オープニング

「君たちが新しい探偵かね! 待っていたよ! ああ、待ちわびていたとも!」
 奇妙なゴーグルをつけた男が両手を広げて声を張り上げた。
 胸から腹にかけて大きな太極図の描かれた袍を身につけたその男は、手にしていた鍵をひとつ持ち上げ、自分の顔の前で揺らして見せながら言を続ける。
「音函男の事だよ。知っているだろう? ああ、知っているとも! この店の地下にいる変飛さ! 君たち探偵が四度足を寄せて函を閉じてから、なぜか君たちの来訪はピタリと止んだ。その間に、音函男のいる暗房もすっかりかたちを変えてしまったんだ。ああ、すっかり変わったとも!」 

 看板には酒食という文字がかすれて記されている。風雨にさらされ続けてきたせいか、看板は傾き、壊れかけていた。
 インヤンガイというまちのあちこちで目にする看板の大抵はきらびやかな電飾でごてごてと飾り付けられている。が、眼前のそれにつけられた電飾には、もう、光は宿っていない。少なくともその店がもう営業していないのであろう事は明らかだろう。
「この店の主人は音函が好きだったのさ。ゼンマイで音が鳴る、あれさ。それで色々蒐集しては、いろんな音に癒されていたんだ。それでその内、自分は音函なんだと妄想するようになってしまったのさ。――ああ、でも、今回君たちに頼みたいのはこの地下に関する事じゃあない。そうじゃあないんだ」
「ふぅん。それで、ミスタ。ミスタはメアリたちになんのご用?」
 男の言を遮るように。あるいは促すように口を開けたのはメアリベル。ベルベッドのリボンを揺らした赤毛は膝まで伸びている。不穏を予兆させる曇天の色を映した双眸はまっすぐに眼前の男を仰ぎ見て、花びらのようなくちびるには新しいオモチャを前にした子どもの笑みが浮かんでいた。
 隣に立つのはハンプティ・ダンプティ。たまごのかたちをした紳士は、しかし、今はなぜか頭が割れて中身が少しばかり飛び出していた。
 男はいとけない幼女にしか見えないメアリベルに目をやって、それからその後ろ――いくらか離れた場所からこちらを見ている人影は、あれは男だろうか。さほど背が高いわけでもない。細身、しかし、なぜかその姿を判然と視認する事が出来ない。凝視している男の視線に気がついたのか、メアリベルが肩ごしにその人影を振り向き、見据える。
 視線の先、促されたようにわずかな動きを見せた後、人影は頭からかぶっていた布をするすると外し、その下に隠していた容貌を顕わにしていくかのように、姿態を顕然とさせていく。
 顕れたのは肩の上あたりまで伸ばした黒髪を揺らし、やわらかな笑みをたたえた琥珀色の双眸が、メアリベルに静かな瞬きを返す。容貌から察するに女のようだ。
 女――アストゥルーゾは次いで男に目をやって、仰々しい動きで腰を曲げる。

「ミスタのお話聞くわ。面白いお話かしら?」
 アストゥルーゾから視線を男の顔へと戻し、メアリベルはふわりと笑った。
「メアリベルたちもこの地下に入ればいいの?」
「いいや、探偵。君たちには他に行ってもらいたいところがあるのさ。ああ、そうだとも! 君たちはこれからこの鍵を持ってその場所に行くんだ!」
 再び鍵を揺らして見せた男の言に、メアリベルとアストゥルーゾはわずかに視線を重ねる。男は構わずに言を継いだ。


 ◇


 インヤンガイ、封箱地区。
 インヤンガイという街にあっては決して珍しい話でもないが、封箱地区もまたマフィアによる支配をうけている。もっとも、封箱地区は取るに足らない小さな地区だ。大した利権を得られるわけでもないのだが。
 それでもかつて、この地区には腕のいい職人が何人かいたのだという。音函を手掛ける職人も地区の端にある豪奢なビルの一部屋に住んでいた。
「腕は良かった! だが手癖が悪かった! 特に女に惚れやすいのは欠点だった!」
 マフィアの男の寵愛をうける女に惚れ、その女の気を引こうとしてとても精巧な音函を手がけたのだ。
 音函は完成し、職人は女にそれを贈りつけた。女は贈り物を受け取り、そして告げた。
「とても見事な音函だわ。これを造った職人の腕はとても見事なものなんでしょうね。見てみたいわ。腕を」
 果たして女の冗談めいた言葉の通り、マフィアは職人を捕らえて腕を落としたのだという。女は職人に会ってみたいと望んだのではない。腕を見てみたいと言ったのだから。
 
