駅前広場の隅で、赤茶色の毛並みの犬がぺたり、お座りしている。首をきちんと伸ばして、きらきら光る黒の眼で、道行く旅人達を見上げている。 揃えた前肢の脇には、一升瓶がどかんと鎮座。にごり酒のようにも見える白い液体は、「牛乳」 酒呑めるのか、と眼を丸くした旅人に問われ、犬の世界司書は大真面目な顔で答えた。飲む?、と丸い眼で問い、首を傾げる。遠慮するよと断られても、気にもせず、「インヤンガイの風俗調査、行きませんか」 ぴらり、チケットを五枚取り出す。「インヤンガイ。『酒菜集市』。集市の人気食堂。食堂の店員、探偵も兼業。何かの事件、片付いたお祝い。お祝い、集市の皆で酒盛り。通りがかりの人にも振る舞い酒。振る舞いご飯。美味しいご飯。食べたいご飯」 うらやましい、と涎垂らさんばかりに言葉を続ける。「探偵と、食堂に集まった人達と、皆でご飯。呑める人、お酒もどうぞ」 ぱーっと、わーっと、とぱたぱた尻尾を振る。 煤けた札に刻まれた『酒菜集市』の文字を見仰いで、朱色の楼門を潜る。 空を覆い隠して、百の軒が左右から重なり合い、張り出している。屋根から突き出すように設えられた、何かの室外機がごんごんと音立てて回る。雨避けの天幕が激しくはためく。煤けた煉瓦の壁の換気扇から、胡麻油の香ばしい煙が大量に吐き出される。「いらしゃいいらしゃい、蒸したて饅頭ー」「唐揚炒麺、炒飯! 旨いヨ安いヨ!」 灰色の石畳の路の左右を埋めて、屋台や店舗が並ぶ。吊るされた裸電球に煌々と光が灯る。怪しげな漢方薬屋に静かな茶屋、様々の肉を店先に吊るした肉屋に魚屋。インヤンガイの住人で賑わう通りのその先、犬の司書が言っていた食堂がある。 空いた木の樽や酒甕に板や座布団を置いただけの簡易椅子には、老人達が陣取っている。酒酌み交わし、古びた卓で盛大に湯気上げる大皿料理を取り合い、大声で笑いあう。そのうち一人二人と立ち上がり、ゆらゆらと不思議な動きの演武を始める。「酔拳?」 開いたままの扉から、黒い上下に白い前掛けの女が顔を出す。「もう、ジィちゃん達、怪我しても知らナイから」 両手の盆に乗せた料理を適当な卓に置き、路を行き交う人々向けて笑顔を振りまく。「はいナ、今日は私の大盤振る舞い! 皆でぱーっと呑んでってネ!」 訪れた旅人達を見止めて、店員の女は満面の笑みで手招きする。「大丈夫、今日は無理なお仕事何にもお願いしたりしナイ」 店の奥の厨房では、無口な店主が鉈とも見紛う中華包丁で野菜を叩き切っている。熊じみた髭面を旅人達に向ける。呑んでいけ、とごつい指で開いた椅子を指し示す。
「今日はあの人は居ないの?」 鰍の薄桃色の髪を、胡麻油の香り含んだ熱気が揺らす。店員は肩に落ちてくる軽く束ねた黒髪を片手で払う。店員の首傾げるような仕種に、鰍は何となく気になった男の特徴を記憶に辿る。 「頭の淋しそうなおっさん」 ああ、と店員は笑った。 「こないだ、メイがうちに食べに来たヨ。モウ、バラバラなったて言ってたネ」 「バラバラ?」 剣呑な言葉に、人懐っこい茶色の眼が知らず細くなる。顔顰めて問い返せば、 「でもワタシは、モウはきっとまたそのうちひょっこり顔出すと思うてるノ」 店員は片手を気楽にぱたぱたと振る。ついでのように、もう片手に掲げた盆を示す。香ばしい黒豆茶や華やかな花茶、甘い香りの果実酒、きめ細かい泡の麦酒。どれでもどうぞと勧められるまま、鰍は麦酒の大ジョッキを手にする。 「サンキュ」 「そっちのお兄さんも、どうぞネ」 「あ、頂きます」 飲み物満載の盆を黒い眼の前に差し出され、山本檸於は小さく頷く。少し迷って、まずはと麦酒のジョッキを手に取る。肩にしがみついたセクタンのぷる太がぷるぷるする。 「檸於、乾杯」 「はい、乾杯」 鰍とジョッキの縁を軽くぶつけあう。鰍と檸於、二人はいつかにカボチャ色の修羅場を共に駆け抜けた同胞(被害者)だ。琥珀の酒をぐーっと一口。揃ってくうッとよい笑顔。 「タダ飯タダ酒、最高!」 「だよなー」 もう一度乾杯して、檸於はカウンター向こうの店主へと目を向ける。熊じみた巨躯と髭面の店主は、大鍋を振るっている。かと思えば大包丁で丸鳥を豪快にブツ切りにし始める。 無言の迫力に思わずビビる。