目が覚めたとき、激昂した。「なにをした!」「何もしてないわ。そうね、少しだけ眠っていただけよ」 婚約者は嘲笑った。もともと気のりしない、ただ血が近いという理由で結ばれた関係だったが、気ぐらいの高い彼女は自分が他の女に目を向けたことに冷淡であった。「きっと裏切られるわよ。ラフェル。そしてうんと傷つくわよ」 真っ赤な髪に、真っ赤な唇、炎のようにいつも燃えているその姿に男ならば誰もがたじろぎ、恐れ、魅了される。 自信と確信に満ちているその瞳に嫌悪を覚えながら彼は冷淡に見つめた。「アジャーナ、なにかするつもりなのか」「さぁね! 私に恥をかかせたんだから、うんと不幸になればいいのよ!」 淡々と呪いが紡がれる。ラフェルは愛しい、人間の少女のことを思った。「エリ、少し待たせてしまったけれど、君を迎えにいくよ……愛しのエリ」☆ ☆ ☆「今回はヴォロスの事件を君たちに解決してほしいんだ。いいかな?」 導きの書を携えた黒猫にゃんこ――十代の青年の猫が微笑みを向けたのはふわふわの銀色の毛が美しいアルド・ヴェルクアベルとその頭一つ分低いがとても可愛らしい容貌にドレスシャツとマントを身に付けたネモ伯爵だ。「ネモ先輩といっしょだー!」「うむ。わしについてくるのだぞ。アルド! して、わしら向けの依頼とはなんじゃ? もうしてみよ!」「ふふ、やる気があるみたいでよかった。大丈夫、君たちならちゃんと解決できるよ。というか、その道の専門家だから気がつく点は多いと思う。事件そのものは先ほど話したとおり、吸血鬼、もしくはそれを模倣した犯行なんだ」 ヴォロスの西にある森の手前にあるロ・セナンスという村で牛、豚、ヤギの家畜が無造作に六頭も死んだ。それもただ死んだのではない血を抜かれて死んでいたというのだ。「そしてつい最近、人間も死んだ」 死んだのは村の若者で、名はハンセ。二十代の若者で、この村長の屋敷で下働きをしていたそうだ。まだまだ働き盛りの青年の首には二つの穴があったことから、吸血鬼ではないのかと噂が広まった。家畜も調べたところ、首筋に二つの穴があいていたことが判明した。 この村の裏手には森があり、そのはずれにはある古い城には百年ほど前から吸血鬼が暮らしているという。 名はラフェル。金色の髪に青い瞳、それは美しい白肌の貴公子だ。「けど、彼は犯行を否定してる。というか、そもそも城から出こないんだ。五十年くらい前は頻繁に村人と交流していたらしいけど、なぜかいきなりぱったりと村に来なくなったそうでね。また、当時の村長は彼との交流が断たれてからその名なんかを囁くことも禁じていたらしい。まぁ、それで犯行について調査したとき、彼が言うには人間の血も、家畜の血も自分は決して飲まないってこと。まぁ、吸血鬼でも、植物の栄養をとって生きることも出来るみたいだね。そこらへんは君たちのほうが詳しいんじゃないかな?」「うむ。そういう輩がいることは聞いたことがあるのぉ」「血を飲まなくてもいいんだ!」 ネモ伯爵とアルドはそれぞれ同胞についての感想を漏らした。「気になるのがラフェルの行動なんだ。昼間はほとんど城から出てないみたいだけども、数回、村に大きな蝙蝠が飛んでくるのを見たって証言がある。君たちも知っていると思うけど、吸血鬼は蝙蝠に変身できる能力があるんだ。このラフェルにも……村人たちは不安や怒りを抱えていて、このままだと吸血鬼と人が争って悲惨なことになる。だから君たちには犯人を特定し、すみやかにこの事態を鎮圧すること。方法は、もちろん、君たち流でよろしくね?」 猫はにこりと笑ってチケットを差し出した。☆ ☆ ☆「まぁ、あなたたちが旅人さん?」 ネモ伯爵とアドルを村の入り口で出迎えたのはピンクのドレスを着た、金色の髪に青い瞳の十六歳くらいの可愛らしい少女だった。