「が、はっ……! くそっ、贄が……足りん……やめろ、"右目"は渡さぬ……! おとなしくしておれ、寄生虫風情がッ……!!」「それってつまり、お腹空いて貧血起こして視界が霞んだり腹の虫が鳴いてるってこと?」「えっ」「でしょ?」*** 世界司書ルティ・シディが導きの書を抱え、血相を変えて飛び出してきた。通りすがりのロストナンバーを片っ端から捕まえ、あわあわとうろたえている。「皆、大変! 重病のロストナンバーがヴォロスに転移しちゃったの!」 俄かにざわめきたつターミナル。予言が本当ならば……いや、導きの書に間違いは起こりえないのだ、迅速に保護に赴かねばならない。保護対象の詳しい外見や、病気についての予言は出ているのかと誰かが問えば、ルティははっと我に返り予言の内容を指で辿る。「ええっと……! 18歳くらいの男の子だわ、左目の眼帯と、首に巻かれた錠前つきの鎖が目印よ」 ん?「きっと病気の症状だと思うんだけど、時々左目をおさえてよく分からない叫び声を上げたり、鎖で自分の首を絞めたりしているの。脳の病気なのかしら、可哀相……」 んん?「あとは……元居た世界の習慣? 右手にぐるぐる包帯を巻いてるわ、毎日巻き直してるみたい。きっと不器用なのね、すっごくおかしな巻き方だから誰か教えてあげて」 もしかして、その包帯で隠された皮膚には、よくわからない紋章か模様が『描かれて』いないだろうか……。「やだすごい、当たってる! あなたもしかして世界司書?」 Oh……。 いや、ちょっと待て。そもそもルティは何故その症状を病気と判断したのか。考えにくいにも程があるが、万が一本当の病気、しかも感染するようなものだったらヴォロスの迷惑にもなろう。「うん、エミリエに聞いたらね、『それ、厨二病っていうこわーい病気だよ! しかも邪気眼使いみたいだからもう末期なんじゃない? このまま放っておくと拗らせて(社会的に)死んじゃったり、何かのはずみで治っても後遺症で一生悶え苦しんだりしちゃうよ! そりゃもうごろごろびったんなんだから! だから早く皆で助けに(指差して笑いに)行かないとね!』って言うの。ああやだどうしよう急がなきゃ!」 お 前 か 。 それぞれ心の中でで大いにつっこんだのち、まがりなりにも仕事なのだからとロストナンバーたちは気を取り直す。どうやら厨二病についての正しい知識をルティに教えてやろうという者は居ないらしい。「それと、急いで欲しい理由がもう一つあるの。この男の子、世界樹旅団が狙ってるわ」 導きの書によれば、ロストナンバーたちが現場に到着するのとほぼ同時に、世界樹旅団の構成員であるキャンディポットが単身乗り込んでくるらしい。もちろん、お友達のワームやファージを山と引き連れて。「もう分かってると思うけど、旅団になびかないと判断したら容赦なく殺しにかかってくるわ。男の子は病気だし、能力も何も無い、本当にどこにでもいる普通の子だから、絶対に守ってあげてね」 能力も無いとか普通とか、そのロストナンバーが聞いたら憤死しそうな単語の羅列に笑いを堪える者、旅団との邂逅に緊張を隠せない者と反応は様々である。「殺せないって分かった時点でキャンディポットは逃げちゃうけど、あの子は無理に捕まえようとするとワームやファージをばらまいてっちゃうのが困るのよね……だから今回は見逃しちゃっていいわ、あんまり刺激しちゃだめよ」 とにかくロストナンバー保護を最優先とすること、そしてなるべくならヴォロスの被害を最小限に留めること。そう念を押し、ルティは人数分のチケットを手配した。