 職人はあえなく死んだ。女に贈った音函は、はからずも職人の遺作となったのだ。

 それからだ。
 

「女はマフィアが有する部屋の中で狂い死んだのだ! ああ、そうだ。寝食を拒み、音函を延々と再生し続けたのさ。女は音函が奏でる音楽に魅了されたのだ!」
 男の言にメアリベルの頬が歪む。笑みを浮かべたその愛らしい顔が、男が告げる言葉の先を促すように輝きをましていった。

 女が死に、マフィアはすぐに新たな愛人を作り連れ込んだ。けれど新しい女もまたほどなくして狂い死ぬ。今度は”音が耳から離れない”、そう言って、自らの耳を削ぎ、目玉をくりぬいたのだ。
 音函はマフィアによって処分され、マフィアはまた新しい女を連れ込んだ。女は処分したはずの音函と共に部屋を訪れた。

「それからどうしたかって? くだんのマフィアの男もしまいには狂い死んだのさ! 音函で愛人を殴り、自らの腹を割いて腸を抜き、腹の中に音函を詰めた状態で!」
 それからだ。マフィアが有していたビルはまるごと廃墟となり、近付く者もいなくなった。けれど音函はそのまま部屋の中に留まったまま。
「近付く者はいないといっても、もちろん、浮浪者は勝手にビルに住んでいる。あいつらは住む場所がないから、どこにでも住み着くのさ。そうだろう? 雨風をしのぐためだ、呪いなんざあいつらにはお構いなしなのさ」
 しかし浮浪者たちもまた、ビルの中、狂人と化している。どこからか響く音函の在り処を求め、互いに殺し合うのだ。
「なるほど。それでビルに施錠を?」
 訊ねたのはアストゥルーゾだ。男はうなずき、先ほどから揺らして見せている鍵をメアリベルの手に差し伸べる。
「探偵。君たちはこれからビルに行き、音函の回収をしてくるのだ。とある女に頼まれたのだ。音函を自分の手元に届けろ、と。しかし私がそれをこなせるわけがないだろう? ああ、出来るわけがないのだ! 私はこれから別の探偵たちに会わねばならない。そこで君たちに頼もうというわけだ」
「ふぅん」
 メアリベルがうなずく。差し伸べられた鍵を手のひらで受け取り、興味深げにしげしげと見つめた。
「その依頼主の女性とは、どなたなのですか?」
 アストゥルーゾが訊ねる。男はふむとうなずき、しばし思案した後にのろのろと口を開けた。
「媽、さ」
「媽?」
 声を潜めた男に、アストゥルーゾは目を瞬かせる。しかし男はそれきり応えようとはしなかった。



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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>

アストゥルーゾ(crdm5420)
メアリベル(ctbv7210)


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品目企画シナリオ 管理番号2429
クリエイター櫻井文規(wogu2578)
クリエイターコメントこのたびは企画シナリオのご指名、まことにありがとうございました。
オファー文の「音函」という文字を拝見して、これはぜひとも書かせていただかねばと思いました次第です。
で、せっかくだしということで、いろいろと要素を噛ませていただきました。結果、オファー内容とはずいぶんと異なるOPとなってしまいましたが、いかがなものでしょうか。

さて、今回のノベル中でおふたりに担っていただくのは一点のみ。「音函の回収」です。
ビルは20階ほどのものとお考えください。通常の高級マンションビルを想定いただく感じかと思います。1フロアに四部屋ほど。
音函がどこにあるのかは定かでありませんが、ヒントはOPに書かせていただきました。

なお、アストゥルーゾさん。どんな容姿で性別とかどうすっかなーって思ってましたが、どれも正解ではないのでしょうから、適当に設定させていただきました。ご指定いただけましたらノベルで変更します。