「私は、エリシス・カシュラ。どうぞ。エリスとお呼びください。この村の、村長の孫になります。今は祖父も父も亡なり、叔母と二人きりでこの村を支えております。お二人が来ると聞いて迎えに来たんです! さぁ、どうぞ! 小さな村ですが、ご案内します! 村に滞在の間は屋敷に泊まってくださいね。準備して待っていました」 闊達に笑い、エリシス――エリスは二人を村の中に案内した。そこまで大きな村ではないが、いくつも並ぶ木造の家、鶏や豚の家畜たちの声に村人たちの明るい声も交じる。なかなか活気があるのだと伺える。「チーズとぶどうが村の名産なんです。ぜひお二人にも味わっていただきたいですわ!」「チーズ、おいしそう!」「わしはワインが飲みたいぞ!」 すっかり観光気分の二人の要望にエリスはにこにこと笑って、夕食はチーズたっぷりのシチューとワインにすると約束してくれた。 不意に怒声が聞こえてきたのにエリスは肩を震わせた。「また家畜が殺された!」 それは村人のものだ。 エリス、ネモ伯爵、アドルが駆けつけるとそこには屈強な若者が渋い顔をして囲んでいるのは血の気がなくなった豚だった。その豚の首元には二つの穴、そして地面にはべっとりと血がついている。「なんてこと」 エリスが震える声を漏らした。「エリスお嬢様、あなたが見るようなものではないですよ」「ナハド! あ、彼は私の幼馴染なんです」 茶髪を短く切りそろえた若者、ナハドが立っていた。屈強な体に鉄と火の匂いをくんっと鼻を動かしてアルドは嗅ぎ取った。「旅の人ですか? ああ、事件を解決してくれるっていう。ナハドといいます。この村の鍛冶師なんですよ。依頼なら剣でも、フライパンでもなんでも作るんですけどね……見てのとおり、豚が。これで五匹目ですよ」「これはエリスお嬢様」 豚の前にいた白衣の男が立ち上がり頭をさげた。「私は村の医者のアメラと申します」「アメラは村唯一の医者なんです。街まで勉強してきて! 老人が多いのに、治療を行ってくれているんですよ」「まぁ、家畜を見ることのほうが多いんですけどね。それに私の仕事は鍛冶師のナハドの協力なくしてはなりたちません。この家畜ですが死因は大量出血のようですね。それも見たところ怪我らしい怪我がない……あるとすれば、この首元に二つの穴ぐらい」 村人たちがざわめいた。「やっぱり吸血鬼が」「やはりもう耐えられない! あいつら、殺してやる!」「五十年前、殺しておけばよかったんだ! 以前の村長が殺してしまえと言ったときに!」「そうだ、五十年前も同じようなことがあったっていうじゃないか! あのときも蝙蝠が村に飛んでいたというし」 若者の顔には怒りが、老人たちの顔には嫌悪が宿る。ここ数カ月の事件で家畜もそうだが、人間も死んだことに彼らは心底、怯えているようであった。 その恐怖はいつ爆発してもおかしくないほどに膨れ上がっていた。「みなさん」 エリスは村人たちを見回す。しかし、この場を収めるには彼女はまだまだ幼い。「吸血鬼だ! 吸血鬼のせいさ!」 ひと際甲高い声があがる。 見ると、髪の毛がぼさぼさの老婆だった。やにで黄色い歯をむき出しにしてケラケラと笑った。「あいつら! 五十年前もそうさ! 若い娘を、私の娘を食らった! 私は見たよ! 白い蝙蝠! あいつが人を食ったんだ! ころしてまえ、ころしまわなきゃ、私たちが食われちまう!」 ざわっと村人たちの顔に緊張が走る。「ロシェンおばさま、落ち着いてください。この人、五十年前に、一人娘を喪ってから少し」 エリスは言葉を濁したが、このロシェンという老婆が正気を失っているのは明白だった。 恐怖にかられた村人たちに狂い叫ぶ老婆。それらはこの場で危険な衝動を生み出し、渦を巻く。