「力が欲しいんでしょう? だったらわたしと一緒に行きましょう」 「力……」 「そうよ、力。あなたを疎んじたあの世界が憎い気持ち、わたしよく分かるの。だったら壊しちゃえばいいのよ? だってこの子たちは裏切らないわ、絶対に」 「……」 「あなたみたいな人だったらどんな力も思いのままにすることが出来るわ、願えば願うほどあなたは強くなる……」 蛇型のワームが採ってきた樹上の果実を手渡し、キャンディポットはつくりものの笑顔と媚びるような眼差しを少年に送った。少年はキャンディポットの足元におとなしく丸まって次の指示を待つワームに怯えるが、あまりに魅力的なキャンディポットの文句を聞き流せずにいる。 __この少女に着いていくだけで、自分を疎んじ、放逐した世界。それを壊せるだけの、力が手に入る……? 少年の出身世界が本当に少年を疎んじたのかは定かではないが、キャンディポットが語っているはおおよそ事実である。世界樹旅団の一員となれば、おそらくこの少年が妄想をこじらせて出来たような能力(一向に脳内から出てくる気配は無いのが不思議でならない)が容易く現実のものとなるのだ。勿論、代償として失うものは数知れないが。 「この心に刻まれし罪の記憶……繰り返す、ヒトの愚かな輪廻……そこからの解脱を、貴様が……?」 「あー……そう、ええ。そうよ? だからわたしと一緒に行きましょう、怖くなんかないわ」 __いいからさっさと着いてきなさいよ、愚図。 かすかに、キャンディポットの眉根に皺が寄る。折角渡した果実を気持ち悪そうに何度も袖で拭く少年の仕草に、自分と目を合わせない様子に、ぼそぼそと紡がれる訳のわからない言葉に。 「(百足兵衛よりわけわかんない……面倒だしここで殺しちゃおうかしら)」 どうせあいつら……世界図書館の連中は邪魔をしに来るだろう。その前にしれっと殺してしまうのも悪くない。張り付いたような笑顔は崩さず、キャンディポットは肩にかけたポシェットのボタンをそっと外した。 *** キャンディポットが内心でキレつつも少年を口説き落とさんとしているのと同時刻。 「自分で言うのもなんだが、保護対象の方が斜め上に拗らせそうな面子だな」 こちらでは同行する3人を一瞥し、豊かな黒髪をヴォロスの乾いた風になびかせるリュエールがぽつりと漏らしていた。 神(と言い張るあなたの心の大黒柱。ここではややこしいのでエウダイモニクと称しよう)。魔術師の卵。そういう自分は名前を呼んではならぬ者。世界司書がとっ捕まえた面子がここまで偏るとは、保護対象のロストナンバーもある意味ご愁傷様である。 「ホントだぁ、今日って神族さんが多いよねえ? リーリスも負けないように頑張らなきゃっ」 __だってこの中でホンモノの邪気眼はリーリスだけだもん。 魔術師の卵だなんて真っ赤な嘘、リーリス・キャロンは心の中でぺろりと舌を出す。 「で……お前、その格好は一体どういうことだ」 「ゼロのことですか? これはエミリエさんが彼の心をゲットし、世界図書館を選んでもらうための術を授けてくれたのです」 司書からチケットを貰った時点では唯一まともそうに見えたはずのシーアールシー ゼロに対してもため息を感想代わりとし、リュエールは頭を振る。 背中にしょった機械の出来損ない的な電動翼。ご丁寧に先端がぴこぴこ動いているが飛行機能は無いらしい。さらにまばたきする度瞳の色が変わる不気味なコンタクトレンズ。それでも誰の目にも留まらず地味に見えてしまう不条理さはいつものゼロと何ら変わらないようだ。 「オッドアイと翼が喜ばれるそうなので、秋葉原ジェノサイダーズで入手してきたのです。七色怪光線コンタクトなのですー」 怪……光線? 「わかった、もういい」 リュエールは考えることをやめた。 *** さて。 「ねえねえ、あれってキャンディポットちゃんじゃない?」 「本当なのです、とすると隣の人が重病人さんなのですー」 先日壱番世界でキャンディポットと一戦交えたリーリスが彼方を指差す。するとそこには確かにキャンディポット、そして司書の予言どおり右手にぐるぐると包帯を巻いた少年、加えてキャンディポットの足元に丸まるワームの姿があった。既に『武器』を出されているこの状況はあまり、よろしくない。 「引き離す必要があるな」 「ワーム、怖いなぁ……」 二人の話し声はまだ聞こえず、表情もうかがい知ることは出来ない距離。少年は勿論、キャンディポットもまだこちらの様子に気づいていない。どうするべきかと三人が考えを巡らし始め……三人? 