ターミナルの片隅の、静かな通りの更に奥に、それはある。 彩音茶房(アヤオトサボウ)『エル・エウレカ』。 異世界産の風変わりな植物と、不可思議な鉱物に飾られ――埋め尽くされた、と表現しても間違いではないだろう――、造られた、どこか日本庭園に似たデザインのカフェである。 庭の片隅には泉があって、なんとも芳醇な、それでいて清らかな水の香りを立ち昇らせているのだが、その清冽な泉の水からは、時折、サファイアのような色をした美しい蝶が現れて、飛び立ってゆく。 辺鄙な場所にあるカフェだが、風景や音楽が美しいのと、美味な菓子や料理が味わえると言うので、最近では贔屓にしているロストナンバーも多い。 そんな、普段は、朱金の髪の巫子が出迎える『エル・エウレカ』だが、今日は少々様子が違った。「……よくぞ参られた」 厳かな声と表情で出迎えに現れたのは、ツーリストのゲールハルト・ブルグヴィンケルだったのだ。「神楽殿が別件で忙しくしておられるため、本日は不肖ゲールハルトがもてなさせていただく。どうか、ここを我が家と思し召して寛いでいただきたい」 実を言うとプロの家政婦級の家事能力を持つゲールハルトである。 店内の掃除から厨房の整理整頓、果ては内装の手入れまで――若干ピンク色系統のものが増えて乙女っぽい印象になっているのは気のせいだろうか――、彼は実によく働いている。 見ていて清々しいほどの働きぶりだ。 ――が。 彼を目にした誰もが口にせずにはいられなかった。 すなわち、何故魔女ッ娘姿なんですかオッサン、と。 賢明な諸氏は記憶に留めておられよう、魔女ゲールハルトの『正装』を。 そう、ゲールハルトは、三十分アニメに出て来そうな、フリフリフワフワパステルカラー、スカートは膝上20cm、の、どう考えても四十路後半のおっさんが身にまとってはいけない類いの衣装で忙しく立ち働いていたのだった。「無論、これが私にとってもっとも力を揮える出で立ちだからだ」 天地開闢の真理のような口ぶりで言われて反論を差し挟める猛者は少なく、結局そのまま座席まで案内されて、恐ろしく目に沁みる(そして時折身の危険を感じもする)一時を過ごす羽目になるのだった。
「えっと……ココ、でしょうか、『エル・エウレカ』」 地図と建物を交互に見つつ、首を傾げるのは、オレンジの毛並みに甲冑をまとった狐型獣人、セルゲイ・フィードリッツである。 彼が彩音茶房を訪れたのは、気の好い狼剣士にとてもよい場所だと薦められたからなのだが、 「なんか……あの辺り、フリルなんてついましたっけ……」 現物の『エル・エウレカ』は狼剣士に見せてもらった写真とは違い、妙にパステルカラーが多くなっていて、セルゲイは困惑していた。 せっかく薦めてもらったのだし美味しいご飯も食べたいから入ろうと、 「も、模様替え……でもしてるのかな……」 そういうことにしておこう、とドアをくぐって中に入ったとたん、敷物に躓いてセルゲイは盛大に転んだ。 腕に抱えていた兜がぐわんぐわんと音を立てて転がり、 「あっ、いけな……」 慌てて起き上がって駆け寄り、拾い上げたところで、今日の店番、ゲールハルト・ブルグヴィンケルと目が合った。 思考が一時停止する。 ノーブルな顔立ちに凶悪なまでに鍛え上げられた大柄な身体、そしてフワフワフリフリの魔女ッ娘衣装。この無駄なコラボの無駄な破壊力。これを初見で動揺せず受け止められる人がいたらお目にかかりたい。 当然、セルゲイも盛大に動揺し、ひっ、と咽喉が鳴る。 「……ようこそ参られた」 重々しい、低くて渋い声が歓迎を告げる、が。 