それでも、折角のタダ飯だ。厨房からは生姜にニンニク、胡麻油に鷹の爪、タレの焦げる匂いや鳥の揚がる食欲そそる匂いが押し寄せて来ている。 「えーっと、」 中華料理な感じがするけれど、インヤンガイの料理も中華料理と言うのだろうか。 それはともかく。折角のタダ飯、ここは前から一度食べてみたかった高級料理を頼んでみたい。どきどきしながらカウンターに近寄る。 「つッ、」 緊張気味に声を上げれば、店主はおう、と超低音で応えた。 「燕の巣とか、ありますかっ」 「わオ、燕の巣をご所望ネ!」 思い切って問うた途端、背後から女店員にタックルじみて抱きつかれた。 「うわ、俺には彼女がっ」 「ワタシも旦那いるネ、そこに」 慌てる檸於に慌てず騒がず店員が指差したのは、大包丁握り締める強面店主。 「そんなことより燕の巣ヨ! 欲しいネ? 欲しいのよネ?!」 血の気を引かせる檸於には一切構わず、女店員は檸於の肩を掴んで揺する。 「それは、まあ、あれば欲しい、けど」 あまりの勢いに負けて口走ったのが運の尽き。 「じゃあ行くヨ! 今すぐ行くのヨ!」 熱烈に腕を掴まれた。何処かへ拉致されそうになる。 「行くってどこへ!」 「暴霊アパート」 「はいィ?!」 「いーい燕の巣が採れるのヨ」 カウンターの向こうで、店主が景気づけのつもりか、火打石をカチカチと鳴らしている。 「そう言えばモウがバラバラになったってメイが言ってた場所もそこネ!」 「い、行かない行かない! 燕の巣は結構です鳥の唐揚とかください! なんならそこのカボチャで料理――」 って、カボチャ?、と顔引き攣らせて見れば、店の戸口に立ち塞がるは橙色のお顔も禍々しいでっかいカボチャマスク被ったカボチャマン。ひ、と檸於は息を飲む。隣では同じトラウマ抱える鰍がジョッキを片手に固まっている。 二人の心に蘇る、ハロウィンの悪夢。檸於は頭を抱えてその場にくずおれる。 「ビームで魔女っ娘とかは無かった、あんな事件無かったんだから……!」 「うん、微妙に思い出したくねえよなあ」 うずくまる檸於の背中を、同じ傷抱える鰍がそっとさする。 「キシシシ、悪ィ、そんな驚いたかァ?」 カボチャが笑った。被っていたカボチャ型のマスクを頭から外すベルゼ・フェアグリッドの傍らで、ぽん、と手品じみた煙が弾ける。黒蝙蝠の獣人であるベルゼをぬいぐるみ化させたような、小さなふかふか蝙蝠が姿を現す。ベルゼは使い魔であるちび蝙蝠をむぎゅむぎゅ撫でて、 「行け」 カウンターの奥でジッと背筋伸ばして座る蓮見沢理比古へと飛びかからせた。 「わ!」 厨房で立ち働く店主の動きを追っていた理比古は、目の前に飛んできたちび蝙蝠に小さな悲鳴をあげ、びくりと肩を震わせる。けれどちび蝙蝠が飛び疲れてカウンターに座り込むと、穏かな顔を柔らかく和ませた。小さな頭を細い指先で撫でる。 「待たせたな」 何が喰いたい、と待ちかねた言葉が厨房からかかった。理比古は目を輝かせる。理比古も、その辺でへたり込んでいる檸於と同じく、美味しいご飯、と司書から聞いていてもたってもいられなくなった口だ。 「旬の野菜をたっぷり使った、白いご飯によく合うおかずが食べたいな」 艶のある黒髪の下、厨房の炎の光を受けて銀色にも見える灰色の瞳が、屈託のない笑みで輝く。店主に料理を頼みながら、楽しみで楽しみでしょうがない理比古はカウンターのちび蝙蝠を思わず抱き締める。 「あとお勧めのデザートがあったらそれも!」 注文が終われば、ちび蝙蝠を膝に乗せて、自分の手も膝に揃えて、姿勢正してきちんと待つ。視線は厨房にじっと注ぐ。それはまるで、『お預け』中の仔犬のよう。 ベルゼの使い魔のちび蝙蝠は、しばらく理比古の真似をして膝にちょこんと座っていたが、すぐに飽きた。もぞもぞと尻を動かす。カウンターに顎を乗せる。小さな翼を羽ばたかせる。ジッとしていられなくなる。 「ん、行っちゃうのか?」 理比古の膝を離れ、ぱたぱたと店内を飛び始める。 「キシシシッ、今回は口煩いお目付け役もいねェしなァ!」 ベルゼの脇を通り過ぎようとして、掴まった。わしわしと頭を撫でられる。今日のベルゼはご機嫌だ。何たって自らを創り出した主が同行していない。