「ごきげんよう、ニトク・ロッソ・ル=ファタル……おっと、今はキャンディポットと呼ぶべきか」 エウダイモニくんがあらわれた! コマンド? 「は?」 「……何者だ? よもや、"組織"の刺客……」 キャンディポットはこうげきをかわした。じゃきがんはようすをみている。 「……ああ、やっぱり来たのね。本当、いつまでもしつこいったらないわ」 ゆらり、キャンディポットが立ち上がった。その気配に敵の襲来を感じ取った足元のワームもゆっくりと鎌首を擡げエウダイモニ君を睨む。 「私はただ散歩しに来ただけだよ、そう怖い顔をしてはいけない」 エウダイモニクは穏やかな笑みを崩さずに右手を差し出す。それは好戦的で友好的な救いの手であり、あるいは。 「ここでは君の"今"に従ってキャンディポットと呼ばせていただこう……しかし忘れぬよ、『ロコツェバパラの涙』での出来事は……」 「ろこ……何ですって?」 __女神の落とせし涙が海をつくり、男神の息吹が大地をつくったと言われる常闇の黄昏世界『ロコツェバパラの涙』。世界樹旅団を根城とする破壊衝動の申し子、通称キャンディポットの出身世界である。忘れまいよ、覚醒前夜に彼女が見せた縋るような眼差しを……。 「……などと意味不明の供述をしており、動機は依然不明のままなのです」 「味方が先にツッコんでんじゃないわよ」 幾度か世界図書館と接触するうち、キャンディポットはツッコミのスキルを身につけたようだ。今日に限ればエウダイモニクの繰り広げる真・厨二思考世界に登場人物としてつきあわされるのでは無理もないといったところだが、ゼロの地味ながらも厨二思考をまるっと受け止め斜め上に打ち返すゆるふわツッコミの前には脱力せざるを得ないようだった。 「お久しぶりなのです、キャンディポットさん。本日はお日柄もよく、お変わりないようで何よりなのですー」 忘れないように一応、一応ことわっておくが、今キャンディポットを含む5人のロストナンバーはとある覚醒したてのロストナンバーを取り合ってヴォロスの荒野に居る。形勢は……先に現場に着いていたキャンディポットのほうがやや優勢のように見えた。キャンディポットは折角挨拶をしてみせたゼロを無視し、少年に甘い囁きを投げかける。 「話の通じない人たちは放っておきましょうよ、ねえ。わたし、あなたと二人っきりでお話がしたいわ」 「キャンディポットとやら、貴様の話には興味が無いでもない。しかし、彼奴らは一体何者なのだ? 貴様の敵であるならば……」 __ぐう あ、腹の虫。 「くそっ……分を弁えぬ蟲けら風情がッ」 「何だ、腹が減っているのか」 少年が左手に持ったままの果実を口にする様子がないのを見、何かを察したリュエールが指をぱちんと鳴らす。するとまさに一瞬、少年の目の前にあたたかな食事が供された。あたためられたスープボウルにたっぷりのミネストローネ、ぱりっと焼きたてのバゲット、肉汁をしたたらせじゅわじゅわぱちんと鉄板で歌う厚切りのステーキ、ヨーグルトをかけた林檎・バナナ・桃などのカットフルーツ……それらが生成りのクロスをかけられたオークのテーブルで食べられるのを今か今かと待っている。 「なッ……幻術の使い手か!?」 「幻術ならばもっと酷いものを見せるだろうさ、食わんのか」 大蛇が果実を採ってきたと思ったら今度はディナーが出てくるとは。当然だが驚いた少年は怯えてテーブルに近づこうとすらしない。きちんと椅子を6脚用意していたリュエールは勝手に座ってバゲットをもう一本出してみせ、バターを塗って無言で食べ始める。薄くスライスされたバゲットはざくりと食い破られ、中から発酵生地独特の甘い香りが漂い始める。 「お食事はお嫌いなのです? ならばお菓子をどうぞなのです」 「ふむ、茶が要るな」 出立前にターミナルの名店で買い揃えてきた生ケーキ・焼き菓子・チョコレートなどをテーブルに広げたのはゼロだ。少年ににっこり笑いかける様子は誰もが恋に落ちてしまうほどの圧倒的な美貌……のはずなのだが誰の印象にも残らないこの不条理さ。またばきするたび赤青金紫と瞳の色が変わる怪光線コンタクトもある意味自然に見えてしまう。 