ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。 ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。 深夜の発電所に彼と蟲は難なく侵入すると邪魔な人間を殺していき、使えると判断した者は操り、目的の場所へと急いだ。 彼は蟲たちに指示しながら、発電所の中枢部にやってくると、手に持つ蟷螂の両手を合わせたような双刀を大きく掲げてメインシステムを破壊した。 ――ばきぃ。 ある地区一帯の突然の停電に襲われ、果てのない暗闇が広がったことに人々は混乱の悲鳴をあげた。 翌朝、警察が駆けつけた発電所は多くの死体と血に穢れ、ひどい有様であった。 問題はその地区に存在する霊力を集め、膨大なエネルギーに変換する装置「イズル」と、そのなかに蓄えられていた何トンという霊力が奪われたことだ。 未だに犯人は捕まらず、粉々に破壊されたシステムの復興も叶わず――本来ひとつの地区を覆うだけの電力に使用される霊力は何者かに奪われ続けている。★ ★ ★ 彼女は夢を見る。 生まれを同じくする姉妹たちは彼らの手によって自分以外はすべて殺された。奪われた。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。あの人のお役に立ちたかった。そのために必死に努力した。それを彼は現れるたびにことごとく邪魔した。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。奪われた。今度こそと願ったとき、歌声と私の感情はすべて破壊された。守ってくれた人が死んだ。奪われた。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。今度は。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。百足兵衛さまも。ぶんぶんぶんぶんぶん。死んだ。ぶんぶんぶんぶん。殺された。ぶんぶんぶんぶん。彼らが奪った。ぶんぶんぶん。奪った。奪った。うばい、ぶんぶんぶんぶん。ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない! ゆるさないゆるさないゆるさいないぃいいい! 殺す、殺す殺す殺す殺す殺す殺す、殺す、ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。もう奪わせないで、お願いだから、彼らが奪ったのは私の胸、足。もう動けない。ああ、また! ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。違う、違う! あの人は生きている。私の前にいる。大丈夫。私があなたの夢を叶えます。守ります。そうしたら、今度こそ褒め。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。私は。何も。望まない。あなたが。笑って。幸せに。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。ご。め。ん。な。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。――夢よ、★ ★ ★ ハワード・アデルは自分の住む屋敷に戻ってきた。 地区の端に位置する屋敷は、都会の喧騒を疎み、他組織からの襲撃を恐れてわざと人里から離れていた。 鉄の門をくぐって広い庭を車が五分ほど走ってついたのは二階建て、見た目は壱番世界の英国風の屋敷。白い壁に、木材をふんだんに使った贅沢な造りで、室内に光が入るようにいくつもの窓が存在する。ただし、二階の西側だけはハワードの執務室で、そこには窓をあえてつけていない。 彼は妻が眠っている部屋に訪れた。ベッドに近づき、両膝を床につくと、妻の手を壊れやすい硝子のように握りしめて、沈痛な面持ちで祈るように俯いた。「……ハワード? どうしたの?」「起こしてしまったかい?」「平気よ。……やっぱりなにかあったんじゃないの? 悲しい顔をして……私の、せいで……? 私があいつらに」「君は君のことだけ考えればいいんだ」「けど、やっぱり、フォンにすべて打ち明けましょう。それで、助けて……ぐ、ああああ!」 ぶんぶんぶん。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。 蟲の羽ばたきが部屋いっぱいに響き、ベッドに横になっていた理紗子が体をかきむしって苦しみだした。「あ、あああああああ!」「理紗子! やめろ! お前たちの要求は飲んだはずだ! 鳳凰連合は私が始末する! 妻に手をだすな!」 ハワードが睨みつけた先には黒い着物の少女を両腕に大切そうに抱えた青年とコートの男が立っていた。ぶんぶんぶん。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。ぶんぶんぶん。ぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶんぶん。 