それでは、よろしくお願いします。

文中の用語などは櫻井が独断と偏見と好みとで設定いたしましたものです。
以下に簡単な説明を。

【暗房/アンフォン】
分かりやすく言ってしまえばダンジョンのことです。暴霊域のことを、封箱地区の人々は暗房と言っているようです。
暗房は主に「建物などの内部に」発生するものであり、外部に漏れ出ることはありません。
長い時間その中に身を置いていると、精神的に影響を受けたりすることもあるようです。

【影魂/ジンワン】
いわゆる付喪神のようなもののことを言います。
廃棄された様々なゴミ、例えば使い古しの器だとか古本などに暴霊や宿り可動するようになったもののことを、地区の人々はそう呼んでいます。
中には人形などが影魂と化すこともあります。
基本的には知能は低く、言語を解することなどはできません。
攻撃パターンも限られています。
滅することでしか倒すことはできません。
弱点も持っているようです。

【変飛/ビンフェイ】
暗房内に長く居座ってしまった者は、基本的には影魂に殺されてしまうか、あるいは変飛になってしまうようです。
変飛とはなんなのか。
それはノベル中でお調べいただけるとさいわいです。


基本的にはすべて櫻井のお遊び設定だと思ってくださっても構いません。

参加者
メアリベル(ctbv7210)ツーリスト 女 7歳 殺人鬼/グース・ハンプス
アストゥルーゾ(crdm5420)ツーリスト その他 22歳 化かし屋

ノベル

「なんて大きなビル!」
 無遠慮に声をあげたのはメアリベル。双眸をくるくると輝かせ、眼前に建つ件のビルを仰ぎ見た。
 別々に作った箱を積み重ね造りあげたような見目のビルには、その佇まいを誇示するごてごてとした電飾などひとつもない。うっそりと静まり返った暗闇ばかりが内外を支配しているようだ。
 当然に、外からでは内側を探る事も出来そうにない。窓ガラスが割れ、そこから内側に忍び込むといった手段は廃墟には約定的なものであるのだろうが、そのビルに関してはそれもないようだ。
 メアリベルは呪いに満ちたビルをうっとりと見つめ、胸の前で両手を組んだ。
 音函が奏でる音色は、どれほどに魅力的なのだろう。どれほどに人の心を惹きつけ、そして壊していくのだろう。想像するだけで心のどこかが湧き立つのを感じる。
 肩ごしにそろりと後ろを見れば、数歩分の距離を離れた場所にアストゥルーゾの姿が見えた。女の姿態をとったアストゥルーゾは、メアリベルの視線をうけてわずかに頬をゆるめる。
「メアリ、かくれんぼは得意よ。十数えて、それから隠れた人たちをひとりひとり見つけていくの。見つけたらメアリの勝ち」
 紺色のスカートの裾をふわふわと躍らせて、エナメルの靴で踊るような足取りで数歩を進む。
「でも、こんなに大きいんじゃ、さすがに鬼がふたりだけじゃ大変ね。足がくたびれちゃうわ」
「そうかもしれないね」
 アストゥルーゾが応える。メアリベルは少し思案して、それからすぐに何か思いついたように手を打った。
「応援を呼べばいいんだわ!」
 楽しそうに笑って、メアリベルは再び踊るような足取りで、地面を靴先で幾度かつつく。
 My mother has killed me
 エナメルの靴が踊る。離れた場所でアストゥルーゾが笑んでいる。
 My father is eating me
 つつかれた地面から黒い霧に似た何かが現れ、線を描き揺らぎ始めた。
 My brothers and sisters sit under the table
 黒い霧がやがていくつかの丸みを帯びたかたちを描き、
 Picking up bury them under the cold marble stones!
 メアリベルの歌に合わせ、数体の骸骨へと姿を変えた。
「さ、行きましょ!」
 ミスタ・ハンプと骸骨を引き連れて、メアリベルは上機嫌でビルの入口へ向かう。その手には陰陽師だと名乗った男から受け取った鍵が握られていた。
 アストゥルーゾはメアリベルの背中をゆったりとした歩調で追いながら、改めてビルの上階を仰ぎ見る。
 目指す音函はどこにあるのか判らないという。――が、そんな事はさしたる問題ではない。
「手当たり次第に探せばいいだけだしね」
 小さな笑みを含んだ独り言を落とす。
 わずかに振った右手が、刹那、鞭のようにしなって地を叩いた。

