0世界にはあらゆる世界を出自としたロストナンバーたちが集っている。ゆえに、食や雑貨、衣類に至るあらゆるものが、じつに幅広い趣向を揃え売買されてもいる。 家具やインテリアといったものに関する店舗も例にもれることなく、0世界のあちらこちらに点在していた。その店舗の中でも比較的大きな面積を誇るのが、ニケアという看板をかかげたこの店だ。建物は三階建て。一階にはカーテンや絨毯、壁紙のサンプルやらが並ぶ。二階にはテーブルや棚、椅子が。三階ではベッドや寝具を初めとする大型家具が並んでいた。 むろん、デザインはあらゆるものが用意されている。分かりやすく壱番世界の世界観に基づいて統一のなされたそれらは、和をイメージしたもの、東洋をイメージしたもの、西欧を、東欧を、あるいは南国をイメージしたもの――様々なデザインのものがそろえられていた。 七夏はヒルガブと指先をつなぎ、ニケアの入り口に立っていた。大きく広がるエントランス部分には、ちょっとしたフードコートのような場所まで用意されている。品の購入を目的としているのか、あるいは単なる冷やかしで来たのかはさておき、来客数も案外と多い。 どことなく落ち着かない気持ちを抑えつつ、七夏は隣に立つヒルガブの顔を覗き見た。目が合い、思わず触覚がぴょこりと跳ねる。「どこから見てまわりましょう?」 ヒルガブが言う。七夏はそろりとうなずいた。「私はスムールの寝床になりそうなものも探したいなって思うのよ」 もちろん、暗幕のようなカーテンもはずして新しいものにしたい。 司書としての用件を果たす目的も兼ねた1LDKほどの間取りとなった空間には、むろんのことながら、ヒルガブの私室も備えられている。何度か入らせてもらったこともあるが、ヒルガブの部屋は、なにしろ全体的に簡素で質素な家具類しかないのだ。あまりそういう方面には頭がまわらないらしい。パイプベッドの他には、せいぜい大きめの書棚がいくつかと、衣類をしまうためのクローゼットがあるぐらいだ。 どうせなのだからああいった家具類も新しいもので揃えたらどうだろう。七夏の提案は、ヒルガブによってこころよく受け入れられた。「スムールの寝床ですか」 ヒルガブがうなずくのを見上げつつ、七夏もまた深くうなずく。 ヒルガブの部屋では、スムールはだいたいソファの上でまどろんでいることが多いような気がする。けれどヒルガブが管理しているチェンバーでは、スムールは比較的高い場所を好んで休んでいるような気もするのだ。「ちょうどいいようなものがあればいいのだけど」 言いながら、ヒルガブは館内の案内図を見ている。 七夏もつられて覗き見ようとすると、ヒルガブが思いついたように横から述べてきた。「七夏さんもゆっくりしていけるような部屋にしましょう」「……?」「七夏さんの私物も置いていいんですよ。そうですね……七夏さん用のクローゼットや、作業用の机なんかも見たいな」 まなじりを細め思案しながらつむぐヒルガブの言葉に、七夏の触覚が再びぴょこりと飛び跳ねた。「もちろん、七夏さんもそれがいいと言ってくれるなら、ですが」 頬を染める七夏にヒルガブが言う。 眼前の司書は七夏の顔を見つめながら、ただ静かに微笑んでいた。 =========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>七夏(cdst7984)ヒルガブ(cnwz4867)=========
