~突然の別れ~ 街に夜が訪れた。 昼間は出店や馬車の往来の多い通り道でさえ、ほとんど人の姿は見えない。 この街では、夜に怪奇事件がたびたび起き、出歩くものなど酔っ払いか盗人程度だといわれていた。 そんな街の片隅にある屋敷では、暗い部屋をカンテラで手元を明るくしながら本を読む男がいる。 モノクルをかけ、壮年ではあるものの研究で篭りっきりなことが長いのが老けてみえた。 静かな部屋では、ペラペラとページのめくられる音が揺らめく明かりに合わせて響く。 「世界の歴史とは即ち光と闇の歴史。光に埋もれた闇の正体も歴史を紐解くことで、分かるはずだ」 穏やかな笑みを浮かべ、時折メモを取っていく男はクリストファー・ティムという名前だった。 長年の研究で探しだした一冊の本にクリストファーは夢中になっている。 見た目は老けていても、瞳は少年のような輝きを今尚、失ってはいない。 「待った‥‥これはどういうことだ」 読み進めていた本の一節にクリストファーは目を止めた。 それは読み進めている自分のことが書かれていたのである。 そして、真理に辿りついたものはこの世界の理(ことわり)からはずれ、異世界間を流浪する旅人になるともあった。 「この本は未来までも書いてあるというのか……私のことはいい……まさかっ!」 先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みを消して、焦燥したかのようにクリストファーはページをめくって先を読む。 そこには弟子であるミレーヌ・シャロンもこの世界の理から外れてしまうことが書いてあった。 まだ、ページ数は残っているもののクリストファーはこれ以上めくることが出来ない。 「知るということはここまで恐ろしいことだったというのか……ミレーヌ、貴方だけは巻き込ませない」 びりっとメモ帳を破るとクリストファーは筆を走らせ、本と共に屋敷を去ったのだった。 ~旅人[ツーリスト]として~ 「お師匠様は……私と同じ様にここに来たのでしょうか」 クリストファーがいなくなってから、しばらくした後でミレーヌもツーリストとして覚醒していた。 そして、今、0番世界のホームに足を置いている。 燕尾服にステッキというマジシャンのような出で立ちではあるが、周りにいるのは竜人やら獣人、サイボーグまで様々だった。 「不思議な世界ですね。興味が尽きません」 プシューという蒸気を発して、乗ってきた列車『ロストレイル』が次の世界へと旅立った。 クリストファーが追いかけてこないために消えたことが、逆にミレーヌが闇を追うきっかけとなってしまったのは言うまでもない。 世界の運命というものは時に残酷に働いてしまう。 そう、回りだした歯車のように……。 「さて、まずは仕事の報告をして、それからお師匠様の情報を集めることですね」 これからの目的を復唱したミレーヌはホームからターミナルの世界司書のいるところへ向かおうとしたとき、視線に見慣れたコートが映った。 ミレーヌは記憶力が高く、人の顔や名前は忘れない……そして、自分の大切な人の服装だって忘れるはずはないのだ。 「お師匠様!」 ホームに立つ柱に消えたコートを急いで追いかけるも、既に人影は消えていた。 「お師匠様……やっぱり、ここにいるんですね。私と同じように旅をされているんですね……良かった」 姿を確認したわけではないが、今までまったく手がかりのなかったクリストファーの存在を示すことが目の前で起きた。 それだけでミレーヌには嬉しくて、涙を思わずこぼしてしまう。 *** 「ミレーヌ……覚醒してここまできてしまったのだね」 反対側のホームのロストレイルに乗りながら、クリストファーはミレーヌの姿を穏やかな笑みで眺めている。 悔いるような言葉を口にしてはいるもののクリストファーは嬉しかった。 弟子でありながらも、ミレーヌを大切に思う気持ちをクリストファーも持っていたのである。 「だが、今は会うわけにはいかない。私も君も、その方がいいのだ」 窓に薄く映った自分の顔を見てクリストファーは苦笑を浮かべた。 距離を置いたことで、弟子以上に一人の女性としてもミレーヌを大切に思い始めた自分はこんなにも老いている。 そんな自嘲じみた苦笑だった。 「どうせならば、ずっと会わない方がいいかもしれないな」 ゆれる車内の中で、クリストファーは一人ごちる。 「会わない方が今の気持ちを封じることができるだろう」 彼は小さくなっていくホームに見える一人の少女の背中を今一度確認すると首を振るのだった。 ~再会の時~ 「はぁ……あれから手がかりはあっても会えない……。お師匠様はどこにいるんでしょう……」 私はお師匠様の面影を見てから数日立っても会えないでいました。 手がかりや目撃証言はすぐに見つかりましたが、出会うことは叶わなかったのです。 そして、見つからない日々が続き、私はお師匠様を一人の男性として思っていることを強く感じました。 本当に大切な人、思うだけで胸が苦しく熱くなってくる。 私の記憶の中の彼は穏やかな笑みを浮かべて、傍にいてくれました。 行方不明になり、私がツーリストとなった今もその姿ははっきりと覚えています。 どんなに新しい人と出会い、どんなに不思議なことと出会って思い出が重なっても薄れることのないあの世界で過ごした時間。 いつか出会えると旅を続けてきて、先日に面影を見ました。 その時から、苦しくて、切なくて……私の中のあの人の大きさを感じることになってしまう。 