もふりもふり、と雲の上を走り、ウサギの姿をしたアニモフ・エニーラは同じ姿をした友達に駆け寄った。 この大きな雲はエニーラ達の住む島に数日前から引っ付いているものだ。程よいもふもふ感で、上にも乗れるため皆がよく集まって遊んでいる。「おはようー! あれ、なんの話をしてるのー?」 友人達は何かを熱心に話しているようだった。 エニーラの親友であるユッキがぴこっと耳を動かして答える。「あのねあのねー、恋のお話っ」「こいー?」「うん。こないだ来た旅人さんがね、すごく綺麗だったの。それで綺麗な理由を聞いたらね……」 ぐぐ、っと間を空けてもったいぶり、ユッキは重大発表でもするかのような動きで言った。「恋をしているからなんだって!」「えええ~!」 驚きの声を上げ、エニーラは本当なの?っと他の友人達にも確認する。 友人達は同時に頷いた。「あたしも聞いたもん」「すごくビジンさんだったよー」 へえー、と感心するエニーラ。 しかし疑問が浮かぶ。「でもさ、恋ってどうやるんだろう?」 しーん。 辺りが静まり返り、変なこと言ったかな、とエニーラが耳を倒す。「知らないのー!? あのね、時には甘酸っぱくて、たまーに苦いものだよ!」「ど、どういうものかは知ってるようっ」 じゃあこうしよう、とユッキが提案する。「ここに旅人さんを招待して、恋のお話を聞くの!」「いいねー、お菓子とか持ち寄ろうよ!」「じゃあ私は蜂蜜もってくるー♪」「ぼくはキャンディー!」 盛り上がるアニモフ達。 斯くして、雲の上でのコイバナ大会(お菓子もあるよ!)が計画されたのだった。
麗かな日差しの中、色んなお菓子を持ち寄ったアニモフ達は大きな雲の上でロストナンバー達の到着を待っていた。 「今日はどんな話を聞けるかなあ」 「忘れないよーに、帰ったら日記帳に書いておかなくちゃ~!」 わくわくとした雰囲気が辺り一帯を包んでいる。 ここでアニモフ達が興味津々な「コイバナ」を聞けるまで、あと少しだ。 ●こいのおはなし 「ここが雲の上……?」 ミトサアに誘われて参加したコレットは、少しドキドキと高鳴る胸を押さえて辺りを見回す。 今日はここへ恋の話をしにきたのだ。その手の話を誰かと話す、という経験があまり無いコレットは少し緊張気味だった。 「コレット、見て! あっちに居るのが例のアニモフじゃないかな?」 ミトサアの指差した先には、雲を枕代わりにして寝転がっているウサギ型アニモフ達の姿。 すでにお菓子を頬張りつつ、ロストナンバーの到着を待っている様子だ。 「アニモフさん達、こんにちはー!」 黒燐がそう言って片手を振ると、アニモフは長い耳をピクッと動かし、こちらを見るや否や嬉しげな声を上げた。 「やったぁ、来てくれたぁ!」 「いらっしゃい~!」 小さな手がロストナンバー達の手や袖や裾を引っ張る。 その顔すべてに笑みが浮かんでいた。 「私、エニーラ! ずっと待ってたんだよ、早くこっちに座って座ってっ!」 「本当ニ楽シミニシテイタンダネ……♪」 つられて笑いながら、幽太郎・AHI-MD/01Pが雲の上に腰を下ろす。雲はふわふわとしていたが、良い座り心地をしている。 そんな中、坂上 健だけが立ったまま辺りを見回していた。 「あれ……司書のところには居たと思ったのに……参加、してなかったんだなぁ」 想い人の姿を見かけたのだが、その人の姿はここには無かった。 口の中だけで小さく呟き、健は頭をぽりぽりと掻く。 「まぁいっか……久しぶりにモフりたかったしな」 それに他の者の恋の話も聞けるのだ。何か今後の役に立つかもしれない。 「よーし、全員集まったっ! それじゃあコイバナ大会、開始だよー♪」 アニモフのユッキが元気な声でそう言い、コイバナ大会の幕が開かれた。 初めは黒燐からだった。 先ほどまでミトサア、ベルゼ、一一 一と話していた黒燐は少し緊張し、深呼吸をする。 ちなみに一とベルゼとは正月のブルーインブルーで、ミトサアとはとある寺で出会った仲だ。 「……これは僕が黒燐じゃなかった頃のお話。鉱物の都・西都にて」 こほん、と咳払いをし、話し始める。 「あれっ、じゃあ別に本名があるのかな」 「僕は黒燐だよ?」 