共に居れば、やれ酒は呑みすぎるな人に飲ませようとするな騒ぐなはしゃぎ過ぎるな、父親のように煩く言うに違いないのだ。 「何だっけ、風俗調査ァ?」 ふと今回の旅の目的を思い出すものの、そんなことはキシシと笑い飛ばす。 「ようはここいらで食って飲んで騒いでけってことだろ」 お安い御用だゼ、と蝙蝠顔を満面の笑みにする。ベルゼの手の中で、ちび蝙蝠がつられて笑う。 「よぅし、ぱーっといこうぜ、ぱーっとなァ!」 大笑いするベルゼにぽーんと宙に放り投げられる。ぱたた、と羽ばたいたちび蝙蝠が次に近寄ったのは、戸口の壁に背中預けて店の賑わいを眺めるリエ・フー。黄金色の視線の先は、扉のすぐ脇の人だかり。 酒の匂いに包まれた一種異様な熱気の源は、卓上の骰子(サイコロ)と掌に収まるほどの小さな壷篭。男達が勝ったの負けたのと喚き、負けた方が酒の盃を干す。負け続けて潰れた男が一人二人、石畳の地面や長椅子でのびている。 店員が苦笑いする。 「酔いどれ博打は楽しそうネ」 普段は冷笑に彩られがちなリエの顔に、今浮かんでいるのは内心の血のざわめきを押し隠すような、どこか楽しげな表情。ちび蝙蝠が細い胸に体当たりをかましてくるのを片手で払いのける。驚け遊べとキィキィ抗議するちび蝙蝠の背中を摘み、足元で静かに控える子狐型セクタン、楊貴妃にぽいと投げ渡す。渡されたちび蝙蝠を両手で持って、楊貴妃はちび蝙蝠とにらめっこを始めた。 「親父、ちょっくら混ぜてくれ」 煉瓦壁の隅に置かれていた椅子を引き摺り出し、リエは博打中の酔いどれ連に混ざりこむ。あまりに自然な仕種に、胡麻塩頭の男が椅子をずらしてリエに場を半分譲りかける。けれど、ふと横見れば、心底楽しげに賭博場を覗き込んでいるのは痩せっぽちの少年。癖の強い黒髪の下、どこか色艶さえ感じさせる長い睫毛が瞬く。黄金の瞳が生き生きと悪戯っぽく輝く。 「餓鬼はあっち行ってろ」 思わず見惚れたことを誤魔化して、男は低く怒鳴りつける。酒臭い息を浴びせられても、リエは動じない。弾けるように笑う。 「ははっ、俺からすりゃてめェらこそ尻の青いガキどもだ」 屈託ない笑みが一転、 「生憎こちとらお袋仕込みなもんでね」 酔いどれを黙らせるほどの迫力ある笑みを浮かべる。 かつて魔都とも呼ばれた華やかで猥雑な都市で、リエは生まれた。酒菜集市の人いきれと様々の食べ物の匂いが混ざり合った気配は、故郷を思い出させる。無性に血が騒ぐ。 紅朱の楼閣の、傾国の美女の名冠された母親に『オトナの悪い遊び』は散々に仕込まれている。 「丁半博奕も麻雀も一通りこなせるぜ」 「敗けりゃコレだぞ」 向かいの白髪の爺さんが、酒瓶から小さな盃に酒を注ぐ。琥珀の酒から、強い酒精の香りが立つ。リエは舌なめずりせんばかりに唇を笑みで歪ませる。 「……上等」 「って、未成年」 ジョッキ片手に、鰍が臨時博打場を覗き込む。 「それがどーした、勝ち続けりゃ問題ねーだろ」 鰍の制止を、リエは勝気に笑い飛ばす。いい心意気だ、と白髪の爺さんが笑う。リエの前に酒の注がれた盃が回される。 ちょいとごめんよ、と軽い口調と仕種で、鰍は長椅子の隙間に腰を下ろす。何気なく、リエの前の盃に手が届く場所を確保する。 老獪な迫力持った少年の乱入に、酔っ払い賭博場は否が応でも盛り上がる。白髭の爺さんが、リエに骰子を握らせる。 「好」 そうなればもう、リエの独壇場。 「さあとくと仕上げをごろうじろ、乗るか反るか丁か半かの大博打、」 骰子が一度、高く宙に舞う。リエのもう片手が素早く篭を取る。 「泣いても笑っても一発勝負!」 ジャラ、と軽快な音立てて、骰子が篭に呑まれて場に押し当てられる。 丁か半か、賑やかな言葉飛び交う賭博の場で、鰍はちょっと瞬く。リエが壷篭を手慣れた様子で振ったその時、繊細そうな指先が鮮やかに翻って、―― (ま、気のせいだよな) ジョッキを勢いつけてあおる。賭博の輪に混ざったならば、と躊躇いなく声をあげる。 「いっちょ勝負! 半だ半!」 胡麻油の香りも高い青菜炒め。海老烏賊帆立、筍に玉葱人参絹さやえんどう、新鮮な海と山の幸の甘さをまとめるのは、風味が楽しい黒酢餡。白身魚の唐揚には辛くて旨い葱油をたっぷりと。葱と韮の鶏がらスープ。甘い香りの真白な杏仁豆腐を飾るのは、クコの実の紅色。 