● カサリ 箪笥の奥から出てきたのは、綺麗に折りたたまれた白い紙。 ヒラリ なんだろうと手にしてみたら、紙の間から何かが舞い落ちた。床に落ちたのは、まっかなはっぱ。 いつかカナリアがお母さんと拾った落ち葉だ。 とてもきれいだったから、ここに挟んでしまっておいて、すっかり忘れてしまっていた。 カナリアはつまみあげてまた挟もうとしたけれど。 クシャリ からからに乾いていたはっぱは崩れて壊れた。 細かく崩れてしまったはっぱは元に戻すのは難しそうだ。カナリアは少し悲しくなる。きれいな落ち葉だったのに。 「どうしたの?」 「ううん、なんでもない」 声をかけられ、カナリアは慌てて振り返る。こっそりと散らばった落ち葉を手で払った。誤魔化す必要はなかったのかもしれないけれど、お母さんも落ち葉のことに気づいたら悲しくなると思ったのだ。 「お仕事の時間よ」 「うん」 カナリアは笑顔で答える。お母さんもほほえみかえしてくる。 金糸雀の仕事をしに行く時、最近では大分いつもと同じ笑顔をしてくれるようになった。カナリアのしゃがれた声に少し悲しい顔を見せることはあるけれど、あなたが無事ならそれでいいわと抱きしめてくれる。 お母さんに見送られ、お父さんと迎えの馬車に乗って鉱山へと向かう。鉱山ではカナリアは金糸雀のお仕事を、お父さんはお父さんの仕事をするのだ。 「気をつけるんだよ」 「気をつけてね」 きれいな金糸雀の色の着物の裾を翻しながら手を振る。 「ちょっと待ってな」 カナリアにすまなそうにおやっさんが言った。 「俺らの仕事のほうが追いつかなくてなぁ」 「もう少しだから、そこで遊んでな」 おじさん達が通り過ぎながら次々とカナリアの頭をぽんぽんと叩いて行った。まだ仕事がないらしい。遊んでいろといっても遊ぶこともないなぁとカナリアは置き去りにされたままの大きな石に腰掛けた。 仕事用の鈴をもてあそびながら、ぼんやりと今朝の出来事を思い出した。 (もったいなかったな……また拾えたらいいんだけど) あの落ち葉を落としてくれたのは、大きな大きな木だった。カナリアとお母さんが両手を繋いでも囲えない。お父さんが混ざってようやく取り囲めるような立派な木だった。 でも、あの木もそういえばもうない。 宿場を作るに邪魔だったか材料にする為だったか、切り倒し切り株も根こそぎ取り払われて、落ち葉も壊れてしまった。あの木があった証はもうどこにも見あたらなかった。 わずかな間に、それこそ小さなカナリアの知る範囲でも、村の景色はガラリと変わっていた。 村の景色はどこかくすんでいた。 村にあるのは、真っ黒な石炭の山、石炭を掘った後の土塊、空にたゆたう色の濃い煙。無造作に咲き誇っていた花も、風にそよぐ木々の緑も、陽の光を浴びてきらめく小川もどこかに行ってしまった。 だけど、村の人達は活気に溢れていた。みんな常に忙しく走り回っていた。怒鳴り声もよく飛んでいたけれど、同じくらい笑い声も飛び交っていた。 「石炭ってのは金になるなぁ。蒸気機関さまさまだなぁ!」 「どんなもんなんだろうな? 見たことあるヤツおるっけ?」 「牛や馬の何倍もの力があるってぇ話だ」 「代わりにこの土くれを運んでくれないもんかね」 「あぁ、そんな事もあるかもしれないって」 「でも、目ん玉飛び出るくらい高価なんだろ?」 「それを補える見込みがあんだろ」 「石炭さまさまだなぁ!!」 「さあ、もう一仕事だ!」 おまえも、もう一仕事だと一人の炭坑夫がカナリアの頭をぽんっと叩いた。カナリアも答える代わりに勢いよく鈴を振った。 ● 「最近、山が鳴いているってばば様が心配してる」 「神様が怒ってるんじゃないかって家のじじいも言ってた」 「断りなく大穴なんて掘るからって……」 最近、大人達はひそひそとそんな話をしている。おやっさんに聞かれてしまうと、それは怖い顔でどやされるのでこっそりと。 おやっさんは、おじさん達の中で一番エライ。街の紳士からカンリをイライされているからだそうだ。街のエライ人の代わりにみんなを怒る仕事なんだとカナリアは聞いている。 