「ひゃああああすみませんごめんなさいお店間違えましたごめんなさいいいいいいー!?」 狼剣士の『お勧め』とあまりにもかけ離れた実情に、自分は店を間違えたのだ、要するに迷惑をかけたわけで、つまるところ怒られる! と激しく取り乱すセルゲイ。一刻も早く退出しなければ、と焦るものの腰が抜けたのか立ち上がれない。 「待たれよ、貴殿は『エル・エウレカ』のお客ではないのか?」 「うわあああんすみませんごめんなさいすぐに出て行きま……えっ」 小首をかしげた魔女ッ娘おっさんが、セルゲイが手にした地図を指差している。 「えっ……じゃあ、ここって。でも、外装が写真と違って……」 「うむ、今日はこのゲールハルトが店番を担当する日ゆえ、色々と変えてあるのだ」 そこでようやく落ち着き、促されるまま席に着く。 「さて、注文はいかがいたそうか?」 「ええと……じゃあ、マッシュポテトと、あと、マカロニグラタンをお願いしてもいいですか? じゃがいも、好きなんです。よく、意外って言われますけど……」 しかし、ゲールハルトは狐なのにとは言わず、笑みを浮かべて頷いた。 「うむ、では火城殿に腕によりをかけてもらうとしよう」 そこから待つこと十数分、一口大に丸められ、様々なフレーバーをつけたマッシュポテトとサラダ、とろりとするまで炒めた玉葱とぶつ切りの鶏肉、それから大きなマッシュルームが入った熱々のグラタンが運ばれてくる。 食欲を刺激するいい匂いに、正直なお腹が鳴った。 「では、ゆるりとしてゆかれよ」 魔女ッ娘おっさん店員が、ハーブで香り付けをした冷水をコップに注ぎ、皿の傍らに置いてくれる。 「あ、はい、ありがとうございます」 プレーン、ハーブソルト、バター、カレー、トマト、チーズ。 一口大の可愛いマッシュポテトは、丁寧に裏ごししてあるのだろうか、やさしくてまろやかな味がする。 熱々のグラタンを、舌を火傷しそうになりながらほおばり、幸せな顔で租借するセルゲイの横を、他の客が注文した料理を盆に載せ、ゲールハルトが運んでいく。 格好はともかく、休む暇もなく働く姿に感心していると、視線に気づいたのかゲールハルトが歩み寄ってきた。思わずびくっとなるのはもう許してもらうしかない。 それでも、魔女ッ娘おっさんに対して微笑むくらいの余裕が出てきたのも事実で、 「いかがなされた、何かお代わりでもお持ちしようか?」 「あ、いえ、大丈夫です。……やっぱり、誰かがつくってくれた料理は美味しいですね、あったかくて」 ホッと息を吐いたら、おっさんがぐっと拳を握った。 「不肖ゲールハルト……」 「え、あ、はい?」 「まったくもって同感だ!」 そして、目から眩しいビームが二条。 きょとんとしたままそれに包み込まれたセルゲイは、最初は何が起きたか判らず首をかしげていたのだが、 「え……あ、あ、あれ?」 妙に身体が軽い、と見下ろした自分の衣装が、ふわふわの魔女ッ娘風になっていることに気づいて硬直した。 次の瞬間、迸る絶叫。 「ひぃぎゃあああああっ!?」 客が全員振り向いたほどの音量で悲鳴を揚げ、カーテンの裏に隠れる。 「よ、鎧が、鎧がないー! こここ怖い、怖いよぅうわああん!」 セルゲイにとって鎧は安全弁なのだ。 あれなしには、怖くて日常生活が送れない。 恥ずかしいもくそもなく、とにかくひたすら怖い。 ――ということで、その日の『エル・エウレカ』には、客たちが呆れたり困惑したりする中、魔法が切れて鎧が戻るまで、カーテン蓑虫が啜り泣く、奇妙な空間が出来上がったのだった。
このライターへメールを送る