イラスト/BAKO(iact6305)
「あ、いけない」 サシャ・エルガシャは紅茶を淹れようとして、茶葉の残りの少なさに気が付いた。 「依頼のあとに買って帰ろうと思ってたのに、忘れてたなぁ」 窓から空を見上げれば、今日も晴れやかな青空が広がっていた。 「うん、絶好のお買い物日和だよね」 ついでに何か足りない物はないかと食品棚や冷蔵庫を覗き込んでメモを取り、サシャはアパートメントを飛び出した。 なにがあるわけでもないのにサシャの心は弾んでいた。 「さて、今日はどうするかな」 Marcello・Kirsch(マルチェロ・キルシュ)はホームで少し考える。 今日のバイトは休みで、なんとなくターミナルへ来てしまった。休みならば家でゆっくりすればいいものの、気付いたらロストレイルに乗って0世界へと訪れていたのだ。 「ま、足の向くままチェンバー巡りってのも悪くないよな」 ロストナンバーとなってまだ日の浅いMarcello――通称をロキという――にとって、まだまだターミナルは未知の領域である。ターミナルの事を知るには絶好の機会ではないだろうか。 「ええっと、商店街に行くトラムはこれでよかったかな?」 サシャはターミナルでの生活が長いにもかかわらず、時々、利用するトラムを間違ってしまう。単なるおっちょこちょいなのか、うっかりよく使うトラムに乗り込んでしまうのが原因なのか判別しがたい。 「あれ?」 ふと、トラムに乗り込もうとしていたサシャの足が止まる。 キラキラと輝く金糸の長髪。それほど珍しくはない筈なのになぜかサシャの目に留まった。その後姿に見覚えがある気がして、トラムから足を下ろす。 サシャに乗車の意思がないとみると、トラムは扉を閉ざし、サシャをおいて発進する。 「あの人は、もしかして……」 サシャはトクンと跳ねた胸を押さえ、金の髪の後姿を追う。 「あ、あの……!」 背後から掛けられた声にロキが振り返ると、息を弾ませたサシャが目の前に佇んでいた。 「君は確か……サシャ?」 ロキが記憶の糸を手繰り寄せ、彼女の名前を呼ぶと、サシャは嬉しそうに笑った。 「はい、そうです。サシャ、サシャ・エルガシャです。ドバイでは荷物を運んで下さり、ありがとうございました!」 物凄い勢いで礼を言うサシャに、ロキは少し噴き出してしまった。 「いいよ、いいよ。そんなに大した事はしてないんだしさ。それより、奇遇だね。買い物?」 「はい、紅茶を切らしてしまって……。あの、Marcello様はご依頼かなにかでいらしたんですか?」 「いや、散歩みたいなもん……かな?」 「それじゃあ、決まった用事があるわけではないんですね?」 サシャが胸元でパンと手を叩く。 「あの、ご迷惑でなければ、ワタシもご一緒していいですか?」 「それはかまわないけど、できればターミナルの案内をしてもらえると、俺としては助かるんだけどな」 「勿論ですとも! Marcello様はどのような場所に行きたいですか?」 ロキは行きたい所を聞かれてちょっと困ってしまった。 「うーん、その前に君の買い物を済ませてしまった方がいいんじゃない?」 正直、行きたい所と言われても、すぐには出てこない。それならば、サシャの買い物の道すがら、行きたい場所を決めればいいとロキは思う。 「はい! あっ、でも、さっきトラムが出たばっかり。どうしよう……」 「それじゃあ、歩いて行くってのはどう? 紅茶のお店って遠いのかな?」 「歩けない距離ではないけど、ちょっと遠いです」 「じゃあ疲れたらトラムを利用するって事でどうかな? 歩きながらどんな店があるか俺も知りたいし」 サシャがわかりましたと頷く。 「あ、それと、俺の事は“ロキ”でいいよ。Marcello様って呼ばれるとなんだか落ち着かないんだ」 「はい、ロキ様」 サシャが笑顔で応えると、「あ、それでも“様”は付くんだな」とロキは思った。 緑に塗装された木の扉を開けると、茶葉の芳しい香りが二人を優しく包み込んだ。 この店には紅茶だけでなく、緑茶やハーブティー、オーガニックな雑貨なども置かれている。 「わあ、可愛い」 サシャは当初の予定も忘れて、通りに面した窓際に置かれている雑貨に目を奪われていた。 ロキは色んな雑貨に目移りしながらはしゃいでいるサシャをしばらく見つめていたが、彼女がなかなか本命の紅茶の購入に踏み切らないので声を掛けてみる。 