蟲の羽ばたきは懇願も退けて、無情にも続く。理紗子は悲鳴をあげ――ついには気絶した。「あんたの奥さんの体のなかには蟲が入ってるんだ。腹の子ともども殺されたくなきゃ、とっとと仕事をすることだな」 青年の横に立つコートの男が告げる冷酷な言葉にハワードは何も言わずに立ち上がると部屋を出て行った。「見張りは蟲で十分だろう。そろそろ行くぜ」 コートの男――水薙が廊下に出るとハイキとクルスが待機していた。「今回、お前らはカルナバルに参加者には世界図書館の奴らもいるはずだ。いいか、あいつらを一人でも多く殺して、邪魔をしてこい。……命令だ。壊れてでもあいつらを殺せ」「……了解した」「マスターのお役にたてれば幸いです」 去っていくハイキとクルスの背を見つめて水薙は疲れたため息をつくと、蹄の音をさせてケンタウロスの形をした銀の鎧のシルバィと白豹のネファイラが入れ違いでやってきた。「ここの守りは我らだけでよいのか?」「ゲームのルールがある以上、ここを襲うことはないと思うが……最悪、あの腹の子ともども女は殺せばいい。守るもんがあるってことは、それを叩けば無力ってことだ。そうすりゃあ、この世界の均衡は崩れる」「地下のあれはどうする?」 「鳳凰連合のやつはほっておいてもいいだろう……どうせ、拷問されて、今にも死にそうなんだ。おい、きぃって……部屋に行ったのか」 水薙とシルバィたちは二階のその部屋に訪れた。ドアを開けると、窓一つなく、壁に置かれた本棚が置かれた部屋の中央にあるソファにきぃが腰かけて眠っている。その傍らに佇む百足兵衛の姿をしたそれは顔をあげて一瞥を向けたのちに再び俯いた。部屋のなかを満たすのは無数の蟲。「きぃ、眠っているのか?」「邪魔するな。聞こえている」「どういう意味だ」 水薙の問いにそれは静かに答えた。「きぃはここにいね蟲一つひとつと魂を繋げて、操っている。肉体は仮死状態で動けぬが、蟲を通して聞くことも視ることも出来る。それに眠っていても蟲と霊力を使って屋敷を結界で覆い、守っている、十分な働きをしているはずだ」「どうやってそんなことを、きぃにはそんな力はないだろう」「発電所から奪った「イズル」を心臓に埋め込むことでエネルギーを得ている……どうせ、母が死ねば蟲たちは死ぬしかないからな」 本来、蟲であるきぃには蟲を操る力などない。だが、元々きぃの能力は魂を繋げ、他者に干渉すること。 歌という媒介を失った彼女は、残された蟲たちと魂を共有することで操ることに成功した。それはここにいる何万という蟲が受ける苦痛を己一人で受けると同意義でもあるが。 霊力を様々なエネルギーとしているインヤンガイの特性に合わせて作られた蟲であるきぃにだから出来たことだ。しかし、すでに限界を超えたきぃの体は仮死状態に陥った。そうすることで肉体の崩壊を少しでも遅らせるためだ。「もうすぐ、最後の仔が生まれる」「仔?」「一年前にインヤンガイで行った実験の末に作られた蟲の卵が、母の胎内で、そのエネルギーと肉体を食らって孵化しようとしているのだ。そのためにもひと晩、この状態を維持する必要がある。何万の蟲の魂か、膨大なエネルギーによって仔は目覚める」「きぃは死ぬつもりか!」「元より蟲は長く生きることは出来ない」 ハッと彼は冷ややかに笑う。「お前、その言い方はないだろう。きぃが死ねばお前だって死ぬんだぞ」「……小生は所詮、母の慰めにすぎぬ。今は母のために少しでも敵を屠るだけだ……敵が力でねじ伏せてくるならば、力ないものは力がないなりに戦えばいい」 眠り続ける女の白い手をとって、彼は高らかに笑う。哄笑は半月の形を作る。「この女の狂気が母だというならば、蟲の新たな可能性を追い求めて、多くを殺したあの男の妄執は父よ! ならば、小生はただの狂いの夢! 世界図書館にこの夢の上を無断で歩かせはしない!」!注意!このシナリオは【【夢の上】祭――カルナバル――】と同時刻に起こっています。同一キャラクターでの参加はお控えください。参加されても満足な描写は出来ません。
誰もが羨むくらいの素晴らしい屋敷だが依頼を受けた五人には、それが堅牢な檻のように思えてならなかった。 ヴァジーナのボスであるハワード・アデルの屋敷の裏手に隠れた五人は意見を交換した。 「このお屋敷には命の危険が迫った人質が赤ちゃんを含めて四人居るという事でしょうか? ……分かりました」 ふわふわの甘い綿あめのような髪の毛にメイド服のジューンはピンク色の瞳を一度閉じた。 「本件を特記事項β六・ゲリラ襲撃による人質殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、ゲリラに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA七、保安部提出記録収集開始」 先ほどまでとは打って変わった機械的な口調でジューンが告げる。体内に存在するリミッターの解除を行うことで、戦闘向きの能力が使用可能となるのだ。 その傍らに佇むリーリス・キャロンは赤い瞳を二度、瞬かせたあと、ちらりとジャック・ハートを見る。 「じゃあ、お願いね? ジャックのおじちゃん。リーリスのこと、助けてね? だって、おじちゃん、リーリスにいっぱいある借りをそろそろ返したいでしょ?」 