「キサ。キサ・アデルだな?」 図書館ホールをあてどなく歩いていたキサは、白い翼を持つ少年に呼び止められた。 彼の表情は険しかった。その声音は複雑な響きで、キサに好意一辺倒ではないことが伝わってくる。反射的にキサはびくりとし、後ずさりした。 少年はふっと笑う。狷介な表情はかき消えて、金の瞳が親しげに細められる。「シオンだ」「……シオン?」「シオン・ユング。おまえはまだ知らないだろうけど、画廊街の近くに『クリスタル・パレス』ってカフェがあって、そこのギャルソンだ」 ああ、これ渡しとくわ、と、シオンはちゃっかり、携帯番号と個人アドレス入りの名刺と、限定スイーツ特別割引券を押し付ける。「店に来たときはおれを指名しろよ。店長さんのほうがいいのー、とか言うんじゃねぇぞ。それよりおまえ――根本的に、間違ってる」「え」 キサの心臓がずきりと痛む。間違ってる? まちがってるの? 知らない。わからない。何が正しいかなんて。だから今、こうやって学ぼうとしている。少しずつ。「旅客登録名がな」「……え?」「『アデル キサ』になってんじゃんか。ターミナルの住人はツッコみ厳しいヤツが多いんだ。そうそう生暖かく見てみぬふりもしてくれねぇぞ。あとでリベル姉さんに言って直してもらっとけ」 キサは、ぺち、と、シオンに後頭部を叩かれた。「おまえの教育に関する報告書を読んだんだが。社会性の欠如がはなはだしい。みんな、よく協力してくれたもんだ」「う」「特殊な事情があるから、とか、まだ子どもだから、なんてのは言い訳になんないぞ。壱番世界の子どもたちは、どんなにちっちゃくても、どんなに過酷な環境だろうと、集団社会の中で他者との共存を意識しながら生きてる。ちっとは見習え」 で。 黒猫にゃんこの司書室へ向かったシオンは、数枚のチケットと数人のロストナンバーとともに戻って来た。「行くぞ」 キサの返事も聞かず、その手をぐいと引いて壱番世界行きのロストレイルに乗り込む。 はたと気づいたときには、 JR東日本吉祥寺駅の中央線上りホームに、立っていた。 おりしも、朝のラッシュ時である。 アナウンスが響く。「えー、まもなく4番線に、快速東京行き、快速東京行きが参ります。危ないですから黄色い線までお下がりください。なお、車内大変混み合っております」 「朝の中央線、特に、吉祥寺~中野間は、日本有数といわれるほどのラッシュ区間だ。この電車の中で、おまえは学べ」 翼を畳み、コートを羽織って、シオンはキサを振り返る。「他人の状況に配慮しつつ、自分を守れ。迷惑をかけたりかけられたりもお互い様だ。ひとは、ひとりじゃ生きられない」 寄りかかってくるおまえを、おまえに関わり深い皆は支えてくれている。 だったらおまえも、皆を支えることを、そろそろ覚えたほうがいい。丸抱えされたままでは、成長できない。「おまえをひとりにはしない。おれたちも同行する、なあみんな?」 そういうシオンの額には、しかし、じんわりと冷や汗が浮かんでいる。 なんとなれば……。 さきほど三鷹駅で信号機故障があったとかで、電車は大幅な遅延が発生しており、つまりは。 いつも以上に、めっちゃ、混んでいるのだった。 どうするどうなる、お勉強シリーズ。 ロストナンバーたちは、果たして、キサちゃんどころか自分の身を護れるのか……?
そもそも、今回はメンバーからして間違いだらけだったのだ。 「ほぅらね! ほぅらね! あたしの言ったとおりになったでしょ! キサちゃんは、そんなもの見ちゃいけません」 ターミナルの一つ目萌え担当であるイテュセイは腰に手をあててちびめっこたちともどもふんぞり返りつつシオンの名刺とその他下心満載のスイーツ券などを横から掻っ攫い、口のなからぱくり。使い魔たちもぱくり。 「あー! なにすんだよ!」 「もぐもぐもぐもぐ(キサちゃんにはまだはやいのよ、優男め)」 『そうよ、キサちゃんになにしてるのよ』『油断もすきもない』『突撃―!』 「!?」 ちびめっこたちは元気よくシオンに突撃した。 