ブルーインブルーでしばらく過ごすと、潮の匂いや海鳥の声にはすぐに慣れてしまう。意識の表層にはとどまらなくなったそれらに再び気づくのは、ふと気持ちをゆるめた瞬間だ。 希望の階(きざはし)・ジャンクヘヴン――。ブルーインブルーの海上都市群の盟主であるこの都市を、旅人が訪れるのはたいていなんらかの冒険依頼にもとづいてのことだ。だから意外と、落ち着いてこの街を歩いてみたものは少ないのかもしれない。 だから帰還の列車を待つまでの間、あるいは護衛する船の支度が整うまでの間、すこしだけジャンクヘヴンを歩いて見よう。 明るい日差しの下、密集した建物のあいだには洗濯物が翻り、活気ある人々の生活を見ることができる。 市場では新鮮な海産物が取引され、ふと路地を曲がれば、荒くれ船乗り御用達の酒場や賭場もある。 ブルーインブルーに、人間が生活できる土地は少ない。だからこそ、海上都市には実に濃密な人生が凝縮している。ジャンクヘヴンの街を歩けば、それに気づくことができるだろう。●ご案内このソロシナリオでは「ジャンクヘヴンを観光する場面」が描写されます。あなたは冒険旅行の合間などにすこしだけ時間を見つけてジャンクヘヴンを歩いてみることにしました。一体、どんなものに出会えるでしょうか?このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・あなたが見つけたいもの(「美味しい魚が食べられるお店」など)・それを見つけるための方法・目的のものを見つけた場合の反応や行動などを書くようにして下さい。「見つけたいものが存在しない」か、「見つけるための方法が不適切」と判断されると、残念ながら目的を果たせないこともありますが、あらかじめご了承下さい。また、もしかすると、目的のものとは別に思わぬものに出くわすこともあるかもしれません。
「ねー、おじちゃん、何してんの~?」 「ぬふぉあっ!?」 ふいに声を掛けられ、Q・ヤスウィルヴィーネはバランスを崩して積んであった木箱によりかかってしまう。 その拍子に木箱の塔ががらがらと音を立てて倒れてしまった。 「おい、なんだ、何やってんだ!」 「むう、これは失敬!」 へこへこと頭を下げながら、倒してしまった箱を元通り積み上げるヤスウィルヴィーネ。 その様子を、声を掛けた子どもがじっと見つめていたが、母親らしき女性にさっと手を引かれてどこかへ行ってしまった。 「……。完全に気配を殺していたはずだがあのような小童に看破されるとは不覚。侮れませんな、ブルーインブルー……」 彼が、彼の従う隊長とともにこの街の駅に降り立ったのは今朝のことだった。 隊長は世界司書の依頼を受けて、今日一日、ジャンクヘヴンを出てまた戻ってくる船の護衛に、他のロストナンバーたちと乗り込むことになっていた。そしてヤスウィルヴィーネはというと。 「酒、酒、酒……うまい酒、と……」 物陰から物陰へ、影を渡るようにしてなるべく目立たぬように移動するヤスウィルヴィーネだが、むしろその行為そのものが目立っていた。 護衛対象の船を目前にして、隊長は彼に向かって言ったのだ。 こっちは俺に任せておけ。 当然、自分も行くものだと思っていたヤスウィルヴィーネの出鼻は挫かれ、代わりに与えられた任務が、「おまえはここでうまい酒の呑める店を探しておけよ。いいな?」というものだったのだ。 任務とあらば果たすのが役割だ。 果たして、ヤスウィルヴィーネの、ジャンクヘヴン酒場探訪が始まったのである。 「ふむ……良い匂いです」 軒下に忍びより、鼻をひくつかせる。 「メニューはと、どれ……」 「あの、お客さん、入るなら入ってほしいんですけど……」 いやに低い姿勢のまま表に出している「本日のオススメ」の看板を、熱心にメモに書き写している中年のあまりのあやしさに、見かねた店員が声をかける。 「うまい酒の呑める店を探しているのです」 「でしたら、どうぞ。良い葡萄酒を入れてますから」 「ほう、どう良いのです」 「ザパントスから取り寄せているんですよ。今日は魚もいいのが入ってますし、マリネでも、スープでも」 ザパントスというのが何かわからないが、ワインの産地のことだろう。ヤスウィルヴィーネは自慢げに語る店員の頭の先から爪先までを舐めるように観察し、なにかをメモ書きしながら、 「いやしかし、店員が自店を売り込むのは当然ですからね。客観的な証拠というものをいただかないと! 隊長よりおおせつかった以上、へたな店にお連れしてはこのヤスウィルヴィーネの沽券にかかわるというもので――」 「あの、面倒なのでもういいです」 そんなやりとりを何軒か繰り返したのち、ヤスウィルヴィーネの脳裏に天啓があった。 