紅蓮の毛並みを持つ、壱番世界でいうところのジャーマン・シェパードの様に精悍なグリミスはふうっと深呼吸をした。 この日はヴォロスに竜刻を取に行く手はずで、ロストレイルの停車場で大人しく待っていた。 依頼内容は【ヴォロス奥地にある宮殿で旅人が行方不明になるという予言があり、どうも竜刻が関与しているようなので回収してきて欲しい】というものだ。 相棒になる人物(グリミス同様、ヒトとしての形ではない可能性も高いが)が来る筈なのだが、まだ来ない。プラットホームにある時計を眺めてみるが、時間オーバーではない。二人で行くということしか聞いていないので、名前くらい聞いて置けばよかった。 後ろ足でかりかりと耳をかいると、人の気配が近付いてくる。 振り返ると、真っ赤な青年が居た。きょろきょろと辺りを見回し、シャツの裾を直しながら僅かに息を弾ませている。走ってきたのだろう。 「あ、君がグリミス? はじめまして~、ニコ・ライニオです」 人好きのする笑顔で、ニコ・ライニオはグリミスに右手を差し伸べる。 グリミスは戸惑った。 だって差し出したところで握手できないし。 宙ぶらりんのグリミスの大きく立派でもっふりした前足を全く気にした様子のないニコがきゅっと掴む。 「今日は宜しくね!」 コイツはいいやつなのかも、とグリミスがこれまた立派なしっぽをばすんと地面に叩きつけるように振る。 「うわっ、意外と肉球硬いね、もっとプニプニしてたのを想像してたよ! あ、でも握ると気持ちいい感触かも……」 指先でふにふにと触られたり、ぎゅっぎゅっと握られたり、指球と掌球の隙間に指を突っ込まれたり、その隙間から生える毛をさわさわと逆撫でられたりとやりたい放題されてしまった。 「や・め・ろ!!」 くすぐったいしちょっと気持ちいいだろ! そんな思いをこめて叫ぶと同時にわおん、と吼えてみる。 「怒鳴んなくたって……」 ちょっぴりションボリとするニコを見て、こいつと二人で大丈夫だろうか、と一抹の不安が心を過ぎった。 ※ ヴォロスに降り立つと、広大な自然が二人の視界を占めた。 遠めに見える村に行こうと言い出したのはどちらが先だったか。 グリミスは情報収集目的、ニコは……言うまでもない。 ロストレイルに乗っている間、今歩いている間、二人は話をしていた。もと居た世界の話、今現在の話。 ニコは話し上手で聞き上手らしい。おしゃべりという程喋るわけではないが、自分自身のことをメインに話しながらも、グリミスの事情や世界のことも引き出してくる。 悪いやつではないというより、結構いいやつそうなのは間違いない。 訪れた村はとても小さな村で、大昔は随分と栄えた街であったらしいが、かつての領主の家が没落するのを切欠にゆっくりとだが速やかに寂れていったということだ。 「おにーさん達、あんなところにいくの? えー、止めなよ、何も無いわよ?」 「え、君がそんなに言うんなら止めようかなあ」 村で一軒と言う喫茶店に入り、ウェイトレスの少女にそう言われたニコは(グリミスから見れば)デレっとしている。 「おいっ」 「え? あ、そっか、行かなくちゃだよねえ」 「忘れてたのか? お前忘れてたのかっ」 視線を逸らすニコのベストをギリギリと鋭い牙で引っ張る。 犬(正確には霊獣だけども)の牙は案外器用にできているもので、がっつり噛んでいるようで案外相手へのダメージはいかない。 布製のものだから暫くの間痕はつくが、破られるよりずっと問題はない筈だ。 「残念だけど、僕ら行かなくちゃいけないんだよね。でもすぐ帰ってくるからね。君のために!」 やんわりと少女の手を包みながら言うあたりが如才ない。 店主にも砕けた態度で接するあたり、ニコの優しさと愛想の良さは女性に限ったわけではなさそうだ。 ぐいぐいとグリミスに引っ張られて二人は店を出る。 ひらひらと手を振るニコに向かって、グリミスが腹の底に響くような低い声で吼えた。 ※ 「ったく、お前は! 何しにきたのか本当に忘れてるんじゃないだろうなっ」 「違うよ、全然違うよ。女の子が居るのに声をかけないなんて失礼じゃないか」 「そんな真面目な顔で言われても」 整備されていない獣道をざくざくと歩く。 草は伸び放題で道も舗装されていないが、木が生えていない場所を進んでいく。 