理比古は灰銀の眼を輝かせる。店主から丼いっぱいの白いご飯が出される。ありがとうございますと受け取って、伸びた背筋をますます正し、頂きますと祈るように手を合わせる。 「燕の巣はまた今度な」 店主に鳥の唐揚が大量に載った大皿渡され、檸於は何度も頷いた。 「飯に合うものは酒にも合うよな」 唐揚の皿とジョッキを片手ずつに持ち、理比古の隣に陣取る。 「おっさん、マンゴープリンとアップルパイくれ」 杏仁豆腐の皿を取りながら、ベルゼがいかつい蝙蝠の顔に似合わない甘味ばかりを注文する。 「……何だよ」 檸於が意外そうな顔で見ているのに気付いて、ベルゼは刀傷の走る鼻の頭に皺を寄せた。牙の覗く口に含ませる酒は林檎の果実酒。 「頂きます」 鋭い爪と厳ついリングに飾られた手が、丁寧に合わせられる。 「ごめん、肉食かと思ってた」 「俺はフルーツバットだコノヤロウ」 ベルゼは茶色の眼を細めて凄んで見せる。けれど杏仁豆腐を口にした途端、猫のような艶やかな尻尾がご機嫌に揺れる。匙を箸に持ち替えて、手を出すのは青菜炒めに色とりどりの野菜の蒸し物、肉を含まない野菜料理ばかり。 箸の使い方も上手いよね、と理比古が穏かに笑む。 「目付け役がうるせェんだよ」 父親に対するような不満を露わにするベルゼに、理比古は柔らかく笑んで返す。その理比古の箸使いを横目で見て、ベルゼはキシシと笑う。 「おまえも、怖い目付け役でも居るのかァ?」 「躾とか厳しそうだ」 背筋正して膝揃え、端正な佇まいで食事する理比古の横で、檸於は唐揚にかぶりつく。ジュッと飛び出す熱い肉汁に美味しい悲鳴をあげて、冷たい樽酒を一気呑み。 「昔は厳しかった、かな?」 曖昧に微笑んで、理比古は食事に戻る。細身の体のどこにそれほど入るのか、カウンターに並ぶ皿が綺麗に空となっていく。優しげな顔に浮かぶのは、見ている者の食欲も増進させる至福の笑み。 「美味しく食べてもらえて嬉しいネ」 店員が空になった皿を下げ、新しい料理の皿を置く。ほんの少しだけ、困ったような顔をする。 「お兄さん、飢えたこと、あるカ?」 残すことなど考えられないほどに、理比古の前の皿の上には野菜の欠片も残っていない。 店員の言葉に、理比古は僅かに眼を伏せる。幼く見える横顔に暗い影が浮かんで、けれど次の瞬間には朗らかに笑む。 「食べられるのって、すごくすごく、幸せだよね」 理比古の笑みに、店員は救われたような眼をする。 「そうネ、幸せ」 嫌なこと聞いちゃったカ、と詫びても、理比古は静かに微笑むばかり。 「今はね、美味しいご飯作ってくれる人も居るんだ」 理比古の言葉に、店員は何故かポッと頬を染める。 「そう言えば、旦那とはお腹空いたの時にご飯貰ったから、結婚したのヨ」 今回解決した事件でもネ、と胸張って話し始めようとする店員の背後に幾つもの人影が迫る。 「だめだめ、長くなるヨ、この子の話」 「お兄さんたちのお話聞きたいヨ」 「酒盛りのサカナは他人の恋愛ネ」 きゃあきゃあ言いながら店員を羽交い絞めにしたのは、店内の卓で呑んでいた妙齢のお姐さんたち。酒瓶片手にカウンターに椅子を持ち寄り、男性陣の隙間にぐいぐい押し込んで席を作ってしまう。 「さぁさ、聞かせて」 ベルゼの空いたコップに花梨酒を注ぎ、檸於の空に近いジョッキの横に新しいジョッキを置く。 「お兄さんは米食べてるからお茶ネ?」 理比古には、カウンターの上に置かれた薬缶入りの冷えたプーアル茶を出す。 恋愛話恋愛話、と酔っ払った姐さん方に迫られ、まず口を開いたのは、檸於。 「彼女、居るんだけど」 「リア充め」 壱番世界の『風俗』にハマっているベルゼが鋭いツッコミを吐く。 「アラ羨まし。どんな子?」 「……美人」 酒のせいか照れのせいか、頬染めて檸於が応えれば、姐さんたちはキャア、と騒がしい歓声をあげた。 「かーわいい! かっわいいネお兄さん!」 「幸せイッパイ?」 身を乗り出して訊ねられ、檸於はちょっと首を傾げる。 「そろそろ、就職の時期でお互いに忙しくなってきてて」 今までみたいに会えなくなること。そのために自分はちょっと不安だけど彼女はそうでもなさそうなこと。酒に口をつけながら、ぽつぽつと話す言葉をサカナに、姐さんたちは酒を呑む。 