 鍵は事もなく開き、メアリベルとアストゥルーゾもまた逡巡する事もなくビルの中へ踏み入れた。
「くっせーな」
 袖で鼻先を覆い、アストゥルーゾが舌打ちをする。
 ビルの中は浮浪者たちの住処と化していたというのだから、内部がどのような状態になっているかなど、想像に難くないものだった。が、入ってみれば、それは強烈な臭気をもって、想像の上をいったのだ。
 臭気の元は腐敗した食物、糞尿――無残な屍体と化した犬猫、そして、
「音函を捜しましょ!」
 メアリベルは一面を満たす臭気になど気を害する事もなく、スキップを踏むような足取りで、そこかしこに転がる浮浪者の屍体の間を縫い進めていく。
 アストゥルーゾはメアリベルを追うともなしに追いながら、横目に屍体を検めた。
 屍体は犬猫、人、そのいずれにも共通点がある。
「美味いのかなあ」
 呟いたアストゥルーゾに、メアリベルがわずかに足を止めた。肩ごしに振り向き、ふわりとした笑みをのせる。その眼が瞬いたのを見とめ、アストゥルーゾはやんわりと笑って肩をすくめた。
 ちょうど胸下から下腹にあたる箇所だけが空洞となっている屍体。
 ミスタ・ハンプと骸骨の集団が、仄暗い廊下をギシギシと進んでいった。

 一階には住居らしい空間はなく、ただ広いフロアが広がっているだけだった。そこに転がる屍体の数になど興味はない。ふたりはそのまま、見つけた階段で階上へと進む。
 階を上に進めば進むほど、仄暗さは少しずつ色を濃いものへ変じさせているように思えた。電気の類は通っていないようだ。窓は大きめに設計されてこそいるが、今、外界を支配するのは夜の闇なのだ。光が射し込むわけでもない。
 どの階にも腐臭は漂っていた。二階から上には居住空間があったが、鍵が破壊されているのはもちろんのこと、中にはドアが破壊され内部が丸見えになった部屋までもがあった。
 けれど、三階を過ぎ、四階に向かう階段に足をかけてもなお、目にするのは屍体ばかり。少なくとも動くものの姿はひとつも目にできていない。
 階段を上りきり四階に辿りついた刹那。芝居がかった大仰なしぐさで、アストゥルーゾは両手を広げた。
「すべては戯れ! 吐くセリフは全部戯言! 流す涙も浮かべる笑顔も皆ウソ! オルゴールをBGMに、最上級の戯れに仕上げるのは一流役者、その名は化かし屋アストゥルーゾ!」
 言いながら、広げた両手の先を、ウワバミへと変じさせる。ウワバミはアストゥルーゾが高らかに述べている口上などに気を寄せるでもなく、そのまま身をしならせながら前方へ滑っていった。
 ウワバミが進む先を見据え、アストゥルーゾは眼光を閃かせる。口角がわずかに歪み上がり、満面に笑みの表情が浮かんだ。
 視線の先にはガタイのいい男がひとり立っていた。男は口の周りに乾いた赤黒いものをつけたまま、黄ばみよどんだ眼でアストゥルーゾを睨めつけ、次いで泡を吹き出しながら何事かを叫ぶ。けれどそれがどんな意味を成す言葉なのかは分からない。獣じみた咆哮にも思えた。
 その咆哮をかき潰すように、ウワバミがアストゥルーゾの声色で下卑た笑い声をがなり立てる。大きく開かれたあぎとには幾筋もの粘液が蜘蛛の糸のように伸びていた。
 