領主健在の頃はかなり広い道であったのかもしれない。石が転がり、でこぼこした道も恐らく舗装されていたのだろう。 「それにしても本当に人は入っていない場所みたいだな、草を掃った形跡もないし」 装飾の少ない実用的なナイフで鬱蒼とした草を切り取る。 「グリミスは僕の後ろから歩くといいよ」 「おう、ありがとな」 大雑把そうに見えたが、切り口は二人に当たらない適度な長さで揃えられている。 「どのくらい歩いたんだろうなー」 木々の隙間から僅かに見える空は着た時同様まだよく晴れた青空だ。体力としては十二分に余力はあるのだが、振り返ると既に森の入り口は見えない。 「でも土の匂いが濃くなってきているし、水の匂いと音もする。道が変わるかも知れないぜ」 グリミスが鼻を鳴らす。 「犬の鼻って気持ちいいよね」 「は・な・に・さ・わ・る・なー!!」 ※ 光が強くなって、遮る木々も減ってきた。 「……荒野?」 川幅数メートル、水流穏やかな川が近くにあるだけで、森は終わり、林すら見当たらない。村や炭焼き小屋も少なくとも視界の内には入らない。 「でもあの子に教えて貰ったのは森の奥だから、間違ってないと思うんだけど」 「あの子がどうのっていうよりも世界司書の予言だろ」 人影も見えるはずもない。 グリミスの言うとおり、そもそもは世界司書の予言で、この荒野にある宮殿で旅人が行方不明になる予言が出てるから調査せよ、とのことだった筈だ。 そうなると、旅人など居ないと言ったあのウェイトレスの話も怪しくなってくる。ニコの女性贔屓目線だけではなくグリミスから見ても彼女の言うことに嘘は感じられなかった。 「ん? なんだ、この音」 ピクリと耳を振るわせる。 人間のものよりはずっと高性能であるニコの耳だが、何の音も拾えない。やはり犬と同じ性質の耳を持つグリミスのものには適わないようだ。 「どんな音さ」 「ガラガラッて。何か引きずっているような。後は……動物の匂いだな」 彼の鼻が向いた先には豆粒が見えた。 何となく顔を見合わせて音の方向へと向かう。ほかに手がかりも無いし、何も見えないし、事態の打破には向かう以外ないのだ。 5分程度歩いたところで、相手の姿が目視できた。 中年の男性が一人、馬車に乗ってのんびりと道なき道を進んでいた。 「おぉーい、おじさーん」 小走りで駆け寄るニコに、男性は少なからず驚いた様子だった。 「おや、こんなところで人に会うとは珍しい。どうしたんだね、兄さん。危ないよ」 「危ないって? どうしてさ」 「ここは街道もないし近くにある村には宿すらねぇだろ? 昼間っから幽霊が出るって専らの噂だからよ。実際に帰ってこないやつも居るしなァ」 「でもあっちの村じゃ、そんな噂聞かなかったよ」 「そりゃあそうだろうさ。その森を隔てて国境だからな」 「国境なのにあんなに警備が薄いっていうか無いわけ?」 森を振り返るとやはり村は見えないが、国境警備などのようなものも当然見えない。来た道を振り返ったのだから、見えてもおかしいものだが。 「村人居たろ。あいつらが警備隊だよ」 「えぇぇぇぇ!?」 一応黙っていようと決めていたグリミスだが、そこはさすがヴォロス、動物形態の者が喋っていても全く意に介さない。 「でもこっちの国で起きてることだからな、あいつらは手出ししてこないよ。冒険者や俺みたいな木っ端商人が行方不明になったって大した心配もしねえしな」 商人はそのまま、急ぐ旅路だからとさっさと行ってしまった。 「……帰ろうか?」 「なんでだよ!?」 「いや、君、幽霊とか怖いかなって」 「目に見えないものは怖くないし、見えたら見えたでいくらでも対処できるだろ。別に怖いって程じゃないよ」 ぽすんとしっぽを地面に叩きつけるグリミスがニコを見上げると、ニコは明らかに目線を逸らす。 そう、彼、ニコ・ライニオは幽霊が怖かった。女性の居る前では絶対に見せられない弱みだが、同性の前でだってできれば見せたくない。格好悪い所は誰にも見せたいわけじゃない。 どっちにしろ進むしかないだろ、そうグリミスは主張するが、ニコは一旦戻ろうという言い分を取り下げない。 「だって宮殿なんて見えないじゃないか!」 