● 「……」 自分は特別に世話好きでもお節介な人間ではないけれど。 ハクアの目にそれはもうとまってしまっていた。 たくさんの人が行き交うターミナル。 皆、無規則に動いているようで案外規則的に動いているものだ。それぞれの者達がそれぞれの目的地へと移動する為、おのずと人の流れが出来ている。けれど、その中で無軌道に動き回る姿に気づいてしまった。 目線の先、かなり低めの位置。人混みに紛れて金色の光が見え隠れしている。 「子ども……?」 あっちへふらふら、こっちへふらふら。 気になったハクアが人の流れに乗って近づくと、小さな少女が、ふらふら歩き回っては立ち止まって、青い瞳を目一杯開いてキョロキョロと辺りを見回している。明らかに何かを探している様子だ。 (迷子だろうか……) 放っておいても親切などこぞの誰かがそのうち何とかしてはくれるだろうとも思うが、気づいて無視する程にハクアは人が悪くない。それに、幼い少女の姿には思うところもある。自分が見つけてしまったのなら、これも何かの縁だろうとハクアは少女の前に出て声をかけた。 「どうした? 迷子か?」 「ゼシ、迷子じゃないもん。パパさがしてるだけだもん」 声をかけられた少女は一瞬だけ驚いた顔をして、でも、すぐに反論した。 「パパを探してるって……それ迷子だろうが」 「……」 俯き加減で少女は首を振る。口元は引き結ばれている。 「迷子ならほら、とりあえずは世界図書館に行くぞ。ゼシ?」 「ゼシカ。ゼシは迷子じゃないもん。ゼシ、図書館にご用事はないの」 「あ、こら……」 ゼシと自分を呼称したした少女は、自分は忙しいのだと言わんばかりにハクアを振り切るとそこら中の人に声をかけはじめる。 「すみません! この人?」 「あのね、ゼシね、さがしているの」 何度首を振られても、無視をされても、少女は一生懸命に尋ねまわる。 「みたことありませんか?」 幼い少女の手のひらにはずっと手からはなさないようにしていたのだろう、少し端っこが反り返った小さな用紙が握られている。それを相手に指し示しては、返ってくる反応に少しだけ悲しい顔をして、そしてすぐにぺこりとお辞儀をして、また次の相手に声をかける。 「……あぁ」 父親の写真かとハクアにも事情が飲み込めてくる。彼女は単純な迷子ではなかったのか。父親を捜し求めているのか。少女と同じように、父親も世界を彷徨っているのか。 ハクアは再び彼女に近づくと声をかけながら手を差し出した。 「あ……」 「それが写真か? 見せてみろ」 「うん」 ゼシカは素直にハクアに大事に握りしめていた紙片を差し出した。 「……黒髪なんだな」 「うん!」 「髪は長くない」 「そうよ」 「えっと、男、だな?」 「だって、パパだもん……?」 「……似顔絵」 「ゼシが描いたのよ!」 写真かと思ったそれは、ゼシカが描いた似顔絵だった。写真大の画用紙にクレヨンでのびのびと描かれた絵。 彼女の表情はよく描けているでしょと言っているようだったが、ハクアは正直なところ、この年頃であることを差し引いてもお世辞にも上手とは言えない気がした。 「パパに会ったことは、まだないけれど、写真を見てまねっこしたのよ」 「……写真そのものは持ち出せなかったのか」 「なぁに?」 ハクアがぼそりと呟くが、ゼシカには聞こえなかったようで、彼女は首を傾げた。ハクアは首を振って応える。 「いや、何でもない。だがゼシカ、この似顔絵だけじゃ探すのは辛くないか?」 「え?」 「下手……にこの姿を探しても、父親も同じ姿とは限らないだろう。髪型とか変わってるかもしれないし」 下手な似顔絵と言いかけてしまって、内心焦って取り繕ったりするが、ゼシカは真っ直ぐにハクアを見つめて言う。 「でも、パパはパパだもの。きっとわかるわ」 絶対にそうだと信じている瞳をしていた。純粋な瞳。 「絶対に見つけるのよ」 健気にゼシカは言う。ハクアが否応なしに重ねてしまうのは自分の幼い妹の姿。 (この年頃は言い出したら聞かないな。そうだと心から信じているから……) 大人だったら無理だと諦めてしまうようなことでも、決して諦めずひたむきに追い続ける。大人にしてみれば無駄な行為だけれど。 ハクアは小さく溜息をついた。でも、ほんの少しだけその口元が緩んでいた。 「……手伝ってやろう」 「え?」 「おまえ一人じゃ見つかるものも見つかるまい」 「ありがとう!!」 ゼシカは心から嬉しそうに笑う。心を照らすおひさまのような笑顔。 