世界は幾重にも重なった多重世界から構成されていることは君達も知っていると思うが、今日はその中の一つ、循環世界・五都市(いつとし)と呼ばれる世界について語ろうと思う。 五都市とはその名の通り、五つの都市の事を示しており、そこに住まう種族もまた五つ存在している。 種族は昼人・獣人・天人・夜人・夢人とに分類され、天人が最も貴き種族と位置付けられている。それにより、都の統治者は天人族の者しかなれないとされている。 異なる種族が混在してはいるが、種族同士の衝突といったものはそれほど多くなく、また五つの都市の関係も悪くはなかった。――表向きは。 それよりも厄介とされるのが“魔”と呼ばれるものである。 これは人が変化したものであったり、突然湧いたものであったりと様々だが、いずれもよからぬ事象の前触れではないかとされていた。 「わしが中央都の守護天人となっておよそ五百年。そろそろ黄燐の職を辞する時が来たのではないかと思うが、いかがか」 広い椅子にゆったりと腰掛けた老年の男性は、片膝を着いた降魔掃討部隊の隊長に問い掛けた。 「はっ、在位五百年となれば最長の部類に値致しますゆえ、異論はございません。……が、後任となる者の目星はつけておられるのでしょうか?」 「うむ、ここに適任と思しき者共を選出しておいたゆえ、目を通しておくがいい」 差し出された書簡をうやうやしく手に取り、降魔掃討部隊の隊長は「失礼します」とその場で紐解いた。 「これは……」 そこに綴られている名に一通り目を通した隊長は驚いて主を見上げる。 「お前の言わんとしている事はわかる。一悶着ある事はわしも覚悟しておるのだ。大臣よりも先にお前に告げた意味がわかるな?」 本来ならばこのような事は、傍に仕える大臣に先に告げられるのが常となっている。それをわざわざその下にあたる降魔掃討部隊の隊長に告げたのは、これから起こる騒動の収拾役に命ぜられた事を意味していた。 「……わかりました。部下にもよく言い渡しておきましょう」 「頼んだぞ」 一礼して去る家臣を座したまま見送り、年老いた黄燐は息を吐いた。 「わしにはもうそれほど時間は残ってはおらんのだ。多少強引にでも決めておかねば、取り返しのつかぬ事になろうよ」 長い回廊を歩きながら、降魔掃討部隊隊長は一つの国を小さくうつしたかのような中庭を眺める。 低木は豊かな花を咲かせ、また、葉も青々と茂っている。所々に配置された岩や木々の枝に小鳥が止まり、囀りを交わす。 いつもなら心穏やかになる風景だが、今はその役割を果たせないようだ。 「黄燐様も大胆なことをされる」 中央都に仕える家臣の名に混じって書かれていた、ある者の名を思い出し溜息をつく。 「俺も部下もあの方が就かれる事に異はないが、困ったもんだ」 今から大臣達の憤慨する様子が容易に想像できて気が重くなった。 ここ、中央都は温泉の名所でもある。当然、守護天人の館にも温泉が引いてあり、いつでも沐浴を楽しむことができた。 池のように広い浴槽の、ちょうど胸元まで浸かれる場所に疲労した体を預け、黄燐は深く息を吐く。 「黄燐様、呼んだ?」 突然頭上から降ってきた言葉に黄燐はくつくつと笑う。 「お前はまともな訪問の仕方もできんのか? 女官には自室にて待たせておくよう言いつけておった筈だが?」 声の主が誰かなど、確かめなくても黄燐にはわかっていた。 「だって、待ってても退屈なだけなんだもん」 「やれやれ、とんだお転婆娘だな」 顔を横に向ければ、ぶうたれた顔の少女が中腰で座っていた。 「まあよい。それ、そこの椅子に座って楽にしなさい」 「はーい」と言って娘が低い椅子を浴槽の縁に置き、足が温泉に浸かるように座った。 家臣がすれば不敬罪にあたるような事もこの娘は平気でやってのける。黄燐はそんなところが気に入っていた。 「さて、わしがお前を呼んだのは他でもない、頼み事があるからだ」 黄燐の声色の変化に娘は姿勢を正す。 「近頃、この都に魔が頻出しているのを知っておるか?」 「うん、お師匠様からちらっと聞いたよ。