「でもさっきのオッサンが幽霊が出るって言ってただろ!」 何も無いはずの荒野で青年と見た目ジャーマン・シェパードが喧々諤々と言い争っている。 「あの、もし?」 ふわりと花の香りが二人の鼻腔をつく。軽く漂うものであるにも関わらず、どこかくどくてしつこくて、グリミスは鼻を歪める。 「なんでしょう、お嬢さん」 如才ない動作で、ニコがさっと花の香りの主の手を取る。 「ワタクシ、街からの帰りなのですが荷物が重くって……お二人に持って頂きたくって」 どう考えても怪しい。 グリミスは鼻をヒクヒクとさせる。 女は美しかった。美的観念は人それぞれだが、殆どの者が美しいと分類するであろう程の美女だ。すっと通った鼻梁に柔らかい柳眉、ほんのりと赤い目元。薄い唇は珊瑚色。見るからに高級そうな薄い絹の服。 突然現れた上に、ここまで荷物を持って歩いてきたとも思えない。大金持ちか貴族の奥方とでもいうような女性が供も連れていない。 怪しさ大爆発である。 かと言って、グリミスとて面と向かって「お前怪しいだろ」というほど無礼でもない。 「僕達に任せて下さい! 貴方の為ならどこまでもお持ちしますよ、力には自信ありますし。どちらまでお持ちしましょう」 「ええ、あちらまで」 白魚のような指が指し示す先には、ついさっきまでうっすらとした形すら見えなかった宮殿が聳え立っていた。しかも、ほんの5分も歩けばたどり着くような場所だ。 ニコはさりげなく女性の手を取って「喜んで」と安請け合いしている。 明らかに怪しいだろー! そう叫びかけたが、行方不明の原因は彼女かも知れない。 何かで聞いたことがある壱番世界の昔話にもよくあるパターンだ。絶世の美女が旅人を惑わし獲って食う。先ほどの商人も旅人が行方不明になるといっていた。多少なりとも危険があるが、着いて行く方が良さそうだ。 うっふんと笑う女に、ニコにグリミスのようなしっぽがあれば千切れんばかりに振っているのだろうと思うと、ちょっぴりため息が出た。 ※ 宮殿の中は、外見にそぐわぬ豪華絢爛な内装だった。 「お帰りなさいませ、奥様」 ずらりと居並ぶ召使い達が三人を歓待する。 うふふん、この方達はワタクシの荷物を持って下さったのよ是非お持て成しして差し上げたいのようふふん。 豊満な上半身と折れそうな下半身をくねくねとくねらせて歩く姿は艶っぽさを感じるよりも怪しさだけを際立たせている。 大広間に通されたが、女性は食前酒を選んでくると二人を残して出て行ってしまった。 「怪しすぎるだろ。どう贔屓目に見たって怪しいだろ」 「いや、怪しすぎて逆におかしくないよ。それに、このあたりに詳しそうな女性とお近付きになって竜刻の在り処を探るっていう作戦だよ、作戦」 確かにその作戦も悪くは無いだろう。が、先ほどまでのデレデレとした表情を思い返すと、そんな作戦があったとは到底見えない。 「お待たせしましたァ~」 「沢山お召し上がり下さァい」 「お酒もご用意しましたァ」 十二分に愛らしい少女たちが、二人をもてなすには余りある量の食事と酒を運んできた。 繊細な作りだが大胆で鮮やかな色使いが素人目にも素晴らしい料理に、ビロードのようなワインと月の様な色合いのシャンパンが10人は食事ができるであろう大きなテーブルにぎっしりと並べられていく。 「……大丈夫かよ、これ」 ふんふんと鼻を鳴らして出された料理をチェックするが、毒物のように危険な香りは感じ取れない。 「うわあ、こんなに頂いていいのかな?」 「勿論ですわぁ、手伝って頂いたのだし、お客様はとてもとても久しぶりだし……ワタクシ達、女ばかりでしょう、心細いし、こんな素敵な男性がいらして下さったから、嬉しくて」 しなだれかかられてニコはますますご機嫌だ。 グリミスも可愛らしい少女のしなやかな指で撫でられたら、悪い気はしない。しないが、犬扱いされるのは不服だし、何よりニコがあの調子なのだから、自分がしっかりしなければ! と少女達から距離をとる。 「あァん、つれないことしないで、グリミス様? お酒、飲める?」 酒。 酒は百薬の長である。 酒は人類、いや全ての知的生命体の供である。 酒の席で起きたちょっとした揉め事ならば、大抵酒が罪を被ってくれる。 お酒飲むと楽しいじゃない。