「まずは大きなものから考えていきましょうか。大きな家具の配置を決めて、それから小さいものも見て決めて……あ、そうだ、香炉も欲しいわ!」 七夏の視線はくるくると忙しなく動きまわって、店内のあちこちを検めては楽しそうに眇められる。 「イェンさんはカーテンを白にしたらどうかって言ってたわよね。ハイユさんはアラビアンな小物がいいんじゃないかって言ってたし。香炉買ったら、あとで夢幻の宮さんのところに行って、調合してもらってもいいわね」 ヒルガブの部屋の間取りと広さを浮かべながら、大まかな形を想像していく。確かに、暗幕のようなカーテンで締め切った部屋では、訪れるロストナンバーたちの足も躊躇してしまいがちかもしれない。もっと、例えば初めての依頼を請けに来る誰かがいたとして、そういう場合にも気軽にドアをノックして訪れることが出来るような空気を作り出せていければ。――もちろん、ヒルガブという司書がもつ個性の主張も大切だ。 思いつくままに口を開く七夏に、ヒルガブはていねいなうなずきを返しながら微笑んでいる。 重なった視線に対する照れ隠しに、少しだけうつむいて、眼鏡ごしに上目でヒルガブを見上げる。ヒルガブは七夏の頬に触れて小さな笑みを浮かべ、それから七夏の手を握って口を開く。 「まずは仕事用に、接客用のテーブルセットを見に行ってもいいですか?」 「もちろんよ」 弾かれたようにこくこくとうなずいた七夏にうなずいて、ヒルガブはゆっくりとした足取りで歩みを進める。 「テーブルではなく、和室のように、畳を置いて、その上に卓袱台や座布団を置くのも考えているんです。これから冬になればコタツのようなものでもいいのかなとか。……まぁ、ターミナルに気温の変化はありませんが」 「気持ち的な問題ね?」 「ええ」 うなずき目を細ませるヒルガブの横顔を仰ぎ、七夏も小さな笑みを浮かべてわずかに首をかしげた。 「でも、こたつって一度座るとなかなか抜けられなくなっちゃうって聞いたことあるわ」 「そうなんですか? なんだろう。……呪術的な効力でもあるんでしょうか」 「呪術!?」 触覚を震わせて目を丸くさせた七夏の手を、ヒルガブは神妙な面持ちで心もち強く握りなおした。 「大丈夫です、私が七夏さんを守ります」 そう言ってふわりと頬をゆるめたヒルガブに、七夏もつられてふわりと笑う。 「でも、訪れる方を端から呪術の効力にかけてしまうわけにもいきませんね。……そうなるとやっぱりテーブルセットもあったほうがいいのかな」 「畳は応接スペースの一郭にしいて、衝立みたいなもので区切りをつけたらどうかしら」 「ああ! なるほど、それはいいかもしれませんね」 「そうしたらまずは応接用のテーブルセットと衝立と畳と、それにこたつの一式ね」 「じゃあ、テーブルセットをアラビアン的なもので」 言い交わした後、ふたりは決まった内容の通りの品を見て回った。揃えたのは籐で出来たテーブルセット、テーブルセットと色味を合わせた木製の衝立。それに琉球畳と、やはりテーブルセットに色味を揃えた卓袱台の一式。 残念ながらこたつという呪術機能を揃えることは出来なかったが、相談をもちかけた店員が薦めてくれたのは卓袱台の板の下に毛布と布団を敷き置くという手段だった。実際に展示されていたものに座り足を入れてみたら、毛布と布団のもふもふとした感触と温もりがじんわりと全身を包み込んできた。 「その中に入ったまま眠ってしまうひとも少なくないんですよ」 店員に説明に、七夏とヒルガブは揃って首を縦に振る。 「確かに、これは」 ヒルガブは神妙な顔で布団の中にじりじりと身を沈めていく。 「これ、ください!」 思い切って顔をあげた七夏がそう言うと、ヒルガブもまた深々とした同意を見せた。 ◇ 「ひ、ひとまず、応接用のものは揃ったわよね」 後ろ髪を大いにひかれながらも卓袱台の呪術から身を遠ざけて、ふたりは続いてプライベート空間用の家具類を見に行った。 寝室用のベッドが並ぶその向こうにタンスやデスク類が並ぶ。 平然とした顔で手をつなぎながらベッドの横を通りすぎてはみたが、七夏の触覚はやはり忙しなく動いていた。 「せっかくだし、寝床も新調したいな」 ヒルガブが落とした何ということもない独り言に飛び上がり、七夏は両手でヒルガブの手を引っ張り、前へと進む。 「そ、それは後ででいいと思うの! 次はわ、わたしの作業机とか見てみたいわ!」 