてきた。 フィンはボートを中央近くまで進めると、まずは何もつけないままトラベルギアでもある釣竿を使って釣りを始めた。太助やフェリシアが上がってくるまで何気ない暇潰しのつもりだったが、何故かその状態でもよく魚が釣れた。 「凄いね、フィン君。釣りの名人みたい」 「ほんまや、餌もないのによお釣れるわ」 勘違いするやんなぁと笑いながら同意している間にも竿が引かれ、引き上げるとまた見かけたことのない魚が掛かっている。綺麗やなぁとちょっと間だけ眺めて、ぽちゃんと湖に返す。 二階堂は見るともなしに眺めていたが、去っていく魚影を眺めながらぽつりと呟くように言う。 「アニモフって、ここの魚を食べてるんだよね?」 「せやろねぇ」 「林檎で釣れたらいいけど、ここに蜂蜜投入すると魚が甘くなりそうな気がしない?」 「……それ突っ込むとこやろか」 ボクに何期待してんのんと苦笑して釣り続けていると、少し遠くにこぽこぽと泡が続けて浮かんできた。巻き込まないように竿を避けながら待っているとフェリシアが顔を出し、発見しましたよと水中を指した。 「今、太助さんが説得中ですけど無理だと思います。話を聞く体勢になってくれなくて」 頭を振りながら説明するフェリシアにぶつからないようそっとボートを近づけながら、二階堂がそっと息を吐いた。 「いよいよ釣り上げるしかないのね」 「構へんけど、考えたら物臭な蛇はんなんやろ? 林檎垂らしただけで、食いついてくれるやろか」 「太助さんが一応口までは誘導してくれると思いますが……、それでも駄目な時はアニモフちゃんたちも呼んで投網はどうでしょう」 ボートに乗る気配がないままフェリシアが提案するそれに、投網? と二階堂が首を捻った。 「さっきも魚を採るアニモフちゃんたちを煩がって、移動したんですよね? そうしたら、岸に向かって誘導はできると思うんです」 「成る程、万が一網に掛かってもそのまま引っ張ったらいいもんね」 じゃあ彼らを呼ばないと、と呟いた二階堂は岸で待っているアニモフたちに合図を送る。何故か即座にボートに乗り込んではしゃいだ様子で向かってくるのを見て、よう通じたなぁと思わず感心する。 「網はないかもしれないけど、名づけてボートを並べて宴会プラン始動! 頃合が来たら一緒に騒ごうって言い含めてあったから」 来てくれてるんだと思うよーとのんびりとアニモフたちを迎えている二階堂に、フィンは釣竿を落とさないようにしながらくたりと首を下げた。 「……ボクもうホンマに、どこから突っ込んでええのか分かれへんわ……」 「右に同じは置いておいて……、とりあえず林檎で釣ってみましょうか」 お願いできますかとまだぷかぷか浮いたままのフェリシアに促され、オッケー、と林檎を取り出した。器用に鎖の先に取り付けて、ぽちゃんと湖に投げ入れる。 ゆらゆらと落ちてきた林檎は丁度蛇の側で止まり、誘うように揺れるけれど当然のように見向きもされない。 「うーん、モフトピアの名産品のほうがよかったかー?」 林檎も美味しそうだぞと促すのに煩げに顔を動かした蛇は、太助を見ないようにふいと顔を背ける。蛇の形を取っている今は無理だが心持ち眉を顰め、 「こうなったら後ろから押していくか?」 岸のほうへと頭で押しながら移動すべきかと考えていると、きゃあきゃあとはしゃぐ音が上から降るように注いできた。仰げば船影がいつの間にか増えていて、どうやらアニモフたちもボートで繰り出しているのだろう。 楽しそうだなぁと思わず見上げていると、蛇が煩そうに身動いだ。それを合図のように林檎がするすると戻り、せーのの掛け声が聞こえた時には網が投げ込まれる。 (おっと、避けないと俺も捕まるな) すいすいと泳いで蛇の上を通り過ぎると、追いかけるようにして網が迫ってくる。さすがにその気配には気づいたのだろう、物憂げに片目を開けた蛇は迫ってくる網に面倒そうにぷかりと息を吐いた。 動くかな、捕まるかなと興味深く見守っていると、蛇は身を起こすのも面倒だったのかずるりと地を這うように移動し出した。 太助は慌てて周りを見回し、蛇が岸に向かうよう調整して行く手を塞ぐ。ちらりと恨めしそうな目は向けられたが、威嚇されるでもなく苦情を呈されるでもなく、蛇はひどく面倒そうに岸へと向かい始める。 よしよしそのまま進むんだぞとさり気なく誘導しながら、ボート近辺で顔を浸けて様子を窺っているフェリシアに気づいた太助はOKを出す代わりにきゅっと尻尾を丸めて見せた。 何だか溺れているような仕草でじたばたしたフェリシアが了解と示してきたので、何だ? と思いつつ蛇を追うようにして自分も岸に向かった。 「おー……、蛇だね」 完全に間違いようがなくと呟いた二階堂の言葉は、別にふざけているわけではない。