何てことない事に答えるように黒燐は言い、続きを言いに口を開く。 「僕ね、用事があって、北都って所から西都に引っ越したんだ」 黒燐はある研究のために住み慣れた土地から別の土地へと移った。 そこである人物――茶トラ猫の獣人、白銀桃香と出会ったのだ。 「もう、顔も朧気にしか覚えてないけれどね」 出会った当時、桃香は十五歳。その後桃香の弟や妹と仲良くなり、桃香とも親しくなることになるのだが、黒燐は出会ったその時に桃香に一目惚れをした。 一目惚れ、という単語を聞いてユッキらが少し色めき立つ。 「ねえねえ、告白はしたのっ?」 ドキドキした様子で聞くユッキに黒燐は首を横に振る。 「告白はしなかったよ。彼女は僕が年上なことを知っていたけれど……それでも」 ここで詳しく語ることはしないが、障害が大きすぎてどうしようもなかったのだ。 黒燐は西都に十年居たが、その間その類の話はずっとしてこなかった。 「そうこうしてる間にまたお引っ越しの時期が来ちゃって、今度は南都に行ったんだ」 「桃香さんは……?」 「南都に来てしばらく……二年くらいかな、それくらい経ってから結婚したってお知らせが来たよ」 感情移入していたのだろうか、エニーラがうるうると瞳を潤ませる。 「それでね、用事が全て終わった後、会いに行ったの」 「会いに……!?」 「うん、けれどその時彼女は五十七歳で……もう孫が居たの。でもね」 黒燐は耳を垂らしているエニーラの頭を撫でて言った。 「彼女は彼女のままだったよ。歳はとっていたけれど、僕が恋した、彼女のまま」 何年経っても、何十年経っても、桃香は記憶の中の桃香のままだった。 好きになった部分もすべてそのままに。 「好きになった人が変わらないでいてくれるって、すてき~!」 「切ないけど、あたし達もそういう恋をしたいなあ」 聞き終わったアニモフ達は互いに感想を言い合い、きゃあきゃあと話を反芻していた。 僕のお話はこれでおしまいっ! っと黒燐は明るく言って手を叩く。 「次の人は誰かな? 僕もうわくわくしてきたよ」 「ん、それじゃあ……」 ディル・ラヴィーンが片手を上げた。 「わー、今度はディルさんか~!」 「俺だって、こう見えて恋の経験あるんだぜ?」 アニモフ達を見て可愛いもの好きのディルは顔を綻ばせる。 好きなお菓子も多くあり、コイバナは少し恥ずかしいがとても良い場所だ、とディルは感じていた。 「まず、想い人……フィオレって言う女の子なんだけどな」 アニモフが用意してくれたオレンジジュースを一口啜り、ディルは一拍間をおいてから話し始める。 「俺がバイトしている花屋での先輩にあたる人なんだ」 「花屋さん?」 ユッキがきょとんとする。 花屋のバイトはディルが故郷に居た頃にしていたものだが、ユッキはなぜディルがその職を選んだのか気になったらしい。 それを聞かれ、ディルは少し言うのを渋ったが、小さな声でこう答えた。 「わ、笑うなよっ? 植物が好きだから花屋でバイトしようと思ったんだ」 「なーるほど! あたしがお菓子屋さんをしたいのと一緒だね♪」 納得したようにはしゃぐユッキを見、ディルは少しほっとする。 「それで、その娘は俺より一つ年下なんだが……」 「うん」 「なんというか、優しくて、可愛いらしくて、白い毛並みも綺麗で……」 「うんうんっ」 「都会に来たばかりで世間しらずな俺にも優しく接してくれて……都会の事とか色々な事を教えてくれた」 「うんうむぎゅっ」 「毛並み、ってことは僕らと同じよーな姿をしてたの?」 熱心に耳を傾けていたエニーラの頭に両手と顔をのせ、アニモフの男の子がそう訊ねる。 「ああ、言い忘れていたが彼女は猫の獣人なんだ。姿形はさすがに似ていないが、毛色はお前達に近いな」 「わー、親近感!」 どいてよー、とエニーラが男の子をどかし、ディルに話の続きをせがむ。 「まあその……一緒に働いてる内に、惚れてしまったというか……恋をしてしまったというか……」 初めの内に感じた不思議な気持ちを思い返す。 その気持ちはディルにとってとても不慣れなもので、何が原因でそうなっているのかさえ最初は分からなかった。 