「いってらっしゃい」「ああ」 いつもと同じ朝、私は夫を見送る。 以前は笑顔と共に送り出していたのだが、今は寒々とした空気が夫と私の間に漂っているばかりだ。 それは不幸の事故だと誰もが言った。 だが、夫は無言で私を責める。その視線で、行動で。 たった一つのものが失われただけで、こうも変わってしまうものなのか。 ――たった一つ。けれどもそれは二人にとって大切なもの。 世界司書の戸谷千里は二人のロストナンバーの姿を一瞥し、導きの書に視線を落とした。そして、溜息を一つこぼす。「言いたいことがあるんなら、ハッキリ言ったらどう?」 戸谷のなにか言いたげな態度に、ヘルウェンディ・ブルックリンは若干イラッとする。 「まあまあ」 戸谷に剣呑な視線を送っているヘルを山本檸於はなんとか宥めようとするが、今度はこちらに不機嫌そうな視線を向けられて肩を竦めた。「……別に。ただ、この度の依頼は君達には荷が重いのではないかと思ってね」「は? ロストナンバーの保護でしょ? 多少の――」「経験の浅い、子供をもうけた事のない者には難しいと言っているんだ」 ヘルの台詞にかぶせるように戸谷は続けた。「現在、保護対象のロストナンバーはある女性に拾われ、世話をされている状態だ」「怪我でもしているのか? それとも病気?」 世話をされているという言葉に檸於は引っ掛かりを覚える。「いいや、いたって健康だ。保護対象のロストナンバーは子供の狼獣人。だが今は人間の乳児の姿をしている。いわゆる擬態というやつだ」 ロストナンバーの保護は現地の人間が係わっていると通常よりも若干難しくなる。しかし、今回の場合は人間の乳児に擬態している事もあり、ヘルと檸於はそれほど難しくないのでは? と思っていた。特に乳児の場合、本当の保護者が現れればすぐに引き渡してくれるはずだ。「問題があるのは保護している女性の方だ。彼女はどうやら彼を自分の子供と思って世話をしているようなんだ」「え? どういうこと?」「彼女の子供は数ヶ月前に死亡している。それが原因で夫婦仲が拗れてしまい、彼女の精神に歪が生じた。子供を死なせてしまった罪悪感から、彼女は自らを責め続けていた。そこへ――」「保護対象のロストナンバーが現れた」「ああ。しかも、彼女が亡くした子供も乳児だ」 それがなにを意味するのか状況を理解した二人が息を詰める。「なかなか骨が折れる状態だが、できるか? 他のロストナンバーに依頼を回す事もできるが」「やるわ。必ず連れて帰るわよ」 ヘルの言葉に檸於も頷いた。一度乗りかかった船だ、ここで投げ出すわけにもいかない。「私の坊や。かえってきてくれたのね」 妻は見覚えのない乳児に頬ずりをしている。「おまえ……その子はどうしたんだ?」「神様がかえしてくれたのよ。今度は死なせない。死なせないわ、絶対」 尋常でない彼女の様子に私は眩暈を覚えた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオはナラゴニア襲撃以前の出来事となります。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ヘルウェンディ・ブルックリン(cxsh5984)山本 檸於(cfwt9682)=========
あああ、どうすんだ俺。なんで引き受けちゃったんだ俺。 山本 檸於(ヤマモト レオ)は今更ながら苦悩した。 よくよく考えてみれば歳相応の容姿をしている檸於は六歳児の父親というには無理がある。 しかもだ、同行しているヘルウェンデイに至ってはもっと若い。無理だ、無理がありすぎる。 あああああと檸於が頭を抱えていると、ヘルが冷ややかな目を向けてくる。 「なによ、今更びびってんの?」 「や、今から保護するロストナンバーって六歳ぐらいなんだろ? さすがに俺達が親って言うのは無理があんじゃねーかなーっと」 檸於の懸念事項を聞いたヘルは半目になって氷点下の溜息を吐いた。 「あんた、司書の話をちゃんと聞いてた? 