湖から追い出されるようにしてぬっと岸に顔を上げて横たわる姿に、それ以外の言葉もないだけだろう。 とりあえず邪魔にならないよう岸辺にボートを着けたフィンは、とーうっと掛け声をかけて湖に突入するようにボートを降りているアニモフたちに手を貸しながら蛇を眺める。 「また偉い綺麗な蛇はんやけど……、動く気あれへんなー」 暴れられても困るのだが、ひょっとして息もしてないのではと疑りたくなるほど丸太よろしく横たわっている姿には感嘆するよりも苦笑するしかない。 「とにかく出てきてもらうことには成功したので、後は説得だけですね!」 「せやんね。蛇はん、あんさんが此処におるとアニモフはん達も困ってしまうみたいや。ボクらと一緒に0世界来てくれへんかなぁ?」 ええとこやでとにっこりと笑かけるフィンをちらりと一瞥したが、蛇は答える様子もない。フェリシアはお近づきの印にと用意してきた林檎を並べ、二階堂はアニモフたちと一緒に即席のテーブルを作ってランチの準備を進めながら、お腹減ってないー? とのんびり声をかけている。 蛇は煩そうに目を伏せてふいと顔を背けたが、その先に湖から上がってきた太助が狸姿に戻ってしゃがみ込んだ。 「煩くしてごめんな? でもアニモフが気にするのもそうだけど、このままずっとここにいたら、おまえ、いつか消えちゃうんだ。そんなの悲しいだろ? いきなり知らない世界に飛ばされて一人で消えちゃうなんて、そんなの駄目だ」 そんなの俺は嫌だと、子供めいていたとしても真っ直ぐな言葉は思わず胸がしくんと痛い。 「0世界はいいとこだぞ、毎日何かしら面白い。のんびりしたいならそうできる場所もあるはずだ、俺も一緒に探すの手伝ってやっから」 一緒に行こうともふもふの手を伸ばされ、蛇は太助を見たままそれでも動かない。フィンは上から覗き込むようにして蛇と目を合わせ、サイズ変えてくれたら運んだげるでと笑いかけた。 「のんびりしとる時にすぐ動くのは面倒って気持ちはようわかるけど、今動けば後々楽かもしれないで? そうしーひん?」 「大丈夫ですよ、そのサイズでも四人がかりで引っ張ったら何とか運べると思います!」 「それは多少、蛇さんに負担がでかすぎるのではないかと思う今日この頃」 張り切って拳を作ったフェリシアに、でも面白そうだから手は貸すよと、どうやら船酔いでもしたのかくったりしている自分のセクタンの面倒を見ながら二階堂が続ける。 フィンは思わず声にして笑い、ボク魔法使えるからそない頑張らんでもええよと頷いた。 「やけど無理やり連れて行くんもちゃう思うし。来たいなぁ思うくらい、0世界の話しよか?」 「おお、それいいな! アニモフたちもご飯の準備整ったみたいだし、何か食べながら話するかー!」 食べよー! と太助が腕を振り上げると、アニモフたちも同じように跳ねて飛んで食べよー! と大騒ぎを始める。蛇が煩そうに身震いするのを見て、逃げるようなら魔法を使って捕獲するしかないかなと眺めているとしゅるしゅると何故か小さくなっていった。 「え、待って、消えんといてや!?」 あかんでと思わず手を伸ばすと、五センチほどの大きさで止まった蛇はこれ以上なく大口を開けて欠伸を洩らした。 「えー、っと」 何となく出してしまった手で掬い上げてもぴくりともしない蛇は、どうやら逃げる気はなさそうだが。アニモフと騒いでいた太助が気づいて手を覗き込むと、やったなと嬉しそうな笑顔を向けてきた。 「来る気になってくれたんだな、よかったな!」 「そうなん、かな?」 「さすがに蛇さんも、引き摺られるのは嫌だったみたいですね。引き摺られるくらいなら、かもしれないですけど、来る気になってくれたのは嬉しいです!」 「でも、まずはこのモフり天国で飲み食いしてからにしよーねっ」 カブトもへろんへろんだし、もうちょっとのんびりしていこうーとフォックスフォームのセクタンを撫でながら二階堂が続けると、勿論心行くまでモフってからですよ! とフェリシアが一緒になって燃え上がっている。 「よーし、俺も一杯飲み食いするぞー!」 「しちゃえしちゃえ、蛇さん歓迎会でフェリシアさんも飲もーう!」 「未成年に飲酒を進めないでくださいっ。私たちはジュースで我慢ですっ」 酔ったらいい写真が撮れませんから! と握り拳のフェリシアに、気合まんてんだな! と太助が嗾けているのを楽しそうだなと眺めていたフィンは、ふと思い出して掌に乗せた蛇に視線を落とした。 煩そうな仕草でとぐろを巻いた蛇は、けれど逃げる様子もなく眠たげにほうと息を吐くとフィンの掌に寛いだ。
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