それでも気持ちは日々大きくなり、フィオレを見るだけで自然と胸が高鳴りだした。 「それで友達にも相談したんだ。そうしたら何て言われたと思う?」 「んー……あっ! 恋でしょっ!?」 正解だ、とディルは少し赤面しながら言う。 「ま、俺のコイバナはこんな感じだな」 そう言ってディルは話を締めた。 一度休憩を挟み、次の話が開始されたのは十分後だった。 「ねーねー、そっちのおねーさんはコイバナないの?」 アニモフの男の子がミトサアを見て言った。女性のコイバナも聞きたくなったのだろうか。 瞳を輝かせるアニモフを見て、ミトサアは少しもじもじしてから「彼」を思い浮かべ、話を始める。 「ボクの好きな人はね、コロッセオってところによく居て……そして凄くニブい人なんだ」 「ニブいの?」 「もうすっごくね!」 そこに多少の不満はあるが、ミトサアは彼――リュカオスのことが好きだった。 何故好きになったのかと問われ、ミトサアはある人物の名前を口にする。 「真一郎に似ているところがあって……あ、真一郎っていうのはボクの恋人「だった」人だよ」 優しく、そして彼もまたニブい人だったが、それでも「ミトサアの涙を止めたい」「全部ちゃんとするから」と、彼女に対して本気で言ってくれた。 今はもう居ない彼だが、その顔はすぐに思い浮かべることが出来る。 「でも真一郎に似てるってだけじゃない。彼の真面目な所や、戦士として敬意を払える姿、時々見せる照れくさい表情を見てるのが好き」 しかし――今好きな彼に真一郎の面影をただ重ねているだけではないか、という迷いもあった。 そしてその迷いを更に加速させる悩みがある。 ミトサアはサイボーグである。いわば戦うための兵器といえる自分に、人を愛する資格があるのかどうか。 自分で考えてもなかなか答えが出ず、ミトサアはいつもそのことに頭を悩ませていた。 「おねーさん、その人のことが本当に好きなんだね。でも不安なことがあるの?」 ミトサアが一瞬見せた表情が気になったのか、アニモフの男の子がそう訊ねる。 「そうだね。不安だけど、それでも手探りで距離を縮めようとして……色々考えちゃうんだ」 たしかに不安はある。 しかし彼と距離を縮めたい、という気持ちは本物だ。 「ねえ、コレットはどう思う?」 ミトサアは隣に居たコレットにそう聞いてみる。 コレットはしばらく考え、ミトサアを真っ直ぐ見て答えた。 「あの人、あんまり恋とかには興味無さそうだけど、映画とかお茶とかに誘ってみたら、いつかは振り向いてくれるんじゃないかなあ……って思う」 映画館やカフェといった所に居る図がなかなか想像出来ない相手ではあるが、アピールをすることが大切なのかもしれない。 コレットは真剣な表情をふっと崩し、微笑みを向けた。 「諦めないのが大事なんじゃないかな」 「そう……だね。ボクはやっぱり彼が好きだし、ニブいのも彼の一部だと思って頑張ってみる」 なかなか進展しないのは事実だが、その過程を楽しみながら進んでゆくという余裕を持っても良いかもしれない。 早く実を結ぶ恋もあれば、ゆっくり時間をかけて実を結ぶ恋もあるのだから。 照れ笑いを浮かべたミトサアは、今度はコレットのコイバナについて話を振った。 「コレットは何か恋の話、ないの?」 「私の話かあ……」 ほんの少しだけ考え、間を空ける。 「……あんまり自分の考えが整理出来てないから、もしかしたら、よく話せないかもしれないけど」 でも、と続ける。 「もっともっとたくさんお話したい、って思っている人はいるの」 「それってやっぱりお姉ちゃんの好きな人っ!?」 じっと話を聞いていたユッキが聞く。コレットは彼女の頭をもふもふと撫で、そうかもしれないと答えた。 皆が自覚している「好き」とは、もしかしたらベクトルが違うかもしれないが。 「私、ずっと内緒にしてることがあるから……いつか自分の中で整理がついたら、その人にその話をしたいな」 「お姉ちゃんはその人が好きで、信頼してるんだね」 「そうね、すごく信頼してる。それで、その人も私に隠してることがあったら話してもらって……そうして、絆を深めていけたらいいなあ、って思ってるの」 この気持ちについては自分でもまだよく分からないが、絆を深めていけばその先に答えが見えることもある。 