確かにもともとの姿は六歳児程度だけど、今は乳児に擬態してるって言ってたじゃない」 「あ、そっか。……でもさぁ、俺達がその子の親っていうのはやっぱ無理がありそうなんだけど」 「あら、若い夫婦は確かに少ないかもしれないけど、まったくいないわけじゃないわ。見た目がそんなに気になるのなら、歳の離れた兄弟って事にしてもいいけど、必ずその子との関係を言わなきゃいけないわけでもないでしょ」 ん? と檸於が首を傾げるとヘルは続けた。 「相手が想像するままにしとけって事よ。聞かれたらその時に答えればいいのよ」 母親はともかく父親は困惑している筈だ。自分の考えに間違えがなければ厄介払いしたいと思っているだろう。そんな人間がわざわざ乳児との関係なんて聞いてくるだろうか。ヘルは聞いてこないだろうと確信していた。 「はぁ……」 どこで間違ってしまったのだろうか。なにがいけなかったというのだろうか。 それよりもまず、問題なのは……。 「あの赤ん坊がどこの子かという事だ」 重い足を引き摺り帰路に就く。 最近では家に居ると息が詰まって、会社の同僚と飲みに行く事も少なくなかったが、さすがに今日は寄り道をせずに戻った方がいいだろう。 昨日の光景が脳裏に蘇り、また、重い溜息が胸の奥から搾り出される。 「やはり会社にいる間にでも警察に連絡しておいた方がよかっただろうか」 昨夜は頭が混乱してなにも考えられなかった。今朝、ようやくいくらか落ち着いた頭で考えを巡らし、警察に電話を入れようとしたら凄い剣幕で詰られ、結局、逃げるようにして家を出てきてしまったのだ。 彼女は“神様がかえしてくれた”と言っていたが、現実的にそんな事はありえない。なによりもその赤ん坊の特徴が私達の子供とは違っていたのだ。 私達の子供は薄茶色の髪に茶色の瞳。ところが、昨日いた赤ん坊は灰色の髪に見間違えでなければ青い瞳だった。 警察に連絡するのを躊躇ったのにはもう一つ理由がある。彼女がどうやってあの子を手に入れたかだ。 どこかに置き去られていたのを保護したのならいいのだが、どこからか攫ってきたのであればそれは誘拐になる。 彼女の口振りからしてそれは無いだろうとは思ったが、可能性の話でしかない。 「昨晩のうちに話し合っていればよかったのだろうが……」 重くなる思考に頭を振る。 「うん?」 ふと視線を前に戻すと、街灯の下に一組の男女の姿が目に入った。二人共若者のようだ。 青年は普通の格好なのだが、少女の方はゴスロリ――正しくはゴシックパンク――と呼ばれるような衣服を身につけている。 近所では見かけた事のない顔だ。だが、二人はこちらを凝視しているように見える。気味が悪い。 「昨日からなんだってんだ、まったく」 できるだけ係わりあいたくなかった私は二人に顔を向けないようにして脇をすり抜けようとした。だが、その直後少女の口が開いた。 「ねえ」 私は聞こえなかったふりをしてそのまま進む。「ねえ、ちょっと待ちなさいよ。無視しないでくれる?」 ぐい、と腕を引かれ仕方なく足を止めた。遊ぶ金でも無心するつもりなのだろうか。これ以上の面倒事は勘弁してもらいたい。 「なんだね。私になにか用でも?」 思い切り怪訝な視線を向けてやったのだが、少女も負けてはいない。強い視線でこちらを睨み返してくる。 「貴方の家に今赤ん坊がいるわよね?」 彼女の言葉に私は鼻白んだ。 夫を送り出したあと、私は毎日の日課をこなす。皿を洗い洗濯をし掃除をする。そうして一段落したあと飲み物を入れて休憩。テレビを点け、雑誌を手にして溜息をついた。 いつもはそれでも雑誌の頁をパラパラと捲るのだが、今日はそれすらも億劫だ。 あの子がいなくなってから家の中はとても静かになってしまった。夫との会話も目に見えて少なくなっている。 お昼の仕度をするにもまだ時間が早いし、なにもせずに無為に時間を過すのももったいない気がして私はソファーから立ち上がった。 よくよく考えてみれば、子供ができてからこっち、必要最低限の外出しかしていない事に気が付いた。 