「ゼロは貴方とお話をしに来たのです、怖がらずに食べて欲しいのです」 「……機械仕掛けの天使、貴様がそこまで言うのなら」 少年の左手が焼き菓子に伸びる。餌付け作戦は成功のようだ。 「ふ、空腹などに惑わされ我々に篭絡されるとはまだまだのようだな」 「……ヒトの運命(さだめ)……子々孫々生命を奪い生き永らえる、生き……いや、往きながらにして罪を背負う哀しい存在……。しかし、それでも……罪を受け入れることことと罪を濯ぐことが同一であるのなら……」 要するに出されたものが美味しいということらしく、エウダイモニクの上から目線も気にせず少年は夢中で食事にがっつく。厨二節も忘れないあたり、もしかすると少年の世界ではこれが普通の言語なのだろうかとすら疑う。 「おかしい、言葉は通じるはずなのだがな……」 トラベラーズノートがおかしくなったか、はたまた自分の耳が故障したか。単語のひとつひとつは理解できるが何を言わんとしているかが理解出来ず、誰か翻訳してくれと言わんばかりにリュエールが少年を"かわいそうなものを見る眼差し"で見つめた。 *** 「………………で、いつになったらこの茶番が終わるわけ!?」 「それは勿論君の気が済むまでだよ、ニトク・ロッ……おっと、キャンディポット」 次から次へと出される料理やお茶を囲み、6人はいつの間にか普通のお茶会を楽しんでしまっていた。6人というのは勿論キャンディポットも含まれていたようだが、隙あらば少年を奪取してナレンシフまで逃げ出そうと機を窺うのも限界が来たらしい。 「キャンディポットさん、ケーキはお嫌いです? 言ってくださったらお煎餅や大福も用意したのです」 「そういうことじゃないって言ってんのよ!!」 ゼロの素朴な質問にも刺々しく答え、キャンディポットは苛立ちを隠さずポシェットのボタンに手をかける。 「交渉は決裂ね」 「交渉? それは話を聞く姿勢のある者だけが口にしていい言葉だ」 キャンディポットがポシェットのボタンを外す。……外した。いや、外したはずだった。だがボタンはしっかりとボタンホールを通りポシェットに蓋をしている。指が滑ったのかと二度、三度、試してみるが指は空を切ったように何も起こらない。 「……またその手? 芸が無いのよ、おばさん!」 ロストレイル襲撃の際にリュエールが使った、シンプルだが効果のある一手。武器のある場所が決まっているのなら、そこを塞げばいい。だが既に一体の蛇型ワームが少年とキャンディポットを守るようにとぐろを巻いている。 「ふふ、黒埼のお兄さんの金魚のうんちなキャンディポットちゃん。今日はぁ、ひ と り で 来たんだねぇ? かっわいそ~。今日はベルさんも百足兵衛さんも居ないんだぁ?」 その上、唯一最大の武器であるワーム・ファージの種を封じられては何も出来まい……リーリスの嘲るような眼差しがキャンディポットをぐさりと射抜く。 「ええそうよ、一人で悪かったわね。誰も邪魔をしない、わたしには丁度いい……群れなきゃ何も出来ないあんたたちとは違うのよ!!」 __ふうん……黒埼のことは覚えてないんだ リーリスとの邂逅、その事件の後でキャンディポットは一連の記憶を綺麗に忘れている。しかしリーリスの見下すような視線と言葉はキャンディポットを怒らせるのに充分すぎた。 「けどそうだよねえ、ワームしか使えない子なんて要らないよねぇ? それなのに失敗ばっかり、旅団のみんなに嫌われちゃってもしょうがないよぉ。だからそこのお兄さんを一生懸命口説いてるんだよね? きゃはは! 必死すぎ~」 「うるさい……うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!」 追い討ちのようにかけられた言葉がキャンディポットに火をつけた。 「キャンディポットとやら、落ち着……」 「黙りなさいよ根暗野郎!!!! あんたも死ぬ!?」 ワームが少年に採ってやった果実をひったくり、キャンディポットは無理やりそれを少年の口に押し付けにやり笑う。 「交渉決裂、あんたたちとじゃなく……この人とね。