しかしそれを抜きにしたとしても、コレットはその人物とお互いの秘密を打ち明けていきたい……そう思っていた。 「……これは、恋なのかな。もしかしたら、みんなの言ってる恋とは違うかもしれない。けど、私にとっては、大事にしていきたい感情だと思ってるの」 「恋かどうかって、わかりにくいことなんだね……」 「でも大切にしていきたいって、あたしもわかるよー!」 「お姉ちゃん、それが恋なのかそうじゃないのか分かったら教えてねっ……!」 気になるのか必死なユッキに「うん、わかった」と言い、コレットは小さく笑う。 ここのアニモフ達は本当にこういう話が大好きなようだ。 「あれっ、ここに居たお兄さんは……わあっ!」 エニーラが驚いた声を上げる。近くに座っていた健の姿が見えなくなったと思ったら、向かいに居た隆にヘッドロックをかけに行っていたのだ。 「やっべぇ、今日俺虎ちゃんのコイバナ聞けちゃうと思ったら凄く楽しみになってきた~」 「ヘッドロックかけられたまま喋るなんて器用なこと出来ないぞ!?」 なんとかかけられる前に逃れ、隆はそう言う。正論である。 健は口を尖らせ、代わりと言わんばかりに近くのアニモフをわっしゃわっしゃと撫でた。 何ともワイルドな撫で方だったが、撫でられているアニモフは嬉しそうだ。 「じゃ~、虎ちゃんの前に俺が話そうかな。次は虎ちゃんな!」 「決められた!? ま、まあいいけど。そろそろ話そうと思ってたしな」 勢いで立ってしまった隆は再度座りなおし、健の話を聞く。 「まずはここに参加しようと思った理由だけれど……う~~ん。よく分からないから参加してみようと思った、っていうのが正しいかなぁ」 「よく分からない……恋のことか?」 黒城 旱がそう聞くと、健はこくりと頷いた。 「だからみんなの話、聞いてみたかったんだ。友情とか恋とか……その境目って、どこにあるんだろうって思ってさ」 「なかなかに青いねえ」 旱はどこか嬉しそうにくつくつと笑う。 経験豊富な彼から見ればからかい甲斐のある、しかし微笑ましい光景なのかもしれない。 健は頬を掻いて笑い、自分の心に引っ掛かっている人物について言った。 「年は聞いたことはないけど……酒飲んでるの見かけるから、俺より年上だと思う。殺し合いになったら、確実に俺より強いとも思けれど、なんかほっとけないというか、気になるというか、変なところで天然入ってるというか……」 なんか色々と言い表す言葉って出てくるものだな~、と健は少し照れくさくなった。 「……やっぱりこれは気になる、ってやつなのかなぁ」 「そ、それは絶対絶対ぜーったいにそうですよ! ねっ、黒燐さん!」 ハイテンションになっている一に同意を求められ、黒燐もうんうんと頷く。 健とはこれが初対面な一だったが、話だけ聞いていても確実に「健はその人のことが気になっている」と思えてしまう。 「ねえ、他にはありますっ?」 「ん~……笑ってて欲しいと思う、幸せであって欲しいとも思う……でも別に、俺が彼女の隣に居る必然とかは感じないんだよな」 「ええっ!? ずっと傍に居たいとか、自分だけのものにしたーい! とか思いません?」 「いや、相手が誰でもいいんだ、それであの人が幸せになるなら。泣いたりしないですむなら。突き詰めると……やっぱり気にかかる、の一言に尽きちゃうんだよな」 気にはなるし、笑顔でいてほしいとも思う。 しかし彼女を幸せにする人物が自分でなくとも、本当に幸せになるのなら良いと健は思っていた。 「恋愛の前段階なのか友情なのか、それが結局分からないんだ」 泣き顔だけは見たくない、というのは本当だ。 今自覚している気持ちや考えだけだと、これを恋と呼ぶべきか友情と呼ぶべきか判断出来なかった。 好きな相手が泣くのは辛い。 しかし友が泣くのもまた辛いのだ。 「急くことはねぇと思うがな。っと」 旱が煙草を吹かしかけ――場の雰囲気を思い出し、箱ごとポケットに戻しながら言う。 「時間が解決してくれるだろうよ。俺達の前には膨大な時間が用意されてるんだぜ」 「おじさんもそーいう恋の体験をしたの?」 