お酒飲むとウハウハした気持ちになるじゃない。お酒飲むと嫌な事結構忘れて楽しい気持ちだけ残るじゃない。 二日酔いで目が覚めたときは気分最悪だけど、そんなこと飲んでるときに気にするのはナンセンス。大丈夫、起きた時は、昨日の事なんて殆ど忘れてる。 そう、逆らえないのだ。酒飲みは。酒の誘いは断れないのだ。 壱番世界のスイーツOLが、馬がシンボルの神の名を冠したブランドが出している往年の名女優の名前を取ってつけたバッグが1万円で売っているといったらこぞって買いに走るだろうということと同じ位、その誘惑は断れない。 だが理性も残っている。 ここで飲んではいけない。 理由は様々。家族が嫌がる。場所が遠い。明日は早い。そんな理由がある。 だが出てくる言葉はたった一つ。 「……一杯だけだぞ」 この一言で、酒飲みはまた同じ後悔をするのだ。 ※ くすくすくすくすくすくす。 女達が嗤う。 女主人から少女へともてなし係は代わったが、歓待されて相変わらずご機嫌のニコと、お酒が進んで進んで「グリミスでぇーーーす!!」と大声で挨拶して回り、踊り始めるグリミス。 「まさかこんなに簡単に引っかかるなんて、ねえ?」 女主人が召使の頭を撫でると少女はうっとりとした表情でしなだれかかる。 ボワンと煙に包まれると少女は女主人の掌に治まる程度の蜘蛛へと姿を変える。 「あらあら、うっかりさんねぇ。あんまり気を抜いてはいけないと、言いつけておいたでしょう?」 叱ってはいるが、ニコとグリミスという極めて良質な贄が手に入ったことでご機嫌のようで、表情は優しい。 グリミスが当初警戒していた通り、彼女達こそ世界司書の予言に記された行方不明事件の元凶なのだ。 「彼らはとっても美味しそう……。まだまだお酒を飲ませて、肉をやわらかくしなくっちゃ」 女主人は別の召使に申しつけ、新しく酒を持ってこさせた。 「あららん、グリミス様ったら、お酒お強いのねェ」 「そーだよー! 俺ねー、酒強いんだぁー」 「おっ、グリミスいいねえ、いい飲みっぷり!」 始めこそニコの手綱を引いていたグリミスだが、酒が入って最高にハイって奴だぜえ!等と叫んでいる。 「良かったわァ、秘蔵のお酒取っておいて。 飲んでいって下さいますよね?」 返事も待たずに、両手を打ち鳴らすと召使達がしずしずと酒を運んでくる。 トクトクと酒がなみなみと注がれる。 「とびっきりのお酒ですのよん」 感動しているニコをよそ目に深みのある大皿に盛られた琥珀色の液体に、グリミスが思い切り顔を突っ込む。 がぶ。 がぶがぶがぶがふ。 ご機嫌のニコと一心不乱に酒を食らうグリミスは、女主人の口元がいやらしく歪んだことに気づいていない。 そして、女主人も。 グリミスの体の変化に気付いていなかった。 ※ 一陣の風が吹き抜ける。 荒野にはもう宮殿は無い。 ニコの右手には死んではいないが動かない女郎蜘蛛、左手には琥珀のような輝きを持つ石。これが竜刻だったようだ。 強い酒を大量に飲み、体が熱くなったグリミスはなんと巨大化したのだ。 本人も意図的にしたことではないと思われる。 酔っ払ってご機嫌のグリミスは巨大化したことに気付いていないのか、後ろ足だけで立ち上がり、軽快なステップを踏み出した。 ほろ酔いだったニコの酔いも吹っ飛び、女主人の手を引いて宮殿から脱出するのに精一杯だった。尤も、わざわざ逃げなくても竜刻の力で実体化していたようだから、その場に留まるだけでも良かった様だが。 「結局美味しいもの食べて飲んだだけで済んじゃったけど、良かったのかなあ。 ……良かったんだけどね」 足元でぐっすりと満足げに眠っているグリミスを見て、ついつい呆れてしまう。 「酒は飲んでも飲まれるなっていうけどさ。まあ……結果オーライでいいのかな?」 ぴすぴすと鼻を鳴らすグリミスの鼻はやはり可愛い。つついてみると眠りながら前足で抵抗してくるのが面白い。 「次の機会があるかは判らないけど。 もう……グリミスに酒を飲ませるのは、止めよう」 まさかそれが長い腐れ縁の始まりだったとは、お互いに予測していなかった。 運命とはまさしく数奇なものである。
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