「先輩、どうしよう」「そうじゃのう、こういうときはわしたちが華麗にかっこよく場をおさめて」「あなたたち、なにをなさっているの! 憶測でものを言うのはおやめなさい! さぁ、邪魔ですよ!」 ぴしゃりとした声に振り返ると、ベジューのドレスに身を包ませた初老の女性が立っていた。髪の毛を結いあげ、青い瞳が鋭く輝く。「おばさま、家畜が……!」「家畜のことはアメラ、あなたが点検した上で、処分を」「もちろんです。エリシス様。ナハド、済まないが、君に頼んでいたメスと針は研ぎ終わっているかな?」「ああ、出来てるよ。来てくれ」 村人たちがひとまず落ちつきを取り戻してそれぞれやるべきことをするために散っていく。それを見届けたエリシスは鋭い眼でエリスを睨みつけた。「エリス、お客様を屋敷に連れてくるのがあなたの役目ではないのですか?」「は、はい、すいません」 エリスが慌てて頭をさげる。「御無礼を、客人。私はエリシス・カシュラと申します。どうぞ。エリシスとお呼びください。この子の亡き父に変わり、この村を治めております。さぁ御話は屋敷で伺いますのでどうぞ」「同じ名前ななのか?」 ネモ伯爵が不思議そうに首を傾げる。「私たちの家のしきたりでございます。ですから、若い娘がいる場合、そちらを愛称で呼ぶのですわ」「うむ。一つ聞きたいが、エリシス、この事件、吸血鬼の仕業と思うか?」 アルドもネモ伯爵の質問に興味を示す。「……わかりません。彼が、何を考えているのか。どうか、よろしくお願いします」 暗澹たる表情でエリシスは答えた。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>アルド・ヴェルクアベル(cynd7157)ネモ伯爵(cuft5882)=========
ネモ伯爵とアルド・ヴェルクアベルは食堂に通されると村自慢のワインとチーズのシチューで歓迎された。 ネモ伯爵はワインに舌鼓をうち、アルドは目をきらきらさせてシチューとパンを咀嚼する。 「おいしい!」 「よかったわ」 エリスがアルドに微笑む。 和やかに進む食事の席でネモ伯爵は金色の瞳を細めて、エリシスを見た。 「エリシス、聞きたいことがある。五十年前もここで事件があったのじゃろう?」 ネモ伯爵の問いにエリシスは頷いた。 「ぬしは吸血鬼らついてどう思う? 犯人と思っておらんようじゃが」 「偏見は目を曇らせますわ」 「わしの勘じゃが。ぬしは若いころ吸血鬼と恋仲だったのではないのか?」 その言葉にアルドはきょとんとし、エリスも驚いた顔でネモ伯爵に注目する。ネモ伯爵だけが問いかけるような視線をエリシスに向けた。 「ぬしが独身でいるのも、事件のせいで引き裂かれたとしたら納得ができる」 「ただ男は好きではないだけですわ」 エリシスは冷静に、しかし、多少気分を害した顔で言い返した。 「証拠もなく、そんなことをおっしゃるなんて、侮辱と受け取りますわよ?」 一種触発の雰囲気にアルドとエリスがはらはらと様子を見守るなか、ネモ伯爵は動ることもなく冷静に言い返した。 「ぬしは、ここにきたときわしの問いに、こう答えた。彼が何を考えているのかわからない、とな。親しげな雰囲気があったが」 ネモ伯爵の指摘にエリシスは痛いところを突かれたように顔をしかめると、ため息をついて手をふった。 「エリス、悪いけど席をはずしてちょうだい」 「けど」 「お願いよ」 尊敬するおばにそう言われたエリスは大人しく立ち上がり、アルドに気遣う微笑みを向けると出ていった。 「あなたのおっしゃる通りです。ただ事件のせいで引き裂かれたわけではないのです……あの人は吸血鬼、私は人間。父が、許さなかったのです。それにあの人はぱったりとこなくなってしまって……彼の城を訪ねても、扉は堅く閉ざされて私では入ることができなかったのです」 「そうなんだ」 アルドは耳を垂れさせ、しょんぼりと呟く。 