 Fee, fi, fo, fum
 メアリベルが唄う。足取りは変わらずに軽く、スカートの裾は足が弾むたびにふわりと舞った。
 I smell the blood of an Engllishman
 アストゥルーゾの両手が変じたウワバミのあぎとが、現れた男の胸から上、そして腿から下を、それぞれ一口に噛む。
 ウワバミに食まれた男は反撃を打つ事も出来ず、なす術もなくただ身体を三つに裂かれて死んだ。
 上半身を食んだウワバミがかぶりを振り、喰い千切る。裂けた腹からはやわらかな腸が引きずり出され、引きちぎられた勢いで壁にビチビチと叩きつけられた。
 Be he alive or be he dead
 メアリベルは唄う。そのうたに合わせ、ミスタ・ハンプがステップを踏んだ。しかし飛んできた塊を踏んだのか、そのまま転げて頭を打つ。ミスタ・ハンプも中身をぶちまけた。
 I'll grind his bones to make my bread
 下僕が粗相をしたのが楽しいのか、メアリベルは首をすくめくすくすと笑う。
「あーあ、全然美味そうじゃねえし。っていうか、くっせー」
 アストゥルーゾはわざとらしく声高にそう言って、両手を再び鞭のようにしならせた。ウワバミは改めて一般的なかたちをした両手へと戻る。
 中が覗き見えるようになった屍体の傍に駆け寄ったメアリベルが腰を曲げて確かめた。が、男だったものの腹の中に音函はないようだった。
「なあんだ、つまらないのね。じゃあまた探しに行かないとね。メアリ、音函が奏でる音を聴きたいのよ」
「まあね」
「きっとね、それは壊音なの! 聴く者を死へと誘う狂気のメロディ!」
 うっとりと、メアリベル。対するアストゥルーゾはメアリベルの言葉に小さくうなずくだけで、応えを述べようとはしない。
「素敵ね、素敵。とっても素敵」
 言って、メアリベルは再びステップを踏むような足取りで先を進んだ。

 五階、六階。階を進むごとに、やはり空気は暗く染まっていくようだ。
 メアリベルは斧を手に、狂人どもをめったうつ。腹は狙わない。狙うのは腹以外だ。
 Lizzie Borden took an axe
 歌声と足取りは変わらずに軽やかで楽しげに。斧で叩き割られ潰される頭からは白くやわらかな脳漿がこぼれ出る。
「ミスタ・ハンプと同じね」
 メアリベルは声をあげて笑った。笑いながら、今度は慎重に手斧で腹の辺りを打つ。
「聴けなくなったら困っちゃうもの。メアリがずっと捜してた、メアリだけのお唄かもしれないのに」
 腹を裂き、ぞろりとこぼれ出てきたものを掻き分けて中を検める。けれどどこにも音函はない。
 メアリベルは表情を歪ませて立ち上がると、未だわずかな痙攣を見せている男に向けて、今度は力をこめて斧を幾度も振り下ろした。

 アストゥルーゾはメアリベルより先に階を上っていた。とはいえ、いちいち数えながらフロアを上がってきたわけではない。自分が今何階にいるのか、把握はできていなかった。
 両手は、時には巨大なハンマーに、あるいはドリルとなって、途中途中ではち合わせた狂人の胸より上部を形もなく潰していた。
 相手を潰しながら、アストゥルーゾは耳を澄ます。五感を研ぎ澄ませ、オルゴールの音を探した。
 鼻に触れる臭気に顔を歪めながら、アストゥルーゾは、ふと、視線を少しばかり移ろわせる。
 ――空気がわずかに揺れていた。その揺れの先にあるものを探し数歩、歩みを進める。
 たどり着いたのは閉ざされたドアの前だった。他の部屋のドアは大半が破壊されていた。が、眼前のそれは見る限り傷こそひどい有り様だが、室内と室外とを隔てる役目は確実に担っているようだった。
 それはドアの向こうから、くぐもった響きをもって空気を揺らしていた。
 狂人がふたり、ドアノブに手をかけようとするアストゥルーゾに迫る。アストゥルーゾはふたりの姿を検める事もしないまま、身体の半身を猛禽の爪に変じさせた。
 爪が狂人たちの全身を握り潰す。鋭い爪の先端は彼らの全身に突き刺さり、頭も腹も同じように差異なく平等に破壊するのだ。
 脳漿や臓物がぶち撒かれ、壁や廊下を赤黒い液体で満たす。その上を何ということもなく踏みつけながら歩き進んで来ると、メアリベルは原型を留めず破壊された屍体を前にしゃがみこんで無邪気に笑った。
「ミスタ、これ、あげるわ」
 手にしていたのは旧式の電話だ。どこかの部屋で見つけて持ってきたのだろう。メアリベルは受話器を耳にあてて楽しげに口を開けた。
「ハロー? ハロー?」
 笑みをこぼしながら電話で会話をしているフリをする。それから受話器を元に戻すと、電話を屍体の、散らばった腸の中に押し込めた。
「鳴らない電話よ。ミスタも、お腹の中空っぽでさみしいでしょ。誰かからかかってくるかもしれないわよ」
 RIIING RIIING
 電話の鳴る音を真似しながら、メアリベルはアストゥルーゾの隣に立ち、同じようにドアを見上げた。
 視界の端、メアリベルが呼んだ骸骨たちの姿がある。口の周りや手が赤黒く染まっていた。眼球さえもない眼孔の奥、無いはずの光彩がじわりと邪光を閃かせたように見えた。
「やっとここからオルゴールさんの出番だねーっと」
 言いながら、アストゥルーゾは片手を巨大なハンマーに変じさせる。振りかざし、振り下ろす。ドアはひしゃげた音と共にぐにゃりと曲がった。アストゥルーゾが蹴飛ばすと、ドアはそのまま奥へと吹っ飛んでいく。
  
