壱番世界での仕事を終えたその後。 他のみんなはロストレイルが迎えにくるまでの少しばかりの時間で、それぞれ買い物に出かけたり家族友人に会いに行っていた。 ニワトコも特に用事があるわけではなかったけれど、ふらふらと小さな商店街を歩いている。 なんて事はない物事が、彼にとっては小さな発見の連続だ。 つい先程までは茜色に染まっていたアーケードの商店街も既に薄暗く。 元はもっと鮮やかな色をしていたであろう色褪せた暖簾や、金属部分が少し剥き出しになって錆びてしまっている白いポール。 そんなものを横目にしながらニワトコは商店街を歩いていく。ここも数時間前には夕食の買い物客で賑わっていたのだけれど、今は人影もまばらだ。 既に店を閉めた店舗も多く、すぐそこの青果店も店主がガラガラと音を立ててシャッターを閉めるところだった。 街灯がジリリジリリと音を立てるのが聞こえてくるようなそんなところ。 人のいない通りを真っ直ぐに歩いていると、まだ明るい店舗がある。 小さなショーウィンドウ。そこに飾られているのは見たことのない何か。 額縁に入った綺麗な着物の女性、ほんの小さな赤ん坊、知らない家族の肖像。 そこは古びた写真館だった。 ● どうやらこのおじいさんはこれから店をしめるところみたいだった。 大きなポスター?額縁に入ったたくさんの誰かの肖像。 三本足に乗っかった四角くてレンズのついた箱……前にみた事はある気もする。それはもちろん元の世界にあったものではない。 何のお店だろう? のぞき込んでいると、ショーウィンドウの奥でおじいさんが振り返りこちらを見た。なんとなくあわててあたふたしていると、おじいさんが扉をあけて声をかけた 「いらっしゃい。気になる写真があるのなら中に入っておいで?」 優しそうな声。 「おや? 珍しい」 外国の人かね?とおじいさんは言った。この国の人じゃないのは確かだから曖昧に微笑む。外国どころかよその世界から来たのだとは言えないけれど。 「いらっしゃいませ。よければお入りなさい」 おじいさんはぼくをまねきいれる。 「ここは何のお店ですか?」 「おや? 分かりづらかったかな。何、ただの写真館だよ。君の国ではもっと綺麗なスタジオばかりになっていたりするのかもしれないが」 「写真館……?」 「む……外国の言葉では別の言い方かな。つまりは、そう、このカメラでお客さんの写真を撮る場所さ」 「カメラで写真……」 そうだ。それだ。 ぼくは前に誰かがこのカメラを持っているのを見たことがある。そして、このたくさんの額縁に入ったものが写真か。ぼくの世界にはそんなものがなかったから。今までよくわからなかったけれど。 カメラというものを使うとこういう絵があっという間に出来るらしい。ぼくはきょろきょろと辺りを見回す。 「随分たくさんあるんだね」 「長いことやっているからね」 あちこちに飾られた写真。眺めてみるとなかなか面白い。 カラフルな写真もあれば、セピア色の写真もある。 「古い写真だろう? 私が撮ったものもあるし、私の親父の撮ったものもあるんだ」 白と黒の写真を指差しておじいさんは教えてくれる。 「これは親父の撮ったもんだなぁ。ほらこの家族なんか、みんな和服なのに、この子だけセーラー服だ」 入学祝いの記念写真だなぁとおじいさんは言う。 「こっちは私だ」 「あ」 坊主頭の男の子がにかっと笑っている。けれど、その前歯がない。どうしたんだろう……喧嘩でもしたのだろうか。 「ちょうど前歯が抜け替わってる時でなぁ……ちょっと格好悪いだろ。笑い話だ。この写真で何回もからかわれたよ」 「こっちはびしっとカッコイイだろう? 戦争に行く前だなぁ」 「戦争……」 「この人はちゃんと帰ってきた。でも、帰ってこなかった人もいる。家族が見て悲しくならないようにってずっとしまってあったもんさ。けど、あとでな、兄ちゃんの、息子の、元気だった頃の写真を見たいって、あとになって残っていませんかって、やって来た人もいるよ。単純に燃えてしまった人もいれば、哀しい記憶よりも楽しかった頃の記憶を優先することにした人もいて様々だったけれど……」 「……」 「こうして、写真に撮っていたことは無駄じゃない。そう思ったよ。だから、ついつい親父の跡を継いでしまった」 ぼくは改めて写真を眺める。ぼくにとっては知らない誰かの絵。でも、きっとたくさんの人のたくさんの想いが詰まっているんだ。 洋服の家族、着物の家族、綺麗なドレスの男女の写真は結婚式の記念写真だろうか。 