口は災いの元――という言葉が、壱番世界にありましたな。 と、ヤスことQ・ヤスウィルヴィーネはぼんやりと考えていた。 両手足は荒縄でご丁寧にも忍者結び―― 縄抜け不可能な拘束をされた身は海老みたいな状態で、冷たい雪の上に転がっていた。 強風によって凶器と化した雪が体を叩き、そろそろ体の半分ほどが埋まって自分自身も景色と同化しつつあった。 大勢の人がいたことに気を緩め、ついそこで余計なことを、この場合は災いの元を口にしてしまった。 クナイを投げられないツーカーの仲になりたい……いや、人使いが荒い? ギャンブルや酒に目がないったらもう……か それらの愚痴を無駄にスパイスキルを発揮した上司に聞かれたヤスは抵抗する暇も隙もなく縛られ、雪山のチェンバーに連れてこられた。めんどくさがり屋な上司にはありえないほどご丁寧な仕事ぷりで――山の頂上に放置されたのだ。 覚えていたら迎えに、きてくれるんですかな。 いまごろ、酒を飲みながらギャンブルの合間に、ヤスのヤツがいねーなーと自分でやったことをころっと忘れているだろう。 頭のなかにさらさらと浮かぶ思い出……上司の顔、『角笛亭』、ロストナンバーになって旅した日々……走馬灯って本当にあるんですな ふと、ヤスの目にノートがとまった。 もぞもぞと動かない両手を動かし、開いてみると 『ちょっと、ちょっと!』 元気な文字に、ぎょっと目を開いた。 『クリスマスプレゼントかと思ったら『たすけて、ヤスウィルヴ……』って削り文字が入ったクナイが来たわ! 旅客名簿から、あなたからだと思って連絡したのよ! 何があったのか、すっごく気になるじゃない。 あ、私、見た目は子どもだからって、心配ないからね? って、あなた。北海道遠征の時、風よけになっていた人よね?』 神の助けならぬセクタンの助け。 ひきずられるヤスは最終手段として持っていたクナイに文字をいれ、プレゼントを配達するために歩いていたセクタンに渡しておいたのだ。一か八かの賭けだったが、なんとかなったらしい。 「それも、自分を知っている人みたいですね」 ヤスは震える手で返事を書き、最後の仕事にとりかかった。 上着から爆竹をとりだすと、口、手、足を器用に動かして、火をつけた。 あ。 ばちいん! 顔の真ん前で爆竹は破裂した。 ★ ★ ★ 黄燐はそのプレゼントを渡されたとき唖然とした。なんといってもクナイには不吉な文字……思わずセクタンを捕まえ、揺さぶってでも事情を説明させたかったが仕事を終えたセクタンは既に立ち去ってしまった。 『雪山のちぇんばー、目印 ならす ヤス』 返事に黄燐は今度こそ本気で焦った。これってつまりはクリスマスだから雪山に遊びにいって遭難した、なのかしら? 「ぼ、防寒具を持って行かなきゃ……! お師匠様のでいいかしらね?」 自分も厚めのコート、手袋、耳あて、帽子を身に付けた黄燐は昔の記憶からヤスの体格がお師匠様とわりと似ていたとことを思い出した。 お師匠様の防寒具を一式無断で――こんなときに限っていないし! ――リュックに詰め込むと、誰にもなにも告げずに急いで駆けだした。 幸いにも雪山チェンバーはあっさりと見つかった。 足を一歩踏み込んだだけで息が凍え、肌がちりちりと痛む極寒。 黄燐は小さな体をますます縮めた。 こんなところで遭難したの? やっぱり他のひとに助けを求めるべきなのかしら? けど、時間がかかりすぎたらヤスさんの命が危ないかもしれない…… 「あっ!」 視界に赤い輝きが見えた、気がした。 黄燐は祈るような気持ちで目を凝らすと、また赤い光となんか情けない悲鳴が…… 「目印ってアレのことかしら?」 目をぱちぱちと瞬かせ、黄燐は小首を傾げたあと、決意を固めて走り出した。 そして三十分後 黄燐は赤い輝きを頼りにたどり着いた場所で、きょろきょろと周りを見回した。 「確か、ここら辺のはず……きゃあ!」 白い雪の小山を踏んだ黄燐は予想しなかった、もにゅという柔らかさにぎょっとした。慌てて雪を掘ると、そこから青い髪の毛が出てきたのにますます仰天した。 「これをひっぱれば……!」 髪の毛をひと束、がしっと握りしめて、ぐぐっと後ろへと力いっぱい黄燐は引っ張った。 ずぼぉ。 まるで大きな蕪が抜けるように、青い髪の先が出てきた。 白目を剥いている男に黄燐は焦った。 