 部屋の中を満たしていたのは饐えた腐臭。大げさな仕草で嘔吐を真似てみせるアストゥルーゾの視界に、部屋の奥から次々に飛び出てくる人影が映りこんだ。
 メアリベルが部屋に飛び込んでいく。
「かくれんぼはおしまいよ!」
 斧をかざし、人影の隙間を縫いながら、メアリベルは走る。身丈の小ささが幸いしてか、その動きは人影の影響をさほど強くは受けずに済んでいた。
「あーもー鬱陶しいなー」
 大仰な所作で耳をふさぎ顔をしかめながら、アストゥルーゾはため息をつく。 
「オルゴールが聴こえないだろー?」
 言って、再び両手を変化させた。双方ともにあぎとを開いたワニの姿になっている。
 ワニは狂人たちをまとめて噛み砕いていく。もはやそこに容赦などない。狂人たちには逃亡という選択が欠落しているのか、ただがむしゃらに立ち向かい、一様に砕かれるのだ。
「あー、ほんとマジでくっせーし。二足羊だっけ? 喰うもんじゃねーな」
 吐き捨て、アストゥルーゾは肩を鳴らす。それからメアリベルの後を追うようにして、板張りの廊下を進んだ。
 黄ばんだ壁には赤黒いシミが、粘土をはり付けたアートのよう残されていた。ワニは生々しい糊を飲み込み終えると、そのまま再び両手に戻る。歩きつつ手を振ると、指先から飛んだものが壁に新たなシミを描いた。

 メアリベルは奥の部屋のソファの前でしゃがみこみ、小さく唸っていた。
 ソファには腐敗した屍がひとつ。手足は縛られたまま、顔と共に半ばミイラのように干からびている。が、腹部の辺りには蛆と蠅が無数にたかりうごめいているのだ。彼らがうごめくたび、ミイラの腹はまるで呼吸しているかのようにも見える。そしてその腹の奥から、のんびりとしたワルツが漏れ聴こえてきていた。
「腹にスピーカー内蔵とかファンキーだね。夜とかどうやって寝てんのかな。うるさくて寝れねえだろ。って、死んでんだから関係ねえのか」
 言いながらアストゥルーゾはひとり笑う。メアリベルはお構いなしに手を伸ばし、蛆と蠅の間に突っ込んで、中をまさぐった。
「見ぃつけた!」
 メアリベルの顔が輝く。引き出された小さな手が握っていたのは、メアリベルの片手に余る程度の大きさの函だった。