「お師匠様……どうして、あの時……私の前に少しだけ姿を見せたのですか……そうでなかったら、こんなに苦しまなかったはずなのに……」 うつむきながら私はターミナルに出向き、気晴らしをするために依頼を受けました。 0番世界で、迷子を捜す依頼……親御さんからでしたが、大切な人を見失ってしまった悲しさは私にも分かります。 今の私がそうですから……。 「この付近の情報は……」 私は探すに当たって、白い表紙の本からページを捲って探します。 訪れた地の情報を記録していくための白い本で、私の旅の記録です。 ペラペラとページを捲り、迷子の女の子が普段良く行く場所のあたりをいくつかつけて画廊街に向かいました。 「……ちゃーん、お母さんが探していますよ」 私以外にも数人のロストナンバーが依頼を受けているとのことでしたが、私自身で彼女を見つけたいとこの時は思いました。 そうすれば、なんとなくあの人を見つけられそうな気がしたから……。 画廊街の裏路地を曲がって、子供が通れるくらいの細い道を抜けた先にある原っぱ。 住んでいた世界のお屋敷の中庭に良く似たそこに、女の子とあの人がいました。 「お、お師匠様っ!」 「ミレーヌ……君」 いなくなる前まで浮かべていた穏やかな笑みのままにお師匠様はいて、泣いている女の子の頭を撫でていました。 「お師匠様もこのお仕事を請けていらしたのですね……」 泣いて抱きつこうとも思いましたが、私は近づいたら逃げられてしまうのではないかと思い、足を進めることができません。 「ああ……私はね、人や物探しが得意になったようだ。この『世界の理から外れた旅人』となってから……」 チャリッと鎖が擦れる音と共にお師匠様はチェーンの付いた振り子を見せてくださいました。 水脈などを見つけるペンデュラム・ダウジングです。 「もしかして、私が出会えなかったのは……」 私ははっと気づき、お師匠様に尋ねましたが、彼は笑みを浮かべるだけで答えてくれませんでした。 「まずはこの子を、母親の元に連れて行こう。話は……それからだ」 私はお師匠様のこの言葉に頷きを返して答えます。 その程度の動きしか、私には出来ませんでした。 ~運命か、それとも~ 依頼人に子供を預け、抱きしめあう親子を私は眺めて考えていた。 あの親子のように素直に感情を出せないものかと……。 隣にいるミレーヌ君は私の顔をちらちらと覗くだけで、話かけることもしない。 「喫茶店で少し休もうか。君もお茶が好きだろう?」 「は、はい!」 ここまで来て逃げることはできない。 なぜならば、私はあの日から彼女のことをいっそう強く思ってしまった。 見つからないようにダウジングで彼女の位置を把握し、避けるようにして見守っていた。 でも、今日見つかってしまった時に私は逃げなかった。 いや、逃げたくなかった。 再会して嬉しそうで、しかし、どこか辛そうな彼女の顔をみてしまったから……。 「ここの紅茶は私も好きだよ……」 「はい、私もです……あの、お師匠様っ!」 ミレーヌ君がどんと机を叩くようにして身を乗り出し、私に顔を近づけてきた。 普段、優雅な行動をとる彼女がここまでするのだから、その思いは痛いほど分かる。 「ミレーヌ君……すまない。私は君を巻き込まないように身を隠した。研究していたこの本に君もあの世界から外れてしまうとあったから」 私は懐から覚醒するきっかけとなった本を取り出した。 闇を調べるために開いたその本は、私とミレーヌ君が元いた世界のすべてが書かれており、未来まで確実に書かれていた本だった。 ページは私とミレーヌ君が覚醒するところまでしか見ていない。 それ以上先はみることはせず、しおりだけ挟んでいた。 「ご無事でよかったです……本当に、本当に良かった、です……」 私に顔を近づけたまま、ミレーヌ君は涙を流し、声を詰まらせながら泣き出す。 予想を外れた行動に、私は思わず面食らってしまった。 「手がかりや目撃証言はあっても会えなくて、本当は別人なんじゃないかと不安になって……でも、でも、目の前にいるのがお師匠様で……クリストファー・ネイムさんでよかった、です」 涙を指でぬぐい、席に座り直した彼女は久しぶりに笑顔をみせてくれる。 「私も君と再会できて嬉しいよ。本当は私も会いたかった。けれど、私は見ての通りの年で研究者でしかない。君のような女性に好意を寄せる資格などないのだよ。だから、君だけはあの世界に残って欲しかった……」 「そんなことありません! 私はクリストファーさんが好きですから……人間として尊敬し、一人の男性として好きですから。だから、追いかけてきたんです。探したんです」 私達のやり取りはさぞ、喫茶店のほかの客や店員を驚かしたことだろうが、この時はそんなことを気にしている余裕などなかった。 まっすぐな彼女の気持ちと瞳に目を奪われてしまったのだから。 「そうか……ならば、答えはこうだ。ミレーヌ君……いや、ミレーヌ。これからも私と共にいて欲しい」 「はい、ずっとお傍にいます。クリス」 私は精一杯の笑顔を浮かべて、彼女に自分の言葉を継げると、彼女も答えてくれた。 周囲からはたくさんの拍手がおき、その時ようやく自らの行いを恥ずかしく感じる。 本の書かれている未来がどうであっても、私は彼女と共に生きようと、心に誓った。 Fin
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