「けど、なにかあったんじゃないかな? から、あなたは待ってるんでしょ? それに、ぼくたち聞いたんだ。ラフェルは蝙蝠になってここに来てるって!」 「うむ。わしも何かあったと思う。わしらも協力する。ラフェルに会いにいかんか? ぬしも知りたくはないか? 今回と五十年前の事件のことを」 エリシスは苦い顔をして俯く。深い迷いを読み取り、ネモ伯爵は一度引き下がることにした。 「すぐにとは言わん。わしらはこれから事情を村の者たちにも聞いてくる。その間に決断してくれ」 玄関に向かうとエリスが待っていて、ぜひ案内役として同行すると申し出た。 「うーん、気になるのは五十年前の事件で、あのシェロンって人が言ってた白い蝙蝠のことなんだ。ラフェルの変身した姿なのかな? そこを注意して聞いてみようと思うんだ。気になることは聞くに限るよね! ねぇ先輩」 「そうじゃの。わしは先ほど家畜が死んでいた現場を見たいぞ」 ネモ伯爵とアルドは村人から白い蝙蝠について、また五十年前の事件について聞き込みを開始した。 エリスが一緒にいたので村人たちも協力的だが、めぼしい情報はなかなか得られなかった。 「けど、血を吸わなくて、植物の栄養だけで生きていける吸血鬼もいるんだ」 「なんじゃ、藪から棒に」 「うん。僕、元いた世界で自分以外だと吸血鬼って父さんしか会ったことがないから、よくわからないんだ。瀕死の父さんを助けた人が吸血鬼で、その血を飲んだ父さんも吸血鬼になったって話は聞いたことはあるけど」 アルドは考えるようにしっぽをふった。何か思うところがあるらしい横顔をネモ伯爵の金色の瞳がじっと見つめる。 「っと、話が逸れちゃったね」 「そんなことはないぞ。そういう視点も大切じゃ。しかし、最近、こちらに現れている蝙蝠は黒色らしいの」 村人たちが言うには、最近よく見かけるのは黒蝙蝠だという。ラフェルがどんな蝙蝠に化けられるかわからないが、白蝙蝠ではない可能性はあった。 「そもそもじゃ、ラフェルは一人なのかのう」 「え?」 「ぬしが気にするように、もしかしたらここには吸血鬼が二人おるのかもしれん。ラフェルが血を必要とせぬなら、わざわざここにくる理由がない。それに現場じゃ」 着いたのは家畜が死んでいた場所だ。すでに死体は運ばれたが、まだ地面にべっとりと血がこびりついている。 「吸血鬼は血を飲み干すものじゃ、この血だまりはおかしい」 「そっか。そうだよね! 僕も気になってたんだ。今の段階でラフェルが犯人っていのうは無理がある!」 アルドは、考え込むように腕組みして頬を右指でトントンとたたく。 「吸血鬼じゃなきゃ、だれだと思う? 先輩」 「人間じゃろう」 ネモ伯爵ははっきりと言い切った。一応、エリスのいる手前、気遣うように視線を向けると彼女もその可能性については考えていたのか鎮痛な面持ちだ。 「まだ、ラフェルに会っておらんのではっきりといえんが、アメラがあやしいとわしは睨んである」 「そんな」 エリスが声をあげる。 「エリス、わしは酷なことを口にしているようじゃが、医者ならその知識を使って家畜を殺すこともできる」 「エリス、家畜が殺される前に村に住みついた新しい人とかいないの?」 アルドの問いにエリスは首を横に振った。 「そんなことがあれば、すぐに言います」 「それだと、僕もアメラが怪しいと思うんだ。だって、お医者さんなら、そうだよ、穴だって針で開けられるよ! アメラはナハドって人に針のこと言ってたし」 「けど……アメラ先生は街で勉強してきた立派なお医者様です! たしかに針やメスはナハドに言っていくつも作ってもらって持ってますけど、こんなことをする理由がありませんわ」 エリスの目には信じたくないという気持ちがありありと浮かんでいる。 