「そういえば、近くに神社があったわよね」 家から十五分くらいの所にある小さな神社。なにを祀っているかもよく分からないそこに行ってみようかとふと思う。 別にお参りしようと思っていたわけではない。ただ、なんとなく行ってみようかという気になっただけなのだ。 参道に敷き詰めてある玉砂利を踏みしめ、拝殿を見上げる。神社の規模としては小さいが、初詣となれば結構な人で賑わうここもあいにくと今は平日のうえ、お昼前とあって自分以外の人出は見受けられなかった。 神社という場所柄か、町中とは違い空気が澄んでいるように思われる。 神様に願えばあの子がかえってくるというのならいくらでも願おう。だけど、その考えがどれだけ現実離れしているのか、疲弊した心でも理解している。 ――あの日、いつものようにお乳をあげ、背中を叩いてげっぷをさせたあと、布団に寝かせた。うとうととしていたあの子は、すぐさま眠りについてすうすうと健やかな寝息をたて始めた。 子供が眠っている間に手早く溜まった家事を済ませる。子供の顔を覗くと、小さく可愛らしい口をむにゅむにゅさせながらいまだ夢の中にいるようだった。 少しだけと思いパソコンを起ち上げ、育児サイトをいくつか閲覧した。気が付いたら結構な時間が経っていて慌ててパソコンの電源を落とす。 いつもなら子供が起きていてもおかしくない時間だったが、その日に限って目を覚ました様子がなかった。 珍しくよく寝ているなとその時は呑気に思っていたのだが、子供の寝顔を覗いた途端、血の気が引く。子供の顔色が白い。先程見た時には桃色だった頬が白いのだ。 恐る恐る鼻や口元に手をやるが、息が手にかからない。胸元を見ても胸が上下に動いていない。心音も聞こえない。 おぼろげな知識で蘇生方法を試してみても効果はないようだった。 「そうだ、病院……病院に連れて行かなきゃ」 フラフラと立ち上がり保健証と母子手帳、財布を引っ掴み急いでかかりつけの病院へと向かった。 真っ先に目に飛び込んできた看護師に子供が息をしていない、助けてくれとそんなことを喚き散らしたような気がする。正直、あまりこの辺りの記憶がハッキリしないのだ。気が付いたら処置室の前の長椅子に座り込んでいた。 診断結果は乳幼児突然死症候群。 誰もが子供が亡くなったのは私のせいじゃないと言ったが、なんの慰めにもならなかった。 何故ちゃんと見ていなかったのか、せめて抱っこしていたら気付いたのではないのだろうかと後悔ばかりが胸を占める。 境内で物思いにふけっていたら、どこからか息をしゃくりあげる声のようなものが聞こえてきた。耳を澄まし音のする方へ歩いて行くと、ふさふさとした毛の生き物らしきものが蹲っている。 ジャリッという音に反応したソレがこちらを向く。 青い大きな目が見えた瞬間、その生き物らしきものは姿を消し、そこには大きな声を上げて泣いている乳児が横たわっていた。 そっと手を伸ばして赤ん坊を抱き上げあやすと、徐々に泣き声が小さくなっていく。 「いい子ね、いい子」 体を左右に揺らし、背を優しく叩いていると潤んだ大きな目でこちらを見上げてくる。 暫くこちらを凝視していたが、不意にふにゃりと笑い、私に手を差し伸べてきた。と同時に愛おしさが自分の中から溢れ出す。 ああ、ああ、きっとこの子はあの子に違いない。死者の国に連れて行ったのは間違いだったのだと神様が私の元に戻してくれたのに違いない。 そう思った私にとって髪の色や瞳の色の違いなど微々たるものに過ぎなかった。 三人は話し合いをすべく、場所を近くのファミレスに移動した。 「……確かに、私の家には赤ん坊がいます。妻が昨日いきなり見知らぬ子を見せ、自分達の子だと言ってきたんです」 「でも、実際には自分達の子じゃないのよね?」 「ええ、そうです。数ヶ月前まで私達には子供がいましたが、既に亡くなっています」 ヘルと檸於は顔を見合わせて頷く。 「俺達は行方不明になった赤ん坊を探してここにきました。おそらくあなたの家にいる子が俺達の探している赤ん坊だと思うのですが、確認させてもらってもいいですか?」 