「チッ。確かに、借りは借りだワ。分かった、手伝ってやるヨ。ただし、俺は弱い者いじめは嫌いだゼ?」 「もぅ。リーリスみたいないたいけな女の子がそんなことすると思うんだぁ、しんがーい」 頬を膨らませて拗ねるリーリスにジャックが胡乱な視線を向ける。 うふふっとリーリスは笑って肩を竦めると、くるりっと背を向けた。 「本当はね、ハオ家の鼻を明かす為にもゲームに出て、フェイを助けようと思ったの。けど、きぃが……キサの魂の欠片が危ないって聞いたから、こっちに来ちゃった。きぃちゃん自身ともいっぱい遊んだから、……もし、最後なら満ち足りた死を送ってあげたいじゃない? 人質も助けたいじゃない? それってさすがに今回は一人じゃ無理でしょ。だから、ジャックのおじちゃんの能力を見込んでお願いしてるの」 つけくわえるようにリーリスはぽつりと小声で漏らす。だって、「私」はキサが嫌いじゃなかったから、と。 「テメェにしちゃ随分と殊勝なこと言うじゃねェか……それならいいゼ。人質は任せナ」 「わーい、おじちゃん、ありがとう! セリカおねぇちゃんたちはどうするの? リーリスとジャックのおじちゃんはね、はじめは人質を助けにいくつもりなんだけどぉ」 「私は、もし許してもらえるなら……きぃちゃんともう一度話しがしたいわ」 セリカ・カミシロが目を細める。 胸の中に未だに鈍い痛みが走る。あのとき、私は何も出来なかった。目の前にいたのに。 あの子が、こんな行動に出た原因の一端が自分にあるように思えてならない。だから今度こそ。届くかわからなくても声を、手を伸ばしたい。最悪、この手であの子を殺す未来も覚悟している。 暗い顔で俯くセリカの背をジャックがパンっと叩いた。 「辛気臭ェ顔してんじゃねェよ。俺サマが人質のメンドウはみてやるから、テメェはテメェで好きに動きナ」 「ジャック」 セリカは目をぱちぱちさせてジャックを見つめた。あのとき、彼はセリカよりもずっと間近にいた。たぶん悔しさならばセリカよりも深いはずだが、セリカにもう一度チャンスを与えてくれようとしている。粗野で乱暴な優しさにふっと口元を綻んだ。 「そうね。ありがとう。ジャック、人質のことはお願いするわ」 「二手に分かれるじゃん? なら、オレと組むじゃん?」 蹄の音をさせて、“流星の”ライフォースが片手に槍を携え、セリカとジャックの元に近づいた。 下半身は見事な馬、上半身は戦士の顔を持つ人間……ケンタウロスだ。 「旅団がいるなら最低二人で戦ったほうがいいだろ?」 「そうね。私も一人は心許無いから二人がいいわ。サポートは任せて」 「わかった」 ライフォースは頷く。 「みなさん、スキャン結果が出ました」 屋敷を凝視することで、体内に存在する探索機能をフル活動していたジューンが声をあげる。 屋敷の外、さらには機械の能力はきぃの妨害を受けることなく、なかをスキャンすることが叶った。 一階、さらに二階、地下から熱源の反応を感知した。 「細かい熱源が大量に二階を覆っています。多数の蟲によるものと推察します。蟲が毒を放つなら、人質が居るのは二階以外の場所ではないかと」 「つまりは一階ね? 奥さまを変な所に閉じ込めたりはしないと思うの。だってハワードさんを操れないもの。調度がしっかりした日当たりがいい、お庭が見えるところじゃないかしら?」 とリーリスが推理する。 「そうかァ? 一応、マフィアと結婚するような豪胆な女だゼ? 庭がありゃア、逃げるんじゃねェか?」 ジャックが眉根を寄せる。 「自分だけが人質ならそうすると思うわ。けど、今回は子供も人質だもの。……ジューンおねぇちゃん、お屋敷のなか、ある程度わからない?」 「お待ちください」 ジューンがもう一度目を伏せ、思案顔を作る。ボディに内臓された機能をフル活動して、リーリスの要望に応えようとしているのだ。 「……ノートに在る程度のことは描けると思います」 ジューンがノートを開き、確認できた情報を絵として記していく。 各自ノートを開き、簡単であるが屋敷の見取り図……二階については蟲が多すぎるせいだろう、かなり絵が雑になってしまっているが、一階の熱源の位置を全員が知ることが出来た。 「北側の、きっと、これよ。よく眠れる広い部屋に閉じ込めているんだわ。ただこれが玄関だとしたら、熱反応が一つあるってことは」 「はい。旅団だと予測されます……このタイプの屋敷は地下貯蔵室に外から直接荷物を運ぶ入口が存在しているはずです。但し他の地下室とは独立しているかもしれません。私の力なら一階の壁を直接破ることが可能です……どうなさいますか?」 見た目は人間そっくりでも完全な機械であるジューンは、自分で判断するよりは仲間たちに決めてもらい、それで動くつもりでいた。 「てめぇが囮になるつもりか?」 ジャックが顔を顰める。 「はい。正面逆に向かって移動し、敵を地下に惹きつけ、他の人質が助かるまで籠城します」 「全員を助けるなら、そのほうがいいと思うわ。たぶん、地下にいるのはリュウだと思うの。マフィアもそうだけど、旅団にしても価値はないから、そこまでしつこくしないと思うし」 リーリスの言葉もありジャックは頭をわしわしとかいたあと頷いた。 「わかった。ヤバイ場合はなんでもいいから呼べヨナ? 