「ンだよ、結局相思相愛なんじゃねェかよ?」 ケ、とやさぐれベルゼが冷静なツッコミを再度入れる。まあまあ、と傍の姐さんが宥めるように空いたカップに林檎酒をお酌する。 「恋愛かあ」 丼いっぱいのご飯もおかずも杏仁豆腐も旺盛な食欲で完食し、ごちそうさまでした、と手を合わせてから、理比古が会話に加わる。 「憧れるけど、……」 食後のお茶を飲みながら、どこか色っぽい溜息を吐く。 「多分俺はお見合い結婚だろうなー」 数百年の歴史を持つ旧家の現当主となってしまった今となっては、恋愛など出来るべくもない。然るべき血筋から然るべき花嫁を迎え、間違いのない跡取りを。蓮見沢関連の人々から望まれていることは、少なくとも結婚に関してはそうなのだろう。 「お見合いってのも憧れるかな」 理比古の背後を知らない檸於がうっかり口を滑らせて、 「何ヨ、彼女がありながら」 「贅沢ヨ贅沢! キィ!」 姐さんたちに叱られた。 「だって未知の世界だし!」 言い訳じみて弁解するも、 「美人なんでショ、相思相愛でショ?」 「ノロケ!」 女性に絡まれては勝てっこない。いい具合に酔いが回ってきたこともあり、ごめんなさいと涙目で謝らせられる羽目になる。 「お見合いでもきっと良い子に出会えるヨ」 「うん、そうだよね」 酔っ払い姐さんに慰めるように背中を叩かれて、理比古は素直に頷く。 「いい子ネ。もっと食べるヨもっとお肉付けるヨ」 「ありがとうございます」 今はお腹いっぱいで、と差し出されるマンゴープリンをそっと遠慮する。でもまだまだ食べたいし、と思案顔をしているところに、 「いいもん食ってんなあ」 店外の賭け場から、鰍がひょいと顔覗かせた。 「はいナ、お届け!」 店内を巡っていた店員が素早く反応する。店主が次々とカウンターに置く料理の皿を幾つか持ち上げる。 店員を手伝って、理比古は大皿を抱えて立ち上がる。少し運動してお腹を空かせて、また何か頂こう。たくさん食べられる割に、この体は驚くほど燃費が悪い。少し動けば、きっとすぐにお腹は減る。 (そうしたら何を食べようかなあ) 足取りは明るく、軽い。 外は鉄火場だった。 「イイ大人が雁首揃えてさっきまでの威勢はどうした」 リエの、いっそ気持ちのいいくらいの啖呵が響く。長椅子にのびている者、石畳の隅にうずくまる者、卓に突っ伏す者。呑み過ぎた酔っ払いが死屍累々。 酒瓶抱えた白髪の老人が難しい顔で伏せられた壷篭を睨み、丁半悩む。胡麻塩頭の親父が頭抱えて沈思黙考する。負け続けて酒煽らされ続け、顔を真っ赤にした鰍が、 「やっぱ上手くいかねえなあ」 素人と言う事もあってのツキの回らなさにボヤいて場を引き下がる。 「びびって干上がってやがんのか」 それでも、リエの威勢のいい独壇場を見ているのは楽しい。椅子を後ろに引いて、冷やかしに回る。 「さあさ片っ端からかかってこい、まとめて相手してやるぜ!」 生き生きとした張りのある掛け声につられて、他の卓で飲み食いしていた何人かが賭博の輪に混ざってくる。 「おっさんおっさん」 そのうちの一人を捕まえ、鰍は人懐っこく乾杯の仕種をする。はいよ、と乾杯に応えた男が隣に座ったのをいいことに、 「おっさんも探偵さん?」 酔っ払いの顔をニッカリ笑ませる。男の返事を待たずに始まるのは、 「俺も探偵やってるんだけどさあ、探偵の仕事が来ねえのよ」 仕事の愚痴に、 「でな、血の繋がらない家族と同居生活なんだけどさ」 全く関連性なく同居人の話。合間に酒をあおる。理比古と店員が持って来てくれた大皿料理を摘む。 「弟みたいでかっわいいのよこれがまた!」 「うちの娘も可愛いぞ」 とても良い笑顔で同居人自慢をする鰍につられて、酔っ払いおっさんが無闇やたらに胸を張る。 「俺んちのが可愛いっての!」 「いーや! うちの娘だ!」 「んだとコラ!」 「やるかコラ!」 二人揃って椅子を蹴立てて立ち上がる。服の袖を捲り上げ、椅子に片足乗せて喧嘩の構え。飛びかかって互いに頭突き。鰍の膝蹴りが男の腹に痛烈ヒット、男の拳が鰍の肩にガツリとアタック。揃って横の賭博卓へと転げ込む。 「あ、コラてめぇら!」 鰍と男はなりふり構わず取っ組み合っての大喧嘩。