素早く反応したのは旱ではなくユッキだった。 「きっとしてるよ、こんな渋いおじさまなんだよ!」 「……ユッキの基準がよくわかんない」 その様子を見て旱は笑い、アニモフらに問い掛ける。 「なあ、坊主達。お前達は恋ってやつをしたいか?」 「「「うん、したいっ!」」」 「満場一致か……。でも恋ってのはな、やろうと思ってやるモンじゃねぇんだ。たまたま出会った異性に心を掻き乱したその時、ようやく恋をしてるって状況が出来上がるんだぜ?」 「こ、心をかきみだしたとき?」 「そう。しかし、それは子孫を残すための本能みたいなモンでなあ……」 わざと残念そうな顔を作り、アニモフの男の子の背をぽんぽんと叩く。 「毛玉から生まれるお前さん達には、ンな恋は出来ねぇかもしれねぇな」 「えぇ~。僕らもしたいよう……おじさんの話も聞かせてっ、べんきょーするから!」 「……ま、そこまで言うなら教えてやるぜ。俺の恋の話ってヤツをな」 足を組みなおし、旱はアニモフらを見回して言った。 「そうだな……ま、俺の好きな女は世界中どこにでもいる。『この世の全ての女を愛してる』って言い換えてもいいな」 「すっ、すべての!?」 「あぁ、やっぱそれぞれ長所もありゃ短所もあるからな、そういうのひっくるめて愛しているって囁いてやるんだ」 想像したのかエニーラが赤くなった顔を手で覆う。 「具体的には……、そうだな。俺のいた世界の酒場で出会った女がいたんだ。彼女は長年の廃れた暮らしで、大分荒んでいた」 記憶を掘り起こし、酒場の彼女について話し始める。 最初こそ荒んだ印象の強かった彼女だったが、話していく内に優しくて人を思いやれるいい子だということがわかった。 旱はその部分に惹かれ、それと同時に恋をしたのだ。 「ま、そういう子にはその内、俺よりももっとその子を大切に思う相手なんかが出てきて、奪われちまうんだけどな」 「うう、なんで皆の話はこんなに切ないんですか……!」 いつの間にか一がうるうるしながら悶えていた。 叶わなかった恋というものには浪漫があるが、やはり切ないのだ。 しかし当の旱は澄ました顔でこんなことを言う。 「俺の恋なんてのは大体こんなモンだが、そこのコレットちゃんみたいに綺麗で優しいと、相手が恋に落ちるスピードも速かったりするかもな」 「ふふ、褒めてくれたの?」 笑うコレットに口の端を上げて返し、旱はまだ涙目な一の方に向き直った。 「泣いてくれるのは良いんだが、お嬢ちゃんのコイバナにも興味あるんだがなぁ」 「へ? ああっ! そうですよね!」 聞くばかりで話していなかったことを思い出し、一は思わず正座して話し始めた。 「好き、っていうか、憧れの人なんです」 聞いている時のハイテンションさとは違い、どこか昔を振り返って懐かしむような声だった。 「多分もう二度と会う事はないでしょうし、私はあの人のお名前も知りませんし、今どこで何をしているのかも判りません。でもその人は確かに、私のヒーローなんですよ」 「ヒーロー……何かから助けてもらったとか?」 隆が聞くと一は「そうです」と首を縦に振った。 名前も何も知らないが、今でも強烈な印象を残していて、過去の自分に多大な影響を与えた男の人。 その人は警察官をしており、一が幼い頃に巻き込まれたある事件で彼女を助けてくれた人物だった。 「怖くて怖くて、心細くて泣いてたんです。そんな私を見つけて、その人は「もう大丈夫だ」って笑いかけてくれました」 その笑顔にどれほど安堵したか、言葉で言い表すことはなかなか出来ない。 「かっこいい~……!」 エニーラが瞳をキラキラとさせて呟く。 「私もそう思います」 笑ってそう言い、一は少し恥ずかしそうにしながら言った。 「その人が居たから今の自分が在り、そしてその人が居るからこれからの自分が在る――そう思わせてくれたのが、私の好きな相手です」 そう言い終えた後、急激に恥ずかしくなったのか一はすくっと立ち上がり、次のコイバナを急かした。 「わ、私の話はこれでおしまいっ! 次いきましょう、次。あと話してないのは……」 「エット、僕ト隆ト、ベルゼ、ダネ」 幽太郎が人数を数えて答える。 