俺とリーリスが一階の人質を探す。その間にセリカとライフォースが二階に行くでいいナ?」 「ええ。きぃちゃんを探すわ」 「オレも二階がいいぜ」 ライフォースがセリカを見る。 「オレに乗ったほうがいいじゃん?」 「いいの?」 「さっさっと行くに越したことないじゃん?」 「ありがとう」 ライフォースがセリカに手を貸して、自分の胴に乗せる。 「場所はわかってんダ。俺らも一気に行くぜ」 「うん。スピードならおじちゃんは誰にも負けないわ。だって、五十メートル内なら最強の魔法使いだもの!」 ジャックが差し出した手をリーリスは握りしめて、不敵に微笑む。 「では、これも、皆様の役に立ててください……ノートよりも連絡がとりやすいはずです。私は既に内臓されています」 ジューンは用意したマイク型の無線機を四人に渡した。 これで戦闘に陥り、ノートを使うことが困難な場合でも仲間に助けを求めることが出来る。 「私は……無線機はあまり使えないかもしれないわ」 無線機にセリカが眉根を顰めた。 「機械類とあまり相性が良くないの」 申し訳なさそうにセリカが言うのは単なる好き嫌いではなさそうだ。 「二人で行動するんだ。オレがその辺はフォローすればいいだろう」 「ありがとう。ライフォース」 ジューンが先導し、塀を乗り越える。 四人は裏口に移動するなかジューンは少しばかり距離をとって中をスキャンして人的被害がないことを考慮した上で空部屋の壁に重量を生かしてアタックを仕掛けて破壊した。 ★ ★ ★ 大きな破壊の音に屋敷が揺れたのはジューンが行動を起こした合図だ。 「いくぜ」 「ええ」 ライフォースが駆けだすのに、セリカはその逞しい身体にしがみつく。 その後に続いてジャックとリーリスが屋敷に侵入した。 ジューンの描いた地図を頭のなかに叩きこんでいるジャックは高速移動を駆使して廊下を移動、その部屋のドアを蹴り開けた。 びくりっと部屋のベッドに眠っていた女、理紗子が起き上がった。 「お前たちは……! 人の家を荒らさないでくれない?」 人質にされた怒りと憎悪をこめた睨みを向けてくる理紗子にリーリスは微笑んだ。 「こんにちは。あなたが理紗子さん? 私たち、あなたを助けにきたの」 理紗子の目が不審に揺らぐ。 リーリスは言葉を柔らかく、今の状況、自分たちのことを説明すると徐々に理紗子からは敵意が薄れでいった。 「助けてくれるの?」 理紗子の言葉にリーリスは頷いた。 「なら、信用してあげる」 あっけらかんと、言いきった理紗子は自らの手をリーリスに差し出した。 「素性はわからないけど……あなたたちのこと悪い人に思えないわ。このまま閉じ込められたままじゃ、足まといだし」 リーリスは理紗子の手をとる。柔らかく、あたたかな人肌から流れ込んでくる気に同調し、塵へと姿を変えると体内に侵入し、すぐに理紗子の神経に同調後、痛覚を遮断して生気を注ぐ。 頃合いを見計らって半分だけ自分を外へと出したあと、体内の蟲を探す。 「大丈夫よ。あとは蟲を食べちゃうだけだから」 食べた蟲の悪影響は全部自分が引き受けるようにしてある。そのせいで一度死ぬことになるが、自分の半分が生き残ればなんとでもなる。 「……あれ?」 体内にあるもう一つの生気に触れたリーリスは目をぱちぱちさせる。 「……これ、知ってる? けど」 良く似た生気をリーリスは知っていた。だが今、彼はここにはいない。 「キサ?」 リーリスの呟きに理紗子が目を瞬かせた。 「魔法使いさんは、心も読めるの? ……それは、私のおなかにいる娘の名前よ。キサって……不思議ね。この子を授かったときに、閃いたの。その名前は私と夫しかまだ知らないのよ?」 「娘?」 リーリスは驚愕に目を見開いた。 良くよく考えればきぃがいつまでも腹の子を生かしたままにしておくのはおかしい。ハワードを脅す道具ならカルナバルが達成された以上、もう不要なはずだ。 殺さなかったのではない、殺すことを本能的に避けていたのだ。 「そうね。誰だって自分を殺すのは躊躇うもんね」 リーリスは笑って、おなかを撫でた。 ただ似ているだけ、そう思うだけ。とても自分勝手な思い込み。それでもリーリスはどうしても口元が綻ぶことを止められなかった。 「絶対に、リーリスが助けてあげるから……あっ」 体内にいた蟲を食べて消滅させたダメージが肉体を襲う。通常の攻撃では一切のダメージを受けないが、精神に根こそぎ奪うような喪失がリーリスを疲労させた。 リーリスは小さなため息をつくとくるりっと振り返った。 「てめぇ大丈夫なのか?」 「やだ、心配してくれるの? んふふ、随分力を貯めたもの、安心して? じゃあ、ここはお願いね」 得意のおねだりの要領でジャックを見上げてリーリスは可愛らしく小首を傾げる。 「おう、任せろヨナ」 「絶対ね! じゃあ、私は行くから」 リーリスは部屋から駆けだした。 そのあとに残されたジャックは理紗子に茶化したウィンクを投げる。 「屋敷を荒らすが勘弁してヨ、奥サン、悪ィナァこの屋敷にはアンタ以外にも人質がいるンだワ。俺たちゃ全員助けるために此処に来てンだ……プラズマサイクロン! サンダーストーム!」 ジャックは自分と理紗子を含む半径二メートルにサイコバリアー、更に電磁波と風を絡みあわせた防御壁を作り出した。 