「もしかしたら同族に魅了されているのかもしれん」 「魅了?」 エリスとアルドは同時に声をあげた。 「そういうことをする輩もおる。会っていないからわからんし、情報が足らんのぉ」 「うーん。よし、ロシェンおばさんにも聞いてみよう! 白い蝙蝠のこと。五十年前の事件についても!」 「そうじゃな」 二人は早速エリスに案内されて村の外れにあるロシェンの家に訪れた。 手入れをしてない屋根には苔や草が生え、あばら家は誰も近づかせない禍々しい雰囲気が漂っていた。 エリスがノックすると、ぎぃとドアが軋み音をたてる。 「おばさん、今回の事件を調査している人が、おばさんのお話を聞きたいって、はいってもいいかしら?」 返事はない。 エリスが困った顔で二人を見る。 「わしたちが声をかけてみよう。……おるかのう? ぬしの話、聞かせてもらいたいのじゃ。娘の無念を晴らすためにも協力してほしい」 とたんにぎぃとドアが開き、広がった暗い闇にぽっとオレンジの明かりが現れた。 アルドはぎょっとしてしっぽを膨らませた。目を凝らすと、それはろうそくの明かりであった。 ぬっと闇のなかからロシェンがあらわれ、落ちくぼんだ目で二人を見下ろした。 「何が聞きたいんだい?」 「あのね、あなたが娘さんを失った五十年前の事件について知ってることを教えてほしいんだ」 アルドの言葉にロシェンは眉根を寄せた。 「娘は、あの子は、夜に家から出てしまったせいで! 五十年前の、あの寒い、寒い日。私が足をくじいたのに、あの子は、優しいからすぐに痛み止めになる葉を探すといって、たった一人で、たった一人で」 言葉が震えだし、興奮に熱を帯びる。シェロンは唾を飛ばしながら続けた。 「森に、そう、吸血鬼のいる森にいっちまったのさ」 「森に? 夜にはいったの?」 アルドの問いにロシェンは何度も森にも、森に、娘は死んだと繰り返して会話にならないのにエリスが助け舟を出した。 「痛み止めの葉って、コクリ葉のことだと思うわ。森の手前に生えているの」 直接森のなかに入るわけではない。村は小さく、誰もが顔見知りであったことが夜に出かけることのためらいを薄れさせてしまった原因ではないのかとエリスは付け加えた。 「かわいそうな子、かわいそうな子! あんまりにも帰りが遅いから不安になって見に行ったら、影が、長い白髪をしたやつが……いきなり白い蝙蝠が、大きな蝙蝠が、ふ、ふふふははははは!」 興奮状態にロシェンは突如として笑い出したのにアルドはあわてて、その背中を撫でてなだめにかかった。しかし、ロシェンの高笑いは止まない。 「私が、面倒みます。お二人は、どうぞ。調査を続けてください!」 「いいの?」 「はい! その、廊下で聞きましたが、ラフェル様に会いにいくのでしょう? 私ではお役にたてませんし」 エリスはロシェンの背中を押して小屋のなかに導くのにアルドとネモ伯爵はあとのことを彼女に任せ、一旦エリシスのいる屋敷に帰ることにした。 「やっぱり白い蝙蝠はいるんだね」 「うむ。それにアルド、先ほど、ロシェンは言ったが、長い白髪じゃと……わしたちが聞いたラフェルの容貌とは合わん。五十年前、村人たちはここにいる吸血鬼はラフェル一人だという先入観とロシェンがあのような状態であったから誰も話に耳を傾けなかった可能性がある。なによりエリシスのことで当時の村長はラフェルに対して激しい敵対心があったはずじゃからな」 「そっか。だったらラフェルさんに直接聞いてみよう! 白蝙蝠のこと、エリシスさんが一緒にこなくても、僕たちが仲間だってわかったら信頼してくれると思うんだ」 「そうじゃな」 屋敷に戻るとさっそくエリシスのいる執務室に二人は訪れた。 エリシスは二人の顔を見ると不安げな顔をした。