笑顔一杯の元気のよさそうな男の子の写真もあれば、泣いてしまった後なのか目を赤くしてちょっとふてくされたような表情の小さな女の子の写真もある。 「あれ? この女の子……こっちの女の子?」 赤くて四角いリュックを背負った女の子が少しおすまししてる写真があった。女の子はもうふてくされてはいなかったけれど、どこか面影があった。おじいさんは、ぼくの問いかけに写真をちらりと眺めて笑った。 「あぁ、そうだよ」 「何回も撮ってるんだね?」 よくよく探してみると、女の子だけじゃなく同じ人の写真はちらほらとあった。 「記念だからね」 「記念?」 「そう、思い出を残すため」 思い出は心の中に残るものではあるけれど、人間、年をとると忘れっぽくなるしねぇとおじいさんは笑う。 「思い出……」 「そう。それに、この子みたいに赤ちゃんの頃は本人もそうそう覚えてられないからねぇ」 確かに、ぼくはぼくが生まれた頃のことは流石にぼんやりとする。ぼくの世界にも写真があったら、小さいぼくの姿が残されたいたのかもしれない。 もし故郷に写真が……カメラがあったなら、自分はどんなものを想い出として形に残しただろう? 朝日にきらめく水面、美しい星たち、ひとりぼっちの夜…… 美しいもの、嬉しいもの、悲しいもの。 どんな思い出も忘れたくないから、こうして形にして残すのかな? ぼくはまだ森のことも、泣いていた頃のことも、優しかった木のおじいさんのことも覚えているけれど、ぼくはもう覚えていないこともたくさんあるはずだ。 もし、写真が残っていたらどうしていただろう。 それに覚えていることだって写真があったら、こうやって誰かとその写真を見ながらお喋りする事が出来たのかもしれない。ぼくの小さいころを知らない人とも、ぼくみたいにこの女の子を知らない人とも思い出を共有する事が出来るんだ。 写真ってすごい。 「もうすぐこの女の子もお母さんになるんだけれど……」 「へぇ」 女の子はもう立派な女の人になっているらしい。ぼくはびっくりする。目を見開いたぼくをみておじいさんは笑って言った。 「その赤ちゃんが大きくなってお母さんが赤ちゃんの頃の写真をみたらと思うと楽しくならないかい?」 確かにそれは楽しい気がする。 「その子の写真も撮るのが今から楽しみなんだよ」 それはすごくすごく楽しみな気がする。 おじいさんの穏やかな声とやわらかな表情。 なんだかとても素敵なことだなぁと思う。 ● 「そうだ!」 すっかり腰を落ち着けてしまって、お茶までいただいてしまっていたぼくにおじいさんは不意に言った。 「せっかくだから、君の写真も記念にどうだい?」 「え、いいんですか」 「撮らせてもらえたら嬉しいな。出来ればちゃんと撮りたいけれど、君は旅行中なんだっけね?」 そういう事にしておいていた。おじいさんは奥からちょっと変わった形のカメラを持ってくる。 「ポラロイドっていってね。現像いらないんだ。それが面白くって子供の頃は大好きだった」 今もこういう時には便利なもんなんだよと教えてくれる。 「ありがとう」 ぱしゃっ 「ほら一枚。少しまってたら絵が出てくるよ」 写真を振りながらおじいさんは言うと、まだ何も写っていない写真をぼくに手渡した。 「あの……」 「なんだい?」 「おじいさんも一緒にうつってもらいたいんですけど、いいですか?」 「私と?」 「今日ふたりでお話をした、想い出を残しておきたいんです」 「……あぁ。ありがとう。それは名案だ」 こちらからもお願いするよとおじいさんは言った。 写真に収まるように二人で並ぶ。 おじいさんは手にしていたスイッチでシャッターを押した。 ぱしゃりっ 「もう一枚……これは君の。こっちは私の」 ぱしゃっ 「さぁどうぞ」 まだ何も写っていない写真。出てくるぼくとおじいさんの姿が楽しみだ。 「遅くまで引き止めてしまったね……」 「ううん、こんな時間までありがとう」 「もし、またこの辺りにくる事があったら是非おいで」 「うん」 「それに……もし来られなくても、写真は残っているからね」 おじいさんに手を振り、ぼくは商店街を後にする。 最初の一枚は既にぼくの姿がはっきりと浮き出ていた。おじいさんとの一枚はまだぼんやりとしている。 ぼくの記憶がぼんやりとする頃には、はっきりとこの写真がぼくとおじいさんの姿を残しているのだろう。 さっき、おじいさんがしていたみたいにポラロイドの写真を振りながら、あたたかな気分でロストレイルへと乗り込んだ。
このライターへメールを送る