護られている外側では人間でも一瞬で黒焦げになるほどの雷が轟かせ、暴風で周囲を散らしていく。 精神感応がほぼ遮断された状態では小さな蟲を相手に対応しきれない可能性が高い。せっかく助けた人質を殺さることがないように、蟲一匹近づかせないために派手な攻撃を展開する。 「荒らすじゃなくて、屋敷を壊すの間違いでしょう。天井に穴が開いたわ……二階まで突き破ったんじゃないの?」 理紗子が小さな子供を叱る母親のように呟くのにジャックは振り返った。 「こういうのはお嫌いカ?」 「まさか」 理紗子は笑った。 「どうせ、リフォームしようと思っていたの。好きにしてちょうだい。むろし、豪快なのは大好きよ! 人質にされて苛々していたから、これくらいのほうがいいわ!」 「ハッ、いい台詞だぜ。奥サン!」 破壊の許可を得たジャックは不敵に笑った。 嵐がやってきたように、部屋に置かれた調度品、蟲が薙ぎ払われていく。 ばちっ! 雷撃がコンセントを撃ち、火花が散り、絨毯が燃える。 このままでは火事になる可能性も高いが、仲間たちが絶対に人質を助けると信頼しているジャックは怖いものはない。 破壊こそが、彼女の望みであるとも知らずに。 ★ ★ ★ 二階を目指すセリカはライフォースの背中にしがみつき、片手にはノートを抱いてナビを務めた。 セリカ自身は以前、苦い記憶を残る「気配」を頼りに必死にきぃを探す。 「どうしてお前たちは来るんだ? そんなにも失わせたいのか?」 どこか悲しみに沈んだ声が前方から投げられた。 「あっ!」 階段の前に黒いコートに身を包ませた男と銀色の鎧ケンタウロスが立っていた。 「きぃの予想通りになったな。シルバィ、ネファイラ、手筈通りにいくぞ」 「うむ」 水薙が猛然とライフォースに突進する。 「くっ!」 風の精霊を槍に纏わせ、ライフォースは走ったまま突き技を繰り出す。それを水薙は両腕を盾にして防ぐと間合いを詰める。 「させない!」 セリカは片手からレーザーを放つ。 狙いは目。 現在の接近状態に回避は不可能と判断した水薙は捨て身でライフォースの腹を打撃。次の瞬間には片目を撃たれて、床に転がた。 ライフォースは四本の足で床に踏ん張り、打撃を耐え抜る。 「やったわ!」 「まだじゃん!」 ライフォースが叫ぶ。 ケンタウロスにとっての死角であり、最も無防備な胴を狙ってシルバィのランスが放たれる。床を蹴って空中に逃げるが、天井は低く、完全には逃げ切ることは出来ず、ランスが前足を掠める。 「我が剣殿!」 さらにシルバィの背を蹴って白豹のネファイラが飛びかかる。 「防御は任せて!」 セリカの声にライフォースは意識を攻撃にすべて向けた。 「とにかく邪魔だ!」 雷を纏い、金色に輝く槍の突きがネファイラの胸を刺す。 ばちぃ! 閃光に抱かれネファイラの体が吹き飛ぶ。 「我が剣殿っ!」 廊下の端まで飛ばされたネファイラにシルバィが悲痛な声をあげ、ランスを構えた。 「参る!」 猛然とアタックを仕掛けるシルバィにライフォースは蹄を鳴らす。 「フルプレート付けまくって、重いじゃん。機動力を犠牲にしてまで付けるものじゃないジャン」 ケンタウロスであるライフォームからしてみれば、シルバィの姿は重すぎる。 こんな相手ならばスピードで負けることはないと――予想外のスピードでシルバィはライフォームの懐に入る。 「っ!」 片足が負傷した状態で回避は不可能と判断し、槍を盾にランスの突きを防ぐ。 力と力のぶつかりあい、火花が散る。 「残念だな。拙者は、ただの鎧ぞ!」 「させない!」 セリカが吼える。目を狙ったレーザーに鎧の頭が弾き飛び、床に落ちる。 「中身がないじゃん……!」 ライフォームが瞠目する。 シルバィがネファイラを剣と呼ぶように、ネファイラがシルバィを盾と呼ぶように彼らは二人で一つの宝具。 本来は道具であるものが己の意思を持って動いているため中に操り手はおらず、ライフォームが予想した以上のスピードを発揮することが可能だったのだ。 驚いたことに頭はなくとも、鎧は攻撃の手を緩めない。 「中身がないなら……風をお願い!」 「わかったじゃん!」 セリカの声とともに再びのレーザー、それに槍に風を纏わせたライフォームの突きが鎧の内側を攻撃する。 音をたてて鎧が壁に叩きつけられる。 「行くじゃん!」 「ええ!」 隙をついてセリカとライフォームは二階に駆けていく。 「待て! ……っ、シルバィ、ネファイラ、まだ動けるな? ……ここまでは、手筈通りだ。逃げるぞ」 ふらふらと失明した片目を庇いながら水薙が疲れ切った声で告げ、片手を動かすとその液体を操った。 ★ ★ ★ ジューンは猛スピードで移動する。囮となることを選んだ以上、いつ何時、敵からの攻撃があるのかわからない状態な以上、迅速に物事を進めていく必要があった。幸いにも敵に会うことはなくジューンは地下まで行くことに成功した。 ジューンは首を動かして、左右を確認後、すぐに生命反応を感知した。 急いでその部屋のドアを力任せに開ける。 血の海だ。 一体、どういうことをしたのか。ジューンには想像は出来ない。ただ目の前の真実を淡々と受け入れる。怯むことも、怯えるというものもない。 すぐに弱弱しい命に駆け寄る。 椅子に鉄の鎖で拘束されたリュウの顔を覗き込む。 