「イテュセイおねえちゃん、シオンさんはキサになにを渡そうとしたの?」 「キサちゃんは知らなくてもいいことよ」 ぺっと名刺を吐き捨てたイテュセイはキサの肩にぽんと手を置いてお姉さまらしく頼もしい笑みを浮かべる。 「シオン殿、大丈夫か? よっこいせっと」 「しっかりしてください」 ちびめっこたちに潰されたシオンを助けたのはジュリエッタ・凛・アヴェルリーノとオゾ・ウトウである。 「さぁ! 優男のことはほっておいて! キサちゃんの成長のためにもひと肌脱ぎますか!」 「キサ殿、がんばろうぞ!」 「がんばりましょうね、キサちゃん」 シオンに怯えていたキサは三人の言葉ににこりと微笑んだ――が、それもすぐに不安に彩られることとなった。 なぜなら 駅ってめっちゃ、めんどくさいから! 建物に足を踏み込むと人の多さと建物の迷宮ぷりにキサはあわあわしてオゾの腕にしがみついた。 オゾも既に口から魂が抜ける勢いで恐れをなしているが、キサに助けを求められている手前なんとか踏ん張っている状態だ。 何度か東京に来たことのあるシオンの案内によって無事に切符売り場まできたのだが…… 「ええっと、ここで切符を買うんですよね? ……切符?」 切符売り場からして素人お断りの難易度であるのにオゾは冷や汗だらだらと流す。 「おねえちゃん、どうやって買うの?」 「電車乗らないから乗り方なんて知らんぷー」 「……おねえちゃん役に立たない」 「役に立たないなんて心外ね! ここはちきじょーじ……漫画家が蠢き、とちゅげしゃグルメに舌鼓を打つ魅惑の町よ。ハーモニカ横丁では8/24あたりにイベントをやってるのよ。現場のめっこさんがグルメレポを記載しためっこさんグルメガイドに書いてるのよ! キサちゃんには無料であげる!」 ちびめっこたちがどこから取り出したかグルメガイド、そこにめっこのウィンク写真に今月のグルメはこれ! と書かれた雑誌を見たキサは無言でゴミ箱に捨てた。 「ちょっとお! なによー! キサちゃん、ひどい!」 「お姉ちゃん、今は駅をどうするかなんだよ」 「なによー、なによー、ちょっとほっといたら反抗期? やだわー。前はあんなに可愛いキサちゃんだったのにぃ」 むぅとキサに睨まれてイテュセイは拗ねて唇を尖らせた。 「ええと、お金をどうすればいいんでしょうか、値段しか出ないんですが、この機械」 切符を買えずに困り果てているオゾの横でジュリエッタは上にある各駅名とともに値段を確認して、切符もさらっと購入した。 「切符はのう、慣れんと買うのは大変じゃからなぁ。まずは目的地を上の地図で確認したあと、それで値段のものを買うのじゃ」 ジュリエッタはこのなかで唯一のコンダクター。さらに東京郊外に実家もあって通学の際中央線なども使用経験がある。 つまりたった一人だけ電車に慣れている、この場の救世主なのだ。 「すごいですね、ジュリエッタさん、ありがとうございます」 「これくらいなら普通にできるぞ。ほら、キサ殿は自分で購入してみようかのう?」 「キサ、切符買ってもいいの?」 「もちろんじゃ。ちょっとコツがあっての、それさえ掴めば簡単じゃ」 「ありがとう。ジュリエッタお姉ちゃん!」 「ちょ、キサちゃん、お姉ちゃんはあたしでしょ、あたし」 「……イテュセイお姉ちゃんは頼りになるようでならないから、や」 がーん! 切符買うだけのことでここまで信用度がガタ落ちするなんて! おのれ、おのれ、切符ぐらいあたしだってねぇ、買おうと思えば簡単に買えるんだから! 一応、元祖キサのお姉さまとしてジュリエッタに対抗意識を燃やしたイテュセイは切符売り場の機械と対峙する。 「あれ、あれ? え、どうなってるの、これ、ちょっとーなんなよ、これー!」 「イテュセイ殿、よかったら、購入しておいたこれを使うがよい」 「……ジュリエッタおねえさまぁああ」 イテュセイ、あっさり陥落。 壱番世界では、いかに切符を颯爽と買えるか――それがもてる秘訣である。 そしてめっちゃこんでいるホームに立つ四人はシオンの頼もしい言葉を受けて奮い立つよりも、逆に怯えていた。 