「もう残り三人か、早いな。まぁ俺は健ちゃんの話を聞けて満足だけれど!」 隆がそう言った時、健が「あー!」っと声を上げた。 「そういえば虎ちゃんの話まだ聞いてないじゃん」 ついつい話に集中してしまっていたが、健は楽しみにしていた隆のコイバナをまだ聞いていない。 はやくはやくー、と隆の肩を揺らしながら急かす。 「じゃあ一やんの次は俺……っと、幽太郎は先の方が良い? 健ちゃんには我慢してもらって、俺は後回しでもいいけど」 「ア……僕ハアトデモイイ、ヨ。マダ心ノ準備ガ……」 隣に居るベルゼの方をちらちらと見つつ、幽太郎はそう返した。 「そうか? じゃあ次は俺からいこっかな。しかしどれから話そう……ヴォロスのフラン、花見の君、ブルーインブルーの褌祭りの子……」 うーん、と腕組みして考え込み、しばらくして隆は瞼を上げる。 「青梅要と、その妹の棗……なつめちゃん、かな」 「青少年は恋多き方が健康的でいいねえ」 なにやら旱が健と一緒ににやにやしながら言う。 隆は咳払いしてから話を続けた。 「まあ、何でだろーな? 何か好きになっちゃったんだよなあ。空気つーの? 一緒にいると楽しいし、気楽だし。とにかく好きなんだよ」 その分迷惑はかけてしまったが、隆にとって気楽に楽しく一緒に居れる相手だった。 しかしエニーラが頭に疑問符を浮かべている。 「恋ってひとりに対してするものじゃないの?」 「チッチッチッ、さっきの話でも全ての女を愛してるっていうのがあったろ? あれと同じで、他にも可愛い子を好きになるのは男として当然の習性だと……」 「……」 「……いや、いい加減なんじゃないんだって! 皆に楽しくいて欲しいっていう俺なりの心遣い?」 慌ててフォローを入れ、隆はズビシッとアニモフ達を指差した。 「お前らだって皆に優しくした方がいいだろ? それと同じ!」 「……なるほどー! これと同じなんだね!」 見ていたミトサアが「あとでちゃんと説明しなくっちゃ……」と眉間に皺を寄せる。 皆大好き愛してる、というアニモフ達というのも可愛くはあるだろうが。 「ふっ、俺は出会った娘にはすべからく恋をしちまう世界のツーリストなのさ……」 「みーんなを愛してるんだね?」 「ああ、実際みんな愛してるぞ!」 どーんと言い、隆は腰に手をあてる。 「まあ、色々とまだ早いんじゃねーかなー。まだ皆でバカやってたいし……あっちもそう思ってんじゃねぇの?」 「ま、ダチでいる期間も大事ではあるな」 旱がそう言って隆の言葉に頷いた。 「そうそう。あとさっきミトは悩んでたみたいだけどさー、まずはどんなタイプが好きかとか、そういうこと聞くのから始めても良いと思うぞ」 こっちもまだまだゆっくりとしたペースでやっていくんだから、そっちも肩の力を抜いていけば? と隆は言う。 「ただし怒りっぽいのは気をつけろー」 「わ、わかってるよ、もう!」 そう返しつつ、早速ちょっぴり熱くなっているミトサアだった。 「虎ちゃん虎ちゃん、こっちの世界で気になってる子とか居ないの?」 「ん? そうだなー。あ! アリッサ可愛いよアリッサ! 笑顔もだけど特にあの性格! 何か通じるものがある気がするんだよな」 「なるほど~、虎ちゃんは顔より性格重視ってことか」 「だってそういう子って一緒にいて退屈しなさそうだし? アリッサとはまた何か共謀したいね! うん、アリッサも大好きだ!」 と、こっそりと健が隆に耳打ちした。 「じゃあ性格重視な虎ちゃんに聞くけど、……胸は?」 隆は突然真顔になる。 「胸はある方がいいに決まってんじゃん!」 アニモフに聞かれたらとてつもなくアレな返答である。 「あっ、でもまあその辺は0世界怖いからオフレコな!」 「オフレコなの?」 「そうそう、オフレ……」 振り返った先に居たのはコレットだった。 そしてその隣にはミトサア、一といった女性陣。 「……今オフレコじゃなくなった。と、という訳でさらば!」 「あっ! 逃げたっ!」 何か言われる前にダッとダッシュして逃げる隆。そんな彼を追おうとした一をミトサアが肩を掴んで止める。 その顔は「あとでよーく言っておくから」という雰囲気を醸し出していた。 