『彼』はただ眠っただけだった。 ヴォロスの雄大な自然の中、人の手の入っておらぬ未開の自然の中に心地よい場所を見つけたから。 柔らかい草がそこだけ沢山生い茂っていて、身体を横たえるととても気持ちが良いのだ。だからそこで暫くの間眠っただけだった。 だから目覚めてみて驚いたのは彼自身だった。いつものようにひとっ走りしてこよう、そう思ってかけ出すと、何やら身体が軽い。気がつけば蹄は地面から浮いていて、背中のあたりがむずがゆい。 ちょっと視線をずらしてみると――なんだこれは、背中から鳥のような翼が一対生えているではないか。その翼が羽ばたくごとに彼の身体は中へと浮いていく。 ヒヒーンッ!! 戸惑った彼は、額の角を振り回して叫んだ。だがこの状況を説明できそうな者も助けてくれそうな者も見当たらない。 このまま自分は飛び続けるしかないのだろうか――長い鬣に絡まった竜刻の存在には気が付かず、彼は絶望にも似た思いで今一度、いなないた。 *-*-* ターミナルの一室。世界史書の紫上 緋穂(しのかみ ひすい)に声をかけられたロストナンバー達が指定された部屋の扉を開けると。「ひひーん」 緋穂が馬っぽいぬいぐるみで遊んでいた。 部屋を間違えてしまったかと一度扉を閉めて。確認。うん、間違ってない。 でも緋穂はぬいぐるみで無邪気に遊ぶような年齢ではなかったはずだが……いや、ぬいぐるみで無邪気に遊ぶティーンエイジャーがいてもいいとは思うが、うん。 かちゃり。「なにしてんのー。早く来てきてー」 もう一度扉を開けると、彼女は普通に出迎えてくれた。それに安堵して室内へと歩み入る。 ぺこり、机の近くに立っていた銀髪の女性が頭を下げた。ユリアナ・エイジェルステット。コンダクターだ。 彼女の持っているバスケットからは、馬っぽいぬいぐるみがいくつか顔を出している。なるほど、これは彼女が持ってきたものだったのか。「ユリアナさん器用だよねー」 ロストナンバー達が着席すると、緋穂は一つ一つのぬいぐるみをテーブルに並べて。「馬。こっちがユニコーン。で、こっちがペガサス。違いわかる?」「違いって……馬に角が生えたのがユニコーンだろ? 馬に翼が生えたのがペガサス」「じゃあ、こういうのはなんていうの?」 バスケットから出された最後の一つを見て、ロストナンバー達は言葉につまる。それはペガサスにユニコーンの角が生えた馬だったからだ。「今回のお仕事は、ヴォロスに行ってもらいまーす。で、この生物……呼び名がないと面倒だからユニサスと呼ぶとして、ユニサスの鬣に絡まってしまった竜刻を回収して欲しいんだ」「なるほど……」 このユニサス、元はユニコーンのような姿をしていたらしく、偶然竜刻の側で眠ったところ、鬣に竜刻が絡み付いてしまい、竜刻の影響で翼が生えてしまったという。「翼なんて生やしたことないからどうしたらいいのかわからないみたいでね、本人? 本馬? も混乱しているみたいなんだ。とんじゃってるよ、どーしよう、って。だから、何とかして竜刻をとってあげて」 鬣から竜刻を取り外せば、徐々に翼は小さくなってなくなるだろう。「ユニサスが暴れているのは、下草は生い茂っているけど木がまばらな林の上空から丘にかけて。まだあんまり高くは飛べないみたいだけど、4mくらいのところを飛んでるみたい。だからまあ、何とかして、よろしく」 なんともまあ無責任な話ではあるが、仕方あるまい。「できるかぎりユニサスは傷つけないであげて欲しいんだ。竜刻の回収が終わったら、放してあげてね」 翼さえなくなれば、雄大な自然の中に帰っていくだろう。「あ、忘れてた」 緋穂はポケットから、角張った緑のビーズを取り出して。「今回の竜刻は、透き通った緑色をしていて、大きさは10cmくらい。尖った石みたいな感じだよ。あ、草むらとかに落としたらちょっと見つけづらいかも」 ユニサスを模したぬいぐるみの鬣にくくりつけた。