キサはあまりのことに唖然としている横でオゾは顔からざぁと血の気をひいてふるふると震え上がった。 「き、聞いてませんよ、ここまでアレな修行だとは……こんなに大勢の人が、どこから出てくるんですか!? 壱番世界では、これが日常なんですか?!」 すでに敵前逃亡寸前である。 もともと、自然豊かな村でのほほんと暮らしていたのでこんな大勢の人間なんて祭くらいでしか見たことがない。いいや、祭のときだってもっと少なかった。 そんなオゾにしてみたらこの混雑ぷりは世界が終わるから逃げているようにしか見えない。 壱番世界恐るべし、日常すらこんな過酷だというのに、さらなる過酷な修行もあるというのか――思いっきり間違えた壱番世界のイメージが植え付けられている。 「ジュリエッタさんは、毎日、こんなものに乗っているんですね」 ジュリエッタに畏怖すら抱いてオゾは見つめた。 「そんなことはないぞ。わたくしとしても、これに乗るのは避けたいのお」 ある程度は慣れているとはいえ、この渋滞ぷりは年に数回経験する類のもので、回避できるものなら回避したいのが本音だ。 怯えているキサを見ると、満員電車に乗るのは酷に思える。 「まあわたくしとキサ殿は女じゃから女性専用車両に乗るという反則技もあるがのう」 「ちょっとお姉さまぁ! あたしも女なんだけど」 とイテュセイがない胸を張って主張する。 「むむ、すまぬ。イテュセイ殿は女性というよりも、ツーリストと思ってみていたからのお。許せ。まぁ、さすがにそれじゃと訓練にならんじゃろうし今回はなしじゃ……なんじゃシオン殿その羨ましそうな目は。確かに汗臭さは格段に軽減されるがのう、けっこう化粧の匂いがキツかったりするのじゃあの車両は」 「ちがうわよー、あれは、女の子の柔らかな胸とかお尻とか、めのほよーとか思ってるのよ」 「シオン殿……しかし、女性だけというだけあってわりと遠慮なさも目立つのだぞ。うむ、これは言わぬほうがいいな」 シオンの女性への夢をさらりと叩き割ったジュリエッタは横にいるキサの手をそっと握りしめた。キサがびくっと肩を震わせて顔をあげる。 「わたくしが横におるからの」 「ジュリエッタお姉ちゃん」 にこりとジュリエッタは微笑む。 「ですが、こ、これではキサちゃんが死んでしまうのではないでしょうか? むしろ、僕は死んでしまいます。間違いなく潰されると自信があります。そうです、僕たちでは周りに迷惑をかけてしまいますし、即刻中止しましょう!」 オゾにしては珍しく力をこめて提案したのだが 「もう遅い」 シオンの深刻な声にオゾははっとした。 電車が止まり、ドアが――地獄の門が開いている。 人々が出ていくと、すぐに入っていく人間たち。それを駅員が押して 「!?」 流れに逆らって逃げたいとオゾは後ろを振り返って途方にくれた。 この壮大なプラットホームをどうやって抜ければいいのだろう? 来るときはシオンやジュリエッタについて行くので問題はなかったが、ここから自力でロストレイルまで戻れと言われたら無理だと断言できる。無駄に自信がある。 あまりの絶望に意識が軽く飛んだ瞬間駅員に 「はいはい、もっと奥に行ってください。みなさんの心がけ次第で隙間は出来ます! 大丈夫です! ゲームの御邪魔キャラではないんです! 四人くっついてもみなさんは消えません!」 などと力いっぱい押されて電車のなかに。 オゾはただキサのことが心配で、心配で、なにかできることがあればとしたいと思ったのだ。しかし、こんな勉強内容とは予想外だった。内容をさらっと見逃していた己をオゾは心から呪った。 「い、いけないっ! 僕ががんばらないとっ!」 自分が倒れたらキサを守れない。 男、オゾ! キサへの優しさと気合い、使命感のみで意識を保っていた。がんばれ。死ぬな、潰れるが頭のなかでぐるぐるする……よく見るとちびめっこがオゾの耳にしがみついて囁いて洗脳し、彼の潜在意識を目覚めさせようとしていた。 