仕切りなおしとばかりに幽太郎がベルゼに言う。 「次、ベルゼ、ガ喋ル?」 「なんだ、そっちが最後になっちまうが良いのか?」 「ウン、先ニ出来ルナラ、ベルゼ、ノ話ヲ聞イテオキタイナ」 「そうか、俺の番かァ……そうだな……」 今まで皆の話をいつものニヤニヤ笑いを浮かべて聞いていたベルゼだったが、自分の番ともなると少し表情が落ち着いた。 「アイツは……ワードは、俺が描かれた頁の次に描かれた二人目の住民だ」 ベルゼは彼にとって馴染み深いワードという名を口にする。 「この俺が基になってるってだけあって、カタチは俺ソックリでな」 「双子さんみたいな感じ?」 「あぁ。違うトコと言えば、毛色が雪みてぇに真っ白な所と、無口な性格だってトコか。まるで光と影みてェにな……けど、仲は良かったんだぜ」 「仲良しさん、いいなぁ~」 ユッキがそう言いながらふにゃっとした表情を浮かべる。 「……俺の世界じゃ戦いがあってな」 しかしベルゼのこの言葉で耳がびくんと立ち上がった。 「せ、せんそう?」 「そうだ。その中で本に書かれたワードの頁が破けて、燃えちまったんだ」 ユッキは少し悲しそうな顔をして聞く。 「燃えちゃうとどうなるの?」 「本の頁から切り離されたワードは、魔力の供給を絶たれて消えちまった」 ワードはその時燃えカスだけ残して消えてしまった。 まるで最初からそこにそんな者は居らず、一緒に過ごした時間すら無かったかのように。 唯一の生きた証明とも言える燃えカスを前に、ベルゼはその時初めて泣いた。 「だってよ、初めて出来たトモダチだったんだぜ?」 消失は死と同意だ。 二度とまみえることは出来ないし、声も聞けない。触れることも出来ず、気持ちを伝える先すらない。 「そう思うと気が狂った。アイツが消えたコト、どうしても認められなかった」 「……今も?」 「勿論、今も認めてねェ」 ベルゼはアニモフらから視線を逸らし、荷物から一冊の本を取り出した。 まだ描き始めたばかりの真新しい本だ。 「認める必要もねェ、ワードは今、ここに居るんだからな」 「ここに……?」 見てみると、その本には燃えカスが挟まれていた。 「俺の物語は俺が描く、俺とワードの物語だ」 その言葉を聞き、ユッキはベルゼをじっと見た。そして何かに気付いて目を丸く見開く。 それに答えるようにベルゼは頷いた。 「ワードの頁は俺が蘇らせる。そうすればワードもきっと蘇るハズだ」 「またお喋りをいっぱいできるかもしれないんだねっ!」 「アイツは無口だから、お前らが期待してるほど話は弾まねぇとは思うがな」 「それでもまた会えるかもしれないって、すてきなことだよ!」 力説するユッキの隣で、またもや一がダパーっと涙を流していた。 そして一転、恋に恋する女の子の顔になる。 「いつか私もそこまで真摯に想える人に巡り会えたらなぁ……!」 言ってからキャー! っと顔を覆う。 これだけ積極的なら、そんな人物に巡り会うのも早いかもしれない。 「えっと、じゃあ最後は幽太郎さんかな?」 場の雰囲気にわくわくしっぱなしだった黒燐が幽太郎を見ると、幽太郎はガチガチに緊張していた。 しかしこれではダメだ、とブンブン首を振る。 「エット、エットネ」 思わず胸辺りを押さえつつ、向き直った先に居たのは――先ほど話を終えたばかりのベルゼだった。 「僕ハ、ベルゼ、ノ事ガ大好キ……Bar「軍法会議」デ初メテ出会ッタ頃カラ、ズット……」 そう搾り出すように幽太郎は言う。 ベルゼは元居た世界では「怖い人」だったと幽太郎は聞いているが、喋っていてそんな風に感じたことは一度もなかった。 とても優しい。そういう印象しかない。 「ベルゼ、ト、オ話シテイルトネ……トッテモ楽シク感ジルノ……」 そう言ってにこりと笑う。 ベルゼは自分に優しく接してくれる。もちろん他の仲間にだってそうだ。 幽太郎も周りの皆のことが大好きだったが、彼のことだけは特別だった。 だからこそこのモフトピアでのコイバナに参加すると聞いて、幽太郎はとても嬉しかった。 「デモ……」 しかし今、幽太郎は複雑な心境をしている。 ベルゼは元の世界に好きな人が居る、と、ここへ参加する前に知った。