ネモ伯爵はエリシスの不安を少しでも打ち消すべく、聞き込みの結果を簡潔に話した。 「エリシス、わしたちと行こう」 「お願いします! ラフェルさん、なにかあっていきなりこれなくなったけど、きっとあたなのこと探してると思うから!」 「……あの人は、ここにきていたのですね」 アルドの言葉にエリシスは何かをあきらめたように目を伏せた。 「私は、彼に会えません」 「どうして!」 「どうしても、会えないのです」 「理由をもうしてみよ」 エリシスはひどく悲しげな瞳をした。 「あの人は、きっと私に失望したのですわ」 「なにを言っておる。まだ会っておらんがぬしがそこまで愛した相手、信じなくてはどうする。もしかしたら会いづらいのかもしれん。誘き出す作戦をたててみたがどうじゃ? わしがぬしを襲えば、ラフェルは助けに来てくるかもしれんぞ」 「あの人が愛したのは五十年前の私!」 耐えきれないというようにエリシスは机を叩いて立ち上がった。 「お忘れですか? ラフェルは五十年前、こなくなったのです。……私が年を取ってしまったから! あの人が愛していたのは、恋をしていたのは、五十年前の、若い私なのですよ! 私は、こんな姿で彼に会いたくありませんっ。会って本当に彼を失うなんて耐えられない!」 反論したエリシスは苦悶に顔を歪め、先ほど見せた激昂を恥じ入るように俯いた。その瞳から涙が零れ落ちた。 エリシスを連れていくことは叶わなかった二人は夜の森を歩いて城に訪れた。 堅く閉ざされた扉をアルドは霧になって通り抜け、ネモ伯爵は蝙蝠となって中に入り込んだ。煉瓦つくりの冷たい建物の奥、古びた玉座に金色の青年が腰かけていた。 「いとしいエリ、今夜こそ見つけ出さなくては……誰だ! 私のテリトリーに無断で入ってきたのは!」 「無断で入ったことは詫びよう。ぬしがこの地の吸血鬼、ラフェルか?」 ネモ伯爵とアルドが姿を現すとラフェルは目を眇めて頷いた。 「同族が何用か」 「ぬしの事件を解決に来たのだ。ぬしに自ら、村人たちに犯人ではないと申し開きをしてほしいのだ」 「あと、白蝙蝠のこと教えてほしいんです」 二人の言葉にラフェルは眉根を寄せた。 「ああ、あの村の事件か。私はもうすでに申し開きはしたはず。それになぜ蝙蝠のことなど」 「あなたのことを貶めようとしている人がいるんです!」 アルドが村人から聞いたことを説明するとラフェルは険しい顔で首を横に振った。 「私はもう私のするべきことはした。これ以上、無駄に彼らにかかわりたいとは思わない。申し訳ないが引き取ってくれ。たとえ同族といえど、ここの主は私だ」 「エリシスのためじゃ。協力せんか!」 ネモ伯爵の一喝にラフェルの顔色が変わった。 「あれはお前をずっと待っておったのだぞ」 「そうだよ。ずっと」 二人の言葉にラフェルは一転した。 「彼女は今どこに! いとしいエリは、エリはどこですか! 待っていた? ずっと? あなたたちはなにを言ってるんだ」 ラフェルの困惑に二人は怪訝な顔をした。 「ぬし、五十年も顔を見せなかったのはなぜじゃ?」 「五十年? 確か、私はアジャーナのせいで少し眠っていて……そう、少しだけ眠っていたが」 「ラフェルさん、あなたがエリシスの……エリの前からいきなり消えて、もう五十年もたっているんです」 「そんな」 吸血鬼と人間の時間の感覚は違う。 ラフェルは仲間によって眠らされ、時間の経過を知らず、恋人を探しまわっていたのだ。 「エリは、生きているのですか?」 「うむ。ぬしを待っている」 「……エリ」 「エリシスは待っておる。彼女に謝るためにも村にわしらと来てほしい。あと、アジャーナというのは誰じゃ?」 「私の、婚約者だ。だが、私がエリと血を交えると言って、反古にしたんだ。