わたしの可愛い飴玉がこの実に埋まってるわ、それを食べさせたら……この人、どうなるかしら?」 「ひっ……」 考えられる可能性は、ふたつ。 ひとつ、飴玉が少年の体内でワームに戻り、少年の身体は木っ端微塵になる。 ふたつ、少年と飴玉が融合しマンファージが生まれる。 「どっちも困るのです、ゼロには貴方が必要なのです!!」 ゼロはじゅもんをとなえた! じゃきがんはMPが100かいふくした! 「我が……必要なのか……?」 「その通りだ、少年。私から見ればまだ真砂の如く矮小な存在ではあるが……死なせてしまうには惜しい逸材よ」 エウダイモニくんのついげき! じゃきがんはよろめいた! しかしワームからはにげられない! 「そう、そうよね。あんたもあっちを選ぶのね? じゃあ死ね。ここで死ね!!」 「そうはさせないのです!」 カッ!!! ゼロの瞳が七色に光る!(演出です) 巨大化したゼロが、ワームの威嚇をものともせず少年を指先でつまみあげ世界図書館陣営に無理やり引っ張り込む。ワームから少年が離れたのを確認し、リーリスもそちらへ向かう。 「探しました、我が君! 貴方様を探して幾星霜……やっと、やっとこの日が参りました!」 「何……だと?」 「貴方は世界の真理に覚醒してしまったのです、その為故郷の世界から放逐されたのです。ゼロたちはそんな貴方を、真理に目覚めた人々の集う場所へと導きに来たのです」 「その通りです、我が君! ここに参じたるは皆、貴方様の覚醒に力を貸したいと願いやまぬ者ばかり。ああ、いえ……」 ロストナンバーとターミナルについて、リーリスとゼロの『だいたいあってる説明厨二語バージョン』を聞き、少年は必死に状況を整理する。 「つまり……貴様らには我の真なる姿、呪われし地脈の血族たる我を欲していると……そういうことなのか」 「おっしゃる通りでございます、おお……やはり私どもは間違っていなかった。未だ目覚めぬとはいえ、そのお力がこの目に写るようでございます!」 「勿論、強大すぎる力は他にも居る"真理に目覚めた者"へ悪影響を及ぼすのです。その為、貴方にはしばしの間力を制限する為の神器を身につけてもらう必要があるのです」 リーリスとゼロのあまりによどみない口上に説得力が無いわけがなく、少年はたちまち瞳を輝かせる。 「あちらをご覧なさいませ、我が君。ただ一柱、目覚めぬ前の貴方様を屠りその力を我が物にせんと企む愚か者の姿を。……口惜しいことに、今はまだあれを片付けることは出来ません。ですが儀式を受け、貴方様の真なる姿が顕現すれば!」 「(リーリスさん、さすがにちょっとだけ言いすぎな気がするのです)」 「(いいの! 気持ちよく来て貰うことが一番大事なんだから!)」 等の会話があったかどうかは不明だが、少年の心は完全に世界図書館側に傾いたようだ。 *** 「さあ、キャンディポット。お前の目的は既にこちらの手に渡ったぞ。これ以上無益な争いはよせ」 「くっ……」 使役者の戦意喪失を見てもワームの敵意が殺がれることはなく、むしろキャンディポットを守ろうとリュエールを威嚇した。 「ふん、あんな子旅団に居なかったらただの危ない根暗野郎じゃない。連れ帰っても後悔するだけじゃないの」 「確かに、私は要らんな。しかし旅団に連れて行かれるよりははるかにマシだし、ここで死なれるのも気分が悪い。エウダイモニク、お前が構ってやれば熱心な信者になるんじゃないか?」 「おやリュエール君、君は私と同じ匂いがすると思っていたのだが」 ワームの尻尾を蝶結びにして遊んでいる(そしてワームに噛み付かれているが平気な顔をしている)エウダイモニクは相変わらず穏やかな笑顔でいる。 「キャンディポット、君は記憶が改竄されているようだから教えてあげようと思ったのだが……いや、よそう」 「もったいぶってんじゃないわよ、あんた頭おかしいの?」 「ははは、天に唾するとはまさにこのことだ。不変たる神を疑う前に自分の頭を疑いたまえ」 「神なんか居たらこんなとこで油売ってんじゃないわよ」 「いつから私がここに居ると錯覚していたのかね? 