お母さんも、おやっさんの言うことはよく聞いていなさいと言っていた。 でも、みんなをどやしたおやっさんも、みんなが蜘蛛の子を散らすように仕事にと戻っていった後、苦い顔でカナリアの前でぽつりと呟いた。 「神を怒らしちまったんなら、許しを乞うしか……」 りんっ カナリアの鈴が小さな音を立てた。おやっさんがびくりとした。ずっとカナリアがそこにいるのは知っていたのに。その時、はじめてカナリアに気づいたような驚いた顔をして、そして、何かを考え込んだ。 「?」 お前は心配しなくていいから、金糸雀の仕事をするんだと言われて坑道の奥へとカナリアは促された。 穴はどんどん深く奥へと広がっていた。金糸雀の仕事を始めた時は、もっと穴の数も少なかった。 山の底まで行ってしまうんじゃないかしらとカナリアは思う。山には神様が住んでいらっしゃるんだとお母さんは言っていた。山はとっても大きいけれど、こんなに山を掘っていたら、神様のお家にぶつかりやしないかと思う。 今日のカナリアの仕事場所は、まだ新しい階層――今までの坑道の辺りはだいぶ掘ってしまったので、新たな階層を掘り進めていた――だった。 ほとんど縦に近い角度の道を、今日のカナリアは滑車で吊されて降りていた。 ちりん ゆらゆらとしていたら、鈴が勝手に歌いだした。坑内は小さな鈴の音でも、とてもよく響く。 りんっ りりんっ りぃんっ……コ……オ…… 「?」 不意に鈴の音に隠れて、聞き覚えのない音がした。カナリアは手でそっと鈴を抑えた。 り…… 「……気のせい、かな?」 鈴の音を止めて耳をすます。何も聞こえないならそれでいい。そう思った時だった。 ココ……ゴ……ゴゴゴオオオオオオン!! 地の底から響いてくる大きな音。僅かに地面が揺れている。誰も壁を掘っていないのに。カナリア以外はここにいないのに。土や石ころがパラパラと剥がれて落ちていった。この前の落ち葉より簡単に崩れていった。 (こわい) 何だかわからない。わからないけど怖い。わからないのが怖い。怖い。怖い。とてつもなく嫌な気持ち。 りんっ! りりんっ!! 無我夢中で鈴を振っていた。 「戻して!」 りんりんりんりんりんっ!!! (はやく、はやく!) カナリアが引き上げられた後。 少し先の坑道で、小規模ながら岩盤崩落があった。 無茶苦茶な採掘が原因で山はそこら中がスカスカになっていた。どこもかしこも山崩れが起こる寸前の状態だった。けれど、知識の少ない村人達には気づく由もない。街の学者ならわかったかもしれないが、村にいるのは元々は農作業をしていたような者ばかりだ。 街の人達ならば、すぐに原因を究明して適切な方策をとっていただろう。 だけど、この辺の田舎では違った。まだ、自然を神格化し畏怖していた。災害が起これば神の祟りだと考える。そのような時、神の怒りを静めるに効果的だと思われていたのは。 生贄だ。 もちろん、カナリアの世界でも都市部ではそんなことはもう時代遅れとされていた。だけど、ここは違う。生贄の風趣が当たり前のように残っていた。 村の人達は、むずかしい顔をして話し合った。でも、それはそう長く続かなかった。 カナリアの家に、大人達はやってきた。カナリアが金糸雀の仕事を与えられた時のように。 「そんな! 命は無事だからと、ようやく、ようやくそれでいいかと思ったのに!!」 お母さんの声はほとんど悲鳴に近かった。 「あの子の仕事は、山のど真ん中に入っていくんだ!」 「あの足で逃げおおせるわけもない!」 「どうせ一番に死ぬんだ!!」 大人達の叫び声を聞きながら、カナリアは自分が神様の生贄になるんだと知った。神様のところには生きたまま行けないんだという。 (死んじゃうんだ) でも、もっともな話だとも思う。山が崩れたら、きっと逃げられないで死んでしまう。死んでしまうならいっしょかもしれない。 神様は山を崩してしまうようなものなのだ。逆らったら、それは。 (また、きっと、こわい) 神様の生贄になる日も金糸雀の着物。 