 蓋が閉ざされたままの函。蓋が閉じたままでは音は鳴らない。止んでしまった音をもう一度鳴らすため、メアリベルは指をそっと蓋にかけた。
 アストゥルーゾが後ろから覗きこむ。
「ここにあるのがメアリのためのお唄?」
 ささやくメアリベルの声に反し、けれど、音函は蓋が開いた状態になってもまだ音を鳴らす事をしない。メアリベルは悲しげに口をつぐむ。
「鳴らない……」
 肩ごしに振り向きアストゥルーゾの顔を仰ぐが、アストゥルーゾはやわらかな笑みを浮かべたまま、応えなど返さない。
 メアリベルは幾度か蓋の開け閉めをしてみたが、それでも音が鳴らないのを検めると唇を強く噛み眉をしかめた。けれど、
「腹の中になきゃ鳴らないんじゃないの? 僕もそういうのを内蔵すれば、お気遣い系デビューとか出来るかなあ」
 アストゥルーゾのその言葉にメアリベルは再び表情を輝かせる。
「そういう事! 分かった、それならメアリ、いいものあげるわ」
 言って、メアリベルは音函を自分の腹の中に突っ込んだ。指先が自分の臓物に触れる。生温かく、ブヨブヨとした腸を破りながら函を腹に収めるが、音はやはり鳴らない。
「鳴らない」
 呟き、腹から音函を引き抜く。ついでに腸も飛び出てきたが、メアリベルは構うことなく、今度は手斧を片手に持った。
 左腕を叩き落とす。蓋を開けた函の中に押し込んでみる。音は鳴らない。今度は右目をえぐり取る。曇天の色を映したそれを左目で見つめた後に函にねじ込んだ。ねじ込んだ勢いで右目玉は潰れて中身が漏れ出たが、構うことなく、今度は左目をえぐり抜いて函に突っ込んだ。
「メアリベルがメアリベルを殺して、音函がメアリベルを食べた」
 弾むように歌いながら、穿たれた眼孔から鮮血の涙を流す。函の中、曇天がひとつ、少女の顔を見つめていた。
「ねえ、次は何が欲しい? どうせ生えてくるもの、なんでもあげるわ。コウカンジョウケンよ、名案でしょ?」
 言いながら函を耳に近付ける。音は鳴らない。メアリベルは再び唄いながら、今度は自分の胸に手斧を振り下ろす。
 
「おお、鳴ったね」
 アストゥルーゾが声を弾ませた。
 ミイラの腹の中にいたときとは異なる、明瞭たる音色だ。
 メアリベルの心臓をのせた音函は、鼓動のリズムを真似するように、再びワルツを刻む。その音色に合わせ、メアリベルはくるくると踊り始めた。
「もう寂しくないわ。メアリがずっと一緒にいてあげる」
「でもそれ、さっきのあの男に渡さなきゃダメなんじゃないの? マフィアのなんとかってのが欲しがってるんじゃなかったっけ」
 踊るメアリベルにアストゥルーゾが声をかける。メアリベルはワルツを刻む足を止める事なく、鮮血の涙を流しながら笑った。
「ダメよ。これはもう、メアリのもの。メアリから奪おうとするんなら、メアリはきっとその人を殺しちゃうわ」
「ははは、それも楽しいかもね。付き合うよ」
 アストゥルーゾも唄うような口ぶりで返す。別に、依頼の完遂などどうでもいい。楽しそうならそれでいい、それだけだ。今はただ、メアリベルが唄う声とオルゴールが奏でるワルツの音に合わせ、自分も共に歌うだけ。
 窓の外、夜の暗色が電飾をうけて赤黒く色彩を変えていく。

クリエイターコメントお待たせしました。企画シナリオをお届けいたします。
目的は達成しました。が、おふたり共に音函をマフィアに渡すとも渡さないとも特筆されていなかった点と、メアリベル様のプレイングがあまりにも可愛かった点とを合わせまして、音函はメアリベル様のお手元にお渡しすることにいたしました。ご入用であれば、お手元の飾り物にでもしてください。

>メアリベル様
すごく好みなプレイングでした。ほぼそのまま全使用させていただいたかたちとなっております。グロ加減とかどうしようかなーとも思ったのですが、ひとまず控えめにしてみました。

>アストゥルーゾ様
お名前の由来設定などが素敵ですね。
こちらのプレも、簡潔にまとめられていつつも、あっさりイっちゃってる感じで、やっぱり好みでした。メアリベル様のプレと場面選択的な差異がありませんでしたので、こちらもほぼ全使用させていただいた感じです。
アストゥルーゾ様にはお土産はありませんが、わりと多めにお食事いただいたので、まあよしとしませんか。

メアリベル様が音函を持ち帰ることで、陰陽師がどうなるのか等は、ほどなく追って公開予定のもう一篇で一行ぐらい触れられればと思います。
楽しかったです。読み手であるおふたりにも、少しでもお楽しみいただけましたら幸いです。
それではまたのご縁、お待ちしております。
公開日時2013-02-16(土) 11:20

 

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