「く、このままでは……! キサさんと離れてしまいますっ、それだけは」 ここで仲間たちと離れてしまっては二度と会えないかもしれない。(大げさではなく本当に) 自分ではこの状況に対応できる自信なんて欠片だってないのだ(いばれないことを自信いっぱいに口にしてしまう真面目さ発揮中) それにキサが一人ぼっちになってしまったら――怯えて力を暴走させてしまったり、赤ん坊に戻ってしまったら? 大参事の予感に心配が募る。 キサはたとえ脳味噌を潰されても復活する有り余る生命力を世界計の欠片から授かっていることをオゾは軽く忘れ、イテュセイの洗脳によって燃えに燃える男となっていた。 「ん、奥はすいて、いる? 席が、せっかくですし、キサちゃんを」 とんとんと肩を叩かれてオゾははてと振り返り硬直した。 「ね~ボウヤ、上に座ってもいいかしら?」 赤い口紅をぬりたくってむちゅーとキスしようと迫ってくるイテュセイ。それもなぜか黒いVネックドレス姿である。 「!?」 「とりあえずさ、つめりゃいいのよねぇ? 電車って、ほら、人間ってばかだから扉付近に集中して案外奥はスカスカだったりするのよ。この前床に四つんばいになってるDQN見たし! 今日だってバケーションのつもりでいくわよ。誰かオイル塗ってくださらないかしら?」 え、ロストレイルで見たんですか? それとも、イテュセイさん、どこかの電車に乗ったんですか? なんて突っ込みする気力はないですよ。――オゾは悟りきった顔でイテュセイを見つめた。 いつもならここらへんで気絶するかもしれないが、今日のオゾは一味違うのだ! 萌え、じゃない燃えているのだ! 「あ、あの、僕はキサちゃんを席に座らせたくて、それにオイルはさすがにこのなかでは」 「ふふふ、そんなこと、大丈夫よ。誰もみてないわ」 「え? ……なっ、なっ、なっ!」 気が付いたら周りはなんとちびめっこだらけなのにオゾは硬直した。 右を見ても左を見てもちびめっこだらけである。 「!?」 『あつーい』『もう、みんなつめてよね』『ほーら、みえない』『そうそう、なにしてもみえなーい』 「こ、これは」 はっとオゾは背後から妖気を漂わせるイテュセイ本体に気が付いた。 「ふ、ふふ。フフフ、周りは囲んだヨ……何をしても見えない、聞こえない……」 「な、な、なにを」 「したい放題ねぇ、オゾちゃーん」 「!?■▽●!」 燃える男、オゾの頭のなかに浮かんだのは朗らかなキサの笑顔――迫りくる一つ目娘たち……あーめん。 がんばった、ちょうがんばった。けど無理だった。根が真面目だから。 「おわわ、オゾさん、どこいっちゃったんだろう? イテュセイおねえちゃんもいない」 シオンに助けられてなんとか立っているキサは首も動かせない状況でふと離れてしまったオゾのことが気にかかり、不安を覚えた。 「いま、びびっときた。びびっと。なんとなくイテュセイおねえちゃんがよからぬことをしてるってびびっと受信した!」 「むむ。しかし、これは動きようがないのう。キサ殿、しっかりとわたくしの手を握りしておくのじゃ」 「ジュリエッタおねえちゃん」 キサは半泣きの声をあげてジュリエッタをじっと見つめる。ジュリエッタは出来るだけ優しく微笑んだ。 同性であるし、年齢やロストナンバーとしても先輩だが、お姉ちゃんといわれたらジュリエッタは一人っ子だが、妹がいたらこんなかんじかなぁと想像してしまう。 そっと姉が妹を守るように、ジュリエッタはキサに寄り添った。 転倒防止のためにつないだ手に力をこめる。 「ロストナンバーになれば、知らぬ世界でこういう極限状態に置かれる場合もあろう。そんな時こそ我慢じゃ! 力を暴走させぬのは大変かもしれぬが、この苦行は皆も同じこと。そうじゃな、無事東京駅に着けばアイスを食べようぞ! 上に乗せるのはトリプルでな!」 「アイス、アイス! ほんとう? とりぷる!」 ぱっとキサの顔に希望の色が宿る。子どもなんてものはご褒美に弱いものである。 「イテュセイ殿のグルメマップも役立つかもしれんぞ」 「イテュセイお姉ちゃんのグルメマップが?」 