「迎えに来ました。リュウさん、ですよね? 少し我慢して下さい」 言うなりジューンは鎖を引きちぎり、リュウを冷たい床に寝かせると用意していた救急箱から包帯、ガーゼを取り出して治療を開始する。最低限のものしか入っていないので応急手当しか出来ないが、それでもしないよりはマシだ。 「ここには貴方以外にも生命の危機に瀕した人がいます。全員を救うためにはここに籠城する必要があります」 ジューンは反応のないリュウに淡々と説明しながら、無線機を使ってリュウを保護したことを告げる。 かなりのノイズが入り、聞き取りづらいがそれでも仲間たちには伝わったはずだ。そのあと激しいノイズ越しにジャックから無事に理紗子を保護したと告げられた。 とたんに屋敷全体を騒がせるほどのアラームが鳴り響いた。 「火事?」 『聞こえるか? ………俺……火事が……起こった……旅団が、ガソリンを撒いた……蟲の影響もねぇみてェだ。そっち……飛ぶ……ゼ』 ジャックから飛び飛びだが、説明がはいる。どうやらジャックの広範囲での防御と攻撃の大技によって屋敷の一階は甚大な被害を受けて火事が起こったらしい。 しかし、だったら屋敷全体で火事が起こっているのはおかしいとひっかかりを覚えた。 思考回路を邪魔するように警報後、ジャックの無線越しに屋敷のセキリティが発動し、消火のために水が降り注いで火は消されている様子が伝わった。 「屋敷全体が火事? なぜそんなことを旅団は?」 考えても詮無く、ジューンはリュウを両腕に抱え、この屋敷からジャックととも脱出することを選んだ。 「貴方以外の人も助けられたそうです。私はあなたを運びます」 ★ ★ ★ 二階の階段を駆け上がると、空を舞う蟲が視界を遮り、毒が舞う。 セリカとライスフォースは協力して互いに二重の防御壁を作りあげ、毒から身を守って先に進む。 小さな蟲を相手にしていたら拉致があかないと考えた二人は強行突破を決行。無理矢理、蟲のなかを前へと進んでゆく。 しかし、蟲は執拗に羽ばたきを繰り返して、顔や目を狙ってくる。それを槍、セリカのレーザーが薙ぎ払う。 「はぁ、はぁ、……っ」 「大丈夫か?」 「え、ええ」 一階での戦闘も体力を奪い取られたが、二階の蟲の攻撃は予想以上にセリカを疲労させた。しかし、それは怪我をしている状態で駆けているライスフォースも同じだ。セリカだけが弱音を吐くなんて出来ない。 「……母上、あなたの読みは正しかった」 蟲の羽ばたきのなかに立つ人影が呟く。 「避けて!」 蟲たちのなかから鋭い刃が伸びてきた。 間一髪、ライフォースがたたらを踏んで回避するが、素早くそれは二回目の攻撃を放つ。 「させない!」 セリカが目を狙ってレーザーを放つ。が、それの前に無数の蟲が集まり盾となってかわりに散り、人型の蟲まで攻撃が届かない。 「死ねっ!」 刃は火花を散らし、ライフォースの胸を狙う。 「っ!」 剣戟が響く。 ライフォースは槍で刃を弾くと、それはさっと距離をとる。周りに無数の蟲たちが庇うように寄っていく。 「蟲が、厄介だな」 「タイミングを、私が合わせる……お願い、私は、どうしても会わなくちゃいけないの!」 「行くじゃん!」 ライフォースが勢いよく駆け、距離を詰める。 それが双刀を構えて迎え撃つ。 そのとき、屋敷全体に警報が響く。焼けつく香りに見ればどこから来たのか炎が階段まで昇ってきていた。 だが駆けだしたライフォースは止まらない。そして幸いなことにセリカも音に集中を乱すこともなく前だけを見ていた。 ほとんどそれは同時だった。 屋敷のセキリティによる雨。飛んでいた蟲たちは無力にも翼を濡らして落ち、 「隙ありぃ!」 無防備な状態になった人型の蟲に向けて槍とレーザーの攻撃が放たれる――! 「!」 それは容赦のない攻撃に廊下の端の壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられると力なく床に崩れた。 いくら強いといっても所詮は蟲だ。 炎と水には決定的に弱い。まだ消えない炎は二階の廊下まで迫り、蟲たちを嬲っていく。さらには追い打ちをかけるような水に空を飛ぶものたちは一匹残らず落ちていく。 「屋敷にはいったときの不愉快さがなくなっていくわ……蟲がほとんど死んだのね」 ようやく気配がはっきりと読めるようになったセリカはライフォースとともに人型の蟲が動かないので無視することに決めて、その部屋に訪れた。 セリカが気配を探り、ここだと感じた場所。 ドアを開けると、ぎっしりと本が詰められた本棚、机、襲撃を警戒してか窓はない威圧感のある部屋のソファにどこか場違いな娘がいた。 「きぃちゃん」 ソファに黒い着物を身に纏ったきぃが眠っていた。 ライフォースの背から降りたセリカはきぃに駆け寄った。見ると、その肌のあちこちに薄らと傷があり、赤い血がとめどなく溢れている。 「きぃちゃん。ひどい怪我……どうして?」 セリカが痛ましげに呟く。 「おまえか……今回の仕業は」 ライフォースは首を傾げる。 「目覚めさせるんだよな?」 「ええ」 「水を被せるか? 電気ショック、熱を浴びせるか……最後の手段は、槍で心臓を刺すか?」 「だめ!」 セリカが反論した。 「お願い。私にさせて……きぃちゃん」 白い手をとってセリカは祈るようにその顔を見つめる。