●ユニコーン+ペガサス=ユニサス 「あれが、ユニサス……」 青々とした木々が茂るヴォロスの自然の中で、数十メートル前方を見つめた誰かが呟いた。 「傷つけないように、か」 Marcello・Kirsch――ロキはトラベルギアを見つめて呟いた。通常はナイフの形状をしている『シギュン』だが、ナイフ形態と必殺技はユニサスを傷つけてしまう恐れが有るため今回は封印。鞭形態で操ることに決めた。 世界司書の緋穂の『お願い』――ユニサスを傷つけないで――これは必須ではなくあくまでも『お願い』であったが、ここに集まったロストナンバーは皆、なるべくユニサスを傷つけないで済むようにと考えていた。 「彼は空中で暴れまわるかの如く飛び回っている。『静止』の魔術で落とすとなれば、落下の衝撃で傷を負わせてしまうやもしれぬ……『静止』は最終手段だな。我輩が竜に変化し、翼の動かし方を教えてやれればいいかもしれぬが、突然巨大な竜が現れる、と言うのは余計な動揺を与えてしまうか……竜変化はナシか」 ぶつぶつと己が使うべき術を吟味しているのはヴィクトル。翼は不要とでも嘆いているようなユニサスの声を聞き、ふと自身の内(うち)に思いを馳せた。 (翼は不要、か。地を速く駆けることを喜びとする者にとっては、そうなのだろうな) つ、とユニサスを見上げて。 (我輩は竜に焦がれ、その姿を模すことで翼を得た。紛い物の翼が、劣っているわけではないと自負している) 自らの姿に誇りを持つ彼だ。ユニサスが翼のない己の姿に誇りを持っているのだろうと想像できる。 「竜刻が翼以上の変化をユニサスに起こす可能性はないようだ。ならば、時間をかけて落ち着かせ、相手の気が緩んだ隙に竜刻を回収する方法を取りたい」 シンイェは出発前に緋穂に確認を取った事項を皆に告げる。上空で無理矢理竜刻を取り外せば、だんだんと翼が小さくなって結果、ユニサスが落下してしまうおそれがあるからだ。 「構わねぇぜ」 ギル・バッカスの同意に倣うように、他のロストナンバー達も頷く。ユニサスに怪我をさせない方法なら、大歓迎だ。 (私には翼がある。白銀の翼を広げ、大空を飛行する。生まれた時から翼があり、飛ぶ事自体、当たり前の事。でも地面を走り回っていた者が翼を急に持って、慣れない翼で飛ぶ事になったらさぞ不安だろうな) アマリリス・リーゼンブルグはユニサスを見上げる。 (おれは形を自在に作り変えることができる生き物だが、変化への恐怖を強く持つ。同じ変化への恐怖でもおれとユニサスでは違うだろうが、助けになりたい) シンイェも同じように見上げて。 ――二人は、飛んだ! アマリリスは背に持つ白銀の翼を羽ばたかせて。シンイェは背中に影の翼を創りだした後、低空をユニサスを追うようにして。 「あ、わたし、もっ……!」 数拍遅れてユリアナ・エイジェルステットもギアの力で背に光の翅を生やす。 「俺達も行こう!」 地上に残されたロキ、ヴィクトル、ギルの三人も、まずはとりあえずユニサスを追いかけて地上を駆ける。 ユニサスの『声』が、悲鳴と聞き間違えるような悲壮なものになっていたから。 これ以上、黙って聞いてなどいられるはずがない! ●空翔、地翔 漆黒の馬が駆ける。いや、駆け飛ぶ。シンイェは地上から声を張った。 「落ち着け。いつもより少し太陽に近い場所にいるだけだ。翼が生えたとて、お前はまだお前自身のまま。恐ろしいことは何もない」 シンイェにはユニサスの言葉はわからない。ユニサスにもシンイェの言葉は理解出来ないかもしれない。けれども言葉がわからなくても伝わるものがある。何か優しく話しかけられている――そう感じたのだろう、ユニサスの鳴き声が小さくなった。それを見て、シンイェはユニサスの後ろ隣辺りまで飛び上がる。 「もう少し落ち着いてもらえると、助かるのだが」 突然前へ出て更に混乱させないようにというのはふたりとも同じ考えで。シンイェとは逆の後方を飛んでいるアマリリスが得意の幻術を行使する。 ……! ピクン、とユニサスの身体が小さく震えた。そして身体の暴れも多少収まりつつあるようだが、羽ばたきと脚の動きはまだ激しい。 「何をした?」 「彼にとって心落ち着くような、森の自然の光景を見せた」 「なるほど」 アマリリスの答えを聞いたシンイェは少しばかり速度を上げる。風が鬣を梳いてゆく。 「飛べることはそうおかしくない。おれも飛べる」 ユニサスと並んだシンイェに、ユニサスは最初は驚いた様子を見せたが、次に見せたのは明るい鳴き声。『仲間がいた!』とでも叫んでいるように聞こえた。 「私も飛べる」 逆側から現れたアマリリスにはさすがに驚いたようだ。けれどもその驚きは混乱とは違う。 「私はアマリリス・リーゼンブルグという。必ず助けるから、安心して欲しい」 アマリリスの言葉に、少しだけ彼の瞳から困惑のゆらぎが消えたように見えた。 「お前に翼が生えたのは、竜刻の影響だ。だから、竜刻を取れば直ぐに元に戻る。だがここでそれをとるわけにはいかないんだ」 ここで竜刻をとってしまっては、ユニサスが落下する可能性が高い。