「そうじゃ! イテュセイ殿はもしかしたらおいしいものがあることをキサ殿に事前に知ってもらい、がんばる力にしてほしかったのではないのかのう」 「そうだったんだ。キサ、つい、ひどいことしちゃった」 「ひどいことをした場合、どうするかキサ殿はもうわかっておるな?」 「謝る」 「そうじゃ! キサ殿、正しいぞ」 実はイテュセイはいい人だった説が浮上したが、それもつかの間 「キサちゃあん、大丈夫ぅ?」 しゃなり、しゃなりと鈴の音をたてて何かが迫ってくるのにキサとジュリエッタは振り返り、硬直した。 まるでモーゼのように人々を左右に退けて黒いVネックドレス姿のイテュセイがウィンク。 「お、おねえちゃん」 「キサちゃん、あたしがいいこと教えてあげる。この国の人間はトラブルを避ける傾向にあるから横柄なもん勝ちよ! どうせお昼の番組の困ったさんコーナーで似たような件に出演者が辛口コメントするのを見てストレス解消するくらいしかできないんだから!」 「え、えーと、えーと」 「おどおどせずに堂々とつっ立ってなさい! 普通にやればいいの。人間にびびってキョドってたら負けよ! こう!」 荒ぶる一つ目っ娘のポーズ! (両手を高くあげ威嚇するセクタンのような姿であるのがポイント) 先ほどのジュリエッタのロストナンバーたるものの大切なことがものの一分で吹っ飛んでしまった。 だって一つ目娘だもの! 「お、おねえちゃん、ど、どうしたら」 「……キサ殿、わたくしの目を見て、考えるのじゃ」 「う、うう、けどぉ」 「泣いてはいかんぞ、泣いては! どんなときも対応するのがロストナンバーじゃ」 「ぶー。どうしたのよ、キサちゃん」 あんただ、あんたのせいだ。一つ目娘! 「ジュリエッタちゃんばっかりお姉ちゃんなんて言われて、べ、べつにおもしろくないわけじゃないんだからね! ふふん、いいことを教えてあげる! いい? 席はか弱き人間専用だから慈悲の心で譲る! どうしても座りたければそこの霊が座ってるからなぜか誰も座らない席とか」 「幽霊! いやあ! 幽霊いや!」 「確かに、あの席だけ誰も座っておらんが、幽霊じゃと!?」 一つ目娘の言葉にキサとジュリエッタは軽く混乱に陥ってぎゅうと身を寄せ合う。 「キサ、ちゃん、暴走はだめ、ですよ」 どこからか枯葉のような掠れた声がした。見るとイテュセイのために道を譲った人々に押されて、潰されたオゾが必死に這って近づこうとしていた。 暴走させないためにも自分の力を利用してキサの心を安定させたいと思うのだが距離が、距離が届かない! 必死に近づこうにもできなくて焦るオゾ。それにどんどん押し流されて 「あ、ああぁ~~」 「オゾさんが、オゾさんが人の波に飲まれちゃう! 助けないと」 「あらあら、押しの弱い男ね。キサちゃん、あたしみたいに押しが強くならないとああやって流されちゃうんだから」 「オゾ殿! しっかり、む、シオン殿もおらぬ。どこから流されてしまったのか!」 「やぁーねー、やっぱり優男だから、最後に立っていられるのはあたしたちみたいな強い女ってことね」 「た、たすけないと~!」 「キサ殿だめじゃぞ。力をむやみに使っては!」 「だ、だって、オゾさん助けないと! ああ、砂漠に捨てられた海藻さんみたいにどんどんひょろりーってなってる。シオンさんは? ああ、あんなところでしけた菜っ葉さんみたいになってるよ!」 「キサ殿、先ほど、わたくしと約束したじゃろ? 助け合いも大切じゃが、人に迷惑をかけてはいかん。彼らとてロストナンバーじゃ。こういうときは自力でなんとかすると信頼するのも大切じゃ」 「けど、けど」 「アイスの約束じゃ」 「う、うん。オゾさん、シオンさん、がんばって」 「ぶー。また二人でいちゃいちゃしちやってー。ねぇねぇ! がんばるキサちゃんに、めっこからもエールを送ってあげる。ほら、みて、窓を」 「ふえ?」 ざぁああああと走りゆく景色―-いきなりトンネルにはいったと思ったら、駅名のないホームが現れ、そこに大量の一つ目娘たちが立って横断幕をかかげていた。 