そして、そっと左胸に触れる。きぃの心を読みとり、自分の心を伝えたい。 あのとき救えなかったことを謝りたい。 もし許されるなら、今度こそチャンスがほしい。 遅いかもしれない。けど、やっぱり、救いたいから。 セリカはきぃの心に触れる。とたんに激しい激痛に身悶えた。 「あ、あああああああああああああああああ!」 「セリカ!」 「……へ、平気よ……きぃちゃん」 心に触れたとき感じた激痛、それはセリカの心を傷つけ、現実の肉体に血を流させるほどだった。 柔らかな肌にいくつもの傷を受けたセリカは己よりも、目の前にいるきぃに憐れみをこめた瞳を向けた。 「こんなの、辛すぎる」 セリカの青い瞳からいくつも、透明な雫が零れ落ちる。 苦しかった。ただ苦しかった。そしてやりきれなかった。 「きぃちゃん」 もう一度、再び激痛に襲われ、それによって自分の肉体が傷つくことを理解していてもセリカは再びテレパシーを試みた。 ★ ★ ★ リーリスは二階にあがった。 水びだしの廊下で死に絶えた蟲たちのなかを唯一生き残ったそれが必死に這っていた。 「は、母上、母上、はやくっ、……お前は! お前はぁああああ!」 それはリーリスに気がつくと怒りの咆哮をあげ、震えながら立ち上がった。 「お前だけは殺す!」 「殺す? 私を? 絶対に無理だよ……それよりどいて。私はきぃちゃんに用があるの……満ち足りた最期をあげたいの」 赤い瞳は無感動にそれを睨みつける。 「ふざけるなぁああ! 奪い続けるお前たちがそれを言うのか! お前が、あの男を食らったのに言うのか。く、くはははははははははははははは! そうさ、あの狂った男は死ぬべきだった! だが……なぜ母も一緒に殺してやらなかった? お前が与えたのは地獄じゃないか!」 「だから、私はここにきたの。そっちこそ、旅団はきぃちゃんの望みを叶えてないじゃない! 邪魔するな! 私はきぃの望みを叶えるの!」 全開の魅了の力と精神感応にそれは全身を震わせたが、リーリス相手にも一歩も引かず、睨みあった。 それは笑う。半月の形を作って。 「小生が母の願いを叶えるのだ! お前たちにこの夢の上を無断で歩かせてなるものか! ふ、ふははははははははははははははは! 母上、あなたの願いは叶ったっ!」 それが刃を持ち上げると驚いたことにリーリスを攻撃するのではなく、自らの胸を刃によって貫いた。 「が……あっ……くくくく、ふははははははは!」 それは床に崩れても笑い続ける。 「は、母、上……いき、て……ほし、か……」 焦点の合わない目が彷徨い、なにを求めて手が動き、そして、完全に停止する。 人型ではなく、醜い一匹の蟲となったそれをリーリスは見つめて、近づくと乱暴に刃を引き抜いて、傷口を塞ぎ、人型にさせる。 「きぃを納得させる間だけでも持ってくれなくっちゃ」 ★ ★ ★ セリカは再びの激痛に襲われた。肉体がまるで泣くように血を流し続ける。痛みと絶望のなかでセリカは必死に訴える。お願い、答えて。きぃちゃん。もう遅いの? 私たちは。 突然、セリカの心に闇が広がる。 「!」 心を乗っ取られる! 危険を感じたときにはすべてが遅かった。セリカは光のない暗闇のなかにいた。周りを見回すと、不意に歌声が心に響く。優しい……名は知らないが子守唄だとわかる。セリカは導かれるように歩いていく。 一人の女が楽しげに笑っていた。 「きぃちゃん?」 女は歌う、慈しむように。 「きぃちゃん、あなたは」 子守唄にセリカは母のことを思い出す。優しく、包み込んで、守ってくれる母を。ひどい懐かしさと愛しさが胸をいっぱいにするなか、セリカは進み出る。 「きぃちゃん」 呼びかけると、女が顔をあげた。 真っ赤だ。 真っ赤な血に染まった女が笑っている。 「っ!」 絶句するセリカをよそに女は笑う。嗤う。わらう。 「ほぉらね、お前たちは奪うだけ。奪うだけ。あんなにも願ったのに、奪わないで、と……また奪われた。私の可愛い子供たち! お前たちが殺した! 私に憎しみを与えたのはお前たち、恨みを与えたのはお前たち! 私はそんなものほしくなかったのに! いいわ、奪えばいい! それが目的だもの! お前たちはまんまとやってくれた! あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは! ……ごめんなさい。兵衛さま……ああ、ああ、そうね、お前一人くらい、道連れに!」 きぃが乱暴にセリカの華奢な腕を掴んだ。 「い、いゃあああああああああああああああ」 セリカは悲鳴をあげる。 頭のなかいっぱいに真っ赤な怒りが広がる。それを凌駕した悲しみの感情が黒く、黒く、世界を染めるのにセリカは赤ん坊のようにただ我が身を抱き、泣くしかできない。 闇が、広がり、深く、深く、深く…… 「目覚めて!」 凛とした声にセリカは闇から引っ張り出された。 気がついたときセリカは汗だくで床に転がっていた。その前にはリーリス、そして心配そうなライフォースがいた。 「大丈夫?」 「リーリス」 セリカが震えながら呟く。 「きぃちゃん……ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね?」 