「もちろんそれは構いませんが、妻が素直に応じるかどうか……」 「でも、あなたもこのままじゃいけないと思っていますよね?」 「ええ」 男は檸於の言葉に頷いた。 子供が亡くなった時、周囲も自分も妻のせいではないと言った。現在も死亡原因が特定されていない以上、それは嘘偽りではない。 虐待もなかったと思う。子供の体にそんな痣があった事はないし、医者もそう言っていた。なのに妻は頑なに心を閉ざし、子供が亡くなったのは自分のせいなのだと思っているようなのだ。 今回の事も含め、自分はどうすればいいのかわからなくなっていた。 男が頭を抱えていると、ヘルが口を開いた。 「子供さんの死亡原因を聞いてもいいかしら?」 ヘルは説得の糸口が掴めるかもしれないと思い、聞いてみる。 「乳幼児突然死症候群です」 「じゃあ、子供の死亡は奥さんのせいじゃないのね?」 「ええ、妻のせいではありません。私もそう思っているし、妻にもそう言ってきました」 ヘルは姿勢を正し、男を見据える。 「奥さんの説得は私達がするわ。子供の写真が貼ってあるアルバムがあるわよね? それを貸して欲しいの」 「わかりました。アルバムをお渡しするだけでいいんですか?」 「それで充分よ」 では、行きましょうかと男がレシートを持って立ち上がる。ヘルと檸於も男に続いた。 「ただいま」 ヘルと檸於を玄関に待たせたまま、男は家に中に入った。 おかえりなさいと答える妻――美智子の声は明るい。ベビーベッドに寝かせている赤ん坊をあやしているようだ。 美智子が赤ん坊に気を取られているうちにアルバムを棚から抜き去り、再び玄関へと向かう。 それを受け取ったヘルは軽く中に目を通したあと、男に促されるままリビングへと向かった。 「あら、お客様?」 「ああ」 これからなにが起こるのか知らない美智子は笑っていた。 「こんばんは。私達、赤ちゃんを見せてもらいにきたの。いいかしら?」 「え? ええ……」 美智子は困惑しながらも承諾し、ベビーベッドから僅かに体を離す。 「あなたを迎えに来たのよ私達」 ヘルが話しかけると赤ん坊はクルクルとした瞳で彼女を見上げ、あーうーとヘルに手を伸ばした。その様子を見て焦ったのは美智子だ。 「ちょっと、なに言っているの? この子は私の子供よ、どこへ連れて行くつもり?」 「違うわ、この子は貴女の子供じゃない」 写真を見て頂戴、とヘルはアルバムを開く。 「これが貴女達夫婦の子供よ。自分がお腹を痛めて産んだ子の顔と名前、覚えてるでしょ?」 美智子はアルバムを一瞥したあと、すぐに視線を逸らした。 よく見て、とヘルは写真を突きつける。 「お母さんに忘れられたら誰がこの子を覚えていてあげるの?」 美智子は唇をぐっと噛みしめる。 「我が子の代わりは誰にもできない。それを一番よく知ってるのは貴女でしょ?」 「代わり……じゃないわ。だってこの子は神様が返してくれた私の子だもの」 じっとりと睨みつけて反論する彼女にヘルは大きく息を吐いた。 「そう……。じゃあ、この子の写真はもういらないわよね。貴女の子はそこにいるんだから、必要ないでしょ?」 この場で燃やしてあげるわ、とアルバムから子供の写真を抜いていく。 「この子がいた痕跡を全て消すことができればその子を貴女の子供と認めてあげる」 産まれてきた我が子の為と揃えられたであろう玩具も絵本も全て庭へと持ち出した。そうして写真へとライターの火をかざす。 チリ、と写真の端が焦げた瞬間、美智子の目が見開かれる。 「やめてー!!」 絶叫し、素足のまま庭へ飛び出した美智子はヘルから写真を奪い、ぎゅっと胸に抱いた。 これが乱暴な行為である事はわかっている。だが、ヘルは賭けていたのだ。彼女が亡くなった子供の“母親”である事を。その子をまだ愛し、その存在を消さずに生きようとする事を。 「この子をちゃんと見て下さい」 檸於が赤ん坊を抱いて美智子のもとへ歩み寄る。 「本当にこの子はあなたの子ですか? あなたにも旦那さんにも似ていないこの子が」 檸於の問い掛けに美智子は涙に濡れた顔を上げる。 