やはり第3者の評判こそが信頼に値するものだ。とはいえ、直に質問しては、相手も気兼ねして本当のことを言わないかもしれぬ。ならば、こっそり耳をそばだてて街の声を拾えばよいのである。 それこそ、栄えあるS.S.Sに名を連ねる(2人だけだが)間諜たる自分にふさわしい方法ではないか! そんなわけでさっそくとりかかったヤスウィルヴィーネだったが、路地に潜んで通りを行く人の話を聞こうとしているところを、子どもに見つかって不審がられたり、民家の裏窓の下にいるところを覗きと間違われて水をかけられたり、猫の昼寝を邪魔して威嚇されたりして、時は過ぎた。 調査ははかどっていないまま、やがて日は傾く。 ブルーインブルーの水平線がしだいに黄昏の色に染まり始めていた。 「日が暮れたら船を出すからな。支度しとけよ、おめぇら」 「へいへい」 とあるところに、いかにも荒くれた風情の男たちがたむろしている。 海に面した窓から桟橋へと続く板張りの路が見える屋根の下だ。吊り下げられた獣脂のランプが照らすのは、テーブルがわりの木樽と、そのうえに撒かれたコインとカード。 「ったく、人使いの荒ぇ。今朝こっちに戻ったばかりじゃねぇか」 男のひとりがぼやいた。 「まったくだ。今晩は、『角笛亭』でエールの一杯、のつもりだったんだがなあ」 「ああ、言うな言うな。あの店の味が恋しくなる」 「おうよ、あの店は親父はこわもてだが酒と料理はいちばんだからな」 「ほほう、して、その店はどこにあったかな?」 「どこって、おめぇ……」 はたと気づいて、男たちはカードの手を止め、仲間の顔を見た。 見られた男は、ぶんぶんと首を振った。 「違う。俺はなんにも――」 と言いかけたその口が、 「ここからだとどう行けばよいか。ド忘れしてしまったのです」 「はァ、何言ってんだ、おまえ」 「違う! 今のは俺の言葉じゃ――」 「うお!」 そのときだった。 音を立てて屋根の一画が敗れ、男の脚の1本がにょっきりと生えたのである。 「誰だ!」 「しまった。なんたるやわな天井。忍びにやさしくないですな」 もう一方の脚で天井板を蹴り外し、すたりと床に着地する男……ヤスウィルヴィーネだ。 「まさか……ジャンクヘヴン海軍!?」 「畜生! やっちまえ!」 男たちはなにがしか、後ろ暗いところのあるものたちだったのだろう。 かれらの話を盗み聞きしていたヤスウィルヴィーネに対して色めき立ち、手に手に棍棒やナイフを構えた。 「いやいや、待ってください。ただその店の話を……おおっと!」 問答無用!と襲いかかってくる男たち。 倒れるテーブル。割れる酒瓶。 夕暮れのジャンクヘヴンを、怒号と喧騒が乱した。 「待ちやがれ!」 「どこに行きやがった!?」 「あっちを探せ!」 どたどたと、桟橋のうえを靴音が行きかった。 その様子を、建物の屋根のうえからそっとうかがい、ヤスウィルヴィーネは嘆息を漏らす。 やれやれ、仕方ない。 諦めて他をあたろう。ひょい、と、年齢と体格からは想像もできない身軽さで、屋根から屋根へと飛び移る。 「ギニャーーッ!!」 「はっ!?」 運悪く、猫の尻尾を踏んでしまった。 叫び声に驚いて、思わずバランスを崩した。屋根の端から足を踏み外し、真っ逆さまだ。窓から窓へ渡された洗濯紐を何本かぶち切って、落ちたヤスウィルヴィーネは、細い路地の石畳にしたたかに身体を打ち据え、呻き声をあげる。 「なんだ今の音は!?」 傍の扉が開いて、これまた柄の悪そうな男が顔をのぞかせる。 しかし男の頭上にかかる木の看板に、はっと、ヤスウィルヴィーネの目が見開かれた。 ――『角笛亭』。 太陽は水平線の彼方に沈み、街は夜の装いに華やぐ。 『角笛亭』からは、店主の野太い笑い声が響いている。 「そうかそうか、そいつぁ災難だったな! まあ、飲め!」 「はい、いただきます! ……これはうまい」 「おう、そうだろう、これも食ってみろ!」 木のカウンターの上に並べられる料理の数々。 注がれた酒を飲み干せば、疲れた身体にしみ渡っていくようだった。 「この店はご主人がお一人で?」 「今はそうだな。かみさんが出ていっちまってよォ」 「なんと!」 ランプの灯が石壁に落とす影がかわす四方山話。 酒は申し分なく、肴もどれもうまかった。 これは良い店を見つけたと、ヤスウィルヴィーネは酔いの回り始めた頭で思う。 その脳裏から、すでに隊長のことはすっかり忘れ去られているが、そのせいで彼に降りかかった災厄は、また別の物語である。 (了)
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