それは避けたい。 「背中に神経を集中させ、翼を動かすんだ。そんなことしたこともなければ戸惑うだろうが、試してみて欲しい」 生まれた時から翼のあるアマリリスと違って、突然翼を生やしたユニサスにはなかなか制御は難しいようで。それでも最初よりは幾分ましになったような気がする。 「よっと。追いついたか」 「ギル様!?」 突然目の前に現れたギルに驚いたのは、後方に控えて様子を見ていたユリアナだった。よく見れば彼は土の魔法で地面の岩の塊を射出させ、それに乗ってユニサスの後方へと回り込んだのだ。だが、その背に飛び乗るには少し距離がありすぎる。ユニサスがまだ、翼と手足をバタバタさせているからだ。 「ちっ、無理そうか。出なおしてくる」 落下する足場と運命を共にしてしまうのかと心配していたユリアナは、彼の様子を見てほっと息をつく。新たに土を隆起させ、そこに飛び乗ることで純粋な落下を避けていたからだ。 「翼が生えた混乱からはだいぶ回復したみたいだが、それと翼の使い方とはまた違うんだろ。まだ飛び乗れそうになかったぜ」 「とある世界の伝承では、ユニコーンは純潔の乙女を好んで姿を現すと言うが……今回ばかりは、ユニコーン自身もそれどころではない、か?」 降りてきたギルの言葉に、ヴィクトルはふっと微笑を浮かべて。混乱から回復しているならば、事態はいい方向に向かっている証。まだ楽観視はできないとしても、笑みも浮かんでくるというもの。 「他人ごととは思えないんだよな……」 少しは落ち着いてきたというものの未だに脚と羽根をばたつかせているユニサスを見上げたロキは、誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。 思い出すのは先日のコロッセオでの協力訓練。そこで体験したのは、不慣れな空中戦である。その時の記憶が蘇り、ユニサスとなったユニコーンの気持ちが痛いほどわかる。 だから。 助けたい――! その強い思いが、『シギュン』に伝わる。 その強い思いが、『シギュン』を変化させる。 鞭形態に変わったそれならば、使い方次第ではユニサスを傷つけることなく味方の援護ができる。 「では『遅行』を使おう。翼を動かす速度、飛ぶ速度さえ落とせれば、高度も次第に落ちるはず。『静止』による急な落下よりはマシだろう」 「俺も手伝うよ。少しでも暴れる脚を鞭で抑える」 「そりゃ助かる。その間にもう一度、背中に乗れるか試してみるさ」 ヴィクトル、ロキ、ギル――地上に残った三人の方針が決まった。 ヴィクトルが青のカードを3枚取り出す。カードに伝わった魔力が練り上げられ、そして意図を持ってユニサスへと飛んでいく。 「いっけー!」 ほぼ同時に後ろ足首を狙ったロキの鞭が空中へと踊りだす。ジュルシュルシュルとでも音を立てそうな見事な軌跡はユニサスの後ろ足首に絡まり、ピンと張る。ヴィクトルの『遅行』の魔術でユニサスの動きが遅くなっているおかげで引きずられることはないが、それでも鞭に伝わってくるのはかなりの力。 「吾輩も手伝おう」 「頼むよ」 ヴィクトルがロキの背後に周り、そして彼の腕を支えるようにして引きずられないように努力する。あまりこちらに引っ張ってしまってはユニサスの脚が折れる心配もあるが、今回の場合は相手の動きも緩くなっているので引きずられない程度に力を入れるくらいであれば大丈夫であろう。 「うし、良い感じだぜ」 再び射出した岩に乗ったギルは、ユニサスの前進がほぼ止まっているおかげで今度は十分に背中に飛び乗れる位置に出現できた。間髪入れずにそのまま跳ぶ――がしっ。 しかりと首筋を捕まえて、着地は成功。だがさすがにユニサスは驚いたようで、前足を上げて叫び声を上げた。 「お、とっとっ……!?」 「安心しろ、背中に乗ったのはおれ達の仲間だ」 「私達がお前を地上まで案内する。いきなり空を飛ぶのは怖かっただろう? だが周囲の景色を見てみるんだ。ここから見下ろす光景はとても美しい、そうは思わないか?」 ギルは慌ててユニサスの首にしがみついた。並行していたシンイェとアマリリスが安心させるように優しく言い聞かせる。 「まずいかな」 地上でその様子を見ていたロキは、手首を反してユニサスの脚に絡めていた鞭を解いた。するとゆっくりとではあるがユニサスは前に進み始める。だが羽ばたきが緩くなったからか、その高度はだんだんと落ちていた。 「驚かせてすまなかったな。地上までの間少しだけ乗せてくれよ」 落ち着かせるようにユニサスの首筋をぽんぽんと叩くギル。