何かあったの?」 娘は東都の守護天人、青燐のことを師匠と呼んでいた。 「わしはここの統治者になっておよそ五百年になる。そろそろこの老いぼれにはちいと任が重くなってきたのでな、黄燐の座を他の者に譲ろうと考えておるのだ」 「うん」 黄燐がちらりと窺い見ると、娘は神妙な面持ちで話を聞いているようだった。 「そこでだ、その後任者候補の中にお前の名前も入れておいたのだが、かまわんかな」 「えっ、あたし? 何で?」 娘が驚くのは無理もない。通常、守護天人の後任はその都に住まう者が選出されるからだ。 「この中央都は他の都市とは違い、互いの気がぶつかるところだ。生半可な者では到底務めきれるものではない」 ばしゃりと黄燐は湯で顔を洗った。そして、ふっと息を吐いてから続ける。 「残念ながらこの中央都には黄燐の職に就ける程の度量を持った者はおらんのだよ。就けたとしても長くはもつまい。わしはできるだけ長く務めて欲しいのだ」 守護天人の長が代わる時、少なからず国が乱れる。国が乱れれば魔も出現しやすく、都民の生活も危ぶまれるのだ。できるだけそういう事態は避けたい、という思いが黄燐にはあった。 「建前上、他の者の名も上げておるが、わしはお前に継いでもらいたいと思っておるのだ」 「あたしはいいけど、お師匠様が何て言うか……」 娘は青燐の次に黄燐の事が好きだった。本人に言った事はないが、本当のおじいちゃんのように慕っている。 その黄燐の頼み事ならば受けたいと思う。 「青燐にはもう話しておる。許可も貰った。あとはお前の心一つなのだよ」 黄燐の手回しの早さに呆れつつ、娘は笑った。 「うん、じゃあ問題ないね。いいよ、あたし黄燐になる」 「すまんな。正式に黄燐となる前にお前にはやってもらわなければならぬ事がある。名も捨てる事になるが、よいのか?」 「うん、わかってるよ。話はそれだけ?」 「ああ、詳しい事は降魔掃討部隊隊長に聞くがよい。それと、女官にお前の好きな包子を作らせておいたから、貰って帰りなさい」 「ありがとう! 黄燐様大好き」 手を振り駆けて行く少女の背に、今一度黄燐は「すまない」と呟いた。 「なんだこれは! どうしてこの者の名前がここにあがっておるのだ」 大臣達を集めた会議にて、懸念していた通りに不満の声が上がっていた。 「上條 沙莱(かみじょう・さらい)、これは青燐公の弟子ではないか」 先日、黄燐と密かに話をしていた少女、上條 沙莱は色んな意味で有名であった。ここ、中央都でもその名を知らぬ者はほとんどおらず、また、それだけに次代の黄燐を選出する会議は極秘裏に行われていた。 「他都市の人間を選考に入れるなど前代未聞。それに、もしこの者が次代黄燐になるような事があれば、中央都は東都の影響を受けるのではないか?」 そうだそうだと賛同を示す声が上がる。 この異を唱える家臣共の中に、真に中央都の行く末を憂える者はいったいどれだけいるのだろうか? 次代黄燐の名に上げている者はの中には、この家臣達やその親族の名前もあった。 権力の亡者共め。 黄燐は唾棄する思いで言葉を発した。 「その者に関しては青燐公から事前に中央都へ移籍させる旨を伝えておる。その上で次代黄燐候補として上げる事を承諾してもらったのだ」 「しかし……」 なおも食い下がる家臣に黄燐は告げた。 「ならば七日後の早朝から、どの者がより次代の黄燐として相応しいか試験を行おうではないか。その結果を踏まえて譲位の儀を行う。よいな!」 「承知致しました」 さすがにここまで畳み掛けられて異を唱える者はいなかった。 「では、降魔掃討部隊戊隊長、己隊長、準備を頼んだぞ」 黄燐は大臣達が退出するのを待たず、議事の宮を後にした。 幾つかの角を曲がり、御付の警護の者だけになったところで黄燐はぐらりと傾いだ。 胸の奥から咽るような咳が込み上げ、黄燐は喘ぐ。 「誰か――」 警護の者が声を張り上げるのを制止し、黄燐は告げる。 「この事は誰にも告げるな。特に大臣達には漏らさぬよう心しておけ」 最近の頻発する魔の出現。