ハクアはゼシカの頭をくしゃっと撫でると、早速だがと彼女の父親について尋ねた。 「どんな人だったんだ? さっき、会ったことないとか言っていたが」 「わからないの。ゼシが赤ちゃんの頃、どこかに行ってしまったの」 「それって逃げ……」 逃げたのではと言いかけて、しまったとハクアは思う。でも、ゼシカは違うから全然気にしないと首を振った。 「ううん。ゼシがいけないの。ゼシが生まれたときに元気がなかったから、パパ、ゼシに気づかなかったの。牧師さんでね、とっても優しい人だったって町の人がみんな言ってたの」 おばさんも、先生も、みんなそう言った。誰もゼシカにパパが悪い人だと言うことはなかった。パパとママは幸せだったと言っていた。ゼシカが父親をさがそうとするのを応援だってしてくれていた。 「牧師、か……」 「神様のお使いにでもいってしまったのかねぇとお菓子屋さんのおばあちゃんは言ってたわ」 「神様、ね」 「どうしたの?」 眉間に皺が寄るハクアにゼシカは問いかけた。すると大丈夫だと答えが返ってくる。 「いや別に何でもない。あぁ、なんというか牧師とか神父とかそういうもんに縁があるなと思って」 「しんぷ?」 「牧師と同じで神様のお使いとやらをする奴らだな」 牧師と神父の細かい違いなんてどうでもいいだろうと思うハクアは簡単に答える。 「あなたのパパも神父さんなの?」 「まさか! 古代人の息子なんて奴らが自分でつくるものか」 例外になりそうなのもいるにはいるが、普通はありえない。 「こだいじん……?」 別世界の出身であろう少女、まして幼い少女に自分の境遇はさっぱりわからないだろうと適当な答えを探す。 「あぁ……そうだな、魔法使いのことだ。神父は魔法使いが好きじゃないものだ」 「あなた、魔法使いなの?」 「あぁ」 「すごいわ!!」 ゼシカはぱんっと両手を打つとキラキラと瞳を輝かせる。 「魔法使いさんに会えるなんて!!」 「魔法使いといったって何でも出来るわけじゃない。たとえば、おまえの父親をぱっと見つけられるわけでもない」 素っ気なく言うハクアに、ゼシカは首を大きく振った。 「ううん。ゼシを見つけてくれたの」 本当はね、ちょっぴり一人で困っていたのとゼシカは笑う。その屈託のない笑顔にハクアも少しつられて笑う。 「それではおまえの父親捜しといくか」 ゼシカは元気良く首を縦に振った。 それから数時間。 最初はターミナルを中心に探した。それから、ゼシカ一人では思いつかなかったり、入るわけにもいかなかった大人の集まるバーなどに行ってみたり、捜索は広範囲に渡ったが、結果は芳しくなかった。 世界図書館にも行って壱番世界の出身者の情報を尋ねたりしたが、数が多すぎて当たりをつけることは出来なかった。 「疲れただろう。休憩するか?」 自分の服の裾を握る手が少しずつ下へ下へと下がっている気がして、ハクアは尋ねる。正直な気持ち、自分もそれなりに疲れていた。手ごたえのない捜索に二人は少し疲れてしまっていた。けれど、ゼシカは首を振った。ハクアは無理しているなと思った。 「俺は休みたい。行こう」 ハクアはゼシカの手を引き、ちょうど見つけた公園のベンチに座り込んだ。 「ずっと父親を捜していたのか?」 「うん」 壱番世界で過ごしていたときも、そしてターミナルを訪れてからもずっと。 「あっちこっちさがしてたのよ。でも、ゼシがパパに心配かけちゃったんだもの。ゼシがパパを見つけてあげるのよ」 自分が死んじゃったとパパに思わせてしまったから、悲しい思いをさせてしまった。大丈夫だったのよと出ていけば、きっとパパは喜んでくれるだろうとゼシカは思う。喜ぶパパを見たら、自分はどれだけうれしい気持ちになるだろうと思う。嬉しすぎて死んじゃうかもしれない。 「パパに会いたい、会うの。だから、絶対にさがしだすの!」 「世界を飛び出してしまっていたら……捜すところだらけだな」 「うん。でも、ゼシはコンダクターになれてよかった。パパをどこへでも捜しにいけるもの」 「よかったか」 「うん。魔法使いさんは? ツーリストになれてよかった? それともお家に帰りたい?」 「うん、いや……」 ハクアが答えあぐねていると、ゼシカは何か勘違いをしたらしい。自分も魔法使いさんの世界を捜すのを手伝おうかと申し出る。 「ゼシもさがしてあげる。困った時はお互いさまっていうのよ」 「いや、大丈夫だ」 「大丈夫?」 「妹のところには帰る。だが、あの世界に帰りたいかと言われると微妙なところだ」 「?」 「さっき、神父は魔法使いが嫌いと言ったろう? 