壷篭が宙を舞い、骰子が、酒の入った盃が、石畳に転げ落ちる。リエが怒鳴る。負け越しそうだった胡麻塩頭の男が快哉を叫ぶ。白髪の爺さんが笑う。 「盛り上がってンなァ」 ベルゼが店内からへらへら笑いながら出て来る。手に持っているのは、持ち込んだ得意楽器のアコーディオン。たちまち賑やかな喧嘩にぴったりの陽気な音色を奏で始める。 「ンだてめェ! かかってこーい!」 喧嘩の熱気と陽気な音楽に煽られて、野次馬をしていた男がベルゼに喧嘩を押し売る。ベルゼは茶色の眼を剣呑に、楽しげに細めた。アコーディオンを奏でるまま、男に近付く。 鍵盤に指が走る。同時に男の足元をベルゼの足がさらう。 ものの見事に男は転んだ。音色に一切の乱れなく、ベルゼは男の傍を離れる。別の野次馬から拍手と指笛を浴びせられ、思わずキシシと照れ笑い。 「アンコール受け付けるゼ!」 陽気な音楽が流れるうちに、鰍と男の喧嘩は収まっている。それどころか、 「なー、どっちも可愛いよな!」 「そのうち会わせてくれよな!」 和解し、肩を組んで笑いあっている。 「ぶちこわしじゃねェかよ」 ひっくり返った卓を元に戻し、リエは息を吐く。賭け事に夢中になって周囲を忘れた。昔ならこんなことはなかったのに、長いロストナンバー暮らしのうちに警戒心が鈍ったか。それとも悪意渦巻くインヤンガイの癖してどこか温いこの場の空気に流されたか。 (賭け事に夢中になってるジジイ共から財布掏るのもお手の物だったのによ) 「酒くれ酒!」 起こした椅子に、どかりと片膝たてて腰下ろす。店内向けて怒鳴る。迫力ある声の主を大人と勘違いしたのか、店員が酒瓶片手に飛んでくる。 「はいナ、お待たせ、」 リエが無言で空の碗を差し出せば、店員はめッ、とまるきり子供扱いの仕種でリエを叱った。 「子供は駄目ヨ」 酔っ払い姐さんたちに絡まれ疲れた檸於が店外に出て来る。そうそう、と店員の言葉に続ける。 「子供が酒飲むのは良くない」 あのな、とリエは檸於を睨む。餓鬼扱いすんなっつの、と呟く。 「……日本人で言うと昭和初期の生まれだぜ」 「ってすげぇ年上!? すんませんリエさん!」 今の今まで年下だと思っていた分、衝撃は大きかった。思わず腰をふたつに折って頭を下げる。 「兄ちゃんも酒呑むかー」 「子供に無理強いはよくないんじゃねえの?」 理比古の腕を掴んで酒を勧める爺さんの肩を、鰍が笑みまじりに叩く。 「呑ませるなら、ホラあっち」 示すのは、意気投合した野次馬に囲まれお酌され、絶好調にご機嫌ホロ酔いのベルゼ。黒い尻尾がゆらゆらと揺れている。 「あ、成人はしてるよ」 爺さんの手をどかせながら、あどけないような仕種で、理比古は首を横に振る。 「え、そうなの?」 「うん、三十五歳」 さんじゅうご、と鰍は鸚鵡返しに呟く。 「って大分年上!?」 横で聞いていた檸於が何だか衝撃を受けている。おっとりとした理比古の顔は、下手すれば十代後半にも見える。檸於は二十一の自分と大体同い年くらいかと思っていたらしい。 鰍は目を泳がせる。ロストナンバーとなり、子供の姿のまま加齢の止まったリエを見、とんでもなく童顔な理比古を見る。 「……ごめん、俺が最年長だと思ってた」 思わず素直に謝った。 「ううん、全然構わない」 それよりも、と理比古は店外の開けた場所で酔拳に興じる老人たちへ目を遣る。 「すごいねえ、あのおじいちゃんたち」 ゆらゆらり、不規則に動く腕に足、片手には一升瓶。千鳥足から思いがけないタイミングで放たれるへなちょこキックにへろへろパンチ。時折酒をあおるのも忘れない。酒呑んだ次の瞬間の拳だけ、妙に鋭さが増す。 「おー」 爺さんたちの一連の動きを目で追って、鰍はよっし、と両手を打ち合わせる。 「爺さん、俺ともやってくれよ!」 嬉々として酔拳爺さんたちの輪に混ざりこむ。何せこちらも酔っ払い。 「あ、俺も! 俺も酔拳マスター!」 リエの迫力に押され気味だった檸於も一緒に混ざる。こちらは現代っ子、覚醒までは殴り合いなどした事がなかった。 「多少は動けるようになりたいよな!」 自称酔拳の達人な爺さんと婆さんが、若いの二人をホイホイと囲む。まずは一礼。へらりと皆で笑み交わし、奇妙な踊りにも似た組み手を始める。 