リーリスはきぃの胸に収められている「イズル」を取り出し、そして引きずってきたそれの胸に押し込んだ。 びくっとそれが震えあがる。大量の霊力はそれの肉体を膨張させ、腕が破裂する。 きぃのようにインヤンガイの特性を持っているわけでもないそれにイズルのエネルギーはただ死へと誘うだけの道具にすぎず、ほっておけばそれの肉体はエネルギーに耐えきれず破壊されるだろう。 「卵もここにいる百足に植え付けるわ。ね、そうしたら無事に生まれて、彼は満足する。……私があなたと同化して一緒に死んであげる。そうしたら仇もとれるわよ?」 リーリスは矛盾したことを告げる。 目の前にいるそれを百足といいながら、自分が百足を殺したのだと。けれどきっと狂気に堕ちたきぃは納得するだろう。 「かわりにきぃはきぃのママである女の人の願いを叶えてあげてのほしいの。ママの大切な人が大変なの。その人のために……同化できない? 精神が完全に死んでる?」 リーリスは目を瞬かせる。 同化しようとしても、きぃの精神は、脳は動きを止めている。ただ肉体が仮死状態を保っているだけだ。 蟲と同調しているきぃにとって、蟲が殺されるということはその激痛を受けるのと同意義。 この屋敷にいる蟲たちが全て死んだ場合、きぃはすべての蟲の激痛を味わうことになる。その大量の死はきぃの脳を完全に焼き切り、殺した。 しかし、仮死状態の肉体は傷を負い続け、血を流し続ける。 「お願い、どいて」 セリカが震える声で立ち上がる。 「なにをするの?」 「私、見たの。きぃちゃんの心を、だから、もう、これ以上、苦しめたくない。……これが自己満足でもいいわ。私は誰にも言い訳はしない。だから、お願い、ちゃんと肉体にも死をあげて」 セリカは言葉を切るときぃの胸に手をあてる。 それは純粋な感情の悲鳴だった。子供でも知っている。苦しい、悲しい、愛しい、怒り……セリカのレーザーはきぃの胸を貫いた。 セリカはその場に崩れる。すべての力を使い果たしたように、項垂れ、小さな子供のように溢れてとまらない涙を必死に拭いながらきぃの首にかけられた鈴のついたリボンに触れる。そこから流れ込んでくる記憶があった。 そのリボンはきぃがまだ羽化する前に世界図書館の者たちと遭遇した結果、プレゼントされたものだった。彼女は最後の最後までそれをつけていた。無意識かもしれない。けど、もしかしたら、赦したかったのかもしれない。 「きぃちゃん、きぃちゃん……私」 「……セリカおねえちゃん、離れて!」 リーリスが叫ぶ。 「え」 めきぃ! それが現れる。 ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! きぃの肉体を食い破り、生まれた喜びの声をあげたのは無数の足を持つムカデ。 「危ないじゃん!」 ライフォースがセリカを庇い、槍を放つが、ムカデは器用に這い逃げる。 「どうして、イズルは取り除いたから生まれるはず……そっか、イズルと同じだけのエネルギー……この屋敷にいる蟲の命ね。きぃは、これが目的だったのね」 ようやく廊下で対峙したそれが告げた言葉の意味を正確にリーリスは理解する。 廊下いっぱいに待ちかまえていた蟲たち。きぃが精神を同調させて操っているとしたら、それはあまりにも無謀だ。それも、蟲が死ぬたびにきぃ自身が激痛を味わい、すべての蟲が死んだ場合、脳が焼き切れるなんて精神干渉されない処置としもあまりにも割に合わない。 火事に便乗してさらに屋敷を襲った炎。あれは旅団が屋敷にガソリンを撒いたからだ。 炎は蟲を殺してしまう。さらに追い打ちをかけるようにして降り注いだ消火用の水が蟲たちを殺していった。 狙っていたように自ら命を絶ったそれ。 はじめから、きぃは蟲たちを全て殺させるつもりだった。 イズルがもし奪われても、自分の体内にいる蟲が生まれるための罠。 ――すべての蟲が殺されたとき、その魂が最後の仔を生みだすエネルギーとなるように。 「これがあなたの望みなの? きぃ」 リーリスは呟く。それに答える者はもう、いない。 「逃がさないじゃ……!」 おおよそ一メートルほどの大きさのムカデにライフォースは槍に放つが、ムカデの頑丈な甲羅が攻撃を弾き、くるくると槍に纏わりつくと、牙を出して襲いかかってきた。 「こいつをどうにかするんだっ!」 ライフォースが叫ぶと同時にドアが開けられた。突然、ライフォースの目を狙い、水の矢が飛ぶ。 「回収に来たぞ。来い、ムカデ!」 ドアにいた水薙が叫ぶとムカデは槍から離れ、するすると水薙の元に逃げていく。 生まれた蟲を抱えた水薙は渋顔を作ると、大きく拳を振るった。 臭い液体が部屋のなかに撒かれる。 「……燃えちまえ」 逃亡を図る水薙の放った水の矢が部屋の奥にあるコンセントを撃つ。 ばちぃい、電気が火花を放つと容易く炎が――ガソリンが撒くかれたのだ――部屋をいっぱいに勢いのよく炎が広がる。 「お前ら無事かァ!」 空間移動が可能になったジャックが仲間たちを心配して現れた。 「外に逃げるぞ!」 そして彼らは悲惨な部屋から外に脱出した。 その炎は煉獄の業火の如く、すべてを燃や尽くすまで消えることはなかった。
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