「えーと、こういうときは……しっかりして!」 ぺちぺちぺちと手で軽く頬を叩いてみるが反応はない。 「大変、新鮮な空気を……!」 むにゅり。 柔らかくて、それでいてあたたかな空気がそっと流れこんでくるのをヤスは感じた。しかし、なぜかケモノクサイような…… ぱちりと目を開けて、ぎょっとした。 自分の唇を奪う白くて丸い――猿! 「うきぃ」 「え、えーと」 妖しい目で見つめてくる猿を押しのけてヤスはずずいっと後ろへと下がった。 「あ、よかったわ。目が覚めたみたいで! 猿さんありがとう」 「うきぃ」 白猿は黄燐相手に気さくにひと鳴きして、ヤスにウィンクを一つ投げると雪のなかへと消えた。 「無事ね。はい。これ、コーヒー」 「あ、どうも、すいません」 反射的に差し出された水筒のカップを受け取り、コーヒーに口にすると、麻痺していた体の感覚が戻ってくるのがわかった。 「はい、防寒具、これを着て。呼吸が怪しかったのよ。さすがに危ないと思ったの。そしたら親切な猿さんがきてね、ヤスさんに人工呼吸をしてくれたのよ」 「へー、そうなんですか」 コーヒーを飲みほして、ヤスは差し出された男性用の防寒具に身を包み、ようやく落ちつくと黄燐をまじまじと見た。 「えーと、こんなことを聞くのはなんですが、あなたは?」 「失礼ね。助けを求めたのはあなたでしょ」 「あ」 手をぽんっと叩いてヤスは黄燐を指差した。 「黄燐さん!」 「そうよ。あなたはヤスウィルヴィーネさんでいいのよね?」 「はい。自分のことはヤスって呼んでください。しかし、すいません、なにからなにまで」 ヤスは深々と黄燐に頭をさげた。そういえばノートには見た目は子どもだからって……と書いていたことを思い出す。 黄燐は、ヤスの腰くらいの身長もないほど小柄な少女だ。 己の情けなさにこっそりと嘆息するヤスをよそに黄燐は持ってきた水筒をリュックにしまい、立ち上がった。 「さてと、ここも寒いし、はやく出ましょう」 「そうですな。このままでは二人して凍えてしまいますし」 もたもたして黄燐が風邪でもひいたら申し訳ない。 ヤスは無意識にそっと黄燐の横に移動し、彼女の小柄な体がこれ以上風と雪に攻撃されないようにと守った。 黄燐は、くすりと笑う。 「……あなたって紳士なのね」 「いやぁ~」 頭をぼりぼりとかいて照れるヤスは、次の瞬間、背筋にぞっと殺気を感じた。 「な……うおっぷっ」 ヤスの顔面に白い雪の塊によって後ろに倒れる。 「うさぎ!」 黄燐が攻撃してきた先を見ると、白い兎が、ふんっと胸を張って二本脚で立っている。その両手に真っ白い雪玉。 それも一羽ではない、二羽、三羽……十羽以上が、周りを取り囲まれている。 そして一斉に片腕を持ち上げて、ごぉ! 吹き荒れる風の力も手伝って投げられた玉はものすごいスピードでヤスにぶつけられる。 「ちょ! なんなの! やめさない!」 雪に埋もれていくヤスを守るべく、黄燐は果敢に兎たちに立ち向かった。 跳びはねながら、雪玉を投げてくる兎はなかなかの強敵であったのに黄燐は爪を鋭く伸ばして、雪玉を叩き斬り、投げ返したりして追い払った。 「はぁ、はぁ……なんなのかしら、ってヤスさん! どこ? 地面だったら埋まっていてもわかるんだけど」 黄燐は再び、白い雪のなかに埋まったヤスを探すはめに陥った。 おおよそ五分後……黄燐は雪のなかで半死半生のヤスを見つけ出すと、すぐにコーヒーを飲ませて介抱した。 「どうしたのかしら? 私が来た時は、なにも襲ってこなかったのに……まるでヤスさんを狙っているみたいに」 「そうですね……あ、そういえば、ここに放り込まれたとき上司に「鍛え直してやる」っていわれて、なんか肌のあちこちにへんな液体を塗られたんですよね」 「……もしかして、それのせいかしら?」 疑わしげな黄燐の目にヤスは明後日の方向を見た。 「あっ!」 黄燐が声をあげるのにヤスは振り返る。 ぴょこんっと白くて丸い――手乗りサイズの雪だるまが、地上かににょきんと生えてきた。 雪だるまは、ぎろりっとヤスをつぶらな目で見つめて――いや、あれは確実に睨んだ。――おもむろに口をあけると、雪玉をぱんぱんぱーん! 連続で放出した。さらににょき、にょきっと雨後の筍の如くちび雪だるまば一体、二体と生えてくる、生えてくる…… 「!」 