実はユニサスに乗って空を飛んでみたかった。 (依頼を見つけたのは偶然だったが……そうか、自分の力で飛ぶのはこんな感じなのか) 心の中で若干の感動を覚える。この感覚と空から見た光景は忘れないだろう。だが、絶対に表情には出さない。だから、誰も気がついていない。彼の小さなお楽しみを。 「あと少しだ。頑張れ」 「もう少しでお前の大好きな大地だ」 飛行が不得手なシンイェは高度を上げる。そして猛スピードで滑空し、一足先に丘へと着陸した。その姿はまるで、黒い彗星のよう。 アマリリスの先導で、ユニサスはゆっくりゆっくりと高度を下げながら飛ぶ。この分だと木の上などに着地してしまう可能性は低そうだ。おそらく丘に着地できるだろう。 「おーい」 丘まで駆けつけたロキが手を振るのが見える。アマリリスは小さく手を振り返して。 同じく丘に到着したヴィクトルは青のカードを3枚取り出し、落下予測地点に魔術をかけた。念には念を入れて『衝撃緩和』の魔術を。 ふぁさり……ユニサスの蹄が下草を踏みつける。 「やった!」 誰の口からか、感嘆の言葉が漏れでた。 ただいま、私の愛した大地――。 ●元凶を断つ 丘にたどり着くと、ユニサスは地面の感触を確かめるように何度か地面を踏みしめた。そして足を折って座り、ころんと寝転ぶ。下草の匂いが恋しいのかもしれない。 「おれは細かい作業には向かない。後は任せる」 シンイェは竜刻の回収を他の皆に任せ、少し離れた所に座って事態を見守ることにした。 「ふむ……暴れるようであれば『静止』の魔術をと思っていたが、この状態ならば必要ないだろう。彼を一番落ち着かせるのは、やはり自然の大地ということか」 鼻を草に擦りつけるようにしているユニサスを見て、ヴィクトルは微笑ましくて笑みを浮かべた。 「振り落とさないでくれてありがとよ」 ギルの礼に、ユニサスは小さく鼻を鳴らして応える。 「今竜刻をとってやるからな。清らかな乙女じゃないけど、ちょっと我慢してくれよ……! 今、外してやるから……!」 地面に膝をついたロキが、ユニサスの鬣を指で梳くようにして目的の物を探していく。何度かそれを繰り返していくと、指に硬いものが触れた。 「あった!」 とはいえそのまま引っ張り出す訳にはいかない。飛行して暴れても落ちないほどにユニサスの毛が絡まっているのだ。丁寧に、丁寧にその毛を解いていく。 「さすがに切るわけにもいかないからな」 後ろから作業を覗き込んだアマリリスが苦笑する。せっかくここまでユニサスを無傷で、に徹底したのにここで毛を切り取ったらやはり無傷とは言えないのではないかという思いがそれぞれにある。 ――数十分後。 「とれたーっ!」 ロキが透き通った緑色の物体を空に掲げる。おー、と仲間たちからは感嘆の声が漏れ。 ヒン…… むくりと頭を上げたユニサスが、礼をするかのようにスリ、とロキに頬を寄せた。 「いきなり背中に翼が生えて、制御も出来なくて、怖かったよな……」 鬣を撫でながら優しく言葉をかけられて、言葉自体は通じなくても気持ちは伝わったのだろう、ユニサスは甘えるようにもう一度、ロキに擦り寄った。 数十分後。竜刻を外してから小さくなり始めたユニサスの翼は、今は完全になくなっている。背中が軽くなったのか、彼も自身の背中を振り向いて確認するようにしている。 「さーて、これで仕事は終わりだな」 「なんだか寂しい気もするが」 立ち上がって伸びをしたギルの言葉にヴィクトルも腰を上げて。 「元気で暮らせよ」 シンイェに告げられた言葉の意味が分からないのか、きょとんとしたユニサスに、アマリリスが告げる。 「お前はもう自由だ。今まで通り、野をかけて暮らすことができる。家へお帰り」 ぽんと尻をたたくと、二、三歩前へ出たユニサスは名残惜しそうにロストナンバー達を眺めて。 「やっぱり大地が一番似合ってるよ。元気でな!」 ロキが手を振るとそれが別れの合図とわかったのか、ユニサスは駆け出す。 けれども途中、何度も何度も振り返って。 林の木々に隠れて姿が見えなくなるまで、彼は振り返り続けた。 たった数時間の出来事。 たった数時間触れ合っただけ。 けれども、心に残る少しの寂寥は、彼のために心を砕いた証。 彼自身が忘れてしまっても、それはヴォロスの雄大な自然と共に、皆の心に残る――。 【了】
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