「サシャ、はしゃぐのはいいけど、本来の目的を忘れないようにな」 「あ、いっけない! そうだった」 ロキの懸念は的中していた。サシャは自身の目的をすっかり失念していて、肝心の茶葉を買わずに店を後にするところだったのだ。 サシャは補充用の紅茶と、木でできた兎の人形を手に取り、会計を済ませた。 「ごめんなさい、お待たせしちゃって」 「満喫した?」 「はい、こんな可愛いお店があるなんて知りませんでした」 「あれ? いつも利用してるお店じゃなかったんだ?」 えへへ、とサシャは舌を出す。 「いつも利用しているお店はもっと向こうにあるんです。たまにはこうして歩いてみるのもいいですね。お隣にはコーヒーの専門店もあるみたいだし、こんな発見、トラムに乗っていたらできませんでした」 先ほどの茶葉のお店は『Green Garden』、隣のお店は『Coffee Tree』。サシャはそっと心のメモ帳に記録する。 「さあ、今度はロキ様の番ですね」 花のような笑顔を向けられて、ロキは少しドキリとする。赤くなりそうな頬を気取られぬように、ロキは顔を背けて答える。 「ここに来る途中に、ゲームセンターみたいなところを見かけたんだ。行ってみてもいいかな?」 ゲームセンターなんて子供っぽいと笑われるかな。ロキは鼻の頭を気恥ずかしげに掻いた。 「勿論! ワタシ、ゲームセンターって初めて!」 ロキの心配をよそに、サシャからは期待に満ちた返事が返ってきた。 「それはよかった。エスコートできる楽しみが増える」 ホッとしたロキからは笑顔がこぼれた。 今度はサシャの頬が朱に染まる。 「へえ、壱番世界のゲームセンターとあんまり変わらないんだな」 UFOキャッチャーやスロット、格闘ゲームにシューティング、壱番世界のゲームセンターに劣らない取り揃えだ。 だが、さすがターミナルというか、UFOキャッチャーの商品にはセクタンを模したぬいぐるみが使用されている。 ガンシューティングに使用されているグラフィックには、今まで世界図書館が対処してきたファージなどが使われていた。 なるほど、ここはただのゲームセンターではないのか。ゲームに見せかけた修練場でもあるのだな。 周りをよく見渡せば、様々な武器を想定したバーチャルゲームも置いてあった。ロキは無意識に唇の端を吊り上げる。 「ロキ様?」 サシャの声にロキはハッと我に返った。 「ああ、ごめん。あそこに二人用のガンシューティングがあるけど、やってみる?」 「はい!」 明るく答えるサシャとは裏腹に、ロキは得体の知れぬ高揚感に支配されつつあった。 ロキはサシャに操作を教え、ゲームのスタートボタンを押す。 ロキが左側でライフルを構え、サシャが右側で拳銃を構える。この二つの武器は本物のようにずしりと重かった。 『3・2・1・0』 機械からカウントが流れ、ゲームが始まる。 立ち並ぶビルの一つに入ると、薄暗いロビーが映し出された。耳に装着したヘッドホンからは本当にそこで移動しているかのような靴音が響いている。 知らず鼓動が早くなり、口の中が乾いてきた。 ズル……ズル…… 何かを引き摺るような音と、低く唸るような獣の声。ロビーの奥の廊下にモンスターの影が引き伸ばされた形で映っている。 ワーウルフに似たモンスターの鼻先が現れ、口に咥えたモノを放り投げた。 死体だ。 一瞬視線が死体の方に奪われ、それを見越したようにモンスターが壁を蹴ってこちらに飛び掛ってきた。 反応が一瞬遅れたが、ライフルの弾がモンスターに命中する。しかし、完全に仕留められたわけではなかった。 グワゥ! 牙を剥き出し、ロキに咬みつかんとしたその瞬間、パンパンという乾いた音が鳴り響く。サシャが発砲したのだ。 飛び掛ってきたモンスターはそれきり動かなくなった。 ゲーム画面にCount.1の文字が浮かび上がる。 ロキはサシャの顔を横目でちらりと窺った。 サシャは唇を噛みしめ、真剣な表情で画面を睨んでいた。 画面に目を戻すと、タッタッタッタという軽快な足音と共に更に奥へと進んで行く様子が映し出されていた。 二階に上がる階段前にまたもやモンスターの影が映し出される。 ドシン、ドシンという足音と振動。 どうやら影と音、そして振動などによりどのようなモンスターが現れるのか予測できるシステムになっているようだ。 