そして今回、その人の話をここでするということも。 (僕、彼ニハ幸セニナッテ欲シイッテ思ウ……) 少し黙り込み、ベルゼのことをじっと見る幽太郎。 彼の想い人に彼の気持ちが伝われば良いのに、と本気で思う一方で、なぜか胸に感じたことのない違和感を抱いていた。 黙って幽太郎の話を聞いているベルゼを見ているだけで、寂しいような悲しいような気持ちになる。 (……僕……オカシク、ナッチャッタノカナ……) 何かのエラーならぱ修理すればいい。 しかし、なぜかこれはいくら修理しても直る気がしなかった。 (彼ニハ好キナ人ガ居ル……ソレニ、僕ハ唯ノ機械……。……絶対二一緒二ナレル、ハズガ無イ……) わかってはいる。 (……ダケド……ダケド、ソレデモ……!) わかってはいるが、止まることは出来ない。 きっとここで何も言わないままでいれば、一生後悔することになってしまうだろう。 (拒絶サレタッテ構ワナイ! 僕ハ、ベルゼ、二告白スルンダ!) 気弱げだった目に光を宿らせ、幽太郎は改めてベルゼを真っ直ぐ見た。 「……僕……前カラ、ズット君ノ事ガ好キダッタンダ……。……ダカラ……アノ……。……僕ノ恋人ニナッテ下サイ!」 言い放った言葉に一が赤面して顔を覆い、アニモフ達はワッと黒燐やディルの手を握る。 ベルゼはしばらく黙り続けた後、口の端を持ち上げた。 「シャレたジョークだな、サブの入れ知恵かァ?」 茶化してみるも、幽太郎は真剣な顔をしている。 「……本気か?」 そうベルゼが確かめるように訊くと、幽太郎はゆっくりと頷いた。 ベルゼは少し低い、真面目な声で答える。 「やめときな、お前を災禍に巻き込む気はねェよ」 それ以上何も言うことなく、彼は幽太郎の肩を軽く叩いて駅へと先に帰っていった。 俯いて無言で佇む幽太郎へと涙目になったアニモフが一斉に抱きつく。どうやら慰めているつもりらしい。 「大丈夫、大丈夫ダヨ……」 一度ぎゅっと目を瞑った幽太郎はアニモフ達を順番に撫でる。 「僕、チャント、コウナルカモシレナイ覚悟ヲシテ、告白シタンダ」 光学迷彩で隠れたくなる気持ちを必死で抑え込み、幽太郎は少し寂しそうな笑みを浮かべて笑った。 こういった結果になってしまったが、またベルゼといつものように喋れることを願って。 ●おはなしのおしまい 隆が途中でちゃっかり帰ってきて、幽太郎らのことを聞くや否や彼の肩を抱いて慰めたり、残ったお菓子を皆で分け合ったり、ミトサアがリュカオスを誘う方法を練っている間に時間は経ち、いつの間にやら日没寸前となっていた。 「今日はごっそさん!」 「これ、残ったやつは自由に飲んで良いからな~」 健が半分ほど残ったサイダーをアニモフに差し出す。パチパチとした飲み心地はアニモフ達にも好評だった。 「恋のこと、少しは参考になった?」 しゃがんでエニーラに問うコレット。エニーラは「うんっ」と元気よく頷いた。 「うきうき楽しいけれど、ちょっぴり悲しいのが恋なんだね……でもみんなの話を聞いてて、いつか私も出来そうな気がしてきたっ!」 「よかった、また何かあったら聞いてね。私はまだ詳しくは語れないかもしれないけれど」 周りを見回す。 「皆は、色んな経験をしているから」 「そうそう、僕の知り合いにもコイバナを持ってる人は居るかもしれないし、気になった時は呼んでよ」 コレットの横からひょっこりと顔を出した黒燐もそう言う。 「わかった! いっぱいいっぱいありがとうね!」 眩しい笑顔でエニーラは嬉しさを表現した。 「恋な……俺としても皆の話は色々と参考になったぞ」 「ディルさんはもし元の世界に戻れたら、その人に告白するの?」 一が何気なく訊き、訊かれたディルは一瞬固まった後、 「ばっ……! そ、それはこれからの俺が決めることだ」 そう混乱するように照れながら言った。 様々な世界があるように、様々な恋がここにはある。 この島のアニモフ達がそれを知り、自分自身も誰かに恋をするのも、そう遠くない未来のことなのかもしれない。
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