ヤスは瞬時に黄燐を横抱きに、攻撃を避けた。 「すいません。逃げます!」 「え、ええ!」 ヤスは普段の抜けた顔に力をいれて雪の大地を駆けた。 つるっ。 「あっ!」 「えっ? きゃああああ!」 普段走り慣れない大地に足をとられて、仰向けに転げる。それもなんだか狙ったかのように坂。 ヤスは黄燐を腹の上に乗せて、落ちないようにと両手でがっちりと抱き、生きたソリとなって、坂道を滑り落ちた。 「きゃあああ」 「う、うわわわわっ」 憐れな二人の悲鳴が吹雪の雪山に響く。 しかし、驚いたのもはじめの五分ほどで、滑ることに慣れるとヤスと黄燐の両方に余裕が生まれた。幸いなことに見渡す限り白い雪で覆われた大地には障害物らしいものはなく、安定して滑ることができた。 「このまま滑っていけばすぐに出口につくんじゃないですかね」 「そうねって……ヤスさん、前!」 「え?」 なんと恐ろしいことに前方に巨大雪だるまが待っている。しかも片手をあげて、くいくいっと不遜なファイティングポーズまでする始末だ。 このままでは間違いなく雪だるまの吹雪攻撃を正面から受けるハメに陥る。 「いきなり止まれませんよ!」 「けど、このままだと雪に埋もれちゃう! ……ヤスさん、しっかりと支えて」 「はいっ」 黄燐はヤスの腹の上というバランスの悪い場所にもかかわらず、弓を構えた。 「……セイャア!」 力強く、矢が飛ぶ。 矢は真っ直ぐに雪だるまの足元に直撃し、どろりっとした沼が発生させる。雪だるまがそこへと落ちる。 猛烈な寒さに沼の水は瞬時に凍りつき、雪だるまの自由を奪いとった。 「やりましたね!」 「ヤスさん、前、前っ」 雪だるまを抜けた先には数本の樹、そして、さらにいくと――崖。 「ここはオレがっ」 ヤスは、自由になる手に持っていた縄の端に結んだ手裏剣を投げた。 空気をきって手裏剣が樹の枝に突き刺さる。と、ヤスは大きく体を反らして前にある樹をぎりぎりのところで回避する。 「きゃあ」 黄燐は悲鳴をあげてヤスの首に力いっぱい抱きついた。 ヤスは踵をブレーキに、縄を握りしめて。 みしぃ……枝が軋み音をたてるなか、ようやく止まることが出来た。それも崖の落ちる一歩手前で。 足元を見れば、崖の下はかなり深いらしく、のぞいた下は深淵。寒々しい風の音が背筋を震わせる。 「しっかり抱きついていてくださいね」 「木登りは得意だけど……ここはヤスさんにお願いするわ」 日ごろ、上司に鍛えられているおかげなのか不明であるが、猿のようにするするっと縄を伝ってヤスは樹のところまで登りきった。 「生きてますねぇ」 「ええ、そうねって、あ!」 「へ……うわぁ!」 どさ、どささ。 まるでタイミングを見計らったように樹の上にあった大量の雪がヤスの上に落ちた。 「大丈夫?」 「生きてますねぇ」 雪まみれでヤスは笑うと黄燐もくすりっと口元に笑みを浮かべた。 「ふ、ふふ、あははは」 「あははは」 二人は互いの顔を見合わせて笑った。 「ここを降りたら、すぐに入り口だから」 ヤスは立ちあがると気合いをいれるように両頬をぺちりと叩いた。 「黄燐さんには助けられぱなしなんで、オレもがんばりますよ!」 「あら? 先はヤスさんのおかげで助かったわ」 「そうですけど……良い大人が……女の子に助けられぱなしなのは情けないですよ」 子供、というのは一応、言わないでおいたが、黄燐には伝わったらしく、むっと片眉を持ち上げてヤスを睨みつけた。 「あら、私、これでも見た目より三十倍以上は生きてるのよ」 「へぇ、て、え、本当ですか?」 目を剥いて驚くヤスに黄燐はくすくすと楽しげに笑った。 「ロストナンバーになると、本当に不思議な人にいっぱいですね」 「褒め言葉として受け取っておくわよ」 「はい。褒めてますよ。あ、そうだ。クリスマスプレゼントが、こんなことになりましたし、ここを出たらなにか御馳走しますよ。ブルーインブルーにすごくいいお店があるんですよ」 「そうなの? いいわね!」 黄燐が目を輝かせた瞬間、ふわぁとヤスは浮いた。 「え、ヤスさん……!」 真っ白い熊がヤスを後ろから荷物のように持ち上げて、たたっと走って逃げていく。どうやら巣に持ち帰っておいしくいただくつもりらしい。 