神父が特にそうだってだけで、俺の世界は魔法使いは嫌われ者なんだよ」 「どうして? 魔法を使えるのに!」 「どうしてだかな……使えるからかもな」 「???」 よくわからないという顔のゼシカの頭をぽんっと叩いた。 「大概の神父は俺達の事が嫌いで、俺と妹はけっこう苦労させられたが」 「……いじめられた?」 「いじめられたな」 「……!」 ハクアがゼシカの問いに淡々と答える。その答えに少女の表情は曇った。 黙ったままぎゅっとハクアに抱きつく。私はハクアの事をいじめないよとでも言うように。 「……でもまあ、そうでもないのが一人だけいた」 ハクアはゼシカの優しく頭を撫でる。さらさらとした感触。故郷の妹の事を思い出す。あれの髪もさらさらしていた。今もきちんと梳かしているだろうか。絡ませてやしないだろうか。元気にしているだろうか。 「……」 ゼシカは頭を撫でられたまま、ハクアをじっと見つめて黙って聞いている。 「ボロボロで疲れ切っていた俺と妹を迎え入れてな」 あの時は本当に危なかった。 神父なら困った人を助ける者なんだろう。けれど、自分達の場合、助けてしまえば自分の身も危ういというのに。いや、むしろ自分があの神父を直接害していたとしてもおかしくなかったのだ。だけど、あの神父はハクア達を助けて、ハクア達の事情に気づいたのに何も態度を変えなかった。おそらく、ハクアの内心も承知で受け入れていた。 「今も妹の面倒を見てくれているはずだ」 今も変わらず。妹と二人、あの教会で。いや、ひょっとするとまたどこかで何かを拾っていたりするかもしれない。 「あいつは、きっと今も誰かの世話ばっか焼いてるんだろう。変人でお節介なやつだ」 ふっと笑うハクアに、ずっと黙って聞いていたゼシカが不意に自分の疑問をぶつけた。 「魔法使いさん、その神父さんが好きなの?」 「な」 「だって神父さんの事を話す時、すごく優しい目をしてる」 何を言っているんだと言おうとして、でも自分を真っ直ぐに見つめて言う少女の言葉にハクアは言い返すのをやめた。 自分は今、どんな顔をしていたのだろうとハクアは思う。 あの神父の事を思い出す時は、いつも心やすらかな気持ちだったように思う。穏やかな気持ちだった。何かを心配したりする必要がなかったからだ。 心配する必要がないというのはつまり、信頼していたからだ。 「そうか……」 「優しい目。ゼシは好きよ」 「そうか」 そういうゼシカもとても優しい目をしているとハクアは思う。この少女も自分を助けてくれたようだ。こちらも助けてやらねばいけないなと思う。 「さあ、休憩は終わりだ」 頷くゼシカの手を引き歩くハクアの足取りはどこか軽かった。 その後、半日を捜索に費やしたが、結局、父親は見つからなかった。 一度は似顔絵を見て、あの人じゃないかと言われ、ゼシカは期待に胸を膨らませもしたが、急いで尋ねてみれば、そこにいたのは男装の女性だったりと散々だった。しょんぼりと肩を落とすゼシカを見て、ハクアは、彼女を優しく抱き上げると肩車をしてやる。 「わぁ!」 「下を向いてたら見つかるものも見つからないだろ」 「すごい高い! ゼシが大きくなったみたい!」 「遠くまで見えるか?」 「うん!」 「これだけ見えたら、お前の父親もよく見えるだろう」 「うん! ゼシも、もっと大きくなりたいな……」 「おまえもそのうち大きくなれるさ」 それまでは自分が手伝ってやる。そう続けたハクアにゼシカは表情をほころばせた。 よい表情だと思った。自分の妹もよく笑っていたなと思う。そんな時は、神父も笑っていた。忘れてしまっていたけれど、自分も笑っていただろうか。 生き別れたあの二人と会おうと思った。いつか会えると思った。自分も、ゼシカもきっと大切な人と会えると思った。 「いつか見つかる。きっと」 「また会える」 ハクアの優しい声にこたえるようにゼシカは抱きつく。 ゼシカは絶対にパパに会えると思った。今度は写真ではなく、本物のパパを見ながら似顔絵を描いてあげるのだ。そして、パパと一緒にハクアが妹と神父さんと会えるようにたくさんお祈りしてあげられたらいいわと思った。 そうしてみんな見つかって、みんな会えたら、みんなの写真を撮ってもいいかもしれない。似顔絵を描いてもいいかもしれない。 さっきまでのしょげた気分を吹き飛ばして、ゼシカはハクアにこくんと頷くのだった。
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