「今度はゴーレムのようだな」 ロキの予測は的中し、天井に届くほどの大きさのゴーレムが現れた。 「こいつは俺が倒す。サシャは弾の補充をしていてくれ」 言うが早いか、ゴーレムの右腕がロキ目掛けて振り落とされる。 ロキはその腕を撃ち抜き、続けざまに胸、頭、左腕、両足に弾を撃ち込んだ。 被弾した部分から崩れ去り、クリアできたと思ったのだが、甘かった。数秒後に体を再形成させたゴーレムが、再び二人の前に立ちはだかったのだ。 どうすればいい? ロキの額に汗が滲む。 「ワタシにまかせてください」 一体どのような策があるのか、見当もつかないロキには補佐する事もできず、サシャの行動を見守るしかなかった。 サシャはゴーレムの額に照準を当て、引き金を引く。 「当たれ!」 ゴーレムの額に刻まれた文字。サシャはそれを狙っていた。 数発放たれた弾は、ゴーレムに着弾したが、目的の場所には当たらなかった。 拳銃での攻撃ではゴーレムの足を止めるには及ばず、ゆっくりとサシャ達の方へ近付いてくる。 「あの文字を消せばいいのか?」 ロキは言い捨てて、ライフルを構える。 「待って! 全部の文字を狙ってはダメなの。右の文字だけ消さなきゃ」 ロキは舌打ちをした。 ライフルでは威力が強すぎて一文字だけ狙うのは難しいのだ。 ゴーレムが腕を伸ばす。 「当たって!」 パン! サシャが放った弾がゴーレムの指の間をすり抜け、見事文字に命中する。そのとたん、ゴーレムはザッという音を立て、ただの砂に戻った。 カウントの数が増え、確実にゴーレムを倒せた事を二人は知る。 「よかったぁ」 サシャがへなへなとその場に座り込んだ。 「大丈夫か?」 ロキが気遣うと、ありがとうとサシャが笑った。笑顔が弱々しいのは精神的疲労が強いからだろう。 ゲームはまだ序盤戦。だが、ロキはためらわずにキャンセルボタンを押した。 サシャが「え?」と、ロキの顔を見上げる。 「疲れただろう? ちょっと休憩しようか」 「いいんですか?」 「まあ、ゲームセンターは逃げないだろうし、また今度トライすればいいだけの事だ」 屈託ない顔でロキは笑う。 サシャの心臓はまたもや跳ね上がった。 ワタシ、本当にロキ様のことを……? 恋に焦がれてではなく、純粋にロキに惹かれている自分にサシャは驚いた。 「どうぞ」 店内のベンチで休んでいると、ロキが両手にソフトクリームを持って戻ってきた。 差し出されたソフトクリームを受け取ると、サシャは一口舐め取った。 「おいしい!」 「これ、ミルクを使用して作ってるんだってさ」 生クリームとミルクを使用したソフトクリームはとても美味しかった。 「ロキ様は壱番世界に住んでいるんですか?」 「ああ、家を出て日本で一人暮らしをしているんだ」 「日本に? じゃあ、言葉はどうされてるんですか?」 「亡くなった祖父が日本人でね、その祖父に日本語を習っていたのでなんとかなってるよ。サシャは?」 「ワタシはターミナルのアパートメントで暮らしています。時々、壱番世界に戻りたくなることもあるけど、ワタシと直接係わりのある人はもういなくって……」 そういえば最長のロストナンバーは二百年の時を経ているとか言ってたっけ。 ロキはぼんやりとそんな事を思う。 「あ、でも、こっちでお友達もできたし、寂しくはないんですよ」 嘘だ。本当はものすごく寂しくなる事がある。 でも、サシャはそんな気持ちを押し殺して、人に気取られぬよう生活していた。 サシャは笑って話をしていたが、ロキの目には無理して笑っているように見える。 「さて、これからどうしましょうか? お嬢様」 ロキがおどけた調子で聞いてくる。 サシャがくすりと笑った。 「ワタシ、もう少しターミナルを散策したいな」 「かしこまりました、お嬢様」 更におどけてお辞儀するものだから、サシャはとうとう噴き出してしまった。 「あ」 サシャはUFOキャッチャーに詰め込まれたセクタンぬいぐるみに目を奪われ、立ち止まる。 そこにあったセクタンぬいぐるみは20cmと少し大きめの物で、触ったらもふもふと気持ち良さそうだった。 「欲しいならとってやろうか?」 「! そんな、悪いですっ」 そんなつもりじゃなかったのに、とサシャはぶんぶんと頭を振る。 「いいから。