もともと愛し合っていたわけではない、彼女も同意したが……そんな」 まだショックから立ち直らないラフェルの答えに二人は顔を見合わせて頷きあった。 「たぶん、その女が犯人じゃ。それに村の者も協力しておる。ラフェル、犯人を捕まえるためにも協力してくれ」 次の日。 朝から村は騒がしかった。エリシスのところにラフェルからの使いの蝙蝠が飛び、事件について申し開きをしたいので村人たちを集めるようにと手紙が届けられたのだ。 人々はここ連日に起こった事件の犯人と思わしき相手と対面できることから恐怖と好奇心、もしくは敵意を滲ませてエリシスの屋敷に集まっていた。 「よし、行くぞ」 「うん!」 ネモ伯爵とアルドはそのなかをこっそりと移動する。 ラフェルに頼み、人々の注意をひきつけておいてもらい、二人はアメラが犯人である証拠を探すべく、エリスに事前に聞いた彼の診療所に訪れた。 整理整頓されているとはお世辞にもいえない部屋のなかを二人は目立たぬように蝙蝠と霧になってなかを調べていると、そこにふらっと訪れた人物がいた。 その人物はアメラの置いていった白衣のポケットに血塗れた鉄を―― 「捕まえたぁ!」 アルドが霧から実態を戻って、のしかかる。 「ぬしは……ナハド!」 ネモ伯爵も姿を戻して、アルドに押しつぶされたナハドを見て目を丸めた。 「先輩、こいつだよ。鉄のにおいがするけど、それにまじってすごく血のにおいがするんだ! はじめて会ったとき、鉄と火のにおいが強いなって思ったけど、それでこいつ、血のにおいを隠してたんだ!」 アルドの言葉にナハドは顔をしかめた。その胸から白い蝙蝠が飛び出すのにネモ伯爵は素早く部屋にある本を掴むと投げつけて床にたたき落した。すると白蝙蝠は白い、長髪の女に姿を変えた。 ナハドは暴れようとするのにアルドが霧で包む。とたんにナハドは恐怖に満ちた悲鳴をあげた。 「ちょっと暴れないように怖いものを見せてるんだ!」 「それくらの罰は必要じゃな。ぬしがアジャーナじゃな? この男を魅了したか?」 「そんなことしてないわ。なぜ、私が人間なんかを!」 アジャーナは吐き捨てた。 「利用しただけよ。こいつが殺してほしいやつがいるから、そいつを私が殺して家畜はこいつが殺したのよ」 アジャーナは立ち上がると、凛とし佇まいで二人と対峙した。 「ふふ。こいつ、あの売女の家にいる娘が好きだけど、ライバルがいるから殺してくれだって。人間って弱いくせに欲が深いわね。今回の事件の犯人もここのやつに押し付けるつもりだったのよ。まぁ、罠にかかってばれちゃったけど。こいつ、なかなか使えたわ。医者の手伝いをしているから、鉄の使い方をよく知っていた。だから私たちが殺したように、私がいなくても小細工もしてくれた」 ナハドはアメラが仕事で使うメスや針を作っていた。そのつてで彼が仕事をする様子を見て、血の抜き方も学んだのだ。事件のときに必要な針などもナハドであれば好きなだけ自分で作り出し、不要となればまた溶かして証拠隠滅することもできる。彼がいくら鉄をもっていても、もしくは針をもっていたとしてもアメラの依頼で作っていると言い訳はいくらでもできた。 しかし、独学では医者の技術が習得できるはずもなく、注射などで血を抜いたとしても失敗し、死体のまわりには血がべっとりとついていたのだ。 思えば、ここにはじめてきたとき、彼は鍛冶師だというのになぜか家畜が殺された現場の近くにいた。それは死体に穴を開けるためだったとしたら納得がいく。 「なぜ、こんなことを」 「不幸にするためよ。ラフェルは自分の愛した女の醜い姿と出会うの。不幸になればいいの。うんっとね!」 まるで猛毒のような甘い微笑みをアジャーナは浮かべた。
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