『キサちゃん、がんばって』『いけいけキサちゃん』『初・異世界のたびぃ~』『おねえさまってよんでもいいのよ!』 ざざさぁあああああああああああああああ。 ぱっとトンネルから外へと出る電車。もちろん、先ほどのは電車にいた人たちもばっちりみていて 「なんだあれ」 「なんかちっちゃいのがいっぱいいた」 「え、人? 人?」 混乱に陥れて、混んでいた車内はさらに圧迫された。 「あ、ああ~」 キサが目をまわし、ふらつくのをジュリエッタはがしっと支える。 「しっかりするのじゃ、キサ殿」 「あうう、もう、もう、むり、むりだよぉ」 「キサちゃん、大変、どうしてこんなことに!」あんただあんた「よし、幽霊のいる席に」 「いゃあああああ、幽霊はいやー!」 「キサ殿、落ち着いくのじゃ!」 「き、キサちゃん、お、おちついて、僕がしっかり、しないとって、え、痴漢! ち、ちがいますよ、ちがいます! 僕はキサちゃんに手を伸ばそうとして、すいません、すいませんっ!」 「いかん! オゾ殿はわたくしたちの連れじゃ。痴漢なんぞしてないぞ。オゾ殿、男性は誤解されやすいので両手は上にもっておくのじゃ。先にポイントを教えておいたほうがよかったのお。 空間を少しでも作るため荷物は手元がベストじゃ。男性の場合は足に挟むこともある。乗り降りの際うまく降りやすい位置につけるかが鍵じゃ。 後は……どさくさに紛れて痴漢してくる輩も……む! なにをする! ふととぎ者め! キサ殿、こういう輩は殺ってよし! よいか? こうして手を掴んで! 次の駅に引きずりおろすぞ!」 「ジュリエッタおねえちゃん、かっこいい」 「か、かっこいい」と瀕死のオゾ。 「ぶーぶー、ちょっとぉ、あたしはー。てか、シオンくんはーって、あー、大丈夫? ちょっと、つんつん、生きてるー? しかたないわねぇ、こういうときはめっこさんのありがたい人工呼吸とみせかけたウルトラアッパーで目覚めなさい!!」 「シオンさん! イテュセイおねえちゃん、それはだめぇ! 本当に死んじゃう! シオンさん、しっかりして!」 車内はいつも以上の満員ぷりになんか不思議な現象のせいで混乱し、ものすごく横暴な人によって本来空いているスペースも圧迫されるというめちゃくちゃであったがなんとか無事に目的地につくことは出来た。 ジュリエッタは不届きな痴漢を駅員に渡したあと、ぐったりしているキサたちを無事に青い晴れた空の下に導いた。 「死ぬかと思った」 「力を使わずにがんばったのう。さぁ、ご褒美のアイスを食べに行こうぞ! もちろん、イテュセイ殿のグルメマップにあった極上あまあまアイスじゃ!」 死人に近かったキサの顔に笑顔になるのにジュリエッタは微笑み、手をとる。キサはあいている手を彷徨わせるようにしてぎゅうとイテュセイの手をとった。 にこりとキサが笑うとイテュセイも微笑む。 その後ろをふらふらな男が二名、死人の顔で従ったのはいうまでもない。 イテュセイグルメマップに掲載されているアイス屋で夢のチョコとバニラとストロベリーをのせたアイスをみんなで食べてキサはご満悦だ。 「キサ殿、美味しいか? ふふ、よかったのお。ところで、シオン殿がここは奢ってくれるのじゃろうのう?」 「!」 「シオンくぅん、おねがーい、めっこウィンク!?」 「!?」 「シオンさぁん、おねがーい。キサウィンク!」 女の子三人に囲まれてお願いされて断われる男はまずいないだろう。 そんなシオンをがんばれと視線だけでエールを送りつつ、アイスを食べているオゾはふぅとため息をついた。 「ところで、帰りなんですが、歩きませんか? なんならキサちゃんは僕がおんぶしますから」 すでに敵前逃亡発言をしていだか、もちろん、帰りも電車――オゾの地獄はまだ終わっていなかった。 また後日。亡霊の駅、現る――などという都市伝説が生まれたのは誰かさんのせいである。
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