第二、第三の私は常に君の傍にいるというのに」 ワームと遊んでいたと思ったら今度はキャンディポットが少年に渡した果実をお手玉代わりにしている。この神、油断も隙も無い。 「それに、私は全て理解って(わかって)いたよ。この果実に君の飴玉が仕込まれているのが真っ赤な嘘だとね」 「!!」 不適な笑みとともに、エウダイモニクが果実に歯を立てる。しゃくりと小気味よい音を何度か繰り返し、林檎に似た果実はあっという間に真ん中の芯を残すのみとなった。 「ほう、ヴォロスの果実も悪くないな」 「……いつから知っていたの」 「最初からだよ、何度も言わせないでおくれ」 チッと舌打ちし、キャンディポットは芯だけになった果実を忌々しげに見つめる。勿論エウダイモニクの言は全てハッタリなのだが、キャンディポットが負けを悟るのに充分だったらしい。足元で蝶結びを解こうとうねうね躍起になるワームの結び目を解いてやり、何事かを囁いた。 「……わたしをどうする気なの」 「どうするって、どうしよっかなぁ~? 世界司書さんからは、放っておいていいよって言われてるんだよねぇ。つまりぃ、それっくらいにしか思われてないってことだよ♪」 いつの間にかゼロの手のひらから降りてきていたリーリスが、哀れみすらこめた笑みと共にキャンディポットを指差す。 「ふふ、しょうがないから世界図書館に逃げてきてもいいんだよ? 失敗続きのかわいそうなキャンディポットちゃんにも、雑用くらいはお仕事あるんじゃないかなぁ?」 くすくすと笑う仕草は見た目年齢相応の可愛らしいものだが、言ってることは相当黒い。既に逃亡の隙を狙うキャンディポットが再び怒りに燃えるのも時間の問題と思われた。しかし。 __ギィッッ!!!! 「!!」 突如、ワームが濃い緑色の液体を吐き散らす。それを受けた周囲の植物が悪臭と煙を伴い枯死してゆく様は毒物の可能性を示唆させた。リュエールが液体を避け後ろに飛んだののち、ワームは守るようにキャンディポットの体をぐるり巻きついて後方に飛び去った。 「今日のところは帰ってあげるわ、次に会うときはその男の子をもうちょっとマトモにしておいてよね」 捨て台詞とともにキャンディポットはロストナンバーたちの視界から消える。ナレンシフに武器を隠し持たれている可能性もあり、司書の言いつけ通り深追いせずにそれを見送った。 *** 「主に忠実なワームなのか、最初からそう指示を出していたのか……逃げるスキルだけは何とも一人前のようだな」 ナレンシフが飛び去ったのを目で追い、リュエールが帰り支度を始める。巨大化から戻ったゼロも用は済んだとばかりにメカ翼と怪光線コンタクトを外してしまった。 「ところで、我が君。恐れ多くございますが、貴方様の真名をお名乗りいただくことは出来ませんか?」 「名前? ……そんなものはない」 まだ芝居を続けるリーリスがそれとなく少年の名前を聞き出そうとするが、少年は答えなかった。 「なるほどなのです、それなら仕方ないのです……お名前が無いのです?」 「ほう、名前という記号に頼らぬ己があるか。全く頼もしい」 事実、この少年には名前が無かった。出身世界の所為なのか、忘れてしまったのか、少なくとも厨二的に『真名を明かせばうんたらかんたら』という理由ではなさそうだった。 「旅客登録のときに困るのです、ロストレイルの中で考えておくといいのです」 「そうだな、世界司書に頼むのも悪くないがエミリエやルティに任せてしまったのでは妙な名前をつけられてしまう」 __"ジャキ・ガン"とかな? 「いい……」 「ん?」 少年がリュエールが何気なくもらした一言に食いついた。目をきらきらさせてその"名前"を繰り返す。 「ジャキ・ガン……短く機能的であり、濁点の鋭角さが素晴らしく美しい……。決めたぞ、我は今日からジャキ・ガンと名乗ろう」 「(…………まあ、いいか。笑われるのは勝手だ)」 *** 後日、ドヤ顔で旅客登録を済ませようとしたジャキ少年がエミリエ・ミィに思いっきり笑われて改名を申し出たことは言うまでもない。
このライターへメールを送る