檸於は婆さんのふらふら動きについ目がつられる。動きもつられる。よろめく振りして思いがけぬ位置に回った婆さんの、思わぬ位置からのへなちょこキックに尻をぶたれる。 鰍は爺さんの張り手を素早くしゃがんで避ける。酔いが回って足元が覚束ないながら、敏捷な足払いを仕掛ける。爺さんはそれをまともに受けた。仰向けに倒れる。鰍はうろたえる。慌てて駆け寄れば、倒れても無傷な爺さんが放つ駄々っ子パンチとキックに滅多打ちにされた。 「そりゃないぜ、爺さん!」 ばしばしと打たれながら、鰍は声を上げて笑う。 「すごいなあ」 自称酔拳を眺めながら、理比古は心底感心した溜息を吐く。俺もお酒飲んだらあんな風になれるのかなー、と首傾げる理比古の目の前に、 「兄ちゃん、やっぱり飲むか?」 酔っ払い爺が酒の盃を差し出す。勧められるまま、ほんの一舐め。 「旨いだろ」 「うん、美味しいねえ」 ふうわり、頬に朱が差す。にこにこくすくす、唇に眼に、笑みが溢れ出す。わあい、とばかりに酒を勧めた爺さんに抱きつく。 「俺、おじいちゃんおばあちゃんって会ったことがないから、何か嬉しいな」 孫に抱きつかれたように笑う爺さんの肩にしがみついて、理比古は笑い続ける。 「肩、叩いてもいいですか?」 ちょっと不器用な甘え方に、爺さんはめろめろになった。目尻下げて大きく頷く。 「……酔っ払い共が」 リエは片胡坐の膝に肘ついて、仏頂面で酔っ払いの大騒ぎを眺める。 「おう」 ふと胡麻塩頭の男がリエの肩を小突いた。 「んだよ」 頭を上げ、視線鋭く睨む。目の前にリエの使っていた骰子が突きつけられる。さっき卓がひっくり返った時に拾ったのだろう。 「お前、すり替えたな?」 男が問う。 「イカサマだな」 白髪の老人が断定する。リエに騙され続けていた男たちが怒気も露わに立ち上がる。リエは自分を囲む男たちに壮絶な流し目をくれた。骰子がリエの胸元に叩き付けられる。 リエはその骰子を片手で受け取る。手が素早く翻る。 「それがどうした」 男たちに示されたリエの華奢な指には、リエの骰子と、元々使われていた骰子が挟まれている。 「イカサマの芸のうち」 強気な笑みが少年の滑らかな頬に浮かぶ。開き直って堂々たる啖呵を切る。 「文句あンなら種も仕掛けもねえ一発勝負で運試しだ」 自分の骰子は懐に仕舞い、元々の骰子は指先で弾いて卓に転がる壷篭の中へと放り込む。今にも殴りかかって来そうな男たちを一人ひとり睨み返し、 「俺が敗けたら煮るなり焼くなり好きにしろ」 怖じた様子もなく更に挑発する。 取り出したのは何時の時代のものか、銅色の古銭。調べたいなら調べろよと卓の上へと古銭を叩き付ける。 細い鎖骨が覗くほど寛げた人民服の胸に提げた勾玉を外す。それも卓に置く。 「お袋の形見の勾玉だ」 勾玉に指先を触れさせたまま低く言う。覚悟の証、と。 「俺が外したら質に入れるなり好きにしろ」 軽い口調と、軽く笑んだ口許、けれど黄金の眼の奥底には真剣な光。 「行くぜ」 指先が古銭の銅を高く宙に翻えさせる。古銭がリエの手の甲に受け止められる、――その直前。 「わー?」 「ぅわッ?!」 「ちょッ、危なッ?!」 幾つもの声が飛び込んで来た。声と共、何人分もの体が塊になってリエを、リエを囲む男たちごと盛大に吹っ飛ばす。卓がひっくり返る。酒瓶抱えた爺さんが意外な身軽さでひょいとその場を飛び退く。軽業師じみたその動きに、ベルゼやベルゼにお酌していた野次馬たちが思わず拍手喝采する。爺さんが得意げに両手を広げる。それはともかく。 「何すんだコラ!」 「重い!」 殺伐とした賭けの卓は、一瞬にして男たちが折り重なって倒れる阿鼻叫喚の場と化した。 「はいよ、ごめんよ」 悪びれもせずに鰍が立ち上がる。酔拳爺さんのへろへろ拳を避けてコケる振りすると同時、まとめて巻き添えにした理比古と檸於の腕を掴んで立ち上がらせる。酔っ払いな理比古は楽しげにくすくすと笑うばかり。動いて酔いの回った檸於は、 「……酔拳ってホントに酔ってやるもんだっけ?」 あれ?、と呑気な声でふらふらしている。もう一度倒れ込みそうになる。 「うわヤメロって!」 「何だってんだチキショウめ!」 