「あなたがこの子を選んでしまえば、あなたの本当の子供はいなくなってしまう。この子がいれば悲しみを忘れられるかもしれませんが、その気持ちごと自分の子供のことを忘れてあなたは本当にそれでいいんですか?」 惑う彼女の心を導くように檸於は続ける。 「この子の母親はあなたしかいないんです」 檸於が美智子の抱える写真に触れる。 「そのあなたがこの子を選んでしまえば、あなたの子供はいなかった事になってしまう。……それに、この子の本当の親はどうすればいいんですか?」 腕に抱いた赤ん坊をあやしながら言い募る檸於に美智子の心は揺れた。 「この子は捨てられた子じゃありません。この子の帰りを待っている人がいるんです。だからどうか……」 この子を返してくださいと檸於は頭を下げる。 「美智子……」 男が彼女の肩に手を置く。 「返してあげなさい。あの子はもう死んだんだ。黄泉の国から戻ってきたりはしないんだよ。これ以上、私達の子供を悲しませるような事をしないでくれ」 男の声は優しかった。そこに彼女を責める色はない。 「……ごめんなさい」 「私も今まですまなかったな」 どんな言葉も届かないだろうと口を噤んでいた自分を恥ずかしく思う。妻に言葉を掛けなくなった私も悪かったのだ。 一人で苦しませてはいけなかったのだと今更ながらに思う。 「無理に子供が亡くなった事から目を逸らさなくていい。その子の思い出を話して、悲しみを分け合って、一緒に泣けばいいんです。夫婦ってそういうもんでしょう?」 檸於の言葉に二人は頷く。 「旦那さん、この人をしっかり支えてあげて。私は子供を産んだことがないから母親の気持ちはわからない」 ヘルは美智子の肩に手を置く。その顔には先程までの厳しさはない。 「でも、子供の気持ちならわかる。……私のママがいつまでも自分の事を責めていたらやりきれないわ」 だから貴方も、と男に目をやる。 「この人を見捨てないで守ってあげて」 男はもちろんだともと頷いた。 「なんとかなったなー」 んん、と檸於が片腕で伸びをすると抱えていた赤ん坊が青白く光った。 「うわっと」 腕の中から滑り落ちた子供が自らの足で着地する。本来の姿に戻った子供――ロストナンバーが二人を見上げた。 「お兄ちゃんたち、だあれ?」 「俺は檸於。迷子になったキミを迎えにきたんだ」 「私はヘルウェンディ。ヘルって呼んでちょうだい」 「僕、ルーディー。僕、おうちに帰れるの?」 ルーディーは小首を傾げる。 「残念ながらすぐには無理なの。まずは0世界っていう所に行ってパスホルダーを貰わなきゃいけないの」 「ふぅん?」 「だから、今から一緒に0世界に行ってくれるかな?」 「うん」 ルーディーはあまりよく理解していないようだったが、それでも頷いてくれた。一人でこの世界にいてもどうにもならない事はわかっているようだ。思いの外、賢い子なのだろう。 彼は腹を空かせて凶暴化した異種族に追いかけられ、逃げているうちに崖から足を踏み外し、気が付いたらこの世界にいたらしい。 幸いな事に彼は自分達を恐れず、話し掛けてくる。0世界には彼のような獣人も少なくない。きっとすぐに馴染む筈だ。 ヘルと檸於は左右からルーディーの手を握りロストレイルの待つ場所へと向かった。 彼等が去ったあと、私達は庭に投げ出された玩具や本を拾い、元の場所へと片付けた。 妻はアルバムに写真を戻し、子供の写真を愛おし気に撫でている。私は妻と自分の為のコーヒーを入れ、妻の隣へと腰掛けた。 ありがとうと言う妻の腰にそっと腕を回し、アルバムを一緒に覗く。 私達はこれで終りではない。 いつか再び私達が子供を授かる事ができたなら、その時は私も妻を支え、子供を育てていこうと心に誓う。 産まれてほどなく天に召された魂は、すぐに再生の時を迎え、新しい命として産まれてくるのだと言った彼等の言葉を胸に抱いて……。
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