ろれつが回りきらずに少しだけ言葉を噛んでしまった。 けれどヒルガブは七夏が見せている動揺の原因を理解できずにいるようだ。 「そうですね」 そう言って、早足で先へ進む七夏に引かれながらフロアの移動をする。 移動した先には、様々な用途に沿う机や椅子が展示されていた。それらに合わせた照明も並んでいる。書棚も並び置かれていた。 見渡した後、七夏の目が輝き、ヒルガブを振り向いて仰ぎ見る。 「ヒルガブさん! ミシン用のテーブル!」 目にしたのはミシン台としても使える長机が並ぶ一郭。アンティーク調のもの、カントリー調のもの、デザインは様々だ。 並ぶミシン机の隙間を縫うようにしてひとつひとつをじっくりと検めていく。セットになった椅子に腰をおろして机の上に両手を置き、そこにはない道具や糸や布の形を浮かべる。 「どうですか?」 エボニーで仕上げられたアンティーク風の机に両手を置いて、木肌に特有の、吸い付くような感触を感じながら目を閉じる。耳に馴染んだミシンの音が聴こえるような気がした。 「材質もいいし、高さもちょうどいいわ。ミシンがけもしやすそう」 うっとりと閉じていたまぶたをゆっくりと持ち上げ、ヒルガブの顔を仰ぐ。ヒルガブは「それはよかった」とうなずきながら、七夏と同じように机の木肌を撫でていた。 「七夏さんが使うものですし、七夏さんが一番気に入ったものを選んでくださればいいんですよ」 言って微笑む。七夏はその笑みを仰ぎ見て目を細め、うなずいた。 「そうね、私、これがいいわ」 そう返し、七夏は再びうっとりと目を伏せる。 ていねいにつや消しの処理もなされた肌面。触れていると、その木材が伸びていたであろう森の息吹を感じるような温もりを感じる。 「お部屋に合う?」 ひとしきり木肌に触れていた後に再びヒルガブを仰ぎ見て口を開けた七夏に、ヒルガブは深く首肯した。 「大丈夫ですよ」 ◇ その後は新しい本棚と、私室用のテーブルと椅子、ソファを見てまわった。テーブルもソファもふたり用のものだ。椅子も二脚、ついでに新しい食器も見てまわる。 「食器の類はアガピス・ピアティカでレイラさんに見立てていただくのもいいですね」 どんな食器を選んだらいいのかと思案する七夏に、ヒルガブはそう提案した。七夏ももちろん賛同した。そうしてその直後、七夏は何か思い至ったのか、唐突に頬を赤く染める。 「? どうしました?」 ヒルガブが覗き込む。七夏は両手で頬を押さえつつかぶりを振った。 「……なんだか、嬉しくなっちゃって」 もごもごと言いよどみながらもなんとか一言そう言って、七夏はさらに深く両手で顔を包む。 ヒルガブは首をかしげている。七夏の言葉の先を待っているのだ。七夏は小さくうめいて、小さく呼気を整えた。 「ヒルガブさんと一緒に暮らせる、みたいで……」 こっそりとささやき落とすような、小さな声だった。けれどもヒルガブは七夏のその声も聞きとめて、ゆるやかに頬をゆるませる。 「私はそのつもりですよ」 「……え」 聞き返す。しかしヒルガブはそれきり口をつぐみ、ただやわらかく視線をすがめているだけだった。 「お腹すきませんか? 何か食べに行きましょう」 ◇ 天井や窓の全面をガラス張りという構造で作られているフードコートは、うららかな陽光で照らされ、のんびりとした空気で包まれていた。 窓辺の席につき、バニラアイスを口に運びながら、七夏は小さな息をついた。歩き回った体に、バニラの甘い香りと品良い甘さの冷菓が心地よく浸透していく。透明な容器の中でゆっくりと溶けていくアイスをつつきながら、向かいに座りコーヒーを口に運ぶヒルガブの顔を見る。 ヒルガブの目は窓の向こうに向けられていた。視線を追うようにして七夏も外を見てみた。 行き交うロストナンバーたちの姿が見える。ここでは出自世界や種族に関わらず、あらゆるかたちでの出会いが用意されているのだ。 