ここにその答えがあった。黄燐の寿命があと幾ばくかで尽きようとしているのだ。 医者からは自身の命は持って一月と告げられていた。まだ一月経ってはいない。倒れる訳にはいかぬと黄燐は自身を奮い立たせた。 「これより次代黄燐選出の試験を行う」 試験開始の宣言がなされ、選出者達は一斉に筆を取った。 一般知識や暦の上での行事に関する事、薬草・医術学、神殿における儀礼など多岐に渡って試験が行われた。 作法においては黄燐や他の大臣達の目の前で行うものもあり、ここで尻ごみした者は即刻失格となった。 沙莱はなんとか及第点を保っており、また、黄燐監修のもと行われた作法試験においては堂々たる態度を示し、難色を現していた大臣達も唸らざるをえなかった。 昼の休憩を挟み、試験は続けられる。 「降魔掃討部隊、前へ!」 号令と共に部隊員は選出者の前へ並ぶ。 「これより降魔掃討部隊員との一対一の試合を行う」 ざわりと会場がどよめいた。 午後の試合からは一般にも会場が開放され、かなりの人数が試験会場を埋め尽くしていた。 名目は中央都天人武芸大会とされ、都民達は黄燐選出試験と知らず集まっている。 選出側には各人の名誉を守る為と称し、目元を隠す仮面が配られ、装着を義務付けた。もちろんそれは沙莱の身元を隠す為の建前だったのだが、大臣達は知る由もない。 最後の試験となる武芸大会では都民による投票も得点に加算されるとあって、応援にも力が入る。 「壱番、前へ。礼!」 中央に降魔掃討部隊員と選出者が向かい合い、礼を交わす。それが試合開始の合図でもあった。 「いいぞー、やれー!」 次々と降魔掃討部隊員に選出者が倒されるなか、沙莱は順調に勝ち上がっていた。 突進してくる部隊員を自身の軽さを生かして攻撃をかわし、鳩尾に一撃を食らわす。攻撃を食らった部隊員はたまらずその場に突っ伏し、動けなくなった。 沙莱が部隊員を倒す度に歓声が上がる。 小さい体で相手を翻弄し、倒す様が胸がすくと都民に支持されていたのだ。 気付けば選出者も部隊員皆倒れ、残るは隊長と沙莱のみになっていた。 「やるなぁ。だが、俺は簡単には倒れないぜ」 ニヤリと凶暴な笑みを浮かべる隊長に沙莱は不敵な笑みを返した。 試合開始の合図と共に沙莱は後ろに跳び退り、距離をとった。隊長の大きく踏み出した足が難なく二人の距離を縮め、丸太のような腕が沙莱の頬を掠める。 風圧が空気を揺らし、ぶうんという音を発する。一度でもこの攻撃を食らうと倒されてしまうと察した沙莱は更に集中する。 繰り出される攻撃を受け止めるのではなく全てかわすようにしないと、沙莱に勝機はない。重い打撃は沙莱では到底受けきれるものではないからだ。 彼の攻撃をかわすしかない沙莱に誰もが敗北の予感を感じた時、ほんの少し彼に油断が生じた。沙莱はそれを見逃さなかった。 隊長がニヤリ、と笑った瞬間、沙莱の姿が彼の前から消えた。 「?!」 困惑する彼の首筋に沙莱の渾身の回し蹴りが決まる。 「がっ・・・・・・!」 脳に渡る血流が一時的に寸断されてしまった彼は、地響きを立てて崩れ落ちた。 沙莱の勝利が決まった瞬間、歓声が会場を揺るがすほど響き渡った。 「どうだ、これで文句はなかろう」 自身の力で黄燐となる資質を示した沙莱の事を大臣達は認めるしかなかった。 黄燐譲位の儀はその後しめやかに行われ、新しい黄燐の即位は大々的に報じられた。 煌びやかな輿に乗せられ練り歩く沙莱――いや、黄燐一行を都民は道中に集まり、平伏したまま、顔だけを上にやって眺めている。 薄い布の隙間から時折見える、黄燐の名の示す通りの蒲公英色の髪が、都民達の心に焼きついた。 「黄燐様、万歳!」 都民達の黄燐を称える声が小波のように広がり、中央都を埋め尽くす。 新黄燐即位後、ほどなくして先代黄燐は息を引き取ったが、黄燐を含め、それを知っているのはほんの数人だったという。
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