今日の記念って事で」 ロキは器用にレバーを操作して、見事セクタンぬいぐるみをゲットした。レバーでぬいぐるみを押すようにして取ろうとした為か、一つ余分に取れてしまった。 「ハハッ、思わぬ副産物だな。サシャは黄色と青色、どっちがいい?」 「じゃあ、黄色で。……ありがとうございます、大事にしますね!」 サシャは嬉しそうにぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。 なんとなくこのまま別れてしまうのが寂しくて、サシャの足は画廊街に向いてしまっていた。 デートした思い出を形にしたくて来てしまったが、店舗で頼むのは大げさな気がしてなかなか言い出せない。 どう切り出そうか迷っているサシャに救いの手が差し伸べられる。 「そこ行く、美男美女のお二人さん、記念に似顔絵でもいかが?」 折りたたみの椅子に座った男が声を掛けてきたのだ。あまり綺麗なナリではないが、ニコニコと愛想がよく、悪い人には見えなかった。 「お兄さんは画家なんですか?」 大小さまざまな絵が男の周りに置いてあり、聞くまでもない気がしたが念の為に尋ねてみた。 「ん、んー、まあ、そのようなもんかな? 店舗をかまえてやるのは大変そうだし、一つの場所に囚われるのも面白くない。というわけで、色んな場所で営業させてもらっています。出会いは一期一会、二度目はないかもしれないよ?」 「どう? どう?」と聞いてくる男にサシャとロキは顔を見合わせた。 「そうだな、じゃあお願いしようか。ツーショットというのも大丈夫だろうか?」 「もっちろん! 恋人同士を引き裂く事はできませんさね。ささ、どうぞどうぞ」 男は折りたたみの椅子を二つ取り出し、二人をその上に座らせた。 「んん、もっとくっついて。おっといい物持ってるね。そいつを持って、そうそうそんな感じ。いいね、いいねぇ~」 男は二人に指示を出しながら筆を走らせる。 まずは鉛筆で大まかな下書きをして、水彩。少し乾いてから輪郭を描き、仕上げに入る。 男と話を交えながら描いてもらったおかげか、時間の経過など気にならなかった。 「か~んせい☆」 男は出来上がった絵を二人に渡し、二人はナレッジキューブを出し合って、男に渡した。 「まいどあり~」 男はひらひらと手を振り二人を見送る。 暖色系で描かれた二人はとても幸せそうに見えた。笑顔のサシャとロキがセクタンぬいぐるみをくっつけあっている。 「幸福」というタイトルが似合いそうだった。 「その絵、サシャが持っててくれよ」 「いいんですか?」 「ああ、俺が持ってたら、友達に冷やかされてしまいそうだ」 「ありがとうございます」 こんなに幸せで、胸の中がぽかぽかするなんて、いつぐらいぶりだろうか。 「さあ、そろそろお別れの時間だ。サシャ、アパートメントに送っていくよ」 ターミナルはずっと明るいままなので、時間の感覚が狂いがちだ。街頭の時計に目をやり、サシャは驚いた。 「もう、こんな時間!? ごめんなさい、こんな時間まで」 「謝らなくていいよ。楽しい時間を提供してくれて、こっちは感謝したいぐらいなんだから」 ロキが笑う。 不機嫌な様子を見せないロキにサシャはホッとする。 サシャのアパートメントに着いた時にはすっかりいい時間になってしまっていた。これではお礼のお茶も出せない。 申し訳なさで胸が詰まる。 だが、この胸の重さには他にも理由があった。 「じゃあ、今日は楽しかったよ」 「あのっ」 片手を上げて去ろうとするロキをサシャは呼び止める。 勇気を出すのよ、サシャ。 逃げ出したいような、萎えそうな気持ちを奮い立たせて声を出した。 「もし、ロキ様さえご迷惑でなければ……また会っていただけますか?」 緊張で声が震える。 「ゲームの特訓して欲しいし……ロキ様みたいに上手くなりたいし」 ロキは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにふっと優しい顔になった。 「サシャ、俺みたいにって思わなくていい」 サシャが顔を上げると、すぐ近くにロキの顔があった。 「俺は、そのままのサシャが好きだから」 ロキの笑顔が、涙で歪んだ。 ――恋よ、乙女よ、歌えや踊れ。
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