「七夏さん」 「ん?」 不意に名前を呼ばれ、七夏は目をしばたく。窓の外に向けていた視線をテーブルの向かいへと戻した。そこに、妙に改まったような面持ちを浮かべたヒルガブがいる。 「え?」 重ねた視線にこもる真摯さに、やはり触覚が大きくはねた。 「しょうじき、あまり耳にしたことのない事例です。が、特に制限されているわけでもないはずです」 おもむろに紡がれはじめた言葉に、返す言葉がうまく決まらない。惑ったまま、ただ触覚だけが忙しなくはね動く。 「七夏さんさえ良ければ、このまま一緒に暮らしませんか?」 「え、そ、それは」 「いずれは私の伴侶として」 「!」 弾かれたように顔を持ち上げる。視線の先、いつもと変わらず穏やかな笑みを浮かべたヒルガブの視線があった。 「もちろん、お返事はいつまでも待ちます。時間はいくらでもありますしね」 冗談のような口調でそう言って、ヒルガブは静かに視線をはずす。コーヒーを口に運び、再び視線を窓の外へと向けた。 ◇ その後の流れは、あいまいにしか覚えていない。よほど気が動転していたのだろうか。とにかく、気付いたとき、そこはヒルガブの部屋の中だった。 暗幕のようだったカーテンが外され、開け放たれた窓から涼やかな風が吹き流れてきている。 家具の類が搬入されていた。幅も広く大きめなベッドが奥に運ばれていくのを見やり、頬が熱をもって赤く染まった。 ――ここで、一緒に暮らす。 何度となくその言葉を反芻し、そのたびにうずくまりたくなるほどの衝動にかられる。 ヒルガブは家具を運び入れてくれるスタッフにていねいな礼を述べ、送り出す作業に移っていた。その声で我に戻り、七夏もパタパタと走っていってスタッフの送り出しをした。ヒルガブの隣に立って挨拶を述べる。再び頬が紅潮した。 運びこまれたミシン机に布と糸を置く。 「これで、スムールの寝床を作ろうと思うの。ハンモックみたいに、部屋の高いところに吊り下げようかなって。あのチェンバーでスムールが気に入ってるのも高い場所でしょ」 「なるほど、それはいいですね」 言いながら椅子に座り作業の準備を始めた七夏の横で、スムールがうっそりと――けれどどこか興味深そうに、七夏の動きを見つめていた。 「待っててね、スムール。これが出来たら、部屋用にするクッションも作るわ」 そう言って笑いかける七夏をヒルガブも見つめる。視線を重ね、気恥ずかしさに頬に熱をもちながら、七夏も笑った。 ミシンの音が響く。蓄音機は止まっている。音楽のように小気味いい音律を響かせながら、七夏の手がスムールのための寝床を縫い上げていった。 ◇ 出来上がったばかりのハンモックでスムールが眠っている。ヒルガブと七夏はテーブルセットや衝立や、畳を敷いたりしている。呪術道具である布団つき卓袱台もセットした。新しい白いカーテンが風をうけて波を描く。私室スペースに置く書棚やタンスへの収納もすませた。 わずかな沈黙。静寂の中で視線を交わせば、跳ね上がる動悸の音が空気を振動させてしまいそうな気もする。照れ隠しのように視線を泳がせて、片付けるべき場所はないかを検めた。 「そういえば、ヒルガブさん。前から気になってたの」 「なんですか?」 「あの暗室」 言って、部屋の一郭を陣取る暗室を指差した。 ほんの二畳ぶんほどの広さしかなさげな、見るからに手狭な空間ではある。それでもきちんと閉ざされたドアの向こうを、七夏はまだ見たことがない。 「お人形部屋ってここのこと? 覗いてみてもいい?」 訊ね、ヒルガブを見る。ヒルガブはようやく、わずかに動揺の色を浮かべていた。 「かまいませんが、その」 もごもごと言いよどむヒルガブに首をかしげながら、七夏は暗室のそのドアノブに手を伸べた。 そうして、七夏は目にしたのだ。その暗室の中にあるものを。
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