「ちょ、私のご馳走! じゃない、ヤスさんを返しなさい!」 黄燐は、得意技の飛び蹴りを放った。 二人はそのあと雪だるまの軍勢に襲いかかられ、雪兎がアタックしてきたり、雪狼にぺろぺろと舐められたり…… 「はぁはぁ、よ、ようやく入り口ね」 「そ、そうですね」 二人とも雪まみれのぼろぼろであった。とくにヤスはよだれ、噛み傷、ひっかき傷があちこちについている。 「足を引っ張って面目ないですね」 「ヤスさんが逃げるときに手伝ってくれたじゃない」 主に飛び蹴りと弓で敵を退治する黄燐に、ヤスは本業がスパイらしく手裏剣で敵の注意を逸らすと、黄燐を横抱きにすると気配を消して猛ダッシュで逃げた。 そんなことを繰り返し、ようやく山を降りる手前まできたことに二人から喜びと安堵のため息が口から漏れ出す。 「さぁ、外に出ましょう……あれは!」 二人がぎょっと見つめる先には炎のような赤い毛並み、二メトールはあるだろう巨体な 「ぐをあ!」 雪男がぎらんと鋭い目を輝かせていた。 「あの赤い色、なにかを思い出しますね」 「ヤスさん、ヤスさん、現実逃避している暇はないわよ! あいつを倒さないと出れないんだから!」 すでに戦う決意をした黄燐はきりっと雪男を睨みつける。たいして雪男は大きな両手を持ち上げて雪の大地を叩いて威嚇する始末だ。 黄燐は怯まず、弓を放つ。 と。 雪男は驚くほどの俊敏さを発揮して矢を回避し、手に大量の雪をすくいあげて投げた。 「うわっぷ!」 「きゃあ」 視界が遮られた瞬間、――轟。 「うわぁっと」 殺気を感じたヤスは、間一髪のところで拳を避けた。雪を力いっぱい蹴って宙に飛ぶ――雪男の手が伸びた。 びりっと爪によって防寒服が破けたが幸いにも肉体には達していなかった。ヤスは雪の上に着地すると素早く手裏剣を放った。 「ぐわあん!」 雪男が吠えると吹雪が力を増して、手裏剣はその威力を半分も発揮できずに白い地面に落される。それは黄燐の弓も同じだ。 「困りましたね」 「どうしよう」 穴のあいた服からぽろりと、一個だけ残っていた爆竹が零れ落ちた。 「爆竹……オレが雪男の注意を引きますから、足を狙ってくれますか」 「わかったわ。無茶しないでね」 「はいっ」 爆竹を拾い上げてヤスは吹雪のなかを駆けだした。 雪男が大きく腕を振り上げた隙をついて、手裏剣を放つ。たいした威力はないが、目的は雪男の動きは牽制だ。 ヤスは動きを止めた雪男の太い腕に足を乗せ、その赤い山を駆けのぼり、爆竹をつけた手裏剣を雪男の顔に向けて放った。 ばぁん! 音と煙に雪男がよろける。 「セイャア!」 そのタイミングで黄燐が雪男の足元を狙って弓を放った。 「ぐをああん!」 雪男は唸り声をあげて片足を沼に沈めたのに黄燐はさらに矢を放って、雪男の周辺に沼を作っていった。 「っと!」 ヤスが雪男の腹を蹴って、宙に逃げる。 「ぐぉ」 雪男の伸ばした手をぎりぎりのところで避けたヤスは雪の上に転がり、すぐさまに立ちあがった。 「ヤスさん!」 「ぷはぁ……無事です。さぁ、今のうちに」 雪から起き上ったヤスは黄燐の片手を握り、外へと駆けだした。 無事に雪地獄から逃げ切った二人はあたたかさを求めて目についた食堂に飛び込んだ。 あたたかいココアで身をほぐすとヤスはおずおずと提案した。 「助けてもらったお礼です。ここはオレの奢りなんで好きなもの食べてください」 「本当? じゃあ、遠慮なく!」 遠慮無用の言葉に黄燐の唇からつらつらとあげられていく料理名……魅力いっぱいの食べ物がテーブルが満たしていく。 そのなかでヤスはこっそりと財布の中身を確認した。――大丈夫ですよね? 「さ、乾杯しましょ!」 「はい」 二人はコップをあわせて、乾杯した。 美味しそうな料理に舌鼓をうちながら、黄燐はふと 「けど、なんであんなことになったの?」 「あれはですね」 ヤスが語り出した今回の事件のはじまりに 「なんなの、それ!」 「いや~……こんなクリスマスプレゼントで申し訳ないです」 「なにいってるの。ヤスさんとこうして仲良くなれたもの。それが一番のプレゼントよ」 黄燐の言葉にヤスは目をぱちぱちとまたたかせたと、前髪を軽く指でつまんで照れた。
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