だけど、これは神様のところに行くからと母が縫った新しい物だ――村ではそうそうお目にかかれない上等な反物が使われている事をカナリアは知らない――それに袖を通しながらカナリアはお母さんにお礼を言った。 「ありがとう」 お母さんはただただカナリアを抱きしめた。お父さんも更に覆い被さるようにして二人ごと抱きしめた。カナリアも何を言っていいのかよくわからなくって、二人を抱きしめた。 いつもと違い、立派な籠で担がれてカナリアは坑内を進んでいた。 これからどうなるのかはよくわからない。籠を担ぐ大人達も一言も喋らない。 静かだった。足音と籠の揺れる音しかしない。とても静かだった。 だから、すぐに聞こえた。 ゴゴゴオォォウウウオオオオオ!!!! ガラガラと崩れ落ちて迫る土と岩を見て、カナリアは死ぬんだと思った。 静かに目を閉じた時、カナリアの体が不意にふわりと浮いたような気がした。 ● 「飛ばされてきた時の記憶はありますか?」 司書の女の人がペンを片手にカナリアに尋ねた。 「……あります」 嘘をつかなきゃいけない事情もないから、カナリアは答えた。 飛ばされていく人の中には、自分がどこでどう飛ばされたのか全く覚えていない人もいるという。でも、カナリアはギリギリのところまで覚えている。 (みんなは、どうなったんだろう。大丈夫だったのかな) 神様のところにいく筈だったカナリアは、こんなところにいる。神様は怒っていやしないだろうか。村は無事なのだろうか。 カナリアの前から、神様に生贄を差し出していたのをカナリアも知っている。カナリアみたいに村の人だったことは見たことないけれど。生まれたばかりの牛だったり馬だったりを捧げたけれど、何も変わらなかったことはあった。 村の人達は、生贄が足りないんだと言っていた。 カナリアが生贄になれなかったから、今も足りないはずだ。村はどうなってしまっているんだろう。お父さんもお母さんも無事なのだろうか。無事でいてほしかった。 でも、もしも無事なんだとしたら。みんな助かっているのだとしたら。 (生贄が足りなくてもいいの?) それとも、もしかすると。 (神様なんていないのかな) だって、カナリアは神様に会ったことなんてない。神様なんて見たことなかった。ただ、神様には逆らってはいけない。大切にしなければいけない。とても凄いものなんだとだけ教えられていた。とても凄いものといえば、 (蒸気機関だって、見たことなかった) 村の人達は誰も見たことないのに、すごいすごいと蒸気機関様々だと崇めていたのだ。 (見たこともないのに、あんなに、どうして) なんだかわからないものは怖かった。神様だって、蒸気機関だって、なんだかわからないものだったのに。みんな必死だった。怖いくらいに。 みんな、怖かった。 「確認してもいいかしら?」 「あ」 ぼんやりしてたら、カナリアの話を書き終わったらしい。司書はそれを読み上げると間違っていないか確認した。間違っているとは思わなかったから、カナリアは頷いた。 すると、司書はカナリアに少し微笑むとぽつりと言った。 「……神様が助けてくれたのかしらね」 (助けて、くれた?) あの時、山は崩れていた。あのままならカナリアは死んでしまっていただろう。でも、カナリアはここに飛ばされていた。 神様が、カナリアを世界から送り出したというんだろうか。 (そうだったら、村は助かっているの?) 神様なんてみたことない。蒸気機関なんてなんだかわからない。 神様がいたとしたら、それでもカナリアは助かったのだ。村だって助かっているのかもしれない。 神様がいなかったとしても、カナリアは助かっているのだ。村だって助かっているのかもしれない。 (わからない) だけど、神様も蒸気機関もないけれど、カナリアはここにいる。 体はすっかり軽くなったし、みんなは優しくて、ここの生活は悪くない。 (悪くない) 今日は何をうたおうか。 まっかなはっぱを探しに出てもいいかもしれない。 小鳥が飛ぶのを邪魔するものは、ここにはない。 なにもない。
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