0世界のどこかにある、小さな食堂。しかも看板も小さい。しかし、そこからはなんとも言えない美味しそうな匂いが漂ってくる。そう、そこがカレーとスープの店『とろとろ』である。 ここでは壱番世界でいうカレーやスープが楽しめる。オーソドックスな物からちょっと珍しい物まで、店主のエルフらしい男が作ってくれる、という。但し、この男は壱番世界を若干誤解している可能性が高い。また、どんな物かさえ教えてくれれば貴方の世界の料理(あるいはそれに近い物)も作ってくれるだろう。「よぅ、いらっしゃい」 ドアを開けると、この店主――名をグラウゼ・シオンという――が笑顔で出迎えてくれる。彼はよっぽどの事が無い限り怒る事は無いので安心してこの店を訪ねてみると良い。貴方の要望に答え、とても美味しい物を作ってくれる。迷っているならば思い切って『君だけのカレー』を選んでみてはいかがだろうか?この場合、貴方の気分や体調に合わせてスパイスを調合し、具をチョイスしてカレーを作ってくれる。辛さの希望もちゃんと聞いてくれるので安心されたし。 さぁ、貴方もほっこりほかほか、とろとろなご飯タイムを。
穏やかな風にのって、なんともいえない美味しそうな匂いが漂ってくる。散歩をしていたセルゲイ・フィードリッツは辺りを見渡し、小さな看板を見つけた。そこに書かれた店名に、セルゲイは目を丸くする。 「えーっと、『とろとろ』……、な、なんだか和んでしまいそうなお名前ですね」 僅かに尻尾が揺れる。シンプルな外見の店に、小さな看板。そして、先程から彼の鼻を擽る美味しそうな匂いに、思わず興味がそそられる。 (ええと……、開いてるのかな? ) そう思いながら店を覗いていると、中ではエルフらしき男がテーブルを拭いている。どうやら、開店中らしい。さっきからいい香りがするなぁ、と辺りをミア渡していると、きゅうぅぅぅ、とお腹がなく。顔を真っ赤にしてあたりを見渡すと、幸いな事に誰もいなかった。それにほっ、と胸を撫で下ろしつつセルゲイは考える。 (拠点のお仕事も終わったし……、折角だから入ってみようかな) ちょうどお腹もすいてきた事だし、と付け加え、セルゲイはドキドキしながらドアに手を掛ける。そして、そっと、覗き込むようにして店に入った。 「ご、ごめんくださーい」 「いらっしゃい。さ、好きな席へどうぞ」 セルゲイが店に入ると、店主が優しい笑顔で出迎える。何処に座ろうか迷った挙句、ちょうど目に入ったカウンター席へと座ると、早速メニューとお水を貰った。 (何を食べようかな) 自然と耳がピコピコ動く。メニューを開くと、いろんなカレーやスープが写真つきで載っていた。中にはそれってスープなのか? というような物もあったが、あえて聞かない事にした。 「それにしても……壱番世界の“カレー”って、いろんな種類があるんですねぇ」 セルゲイの目を引いたのはカレーメニューの豊富さだった。彼の出身世界にスープは沢山あったものの、カレーと言う物は無かったし、覚醒し壱番世界のヒトと出会うまで知らなかった。店主もまた笑顔で頷く。 「そうだな。俺も最初のうちは本当に驚いたもんだぜ」 「……銀色っぽい袋の中からカレーが出てきたときは、驚きました」 「それ、レトルトカレーの事か? 確かにあんな袋の中にあるって驚きだよなぁ」 セルゲイの呟きに、店主もまたうんうん頷く。確かに良く考えてみればセルゲイの出身世界にあんなぴっちりと封のされた袋は無かった気がする。2人は壱番世界の技術と料理に対し、素直に凄いと思いながら話を進める。長々とすみません、と謝った上でセルゲイは中辛のカレーを頼む事にした。 (スパイスが効いてくるのって、大体この辛さ辺りなのかな) そう考えていると店主は小さく微笑んで頷いた。 「そうだな、ジャガイモやニンジンはごろごろと大きめに切った奴がいいかい?」 「あ、はい! 是非! 」 その問い掛けに、セルゲイは笑顔で頷いた。彼がイメージしていたカレーはそういうものだったからだ。 しばらくして、セルゲイの前にはごろごろと大きめに切った野菜たっぷりのカレーが置かれた。サイドメニューにはポテトサラダがついている。ポテトが大好きなセルゲイは思わず尻尾が揺れてしまう。 「うわぁ、おいしそう! 店主さん、ありがとうございます! 」 「俺の事はグラウゼでいいよ。そして、気に入ってもらえて光栄だね」 照れ笑いする店主ことグラウゼ。セルゲイは早速カレーを食べ始めた。ほくほくとしたジャガイモにはちゃんと味が沁みており、とろとろとしたルーにもよく絡んでいる。ご飯もふっかふかで、混ぜながら食べるのがとても楽しかった。じんわりと広がるカレー独特の辛さのおかげか、額にはうっすらと汗が滲む。時々水を飲みつつ、それを楽しむ。 (うーん、美味しいなぁ。お肉も程よい固さだし、サイドメニューにポテトサラダって言うのも嬉しいな) ポテトサラダもまたふわふわしていた。程よくマッシュされたジャガイモに茹でたニンジンと薄切りにして塩漬けされたキュウリがマッチしている。マヨネーズで和えられている中で僅かに覗くリンゴ。爽やかな甘酸っぱさが程よく、しゃきしゃきという歯ごたえもよい。 「どうだい、味の方は」 「ほくほくしてて、ちょっとぴりっとするけどおいしいです~」 幸せいっぱいな顔でのんびりと答えるセルゲイに、グラウゼもまたにっこりと笑った。セルゲイはにこっ、としてぽつり。 「初めて見たときはびっくりしましたけど、壱番世界では馴染み深い料理なんですよね」 「そうだね。俺も、友達からそう聞いてる」 グラウゼが相槌を打ち、セルゲイは更に問いかける。 「そういえば、グラウゼさんの世界にカレーはあったんでしょうか?」 旅先で食べた料理を自分でも作れるようになると、なんだか嬉しくなりますよね、と穏やかに言う彼に、店主はそうだな、と相槌を打ってこう、繋いだ。 「俺がカレーを知ったのはコンダクターの友達を通じてだったが、初めて食べた時はなんだか懐かしい気分になったよ」 その言葉に、セルゲイはへぇ、と頷いた。知らなくても、懐かしいと感じる食べ物、カレー。それは本当に奥深いな、と想うセルゲイであった。 食べ終わったセルゲイに、グラウゼはラッシーを差し出す。そして、おまけだと言って渡したのは、サツマイモ入りのパウンドケーキだった。これにも幸せそうな顔になるセルゲイ。 「実は、僕も壱番世界の料理を練習しているんです」 「それはいいね。あの世界は美味しいものがいっぱいある。機会があれば、作って欲しいな」 その言葉に小さくはにかみながら、セルゲイは頷いた。 ―こうして、昼下がりのひと時は過ぎていく。 (終)
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