倒れ込んで起き上がれない男たちから情けない悲鳴があがる。立ち上がろうともがいて暴れて、ますます起き上がれなくなる。 転倒する男たちに突き飛ばされ、石畳に尻をついた格好のまま、リエは呆然と目を見開く。咄嗟に掌に握り締めていた形見の勾玉を見下ろして、瞬きする。 「ッあ、」 どさくさにまぎれて古銭は行方不明。真剣勝負な賭けはあっけなくぶち壊された。 「てめぇら!」 跳ねるように立ち上がり、リエは鰍たちを怒鳴りつける。 「こっちは真剣――」 続けようとして、やめる。 足元で堪えきれないような笑い声が零れだしている。地に転がったまま、ついさっきまで怒り狂っていた男たちが次々と大声で笑い出す。笑って力が抜けたのか、その場に起き上がり、座り込み、とうとう腹まで抱えてみんなで大笑いする始末。皆を転がした張本人の鰍や檸於、理比古も笑い出す。アコーディオン鳴らしてベルゼがキシシと笑い、店員や姐さんたちが歓声あげる。何事かと厨房から出て来た店主が訳もわからず豪快な笑い声を上げる。自称酔拳の達人爺婆が不思議な動きをしながら朗らかに笑う。 怒りどころを失って、リエはしばらく不貞腐れる。そのうち、肩の力が抜けたように小さく小さく、笑った。 「おう、今度は麻雀やろうぜ」 笑いこけて毒気が飛んだのか、一番に険しい顔をしていた胡麻塩頭の男がリエの黒髪の頭を乱暴に撫でる。 「だから餓鬼扱いすんなっつの」 「次はイカサマはナシな」 おどけた調子で言う男に、リエは唇を歪める。笑い返す。 「さあな」 頃合と見たか、店員が、ガアンと巨大中華鍋を鉄製おたまでブッ叩いた。 「宴もたけなわ、今日はここらでお開きヨ!」 店員の言葉に、夢から覚めたように酔っ払いたちが動き出す。石畳や卓に突っ伏して動けない仲間をそれぞれに担ぎ上げ、動ける者は卓の片付けに回る。酒瓶集める者、空の皿を集める者、残った料理を持ち帰り用の皿にまとめる者。界隈の住人たちにとって、この店での酒盛りは慣れたものらしい。 店主店員に礼を言って千鳥足で歩いて行くご機嫌爺さんたちは、ハシゴする酒場の相談をしている。 「昔に帰ったみたいで楽しかったぜ」 「楽しんで貰えて何よりヨ」 リエに声掛けられ、店員は満面の笑みを浮かべる。一杯どうぞヨ、と差し出されたのは、硝子碗入りの冷たい花茶。ふうわりと甘い香りが鼻をくすぐる。 「いいけどよ」 小さくごちながらも、喉を潤す。 「これ、桃色髪の兄さんが拾ってくれてたヨ」 碗持つ手とは反対の手に掴まされたのは、さっきのどさくさで無くしたかと思っていた古銭。リエは瞬く。その眼に何処か静かな笑みが湧き出す。 「……悪くねェ味だ」 「それはどうもネ」 肩すくめ、くすくすと笑う店員にも、ちらりとほんの一瞬、その笑みを向ける。硝子碗を返して立ち上がる。 「さあて、どうしたもんか」 長椅子に腰掛け、壁に背中預けて、理比古はちび蝙蝠を胸に抱き、健やかな寝息を立てている。襟元から寝惚け眼で顔を覗かせているぷるぷるした物体は、セクタンの輪廻だ。酒宴の最中はずっとそこで眠っていたらしい。 その傍で横になり、何事か喋っているのは鰍。ついさっきまで明るい声で笑っていたはずなのに、糸が切れたようにぱたりと眠ってしまったようだ。 耳を澄ませば、 「まどかー、ひずみー」 幸せな寝言であるのがわかる。子狐型セクタンのホリさんが薄桃色の髪を引っ張っても頬をつねっても、起き出す気配はない。 ベルゼは笑いながら、ホリさんと一緒になって鰍の背中を叩いたり肩を突いたりしている。 「俺はもう駄目です……このまま異世界の土と果てるんだ……」 檸於は石畳にへたりこみ、呻き声をあげている。肩ではぷる太がぷるぷるしている。 「起きやがれ」 リエが足踏み鳴らして喚いても、立ち上がる者はいない。 「俺はいいからリエさんは先に行ってくれ……!」 檸於が微妙に格好いい台詞を吐くが、リエには分かる。酔って足腰立たず、動けないだけだ。 「明日はきっと二日酔いで頭痛ガンガンネ」 店員がお気楽に笑っている。 「こンの酔っ払い共が!」 リエの怒鳴り声が酒菜集市界隈に響き渡る。 終
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